今月の読本「サケをつくる人びと」(福永真弓 東京大学出版会)人と社会を重層的に描く、宮古・津軽石の地域史と近現代水産増殖歴史に霞む水面の向こう側

興味を持った一冊を本屋さんで拾い集めながら読み続ける日々の中。

今年最初の本は、表題を見て是非買って読んでみたいと思っていた一冊。しかしながら、その内容には大いに悩まされる一冊でもありました。

サケをつくる人びと今回は「サケをつくる人びと」(福永真弓 東京大学出版会)をご紹介します。

食べ物や生き物、特に魚類が大好きな私にとって、川と海を行き来する「脂鰭」を持った鮭・鱒の一族は特に興味を引く存在。特に鮭については、水産資源として重要なだけではなく、東日本、北海道(アイヌ)において民俗学的にも特異な存在にあることはよく知られているかと思います。

本州における鮭の多く遡上する場所としても知られる宮古、津軽石に幼少時代の所縁を持つ著者による、水産資源としての著述内容である事を匂わせる副題の付くこの一冊。書店に並ぶ一般書としてはかなり高額(6000円超)かつ、大型のA5版で本文も450ページを超えるという、昼休みと就寝前の数時間という限られた読書時間と、趣味のお小遣いの中から月々の読書代を捻りだす身としては、おいそれと手を出せる領域の本ではありません(買うの、辛かった)。それでも表題に期待する所が大であったため、本屋さんで手に取ってさらっと読んでみたのですが、これはちょっと苦しいことになりそうだという予感を秘めてレジに向かうことになりました。

魚類、水産学の本ということですと、読み物系であっても大抵は左綴じ右開きで横書きで書かれた本というイメージが強いのですが、本書はその版型には不釣り合いな右綴じの左開き、縦書きで綴られる、人文学系の書籍を思わせるスタイルを採っています。そして、綴られる内容も装丁の通り、人文系の視点に立った記述であることが濃厚に伝わってきます。著者は版元さんと同じ大学に所属されていますが、所謂学際領域と呼ばれる分野に属される方。その所属学部が標榜される姿のままに、近現代の東北から北海道における鮭の人工ふ化増殖の歴史的な推移を水産学から引く一方、国際情勢や政治的な背景を織り込みながら、ご自身にとってゆかりの地である、津軽石の地域史の中にある鮭漁、増殖の歴史というふたつのテーマをバインドしていきます。

本文中では江戸時代から現在へと著述は進められていくのですが、双方の物語が交互に描かれていくなかで、重複する内容が繰り返し語られ、時代描写もその都度巻き戻されて書かれていくため、記述内容が冗長でお世辞にも通読性が良いとは言えません。その結果、同じような内容が重複するたびに章立ての前後の関連性を繰り返し指摘す事となり、さらには著者が掲げるある種のビジョンがその都度文中で繰り返され続けるため、一冊を冒頭から読み進めながら、文章の流れや行間にある著者の意図や背景を認識したいという読み方を採るには煩雑過ぎて極めて苦しかったという事を述べておきたいと思います。

本質的には宮古、津軽石川を軸に置いた、鮭の増殖とその環境、周囲にある人々の物語へ近現代の水産増殖史を添えながら描くという手法でよかったと思われるのですが、あとがきにもあるように著者の指向性はそれを許さず、結果として著者は単線的な著述になったと述べていますが、地域史と水産増殖史の二つのテーマを著者のもう一つの想いで編み上げる、三つの物語が同時並行で描かれることになっています(さらにもう一本(いや二本でしょうか)の軸を置こうとしたようですが)。かなりのボリュームを持つ一冊である一方、二つの主軸(正確には三つでしょうか)がそれぞれに描かれていくため何とも消化不良な感が拭えない内容。その著述にも少し考えさせられるところがあります。

表題にあるような水産増殖としての長い歴史を有する、水産学や生物学的な鮭の物語を読んでいこうと思うと、どちらかというと当時の時代背景や社会的な要請、政治的な背景を描く(北洋漁業の転進と増大する鮭の増殖、ふ化増殖と対立軸に置く栽培漁業)事に力点が置かれている水産学、水産史、研究者の人物史としての内容。一方、宮古、津軽石を舞台にした江戸時代から続く津軽石川を軸に置いた鮭漁とふ化増殖の歴史。漁場としての川、湾内の漁獲権の争いから始まった遡上河川としての津軽石川の保全から、漁業者にとっての川の利権としての人工ふ化事業への傾斜。戦後の漁協の統合を通した宮古湾全体の地域史、人物史と描かれる内容は、近現代の水産増史へとバインドされる際にも、同じ内容が章立てで分断されてしまっていることもあり、登場する人々が大きく行き交う姿の背景を描く際にも折角の積み上げられてきた著述が生かしきれない、相互の連動性へ繰り返し繰り返し文中で指摘し続けなければならない、分離しがちな筆致に終始します。

そして、本書を読んでいてどうしても引っかかっていた点。前述の二つのストーリーを織り込むために著者が繰り返し述べ、最後に一章を立てて述べられる視点の向こうに映らない、主題であるはずの「鮭の姿」。

あとがきにも綴られる、多大な労力を掛けて津軽石で多くの方に取材された人物、地域史としての内容(ほんの少し民俗学的な視点も差し挟んで)。ご本人の研究分野である水産増殖史から浮かび上がる戦前、戦後の水産行政と急激なふ化増殖による、北洋から沿岸への水揚げのコンバート、そして社会学、倫理学としての学術的な視点。自然環境や社会性への問いかけと、その中でも人を介することなしに生きることはできないという、強い暗示を込めた漁獲物としての鮭へ対する永続性への想い。それぞれの著述に対して著者はまだまだ書き足りないことを訴えていますが、相対的に見ても一般書としては大きなボリュームを割いて書かれる本書。その内容は歴史的な推移であり、社会的な構造変化の物語であり、その中に生きた人々の物語。その枠組みの中にテーマを形作るはずの「鮭の姿」が浮かび上がってこない。もちろん、あらゆる場所で「鮭・鱒」という単語は用いられるのですが、著者がどんなに繰り返し述べられていても、それらは研究対象としての「もの」以上に読み手には映らない。著者が述べ続ける、人が介在することを前提とした「わたしたちのもの」という、漁業を描くとすれば当然とはいえある種独善的な視点。鮭と人という二項における片側、地域と人の推移、水産業としての時代要請、人にとっての環境や未来を描く姿へと想いを馳せていきますが、もう片方にある、水面の向こう側で人の手が介在されようが、環境が激しく改変されようが自らの生を以て生き抜き、自律的に変化してるはずの鮭・鱒の姿。彼らの変化をあまり捉えることなく、研究対象物「もの」としてのままで思考停止してしまっているように思えてならなかったのです。

本書の謝辞にも綴られている宮内泰介氏や農学ではない、食と農業史を標榜されて活発な執筆・講演活動をされている藤原辰史氏の著作に通じる視点を感じる、社会学、倫理学としての人文系の方々が読みたい、議論されたいと思われているであろうシナリーとビジョンを示される著者の筆致。彼らの学術的なスタンスがそうさせるのでしょうか、その内容にはテーマに置かれている「もの」に対する視点が余りに「褪めて」おり、人や社会、描きたいと願う人の未来の姿ばかりが浮かび上がってきてしまうようにも思われます。

地域史でも水産学でもない、著者の所属される研究分野である学際領域という姿が目指す内容、実際に本書で描かれる内容と、鮭と人との関わり合いを双方の視点から読んでみたかったと思う中で、その小さくないギャップに苛まれながらページを閉じた次第です。

 

今月の読本「日本の品種はすごい うまい植物をめぐる物語」(竹下大学 中公新書)先鋭と多様性、花卉ブリーダーが説く篤農家と育種家が手を携えて進む商品作物の未来

今月の読本「日本の品種はすごい うまい植物をめぐる物語」(竹下大学 中公新書)先鋭と多様性、花卉ブリーダーが説く篤農家と育種家が手を携えて進む商品作物の未来

本屋さんに魅力的なタイトルの作品が大挙して入荷してくる年末のシーズン。

じっくり読む時間が取れるとはいえ限られた読書時間の中、どれを読もうか何時も迷ってしまいますが、まだ仕事納め前だし、まずは軽めに新書でもと思って手に取ったこの本。軽めなその表題を裏切る印象的な一冊となりました。

日本の品種はすごい

今回は「日本の品種はすごい うまい植物をめぐる物語」(竹下大学 中公新書)をご紹介します。

副題を添えないと趣旨が判らないくらい、如何にも流行の表題の付け方ですが、更に綴られる内容はその表題からはかなり異なる印象を受けます。著者は元、大企業(キリン)の花卉育種部門を立ち上げられた方。現在は団体職員を務められていますが、社会人人生の大半を企業の「育種家」(ブリーダー)として過ごされた方。副題に表される「うまい」、即ち食用農作物(作物)のお話ともかなり離れた経歴をお持ちの方です。

花卉ブリーダーの方が何故に作物のお話をと、表題と副題を見ただけでは首を捻ってしまいますが、著者の執筆意図は明白です。その「うまい」作物たちの元を生み出す「育種家」と、商品作物として市場に送り出す事に尽力した「篤農家」達の物語を綴る事。

本書は、専門書籍以外ではかなり珍しい、農作物生産を影のように支える育種家と種苗メーカーサイドの視点で、商品としての農作物の発展を捉えていきます。

大学の研究者や公立の農業試験場関係職員の立場では忖度もあって書きにくい、作物の商品名(種苗品名)や種苗メーカーの名前をストレートに書くことを憚らない、種苗商品としての価値やその趨勢を統計資料や歴史的な記録から語りながらも一歩引いた視点で評価する事が出来る。同業者であっても育成する植物の種類が大きく離れる著者所以の視点で描かれていきます。

本書で紹介される「作物」たち。前半はジャガイモ、ナシ、リンゴ。世界的な作物と果樹、日本固有の果樹が取り上げられていきますが、何れも著者のブリーダー経験に近い分野。花卉ブリーダーに与えられる世界的な賞を受けた事もある著者ならではの、世界市場における農産品改良の歴史を見据えた視点を添えて綴られる内容は、同種の本でもなかなか語られない内容。農産物輸入自由化という外圧に抗し続ける、各地の農業試験場による効率的で収量が得られる品種への改良と、それを上回る規模とスピードで育種と配布を行う、日本のジャガイモ農業を支える柱石ともなっているカルビーの存在。江戸時代から続く果樹育成者達の品種改良への意欲は、文明開化を迎え、海外からの品種と改良技術の導入によって大きく花開く一方、研究者、育種家達が作り出した「作品」を、商品作物として作りこなして実際に収穫し、利益に結び付ける事が出来るようになるまで粘り強く向き合い続けた「篤農家」達の存在があった事を示していきます。

どんなに筋の良い品種でも、育種家と篤農家のコンビネーションによる成果が多くの生産者に受け入れられた時に初めて「農作物」に成り得る。更には彼らがどんなに良い品種だと思っていても、色味や食感、サイズと言った市場であるバイヤー、購買する人々のニーズに合わなければ「商品」として成功を収める事はない。企業ブリーダーとして育種の最前線に居た著者ならではの視点でその趨勢を綴っていきます。その上で、近年特に問題視されている農産品の原種流出に対して、日本を代表する世界的な品種となった一方、中国での生産量が日本国内の実に35倍にも達した「ふじ」を例に採り憤りを示しつつ、何故種苗法の改正が必要であるのかを論じていきます(ここで、育種家の皆様には品種交換という理論がある事を伺わせます)。

著者の専門分野の周辺に位置する前半から、後半は少し離れた作物へと移っていきます。ダイズ、カブ、ダイコン。伝統野菜としての品種や味覚、利用法を紹介する一方、前半のような育種家達、公立の農業試験場(ダイズの「エンレイ」(塩嶺ですね))の活躍の物語から、今や大企業となったタキイ、サカタといった種苗メーカーが送り出す種苗品種の話へと移っていきます。

著者が勤めていた企業がブームの後押しをした「だだちゃ豆」の栽培拡大。僅かにしか収穫されない「丹波黒大豆」に対して県外で大量に生産される同系品種たち。そして、僅か数%の生産にまで縮小した「三浦大根」に取って代った、西からの刺客「青首大根」普及の理由と、それでも満足しない、コンビニという名の巨大バイヤーの意向に合わせた「青くならない」青首大根の開発。伝統野菜と称される品種の中にも、数多くの品種が代替としてのF1品種へ入れ替わっている事を明示します(諏訪の伝統野菜、上野大根も、F1品種化する事で一定規模の品質/収量を確保している点は否定する事は出来ません。詳しくは本書も参考文献として用いている「地域を照らす伝統作物」(川辺書林)もご参照ください)。

商品であることと同義的に農家にとっての収入源たる農作物について廻る厳しい課題。安定した収量とブレの少ない品質、害虫への抵抗力と早生化の強い要望。時代と共に移り変わっていく顧客の嗜好、栽培する側の労力や収入、地力の維持。このお話に差し掛かると、当然のようにF1品種(雑種強勢)による種苗品種化の話へ進む事になるのですが、ここで少し興味深い点が著者が雑種強勢(F1)の農業分野における最初の適用例として養蚕と外山亀太郎を取り上げる点。養蚕に多少ご興味のある方であればご存知かと思いますが、著者は意外にも植物研究者達がその事を軽視しているのではないかとの指摘を添えています。

そして、F1品種を語る際に避けて通れない事象について、著者は二つの点を指摘します。まず、F1品種が在来品種を駆逐してしまうのではないかという疑念について、雑種強勢を生み出すためにはその親となる世代の多様性と精緻な育種技術こそが大事であり、在来品種の遺伝多様性の重要度を最も理解しているのはむしろ育種家達であると断言します。その上で、F1品種に嫌悪感を示す方々に対して、商品作物の価値を論じえない「アンチ」なだけだと評してしまいます。もし本書の副題を伝手に、伝統作物、品種への思いや育種政策に対する何らかの反論が描かれていると考えられて手に取られた方には失望を通り越して不満を呈されるかもしれない著述ですが、その原因が著者が指摘する在来品種がF1品種に駆逐される事へ危機感を感じているのではなく、著者が明らかにしているように、F1品種が精緻な栽培技術と豊富な原種のコレクションなくして作り出す事が出来ない、それ故に種苗を管理し提供する主体が公から民へと移る事に強い不安を感じているのではないかと…閑話休題

種苗家、種苗メーカーという主に作物の品種を作り出す側の視点で描かれてきた本書ですが、最後の1章はかなり様相が異なります。野菜という範疇にも捉えにくい「ワサビ」。伝統的な生産地においても、累代の篤農家であっても御し得る事が極めて困難、いえ、未だ作物として安定的な品種となっていないのではないかとの疑念を滲ませながらその推移を綴る著者。実際に現地の農家の方との話しを織り交ぜながら、その気難しさと不安定な品質理由について判っている範囲での技術的な見解を示していきます。その中で、著者の専門分野であるクローン育成苗を利用して農業分野外から参入した「海の見えるワサビ園」話の先に乱立したワサビクローン苗ビジネスの実態を添えて、農業生産者と商品作物に何が求められるかを冷静に見つめていきます。

著者の経験がふんだんに生かされた本書は、単なる美味しい作物の物語に留まらず、広くアグリビジネス、種苗ビジネスの一端を伝える内容を中軸に織り込んだ、新書という一般の読者に読まれる本としては極めて珍しい一冊。年々美味しくなる果物、野菜たちの裏側にある、ビジネスとしての商品作物創出という過酷な世界の中で、種苗家と農業を支え続ける人々が紡ぎ出すもう一つの物語を教えてくれるようです。

今月の読本「新しい古代史へ2 文字文化のひろがり-東国・甲斐からよむ」(平川南 吉川弘文館)地域史を越えて広く北東アジアへ、考古学と文字が結ぶ歴史の架け橋

今月の読本「新しい古代史へ2 文字文化のひろがり-東国・甲斐からよむ」(平川南 吉川弘文館)地域史を越えて広く北東アジアへ、考古学と文字が結ぶ歴史の架け橋

本屋さんに並んでいる日本史の書籍。時代史であったり、著名な人物像を描く内容が多いかと思いますが、特定のテーマ、地域に絞った内容の書籍もまた多く並んでいます。

所謂郷土史、地域史とも呼ばれる分野ですが、読者にとって最も身近な歴史を伝えてくれる本達。そのようなジャンルの一冊として、少し珍しい切り口を持ったシリーズが刊行されました。

新しい古代史へ2文字文化の広がり

今回ご紹介するのは、山梨日日新聞の紙面に連載されたコラムを全三冊のシリーズとして刊行(予定)される「新しい古代史」の中から「新しい古代史へ2 文字文化のひろがりー東国・甲斐からよむ」(平川南 吉川弘文館)をご紹介します。

前述のように、2009年から2018年までの約9年間に渡って新聞紙面上に連載されたコラムを増補、再編集して刊行されるシリーズ。全編を前山梨県立博物館館長の平川南先生が一人で執筆されています。著者の専門分野である古代史に特化して、テーマ毎に3巻に分けて刊行される予定のうち、本書はその中軸を担う1冊。著者は「自治体史」の可能性を願って綴った事を冒頭に記していますが、副題に示されるように「東国・甲斐からよむ」とされており、地域史としての領域を逸脱することが想定されています。

各都道府県、市町村にそれこそ数多存在する歴史館、考古館、博物館の展示を見ていて常に疑問に思う点。特に考古学的なテーマを前提に置いた展示で首を傾げる事が多い事として、出土物自体の解説には他の地域との連携性や時代の前後性を強く示す一方、「おらが村のお宝」ではないでしょうが、その中で如何にも中核や枢要を担っているかのような、他と比べて突出的な出土品であるという表現を付されている点、自らの地域性に殊更の優位性を綴る(京都、奈良、大阪は別の意味もあるので)解説に奇妙さを感じないわけではありません。

本書も県域紙である山梨日日新聞の連載記事(なぜこの本が出版部も持つ同社から刊行されなかったのかは首を捻る点ですが…愛読している版元さんから刊行された事に感謝しております)、しかも他県と比べても強固に纏まった郷土意識を有する土地柄故に同様の懸念があったのですが、むしろそのような懸念を大きく裏切る内容の幅広さを具えています。

新聞の連載記事という事で一つの話題について僅かに4~10ページ程。フルカラーで非常に多くの写真も併せて掲載している事もあり、特定のテーマを深堀出来る構成ではありません。むしろ博物館の展示と解説ボードをそのまま本に収めた様な感もある本書ですが、テーマに挙げられた「文字」という着目点(帯の書体にも滲み出ています)が自治体史という範疇を許さない、広大な視点を与えてくれることを明瞭に示しています。

全3章で綴られる内容はテーマ毎に纏められている一方、連載時期が前後している部分もあり、一貫した通読性がある訳ではありません。更に、シリーズを通貫する筈の甲斐、山梨をテーマとした内容は本書の半分を割り込み、北東アジアから広く日本国内、南は大宰府から北は多賀城までという広範な地域を舞台に描かれていきます。もちろん著者にしてもそれでは自治体史の体裁を逸脱しすぎてしまうと考えられたのでしょうか、山梨県内の出土例/事例についてはご自身も現地に赴いて、発掘内容や心象を添えながら丁寧に著述されています。

山梨県の古代史を綴る一方で、その通貫するテーマを描くためには是が非でも必要であった文字文化の「ひろがり」。コラム形式のために重点が見えにくいのですが、著者が研究に直接携わった部分には相応の力点が注がれており、その著述からある程度テーマの要点が見えてきます。

第一部として纏められる「文字を書く」。文字を書くためのフォーマット、素材となる木簡や筆、硯。単純な文字が書かれた土器に込められた想いは甲斐の出土物単独で理解することは出来ず、その伝来から変化と言った考古学が最も得意とする形態的な編年分類を重ねて理解することが求められます。中でも非常に興味深かったテーマは、徳川光圀を引き合いに出しながら、土器に記された墨書に残る特殊な漢字、則天武后が定めたとされる則天文字が其処に残されている例を紹介する段。出土品の時代確定に用いるだけではなく、その背景を金石文から篆書、隷書へと繋げながら為政者による権力の存在を指摘する点は、出土物の歴史的背景を矮小化せずに広く視点を持つ事を求める考古学らしい読み解き方を感じさせます。また著者の研究テーマでもあった定木の利用法解明とその背景となる和紙と硯、墨の利用に対する歴史的な展開は、専門的な研究書はもちろんあるのかと思いますが、このような一般向けの書籍でその一片を見せて下さる点はとても貴重かと思われます。

文字を綴るための前提を記す第一部を受けた第二部は、少し寄り道気味な内容も含まれる「人びとの祈り」。経典埋納の壺に刻まれた人物名の驚くような広がりや相撲人とアーリア人系の顔が描かれた木簡(本当に甲斐に在住していたとすると、その背景含めて実に愉しいですね)といった文字として残された記録の側面も綴られますが、主に文字に込められた呪術的な側面を取り上げていきます。特に山梨県在住の方には興味深いであろう道祖神としての丸石、男根のお話は、文字からはやや離れてしまいますが、仏教伝来以前の日本の在来信仰的な捉え方や仏教受容後の変形ではなく、韓国、扶餘の出土例を通じて、仏教文化と並立する大陸文化に通じる点を指摘します(私も現地を訪れた事があります)。その上で、朝鮮半島で出土した椀に鋳出された文様も、国内で出土した土器に刻まれ、墨で書かれた文様も、民俗学で述べられる五芒星や海女の呪い模様と同じものであり、道教に繋がる点を指摘することで、古代史から認められる姿が、広くアジア各地で遥か現代にまで繋がっている事を示していきます。

そして、本題の舞台から遥かに離れた多賀城碑と上野三碑から綴り始める第三部「文字文化のひろがり」。著者の専門分野が存分に発揮される、3回連続で綴られた多賀城碑偽作説の再検証から重要文化財への指定の根拠となった周辺の発掘調査の結果と、上野三碑を世界記憶遺産へと推す根拠とした、半島文化と大和王権、北方文化が交錯した事実を現在まで伝え続ける石碑がなぜピンポイントにこれらの土地に残されたのか(意外な事に、戦後の高度成長期から現在に至るまで、日本国内で新たな石碑の発掘例は皆無との事)を説き起こしていきます。また、著者の専門分野でもある漆紙文書がなぜ時代を越えて残る事が許されたのか、更にはその分析に威力を発揮した赤外線カメラによる古文書分析の威力を綴る部分は、考古学の研究が発掘や類型調査だけではなく、最新の測定、分析技術を巧く活用する事で更なる進化を得られる点を明確に示します(お線香で煤けた先祖のご位牌の文字を確認して欲しいという地元の方からの依頼も。県立博物館も色々大変ですね)。

限定的な碑文の分布から文字文化が明らかに遅れて伝わったと想定される日本列島。その後に生み出された万葉仮名と平仮名への変遷を綴る段で本書は終わりますが、大幅に加筆された最終盤の内容が本書のハイライト。ニュースでも大きな話題となった、ほぼ完全な形で出土した仮名文字による歌が刻まれた土器(甲州市ケチカ遺跡出土「和歌刻書土器」)。この土器の読み解きを行った解読検討委員会の委員長を務めた著者によるその検討結果と、併論となったいきさつが前後約30ページに渡って綴られていきます。

既に文字資料が揃いはじめた時代の出土物ですが、僅か31文字の来歴を知るには余りにも不足。しかしながらこの読み解きを果たす事は、日本における仮名文字の発達の過程を知るため極めて重要な契機。土器編年法から始まり文字の形、綴られた歌の内容とその読み解きといった、考古学と文献史学、美術史と国文学がまさにがっぷり四つで組み合った結果が初学者にも伝わるように丁寧に説明されていきます。未だ歴史書の中で本件を扱った具体的な著作が無い中で、唯一無二の一般向け解説。本書の巻末、実は本連載の掉尾を飾る(翌月の2018年3月掲載分を以て館長離任により連載終了)、地域史を開拓する地道な発掘成果はまた、全体史を大きく動かす力を持っている事を雄弁に示す紹介内容。

甲斐、山梨という山深く狭い地域で語られる歴史が、その範疇の中だけで語られるのではなく、広く世界に繋がっている事をまざまざと示すシリーズ中でも白眉な一冊。甲斐・山梨の古代史に興味がある方だけではなく、広く古代史、考古学がどのように歴史を捉えようとしてるのかを理解するためのきっかけを、文字という共通な文化の基盤を通じて具体的な事例から多面的に、しかも判り易く、丁寧に教えてくれる一冊です。

今月の読本「カニという道楽」(広尾克子 西日本出版社)都会とツーリズムが再生産したズワイガニの経済史

今月の読本「カニという道楽」(広尾克子 西日本出版社)都会とツーリズムが再生産したズワイガニの経済史

11月を過ぎて冷え込んでくると、暖かい料理が恋しくなる頃。

白い湯気を上げる鍋の向こうに赤々とした足と甲羅が並べられる映像に思わず唾を呑みこんでしまう方(特に女性の皆様)は少なくないかもしれません。

主に、北陸から関西、山陰地方で好んで食されるズワイガニ。地域によって越前ガニや松葉ガニなどとも呼ばれ、この時期には初セリの話題がニュースで流れ、冬の間は各地からツアー客が水揚げがある漁港だけでなく周囲の温泉地にまで押し寄せるシーンがテレビなどで多く採り上げられますが、実はズワイガニが名物になったのは戦後も大分後の昭和40年代辺り。そのきっかけから現在の姿までを食文化史として綴る珍しい一冊が刊行されました。

今回ご紹介するのは「カニという道楽 ズワイガニと日本人の物語」(広尾克子 西日本出版社)です。

著者はこの手の書籍では時折お見受けする経歴をお持ちの方。社会人としてのキャリアを長く積まれた後、大学(関西学院大学)に再度入学して今回の著作に繋がる研究に入られた方。生粋の研究者という訳ではなく、その筆致には一般人目線とでもいうべき研究者の方の著作にありがちな特定の概念に固執する感が薄い、現状を良心的に追認しつつもその経緯を学術的視点で検討していこうというスタンスで描かれていきます。

ライフワークだと称される、著者の大好物でもあるズワイガニの食文化史を研究する為に、会社人を辞した後に研究者の道へと入られた著者。略歴から拝察すると御年70歳の筈ですが、その筆致は大好きな事を語る方々によく見られる、その想いを伝える事の嬉しさが溢れ出ているかのようです(但し、其の味覚を知らない、ズワイガニに冷淡な関東人に対する、京都、大阪出身の著者にありがちな、やや見下した表現が繰り返される点は辟易させられますが)。

主にズワイガニを好んで食べる中京、北陸以西の方々に向けて書かれた感もある(版元さん自体も地元大阪に強い矜持を持たれているようです)本書、そのため通常なら最初から順繰りに読んでいく事が最も良い筈なのですが、無知で野暮な関東の人間にとっては第4章のズワイガニの日本史から巻頭へと巻き戻して読まないと、妙な偏見を生み出してしまう恐れが生じます。

即ち表題にも滲み出る、研究者としての著者の主たる論考となる、大阪都市部におけるズワイガニ食文化とその発祥としての「かに道楽」の存在が余りにも大きく捉えられてしまうため、冒頭に掲載されるその論考の要旨から読み始めてしまうと、食文化史としての地域性や広がりが、いち企業人の経済活動から派生して全て生まれたかのような誤解を生じさせる恐れを抱いてしまいます(それでも、関東圏にずっと在住する私にとっても、子供の頃からラジオのCMで聴き続けた「獲れ獲れピチピチ蟹料理♪」とその普及力が図抜けていた事は認めざるを得ません)。

水深の深い場所に生きるズワイガニを日本人が漁獲できるようになったのは、沖合における漁法に革命をもたらした刺し網漁が生まれた江戸時代以降(著者はその考察で、何故南方の魚であるシイラが一緒に描かれていたのかに疑問を挟んでいますが、シイラと沖合漁法の伝播性については「ものと人間の文化史 鱈」(赤羽正春 法政大学出版局)で論じられている内容)、食されていたのも比較的海岸から近い場所に限られていた事が判ります。そして、鯛などと同じく立派な姿が持て囃されたのでしょうか、当時から贈答品であった事を認めていきます。

本書を冒頭から読んでしまうと、独り「かに道楽」の存在を通して現在のズワイガニが西日本で普く食される事や、ややもすれば日本のカニ食文化を生み出したかの様にすら捉えられてしまいますが、本書を通してお読み頂ければ判るように、漁獲され始めてから実際に戦後の高度成長期に普及する段階に至るまでに、既に中部、西部日本海沿岸地域では、オスは高級な贈答用から少し鮮度の落ちた物はタラバガニの代用品としての缶詰材料として、コウバコガニ(メス)やミズガニ(脱皮直後のもの)は地元で安価に消費されていた事が判ります。

その上で、本書のメインテーマとなる、戦後の高度成長期に入った後に訪れた、関西圏の都市住人達に供された「日本海の名産品としての味覚、ズワイガニ」が生み出すイメージ戦略の物語が展開されます。

著者の主たる研究テーマである「かに道楽」による大阪、道頓堀を舞台にした、関西都市圏におけるカニ食の広まりと、その立役者となった料理法「かにすき」が生み出された背景(直接の考案者で板前だった方が、現在では同グループから暖簾分けする形で展開するチェーンの社長でかつ、チェーン店にとっては物量的に欠かせない北海道からのカニ調達を担っているという点も興味深いです)や、仕入れルートの拡大と技術革新による季節を問わないカニ料理の提供実現といったビジネス史としても興味深い内容が綴られていきます。

(大阪都市圏における)カニ料理文化を生み出したと言って過言ではない「かに道楽」の存在。著者はその先に西日本を中心に広がる、現代のカニ食文化の中核を担う「カニツーリズム」が存在する点を指摘します。

本書の中核をなす部分、社会人時代の著者の経歴(日本旅行に勤務)が存分に生かされる、生き生きとした筆致で綴られる、メインに据える柴山漁港を始め、福井から鳥取までの日本海沿岸で漁獲される各地の漁師、仲買人、名士と目される地元関係者、そして各地の宿泊関係者への精力的な取材内容からある事実が浮かび上がってきます。そのツーリズムの姿は現在のフードツアーで標榜される「地産地消」や「小さな経済活動」といった地域経済を支えるためのものというイメージとは全くかけ離れた「都会の経済資本とイメージ戦略が生み出した、作られた名産品の消費活動」であるという点です。

前述のようにその漁獲の開始時点から高級な贈答用として用いられた、姿形の映えるズワイガニ。高度成長期の経済成長の波に乗って高級志向を持ち始めた大阪圏都市住民の胃袋を掴んだチェーン展開されるカニ料理店で味を知った人々や、ディスカバージャパンをはじめとした、都市住人へ向けた地方への観光キャンペーンの切り札としてのズワイガニの存在が浮かび上がってきます。贈答品や地方出身者からの話などでズワイガニの存在、味覚を知った、美食で知られた人々は早くも戦前からその味わいを求めて地方へと下る事があったようですが、高度成長期に入ると、この手のテーマでは必ず引き合いに出される開高健を始めとする作家たちや著名人と称される方々が本や雑誌で度々紹介することで、本来カニ料理を全く知らなかった都市住人に対しての人気に拍車がかかったようです。更には前述の「かにすき」自体が、漁獲があった地元の料理法ではなく、「かに道楽」で食した来訪客の要望や、働いていた人々が地元に持ち帰った調理法(かに道楽の創始者自体が現在も但馬地方で盛業中の観光開発企業創業者の兄弟で、その一部門が当初の「かに道楽」)が定着したものであると指摘します。

此処までであれば戦後高度成長期の昔話なのですが、バブル全盛期を社会人として駆け抜けた著者の筆致は更にもう一歩踏み込んだ内容を綴っていきます。既に「かに道楽」が全国へと広がっていくタイミングで深刻な資源不足に陥っていた中部、西部日本海のズワイガニの調達難とコスト上昇を救った北海道とロシア(当時のソビエトも含む)からの氷冷、冷凍ズワイガニの存在。著者は当時はそのような事を気にする事は無かったと肯定的に捉えていますが、所謂カニツーリズムという存在自体が、当初の極僅かな期間を除いて、慢性的にこれら地域外や輸入品のカニを用いて物質的に補い(殆ど置換し)つつも、「目の前の海で獲れた冬の日本海の味覚」というイメージを繰り返し再生産することで、バブル崩壊後の現在まで、経済性という視点でその流れを定着させ、実質を伴わないという事実すら消費者に容認させていった事を、漁獲が無い一方で、世界から客を呼び込む日本を代表する一大カニツーリズムの拠点として再生した城崎温泉の例から示すばかりではなく、地元漁師たちやその資源を各地から集散させる仲卸の見解を含めて肯定する論調へと集約していきます。

本書の極めて特徴的な部分と言っていいかと思いますが、魚食文化を語る類書で示される地域性を重視した食文化史としての視点よりも、大きく観光経済論に寄せた論調で貫かれる本書。

結果として、地元で水揚げされた物でも、仲卸や(一瞬だけ語られる)日本人バイヤーが海外から調達するズワイガニでも味覚で劣る事がなければ同じズワイガニであるという、正に消費者目線としての発想を添えていきます。その上で、安価で量を追求する従来型のカニツーリズムは(実際に参加して)曲がり角に来ているとの認識を示すと共に、著者のようにその味覚に魅せられた「リピーター」が、家族ぐるみで代を重ねて(所得水準が上がって)通い詰める、提供するズワイガニにこだわる宿泊施設もまた存在する事を指摘します。

そのような議論は、近年のロシアによる輸出規制の強化に伴う調達難から生じる調達国の多様化に対する、地物回帰と価格の安いハコガニ、ミズガニへのシフト、地元で揚がるベニズワイガニ活用へと向かっている点を地元の若手経営者たちの発言から拾う一方、各水揚げ地におけるタグを取り付ける事による画一的な地域ブランド化と仲買人等の目利きによる品質の乖離に疑問を呈し、終章におけるTAPとIQに関する漁業者や仲買人からの疑念へ同意を示すなど、商品経済としてのズワイガニを存在の前提に置く、著者の研究に携わる経緯や取材対象に対する指向性を強く印象付ける内容が見受けられます。

研究へと踏み出した経緯そのままに「カニという道楽は珠玉の文化」とその姿を称揚して止まない著者による、やや傾倒的な内容に終始する本書ですが、販売やツーリズムといった消費を軸に特定の一漁獲種(魚じゃないですね)をテーマに深堀した極めて珍しい一冊。食文化の本として捉えるのにはやや躊躇いがありますが、経済系新聞社の出版物をイメージさせる、関西を舞台にした戦後の観光開発、フードビジネスの一側面を読むという捉え方をすればとても楽しい一冊です。

今月の読本「地質学者ナウマン伝」(矢島道子 朝日新聞出版)スケープゴートに埋もれた近代地質学の立役者が辿った道程

今月の読本「地質学者ナウマン伝」(矢島道子 朝日新聞出版)スケープゴートに埋もれた近代地質学の立役者が辿った道程

最近、「ブラタモリ」が人気になった事で、地理学、地質学への興味が高まっていますが、中でも地質学に関しては、番組に登場される「案内人」を称される方が多く関係する「ジオパーク」の存在も、近年注目を浴びつつあります。

日本で初めてユネスコの世界ジオパークに認定された新潟県の糸魚川ジオパークにある中核施設、フォッサマグナミュージアム。このミュージアムの一画に、あるドイツ人の足跡を記念したコーナーが設けられています。

その名前は考古学や古生物学で語られる事が多い一方、彼が日本に於いて為し得た業績は遥か以前に忘れられ、むしろ「森鴎外が留学中のドイツで論戦を挑んで沈黙させた人物」として、近代文学史の片隅で紹介される事の方が多いかもしれません。

在日僅か10年間で、現在でも通用する北海道を除く本州、九州、四国全域の地質図を作り上げるという驚異的な業績を残した地質学者であり、現在の産業技術総合研究所の前身となる地質調査所を立ち上げ、現代にまで続く東京大学の地質学科初代教授として日本の地質学の水準を当時の国際レベルにまで引き上げた教育者。更には近年議論となっている、モースに先んじてシーボルト(息子の方)と共に大森貝塚を発見したと目され、連年野尻湖で発掘が続くナウマンゾウにその名を残す古生物学者・考古学者、エドムント・ナウマン。

現代に至るまで日本の地質学者、地球物理学者を悩ませ続ける大いなる問題「フォッサマグナ」の提唱者である一方、その業績は黙殺され続け、明治のお雇い外国人一般に付されるネガティブな人物の代表例として扱われる事の多い彼への評価。そのような扱われ方に敢然として否定を掲げた古生物研究者の方が書かれた一冊。

今回は、一般書としてはほぼ初めてとなる彼の評伝「地質学者ナウマン伝」(矢島道子 朝日新聞出版)をご紹介します。

著者の矢島道子先生は古生物研究者である一方、多数の科学史に関する一般書を執筆されている方。中学、高校の教員経験もお持ちで、今回のような一般の読者へ向けた科学者の評伝を書かれるのに最も相応しい方です。但し、著者の専門分野である古生物学や、ナウマンの主な業績となる地質学に関する内容はごくごく触りの部分のみに触れるだけで、本書では人物伝としての内容を綴る事に注力していきます。

冒頭からナウマンへの私的な心象を込めた手紙で始まる本書。女性の著者故でしょうか、恋愛や愛憎といった部分を語る際には一際、著者の私的な思いも織り込まれていきますが、全体としては科学者の評伝として、その生い立ちから没後まで手堅く纏められている本書。その中で著者はある点に於いて一貫した視点に立脚します。

前述のような否定的な捉え方をされるナウマンの言動とその業績について、なぜネガティブな評価をされているのかを当時の事情、背景から説き起こし、現代の視点で再評価を与える事に注力していきます。

彼自身の言動に対して、当時のお雇い外国人一般の認識とそれに対する日本人側からの評価を分別することで、日本と日本人を毛嫌いし、帰国後も与えられた勲功章などに対する不当に低い評価に鬱積しつつ埋没していったという日本人側から見た彼への評価を否定し、彼自身は様々な困難に直面しながら、決して日本と日本人の事を否定的には捉えていなかったことを明確に示していきます。巷間に伝わる鴎外との論戦に対しても、掲載されたドイツの新聞における論調迄を含めて検証し、彼自身は鴎外の挑発的な言動に対しても丁寧に議論に応じていた事を示します。更に、後年になっても教え子との手紙のやり取りが続き、彼らがドイツに訪れた際には歓待し、日本の地質学が長足の進歩を遂げている事を率直に喜んでいた事が記録として残っている点を取り上げます。むしろ、急速に近代化が進む日本と日本人にとって乗り越えるべき相手として、自らが近代化を遂げ、自立を果たした事を示すためのスケープゴート役を担わされてしまっているという心象を文中で強く与えていきます。

冒頭のナウマンへの手紙で著者が述べるように、近代化を遂げつつある日本人に対しての悪役を演じる事となった彼。しかしながら彼自身も当時のお雇い外国人に多く見られた傲慢さを有し、大学出たてで満足な実績もなかった若者にして本国では為し得なかったであろう、当時の日本人から見れば嫌悪感を持つほどの豪華な生活を謳歌していたという事実が、後の非難の根底ある事は否定できません。また、学生を引き連れた現地調査の際にはかなり高圧的な態度を取っていた事も記録には残っており、決して付き合いやすい人物ではなかったようです。そして抜群な業績を残しながらも彼の評価を決定的に悪くしたある事件。当時としては当たり前だったのかもしれませんが、その場に置かれた鞭と拳銃、その後の領事裁判の内容を読んでいくと、彼自身に含む部分が少なからずあった点も見えてきます。

この事件の背景にある、彼の一生をあらゆる意味で左右することになる最初の妻、ゾフィーの存在。大学入学資格を持たない彼がミュンヘン大学へ進み、僅か在学2年で博士号を取得したことも、日本で卓越した業績を上げながらも帰国後に正規の大学の教員として職を得る事が出来なかった事も、もしかしたら大学卒業後すぐに日本で職を得る事を考えた事も…、すべては不釣り合いとも思われる、職人階級に生まれ、専修系の教育課程を経たに過ぎない彼が、現在も顕彰され続けるドイツで初めての蒸気機関車を設計した著名な学者の愛娘である彼女との結婚を成し遂げるために行われた事に対する裏返しとしての結果だったのかもしれません。彼自身がそのことに対して何らの言葉も残していないため本当の所は判らない(著者は敢えて踏み込んだ見解を示していますが)所ですが、彼のその後を大きく決定付ける存在であった事は間違いないようです。

なかなかに難しい人物像を綴る中で同時並行で描かれる彼の活躍。その中でも中核に置かれるのが、最大の業績とも考えられる本州以南の地質図制作の為に全国を調査した足取の追跡。地質学に関する著書でも彼の超人的な働きは特筆すべき内容として採り上げられる事もありますが、実際にどのような足取りを残していたのかは語られる事は少なかったかと思います。本書ではその調査行について、国内に残る史料のみならず、ドイツに赴いて当地で研究をされていた方の協力を得ながら、彼の足取りを復元してきます。

北は函館から南は九州の開聞岳まで、約10年間で各地を廻った記録から彼が作り上げた地質図の作成過程を読み解いていきますが、著者の読み解きを辿っていくと地質学を多少知っている方であれば、ある点に気が付かれるはずです。航空機も自動車もない、未発達な交通網をそれこそ殆どの場合自らの足で踏破し、メモとスケッチのみに記録を頼る必要があった当時の調査。その迅速な成果を支えたのは彼と彼が率いた調査隊の驚くほどの踏破力に基づくわけですが、極めて小規模だった彼らの調査行で闇雲に歩き回ったのではこれらの成果は得られなかったはずです。其処には彼の卓越した「地形を読み取る能力」があった筈、彼の地質学的な抜群のセンスは、残された山体のスケッチや四国における調査行を著者が再現した文章からも把握する事が出来ます。

地形を俯瞰できる場所へまず赴き、山脈や山体を読み取って調査が必要と思われる場所を正確に判断する、地形を読みとる能力。執拗なまでに野帳の記録へ正確さを求め、調査内容を厳密に纏め上げようとする意志の強さ。残されたスケッチの清書からも見て取れる、現代の状況を照らし合わせる事が出来る程の正確な地形描写力。来日前に僅か半年ほどのキャリアしかない筈のフィールド調査の経歴には似つかわしくない、現場に徹した抜群のセンスを持つ地質学者としての横顔が見えてきます。更には地質調査の要として幾度も訪れた、中央構造線(この言葉と想定も彼の発案)が横断し、火山活動の影響を受けていない四国に着目した点は、現代の地質学に於いても極めて妥当な判断と見做せるようです。

フィールドを重んじ、野外観察による実証的な地質学を重んじた彼。尤も、それ故に地質学の研究者としては理論的な裏付けが弱く、やや格が低く見られ続けた事も事実であり、そのギャップが後に日本の地質学から業績が忘れ去られ、帰国後も大学教授としての地位が得られず、実利に適う探鉱会社のエンジニアとして暮らしていく事となったようです。

主たる業績である本州以南の地質図制作のみならず、噴火中の伊豆大島の火口まで赴き調査を行い、調査行の途中では各地の火山の山容をスケッチ、登頂を果たし、御来光を共に望んだ富士講の人々が見せる敬虔な思いに強く胸打たれた富士山では詳細な火口の記録を残した、日本の地質学を開闢する膨大な業績。調査行と共に各地で依頼を受けた探鉱や水文、更には飛砂の解消に対する提言。ナウマンゾウの化石紹介から古生物の化石と年代検討、更にはモースに先んじた大森貝塚の発見や発掘された土器の検討、ライバルと目されたライマンから委ねられた化石の同定と言った古生物学(ナウマンの学位は地質学ではなく、実は古生物学)、考古学の研究、帰国後には人類学に類する検討まで。膨大な業績を残した彼ですが、現在殆ど顧みられない理由として、本国では前述のように大学に籍を得る事が出来なかった点が多分に大きいようですが、日本に於いては近代化の過程に於ける学問の自立化、即ちお雇い外国人への依存から脱却し、日本人の研究者、教員による研究推進への転換点に於いて、敢えて黙殺するような動きがあったのではないかと著者は推測していきます。特に、実質的に彼が地質学の講座を立ち上げた東京大学(著者にとっても母校)に於いては、その業績や史料が封じられているのではないかという認識を滲ませます。

日本に於いても、母国ドイツに於いても顧みられることが少ない彼の業績。しかしながら、彼の残した大きな問題は未だに日本の地質学者が越えられない大きな壁となって立ちはだかっています。

プレートテクトニクスという概念が生まれる前に導き出した、真っ二つに割れて曲がった日本列島の真ん中を貫通する奇妙な地形、その只中に聳え立つ富士山と北へと連なる八ヶ岳、浅間山、そして草津白根山の雄大な景色と、眼前を遮る壁のように南北に聳える南アルプスの山並。彼を魅了してやまなかった秩父の渓谷に横たわる地形の妙。フォッサマグナという彼の残した置き土産は、その業績がどんなに埋もれようとも厳然と彼の後輩達の目の前に立ちはだかっているようです。

その業績が顧みられることが少ない彼の業績を改めて見つめ直す本書。約300ページに渡って綴られる彼の生涯を述べ、現代の血縁者への取材内容までも語る構成はやや散漫気味な部分もありますが、彼が生きた時代の風景を添えて綴られる内容には、人物伝を越えて当時のドイツにおける学術的な背景や、ドイツ人を中心とした日本におけるお雇い外国人たちの生活の一端、彼ら同士の競合する姿も描き出す貴重な一冊。

ハインリヒ・フォン・シーボルト(小シーボルト)と共に、数少ないナウマンの友人として登場するエルヴィン・フォン・ベルツ。本書では宮内省の侍医として紹介されていますが、草津温泉を広く紹介した人物でもあり、当地には記念館も作られています(道の駅に併設)。草津温泉(草津白根山)もまた、ナウマンが調査に訪れ、危険を冒して噴火中の湯釜の温度を計ろうとした場所として、その詳細なスケッチと共に紹介されています。

ナウマンの記念展示室がある、糸魚川のフォッサマグナミュージアムで入手できる、生誕150年を記念して制作された、数少ないナウマンの略歴紹介とフォッサマグナ及び新潟の地質入門書「フォッサマグナってなんだろう」(内容は少し古いです、ニッセイ財団の助成事業)と、昨年に刊行されて以降、ブルーバックスとしては異例の増刷を重ねた事で注目を浴びた、最新の知見と現時点で最も信頼のおける内容で綴られる入門書「フォッサマグナ」(藤岡換太郎)。併せてご紹介しておきます。

今月の読本「戸籍が語る古代の家族」(今津勝紀 吉川弘文館)反故紙を捲り音で読み解く、家と女、遥かなる記憶の断片

今月の読本「戸籍が語る古代の家族」(今津勝紀 吉川弘文館)反故紙を捲り音で読み解く、家と女、遥かなる記憶の断片

最近色々と騒がしかった「公文書」に関する一連の話題。

後年の人々にとって記録が残る事の大切さとその内容に対する興味深さ、時に恐ろしさは、歴史が好きな方であればご理解されるところかと思いますが、偶然に残ってしまった記録から辿られる歴史もまた興味深い一面を持っています。

今回ご紹介するのは、その偶然残った極めて貴重な記録から、より深く議論を掘り下げて語られる一冊です。

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館の歴史文化ライブラリー最新刊より「戸籍が語る古代の家族」(今津勝紀 吉川弘文館)です。

本書でメインに据えられる「戸籍」、著者はその制度や記録自体が古代の律令制以降、近代、実に明治に入るまで全国的な規模で整えられていない点をまず明示します。

巻末で「都市平安京の王朝政府」と述べられる、対外的な危機が遠ざかり、統一的な国内政策を行う必然性が薄れて地方行政が国司へと分権縮小化され、人身課税から土地課税へと転換した結果失われた「戸籍」をベースにした人身管理。明治以降に整備された戸籍法による人身管理まで大きく断絶するその制度の歴史的な空白を埋めてくれるものが、遥か過去に存在した戸籍、それも反故紙として偶然残された「裏紙」(コピーの裏紙も怖いのですが)に書かれた内容からの復元。

その保存過程から非常に断片的な内容(後年の整理で更に複雑化したとも)に留まる当時の戸籍、それでもこれまでの研究結果に基づき、他分野の成果も加える事で、当時日本列島に居住した人口を見出すことが(大まかにですが)可能となってきている事を示します。急激な人口減少に対して様々な警句が発せられる昨今ですが、歴史にご興味のある方ならご存知のように、明治初頭の人口は約3480万人と現在の人口の1/3程度に過ぎません。遡って近世初頭の人口はさらに減って1200~1800万人、著者の指摘する八世紀初頭の人口の推定はぐっと少なく僅かに450万人程度に過ぎないと指摘します。人口増加が年率1%を越えるのは漸く近代に入ってから、それ以前は0.1~0.2%という極めて低位な人口増加を示すに過ぎない点を、断片的に残った戸籍から見出す事が出来ることになります。

僅かな断片からでもその史料を繋ぎ合わせ、他に残された史料を突き合わせる事で復元されていく、古文献の検証による研究。著者は古代の戸籍が作られた事情とその形式から議論を始めますが、現在の戸籍の姿と大きく異なる点をまずは明確にします。当時の大陸との緊張した関係から生じた、兵力の確保と戦力の源となる生産力の正確な把握を目的とした極めて軍事的な色彩の濃い戸籍作成の経緯。そのため、記録される内容も兵士を供給できる単位としての「家」の姿を現している事を示します。古代の氏族制が徐々に形作られる中で編成された戸籍、家を構成する形にもその過程が色濃く反映されている事を示します。その結果、数値で復元された古代日本の姿は、典型的なピラミッド型年齢構成を取り、若年での婚姻と多産多死の傾向を明瞭に示す一方、残存する戸籍によって男女比が著しく異なるという奇妙な構成を示します。

残された戸籍の断片から見出す、現在の家族や親族とはかなり異なる様相を呈する「家」の姿。著者は其処に生きたであろう人々の姿をさらに掘り下げるために、戸籍に残された「家」姿からもう一歩踏み込んで、残された言葉の中にその核となる「男女」の姿を求めて踏み入っていきます。

兵站の基礎として整備された戸籍、徴税の元となる戸籍に残された成人男性を核に記録される家の姿。其処には妻と言う表現と共に付される女性と共に多くの妾、そして年齢がかみ合わない多数の子どもたちが存在する点を指摘します。多くは年長の男性に対して不釣り合いな若年の女性が複数含まれるという家の構成。経済力のある男性が複数の女性を妾として住まわせるという視点だけでは補正しきれない、明らかに連れ子と見做せる子どもの年齢。前述の婚姻傾向と高い出生率を添えてその主因を述べていきますが、著者は敢えてある問題について提起を行います。

現代に繋がる大きなテーマとなる「家」と「家族」という姿が、古代ではどのように構築されてきたのか。

近年まで続く家父長制が定着する前に、貴族の姿を綴る平安文学で語られる「通い婚」という形で男女が結ばれ、妻の住まいに夫が居住するという姿。貴族と言う限定的な範囲で残された記録から更に議論を発展させて「妻問婚」という生涯に渡っての通い婚という姿がそれ以前には存在していたのではないかと言う説に対して、その反証を試みます。

これまで述べてきた戸籍の内容を踏まえた上で、古代史を扱う者としては必須となる、万葉仮名(上代特殊仮名遣い)による音の読み分けを示した上で、これらの議論で着目される内容に対して改めて検証を加えていきます。本書の後半部分ほぼ全てを注ぎ込んで積極的に議論される、古代における男と女の関係から導き出されれる女性の一生、「家」が形作られる姿。その議論には当該する分野に強いご興味のある方にとっては看過できない論旨も含まれるかもしれませんが、著者はあくまでも古代史の研究家としての視点で、その姿の復元を述べていきます。

偶然の記録として残された断片から復元される、古代の「家」に示される姿。あくまでも断片である一方、最終章で語られる「改竄された戸籍」との対比から、明らかに当時の一側面を示す史料から述べられる内容は、これが全てであると言い切る訳にはいきませんが、現代的な家族と家というテーマにも一石を投じる内容。記録が残る事の大切さと、そこから何を読み解くのか、歴史研究者の方の視点を知る上で、興味深い一冊です。

同じく歴史文化ライブラリーより、本書と同じような経緯で残された史料、発掘される木簡から、その戸籍を綴る側の立場にあった官人、特に国造達の系譜に繋がる地方官人たちの姿を軸に、律令制、中央集権制という制度が日本に於いてどのようにローカライズされていたのかを再現する一冊「地方官人たちの古代史」併せてご紹介しておきます。

今月の読本「菅原道真」(滝川幸司 中公新書)文学者の視点で読む漢詩人、道真の揺れ動く想い

今月の読本「菅原道真」(滝川幸司 中公新書)文学者の視点で読む漢詩人、道真の揺れ動く想い

余りに有名な歴史上の人物を扱った評伝。本新書シリーズでこれまで取り上げられてこなかった事にむしろ驚くくらい、教科書はもとより、既に多くの一般向け書籍でも語られているその人物像ですが、少し立ち読みした際に切り口の特異性に非常に興味を持って読んでみた一冊。

今回は「菅原道真」(滝川幸司 中公新書)のご紹介です。

本書の著者である滝川幸司先生は平安文学の研究者。あとがきでも述べられているように、平安文化の象徴的存在でもある和歌が政治的な存在としてどのように当時の王朝国家に取りいれられたか、その経緯を研究されている方です。このように書いてしまうと、如何にもその発祥期を生きた道真の研究テーマに相応しい、和歌の研究者から見た、文学の神様として祀られるに至る彼の生涯を綴るように思えてしまいますが、本書に於いては敢えて道真をそのような位置付けに置く部分にまで議論を至らせない事を示します。

著者が専門分野である和歌を離れて、道真の研究として敢えて検討を加える必要を感じた事。それは、和歌が宮廷政治の中で重んじられる以前から貴族にとっては必須の素養であった「漢詩」として残された道真の言葉を辿る事。

遥か未来の戦前期まで続く、日本人のみならず、広く北東アジアの儒学文化圏で文人を標榜する人々にとっての基礎教養、コミュニケーションを取るための共通言語ともいえるその技能に於いて頂点を極めた大学者である道真が、日本人にもなじみの深い白居易の体を具えたと評された漢詩として残した歌と自注を読み込む事で、歴史学や通史で描かれる道真の姿に別の側面を与えていきます。

特に本書では、その華麗なる遍歴と悲惨な末路に対して大きく二分される傾向にある道真の評価について、これまでの認識を改めるべき点を明確に示した上で、双方極端な視点に偏り過ぎないように配慮を求めていきます。

まず、文章博士を歴代輩する俊英の誉れ高き菅家の跡継ぎと言うイメージに対して、彼が残した漢詩では、その試験勉強に苦しみ青息吐息で対策に及第、年齢的には若かったが秀逸と言う位置付けではなかったことを示します。そのような結果を強く意識していたのでしょうか、著者は道真が繰り返し起こる他者からの誹謗中傷に悩まされ、その状況を改善することを求める動きを取っていた事を見出します。その結果、当時の官僚制度の中で貴人と言われる五位以上の貴族の家系ではなく、より低い位階からステップを上がっていく事になる道真にとって、当時の貴族(官僚)一般の生き様から、昇進を果たす事自体は当然の目標と捉える一方、官僚としての評価にはかなり神経を尖らせ、早い昇進の裏返しとなる複数の官職を兼ねながら本職と弁える文章博士を並行して務める激務に精勤するも、かなりの苦痛であったこと示していきます。

そして、著者が極めて重視する点。道真が用いたとされる「詩臣」という言葉への強い自負心と、紀伝道と明経道という二つの科を経て官界に出た大学寮出身者達の本質的な考え方の違い。どうしても儒学として包括的に捉えてしまう事が多いのですが、著者はその違いを阿衡事件の際に交わされた議論を用いて明確化していきます。

紀伝道としてのスタンスを重んじる一方、当時の官界の情勢にも敏感で父の時代から藤原北家との関係を有する道真の揺れ動く態度。本職と任じる文章博士を務め、菅家廊下の門下を率いる学寮の雄としての姿は父親と同じ歩みである一方、文章博士を離れ、国司として心ならずも在地に下向している最中に起きた阿衡事件によって、大きなうねりの中に取り込まれていく事になります。

著者が指摘する「詩臣」という立場が、宮廷政治の中で政治的な意味合いを持つ「詩宴」へと組み込まれていく中で、菅家にとって破格の位階へと地位を上げていく道真。此処で著者は宇多天皇の藤原北家に対する牽制人事であるという見解に対してやや否定的な立場を採ります(大師としての極端な優遇に傾いた理由は是非ご一読で)。道真がまだ若く官界に出る以前から上表の代筆を頼むなど、父親の代から藤原北家にとって菅家、道真はむしろ協調すべき相手であったことを、醍醐天皇即位後に生じた納言達のサボタージュに共に対処した道真と時平を捉えて、旧来述べられてきた言説が誤っている事を指摘します。また、遣唐使派遣を道真が中止したとされる理解についても、道真が詠んだ漢詩の解釈を読み違えており、彼が醍醐天皇が即位する頃まで遣唐大使の職位を帯び続けていた点からも、その間も派遣を模索し続けていたのではないかと指摘します。

破格の優遇による職位と先の天皇の大師、新天皇の父師としての存在。では何故、大宰府へ流される事になってしまったのか。三善清行の書簡と彼の立場を指摘した上で、終盤でその引き金となった可能性を指摘しますが、著者が挙げる説とその後、大宰府幽閉時に綴られる、漢詩として残された道真の言葉、無実を信じつづけていたという想いとの微妙なずれは少々気になる所ではあります。

最後に紀長谷雄の言葉から引く「卿相の位に居た雖も、風月の遊を抛てなかった。」実際はその間で大きく揺れ動く想いを文学者の視点として漢詩の解釈から示しながら綴られる本書は、数多ある人物評の中でも興味深い指摘を伴いながら、一般人にとって歴史に触れるという事に対してより立体的な視野を与えてくれる一冊。

もしかしたら偉大な漢詩人、紀伝道を修めた文学者であった道真の姿に、同じく文学研究者である著者の研究への想いを少し重ねながら、その姿を描きこんでいるのかもしれません。