今月の読本「日本列島草原1万年の旅 草地と日本人」(須賀丈・岡本透・丑丸敦史 築地書館)人の営みが作り出した、もう一つの「自然」へ

今月の読本「日本列島草原1万年の旅 草地と日本人」(須賀丈・岡本透・丑丸敦史 築地書館)人の営みが作り出した、もう一つの「自然」へ

New!(2018.11.2) : 本書に書かれた内容の最新報告です。詳しくはこちら(長野県環境保全研究所研究報告要旨No14)をご覧ください。

本州最大と呼ばれる草原を有する霧ヶ峰。

空まで抜けていく様な気持ちの良い火山高原に広がる草原は、西の阿蘇と並んで多くの観光客の方を引き寄せています。

日本は森林の国と呼ばれて久しいですが、なぜこのような草原がそもそも存在するのでしょうか。そして、その植生や地質にはどんな意味合いがあるのでしょうか。

火入れや人力による刈取りによって植生を維持している霧ヶ峰。現在は景観維持の為に実施されていますが、それ以前の時代、遅くても鎌倉時代辺りから継続的に現在の景観が続いていたと考えられています。

富士見台からガボッチョを2013年4月、野焼の延焼で山火事となってしまった、車山肩の富士見台から望む景色。

なぜそこまでして維持する必要があるのでしょうか。そんな疑問点に立って霧ヶ峰の草原に立った後に読みたい一冊をご紹介します。

草地と日本人、信州の草原日本列島草原1万年の旅 草地と日本人」(須賀丈・岡本透・丑丸敦史 築地書館)です。

著者グループの筆頭である須賀氏は、共同執筆者の岡本氏と同じ長野県をベースに研究活動を進めている方で、本書が刊行された1年前(2011年)に、地元出版社のほおずき書籍から「信州の草原」という、本書のベースとなった書籍を上梓されています。

本書では上記の2名の方に、新たに兵庫県で里山の植生を研究されている丑丸氏を加えた3名で執筆されていますが、それぞれのメンバーが得意とする分野に分かれて分割執筆されています。その結果、本書は大きく2つのパートに内容が分かれています。一つ目は1,2章で記述される、長野県の草原をベースにした前著のテーマをより一般的に、かつ時代を追って記述する事で、草原植生における人の介在を指摘していく部分。二つ目は3章で述べられる、田圃の畔に着目した植生の生物多様性についての検証。お互いの内容は直接的には関係してこないため、2冊の本を1冊に纏めたような感じも受けますが、言わんとしている主題はどちらも共通で明快です。

すなわち、日本は旧来から草原と草地の広がる土地であり、その土地とそこに生える草地の植生は人の介在なくして存在せず、その存在こそが、日本人が自然と向き合ってきた姿そのものであるとの認識を表明する事です。

ここまで書くと、おやっと思われる方も多いかもしれません。何せモンスーンに恵まれた日本の国土は80%近くが森林であり、日本こそは世界有数の森林大国の筈ではないのか、と。

この概念をまず取り払うことから、本書の物語は始まります。著者達が研究のフィールドとしている霧ヶ峰、そして阿蘇。今や希少な大草原ですが、その土壌を調べると奇妙なことに気付きます。深く積み上げられる「黒ボク土」と呼ばれる、日本特有の黒々とした土。日本中で見られるごくありふれた土ですが、実は水田にはあまり適さず、土壌改良を要する農家にとっては厄介な土壌です。これらの土壌は全国の約20%を占めており、日本の土壌の中核を成していますが、その存在は偏在しており、多くは火山に付随するため、火山活動による影響によって生成されたものと従来は考えられてきました。しかしながら、著者たちの調査結果は異なっているようです。土壌の調査と、その地層やそこに含まれている植生の年代調査が実施できるようになった結果、驚くべき傾向が見受けられています。それは、土壌に含まれる植生が樹木ではなく、殆どが草木類であることと、その年代が約1万年まえから急激に増えてくる点です。そして、黒ボク土が偏在する地域には考古学的に縄文時代から人が居住していたと考えられる事です。

前述のように、モンスーン気候に恵まれた東アジアにおいて、開けた土地があれば数十年を経ずに樹木が繁茂する事が良く知られています。しかしながら、黒ボク土からは草木類ばかりが検出される。火山活動が原因であれば樹木が検出されてもよさそうなのに、そのような結果に繋がらないばかりか、火山とは関係ない場所でも黒ボク土は存在する。更には、火山活動と関連があれば、もっと古い時代の地層に存在しても構わない筈なのに、特定の年代以降で発生する。

これらを勘案した結果、著者達は大胆な想定を打ち立てます。すなわち「縄文人以降の日本人によってはじめられた焼畑、ないしは定期的な焼き入れによって、黒ボク土が生成された」と。

また、縄文びいきの信州人たちが、更なる大胆な縄文農耕論を引っ提げて、人文学から今度は科学にまで乗り込んでくるのかと罵られそうですが、もう少し著者達の話を聞いた方がよさそうです。その理由は、日本の歴史上、草原が必要不可欠かつ、欠かせない存在であった事。

既に歴史学の知見において、戦前までの日本の風景は、草木が広がる丸裸の山々の麓に水田が広がるという、現在の景色からは想像もできない姿であった事が明らかにされつつあります。その原因は、木造建築の膨大な需要による森林の枯渇と、それ以上に必要であった、燃料としての炭、薪と、材料としての萱、肥料としての草木(柴)を必要する農耕生活の姿。その結果、所謂里山と呼ばれる、農村に付随する山裾の殆どは年間を通して農民が草を刈り取るために裸地化し、新田開発の進んだ江戸時代の後半には、水争いと並んで、これらの草木を刈り取るための山裾(入会地)の権利争いが頻繁に発生することになります(補足:霧ヶ峰を始め、八ヶ岳西麓に多くの草原が残っている理由の一つとして、多くの山裾が未だに当時の権利関係を引き継ぐ「財産区」によって共有されているからです)。

そして、黒ボク土が出来る大きな理由、現在のような強力な土木機械が存在しない中で、自然更新してしまう森林を切り開くなり、維持する為にもっとも手っ取り早い方法、すなわち「火を入れる」という合理的な選択が、結果として黒ボク土を生み出し、草原を維持する事となったと考察していきます。

その結果として、戦後の大造林政策が始まるまでの長きに渡って、日本は草原と水田が広がる景色であったと見做していきます。そこには、人の手入れによって生成された環境である「半自然」状態でのみ生存できる植生があった事を見出していきます。そして、その片鱗は現在の田圃の畔にも見いだせる事を見つけ出していきます。

本書が語るもう一つのテーマ、それは人との共生によってのみ成し得る植生が、日本の生物多様性の一翼を担っている事を明らかにする事。ライチョウが氷河期の環境の名残でもある高山に点々と存在することと同じ視点で、人の手によって切り開かれた草原や田圃の畔で生きる植物たちもやはり、過去の環境からの生き残りの植生であることを明らかにしていきます。モンスーン気候の地では人が手を入れ続ける事によって維持される日射条件が良く開けた環境、しかも過度の開発ではなく「ほどほど」の利用でのみ共存できる植物たち。そんな危ういバランスの上に成り立っている植生に目を配る事で、人と自然の関わり合いを改めて見直そうと、著者達は提案していきます。

富士見台展望台からガボッチョ火入れの延焼による山火事から2か月後の同じ場所(2013年6月撮影)。

失火後、僅か2ヶ月ですが、既に新たな緑が芽吹き始め、火に強いのでしょうか、レンゲツツジは花を咲かせていました。これがモンスーン気候における草原の遷移力の強さ。

ヨーロッパを引き合いに出して、日本人は自然をありのままに受け入れるという考え方に対して、正面から異議を唱える「自然の遷移を利用しながら手を加えてきた日本人」という、新たなイメージを提案する本書。その内容は、現代を生きる我々が忘れてしまっている自然観、実は人手によって維持される自然環境という事に改めて目を向ける必要がある事を思い出させてくれる一冊です。

<おまけ>

本書の内容のうち、土壌学やいわゆる「縄文農耕論」に更にご興味がある方には、同社の近刊でもあるこちらの「日本の土」をお勧めします。私は結論への誘導が怖くて未読なのですが、八ヶ岳を前にして居住し、本書を読んでしまった以上、読まざるを得ないのかも…。

<おまけの2>

2013年4月に起きた、霧ヶ峰の野焼きの延焼による景観変化と、その後の植生の比較写真です

本書と関連するテーマの本を、ご紹介。

霧ヶ峰・野焼きの跡

霧ヶ峰・野焼きの跡

先月、霧ヶ峰で野焼きの炎が周囲に広がってしまい山火事となってしまったニュースが流れていました。

ここ最近、霧ヶ峰はご無沙汰だったのですが、ちょっと様子を見に行ってきました。

野焼き俯瞰池のくるみの野焼き予定場所(実際の予定範囲が見つけられなかったので、報道等のデータより確認)より南東側を俯瞰で【クリックでフルサイズ】添付MapのA1地点より。

手前側の野焼きを行った部分はすっかり緑が広がってきています。

野焼きの境界線と躑躅6/16に再度撮影【クリックでフルサイズ】A2地点より同じく南東側方向。

枯草が全くなく、侵入植物の群落が形成されている野焼きの後の部分と、枯草が広がる野焼きの火が入らなかった部分が見事にコントラストを造っています。

非常に残念な事に、野焼きが広がった場所では殆ど躑躅の木が焼かれてしまったことです。枯草が残っている部分にはオレンジ色の躑躅の群落が見えていますが、新緑が広がる部分には殆ど見えません。

こちらにある『霧ヶ峰再生のための基本計画』35ページには以下のような記載があります。

—引用ここから—

レンゲツツジは、霧ヶ峰の草原の構成種であり、観光資源でもあるが、森林化を促進する要素であり、また、レンゲツツジが密集しすぎると、他の高原植物の生育が妨げられる状況が見られる。そこで、レンゲツツジは、区域を限って残し、保全管理していくこととした。

—引用ここまで—

すなわち、レンゲツツジは観光資源としてのみ人為的に残すと定義されており、38ページの植生図を見ると、霧ヶ峰インターから霧ヶ峰ロイヤルインまでのビーナスライン沿いの斜面と霧ヶ峰インター前の園地、ガボッチョの北側斜面付近だけを保全個所と想定しています。

今回撮影した池のくるみ斜面や富士見平駐車場と伊那丸富士見台の間にあるレンゲツツジの群落は草原として維持すべき場所(つまり野焼きを行い、草原に遷移させる)として定義されています。

7月の霧ヶ峰37/14に撮影した同場所の風景です。

野焼きの火が入らなかった場所と入った場所の違いは殆ど判りません(僅かに枯草が伸びている場所が火が入らなかった場所です)。

このように比較してしまうと果たして、野焼きの効果とは何だったのでしょうか。

今の池のくるみアップアップで湿原内の池を。まだ周囲には焦げた木々の匂いが漂っています【クリックでフルサイズ】A1地点より南側方向。

部分的に緑の新芽が映えている領域が湿原まで入っているようです。

以前の池のくるみアップ比較として2010年6月6日に撮影した、ほぼ同じカットを【クリックでフルサイズ】A1地点より南側方向。

ご覧の通り、湿原の斜面は枯草と灌木で覆われておりましたが、今回の野焼きで草原状態となったのが判るでしょうか。

池のくるみ中心部と新緑こちらが6/16撮影の湿原の中心部です【クリックでフルサイズ】A2地点より南側方向。

池の手前斜面側(霧ヶ峰側)は完全に野焼きで焼き払われてしまったことが判ります。

辛うじて池の反対斜面側(茅野方面)の延焼は食い止められたようです。

7月の霧ヶ峰2こちらも7/14時点の状態です。

池の茅野側はやはり枯草が残っており、火が入っていない事が判ります。しかしながら所々緑が見えていますので、火入れをしなくてもある程度は遷移が継続していることが判ります。

実際の植生に対する影響は、霧ヶ峰自然環境保全協議会が専門家チームを組織して調査を続けることになるかと思いますが、火入れの効果については何を以て是とするか、ちょっと考えてみた方が良いのかなと思っています(霧ヶ峰はそれこそ鎌倉時代以前から所詮は半人工環境なのですから)。

野焼き延焼範囲の境界線一方、こちらは延焼が最も東に広がった富士見台の駐車場(先ほどの地点から直線距離で約2km)から東側を見ています【クリックでフルサイズ】B地点より東側(矢印)方向。

丁度延焼が食い止められた部分を境にして、新緑が広がる部分と、枯草が広がる部分が綺麗に分かれています(正面手前の稜線上で食い止められました、奥の鞍部は落葉松が新緑のまま残っており、延焼していない事が判ります)。

野焼きの境界線すっかり緑に彩られた6/16の同位置より撮影【クリックでフルサイズ】B地点より東側(矢印)方向。

こちらも所々に侵入植物の群落が出来ているのが判ります。

伊奈丸富士見台の躑躅群落写真の場所を丁度裏手の伊那丸富士見平から眺めた写真(ここだけはBlackberry9790にて)。

延焼が食い止められたおかげで、山を覆う躑躅の大群落が観られます。

富士見台から伊那丸富士見台の躑躅群落同じく、富士見台駐車場側からビーナスライン越しに伊那丸富士見台方向を。

野焼きの火が入っていない状態の場所はこのように灌木と躑躅が広がっています。

野焼き跡に広がるゼンマイ駐車場から下に降りたところです。B地点より南側方向。

駐車場の目と鼻の先まで焼け跡が広がっています(一時、駐車場にある売店にも避難の指示が出たそうですが、無事で何よりでした)。

焼け跡には早くも大量のゼンマイが芽を吹いています【クリックでフルサイズ】。

このように、野焼きの後には植生交代が進んでいくようですね(この場所はもちろん想定外だった筈ですが)。

富士見台からガボッチョを最後に焼け跡から南方向に見える、すっかり焼けてしまったガボッチョを正面に望んで【クリックでフルサイズ】。B地点より南側方向。

富士見台展望台からガボッチョ6/16撮影のほぼ同アングルを【クリックでフルサイズ】。B地点より南側方向。

大変残念ながら、躑躅の群落は駐車場の手前のほんの僅かな部分を残して消失してしまいました。既に侵入植物による新しい植生が育ち始めています。

焼けて丸坊主だった前方のガボッチョも新たな緑に覆われています。前述のようにガボッチョの北斜面はレンゲツツジを保全管理すべき地区と設定されていましたが、今回の野焼きによってすべて焼き払われてしまったようです(花芽が残っているので大丈夫だとの意見もあるようですが、少なくとも今年は駄目でした)。

今後、何年もかけて再び灌木と枯野が広がる風景に戻っていくのでしょうか。

撮影指示図第20回霧ヶ峰自然環境保全協議会議事録報告事項、平成25年度霧ヶ峰高原草原再生火入れ事業・外来植物駆除事業について、資料9-1実施要項及び資料9-2記載の霧ヶ峰高原再生事業、火入れ実施図より確認の今回の火入れ予定箇所(緑枠)と撮影場所指示図。

これまでの火入れ箇所はいずれもビーナスライン霧ヶ峰インター付近の比較的平坦な草原地帯に集中していたが(上記資料参照)、今回初めて湿原間際の傾斜地で火入れを実施。強風の影響もあり結果的に大規模な延焼に繋がってしまった。

A地点からB地点までの直線距離はおよそ2km。ビーナスラインを車で移動すると5分ほど。

本事業に関する詳細については霧ヶ峰みらい協議会の公式ホームページに詳細が記載されている(今回の野焼きについての報告はまだ上がっていない)。

なお、上記ホームページにおいて、霧ケ峰自然保全再生実施計画についての意見募集を行っています。7/10から8/9迄とかなり期間が短いのですが、ご意見がある方は是非応募されてみては如何でしょうか(メール可ですし、計画案の全体がWeb上で公開されています)。

霧ヶ峰インター前の躑躅平成19年に野焼きを行った霧ヶ峰インター前の現在の風景(南方向、グライダー滑走路を望む)。

レンゲツツジの群落と侵入植物が混合している状態。ススキや灌木は殆どありません。

【更新履歴】

2013年5月27日:初回掲載

2013年6月17日:追加撮影

2013年6月22日:野焼き予定場所及び撮影場所指示図を追加。写真追加。記述一部変更

2013年6月23日:霧ヶ峰インター前の写真を追加

2013年7月14日:現状写真を更新