今月の読本「アカネヒメ物語」(村山早紀 徳間文庫)諦めかけた心に響く「ことば」へ込めた想いは今も

今月の読本「アカネヒメ物語」(村山早紀 徳間文庫)諦めかけた心に響く「ことば」へ込めた想いは今も

夜の帳が早くなり、ぐっと冷え込んできた年末。

自宅でほっこりとする時間が長くなるこのシーズン、そんな人たちへ向けて各出版社さんからは続々と新刊が本屋さんに送り出されています。

魅力的な新刊がずらりと並ぶ書棚から手に取った、今年の本屋大賞で最終選考にノミネートされた「桜風堂ものがたり」(PHP研究所)の著者、村山早紀さんが15年以上前に連作されていた作品を文庫として収蔵した一冊をご紹介します。

今月の読本「アカネヒメ物語」(村山早紀 徳間文庫)のご紹介です。

著者の村山早紀さんは、wiki等でご覧頂ければ判りますように、児童文学からキャリアをスタートされた方。本屋大賞への入選で、その名前や作品が多く紹介されるようになりましたが、一般向けの作品群の中で最も良く知られているであろう「コンビニたそがれ堂」(ポプラ社)シリーズ以前は、児童文学に主軸を置かれて執筆活動をされていました(コンビニたそがれ堂も、著名なアニメーター、名倉靖博さん装丁による初版は児童向けです)。

今回文庫に収蔵された作品も、原著は岩崎書店から児童文学のシリーズとして刊行されたもので、初回の刊行は2001年と今から16年前。その後も刊行を続けて2005年に完結したシリーズに、今回新たなエピソードを追加して一冊に収めたものです。

著者が児童文学者として最も充実していたとあとがきで述べている時代の作品。各版元さんも積極的に推される、所謂「癒し系」と評される現在の著者の作品群から入った方(私も)にはちょっと異色に感じられる作品かもしれません。

比較的ハードな作品も多い徳間文庫としては異例ともいえる、児童文学特有の綴りで主人公である「はるひ」の一人称で語られる冒頭。この手の文体が苦手な方には、字面を追っているだけでこそばゆくなってしまうかもしれませんが、そこは暫し堪えて読み進めて頂きたいところです(章を追うごとに徐々に大人びた口語体に変わっていくのは、著者の意図なのか、その後の執筆活動の影響なのかは判りかねますが、途中に挿入された描き下ろしのエピソードは、ちょっと「おとな」ですね)。

小学校4年生に上がる春に風早の街に引っ越してきた主人公である「はるひ」と、その街にある公園の桜に宿る小さな神様である「アカネヒメ」との出会いから始まる物語は、神様と人外の者たちが見える少女の交流から物語を拓いていくという、児童文学らしい、著者が得意とするファンタジー色が一際に強い作品ですが、暫く読んでいくとある点に気が付くはずです。

著者が描く物語の世界に共通の旋律。それは児童文学がベースであっても、大人の読者に向けた作品であっても不変であるという事。

一見すると可愛らしいファンタジーに見える作品ですが、綴られる全ての物語には共通したテーマが見えてきます。それは、著者の多くの作品で見られる「魔法」であったり、「特別な能力」や、たとえ神様の「奇跡」であっても、その力自身が全てを解決してくれることは決してなく、あくまでも物語の駆動力、ストーリーに添えられる「シーン」に過ぎません。更には、その力は、主人公を始め登場する人々が抱える、「諦め」や「滞った想い」を辿り、向き合った先に初めて導き出され、描き出される点でしょうか。

想いを抱え続けるのは主人公である「はるひ」や家族、登場する人々(登場人物たちのバックボーンは、他の作品をお読みの方であれば、おやっと思われるでしょうか)、神様である「アカネヒメ」も例外ではありません。そして、著者が物語に添える魔法や登場する「人々」は、その想いを解き放つためのエッセンスとして描かれますが、著者が描きたいと願っているのは、その前段階、想いに応えてあげる「ことば」で伝える事への、飽くなき希求のように思えます。

ちょっとした寂しさと好奇心の先に出逢った、「アカネヒメ」に諭されて物語の輪を動かし始める「はるひ」。道端でチョークで絵を描くパフォーマンスを続けながら絵描きへの夢を追う「青空」さんと、友達とけんかをしてしまった「はるひ」は、お互い同士の抱えている思いを分かち合う事で、物語全体を覆う想いが動き始める。小さな神様である「アカメヒメ」の本当の寂しさを知った「はるひ」は、偶然の力を借りて、その想いに応えようと動き出す。

二人から始まった始まった物語は、風早の街に暮らす人々をも巻き込みながら、お互いに伝えられない想いを「ことば」へと変えていきます。若かりし頃に取り残された演出家と女優のすれ違う想い、それを十字架のように背負い続ける娘は、残された想いの力を背に受けて、前へと歩き出す。そして再び、「アカネヒメ」と「はるひ」はお互いの想いを「ことば」に込めて。

第二節「夢見る木馬」で著者は夢が破れそうになった登場人物に、こんな風に語らせます。

<引用ここから>

「世界にはきれいなものがたくさんある。それを、その美しさに気づかない人たちに教えてあげていたら、いつかみんな、世界には壊してはいけないものがたくさんあるんだって、気づかないだろうか?

<引用ここまで>

語りかける事で心が開き、秘めた想いが紡ぎ出され、言葉へと昇華する時、詩編を伴いながら、物語は終わりの時を告げていきます。「ことば」に込めたふたりの想いは、時を越えて、また。

その後に生み出された著者の多くの作品に共通するメッセージとストーリーエッセンスがそっと包み込まれた小さな作品たち。児童文学時代からの著者のファンの方であれば、懐かしさを込めて、一般書から入られた方であれば、その作品の魅力を辿る一ページとして、寒い夜をほんの少し温めてくれるものがたりの中へ。

 

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今月の読本 写真集「遥かなる遠山郷 The Utopia: Toyama Village」(塚原琢哉 Takuya Tsukahara 信濃毎日新聞社)救い出されたフィルムに刻まれた、清々しく天空に生きる人々の姿

今月の読本 写真集「遥かなる遠山郷 The Utopia: Toyama Village」(塚原琢哉 Takuya Tsukahara 信濃毎日新聞社)救い出されたフィルムに刻まれた、清々しく天空に生きる人々の姿

何時とちょっと毛色の違う本のご紹介。

長野県を代表する郷土出版社としての顔を持つ信濃毎日新聞社さんは、これまでも何度かご紹介していますように、地元に密着した、刊行数があまり望めないようなテーマを扱いつつも、妥協のない編集、装丁を施した書籍を送り出されています。

今回のご紹介する最新刊は、そんな作品群の中でもとびきり白眉な一冊。ポーランドを中心に東欧を題材にした作品、特に黒いイコンの一連の作品で世界的にも著名な写真家、塚原琢哉氏が若かりし頃に撮影したフィルムから奇跡的に救い出されたプリントを纏めた一冊です。

写真集 遥かなる遠山郷 The Utopia: Toyama Village」(塚原琢哉 信濃毎日新聞社)のご紹介です。

写真集ですので、当然ですが内容をお見せする事は出来ませんし、私のつたない言葉で伝えられる範疇は余りにも狭いかと思います。

出来れば手に取ってご覧頂きたいと思いますが、お伝えできる範疇で内容をご紹介いたします。

映画や写真のフィルムを扱われた事がある方なら、話には聞いたことがあるかとは思います、現像後のフィルムが劣化し、溶けてしまったり、霜が降りたように白濁してしまう現象。長年の東欧を中心とした撮影活動を一段落した著者が古い未プリントフィルムの整理を始めた時に発覚した悲劇、その中から辛うじて救い出した400枚ほどのコマには、作品としては未発表ながらも、60年を経た今だからこそ留めておきたい貴重なシーンに溢れている事に気が付きます。

著者の想いに応えて刊行を決断した版元さんにとっても、決して部数が出る本ではない無い事は判っている筈です。しかしながら、本書のページをめくっていくと、単なるアーカイブ、記録写真という範疇を越えて、何だかとても清々しい想いに満たされてくる自分がいる事に気が付きます。

今からちょうど60年前、1958年の遠山郷、下栗。現代に於いても「日本のチロル」と称される、天空に昇らんという地に拓かれた極限の山村。南アルプスの山並みをバックに俯瞰で眺める姿は当時と何も変わらないように見えますが、実際にその地に踏み入れて撮られたプリントには、今とは全く異なる姿が焼き付けられています。

まだ自動車が入れる道は無く、麓の集落までは山道を住民であれば徒歩で1時間、間道の谷に掛けられるのは踏み抜いてしまうような細い間伐材を集めて辛うじて繋いだか弱い木橋。電気が通ったのは著者が訪れる2年前で、依然として主な動力は馬力。水田は僅かに一カ所、重要な収入源であった木材を伐り出す以外、山に張り付くように切り拓かれた段々畑を耕すのも、荷物を運ぶのも、もちろんほぼ全てが人力。

谷から吹き上げる風に抗するように軒先に重ねられた間伐した枝の束と、屋根に載せられた石、小屋のような質素な板張りの家に三世代が寄り添いながら、集落自体も寄り添いながら一体となって暮らす。

何処をどう見ても、厳しい環境に歯を食いしばりながら暮らしているように思えるシチュエーションですが、21歳の著者が40日にも渡って、その地に腰を据えて撮影を続け、辛うじて残った写真には、そんな想像とは正反対の姿が克明に写しだされています。

小さな子から年老いた爺、婆に至るまで、それぞれの役割をきっちり果たしつつも、時に楽しげに、寛ぎつつも、日々の仕事に打ち込んでいく姿。山で見つけた花を背負った木端や自転車に差し込んでお土産として持ち帰る姿には、生活の中に潤いを与えようと願う想いが映し込まれているようです。戦後10年を過ぎて漸く落ち着きを取り戻してきた時代を感じさせる、麓の集落に降りる女性たちの少しお洒落した姿(サンダル履きでよく往復2時間の山道を往けると)や、何でも屋さんに上がって来る商品を楽しそうに品定めする姿からは、どんな僻地の山村も決して孤立することなどなく、規模は小さいながらも、人と物の流れの輪に確実に繋がっていた事をまざまざと見せつけてくれます。

そして、ページの過半を埋める子供達。少し痛んでいますが、金ボタンの学生服にセーラー服の姿を嬉しそうに見せる小学生たち。スリムで足の長い中学生たちは学生服姿で親の仕事を手伝い、子守は女子には限らず、少し年上のお兄ちゃんから姉ちゃん、そして近所の爺まで、手が空いていれば誰でもかまってあげる鷹揚さ。

桃源郷と呼ばれる場所故に、まるで夢でも見ているような気分にさせられますが、まごう事なき60年前にかの地の姿を映した写真。特に、著者が「青い山脈」と述べた印象的な一枚の写真は、本当にモノクロ映画のワンシーンを観ている思いにさせられます。

翻って現在、昨今の「秘境」ブームの頂点に位置する様なこの場所も、実際には三遠南信道の部分的な整備によって、飯田からであれば比較的簡単に訪れる事が出来るようになりました。一方で、多くの子どもたちが行き交っていた集落にあった分校は、自動車が通れる道を整備する代わりに休校となり、現在の子供の数は僅か4人。麓の集落より多くの人口を数えた下栗の居住者も50人を割り込むまでに減少してしまいました。

写真集の最後に綴られる著者による解説文と飯田市美術博物館の学芸員の方による寄稿文。撮影の背景以上に濃厚に書き込まれる民俗的なお話を追いながら、峰々を越えた遥か先に切り拓かれた「神宿る豊かな地」に生きてきた人々を、飾らずに、ありのままにワンシーンとして収めた、この写真集を刊行された意義を想わずにはいられません。

奇跡的に救い出されたプリントたちは、今を生きる私たちに、どのような想いを語りかけてくれるでしょうか。

 

 

今月の読本「よみがえる古代の港」(石村智 吉川弘文館)シーカヤックを漕ぐ古代ラピタ人研究者がGISから描く、ラグーンから始まる古代史

今月の読本「よみがえる古代の港」(石村智 吉川弘文館)シーカヤックを漕ぐ古代ラピタ人研究者がGISから描く、ラグーンから始まる古代史

近年積極的なコラボレーションが行われる、歴史研究における人文系と情報技術系分野。

でも、その成果を喧伝されたり、積極的に発信されるのは、どちらかというとサプライヤーサイドとなる情報技術系の皆様で、実際にそれらを成果として活用されている人文系の皆様のレスポンスは、利用させてもらっています、もしくはこんな事も出来るんですねと言った、ある意味、受け身な反応の方が多いような気がします(すみません、私自身が技術系の人間なので余計に)。

そんな中で、人文系の研究者の方が、自ら積極的にこれらのツールを使用されている事を全面に掲げて執筆された一冊が上梓されました。

今回は、何時も新刊を心待ちにしている吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリーより、10月の最新刊「よみがえる古代の港」(石村智 吉川弘文館)をご紹介します。

冒頭に述べましたように、本書では地形的な検証過程に於いて、著名な地図、地形表示ソフト(GISの一種と称しても誤解は無いでしょう)であるカシミール3D®を全面的に利用し、著者自身が現地に赴いた際の写真と、考古学的な知見を重ね合わせる事で、より実体感のある著述を行おうという意図が全編で貫かれています。

このような著述を可能とする所以は、著者の現職(無形文化財の音声映像記録研究室長)からある程度理解できます。考古学者としては少し異色な、デジタルを含むメディアによる文化財の記録と保存を専門とされる研究者。それ故に、これらのツールを利用することに対する敷居の低さが当初よりあったようです。

そして、元々は南太平洋の失われた民族であるラピタ人の研究という、日本の考古学者としては異色で極めて貴重なキャリアを有し、広くアジア圏で考古学に関する活動に携われた上で、その後に共同研究として参加した、日本の考古学についての成果を、補足すべき雑感を纏めて一書を著したという点。

日本の考古学者としては極めて特徴あるキャリアを有する著者は、更に前述の研究テーマを直接体現するかのように、シーカヤックによる海からのアプローチにも長じており、それら全てを包括する著者ならではの独創的な視点が本書には溢れています。

日本の考古学、歴史研究において常に核心として扱われる、稲作農耕と、大陸、半島との関わり。その反動ともいうべき南方からの伝播や北方への移転といった議論を超越して、古代ポリネシアの人々同様に、そもそも人は目の前に海があれば、その海原を渡り、行き交うものという、極めてシンプルな立ち位置で議論を進めていきます。その想いは、著者がミクロネシアで伝統的な航海術を継承する方に高松塚古墳の天文図を紹介したときの、彼の感慨へと繋がっていきます。

そして、著者の着目する海からの視点、そこには現代と異なる、丸木舟の延長であるカヌー(カノーと軽野の語源についての極めて興味深い一文も)のような、構造船が登場する前の段階とその後で、船底構造と喫水線の違いから、現在の港湾として良港と見做される、水深があり、深く切り込んだリアスや湾ではなく、ラグーンと呼ばれる、葦等の植物が生い茂り、水深が浅い、遠浅の入り江、遡上する川縁こそが彼らの舫う場所であったと考えていきます。

瀬戸内海(この名称自体、明治維新時に欧米人に説明する為に用いられた用語であるという意外な紹介も。それ以前は「灘」と「瀬戸」が繰り返し現れる場所)及び、丹後、若狭地方における、古墳時代における集落遺跡の分布と古墳の位置関係を地図上に落とし込むと、交錯はあるものの、時代を経るに従って、その分布がラグーンから水深のある湾へと遷っていったことを見出していきます。そして、現在では内陸に存在するように見える巨大古墳の配置が、実はラグーンの畔、海側から望める格好の場所に位置している事をカシミールの図上で示していきます。

まるで、その姿を航行する人々に見せ付けるために海岸に添うように配置された巨大古墳とその葺石(ここでカヤックから陸上への視点と地球の円弧の影響という、操船経験のある方なら実感の解説も)。著者は、その配置の変化や船底構造の変化を併せて考える事で、当地における社会構造の変化、居住する人々の交流する対象に変化があったのではないかと想定していきます。そして、ラグーンを拠点に発展していった氏族の中に、後の内膳司となる御食国としての、膳氏と安曇氏という古代の「食と猟」を司った氏族の動きを重ねていきます。

ラグーンから望む海で繋がる人々。著者の視点は、その海流に乗って、更に西へと進んでいきます。遣唐使、新羅使が航海した瀬戸と灘。現在の動力船でも充分影響を受ける、急激な潮流変化が絶えず繰り返す瀬戸内の海を航海する為に各地に設けられた泊の変遷を訪ねながら、鞆の浦から厳島と音戸の瀬戸の謎を追い、周防灘を渡るルートを探り、宇佐、宗像の神々と、何故海神、そして八幡社がいずれも三女神(三柱)なのかを波間に問いながら、玄界灘を世界遺産の地、沖ノ島へと渡っていきます。

ここで、東南アジアの考古学に精通する著者は、此処まで辿ってきた海路沿いのラグーンに残された遺跡の発掘物に見出される、東南アジアで作られたであろうガラス器を示しながら、海のシルクロードへの想いを馳せていきます。列島の中に閉じ込められたかのような、あるいは一方通行的な、僅かな窓口を介したように綴られる歴史展開に対して、はっきりとそうではない、遥か先史時代からこの列島は広大な海の世界に脈々と繋がっていたのだと述べていきます。

その想いを抱きながら綴る後半。瀬戸内海を中心に纏まって描かれた前半から大きく飛躍して、その道筋は、海の都である難波宮と陸の都とのダブル、マルチメトロポリス論を挟んで、伊豆半島、北海道、そして先島諸島へと続いていきます。著者の専攻であったポリネシアとの繋がりすら想定させる、伊豆半島の南端に点在する入り江とラグーンを拠点にした古代の賀茂氏と弓ヶ浜、源平合戦期の伊東氏の交易拠点だった河津を梃に望む、伊豆七島、小笠原、その先まで続く大海原の道筋。まだ手つかずのままに発掘される時を待つ、広大なラグーンに存在した幻の街と其処に集ったアイヌの人々は、北方アジアと海を通じて繋がり合い、今は廃村となって船でしか訪れる事が出来ない西表島の網取に残る最後の風俗から、遥か南方の人々が行き交ったであろうとの想い描く。

地上における推移と発掘成果、記録を残した側の視点で描かれる、ややもすれば二元的、対峙的な歴史の叙述に対して、全く別次元で列島の人々同士が、更には世界へと繋がっていた事を海の視点を踏まえて捉えようとする著者。

その視点を描き込み、歴史の交点となるその場所を探り出すために、著者はラグーンと湊の跡を求めて、海ではシーカヤックを漕ぎ失われた姿を想像し、丘に上がってはGISを積極的に活用してその実像を示そうとしていきます。

歴史文化ライブラリーに相応しい、新しいアプローチに満ちた考古学の可能性を示してくれる本書。著者が述べるように、GISによって見出される古代のラグーンだった場所には、まだ手つかずの遺跡が多く眠っている筈。それらが見いだされた時、我々の知っている「陸上」の考古学とは全く異なる姿を見せてくれるかもしれません。

こちらに載せています歴史文化ライブラリー既刊の数々。意外かもしれませんが、全てが本書の内容と直接、間接的に繋がっているのです。

繋がる歴史の面白さを是非皆様にも。

今月の読本「日本人ときのこ」(岡村稔久 ヤマケイ新書)日本人と松茸の素敵な関係は里山の開発と共に

今月の読本「日本人ときのこ」(岡村稔久 ヤマケイ新書)日本人と松茸の素敵な関係は里山の開発と共に

秋の到来を味覚から告げてくれるのも、新米や栗、果物もいいですが、やはりとびきり嬉しいのは庶民的な秋刀魚に、秋の味覚の王者たる松茸。今年はどちらも不振を極めて寂しい便りが伝わってきていますが、いずれも秋の味覚に欠かせないもの。では、なぜ数ある椎茸類のうち、松茸が味覚の王様になったのか、歴史を紐解いてみると、興味深い物語が隠されています。

今回ご紹介するのは「日本人ときのこ」(岡村稔久 ヤマケイ新書)です。

一般の書店において微妙な扱われ方をされる場合が多いヤマケイ新書。特に装丁がグリーンのシリーズは、ブルーの装丁が施されたアウトドア、登山、釣りといった山と溪谷社のメインストリームとは少しテーマの離れた自然科学的なテーマを扱っており、本屋さんでの扱われ方もバラバラ。ブルーバックスと一緒に並んでいたり、丈のある図鑑用の書棚の脇にそれこそ申し訳なさそうに置かれるなど、結構不遇な扱われ方をしているかもしれません。

そんなあまり目立つ事のない新書シリーズですが、送り出されるラインナップは学術的側面を具えていたり、社会問題にまで通じる等、実に興味深く、何時も新刊を楽しみにしていたりします。特に今回の一冊はその版元さんのイメージとはかなりかけ離れる「日本史」をテーマに置いた一冊。著者の経歴を拝見すると、実は松茸をテーマとして2冊も同じ版元さんから本を出されている事が判ります。従いまして、本書は「きのこ」を表題に置いていますが、その内容は圧倒的に松茸のお話、詩歌で詠われ、物語で語られる姿を綴り、その印象を語る筆致で占められています。特に平安後期から近世までは一貫して松茸のお話に終始します(なお、近世に入ると本草学と菌類図譜でみる、きのこの形態識別と毒の有無に対する認識の違いや、椎茸の榾木の作り方の進化といった現代に繋がるきのこのお話も豊富に語られます)。

新書として手に取りやすい形に纏め直した感もある今回の一冊。しかしながら前著ではメインであった富士山を離れて、本書では江戸時代以前はほぼ一貫して西国、京都がその舞台となります。古くは奈良時代の歌に詠まれたヒラタケから始まり、平安時代になると徐々に唄や史料に見えてくる松茸。室町から安土桃山の頃になると、京都の周辺ではそれこそ大量に松茸が採れたことが史料から判ります。特に、戦国期に入って物資が窮乏する京都における公家や宮家の皇子までも山に分け入り松茸を嬉しそうに追い、巧く収穫にありつければ、縁者に差し入れたりその場で酒盛りを始めてしまう等々、日記に描かれるその姿は、厳しい生活の中でも微笑ましくさえあります。更には、この種の日本の食生活の歴史を綴る書籍では外す事の出来ない史料である、山科家三代の記録から拾われた戦国時代の公家の食事ときのこの登場の仕方、そして醤油の発生による調理、保存方法の変化についても述べられていきます。

近世にはいって江戸が政治だけではなく文化の中心としての繁栄を遂げる頃、数々の唄や読み物に登場するきのこ達の中で、奇妙なことに松茸を珍重するのは京都をはじめ西国が中心であり、江戸ではハツタケが売られるばかりで、松茸はあまり出回っていなかったことが判ります。そして、京都に於いても今や超高級品である丹波の松茸は、江戸時代に於いては卑しまれていた事が判ります。

印象的に語られる与謝蕪村が宇治田原で詠んだ歌の一節。宇治拾遺物語に引っ掛けてなぜヒラタケが物語に出て来るのに、松茸は出てこないのかと訝しがる点に、本書のもう一つのテーマが隠されています。

それは松茸の生育と深くかかわりのある背景。現在、松茸の生産量の6割を占める長野県、その生育場所は程よく手入れのされた山裾のアカマツ林であることは常に云われ続けている事かと思います。モンスーン気候の影響を受ける東北以南の日本列島において森林の極相は広葉樹林であり、アカマツのような針葉樹は遷移の序盤に先駆種として現れる樹種。そのような樹木が山林に存在するのは、その生育場所自体が何らかのかく乱を受け続けている証拠になります。

京都を中心として歴史上、人々の記録の中に営々と綴られてきた松茸。実は、大規模な木造建築によって広葉樹を切り出した後に生育したアカマツがあったからこそ松茸が豊富に採れたのではないかと、最新の植物学と分析考古学の研究結果を紐解きながら述べていきます。大規模な寺社、都作りの度に伐り出される木材。杣として伐り出された伐採地は、伐り出す樹木が無くなると、杣山としての後山から里山としての農耕付随地へ転換していきます。完全な農耕地へ転換する前の秣取り等で人手が頻繁に入る、木々がまばらとなった山に良く育つのが松茸。都の周囲で刈り出す木が無くなる度に、更に遠くから木材を伐り出すため、松茸の取れる場所も徐々に京都から離れていったことが残された記録、唄や物語からはっきりと見出す事が出来ます(今や長野がその里山を最も豊富に持つ場所になったのでしょうか)。

日本人が愛してやまない愛おしいそのきのこが、実は日本人、特に都の人々の暮らしとその環境に密接に関わって来たと知れば、その貴重さと共に、自然に生きる生物ではなく、日本人の暮らしと共生してきた生き物であるという実感が湧いてこないでしょうか。

未だ人工栽培できない、自然のままにしか生きられないようなその生き物が、実は人の手を借りなければ育つ事すらままならないという点にちょっとした愛おしさすら感じながら、きっと京に暮らした人々も、そんな自分たちの生活に寄り添ってきた愛すべき「きのこ」への想いを今に至るまで綴って来たのでしょうか。

本書と併せて読みたい、京都周辺における里山の成立と歴史的な発展を、本書と全く同じアプローチで(引用原典はどちらも同じです)詳述する「里山の成立」(水野章二 吉川弘文館)。そして、時代史の研究では極めて有名な山科家三代の日記から、敢えて日々の食事の記載だけを抜き出して詳細に検討を加えた上で、日本の食生活と食文化の萌芽を読み解くという、貴重かつ、この分野では極めて先駆的なアプローチであったため、本書を始めあらゆる日本の食文化史の書籍で引用される名著「日本の食と酒」(吉田元 講談社学術文庫)。どちらも本ページでご紹介しています。

 

今月の読本『享徳の乱』(峰岸純夫 講談社選書メチエ)名付け親が最後に挑む、時代の転換点への新たな定義

今月の読本『享徳の乱』(峰岸純夫 講談社選書メチエ)名付け親が最後に挑む、時代の転換点への新たな定義

本格的な中世日本史本ブームが来てしまった昨今。

某書に触発されて次々に刊行される日本史関係の書籍が本屋さんの一隅を埋めはじめているのを眺めると、ちょっとした感慨を覚えます。

そのような中で、突如として刊行が予告された一冊。ここ数年単著での執筆が無かった、齢八十を超える中世史研究の大家が、遂にそのメインフィールドであった研究内容を一般向けに書き下ろした書籍を上梓されました。

今回は『享徳の乱』(峰岸純夫 講談社選書メチエ)をご紹介いたします。

本書の冒頭と巻末をご覧頂くと、日本史研究者としての著者の積年の想いが、その独特の筆致で濃厚に述べられています。今回のブームの件についても触れられていますが、本書の構想はそのような直近の話題とは全く関係なく、実に十五年以上前から準備されていたと述べられています。著者にとって親子二代に亘って関係を持つ版元さんから出される、人生最後と称されるこの一冊、そこにはブームの到来とその筆致に感慨と敬意を示すと同時に、研究の先駆者として決して見逃せない、大きな欠落がある事を指摘します。大きな時代史の流れで観た場合、特に中世の時代史を見る場合に忘れてはならない、二つの権力の磁場の関係がすっぽりと抜けている点を、もう一方の磁場の中心たる東国の中世史から見つめ直していきます(ちなみにこの視点は、もう一方の版元から後続で刊行された作品では、著者自身が本文中で補う必要性を認めています)。

本書では、表題のように30年にも渡る混乱の東国の姿を描く様に見受けられますが、読んでいくとその内容はちょっと異なる事に気が付きます。まるでブルーバックスを思わせる本書の構成(図表の使い方など、如何にもですね)は、初学者でも判りやすく理解できるように最大限考慮された、享徳の乱というテーマを用いた、日本史における中世から近世へと移り変わるポイントを事例と共に示す参考書。

もちろん、テーマの中核となる、失われしものを執念を以て追い求める古河公方、足利成氏を、正木文書を軸に、物語を駆動するチェイスを務める新田岩松氏の動きから描く事で、中世東国の姿を活写するという読み方が最も妥当かと思われます。更には中盤で纏まって綴られる五十子陣の様子から、軍注記から見る、室町期の軍勢の動かし方、後半で綴られる長尾景春と太田道灌の疾駆の先に見る、関東管領家没落の前奏を追う筆致も、とても興味深いかと思います。

しかしながら、著者の長年に渡る研究成果と30年にも渡る歴史背景を僅か200ページ足らずで語るにはどうにも尺が足らない点は著者であれ編集者であれ承知の事。そのような中で、ゴシックの太文字(これも版元流)で敢えて示すテーマを見出そうとした場合、著者はその歴史展開における連動性を随所で指摘していきますが、その指摘自体は既に知られている点が多いと思われます。むしろ本書で注意を引く点は、その連動を生み出した素地について、著者が新たな視座を豊富に提示しようとしている点ではないでしょうか。

中世と呼ばれる時代区分が始まった当初より続く、上下に重層的に組まれた統治、収納機構と、東西、そして南北に分断される政治権力。南北朝の動乱とその後に続く中世日本史の中で、その震源は常に揺れ動き、流動し続けます。その中で核の一つである東国、鎌倉を振り出しに始まったこの騒乱、本書でも冒頭から述べられているように、その経緯は遥か建武新政まで遡らなければ理解できない事を示しています。一方で、後の戦国時代において、奇妙なことにこれら権力の核たる京周辺、そして鎌倉、東国からは最後まで戦国大名が興らない事に着目させられます。中核となるべき在地ないしは派遣される守護の勢力は、政権に伴う近習勢力と分掌されるために分断され小規模化、政治体制も権力の磁場に近ければ近いほど影響を顕著に受けるため、前時代的な構造に引っ張られる指摘は既に多くなされています。しかしながら、それ故に次の時代に先駆ける先進性も備えていた点を著者は見出していきます。

陣・城といった、野戦や市街地の寺や居宅を拠点とした攻防とは異なる、数年単位での持久戦を構える事が出来る拠点の設営による戦局の集中化、戦場のコンパクト化。拠点近くでの恒常的な軍糧の徴発を可能とする、強入部による受領制から始まる重層的な収納機構の強制的な解体と、その延長に位置する、新たに提唱する「戦国領主」と称する一円支配体制の確立(一般的には国人領主と呼ばれる形態と同じですが、著者の視点ではもう少し規模が大きく、土着的性格に拘らない)。更には、下剋上と呼ばれる体制の簒奪を伴う逆転現象の前には、その逆の「上剋下」と称し、家宰や従属する勢力を威圧、討伐する守護大名、管領の存在があった事を見出していきます(もちろん、将軍や鎌倉公方も)。

これら戦国の萌芽ともみられる事象が、実は東国では南北朝の時代から着々と形作られていったことを実証する為に、その掉尾を飾る騒乱である享徳の乱を採り上げる著者。乱の構造と名称を提唱した著者らしく、前述のように本書でも新たな定義を探り続けていきます。

後半で述べられる長尾景春と太田道灌の疾駆と、彼らの立ち回りから読み解く、東国の先進性と限界。騒乱が続いたことによる、いち早い拠点城郭の構築と軍勢と軍糧掌握における戦国時代を先取りする軍事的な先進性。一方で、下剋上を狙いつつも、目の前に主人を置いた状態での家宰という立場(継承できなかった訳ですが)の制約と、一円とはいえ依然として中世荘園の構造を引き継ぎ点在を余儀なくされる所領、一族や従属勢力を纏めきれない掌握、動員力の限界に突き当たる景春(その先に、外部勢力を引き込むという次の時代の起点も)。家宰としての立場を越えた活躍と、対抗する各勢力を心服させる程の人望を具えた事で主君の背後を寒からしめた挙句、前時代である北条執権政治の御内人同様に謀殺される道灌の実力と結末。

この視点の先に、近年における他の研究成果を引用して著者が描くのが、その騒乱が次の時代の開闢であったことを東国に告げる、西国と京における統治手法を携え、既に領国的な統治を実現し始めていた駿河、そして堀越公方の分国化によって、外来者による領国化の過程を進む伊豆をステップに東国に乗り込んでくる早雲の登場。ここでも、まだ定説には至っていない明応の地震に伴う混乱に乗じての小田原攻略を時代史の流れの一環として採り上げており、時に政治状況や軍事史的な側面に注目しがちな文献史学ベースの研究に対して、最新の地理、考古学をも踏まえた全体史としての着眼への配慮も求めていきます。

東国、北関東を拠点とする中世史研究の大家が送り出す最後と称す本書。まるで参考書のような体裁ですが、その内容は往年の研究者が回顧主義的に過去の研究成果を辿る書籍とは一線を画す、テーマを求め更なる定義を模索し、表明し続ける内容には、この分野の研究がまだまだ新しい知見、新しい視野に溢れている事を示し続ける一冊。

歴史の研究は止まる事なく、更に発展することを願って止まない著者の想い、そしてその研究フィールドである東国へ改めて視座を置く事の重要性を唱え続ける想いが詰まった一冊です。

本書と関連する著書を。

参考文献にも掲載される、本書と同じテーマを扱った『享徳の乱と太田道灌』(山田邦明 吉川弘文館)は、本書ではやや不足している、通史としての東国の中世を俯瞰で見る事が出来る好著です。

また、『人物リブレット人042 北条早雲』(池上裕子 山川出版)は、本文中で言及されるように、次の時代となる戦国への架け橋を切り開いた北条早雲を最新の研究成果から検討しており、これまでの戦国への転換の叙述に対して、専門である領民政策の変化とともに、自然史への着目必要性も唱えています。

今月の読本「トラクターの世界史」(藤原辰史 中公新書)大地を駆る鉄馬に連環する3つの筆致と農への想いを乗せて

今月の読本「トラクターの世界史」(藤原辰史 中公新書)大地を駆る鉄馬に連環する3つの筆致と農への想いを乗せて

New!(2017.11.22):著者である藤原辰史さんへのインタビューが、中央公論社のサイト「著者に聞く」に掲載されています。本書にご興味のある方は、まずはご覧頂ければと思います。

題名からして惹かれる一冊、しかも著者は近現代の食と農に関する論考を近年積極的に発表されている気鋭の研究者とくれば、当然期待も高まります。積読溜まり気味の中ですが、細かい事は考えずにとにかく読むが先決と、発売直後に手に取った一冊(書店様、いつも入れて頂きありがとうございます)。

今回は「トラクターの世界史」(藤原辰史 中公新書)をご紹介します。

本州における機械化農業の先駆地でもあり、各施設でも大切に往年の車体たちが飾られる清里(晩秋のポール・ラッシュ祭にお越し頂ければ、現役の車両たちへの乗車体験もありますよ)、そして日本に於けるトラクターのスケールを遥かに凌駕する大陸的なビックサイズのトラクター(やはりジョン・ディアが多い!)がそれこそ国道を縦走する風景が日常に溢れる野辺山を目の前にする場所に住する身にとって、トラクターは特に身近な「道具」。そんな道具達の歴史が綴られる本書ですが、そこには著者のこれまでの著作との強い関連性が認められます。

本書の著者は、近代史において、日常の生活の中に見出される政治的な指向性を浮かび上がらせる事に成功した、快作の呼び名の高い「ナチスのキッチン」を著し、その後も戦前の旧大日本帝国におけるジャポニカ米の品種改良と植民地における農業政策を結びつけた「稲の大東亜共栄圏」、食に関する広範なテーマを扱ったエッセイ集「食べること考えること」と立て続けに上梓されています。

農学者ではなく、農業史を標榜する人文学系統に属する研究者ならではの筆致に惹かれる方は多くいらっしゃるかとおもいますが、本書に於いても「トラクター」を題材として、近代史における農業の変化する姿を、上記の3冊のエッセンスを存分に注ぎ込んで描いていきます。但し、あくまでも人文学的見地に立った議論であり、トラクター自体のメカニズムや機械化農業(農耕)効果に対する詳細な検討といった工学及び農学的な視点は余り言及されていない点には理解が必要です(この辺りの釈明は、ご自身の生い立ちを添えてあとがきに述べられています)。また、本書は世界史と題されていますが、扱われるテーマとその地域はかなり限定されます(多くのトラクターが活躍している感もある南半球は全く扱われません。北半球のトラクター史ですね)。更には、本書では著者の研究テーマに沿ったトラクター発祥、導入からの物語が描かれるため、それぞれの舞台によって明確に異なる筆致で綴られていきます。

当時の文学作品や風刺から見る、農家の生活とその中に進出してくるトラクターを農民たちがどのように受け止めていたかを描く事に注力する、発祥と発展の地、アメリカ。その強力な能力と引き換えに大きな投資と維持にコストが掛かる点を逆手にとって、小農や富農を集団営農へと転換させる起点、象徴としてのトラクターをプロパガンダ、更には実際の集団化に用いようとしていく反動の暗側面を描き出していく、旧ソビエト、そしてナチス・ドイツ。幻想の集団営農と強靭な東側のトラクターに魅せられる農業指導に渡ったアメリカ人の視線と、毛沢東の集団営農への想いと文革後に再び小農体制へと後退を綴る中国。そして、牧歌的に偉人伝と企業史としてのトラクター開発物語が語られる日本。

対応する国、地域、政治体制それぞれに呼応するように、これまでの著作の筆致そのままに当てはめられて描かれていくストーリー。それぞれは全く異なるストーリーにも見えますが、著者の筆致の魅力でもある、通読していくと一本のストーリーとして繋がっていく、連環する筆致が本書でも見出されていきます。本題でもあるトラクターの歴史、アメリカで勃興したトラクターを軸とした産業としての農業機械は、その系譜を受け継ぐ世界中の合従連衡の上に現在も発展している事に気が付かれるはずです。

発祥のアメリカを今も地盤として、農家と向き合い、改良を重ねて巨大化と多彩化の波を生き抜く、農業機械の巨人、緑のジョンディア(日本ではヤンマーが扱い)。巨大資本と自動車産業の効率的な製造手法を持ち込み、更には政治力で世界の市場を席巻したブルーのフォードとニューホランド、伝統と技術力を誇り、北米で確固たる地位を築く赤いIHにシルバーのランボルギーニの各社は、それぞれのブランドを維持したままオレンジのフィアット資本の下に国際企業として集約。プラウの三点支持を生み出したファーガソンシステムの祖、マッセィ・ファーガソンはAGCOへ(野辺山、川上界隈では最近この真紅のボディが目立ってきた。大型は井関にOEM供給も)。ディーゼルをリスペクトする、狭隘で硬く締まった圃場に特化した小さな歩行用トラクターから始まった日本のトラクターたちは、彼らと提携しつつも、その雄たるクボタは彼らの故郷の地、アメリカと多様な機種が展開されるヨーロッパを目指して巨大化の道へと歩み出し、世界の農業機械産業一角を占めるに至ります。発祥は違えども、大地を駆り耕すという同じ役割を与えられたトラクターたちは、時に戦車に、更には産業そのものが軍需に転用されながらも、地域を問わず世界中に展開していきます。

そして、著者のこれまでの作品とも通貫するテーマ。トラクター発明以前の農耕から語り始める冒頭から述べられる、農業と大地への想いがそれぞれのストーリーの中でも綴られていきます。

強力な耕耘力が生み出す深耕と、過大な重量が生じさせる土壌の破壊に対する憤り。巨大な力と引き換えに世界経済に巻き込まれる事になる燃料と大地へ化学肥料を与え続ける事への負担。人と大地を繋ぎとめ、地力を与える存在であった役畜(農耕馬・牛)への農民たちの想いと、トラクターに対する懐疑の眼差し、対比されるトラクター運転手へ憧れる若者の描写。そして、農業の産業化の象徴となったトラクターが生み出す、営農集団化の足取と挫折の物語に随伴する農業政策への眼差し、プロパガンダとしての女性が農業で活躍する舞台道具に設定されたトラクターというアイコンと現実の深いかい離。

トラクターという存在を少し離れて終章で一気に畳み掛けていく物語の先には、著者の想い、農業を基盤とした大地と人の繋がりの受け皿となる営農集団と、その鎹としての協業の象徴、トラクターというイメージへの飽くなき想いが情景として滲んでいるようです。

著者の想いとそのイメージは、既にダストボウルの先に消え去った幻影に過ぎないかもしれません。特に日本に於ける現代の農業の姿とは、なかなか相容れるものではないかもしれませんが、トラクターをテーマに、これまでの著作同様に、農業と大地との絆に対する深い想いを込めて描く一作。ちょっと薄味気味かもしれませんが、トラクター、農機具ファンの方にも歴史物語として楽しめる一冊かと思います。

今月の読本「荷車と立ちん坊」(武田尚子 吉川弘文館)明治東京を運ぶ足跡を追ったオムニバスストーリー

今月の読本「荷車と立ちん坊」(武田尚子 吉川弘文館)明治東京を運ぶ足跡を追ったオムニバスストーリー

歴史の研究分野は古来から続く政治や人物、又は文化、芸術的な変遷を捉えたものから派生して、近年では色々な切り口を持ったテーマが語られるようになってきたようです。

特に近現代史に於いてそのような傾向が多く見られますが、最近では更に学際領域というのでしょうか、テーマの多様化、細分化が進んでいるようです。

今回の一冊も、そんな流れの中にあるように思われる、極めて珍しい題材で描く「荷車と立ちん坊」(武田尚子 吉川弘文館)をご紹介します。

著者は直近に「ミルクと日本人」(中公新書、著者へのインタビューはこちら)という、これも極めて珍しい、ニッチで狙いすましたようなテーマの本を出されていますが、本書も特徴的なアプローチと内容を具えています。

まだ荷車を人が曳いていた明治の頃、急な坂や荷物が大量に集散する場所にたむろするその日暮らしの人々「立ん坊」。そして、東京近郊の農村と都心とを行き来した農民の暮らし。日本の中心となった東京に集う二つの全く異なるバックグラウンドを持つ人々の存在に触発された著者は、その間を取り持つ「荷車」をテーマーに物語を結びつけようとします。

しかしながら、この二つには僅かな結節点しかないため、勢い「荷車」を軸に明治東京に行き交う荷物を扱い運ぶ姿の変遷を、江戸時代に遡って綴る事が主体になったようです。更には、前述の執筆経緯故でしょうか、本書を通貫した明確なストーリーが築かれることは無く、各章ごとに「荷車」に関するエピソードがオムニバスに語られ、その中に「立ん坊」の姿が織り込まれていきます。

江戸時代の伝馬から始まり内国通運(今の日通です)、鉄道、郵便輸送に繋がる物流の大きな変遷を描く、産業史の中に生きる小口輸送単位としての荷車とそれを事業として扱う人々の勃興と構成。大八車の発祥と命名の謎から車両自体の変遷と、その中に組み込まれた著者の前著にも通じるような牛乳車や洋菓子を売って歩く箱車の姿。日清戦争における輜重部隊と、破門されてまでも志願し出征した江戸の力士たち、輜重における人力から馬力への転換。そして後半で綴られる、民俗学的な視点による明治期における都市近郊農村の姿にみる輸送形態。

それぞれに興味深い内容が続いていますが、如何せん新書並みの僅か180ページ程という分量の中で、話題ごとに細分化され、更に本書の主題である「立ん坊」の話は各章に散りばめられてしまっているため、かなり散漫な印象を受ける事も事実です。

「荷車」をテーマに、研究内容の宝石箱をひっくり返したかのように繰り広げられる本文。その中で少し纏まった形で述べられる「立ん坊」達の生活と、住んでいた場所、荷を待っていた場所について綴る一節を軸に読みなおしていくと、本書のもう一つの姿が見えてきます。

荷物が集散する水辺、河岸、そして駅。今では僅かに痕跡を残すのみですが、今もこれらの場所には、日通を始め大手の運送会社の倉庫や事務所が軒を連ね、潮待茶屋にはトラックとターレが集う。既に産業史の教科書に残るのみですが、汐留、秋葉原、最後の痕跡である築地は、時代の最先端であった物流システムである水陸結節駅として、その荷を集散させる彼らが行き交った舞台そのものです。そして、彼らが夜露を避け、怠惰と無常を募らせた本所に連なる木賃宿と、往年の姿は全く痕跡を残しませんが、今もその名と地形だけははっきりと残る、彼らが荷を待ちうけた凹凸の激しい東京の坂たち。

彼らが汗水を流し歩んできたその足跡には、現在の東京を形作る輪郭と動線がはっきりと刻み込まれている事に気が付かれるはずです。

人と物が動く事で街が形作られていく過程を、荷車というテーマから垣間見せてくれる本書。著者の旺盛で広範な好奇心を鑑みると、ちょっと無理かもしれませんが、極東の大都市東京の成長していく姿を描く一つのテーマとして、その先の物語を読んでみたいと思わせる一冊です。