地域の記憶と想いを繋ぐ場所から日本のシルクロードへと繋がる記録達を(北杜市郷土資料館と企画展「北杜に汽笛が響いた日」)2018.8.19

地域の記憶と想いを繋ぐ場所から日本のシルクロードへと繋がる記録達を(北杜市郷土資料館と企画展「北杜に汽笛が響いた日」)2018.8.19

毎朝、その日に合わせた内容で所蔵する資料の紹介をSNSで発信されている、国立公文書館さん。ある日、こんな内容の投稿をされていました。

すぐ近くにある施設で開催中の企画展の紹介を添えた所蔵史料の紹介。近隣に住んでいてもこれらの企画展の開催情報は広報(観れる方は限られる)以外で全く告知される事は無く、ローカルニュースででも扱われない限り、実はこんな形でしか知る由が無いという非常に情けない状況ではあるのです。

各施設に訪れると、ロビーにそれこそ溢れ出しそうなくらいに並べてあるフライヤーと称される、各展示施設が発行している開催告知が掲載されているパンフレット。実際にこれらのパンフレットを手に出来るのは、公共施設やごく一部の観光案内所に限られるため、多くは一般の地元民や観光客の方には全く知られる事が無いままに開催されて閉幕してしまうであろうという悲しい現実を、今回も再び見せつけられることになりました。

実に8つの町村が合併してできた北杜市。旧町村が収蔵していた文化財、史料再編成のために集約された資料館の一つが、旧長坂町の清春芸術村の向かい側に建てられたこの北杜市郷土資料館。旧大泉村の谷戸城跡に建てられた考古資料館とペアで運営されています(北杜市のHPは悪夢のような非階層パラレル分岐構造をしているので直リンクで)。

綺麗で立派な建物ですが、写真の左手に少し映っている低層部はバスケットコートを有する体育館、本館のスペース約半分も市民向けの貸フロアと、やや実が備わらない嫌いもありますが、北杜市の学術課も設置される、市民教育の中核施設として位置付けられています。

エントランスを進むと、この館のメインテーマを伝える、長坂町から八ヶ岳を望む、東山魁夷の第10回帝展入選作である「山国の秋(試作)」複製画が出迎えてくれます(本番作は逸失、実物は兵庫県立兵庫高校武陽会所蔵)。

本館1階部分に押し込まれるように作られた、山国の秋に描かれた民家を完全に再現したセット。

馬屋を取り込んだ土間から座敷に直接上がる事も出来ますし、備え付けられた調度品は資料館が収蔵した当時の物。建物自体は全くのフェイクですが、座敷に囲炉裏、馬屋や竃まで(絵馬や秋葉様の札が添えられているのはとても嬉しい)細部に至る丁寧な作り込みがされており、本館のテーマの一つである、昭和初期の生活環境を伝える教育資料として、とても良い出来だと思います。

前述のように1階は主に市民向けの貸しスペースで、展示のメインは民家のセットを望みながら階段を上がった2階。

3つの展示フロアからなる展示室のうち、2部屋が常設展示。入口側の「通史の杜」と題されたスペースは旧石器時代から前述の町村合併までの地域の歴史を時代とポイントを絞って紹介しています。

考古資料館の展示内容と重複しないように配慮がされていますが、やはり重複の感も否めないのは事実。一応、金生遺跡を軸に縄文から古代までの考古学的な解説と、谷戸城を軸とした中世、近世初頭までの解説は考古資料館、地域の外縁部と近世以降はこちらという役割分担が為されているようです。

本館のメインテーマとなる、地域における生活の記録を残す点で印象的な二つの国指定重要文化財の紹介と添えられた屋根の修理道具。厳しい気候と、近世における殆どの期間、甲斐一国は天領であったため、今に至る博徒風儀の荒っぽい気風が培われた一方、天領故の税率の低さから豪農が成長する余地が大きかったことの一端を、現存の建築物から垣間見る事が出来ます。

何枚かある展示パネルの中で、非常に興味深い解説が述べられている部分。

養蚕が盛んになる前、切妻造りの家作は麦藁、入母屋造りの家作は茅掛けという、自然環境と作物が家作と密接に関わってきたことを示す解説です。また、稲藁葺きが甲府等の低湿地に限られる点も、甲州に於いて稲作を中心とした農業生産性は非常に低かったことを暗示させます。

もうひとつの展示室は「産業の杜」と題された、近現代をテーマにした展示(当日は展示スペースの一部が鉄道模型を置くために避けられていましたが)。主に農耕関係の解説が中心となりますが、実際に使われた道具をじっくりと眺める事が出来ます。標高1000mに至るまで水田の開墾を進めようとした、先人たちの稲作に対する執念の軌跡も綴られています。

現在は梨北米というブランドを打ち立てるまでに稲作が普及しましたが、やはり峡北は馬の里。平安時代まで遡る馬と人の歩みが近代に至ってどのように変化したのかを解説していきます。

とても珍しい「馬の鼻ネジリ」と称される、馬の鼻に差し込んで捻り上げると馬が大人しくなるという、獣医(当地では伯楽と呼ばれた)が使っていた道具も展示されています。

高根町の鎧堂観音で初午(この行事、構内に祠を構える地元の施設や工場などは今でも行うのです)の際に売り出された、馬屋に貼る御札。東西で向きの違う絵柄が用意されてるとの事。今でも牛の御札は頂けるそうです。

そして、この資料館が本邦唯一であろう展示内容がこちらの「国産ホップ・かいこがね」開発の歴史と峡北におけるホップ生産から一旦の終焉までの歴史を辿る展示。

キリンビールからの委託生産により、昭和20年代の末まで、全国屈指の生産高を誇ったホップ。その中から生み出された突然変異種を系統選抜した「かいこがね」は東北地方に生産拠点を移しながら、現在でも国産ホップとして作り続けられている事が紹介されています。なお、展示ボードでは平成6年(1994年)に県内でのホップ生産が終了したと書かれていますが、図録にあるように、その後2011年に地ビール向けとしての生産を再開、自ら醸造まで手掛ける事を目指した就農者も誕生したことは、今年の春に全国放映された番組でも紹介されている通りです。

二つの常設展示室に挟まれた形になる企画展示室。

今回のメインである企画展「北杜に汽笛が響いた日」の会場です。

ゆったりとしたスペースに展示された史料。期間中入れ替えながら1点ずつ貸与展示される国立公文書館収蔵の貴重な史料を含めて目録では全164点の展示とありますが、うち約60点は直接の関連性が薄い鉄道模型や鉄道趣味者のコレクション(廊下側に展示)で、実際の史料としては100点弱の展示。ここで本館と本企画展の立ち位置を明瞭に示すのが、大多数の展示史料の所蔵が地元の個人に委ねられているという点です。

地方ではまだまだ多く残る、近代に至り名士と呼ばれた地元の有力者、名望家の子孫の方々が継承されてきた古文書、史料を地域の歴史を伝える一環として広く公開することも命題とする、本資料館の存在意義を存分に示す企画展示であると思えました。

今回の展示のテーマとなる、日野春から小淵沢までの鉄道ルートと周囲の交通路の3Dマップ(地理院地図+陰影図+赤色立体地図の合成で作成)展示のメインは、今年開業100周年を迎えた、本館の所在する長坂駅が何故、中央線開通時に設置された日野春、小淵沢両駅に遅れて開設されたのかを、中央線敷設の背景から説き起こしていく事。地元の請願書面や、開業前の測量図。新たに開拓された長坂駅近辺への入植に関する書面や開業に関する祝辞、祝電。地元有力者が残した書面などが豊富に展示されています。

中央線のルート選定自体に、当時の輸出産業の原動力であった蚕糸の一大拠点である諏訪と横浜への積み出しにおける集積地であった八王子を結ぶことを強く求められていた点はよく知られている事かと思います。

日本のシルクロードと言うべき、横浜から内陸の製糸工場へと向かう鉄道網。その中でも最大の物量を誇った諏訪の製糸を支える養蚕、繭の集積は全国から行われましたが、至近であった伊那谷や峡北からも鉄道を通じて集積を行っていた事が知られています。

旺盛な繭の需要に応えるために沿線農家の開発にも意を注いだ諏訪の製糸業者たち。釜無川沿いを通る旧来の甲州街道から、花水坂を通って七里岩台地の上を走る信州往還、その後の中央線への荷受け地として成立した日野春。江戸時代から続く番所が林立する国境の集落、信州往還の継宿として成立していた小淵沢からの集荷だけに飽き足らず、その中間に位置する長坂への信号場開設に便乗しての駅設置に資金面(地元清春村に次ぐ出資率)でも多くの援助を与えた事が史料からも把握されてきます。

展示室の中央に飾られた、Nゲージのジオラマとして組まれた長坂駅と、駅開設と共に拓かれた長坂の街並み(奥側が小淵沢方向、傾斜を下る手前側が日野春方向)。

現在はスイッチバックが解消されて、ジオラマの手前に走る本線上にホームが設けられていますが、現在でも保線基地として残存している引き上げ線の跡と現在は商店街に転じた、鉄路から離れて台地の縁に切り拓かれた街並みが明瞭に判ります。

 

同じ場所を地理院地図を利用した3D地図で。

勾配を嫌う鉄路は今でも人家の少ない丘陵の低い場所を縫うように伸び、駅が開かれた後に成立した集落は鉄路より高い尾根筋、旧来の集落や田畑は更に鉄路から離れた尾根の外側に広がっている事が判るかと思います。

主な出資者であった清春村(本館の所在地、手前下側の博物館マークが本館の向かいにある清春白樺美術館)の集落は大深沢川の深い谷筋の西側に広がっており、駅からはかなり遠くに位置していました。

鉄路から離れた村々と諏訪地方の製糸業者からの出資、請願によって開設された長坂駅。大正7年と言うやや遅れたその成立において、旧来の集落に鉄路を引き込む訳ではなく、むしろ現在でも住居がまばらな中央線沿線の開拓、その拠点としての人工的に拓かれた開拓地、人工集落としての長坂の姿が映し出されていきます。

今でも市の中核が何処にあるのか判らないと評される峡北、北杜市ですが、その遠因が長坂駅の開設の経緯からも見て取れるようです。市の中心に位置し、高速のインターと各県道、広域農道が交差する峡北の交通の要衝である長坂ですが、市政の中心は七里岩の東端、塩川沿いの須玉にあり、観光の拠点は小海線の起点で特急も多く停車し、高速のインターを併せ持つ北端の小淵沢。域内でも唯一、商店街と称せる規模の街路を持つ、纏まった居住地域が存在する長坂の成立が、旧来の村落の成立とは乖離した、駅の開設と不可分の存在であったことを改めて教えてくれます。

更に、長坂駅が養蚕の為に作られた事を雄弁に示す、駅と共に開設された、小淵沢と長坂の繭取引所の存在。取引所に集まる人々の便を満たすために商店が集積され、繭だけではなく、農村の女性たちを職工として諏訪方面に送り出す為にも大いに活用された事を示す、自宅に届けられた製糸工場が仕立てた臨時列車への乗車を指示する案内等も展示されています。

周囲を歩いても、養蚕の名残など全く分からなくなっていますが、歴史を辿ると、峡北の発展もまた養蚕と深く結びついていた事を知る事となった今回の企画展。

発掘史料に特化した考古資料館に対して、むしろ産業館としての側面で地域の産業や歴史に寄り添い、掘り起こしていく位置付けを明瞭に見せてくれた考古資料館と今回の企画展。

外部の者にとっても非常に興味深い展示内容。しかしながら、タイアップイベントなどが日曜日を中心に組まれているとはいえ、お盆休み中の土曜日の午後にも拘らず、約2時間程の見学中に入館された方は、私のほかに地元の老人の方1名のみという、大変残念な状況。広報活動についてはHP編成の悲惨さを含めて改めて懸念を抱きますし、添えられる展示解説の文章表現には首を捻る点も散見されますが、地元に徹した、地元の記憶を伝え繋げていく施設から更に発信できる拠点として活用されていく事を願わずにはいられません。

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今月の読本「登録有形文化財」(佐滝剛弘 勁草書房)登録する事から始まる、地域と歴史を結ぶ文化財へ

今月の読本「登録有形文化財」(佐滝剛弘 勁草書房)登録する事から始まる、地域と歴史を結ぶ文化財へ

古民家ブームなどもあり、地域に残る古い建物などへの興味が高まる傾向にある昨今。そんな中で、立ち入りを規制して旧来の姿を維持し、本来の姿への復元を模索する物件がある一方、今も盛業中の施設であったり、大胆な改装で観光施設として、更にはカフェや物品販売のお店などへと転身を遂げる物件もあるようです。

同じ文化財なのに、何でこんなに扱いが違うのだろうかと首を捻った事がある方にお勧めしたい、単なる物件のガイドに留まらず、その多彩な姿を制度面や実際の利用面の双方からも教えてくれる一冊の紹介です。

登録有形文化財」(佐滝剛弘 勁草書房)のご紹介です。

著者は現在、京都光華女子大学の教授を務められていますが、本来は学術研究者や建築史を専攻された方ではありません。所謂、好事家と呼ばれる方の探究心が先鋭化した先にそのテーマを見出された方。本書のベースとなる、国内にある11000件以上(2017年現在)の登録有形文化財のうち、10000件近くを踏破されたという、正にマニア道を極めた先に綴られた一冊です。幼少時代、明治村に移築されてきた建築物に触れあったことが切っ掛けであったと述べる著者が踏破した中で好奇心を持った、登録有形文化財の面白ガイドにも見えてしまいますが、現在の著者の立場は「プロの」コンサルタントにして研究者。その矜持が本書の位置付けをより本質を捉える事に着目する筆致を採らせる事に繋がっています。

冒頭で述べられる、ある登録有形文化財の登録記念式典に同席した時の記録。僅かな記述なのですが、その中に著者が願う「登録有形文化財」という制度の姿を完璧に織り込んでいます。

国宝や重要文化財、地方自治体の側から行われる文化財の「指定」と、所有者や登録を働きかけた人々、団体からの申請に対して審査を行う「登録」という、制度の根幹から異なる点を指摘する事から始まる本書。そのため、登録される文化財は、あくまでも能動的に所有者や後押しをする人々の協力なくしては登録され得ない事を明示します。逆に捉えると、補助金制度と同じで、行政システムを熟知している自治体や団体にとっては極めて有利な制度(税制的な優遇措置もあります)であるために、その登録される物件や地域には著しい遍在性が認められることを著者は指摘します(おわりにでは敢えて苦言を呈していらっしゃいます)。

そのような中で、様々な立場の人々の協力を受けながら登録に至った物件たち。この制度の大きな特徴でもある、現住者への規制が指定文化財に対して緩やかであり、著しい外観の変更を伴わなければ内部構造の改変を認める(費用面の負担は別、逆に外観の改修にはインバウンドへの効果を狙った補助が出るようになったと)という、柔軟な制度運用。旧来の文化財としての固定的な維持、管理を目的とした制度から、保存を前提としながらも、活用される事で維持に繋げる制度である点を明確に示していきます。

そして、登録に至るために必要となるハードル。制作されてから50年以上が経過しているという前提条件は等しく同じなのですが、それに付随する部分は登録された文化財ごとに大きく異なります。全てで11000件以上もある登録有形文化財、本書にはその中から著者が選び抜いた文化財がテーマごとに掲載されていますが、何れの物件にももう一つの共通する部分があるようです。日本遺産と言う、これまたインバウンドを狙った登録制度がありますが、こちらの選定過程でも審査を行う文化庁サイドから述べられる「ストーリー性」。建築された経緯や、設計者、時代背景はもとより、現在の物件を維持されている方々がそれぞれに背負っている物語、歴史的経緯への配慮を前提に置くべきである事を伝えようとしていきます。

第二部で13のセクションに分けて綴られるテーマ毎の登録有形文化財の紹介。明治維新以降の海外からやって来た建築家とその系譜を建築物から辿るという建築史的な記述も当然述べられますが、著者の主軸は別の点に置かれているようです。建築史的な枠組みを超えて、利用者や目的別であったり、当時の産業に密着している物件(著者には富岡製糸場を始め、製糸産業に関する多数の著作があります)について、その背景となる物語が寄り添っている事を明確に示す事。その結果、特異な構造物である凱旋門やラジオ搭から戦中の掩体壕、明治維新以降に整備された神社と廃仏毀釈と大火を乗り越えようと開港地に移った大本山に新宗教の教殿、大観光地となった日光を紹介した外国人たちが造った別邸からその地を守る砂防堰堤群まで。著名人や個人の住宅を語る際と同じ視線で、それらの物件の背景にある物語へ等しく眼差しを向けていく事になります。

その中でも力を入れて紹介されているのが、明治以降の産業遺産に繋がる施設達。発電や鉄道と言ったインフラはもちろん、造り酒屋や醤油と言った伝統的な醸造業、特に著者の専門分野である製糸は、特異な建築様式で知られる養蚕農家の母屋から工業化された姿である製糸工場の建築群、更には当時の貿易の花形であったことを示す、海外からの顧客をもてなすために建てられた迎賓館まで。それらが一群として残っている事の意義を語りながら紹介を続けます。造られてからの年数が50年以上で、しかも文化財として「指定」されていない、今も変化を続ける物件にのみ与えられる登録有形文化財と言うシステムを象徴する産業遺産たち。それらは著者のテーマである地域の為に活用される文化財へとの想いに繋がっていきます。

ややもするとインバウンドにばかり目が行きがちですが、著者はそのような流れの遥か以前から地域と文化財というテーマを抱きながら全国の施設、物件を探訪し続けた方(全国の郵便局を廻った記録を綴った作品が出世作でしょうか)。日本が近代化と産業化の中で大きく変わり続けた中で残された、生活に密着していたそれらの文化財が、地域を結びつけるストーリーを宿したアイデンティティとして、新しい絆を結ぶ結節点として活用されて欲しいと願い、積極的な活動を続ける中で綴られた本書は、著者の身近な文化財とそれぞれの地域への想いが詰まった一冊。

万を超える膨大な物件は今も変わり続け、中には惜しくも解体、指定解除となってしまう例も散見されるようですが、地域のランドマークとして、その想いを伝える場所として、末永く活用される事を願って。