上社の建御柱が終わった後に少し歴史のお勉強も(諏訪市博物館の企画展「御柱を知る」)

上社の建御柱が終わった後に少し歴史のお勉強も(諏訪市博物館の企画展「御柱を知る」)

New!(2016.6.25):明日6/26(日)のNHKスペシャルで御柱の特集が組まれます。古代史ミステリー 「御柱」 ~最後の“縄文王国”の謎~番組ホームページはこちらです。

 

GW連休後半の三日間に渡って行われた、諏訪大社上社の里引き、そして建御柱。

上社の本宮、前宮の8本の御柱が新しい柱に建て替えら、これから6年間、この地を守り続けることになります。

諏訪大社上社本宮一之御柱建て替えられた本宮一之御柱。

来週末の下社の里引き、建御柱まで一休みとなった週末。折角の機会なので、ここで御柱の歴史について改めてお勉強してみましょうという事で、格好の企画展が催されている場所に行ってみました。

諏訪市博物館場所といっても、何の事はありません。上社本宮の道路を挟んで反対側にある、諏訪市博物館

諏訪博物館前の摸擬御柱中庭には今回本宮二之御柱を曳行、建てられた湖南、中洲地区の皆さんが用意した摸擬御柱が用意されています。

こちらで、御柱の開催を記念した企画展「御柱を知る」が3/12から開催されています。

諏訪博物館企画展「御柱を知る」パンフレット残念ながら企画展の展示室及びロビーに展示している写真と絵葉書は撮影禁止の掲示が出ておりましたので、パンフレットでお茶を濁させて下さい…。

今回展示されている史料は摸刻、模写が殆どですが、江戸時代の騎馬行列に使われた道具類は実際の物が展示されています。史料の系統はすぐ近くの神長官守矢資料館が守矢家に伝わる資料を中心に構成されているのに対して、大祝諏方家、権祝矢島家に伝わった史料を中心に、諏訪大社が所有する史料で内容を補う形を採っています。珍しいのは冠落としの手斧を担当する原家が実際に大正時代まで使用していた装束が展示されている点。侍烏帽子に大紋(素襖とも思える)なのですが、紋が丸に四つ目菱(現在の冠落としの際の写真を見ると異なる紋を付けています)なのが、その職を世襲された時代と照らし合わせてみると、とても気になる点ではあります。

ロビーで流れる御柱解説ビデオの大音響が館内に響き渡る中、崩し字読み特訓しながら展示を観ていると、学芸員さんの展示説明が始まりましたのでちょっと混ざって聞いてみました。

  • 歴史史料上の御柱 : 鎌倉時代より遡る史料は無く、巷間に云わる平安時代に遡るとの史料も鎌倉時代に書かれたものを引用している(持統朝に遡る日本書紀の記述は社の存在を示すもの)。そう考えると、現在の形態の元を築いたのは、やはり東国の武士たちという事になるが…
  • 御柱の氏子 : 本来は信濃一国総出で奉仕するものであった(ここで2階の常設展示フロアにある解説パネルを見ると、戦国時代より前の御頭郷はすっぽりと諏訪郡が抜けている事が判ります)が戦国以降、徐々に縮小して諏訪郡一円に収斂していく
  • 祭祀の推移と復興、縮小 : 戦国時代以前の奉仕の史料を見ると、柱を建てること以外に宝殿(これは現在でも行われる)やその他の境内各所の建築物の造営が都度行われており、現在より遥かに規模も大きく、それだけ負担も大きかった(取り立ての史料や収支報告書が残る)。戦国時代の混乱による祭祀の縮小(甲斐への出陣により祭祀の引き延ばしを図った事により祟りが起き、その再発を恐れて、急ぎ甲斐から出陣中の兵を引き上げるなどという記録さえ残る)は、武田信玄による諏訪氏滅亡後に息子の勝頼共々に社殿と祭祀の復興を図ったが、その後信長の息子、信忠による天正十年の上社の焼き討ちにより灰燼に帰したことが現在の祭祀の起点となっている
  • 縮小後今日までの繋がり : 天正十二年に再興された際には御柱と宝殿、神輿(これは現在も使われていると云われる)が漸く揃えられたに過ぎず、その後社殿の復興が徐々に進んだが、これ以降宝殿以外の建て替えは行われない現在の形となった。また、江戸時代の史料から祭りの文字が見えてくるが、それ以前は「造営」と呼ばれ、祭りではなかった。現在のような祭りとして執り行われるのは明治以降と考えて良い(これも常設展示室に造営の主体が経済的な理由で領主層から町民層へ移っていった事を示唆する解説が出ています)

今回の展示物で最もポイントが高いと思われる御柱絵巻模写の展示なのですが(原本は岡谷市在住の個人蔵で、諏訪市博物館が所有する模写は明治17年に諏訪市の個人の方が明治維新で廃絶した騎馬行列の姿を記録する為に前述の絵巻を借用して模写したもの)、残念ながら全体の公開はされずに五祝家と謂われた神官たちと御柱が描かれた部分だけの公開に留まっています(その他藩主の代役の騎馬、家老、奉行の部分は抜き取りで写真掲示)。この絵巻の写真集が出されたら、さぞかし興味深い考察と共に、きっと人気が出る事かと思いますが、個人蔵故でしょうか、容易に入手できる刊行物はないようです。

ちょっと煮え切らない部分もある展示ではありましたが、これだけの内容が一堂に揃うのは多分御柱の時だけ。ロビーに飾られている写真は別途写真集が刊行されていますので見る事が出来ますが、当時の史料を模写とはいえじっくり拝見できるのは、二次文献ではイメージできない点(and必死に崩し字読む特訓)を補う意味でもありがたい事です。

諏訪博物館常設展示室1-1学芸員さんの解説が終わると、殆どの皆さん(and本日は長野日報の記者の方が取材に入っていました)は退出されてしまいましたが、折角なので2階の常設展示室もじっくりと拝見させて頂きます。

こちらが常設展示室1の原始から古代のエリア。ダウンライトとブラックアウトされた落ち着いた雰囲気の解説板をバックに、広いスペースにゆとりを持った展示…と言いたいのですが、界隈の各市町村にある資料館や縄文関係の考古館の、これでもかという出土品のオンパレードと比べると、どうも展示物に事欠いている(いやいや、絞り込んでいる)イメージを持ちます。やや啓蒙的な解説板をじっくり読ませるイメージが強い展示内容。

諏訪博物館常設展示室1-2こちらは同じ展示室の中世から近世のエリア。中央に曲線状に配置された御柱の解説スペースを挟んで正対するレイアウトになっています。各時代につき、展示物を数個に絞り込むスタイルはこちら側も同じです。

諏訪博物館常設展示、徳川家光の朱印状御柱関係で特徴的な展示物を。

徳川三代将軍家光が与えた諏訪神社領の朱印状の模写とそれ以前の所領比較図。1500石と決して小さくない社領ですが、それ以前の広く信濃国内に点在していた所領と御頭郷による奉仕を考えると、御柱(祭)の造営規模が縮小せざるを得なかった事情が実感できるかと思います。

諏訪博物館常設展示、御柱略年表ちょっと見づらいのですが、御柱の略年表。

企画展には出てこなかったのですが、寛永十五年に高遠藩が騎馬行列への参加を拒否(高遠藩が保科家から改易後の鳥居家が移ってきた初代、忠春の治世)したことに対して、諏訪社が幕府に訴え出ている点に注目します。戦国時代の大祝が諏訪と高遠に分かれた後に諏訪の大祝に収斂された経緯をそのまま江戸時代まで引き継いでいた事が判ります。企画展で展示されている原家の記録にも、高遠藩が送り出してくる騎馬行列(藩主の名代だと思いますが)に対しても挨拶に出向いていた事が記されています。

ここでちょっと面白い話。知人の氏子さんに聞いたのですが、今回の里引きで高部の公民館前(里引きで一番標高が高い場所、八ヶ岳と両宮が遠望できる)では辰野(小野)の地酒「夜明け前」が振る舞われていたそうです。諏訪の酒蔵でなくてなんで小野なの?と思ったそうですが、実にこの場所こそ原家が高遠藩に挨拶をしていた場所。その昔は桟敷の設置場所で諏訪と争ったとの記録も残る、高遠藩にとって御柱の際に藩主の名代が訪れる場所だったのでした。

諏訪博物館常設展示室2常設展示室2です。打って変わって博物館の外観のイメージを踏襲する明るい造りに、スポーク状のオブジェとピラミッド型の展示ケース、そして展示内容は在野の考古学者、今なお縄文史研究を悩ませる発端となった、縄文農耕論を提唱した在野の考古学者、藤森栄一の業績を紹介するコーナーになっています。

残りの右半面は片倉館から寄託された考古発掘資料を展示するコーナーと、実は左側がシンプルながら凄くコアな展示なのです。

諏訪博物館常設展示、肥水くみ上げ風車主に民俗資料の展示なのですが、ここにしかないであろう一品。今もガラスの里の周囲に行くと警告板が建てられていますが、諏訪湖畔で行われていた天然ガスの採取とその副産物を肥料として用いていた「肥水」と呼ぶ井戸をくみ上げていた風車。かん水だと思いますが、肥料に用いていたというのも聞くのは初めてですし、このような形で諏訪の産業史の一ページを採り上げられている点に物凄く好感を持ちます。

諏訪博物館常設展示、御渡帳そして、諏訪市博物館に行く以上、是非観たかった御神渡の歴史を綴る御渡帳と当社神幸記..って、貸し出し中だなんて(涙)。

諏訪博物館、御神渡関連掲示ちょっと気を取り直して、2階のロビーに飾られている平成18年度の御神渡関連のパネル展示を眺めながら。ついこの間、雑誌natureの電子版にヨーロッパとの比較で地球の気候変動を示すバロメーターとして御神渡の記録が使えるという論文が出て、俄然注目を浴びている諏訪湖の御神渡ですが、情報センターとしての役目を果たす諏訪市博物館としては、ぜひこの機会に企画展やシンポジウムの開催をご検討いただきたいと勝手にお願いしてしまいます。

諏訪市博物館寄贈展示品ミニチュア御柱なんだかんだ言ってタップリと楽しんでしまった諏訪市博物館。

でも、一番楽しかったのは、休憩コーナーに展示されていた、地元の方が寄贈した手作りのミニチュア御柱セット。前回の前宮一の御柱の建御柱つり上げ構造を忠実に再現した模型と、上社と下社の御柱曳行方法の違いをこれまた丁寧に作り分けている模型を眺めているだけで、はっきりとそのシーンを思い出す事が出来ますね(館内に飾っている曳き綱を巻いたミニチュアオブジェと一緒にキットで売って欲しいです!)。

諏訪市博物館の資料類本日のおみやげ類(購入資料)。

御柱関係の古い写真を集めた写真集「御柱とともに」。今回の件についていろいろ仰る方もいらっしゃいますが、まずはご覧頂きたい写真集です。次に、隣の山梨の方にとっても特に興味深い内容が書かれている「戦国時代の諏訪」そして、江戸時代初期の諏訪藩主(三代忠晴)が描かせた諏訪藩領の屏風絵図「御枕屏風」の解説写真集。博物館に展示されている模写品は既に読み取りにくくなっているため、このような写真集はとてもありがたいです。次は是非御柱絵巻の写真集も…。

左下にちょっと置いていますのが、上社で頂きました御柱御守です。

この6年間で色々な事がありましたが、2度目の御柱をこの地で無事に迎えられた事への御礼として。

<おまけ>

本サイトでご紹介している関連するページを。

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山出しが終わった上社御柱、次はいよいよ建御柱へ(前回の諏訪大社 上社御柱祭のアルバムより)

山出しが終わった上社御柱、次はいよいよ建御柱へ(前回の諏訪大社 上社御柱祭のアルバムより)

New!(2016.6.25):明日6/26(日)のNHKスペシャルで御柱の特集が組まれます。古代史ミステリー 「御柱」 ~最後の“縄文王国”の謎~番組ホームページはこちらです。

 

50万人を超える曳行、参観者を迎えた今年の諏訪大社、上社の御柱祭、山出し。

宮川の鮮烈な流れに洗われ、清められた8本の御柱は、華やかな乗り手たちを乗せてきためどでこを外されて、大社の目前となる、安国寺前の御柱屋敷と呼ばれる広場に暫し留め置かれます。

一週間遅れとなる下社の山出しが済んでから約3週間後、GWの最後の数日に、山から降ろされて休息を与えられた御柱は、再び華やかな行列の中を諏訪大社の前宮、そして本宮へ向けて曳行されていきます。里引きと呼ばれる盛儀。綺麗に皮の剥かれた御柱は、これまで6年間に渡って大社の四隅を守ってきた前の御柱が降ろされた跡に据え付けられます。

そして最終日の朝、身動きが出来ないほどの群衆で一杯になった境内の四隅で、最後の大仕事、長さ20m近い柱を氏子を乗せたまま人力で立てていく、建御柱が始まります。

6年前の2010年5月4日。2km程離れたショッピングモール脇の臨時駐車場に車を乗り捨てて、ぎゅうぎゅうの人込みの中、午前8時前に本宮の東参道鳥居の下に何とか潜り込むと、足元には20km近くを曳行してきた氏子の皆様に囲まれて、未だ地面に寝かされた本宮二の御柱。境内の四隅で解説のアナウンスが流れる中、諏訪大社の神職の皆様が入れ代わり立ち代わり登場しての神事と、安全を祈願する祈祷、御柱の頭の部分を切り揃える冠落としの儀式が厳かに、時に賑やかに、ゆっくりと執り行われていきます。

身動きも出来ず、立ちっぱなしの両足に痺れを感じ始める正午前、全ての神事が滞りなく済むと、いよいよ建御柱の準備が始められます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱1入口御門横に据えられた櫓から降ろされた二束のワイヤー。櫓の上には氏子の皆さんが既に待機しています。

諏訪大社御柱祭上社建御柱2ワイヤーの先には本宮二の御柱。曳行場所ごとに担当が入れ替わる下社と異なり、上社の場合、曳行を担当された富士見町の落合、境、本郷地区の皆さんが建御柱まで一貫して担当されます。

この時点で、既に柱の底に当たる部分には衝立となる板が立てかけられています。実際に木を引き上げる轆轤を廻すのは氏子の皆さんですが、やぐらを組み、最初に木にワイヤーを掛けて姿勢を固める作業は、本職の鳶の方が行います。前回は下社の曳行地区に所属する鳶の方が請け負われたそうですが、本宮三の御柱を担当する今回、初めて地元の業者が担当されるそうです(普段はすぐ横の席に座っている氏子の方より伺いました)。

諏訪大社御柱祭上社建御柱3ワイヤーで御柱を少し持ち上げておき、下に台座を入れて、御柱の下に潜れる状態を作った上で、氏子の皆さんが乗る足場を御柱に組みつけていきます。もちろん、釘などは使う事は許されませんので、全て角材とロープで組んでいきます。

午前中のうちに、柱の冠はきれいに円錐に切り揃えられています。

諏訪大社御柱祭上社建御柱4足場の準備が整うと、三地区の大総代の皆さんと、総纏めの大総代さんが、まずは御柱に乗り初めとなります。

これから御柱に乗ったまま引き建てられていく氏子の皆さんの命がかかる安全確認を含む、大事な手順でもあります。

諏訪大社御柱祭上社建御柱5大総代の皆さんの下から、柱と共に引き建てられていく氏子の皆さんがおんべを振って昇ってきます。

腰には全員安全ベルトとラッチを装着、何よりも安全第一。

最後の男気を見せる大一番。大歓声とともに、周囲の氏子の皆さんもラッパと太鼓で盛大に盛り上げていきます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱6御柱の冠に打ち付ける御幣を振りかざして、境内の氏子の皆さんと、鳥居下の階段にぎっしりと集まった観光客の皆さんにノリノリでアピールを繰り広げる大総代さん。朝から殆ど動くことなくこの時を待っていた観光客の皆さんも、ここまで来れば想いは既に一緒。氏子の皆さんに合わせて手を挙げて掛け声をかけていきます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱7大総代の皆さんは此処で柱を降りて、台座が外されるといよいよ本番。

 

御柱に乗った氏子の皆さんは、この時点までに全員足場のロープに安全ベルトのラッチを取り付けています。

一旦静かに息を整えて、いよいよ最大のクライマックス、ワイヤーが静かに巻き上げられると建御柱のスタートです「心を合わせてお願いだ!」。

諏訪大社御柱祭上社建御柱8太鼓とラッパのファンファーレが鳴り響くたびに、ワイヤーは少しずつ巻かれていきます。

胴回り3m近い樅の巨木とはいえ、これだけの人数が乗ると流石に撓んで先の方は垂れ下がってきます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱9まだまだ余裕で柱の上でポーズを決める氏子の皆さん。

諏訪大社御柱祭上社建御柱10ぐいぐいと引き上げられていく御柱。ファンファーレと共に勢いよくおんべを高く掲げていきます。

ワイヤーの巻き上げも、機械に頼ることなく、人力で巻き上げていきます。正に人の力で柱を曳き、据え付けていく、人の想いと力の結集こそが御柱の本義なのでしょう。

諏訪大社御柱祭上社建御柱11準備が始まってから2時間ほど。建御柱が始まって30分ほど過ぎると、御柱は45度程まで立ち上がってきました。境内のボルテージは柱と共に、上昇する一方。皆さんが声と手を合わせて柱に乗る氏子たちを盛り上げていきます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱12いよいよ、柱が櫓の高さに迫ってきました。

足場を気にしながら、振り続けるおんべにも力がこもってきます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱13入口御門の屋根の高さと、柱に乗った氏子のみなさんの高さの関係が判るでしょうか。全長15mを越える柱が、人を乗せたまま、ゆっくりと、ゆっくりと、人の力で建てられていきます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱14垂直に建ち上がるまであともう一歩。御柱に乗った氏子の皆さんも、先ほどまでのように余裕を持って立っている訳にもいかず、柱にしがみつくようになります。柱を支えるワイヤーとロープのテンションもきつくなる、建御柱で最も危険なタイミングがやってきています。

柱の足元では神事を執り行う準備が進む中、それでも、氏子の皆さんがおんべを振るのを止める事はありません。諏訪大社御柱祭上社建御柱15遂に建ち上がった本宮二の御柱。柱にしがみついてた氏子の皆さんが、上へ上へとよじ登っていきます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱16柱の頂上に集まって、不安定な姿勢の中、喜びのポーズをとる氏子の皆さん。6年間の準備の成果が報われた瞬間、境内は大歓声に包まれます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱17柱の足元には、前の御柱を休め(降ろし)、そして新たな御柱の地固めを執り行う事を役目としている、中金子村(現在の諏訪市中洲中金子地区)の氏子の皆さんが集まって、柱が無事に建ち上がり、これから6年間、この地を守ってくれることを祈る神事が執り行われいます。すべての氏子の皆さん、そして観光客の皆さんも、御柱祭が単なる祭りではなく、諏訪を挙げて執り行われる、長く長く続く諏訪の神々へその想いを奉る「奉仕」である事を再認識する瞬間です。

諏訪大社御柱祭上社建御柱19神事が済むと、氏子の皆さんは喜びを爆発させます。

くす玉が割られ、境内に垂れ幕がたなびきます。無事に曳行と建御柱が行えた事への感謝と、長期に渡って奉仕に参加されたすべての氏子の皆さんへの感謝を込めて。人の想いが神に届く事を願う一瞬。

諏訪大社御柱祭上社建御柱20朝8時過ぎから始まった一連の建御柱の奉仕。すっかり日が長くなった5月の日差しが西に傾く午後4時を迎えると、最後は無礼講。時に観光客の方が集まる鳥居下にも投げ込まれる、おひねり投げで終わりを迎えます。

諏訪に在する皆さんの想いが一本の樅の木に宿っていく御柱。

今年の諏訪大社、上社の里曳きと建御柱は5/3~5/5のGW中に実施です。

 

今回ご紹介した、前回の御柱祭で本宮二の御柱を担当した、諏訪郡富士見町、東三地区(落合、境、本郷)の氏子の皆さんが、今回は公式ホームページと、twitterfacebookを開設されています。

ご興味のある方は是非どうぞ(当方は氏子会の関係者ではありませんので、ご質問等につきましては平にご容赦を)。

掲載されております全ての写真は当方の撮影に拠りますが、掲載内容についてのご質問、疑問等があれば、下記コメント欄よりお願い致します。

 

 

曳行順も決まり、いよいよ御柱祭もスタートへ(前回の上社山出しのアルバムより)

曳行順も決まり、いよいよ御柱祭もスタートへ(前回の上社山出しのアルバムより)

New!(2016.6.25):明日6/26(日)のNHKスペシャルで御柱の特集が組まれます。古代史ミステリー 「御柱」 ~最後の“縄文王国”の謎~番組ホームページはこちらです。

 

New!(2016.3.19):上社御柱の綱置場への移動日が決定しました。3/25(金)午前と午後の2回に分けて、辰野町横川の「かやぶきの館」から原村の八ヶ岳農業実践大学校下の綱置場に高速道路(!)を使用して、移動します。当日、諏訪南ICと綱置場ではセレモニーも予定されています。詳しくはこちら(長野日報HP)をご覧ください。

かやぶきの館出発シーン。

こちらは、一番塚に到着した、本宮一の御柱です(地元、玉川のフォロアーの方よりのツイート)。

八ヶ岳と夕日を受ける前宮三の御柱

まだ皮が剥かれていない、前宮三の御柱と八ヶ岳を。

既に氏子の皆さんが忙しく準備を始められています。多くの観光客の皆さんも珍しそうに御柱に上ったり、写真を撮ったりと、楽しまれているようでした(2016.3.27追記)

諏訪大社上社山出し曳行路と来訪マップ

綱置場の場所に関する検索が多いようですので、ルートmapを掲載しておきます。諏訪南ICより、八ヶ岳方向(出口を左折)にズームラインを登っていき、途中、エコーラインと交差する深山交差点で茅野、白樺湖方向に向かって左折してください。約4km程先の一番塚交差点を右折した場所に最初の御柱、本宮一の御柱が置かれています。そこから八ヶ岳方向に登っていくと、次に前宮一、本宮二…の順で八ヶ岳農業実践大学校下が殿の前宮四の御柱です。

当日は、この道を西に山を下る御柱街道を柱が下っていきます。周囲の道路には通行規制が掛かりますので、駐車場所を含めて周辺の誘導に従ってください。当日の詳しい交通情報は諏訪地域のコミュニティFM、LCV-FM(富士見/原村/茅野/諏訪/岡谷:76.9MHz,杖突峠20W)にて開催中の全時間帯を通して放送されるスペシャル番組「御柱ラジオ」でご確認を。

LCV-FM

 

 

 

 

スマホの方はこちらからアプリをダウンロードすれば、御柱最新情報をプッシュ通知してくれますよ。

 

<本文此処から>

あとひと月少々で山出し(4/2)を迎える今回の諏訪大社、御柱祭。

今週の15日には上社の氏子の皆様がやきもきしていた曳行する柱を決める抽籤式も無事終わり、担当地区の皆さんもいよいよ気合が入ってきているようです。

上社御柱綱置場

上社御柱が発進する、八ヶ岳エコーライン、一番塚交差点前。新たに看板が設置されました。

この横から本宮一の御柱が20km先の大社に向けて出発します。

上社御柱綱置場解説看板

解説看板の内容です。八ヶ岳農業実践大学校の入口となるこの交差点、御通りの際には是非ご覧ください。

上社御柱綱置場から八ヶ岳遠望

八ヶ岳方向を望みます。当日は、この道沿いに御柱と氏子の皆さんが大挙して行列することになります。

上社御柱綱置場碑

一番最後に曳行される前宮四の御柱が据え置かれる場所に設置されている綱置場の石碑。本来であればこの場所に曳行までの間、御柱が置かれているのですが、ご承知のように今年は伐り出された、辰野のかやぶきの館に置かれています。

曳行する柱も決まったところで、当時はブログをやっていなかったので掲載していなかった、前回の御柱祭で撮影した、上社山出しのシーンをご紹介します。

もう少し気温が下がれば大雪になったのではないかという程の冷たい土砂降りの雨が降り続ける2010年4月2日の金曜日。殆どが氏子の皆さんと地元の方で占められた八ヶ岳農業実践大学校前の綱置場をスタートする各柱の躍動感あふれるシーンにすっかり魅了されて、結局5月の建御柱まで追い続けるきっかけとなった貴重な初めての体験の一幕を(画像をクリックするとフルサイズで表示されます。撮影は全てE420です)。

諏訪大社上社御柱山出し1まさに綱置場(先頭なので、既にエコーラインとの交差点付近に引き出されています)を発進する、前回の本宮一の御柱。大総代さんを中心にして全員で気勢を上げています。

全ての関係者にとって憧れの、最も太く、力強い本宮一の御柱を、まだ無垢の御柱街道を先頭に下っていく栄誉を担う曳行を担当したのは、諏訪市湖南・中洲地区の氏子の皆さんです。今回は本宮二の御柱の曳行を担当します。

諏訪大社上社御柱山出し2前後でおんべを振りながら拍子を合わせていく氏子の皆さん。

辺りは霧で真っ白でした。

諏訪大社上社御柱山出し3定刻までたっぷりと木遣とラッパで盛り上げた後、いよいよスタート。大人数で引き出す巨木は目の前を驚くほど速いスピードで駆け抜けていきます。

諏訪大社上社御柱山出し4おんべを振りながら猛然と目の前を駆け抜けていく、前宮一の御柱。今回、96年ぶりとなる念願の本宮一の御柱曳行の栄誉を担う事となった、諏訪市四賀・豊田地区の氏子の皆さんです。

諏訪大社上社御柱山出し5地区の皆さんがこぞって参加される御柱の曳行。

このようにして、親綱に子綱を結びつけて、あの巨大な御柱を人力だけで曳いていくのです。

諏訪大社上社御柱山出し6赤松の木を避けながら曳行を続ける本宮二の御柱。担当するのは富士見町落合・境・本郷地区の氏子の皆さんです。今回は本宮三の御柱の曳行を担当します。

諏訪大社上社御柱山出し23メガホンからの指示に合わせて、力を合わせて曳いていきます。

諏訪大社上社御柱山出し7上社の曳行というと、どうしてもめどでこに乗った若衆が花形ですが、こうして引綱を巧みに操りながら御柱を支えていく衆こそ、本当の主役。

建御柱途中の風景本宮二の御柱が上社に運び込まれた後、建御柱のシーンです。身動きすることも出来ないくらいぎっしりと集まった観客の中、朝から柱が立ち上がる最後まで観てしまいました(建御柱の写真はいずれまた)。

諏訪大社上社御柱山出し8そして、雨の中、めいめいが力を合わせて子綱を曳いていきます。

諏訪大社上社御柱山出し9めでこは前後に2本。若衆が群がり乗るめどでこを脇から綱で支えながら、御柱の曳行は進んできます。前宮二の御柱を曳行するのは綱置場の地元、原村・茅野市泉野地区の氏子の皆さんです。今回は最も大変な本宮四の御柱の曳行を担当します。

諏訪大社上社御柱山出し10前の御柱が渋滞すると、暫く木遣もラッパの音も静かになりますが、前に進むスペースが空けば、大きな木遣と掛け声とともに一気に前に進んでいきます。拍子を合わせておんべを振る手にも力がこもります。

諏訪大社上社御柱山出し11一斉におんべを振り上げる若衆の皆さん。本宮三の御柱を曳行するのは、上社最大の氏子を擁する、茅野市宮川・ちの地区の皆さんです。今回は殿を務める、前宮四の御柱を曳行します。

諏訪大社上社御柱山出し12霧の空の下、気勢を上げながら、めどでこに乗った若衆達によって鮮やかなおんべが振り掲げられます。

諏訪大社上社御柱山出し13雨が激しさを増す中、それでも子綱を手に取る人の波は続いていきます。

諏訪大社上社御柱山出し14綱置場付近の道路は2車線とはいえ、めどでこを付けた御柱の幅はその広い道幅すら超えてしまいます。

右へ左へと御柱を揺すっているうちにバランスを崩す事も。綱捌きの技が試されるシーン。

諏訪大社上社御柱山出し15氏子の皆さんが一斉に駆けつけて、体制を立て直しにかかります。

怒号が響く中でも、めでこに乗った若衆達のパフォーマンスが止まる事はありません。

諏訪大社上社御柱山出し16一旦、めどでこから降りて体勢を立て直す前宮三の御柱を曳行する茅野市金沢・富士見町富士見地区の氏子の皆さん。死亡事故も稀ではない危険な御柱の奉仕(前回も下社の建御柱で落下事故が起きています)。それ故に、常に念頭に置かれるのは安全第一、それでも曳行中のハプニングはいくらでもあります。今回は前宮一の御柱曳行という大役を担います。

諏訪大社上社御柱山出し17パステルカラーの法被にピンクのおんべとカラフルな色使いが楽しい、本宮四の御柱を曳行する茅野市北山・米沢・湖東地区の氏子の皆さん。背中に三友会と書かれた裾の長い揃いの法被を着た氏子の皆さんは曳行中でも特に目立ちます。

諏訪大社上社御柱山出し18メンバー自体も若々しさが感じられる曳行風景。めどでこを左右に振り回す派手なアクションは余り見られませんが、めでこに大人数がのってゆっくりと曳いていく皆さんは、何だか楽しそうです。前回は建御柱は境内の裏手、しかも山側となるため地味な割に曳行も建御柱も最も大変な担当でしたが、今回は最短距離?となる前宮二の御柱を担当します。

諏訪大社上社御柱山出し19本宮一の御柱から離れる事、約2km。八ヶ岳農業実践大学校すぐ下のポジションまで傘も差さずにずぶ濡れになりながら上がってきました(単なるバカ)。

道一杯に広がる雨合羽を着た大楽団を率いて殿を務める、前宮四の御柱が見えてきました。

諏訪大社上社御柱山出し24本宮一の御柱の曳行が始まって既に2時間以上、皆さんずぶ濡れになりながら、行進を奏でていきます。

諏訪大社上社御柱山出し20沢山の氏子の皆さんに囲まれた御柱が目の前に迫ってきます。

茅野市豊平・玉川地区の氏子の皆さんです。どうしても最後の御柱は曳く側も腐り気味になるそうですが、大切な大社の四隅を守る御柱。みんなで力を合わせて曳いていきます。

諏訪大社上社御柱山出し21最後ともなると、前方の渋滞もひどくなるため、ノロノロノ曳行。

それでも前にスペースが空けば、待ってましたとばかりに、にぎやかに演奏の音を奏でながら一気に曳き出してきます「心を合わせてお願いだ~!」

諏訪大社上社御柱山出し22最後の御柱を見送って。今回は一つ繰り上がって前宮三の御柱の曳行を担当します。

延長2kmにも渡る氏子さんの大集団が道を埋め、人の力だけで樅の巨木を曳いていく。遥か平安時代以前にまで歴史を遡る事が出来るという、驚嘆の神事、御柱祭のスタートを飾る山出し。

この後、20kmにも渡る沿道を曳き下げられた御柱は大曲がりを経て、名物の木落とし坂に向かう訳ですが、それは別の日のお話という事で。

場所が場所故に訪れる方も少なく(前回は平日でしたし…)、観て楽しいという訳ではないですが、眼前に次々に曳行される御柱を見続ける事になる、御柱の奉仕としての素朴さが最も色濃く残っている山出し。下社の山出しは山中で行われるので氏子さん以外は近づく事が難しいですが、上社の山出しはある程度のスペースもありじっくり眺める事も出来ると思います。有料観客席では絶対に味わえない、直に御柱に触れる事が出来ても優雅な下社の里引きでは感じる事の出来ない、本当の御柱の迫力がここにはあるように思えます。

あ、もし子綱をいっぱい首や腰から掛けた氏子さんがいらっしゃったら勇気を持って声を掛けてみてください。運が良ければ、曳行したのと同じ御利益が得られると云われる子綱を分けて頂けるかもしれませんよ(建御柱の冠落としの木屑と共に御柱祭に交わる事の出来た、大切な記念になる筈ですよ)。

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ちょっと早いスタートを切った来年の御柱を迎えに(辰野町横川の上社御柱仮置場へ)

ちょっと早いスタートを切った来年の御柱を迎えに(辰野町横川の上社御柱仮置場へ)

New!(2016.6.25):明日6/26(日)のNHKスペシャルで御柱の特集が組まれます。古代史ミステリー 「御柱」 ~最後の“縄文王国”の謎~番組ホームページはこちらです。

 

New!(2016.3.19):上社御柱の綱置場への移動日が決定しました。3/25(金)午前と午後の2回に分けて、辰野町横川の「かやぶきの館」から原村の八ヶ岳農業実践大学校下の綱置場に高速道路(!)を使用して、移動します。当日、諏訪南ICと綱置場ではセレモニーも予定されています。詳しくはこちら(長野日報HP)をご覧ください。

 

来年の春に行われる諏訪の一大行事、御柱祭。

その主役でもある御柱はモミの木と決まっていますが、あのような立派な木がどこから運ばれてきているかご存知でしょうか。

建御柱途中の風景下社は今でも霧ヶ峰の麓、木落とし坂の背後に広がる社有林、国有林から伐り出されていますが、実は上社の御柱は諏訪の外から運ばれてきています。その理由は、少し時代を遡る伊勢湾台風の際に、伐りだしを長年行っていた八ヶ岳西麓の御射山及びその付近の山林で倒木の被害が相次ぎ、御柱に要する大木(本宮一ともなると、樹齢200年クラスが必要です)が確保出来なくなってしまったという厳しい現実があるのです。

それ以来、各所からモミの大木を調達することに奔走するのが上社総代の皆様の大切な作業となってしまった訳で、前回は同じ八ヶ岳でも北麓に当たる旧立科町から何とか調達したのですが、そんな大木は八ヶ岳山麓でもそう易々と残っていない(下社の場合でも、年々周囲の山林を買い取って社有林にしています)訳で、今回は遂に八ヶ岳山麓からの調達が出来なくなってしまったのです。

では、今回の御柱となる木は何処から調達したのでしょうか、北欧、ロシア…流石にそういう訳にもいきませんので、長野県内からの調達なのですが、ちょっと意外な場所からもたらされることになりました。

横川の橋のたもと塩嶺を越えて南に下ると、枝垂れ栗で有名な辰野町へ、そこから更に南に下ると、西に開いた小さな谷戸が伸びていきます。流れる川は上流にダムがある、横川と呼ばれる川です。

かやぶきの館に続く道集落を抜ける県道とは別に敷かれた、上流にある町営の宿泊施設に続く側道には、そこかしこに「祝 御柱祭」の幟が立っています。

横川かやぶきの館2側道を山の際まで上り詰めると見えてくるのが、大きなかやぶきの建物。

こちらにも御柱祭の幟が立っています。

横川かやぶきの館日本一おおきな茅葺屋根の建物としても知られる、辰野町営の宿泊施設「かやぶきの館」です(此処に来たの、実に10年ぶりくらい)。県道からかなり入った、周囲に観光スポットもない、谷沿いのどん詰まりの場所に立つこの施設ですが、観光物産所や日帰り風呂があるためでしょうか、夕暮れ近くにも拘わらず、途切れることなく車が出入りしています。

かやぶきの館の上社御柱仮置き場かやぶきの館の駐車場脇に注連縄で囲われた結界の中に置かれた、次の上社御柱たち。

かやぶきの館の上社御柱高札次の、信濃国一宮諏訪大社の式年造営御柱大祭で用いられる用材である事を示す高札。

本来であれば、八ヶ岳の西麓から伐り出されるはずの御柱の今回の調達先です。そして、本来であれば山出しの直前までこのような形で置かれることは無いのですが、実際に伐り出した場所は険路ににして降雪地(そうでもなければこれほどの用材を手に入れる事は既に困難なのでしょう)。慣例に基づく伐り出しでは余りにも危険すぎるため、やむを得ず降雪前に伐り出した次第。折角伐り出したのだからという事で、辰野の皆様にも観て頂こうと、こうして町営施設の前に置かれることになったのでした。

伐り出された上社本宮の御柱こちらが上社本宮の次の御柱たち。斧の跡もはっきり残っています。

年輪も詰まった、立派な木です。

伐り出された上社前宮の御柱こちらは上社前宮の次の御柱たち。本宮より少しスリムな木ですが、それでも貴重な4本です。

かやぶきの館に置かれた上社御柱の全景合計8本の御柱全景を。

特に上社の方については、長さが少々短いようですが、これだけの用材を調達できる場所は極めて限られていたはず、総代の皆様、関係者の皆様の御苦労がしのばれます。

上社御柱山出し遠く辰野の山中で調達された今回の御柱。

八ヶ岳の懐に位置する八ヶ岳農業実践大学校の前にある山出しの開始点、綱置場に据え置かれるまでの間、かやぶきの館の前でひと冬を過ごすそうです。

イレギュラー尽くめの上社の用材調達のちょっとした落穂ひろいですが、気の早い来年の話であっても、御柱が大好きで、少しでも早く観たい、感じておきたいとお考えの方には、モミの木ゆえに、クリスマスプレゼントなのかもしれませんね。

上社御柱仮置き場所map

上社本宮から、今回の仮置き場までのルートマップ。

有賀峠から辰野の市街を抜けて、国道153号線を北上、信濃川島駅前の交差点を「横川ダム」方向に左折します。途中、横川に掛かる境橋を渡った直後に「かやぶきの館」への案内看板が出ていますので、指示に従って川沿いの側道を進むと、5分ほどで到着します(道幅が狭いので、対向車が来た際には寄せてあげて下さい)。

只今苦戦中「龍蛇神 諏訪大明神の中世的展開」(原直正 人間社)

只今苦戦中「龍蛇神 諏訪大明神の中世的展開」(原直正 人間社)

Twitter等でこちらの書名をご覧になってサイトに訪問されている方にお詫びです。

龍蛇神 諏訪大明神の中世的展開

余りに異色な内容の為に、出版自体が奇跡的ともいわれる本書「龍蛇神 諏訪大明神の中世的展開」(原直人著・人間社)。諏訪地域では比較手簡単に入手できますので購入したのですが、これが読むには余りにもハードルが高い一冊。

冒頭から著者の「宇賀神」こそは中世諏訪大明神(決して諏訪大社とは記述しません)の核となる信仰対象であったとの固い信念に基づいて、傍証を積み上げていく内容なのですが、そもそも「宇賀神」の知識が無いと読めない内容ですので、中世信仰に素養の無い人間には全く歯が立たない内容です。

それでも、判らないなりにも何とか纏めてみようかと考えておりますが、今しばらく読破するには時間がかかりそうな一冊です。

決して著者の記述が読みにくい訳でもなく、この手の地方出版物(版元は名古屋)にしては破格とも言ってよい装丁、編集、製版水準ですし、図版も豊富ですので安心して手に取られて良いかと思います。

但し、内容が楽しめるかどうかは皆様のご興味の分野と水準に委ねられそうですが(私には歯ごたえが少々強すぎです)。

夜な夜な悩みながら今日もページをめくっています。