今月の読本『平安京はいらなかった』(桃崎有一郎 吉川弘文館)プライドをかなぐり捨てた「張りぼての首都」が演じる未来

今月の読本『平安京はいらなかった』(桃崎有一郎 吉川弘文館)プライドをかなぐり捨てた「張りぼての首都」が演じる未来

海外から到着した大使が最初に向かう儀式。その人物を大使として認めてもらうために、本国から与えられた信任状を着任した国家の元首に手渡して、自らを大使として承認してもらう事。このような手続きは意外な事に、時代を越えて、洋の東西を問わず似たような形式が用いられれるようです。

そして、現在の日本に於いては、東京駅に差し向けられた迎えの車両に乗って皇居に向かうのですが、この際に新任の大使には二つの選択肢が用意されます。車による送迎と、何ともクラシカルな馬車による送迎。

世界的にも珍しい、馬車による大使の送迎を行うルートとなる東京駅から皇居までの道路。馬車が通過する際には交通規制もされているため、その広々とした空間を粛々と馬車が進むシーンをTV等でもご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、接受国、特に王国を名乗る立憲君主政体を採る国にとっては君主の威信が試されるシーン。もちろん奉呈する側となる大使にも自国の威信がかかっている事に変わりはありません。

そんなドライでスピードが問われる世界とは隔絶したような外交官の交換が行われるのは決まって首都たる場所。現在の東京が首都かどうかはさておき(この話を始めると、京都の方に睨まれるので)、歴史的には長きに渡って京都、その前身であった平安京がその役割と務めてきたことになります。今回ご紹介するのは、そんな外交の舞台となる平安京のからくりからの脱却と再生産こそが京都の街を生んだという刺激的な論考を引っ提げての一冊です。

今月の読本、何時も新刊を楽しみにしている、吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリーより、夏休みになって漸く入手が出来た『平安京はいらなかった』(桃崎有一郎)のご紹介です(地方の悲しさ、最近、更に入手難に陥っています)。

まず、著者の略歴から本書の興味深い立ち位置が伺えます。鍋島武士の気風を語る佐賀に由来を持ち、東京に生まれ、東京の大学で文学を修めて中世史の研究に踏み出した著者の奉職先は京都の立命館大学(現在は東京の大学に在籍されています)。全くのアウターがその際に務めた京都学の講義ノートから再構成された本書は、これまでであれば京都に思い入れの深い著者の方が連なる京都学の論考や著作とは、同じ結論でも全く異なる立ち位置から描いていきます。

描かれるストーリーについては、ある程度日本史にご興味のある方なら充分に把握されている内容かと思います。多くの先行する研究者の検討内容を引用する形(著者自身は中世史の研究者ですから当然として)で進める古代王朝の宮城が固定化されていく段階の先に構築された平安京。著者は藤原京から長岡京までの期間に摂津職が維持されていた事から、難波宮が継続的に必要とされた点に触れて、所謂大陸からの律令制の仮借自体が軍事的緊張の切迫感からもたらされた物であり、その目的を果たすための大和周辺に根拠を張る豪族たちの集住と、外交的威信道具としての接受機能の統合を、長岡京を反面教師として最終的には平安京への集約と水路を用いた大阪湾への接続によって成立させようとしたと見做していきます。

奈良盆地から離れ、海路との接続を確保する事で地理的な決着を付けた平安京。では、外交の威信道具としての首都、平安京はどうだったのでしょうか。既に多くの先行する研究者が指摘するように、平安京は未完であった点については議論の余地はないようですが、著者は更に一歩踏み込んだ理解を示していきます。それは余りにも巨大な朱雀大路の幅と、大路に向けてひたすらに築地塀が続く異様な外観、門しかなかった羅生門(羅城であるべきだが、正面以外にろくな壁すらない)。そこで行われた儀式の最後の名残ともいえる祇園祭の山鉾が、狭く格子に組まれた今の京都の街路で、その通行場所だけ広がる情景を見た時、著者の中で一気にイメージが再構成されていきます。もはや来るはずもない大陸からの外交使節に見せ付け、同じように大陸から採り入れた官僚組織、儀式体系を執り行う場所を作り上げることすら出来ずに終わった、律令制という、小さな国土には不相応なロジックを体系的に見せるための、張りぼての巨大劇場、首都の残骸。

何だか、某国を思い出してしまいますが、著者はその証明として、様々な議論のある平安京の完成スケールの検討を改めて行い、特に右京については殆ど手つかずのままであった点を再度明確にしていきます。古代王朝が生み出した数々の巨大建築や土木施設の掉尾を飾る平安京にして、結果的にはその理想に国力が全く追い付いていなかったことを、長安城との比較や、当時の東北への軍事的侵攻と撤退との対比から示していきます。

此処で著者の視点がユニークなのが、未完成のまま目的を喪失し、利用効率も低いこの首都、平安京がどのように変わっていったのかを、都市構造自体の変化で示すと共に、為政者たちの行動から、本音を引き出そうとする点です。あくまでも朱雀大路の規模を維持しようとする一方で、右京の再開発を放棄して、その門の礎石を自らの寺院へ転用しようとする道長。右京の開発が進まない中で、初期の段階から北へと領域を広げる内裏(土御門の読み解き、初めて知りました。関東人なので、この辺がダメダメです)。北東から鴨川沿いに再開発が進む左京と、進出する治天。左京を中心に上下に再構築される街区と、其処から距離を置いて展開した職人街。平安京の利用形態の変化と、幾度も炎上する内裏にその都度修復するも戻ろうとしない歴代天皇の動きを重ねて、律令国家から王朝国家への質的変遷を見出そうとしてきます。そこには、摂関を始め、当時の為政者たちが外交的負担から解き放たれて(放棄して)内向きに向かって縮小再生産を行ったとする見方に対してさらに強烈な、中央集権的な律令制などは大陸の王朝に対して1/10程の規模、国力しかないこの島国には全くオーバースペックであり、元々その程度の行政規模しかなかったのだという、辛口な見解を示していきます。いきなり大胆に斬り込んできますが、この辺りの時代になると著者の専門分野に近づいていく時代となるため、その筆致は切れ味が鋭くなっていきます。更には、財政としても(箱モノや遠征をしなければ)破たんしておらず、受領による収奪が維持されていた間は、その収受先たる行政機関は形骸化しても、それに代わる受領による貢納と荘園からの収納機能が働いており、財政運営上の問題はあまり顕著ではなかったと見做していきます。その証拠として、その後の巨大な法勝寺九重塔の建築と一連の白河殿の再開発を指摘し、律令制から、よりコンパクトで機動的な王家の家長たる治天が、摂関の補助を受けながら主宰する王朝国家への脱却を図ったモニュメントだとしていきます。そして、このストーリーの延長に位置する信西による大内裏の再構築。そこには、既に天皇の居住空間としての内裏の意義は喪失しており(それでも最初に構築されたのは、信西の理想主義がそうさせたのでしょうか)、その再築範囲を検証した結果、あくまでも天皇の視点と、朱雀門から見上げる者にとっての視点、すなわち、対外的な視点を失ってもなお残存していく、天皇制というシステム再確認の舞台劇たる大嘗祭を行うためだけの舞台道具が揃えられたに過ぎないと看破していきます(ここで、大極殿より先に大垣が築かれた事に対する解釈を「廃墟と工事現場の目隠し」と一刀両断で斬り伏せてしまいます)。

その上で、現在の京都に繋がる、王朝国家衰亡の原因を、武家の伸張、特に知行国主制によって、受領による収奪機構を武家に徐々に割り与えた事による絶対的な収納不足と、地頭の設置による領家への武士の進出による荘園利得の収奪、最終的には承久の乱によって決定的に自己統制力を失墜させた王朝国家から武家への、都たる京都における主役の交代であると観ていきます。

古代国家が在りもしなかった、来る事もない相手(渤海は逆に想定外と)への威信を賭けて築いた巨大な劇場の重い負担を取り去ったまでは良かったのですが、自らの制御力を失ったことで、肝心な駆動力や舞台装置までも失うことになった中世の京都。再建されなくなった大内裏と、馬場や戦場とされてしまった内野。代わりに登場した武家政権で最初に京都における頂点に立った足利義満が築いたのが奇しくも法勝寺九重塔を上回る七重塔であった事を(それも北山に再築まで)指摘した上で、彼に与えられた現在の御所の規模が、その残された儀礼の舞台装置として漸く適正な規模に収まった(南北朝分断時代には半町だった規模を一町分にまで広げてもらったと)と冷淡に語る、中世史の研究者たる著者。

そして、大内裏の場所を維持する間、例え住むべき主が内裏を放り出して居心地の良い里内裏に住まう間も決して止めなかった、「首都たる儀礼空間の舞台、朱雀大路」を維持しようとするスタンス。例え住む人々に占拠され、築地塀には穴を空けられ、牧場や農地に変えられようとも維持しようとした、古代王朝最後の意地たる、横幅だけで一般国道25車線分にも渡る巨大街路の本質こそが、劇場都市たる古代宮城にもう一つ添えられた、アジアの小中華としての形式だけを仮借した内に本質的に備え続けた、祭祀としての空間。

既にその祭祀を催した主が立ち去った現在。その街路を率先して破壊したのちの住民たちによって今も受け継がれている、京都を代表するお祭りである祇園祭や巡行ルートに、しっかりとその街並みと古代王朝が残していった祭祀の片鱗が伝えられている事を暗示していきます。その上で、劇場都市としての平安京、京都の生命力は今も保ちづけていると締められてしまうと、もはや皮肉にすら見えてきます。

首都としての役割、存在の変遷を考える際に非常に興味深い論考に溢れれる一冊は、同じような成立要件を現代に用いたキャンベラやブラジリアの姿を想起する際にも極めて示唆を与える一方、昨今両方面から盛んに論じられる京都、奈良への恒久的な皇族の滞在施設を熱望される論調(院庁ですかい…)に対しても、その成立過程や「首都」の存在理由に対する議論を語りかける一冊。

かなり刺激的な筆致なため(どうしても気になってしまうのですが、私と同年代や、より若い著者の年代に位置する日本史研究者が書かれる一般向け著書には、往々にして「刺激的な議論と、持論を述べる前に先行の研究者に対して異を唱える事が必定(本書は異なりますが、研究史論に拘る点も)」という、変な拘りのようなものが行間から感じられるのです)、読者を選ぶ要素が大きいかもしれませんが、枠組みに囚われない議論を楽しいと感じられる方には、京都をテーマとした通史としても楽しく読む事が出来る一冊。本シリーズらしい、歴史研究としての視点を踏まえた、好奇心を呼ぶ新しいテーマを切り開いていく着目点は、多くの研究者の皆様の活躍によって、まだまだ広がっていくようです。

 

今月の読本「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)そのアイコン化の華を生んだ日本人の感性

今月の読本「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)そのアイコン化の華を生んだ日本人の感性

最近は大分減ってしまいましたが、食堂やレストランの店先を賑やかに飾っていた食品サンプルの数々。今や食玩や河童橋のおみやげとしてのアクセサリーの方が有名になってしまっているかもしれませんが、バブル崩壊前後の頃は、ごくごく当たり前に街中のワンシーンとして溶け込んでいた懐かしいその姿を追った、本邦初とも言われる、食品サンプル誕生と発展の物語を語る一冊が、この度、文庫化されました。

収蔵されたレーベルは、居酒屋文化に関する多くの著作を収蔵する、ちくま文庫。流石だなぁと思いつつ、さっそく手に取って読んでみました。

今月の読本、7月ラストの一冊は「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)のご紹介です。

まず、本書の初版は2002年に刊行されており、今回の文庫化までに15年の歳月を経ています。従って、時代背景を綴る部分については、現在の状況とだいぶ異なっている点を理解する必要があります。特に四章で語られる、韓国及び中国における食堂の様子や提供される食べ物の傾向、食品サンプルへの取り組みなどは現在の状況と全く異なります。また、日本の外食産業における食品サンプルの比重や、店頭における文章によるメニュー説明と食品サンプルの比較の部分などは、当時の状況とだいぶ変わっているかと思います。上海の取材記で著者が述べているように、食べ物、特に外食のメニューは時代と共に変わっていく姿を端的に示すものでしょうから、この辺りの時代差は当然と考えなければなりません(表紙の写真自体が、既にノスタルジーを感じますよね)。

その上で、本書が極めて貴重なのは、日本独特の食品サンプルがなぜ生まれたのか、その誕生の経緯をほとんど唯一、検証を含めて明らかにした一冊である点です。

本書の著者は日経新聞の記者の方。元々は九州地方における地域毎のローカルフードの変遷を追いかけていた際に、実際の料理を確かめる手間を少し端折るために、食堂に飾られた食品サンプルの比較を始めたことがきっかけであったと、今回の文庫化に際して添えられたあとがきで述べられています。

全文に渡って通貫する「日経の文屋さん」らしい筆致が遺憾なく発揮される、食品サンプル発祥を追い求める物語。その後、現在の食品サンプル業界を牽引する会社の社長さんとの巡り合いから、解説用の小冊子を手掛ける事になった際に改めて追跡をし直した、その原点を探し出す取材記は出色と言える内容です。最終的な結論として辿り着いた三つの始まりの人物と、一つの始まりの展示場所。食品サンプルを商業ベースに乗せた大阪から始まった物語は、その発祥と言えるデパートの食堂を辿って東京へ、そして食品サンプルそのものの発祥を訪ねて京都へと舞台を移していきます。阪急、白木屋、そして島津製作所へと続いていく物語は、戦前の日本にも確かに存在した、現在と比べれば質素ではありますが、ちょっとしたぜいたくが出来るようになった、デパートにおける「お食事」、外食の繁盛を切り盛りするための、アイデアに溢れた施策の先にあった事を教えてくれます。

そのアイデアこそが、食堂でメニューを選ぶ際に、言葉や文章を駆使する訳でもなく、実物も用いずに、効率的にイメージを抱かせるための道具としての食品サンプル。更には、テーブルでの煩雑な収受を省く食券による事前購入との組み合わせて、狭い食堂のスペースで圧倒的に効率的な回転率を確保していたことを、当時の資料から分析していきます。

そして、著者はなぜ日本人だけがこのようなアイデアを受容しえたかを検討していきます。本書のもう一つの白眉、日本人の食事のメニューに対するこだわりの分析と食品サンプルの必要性を重ね合わせていきます。

そこには、大衆化と言えるメニューの汎用化の先に、複雑で難解なバリエーションをこまごまと作り出すことをオリジナリティと踏まえる、日本人特有の感性。同じ商品でも土地ごとに全く異なる名称を名付けてしまう、細やかなローカライゼーション。更には、文章を読まず、無意識のうちにイメージで物事を理解しようとする民族性が潜んでいると、ヨーロッパ、とくにフランス料理のメニューやオーダーの方法との比較から鋭い指摘を繰り出していきます。バリエーションと名称の説明を省く手っ取り早い方法、ビジュアルでその差を明確に示すために、本来は料理のイメージを迅速に持たせるための存在だった食品サンプルが、バリエーションの微妙な差を表現すべくどんどん先鋭化していったと事を見出していきます。著者はそれらの延長として、これも日本人特有と言われるロボットへの愛着(昨今の深層学習AIに対する衝撃を殊更唱えるのも日本人ですよね)と同様に、それらの鮮やかな技巧への憧憬の心が、食品サンプルの進化を更に推し進めたとしていきます。

確かに、食品サンプルも食玩も、そのような技巧に魅せられる点は多々あるかと思います。しかしながら、どちらもギミック。本書が上梓された直後から急激に進化を遂げた食玩も、当時は極めて幼稚な技巧に留まっていたはずです。そのように考えると、技巧に魅入る以前に、日本人にとってこれらのギミックが響く点がきっとあるのだと思います。それは、漫画やアニメーションと全く同じ、記号化、単純化された状態から元の姿を自在にイメージするベースを持った、アイコン化への共感。著者が述べるように、食品サンプルのラーメンに載せられるネギはビニールチューブの輪切りに過ぎず、浮かべられた海苔は黒いゴワゴワとしたビニールシートに過ぎません。食品サンプルを見た多くの欧米人の反応の通り、それらは凄くよく出来たギミックではあるが、ギミックであってそれ以上では決してない。しかしながら、私にも、確かに食堂のガラスケース越しに、スープに浮かぶシャキシャキしたネギの歯ごたえを思い起こし、海苔から発する海の香りを感じる事が出来てしまうのです。

デフォルメ化され、アイコンとなったその姿から、豊かなイメージを湧かせる一方、単なる単純化に飽き足らず、細々とディテールやバリエーションに拘り、微細な差異に一喜一憂する。折角単純化、記号化した物を、再び微細に先鋭に分別して仕上げていく日本人の両極端なその姿をまざまざを示す好例が食品サンプルなのかもしれません(逆に、プロトコルや標準規格の制定、デザインシステムや統一的なフォントセットの構築が大の苦手なのは、よく言われる通りですね。言葉を介さずイメージで語るため、共通認識に微妙なずれが常に付きまとう)。

終章で語られるように、本来は迅速にイメージさせるための記号化、デフォルメであった筈の食品サンプルは、冒頭の写真にあるように、もはや本物を超越するほど(本物では出来ないシチュエーションすら作り出す)のリアリティを有しており、その技術と同じような道筋に、現在の食玩たち、そして日本人が好む、限りなく現実で現実ではない、独特なリアリティの構築という世界観が存在することは論を要さないと思います。

日本人が作り出した、イメージをアイコン化する手法の華である食品サンプル。いまや食堂のガラスケースは空っぽというお店も多くなってしまいましたが(初期の食品サンプルは材質の制約もあり、照明や日射によって劣化することもあり、当初からレンタルが一般的だったそうです)、本書が刊行された時点では想定もし得なかった新しいステージを得たその技法は、日本人の感性が求める限りに何処までも先鋭化していくのかもしれません。

 

今月の読本「観応の擾乱」(亀田俊和 中公新書)すれ違う無二の兄弟の前を往く表裏する人物達と貴重な時代史の背景を描くその先

今月の読本「観応の擾乱」(亀田俊和 中公新書)すれ違う無二の兄弟の前を往く表裏する人物達と貴重な時代史の背景を描くその先

世間では人文書、歴史書が静かなブームだそうですが、読むのが遅い自分にとっては、これまで刊行されてきた書籍を追うだけでも手一杯、とてもブームの本まで目を通す事が出来ないもどかしさ(その以前に、田舎の本屋さんでは手に取れないという寂しさも)。でも本屋さんに新刊が並ぶと、ついつい手に取ってしまう悪癖がやはり出てしまいます。

今回ご紹介する本も、そんな訳で積読脇に寄せて読み進めた一冊。きっと前著同様、話題になるんだろうなぁ、などと思いながら。

今月の読本「観応の擾乱」(亀田俊和 中公新書)のご紹介です。

一般向けとしては実質的な処女作となる「南朝の真実」(吉川弘文館)でスマッシュヒットを飛ばした著者。その後、同時代の人物史を複数冊手掛けた上で挑んだのが、著者の専門である、南北朝から室町初期の時代史前半を形作る大きな転機となる観応の擾乱を、新書という限られたページ数で描いていきます。

全編で250ページ足らずですが、尊氏の将軍就任から実の息子である足利直冬を京から敗走させる時点までの時代史を、平明な筆致でほぼまんべんなく著述することに成功しています。その間、非常に多くの武士たち、歴代の天皇や上皇、公家や僧侶たちが登場しますが、著者の前著に見られるように、それぞれの登場人物について、少ないながらも極力説明を施し、個性的で魅力あふれる人物像を描き出す事に注力していきます。主役となる尊氏、直義兄弟の前を、時には味方、時には敵として行き交う彼らについて、これまでに言われてきた、最初から両方の派閥が出来ていたわけではなく、時々に応じて、与する相手を柔軟に変えていっていた事を、その時の状況を含めて明示していきます。更には二人が衝突して以降も直義自身は終始覇気が無いように見えるとし、むしろ周囲の主戦派の強硬論、特に二度目の衝突では尊氏、そして直義自身よりも尊氏の息子である義詮と桃井直常の代理戦争的な要素もあった事を指摘しています。結果として、武将の中でも終始この二人に付き従ったのは尊氏サイドであれば佐々木導誉であり(彼とて、降誘を狙っての為であったはずですが、直義方にも寝返っています)、直義サイドであれば上杉憲顕ぐらい(彼も直義にとって最後の戦いであった薩埵山では遂に逃走しています)だったようです。このような不安定で日和見な人物達を引き留める、味方につける際に切り札となるのが恩賞。しかしながら、どんなに政務から後退しようと守護の補任権を握り続け、武士に対して恩賞を振る舞う(時に口だけ、バッティングもあり)尊氏と、武士よりむしろ領家に対する安堵と施行に終始する直義。ここに二人の違いが大きく出て来る事を、実際に発給された史料から見出していきます。また戦力の集中を図る、ないしは禁じ手を取るためとはいえ、二人とも一度は南朝に帰参した経緯から、尊氏、特に直義にとって北朝の天皇はやはりお飾りであった点も(旧来の論説と切り離して)改めて明示していきます。

そして、著者が前著でも再評価を求めて描き出した、高師直と高一族の活躍。旧来の論説では、明らかに尊氏派として扱われてきましたが、著者は二人の決裂が決定的になるまでは、足利家の家宰、執事として双方に仕えてきたことを示します。そして、この北条家にもみられた御内人が権勢を持つ(実際には守護領国も少なく、勢力が突出していたわけではなかったようですが)最後の姿を高一族に見出し、その終焉こそが、将軍専制と、それを執行する有力守護大名がセットとなる将軍/管領制へと発展していったと見做していきます(それ故に、高師直の評価については、やや旧守的であったと見做しています)。更には二度の弟との衝突の先に、将軍就任以降は政務を含めて常に後方に退いていた尊氏自身が前面に出て戦い、感状を与え、恩賞を大盤振る舞いし続ける事で、将軍としてその指導力、専制権が発揮された結果、真に政治家として覚醒したとしていきます(これに対して、尊氏に対峙した直義、そして直冬のいずれもが、戦場に於いて直接的に尊氏に対峙することが無かった点は極めて示唆的です。こと武将として尊氏の人気が高い大きな理由ですね)。

長きに渡った南北朝の動乱の幕開けを告げる擾乱(この用語の発生由来については、終章で議論されています)の中で室町幕府の安定した政権の基礎となる諸政策、政体が築き上げられていったとする本書。著者はその流れをなるべく一次資料に依拠して描こうとしており、研究の中核となる将軍を補佐する体制、息子である義詮への政権移譲の段階、引付や恩賞方の変遷については、そのメンバーと、どちらの勢力に移っていったかについても詳細に述べていきます。しかしながら、その他の部分ではやや疑問が生じてしまう所もあります。それは、直近で他の研究者が著書に於いても重要視した、如意王と直義の野心に関する反論と、直義の二度に渡る出奔の位置づけ、さらにはそれを傍証するための論拠。すなわち、この擾乱がなぜ起きたかという理由についての論証への歯がゆさが感じられる点です。

著者は文中で、現在ではもっとも一般的と思われる佐藤進一氏及びその他旧来の論考に対して繰り返し反論を述べた上で(一般書なので、わざわざそれを強調する必要もないかと思いますが)、終章に於いて尊氏の実の息子である直冬に敵愾心を抱き、一向に認知しようとしない尊氏への憤り、多くの武家における庶子たちの不安とその代弁が擾乱を生んだ素地ではないかと示唆しています。その論考自体に議論を挟むつもりはありませんが、それを示す明確な論拠や史料がある訳ではないので、現時点ではあくまでも著者の見解として捉えておきたいと思います。

その上で、本書の冒頭から首を傾げてしまったのが、直義の嫡男であった「如意王」の存在への言及。これまでの同時代を扱った書籍ではあまり前面で語られることは無かったと思いますが、上述の影響を受けられたのでしょうか、その生誕によって、直義が野心を抱いたという論には、流石に力みつつも正面から否定をしていますが、一方で和解以降の直義の無気力な振る舞いを評して、如意王の喪失を関連付ける論も述べており、本書では明らかに引用を控えている太平記に対して、この近辺の著述だけは傍証として引用するなど、本書に於ける著者の平明かつ一貫した論考が、この部分だけ妙な方向に行ってしまっているようでなりませんでした。

更に、直義の二度に渡る出奔を描く部分。著者はそのいずれも尊氏やその周辺がノーマーク、過去の人として扱っていたとしています。確かに恩賞を期待できる訳でもなく、堅実な政治家と評される割には打算的な直義の政治生命は、既に途絶えていたかもしれません。それでも、一度京を脱出して兵を募れば侮れない勢力を築き、一度目は自らも窮地に追い込まれ、二度目も東国まで下向して討つ事になる(鎌倉での直義急死の件は置いておいて)相手に対して、ノーマークであったと言い切ってしまうのは余りにも淡泊な気もします。

側近同士の勢力争いでもなく、兄弟の相反でもない、ましてや魍魎的な物語を否定した上で、長々と続いた騒乱の原因については結論らしい結論が得られないままに終章を迎える本書。

本文を少し離れて持論を述べる終章の最後に綴った「努力が報われる政治」というキーワードへ集約した著者の想いを本当に描き切るためには、やはりその当事者である尊氏自身、それも著者の一貫した手法である一次資料を大前提として太平記の潤色を極力排除した人物史として、是非次に描いて欲しいと強く願うところです(できれば、東国戦線とその後の鎌倉府に至る流れも是非たっぷりと。あっ、武蔵野の広野を縦横無尽という表現は如何にもっぽいですが、地勢的にはちょっと微妙かなと)。

まだまだ描き足りない魅力的な登場人物が控えているこの時代の歴史物語はもっと深く楽しくなるはずと思わせる魅力を秘めた、もう少しその先も読んでみたい、そんなきっかけになる一冊として。

観応の擾乱と関連書籍<おまけ>

本ページでご紹介している、本書と関連する書籍から。

今月の読本「飯田線ものがたり 川村カネトがつないだレールに乗って」(太田朋子・神川靖子 新評論)その普段に寄り添う偉大なるローカル線の偉大な物語と小さな物語は、新たに見つめ直す合唱劇の先へ

今月の読本「飯田線ものがたり 川村カネトがつないだレールに乗って」(太田朋子・神川靖子 新評論)その普段に寄り添う偉大なるローカル線の偉大な物語と小さな物語は、新たに見つめ直す合唱劇の先へ

出版不振が叫ばれて久しいですが、日本には多くの書籍を刊行する、多様な出版社さんがまだまだ多く存在する一方、その出版社さんの数を遥かに上回る「本を出してみたい」と願い、実際に地道に資料を集め、構想を練り、試行錯誤をしながら原稿をまとめ、何度もダメ出しを受けながらも、何とか刊行のチャンスを狙ってひたすら努力を続けている方々も数多いらっしゃるかと思います。更には、そんなチャンスに恵まれなくとも、何とか一冊を綴りたいと願って自主出版や私家版として自費出版される方すら、決して少数ではない筈です。

そんな中で、地元の書店さんでふと見かけた一冊。やや素朴な仕上がりながらも明らかに自費出版とは違う、美しい写真のカバーが掛けられ、巻頭にはふんだんに用意されたカラー写真、定価とISBNコードが打たれた正規の刊行物。そして、著者は偶然にもこの書籍を執筆することとなった、地元で暮らす二人の女性。あとがきの著者紹介を読んだ限りでは、表紙に書かれた表題とはちょっと噛合わないこの組み合わせに、逆に興味を持って手に取る事になりました。

今月の読本「飯田線ものがたり 川村カネトがつないだレールに乗って」(太田朋子・神川靖子 新評論)のご紹介です。

まず、本書が書かれるきっかけから驚かされます。鉄道ファンで多少なりとも地方鉄道の歴史に知見をお持ちの方、特に本書のテーマとなった飯田線に少しでも興味をお持ちの方であれば、アイヌの鉄道測量技師、川村カ子ト(こちらの方が一般的な表記ですね)ほど著名な人物はいない筈です。しかしながら、沿線である佐久間に30年も在住していた著者、地元の小学校の教員を務めていた著者の夫ですらその人物を知らなかった、更にはかなりの高齢の方以外、地元の方にとっては全く無関心の人物であったという事実。

ある人物から舞い込んできた相談を受けて、初めてこの事を知った著者が次に起こしたアクション、川村カ子トを題材にして以前に作られた合唱劇をプロデュースして、その舞台である、水窪で上演することになります。水窪での上演に際して広報担当としてパートナーとなったもう一人の著者と二人で綴ったのが本書。前後半でパートを分けて描かれる物語からは、全く未知の状態から川村カ子トを軸に、自分たちの生活に寄り添ってきた飯田線そのものへの理解を深めていく過程が見えてきます。そこには、旅行者や好事家、鉄道ファンや行政の方が綴る物語とは全く違った視点に溢れています。

前半では、合唱劇の舞台準備に際して訪れた旭川での川村カ子トの記念館を訪れた訪問記と、三信鉄道の最深部、三河川合-天竜峡間の実際の測量、敷設作業にまつわる物語が綴られます。刊行物に掲載されるのは初めてと思われるものを含めて、当時の貴重な写真も豊富に掲載されています。但し、このページをご覧になるような方は既に好事家に片足を踏み外していらっしゃるかと思いますので、カ子トの業績やアイヌに対する差別的な扱いについては改めて説明不要かと思います。そのような中で、1960年に再び招待されて北海道から佐久間を訪れた時の模様(既に自らが切り開いたルートが佐久間ダムの湖底に沈んでいると聞いて驚いたそうです)を今でも克明に覚えている古老のお話や、その沈んだルート(水上から接近)やそこにあった生活、夏焼の集落を訪れた著者の綴る物語には、地元に在住している方だからこそ語れる内容であることはもちろんなのですが、それ以上に、ついこの間まで知らなかった、刻まれ続けたその土地だけの歴史物語再発見への驚きと、その想いがさらに地元への愛着へと昇華していく心象が綴られていきます。

更に驚きの内容が、川村カ子トが請われて三信鉄道に招聘されたと多くの書籍には書かれていますが、そのような言説を覆す説が述べられている点です。今回の取材の中で、佐久間に今も住まわれている方の祖父で、三信鉄道の保線課長として建設工事にも携わった人物が、北海道拓殖鉄道時代にカ子トと一緒に鉄道施設作業に携わっており、請われたというより、カ子トの方から三信鉄道に従事したいと願い出たと述べていたという記録を残していた事です。あくまでも私家版での著述であり、本人談として伝えられている限りですが、当時としても高額な給金と家族を引き連れての測量であった点でも、決して一方的にアイヌだからとのある種の侮蔑的(能力の高さの裏返しでもあります)な招聘ではなかったかもしれない点は、日本の鉄道史でも有名なエピソードの一側面として、その背景を含めてもっと検証されても良いのではないかと思われます(この先は鉄道史家の領分でしょうか)。

過去からの飯田線に繋がる物語が綴られる前半に対して、後半は現在の飯田線の物語が綴られます。水窪での合唱劇公演を終えた後に始めた飯田線の探訪。一覧表では掲載していますが、全部で94駅ある飯田線の全駅を網羅するのは流石に苦しかったのでしょうか、その中で著者が心に留めた49の駅が、コラムを挟みながら紹介されます。本書のテーマと著者が水窪在住のため南側重視で、旧三信鉄道は全駅と飯田までを重点的に取り上げています。民俗学的にも貴重な三遠南信の山村に残る風物、寄り添う天竜川とダム湖、桜、そして茶畑と、その土地に住む方々にとってかけがえのない、今の姿。有名な下山ダッシュや旧三信鉄道秘境駅の数々など、鉄道ファンの方ならお馴染みのテーマももちろん紹介されていますが、その内容は、取材目的で訪れた場合でもあくまでも鉄道は添え物、著者の興味は別の所にあります。それは、自らがその場所に訪れた際のシチュエーションであったり、一緒にいた人物であったり、車掌さんや、駅で、そして道行く中で巡り合った人々への、また飯田線で会いましょうというという想いを乗せた柔らかな眼差し。鉄道とういうツールを通じて人と人が交わっていく想いを車窓が彩り、自分の心を映し、描き出すという、紀行文やちょっとビジネスライクな各駅の紹介とは異なった、自らの日記を綴るような、自分の住む場所を往く日々の心象スケッチを積み重ねているかのようです。

川村カ子トに出逢わなければ気が付く事が無かった、何時も側に寄り添う鉄路が編み出す昔と今を繋ぐ物語は、そのきっかけを作り出した(冒頭のトリックに戻る訳ですが)版元編集者さんの手により、繋がり合いながら一冊の物語としてこのように手元に舞い降りてきたようです。

版元さんと著者たちの好奇心、その行動力から生まれ始めた地元への想い、マイレールとしての新たな気付きが、豊かな出版環境が残る中で、本書を通じて多くの方に伝わる事を願って。

<おまけ>

長野県下伊那地方事務所が制作した、県内の飯田線各駅を紹介したブログ「魅力満載のローカル線!飯田線」(全35話)には、本書では紹介されなかった分を含めて長野県内の飯田線各駅が紹介されてます。本書とは全く切り口は異なりますが、興味深いお話が満載、併せてご覧頂ければ、更に面白いかと思います。

本ページから信州関連の書籍、南信をテーマにした話題も併せてご紹介します。

今月の読本「水族館日記 いつでも明日に夢があった」(鈴木克美 東海大学出版部)バックヤードを担い続けた先駆者の情熱と想いは、みんなのための「水族館学」へ

今月の読本「水族館日記 いつでも明日に夢があった」(鈴木克美 東海大学出版部)バックヤードを担い続けた先駆者の情熱と想いは、みんなのための「水族館学」へ

地下に専門書が並ぶ松本の某書店さんは、ついつい長居がしたくなってしまう、山籠もりのしがいのある書棚がとてもうれしいお店。

そんな山籠もりの途中、生物関係の書棚で偶然見つけた一冊。多くがブルーを基調にした海洋生物の書籍の中でもひときわカラフルな装丁にちょっと驚きながら手に取ったその本は、なんと大学出版部の刊行書籍。版元故に、お値段はページ数の割にはかなりお高いのですが、ちょっと立ち読みしたその内容に強く惹かれて、購入して一気に読んでみた次第。

今月の読本、今回は「水族館日記 いつでも明日に夢があった」(鈴木克美 東海大学出版部)をご紹介いたします。

著者の鈴木克美先生は、戦後の水族館の変遷をバックヤードで身を以て体験し続け、現在の水族館人気を底辺から支え、リードをされてきた方。そのキャリアの中で3つの時代を画する水族館の開館当初や立ち上げに携わり、その後、本書籍の版元である東海大学の付属海洋科学博物館の館長、教授を務めるという、水族館、そして水族の飼育と研究にも多大なる功績を残された方です。また、日本で最初期のスキューバ(アクアラング)の実践者でもあり、日本に於ける水中写真の開拓者として、更には教育者として数多くの著作を上梓されています。

そんな著者がこれまでの足取りを綴ったエッセイ集である本書。本文の内容に合わせて描かれたカラフルな挿絵と共に、流石に多くの著作を手掛けられた流麗でありながらも、一本筋の通った筆致に身を委ねて読んでいくと、これまでの水族館に対する情熱と想い、そして未来の水族館に対する強い期待と希望の念が切々と伝わってきます。

現在まで続くアミューズメントとしての水族館の幕開けを告げた江ノ島水族館における開館当初からの飼育事情。掲げられた看板や開設者の想いとは裏腹のバックヤードの姿には、現在も多くの水族館に共通する課題がこの時点で生まれていた事を示しています。動物園と違い、飼育する水族や餌すらも自ら調達、飼育する必要がある水族館。動物園と共に設置準拠法は博物館法となるため、当然のように社会教養施設であり、学芸員を擁する研究、教育施設であると判断されそうですが、実際には動物園以上に当初からアミューズメント施設としての側面が強く前面に押し出されてしまいます(特に水族という括りでは、ペンギンや海獣、更には水生植物や無脊椎動物まで扱うため、フィールドが広大故に研究テーマとなりにくい)。

そのような想いが更に大きくなるのが、設計段階から手掛けた金沢水族館。陸上生物と異なり、水中生物、特に海水生物を飼育、展示するためには水がなにより大事。当時としては画期的な動物園や娯楽施設も擁するヘルスセンターという名のテーマパークのいちパビリオンとして、山の上に建てられた水族館で水族たちが安定して暮らせる水質、水量を常に確保するための技術検討から取り組む事になります。更には展示する魚を確保する為に必要となる潜水技量や捕獲技術、運搬技術、餌の開発と、時には技術者としての側面すら求められます。試行錯誤の中で生み出された、熱帯魚を展示の目玉として中核に置く展示スタイル、現在の水族館で用いられる飼育、保全手法の多くは、地域振興をテーマに掲げて当時日本中に増加した各地の水族館のネットワークを通じて、あまねく普及していった結果であることを述べていきます。

展示に特色を出すため、更には地域密着をアピールするために、自ら潜水技術を身に着けて水族館で展示する魚達を追う中で(実際には、日本海の魚は飼育も難しく、地味でお客さんの興味をあまり引けなかったと)、あらゆる協力を受けることになる、各地の水産試験場や、大学の臨海実験場。水産大学を卒業しているとはいえ研究者とは異なる道を歩んできた著者に、これら研究所の研究員たちは、その着目点や水族館ならではの環境、ある意味では研究施設が羨む飼育環境での観察結果に強い興味を示し、著者に対してそれらの成果を報告として纏める事を勧めていきます。果たして水族館の「社員」の身分でそのような研究に足を踏み入れる事が出来るのか、迷いながらも撮影した水中写真の発表を続け、水族館での業務の傍らに纏めた内容を研究者の方の好意で掲載を続けるうちに、更なる想いが芽生えたようです。

子供の頃から水辺の生き物が大好きで、何時も川に出掛けては追いかけていた少年時代からの想いを水族館というフィールドで描き始めた著者が更なる高み、アミューズメントとしての楽しさ、学習の入口としての役割はそのままに、研究としての水族館へ進む道程を次に見つけようとしていきます。

著者がその想いを叶えるために建築工事の真っ只中にやって来た3つ目の水族館。それは現在でも珍しい、研究の片手間ではなく広く一般の入場者を受け入れる事を念頭に設置された大学付属の水族館。大学の先生達が設計に加わった理想主義的な設備設計に手を焼き、設置直後から大学生の実習も受け入れることになったために当初は大変だったようですが、現在の視点で見ても大規模な一辺10m、深さ6m、水量1000tというメイン水槽を擁するその施設を最終的には館長として切り盛りしていく事になります。

著者のこれまで培ってきた水族館運営手腕と潜水技量、水中写真の技術に、多くの水族館員や大学の研究者、そしてこの場所を研究の一ステップとして選んだ海洋学部の学生たちの活躍により、その特異な位置づけを持った水族館は徐々に発展を遂げていったようです。深海から一気に立ちあがる駿河湾の環境が生み出す特色ある魚達の展示への挑戦、同じ湾内にベースを構える水族館同士の協力、更には地元の漁師の方々との紆余曲折を経ながらの協力体制の確立は、全てが上手くいった訳でも、成功したわけでもありません。特に、著者が現役を退いた後に他の水族館で続々と達成された飼育成功の話(例のマグロの話やマダラや深海魚、ジンベイザメ等々)については、殆どやっかみ同然の言葉を述べていく(反対に、現在まで飼育が上手くいっていない魚種に対しては、すわ当然といったちょっと大人げない反応も)点は、水族館のバックヤード一筋に情熱を傾けてきた自負の裏返しでしょうか。

そのような中でも、本書に於いて著者が力を入れて描き出す部分は、水族館がある意味最も得意とする繁殖における観察成果。雌雄同体や変体など、今でさえ比較的よく知られてきましたが、当時は非常に珍しい事例だと見做されてきた繁殖行動が、水族館での粘り強い飼育と観察の成果として次々と見出されてきます。本書の白眉と言えるかもしれません、本書が上梓される前の2012年までに戦後日本の水族館職員で在職中に学位を得た30本の学位請求論文リストが掲載された1頁。その7番目には、著者自身が東京農業大学から授与された際の学位請求論文名も掲載されています。金沢水族館時代に得た好意の延長に、更に着任してから約10年の研究を積み重ねた末に得た学位。アミューズメント施設として、または社会教育施設としての水族館に所属する職員が研究を行い、学位を請求することが果たして妥当なのか、内容が学位に相応しい水準と研究題材と言えるのか。学位を得た後で教授職を務めた研究者として、そのような疑問に対して、きっぱりとこう回答しています。

<引用ここから>

二千七百種もの魚を常に飼って、いつも施設が稼働している水族館には、水産研究以前の自然研究の材料が得られる。水産利用に役立つ学問といった狭い考え方にこだわらなくてもいいのではないか。

「研究する水族館」といっても、小難しい水族館にするのがいいわけではない。漠然と眺めて珍しく楽しければそれでいい水族館から、意外な知識と出会いを喜んでもらえる、もう一つの深い水族館へ、「ダーウィンが来た!」とまではゆかなくても、驚きを与える水族館へ、サイエンスを楽しく説明できる水族館へ。そこで生まれたオリジナルなナチュラル・ヒストリーが平易に語られる水族館もほしい。

<引用ここまで>

既に開設から40年以上の歳月が流れた、著者が最後に手掛けた水族館は、その想いに応える場としての役割を今も果たそうとしている筈です。昨今ではカリスマともいうべき水族館プロデューサー、中村元さんは、アミューズメントでなければ水族館は意味がないと常々述べられていますが、その一方で、ご自身が公開している日本の水族館を紹介するホームページで、著者が手塩にかけてきた水族館を評してこう述べています。

「なによりも、この水族館の魚類たちは、特別に状態がよく、どれも太りすぎずやせすぎず、傷もなく大きく成長し、なぜかしら色落ちもしていない。素人目にも分かるほどの飼育技術の高さに好感が持てる。」

この水族館を併設する大学の海洋学部からは、毎年多くの卒業生たちが全国の水族館に旅立っていく。そのゆりかごとしての役割を担い続けるこの水族館の施設やアミューズメント性は最先端ではないかもしれませんが、長年に渡って培ってきた、学研を兼ね備えた採取、飼育、繁殖、運営技術は、きっと全国の水族館を泳ぐ水族たちを魅せる「アミューズメント」の底辺としての役割を果たしている。その底辺を支えるために必要な技術と、学問的素養、継続的な研究。著者が望んでやまない「水族館学」はきっと皆さんも大好きな、水塊の先に繰り広げられるワンシーンをこれからも担い続けている礎となる筈です。

世界一、魚が大好きな日本に、世界でもとびっきりの楽しい水族館と、それを支える水族館学が培われていく事を願いながら。

 

今月の読本「高校図書館デイズ」(成田康子 ちくまプリマー新書)「優秀生」たちが抱く、こそばゆい程にソリッドな想いを受け止める本達と陽だまりの場所へ

今月の読本「高校図書館デイズ」(成田康子 ちくまプリマー新書)「優秀生」たちが抱く、こそばゆい程にソリッドな想いを受け止める本達と陽だまりの場所へ

本を読みますか。

私はこの本を仕事の昼休みの時間にこつこつ読んでいましたが、学位持ちすら珍しくないスタッフが何十人も集うこの場所でも、お昼休みに本を広げる人はまず居ない。いわんや文芸関係の話題など雑談でも決して出てくることは無いという現実。

本離れが叫ばれて久しい昨今で、自分の周りにある現実と、この本に描かれた、まるで高度成長期を思わせる(内容は間違いなくこの数年の出来事なのですが)、ノスタルジーで古びたアルバムの片隅に残された写真のような物語のギャップに戸惑いながら読み進めた一冊。

今月の読本、「高校図書館デイズ」(成田康子 ちくまプリマー新書)をご紹介します。

著者は札幌近辺の高校で長年に渡り司書を務められた方。表題からすると一見して司書さんが其処に集った学生たちを紹介していく体裁に見えますが、内容は少々異なります。

13人の高校生(卒業生を含む)たちそれぞれが自分の言葉で話し始める体裁を採った物語、ある種の文集に近い感じで纏められた物語達は、著者の手によって描かれてますが、その内容は全て本人たちに内容を読んでもらって纏め直したもの。実質的には13人の高校生たちが自ら綴った高校生時代を語る一ページとして捉えられるようになってします。

それぞれの登場人物たちは「今時」で「普通」の高校生とはちょっと異なります。読書感想コンクールで賞を取ったり、ビブリオバトルで東京の決勝大会に挑んだり、文集に寄稿したり、中学の頃から作家を目指していたり、帰国子女だったり…。著者の職場である図書室に集った彼らは、図書委員(図書局員と呼ぶ)であったり、他の部活と掛け持ちであっても本を求めて図書室に良く訪れていたりと、既にこの場所に集う前から何らかの形で本との結び付きを持った生徒達です。そこで語られる本達も所謂文芸書が殆どで、最も同年代で読まれるであろう「活字」であるラノベはおろか、漫画や実用書、歴史や学術系の書物が触れられる事は殆どありません(中には、飯間浩明さんの著作に興味を抱く、文字に魅せられた辞書好きといった極めて個性的、いや将来有望すぎる生徒も)。そのような意味では、既に本を読む事を普段のワンシーンに取り込んでいる、あまり一般的とはいえない生徒たちの読書物語なので、この本を以て読書離れの昨今に対して何らかの表明を行おうとか、読書のきっかけを提示しようとかという、読書に対する遅ればせながらの啓蒙を意図する感じはみられません。

現在を啓蒙するより遥かに遠い過去、まるで昭和という時代にその場所で語られたであろう、文芸に触れた若者の余りにもソリッドでナイーブな反応をそのままに集めた文集のような体裁に纏め上げた著者。本シリーズが岩波ジュニア新書と並んで学生層までをターゲットとした作品を揃えているために余計に感じるのですが、その綴られた内容が余りにも現実離れした内容、いいえ、懐古的なテーマとエピソードを敢えて拾い出しているような感触に強い違和感を感じたのでした。

それでも、クラスや部活といった時間軸で拘束されたり、固定化された仲間であったり、学生ゆえの成果を求められる場とは異なる、図書室という緩やかに生徒が集う特別な時間と空間、その空気を作り出す、全ての生徒に対してニュートラルな立場を採れる司書という立場。ソリッドな想いをダイレクトにぶつけてくる生徒たちと、それを優しくも何処かに誘導する訳ではなく、ありのままに受け止めようとする著者。自らの豊富な読書経験と、豊かな物語が詰まった図書室という空間を最大限に生かして、物語と出会う広がりを与えてあげる事で、少しずつその想いが豊かさを増し、着地点を自ら見つけ出していく生徒の瑞々しい言葉たちを、なるべく損なうことなく拾い上げていこうとしていきます。

皆一芸に秀でた「優秀生」ならではの抱える想いに、彼らが手にした本と物語がどう響き合い、応えて来たのか。著者の読書への想いと生徒たちの想いが交わる暖かい場所、図書室を舞台に綴られた物語に、もう絶滅してしまったかと思っていたそんなシーンが、北の大地でしっかりと今も息づいている事を確かめながら。ちょっとピュアすぎる登場する生徒たちのその想いに、眩しさと羨ましさを感じつつも(年ですなぁ)、物語を読むってこんな事だったよねという、原点を再び思い出させてくれる一冊です。

今週、貴方が手に取った一冊は、どんな思いを語りかけていますか。

 

今月の読本「キリスト教は役に立つか」(来住英俊 新潮選書)貴方に出逢う気付きを願って

今月の読本「キリスト教は役に立つか」(来住英俊 新潮選書)貴方に出逢う気付きを願って

何時もとはかなり毛色の違った一冊。

所謂、葬式檀家と言われる一群に属する私ですが、子供の頃から彼岸には両親の実家に当たる墓参を欠かさなかった母親に付き添い、その一方、やはり母親の影響で地元にあった小さな長老改革派教会の日曜学校にも僅かな年数ですが通い、(既に頭の片隅にしか残っていませんが)聖書も一通り読んでいたという、今時の日本人としてはマイナーな子供時代を過ごしていたせいでしょうか、神社仏閣や教会、自身は無くても信仰する宗教を持つという事に違和感を全く持たずに大人になったような気がします。

それでも、新井白石が好きな私にとって、キリスト教と信仰する方々はやはり彼岸の存在。歴史としての旧約聖書や新約聖書から繋がるローマ時代の歴史、絶大な影響力と特異な国家としての位置づけを今に至るまで保持するバチカン/ローマ法王(教皇)には強い興味があっても、その信仰に振り返ることは無かったと思います。

そんな中で手にした今回の一冊。この選書シリーズ特有の表題や帯の仰々しさはさておいて、ちょっと気になる「孤独」とキリスト教というテーマに惹かれて読んでみる事にしました。

今月の読本、「キリスト教は役に立つのか」(来住英俊 新潮選書)です。

前述のテーマにあるように、本書は神学書でもなければ、キリスト教の教義を綴った本でもありません。著者はローマカトリックの修道司祭(即ち独身です)ですが、社会人になった後に洗礼を受けて司祭への道を歩んでおり、その起点に於いては家族との大きな葛藤があった事も冒頭に述べられています。そのような葛藤を抱えながらキリスト者(この単語を全文で貫いていらっしゃいますので、それに従います)としての歩みを経る道程を振り返りながら綴られる本書は、著者の信仰への道をそのまま投影しているかのようです。社会的、文化的、歴史的にもキリスト教世界とはかけ離れた位置である日本に於いて、どのようにその道筋を綴れば良いのか。著者はその想いを二つのキーワードに込めて語りかけます、孤独と、それに寄り添う想いとしての神の存在。二つの間を繋ぐキリストという存在。信仰的に描くと強固な拒絶反応を示されるでしょうし、教義のお話や聖書の章句をいきなり並べるにも受容される環境が無い中で、精いっぱいのアプローチ方法として選んだ設定。全部で50の説話として綴られたその内容には、まるで中骨を抜いてしまったような印象を受けるかもしれませんが、要所にはしっかりとその想いが込められているようです。

冒頭から始まる、神の存在とそれに向き合うことの意味合い。願う事、悩みを告げる事、感じ、折り合う事。旧約聖書からの引用を用いて、そんな想いに意外なほどのユーモアを以て、人間臭く(すみません)応えて来たのかを示していきます。ただ、流石に三位一体については、これ以上はと述べて議論を避ける点について、日本人を相手にした場合にはどうにも解釈が苦しくなるのは、江戸時代も現在もあまり変わらないようです。その上で、プロテスタントとローマカトリックとの違いなのでしょうか、何に付けてもまずは肯定してみようという想い、あくまでも前向きに、大らかに包み込んでいく感覚を前面に示していきます(カルヴァンの予定説については微妙な表現を付与して本文で言及されますが、このおおらかなポジティブシンキングは少女パレアナにも繋がるような気がするので、プロテスタントだからその逆という考えは正しくないかもしれません)。その一方で、あくまでも修道司祭の方が書かれた物であり、そのおおらかさの揚げ足を取るような視点に対しては、突如として厳しい筆致で臨んでいる点も否定できません(第22節)。

ここまでは、あくまでもイメージに入る前の更に前段階。第2章からは具体的に信仰を身に着けるというイメージを考えていきます。第1章でイメージが湧かなかった方、感じるところが無かった方には苦しい内容になるでしょうし、イメージが湧いた方でもその位置づけ、考え方は容易に納得できるものではないかもしれません。特に自己との相対性を論じる部分は、相当の心根を持たなければ辿り着く事は出来ない領域に入っていると思います(著者自身も、ボーン・アゲインではなく、特に日本人にとってはゆっくりと、少しずつと述べています)。そんな中で一際目を惹いたのが第33節の部分。本書の核心と言える部分ではないでしょうか。本来であれば交わる事のない二人が暫し他愛もない事を語り合う。その他愛もない会話が生まれる事自体が、きっと始まりに繋がると強く暗示しているように思えます。何も自分の主義主張を振りかざす必要もなく、ひたすら聞き役に徹する必要もない。飲み屋の会話ではないですが、そんな些細な関わり合いの積み重ねがきっときっかけになると思えてならないのです。もしかしたら著者はそのような交わりのきっかけとなる場所としての、自身の教会を位置づけることを望んでいらっしゃるかもしれません(アメリカのメガチャーチには、説教以外の部分でそのような側面を強く感じます)。

その上で、3章に綴られた内容を読んでいくと、なるほどと理解に至る事が出来ます。著者が暗示するように、それを以てキリスト者に至る事は(特に日本では)叶わないかもしれません。しかしながら、人との関わり合いのスタートとして、そのきっかけとして、更にその先に見えてくる、紙の上に書かれた事、頭の中で考えを巡らせた事ではなく、確かな手応えとしての「共に生きること」へのアプローチとして、キリスト者である著者が語りかけてくる内容はきっと何かの気付きを与えてくれるはずです。

その上で、著者が伝えたいと願う気づきの先は、帯に付されたように、これらの想いと交わる事が無い、孤独の中に生き、自らの内にひたすら埋没していく人々への想いへと繋がっていくように思えます。やるせない想いを一人抱え込んでいる人が求める渇望感と、その空虚さの間にも神の存在と、それを繋ぐであろうキリストという存在があるという事と伝えたいという著者の想い。もしかしたら、そのような想いを抱き続けている方は本書を手に取る方々と対極に位置しているのかもしれませんが、その想いを届ける事は出来るでしょうか。

本書を読んでいて思い出した一冊『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』(斎藤環 ちくま文庫)。本書の終章で語られる、最も親密な関係としての人生のパートナーの大切さを語る部分以外において、驚くほどの相似性を見出す事が出来ます。すなわち、自分にとって安心できる状態を得る事が自己の確立にとって極めて大切だという事をどちらも指摘しようとしています(自我の確立と相対化)。その上で、本書に於いては無限大の相対化である神を相手として、その間を取り持つイエスと共に歩むという形を一つの解決策として示しているように思えますし、両書共にその先に人と交わり続ける事の困難さを克服する為に必要な道筋を述べているように思えます(ぼっちの私には、どちらも耳の痛い話が満載、なおかつ正論なので苦痛の極みではあるのですが)。