今月の読本「フォッサマグナ」(藤岡換太郎 講談社ブルーバックス)深海から挑む列島を分断する大断面の謎

今月の読本「フォッサマグナ」(藤岡換太郎 講談社ブルーバックス)深海から挑む列島を分断する大断面の謎

 

New!(2018.10.30)

New!(2018.9.21)

本書の内容とも極めて関連する、フォッサマグナの北西端に位置する、糸魚川-静岡構造線の糸魚川地域の地質図の更新が完了。その結果、構造線の北端はその後の時代に作られた断層によって横切られており、プレート運動による境界ではない(北端部だけですが)と否定される検証結果が示されました。

-引用ここから-

近年、糸魚川-静岡構造線と日本海東縁の変動帯をつなげた地域をユーラシアプレートと北アメリカプレートの収束境界とする例が多いが、今回の調査により、最北部の糸魚川-静岡構造線は直交する新しい断層群によって寸断されてその活動は終了しており、構造線の両側の地域が一体化して隆起していることが明らかになった。このことから、糸魚川-静岡構造線の最北部はトランスフォーム断層や衝突境界ではない。つまり「白馬岳」、「小滝」、「糸魚川」地域の糸魚川-静岡構造線は、プレート境界ではないことが明らかになった。

-引用ここまで-

詳細な解説が図入りで示されていますので、ご興味のある方は本書と併せて、是非ご覧頂ければと思います。

 

<本文此処から>

私が居住する八ヶ岳南麓、その西方には長大な山脈が壁の様に長々と山裾を伸ばしていきます。

明治の初め、平沢峠に立ったナウマンが眼前に聳え立つその姿から思い至った、巨大な地溝帯フォッサマグナの西壁。

今やすっかり用語として普通に使われるようになった活断層とは違う。中央構造線や糸魚川-静岡構造線とも違う。学生時代の授業では当たり前のように使われる用語にも拘らず、ちゃんと説明できる方は、実はかなり少ないのではないでしょうか。

列島の真ん中にドカンと居座り、日本の中枢、東京首都圏の過半がその範疇にありながらもその姿が今一歩判りにくい、フォッサマグナとその成立の解説に敢えて入門書として挑んだ一冊のご紹介です。

フォッサマグナ」(藤岡換太郎 講談社ブルーバックス)のご紹介です。

本書の著者、藤岡換太郎先生はブルーバックスだけでも既に4冊もの著作を有されている方。同新書の地学シリーズ著者としてはお馴染みの存在です。専門は地球科学としていますが、どちらかと言うとJAMSTECに所属されていた際の深海探査や海溝の研究など、海洋の地殻運動に造詣が深い方と言ったイメージが強いでしょうか。JAMSTECの地元、有隣堂の新書シリーズ、有隣新書にも共著を含む多数の著作を有されています。

手練れの執筆者である著者にしてその執筆に大いなる躊躇を踏む事になったフォッサマグナの解説。地理探偵よろしくと述べた著者は本書でその成立の謎について私論と題した一節を設けて解釈を試みていますが、その過程を「地理屋のいも料理」(ごった煮と言う意味でしょうか)と称し、その特異性への言及に至っては漫画以上に荒唐無稽であると持論を卑下されてしまいます。

表題や帯の通りには答えてくれない内容となる一冊ですが、それでも本書を読むメリットは些かも失われません。それは判っているそぶりをつい見せてしまう「フォッサマグナ」の、何が分っていなくて、何故特別なのかを改めて教えてくれるからです。

フォッサマグナの中央にどかりと居座る八ヶ岳とその北東に今も噴煙を上げて聳える浅間山。二つの火山と、南の海からやって来た伊豆半島に押し上げられた先端で美しい裾野を広げる富士山と東に控える広大な箱根から噴火した膨大な噴出物。更には南から一緒に連れてこられた丹沢山塊によって、フォッサマグナが覆い被されてしまっている事はよく知られているかと思います。ではそれがどの範囲まで広がっていて、何処まで深く続いているか。更には日本を大きく南北に分かつと謂われる中央構造線はフォッサマグナの西の淵である糸魚川-静岡構造線に収斂するのかそれとも何処かに繋がっているのか。果たして本当に日本列島は二つに分かれていたのか。

東西、南北で異なる地質や成立過程など判っている部分と、なぜ判らない部分があるのかもはっきりと書かれており、人類どころか生物達の年代スケールを遥かに超越する運動の推移を追求する地球物理学、地質学の難しさが実感できるかと思います(それにしても僅か10年で現在でも通用する本州以南の地質図を作り上げてしまったナウマンの強靭な健脚と仕事の早さ)。そして、ナウマンが生きた時代にはまだ荒唐無稽どころか空想の範疇であったプレートテクトニクスによるフォッサマグナの解釈。世界の深海を制覇した著者ならではの視点で、房総沖の深海に密かに眠る世界唯一の海溝三重点こそがそのカギを握るとの認識を添えて、フォッサマグナ成立の謎について著者の説(いも料理)が供せられていきます。

その地に住んでいながら、なかなかに理解しにくい地理のテーマについて、ナウマンがその発想に至った地、平沢峠を振り出しに地球スケールまで広げながら丁寧な解説を加えていく本書。

フォッサマグナの成因は依然として闇の中なのですが、著者がその理由として(確信の一つとして)採り上げたホットリージョンとスーパープルームについてやっと満足できる(私の至らない知識ベースではちんぷんかんぷんだったのです)解説を読む事が出来た点だけでも大満足だった一冊。更にサービス精神旺盛な著者は、日本の東西であらゆる物事が違う理由はフォッサマグナが原因なのかという小ネタの類にまで答えてくれます(文化地質学という分野、知りませんでした)。

壁のように聳える南アルプスの山々。

膨大な力が押しあい、沈み込む中で作り出され、今も作り続けられる自然の驚異を日常の一片とする我々の生活する大地の下にどんな謎が潜んでいるのか。その大いなる恩恵に浴しながら、何時起きるか判らない災厄とも隣り合わせに暮らしている。時にその源にも意識を向けてみるのも良いかもしれません。

有隣新書は大好きで何冊も持っているのですが、手元にあった著者の最新刊からと、フォッサマグナを知るためには是非訪れて欲しい、糸魚川のフォッサマグナミュージアムで購入出来るガイドブック(内容はやや古いです)。図版などは本書でも引用されています。

お時間のある方でしたら、フォッサマグナの縁を添って形作られた糸魚川-静岡構造線、その特徴を表す「露頭」を探して旅をしてみるのは如何でしょうか。本書でもコラムで取り上げられている各地のジオパークを繋ぐように南北に連なるその姿を地上に表す露頭。動き続ける大地の鼓動が身近に手に取れる場所です。

今月の読本「科学者はなぜ神を信じるのか」(三田一郎 講談社ブルーバックス)物理学史で綴る、数学が描く神の法則と残された摂理への想い

今月の読本「科学者はなぜ神を信じるのか」(三田一郎 講談社ブルーバックス)物理学史で綴る、数学が描く神の法則と残された摂理への想い

1963年創刊の新書シリーズ、講談社のブルーバックスは、科学が大好きな方にとって、学生時代から常にその何冊かを手元に置き続けたシリーズだと思います。急速な進化を遂げる分野を扱うシリーズのため、扱われる内容も編集方針も大きく変化していく中、デザインを含めて、テーマ選定もリニューアルが頻繁になってきたブルーバックスとしても、ちょっと意外に思われる一冊をご紹介します。

科学者はなぜ神を信じるのか」(三田一郎 講談社ブルーバックス)です。

著者の三田一郎先生は学生時代に両親と共にアメリカに居住し、そのままアメリカの大学、研究機関(フェルミ国立加速器研究所に在籍されていた事もあります)を経て、日本の大学での教職に就かれた方。日本でも有数の素粒子物理学者ですが、もう一つの顔として、クリスチャンとして教会の協力助祭(終身助祭)を務められている方でもあります。

本書は、もう一つの顔としての側面、クリスチャンとしての視点からみた、自らの業績にも繋がる、連綿と続く数学と物理学の歴史を人物史として読み解きながら、その発見に至る経緯の中で、彼らがどのように神の存在と向き合っていたのかを描いていきます。同じようなテーマの本は人文書にも何冊かあるかと思いますし、その著者がクリスチャンでる事も珍しくはないかとは思いますが、本書は日本人の物理学者、しかも聖職にある方による一冊と言う点が極めて珍しいかと思います。

ブルーバックスと言うフォーマットを考慮して、科学的視点は充分に盛り込みながらも極力平易に説かれる、コペルニクスから始める物理学の推移を綴っていく本書。日本人には判りにくいクリスチャンとしてのキリスト教の教義について冒頭の一章を割いて解説されますが、この内容から、本書はある重要な視点で貫かれている事が判ります。章末に死海文書の発見と修復の経緯を敢えて採り上げて、聖書の写本に対する異常なまでの正確さから説き起こしていく、信仰心としての神の存在と、その姿が綴られた聖書は、教会という組織や宗教という人が為した存在とは峻別して扱わなければならないという点。これらを渾然と扱ったり、両者を取り違えて扱うと、これまで多く述べられてきた科学者と信仰と言うテーマそのものを読み誤ってしまうという事が、本文中で繰り返し見出されていきます。

聖書に描かれていた内容から出発して自然法則を見出していく中、彼らは決して神の存在やその業を否定はしていません。むしろ、聖書を鵜呑みし、誤った理解に基づいた、人の集まりである教会や宗教者達がその想いを歪めてしまった事を指摘します。ギリシャ哲学による極めて科学的な視点で捉えられていた内容が、ローマ文化による変質と低迷を迎えた先に誤った理解へと導かれてしまったことを、ガリレオ裁判の経緯から明確にしていきます。その先にある、自然法則を神の言葉である数学としての方程式で表していくニュートンと、観測によってその姿を捉えようとしていくケプラー。測定、観測技術の進歩と共に、その事象へと繋がる原理を描く数学と、目の前に捕えた事象を表現するための数学という二つのアプローチが出てきますが、物事の根源へ至る想いは変わりません。其処には彼らの想いの側に常に神の存在が意識され続けた事を示していきます。そして、聖書に描かれた内容と実際との違いに触れる一方で、聖書としての神から与えられた啓示の捉え方が変わっていく、その過程で聖書の説く倫理観自体には何ら変わりはない事を明示していきます。

此処までは古典物理の上でのお話。丁寧に描かれる物理学的な記述も高校卒業程度の理解力で付いていく事が出来ますが、大きな曲がり角であるアインシュタインを扱う章からは、扱われる事象も、そのテーマに挑んだ科学者たちの神に対する認識も大きく変わっていく事になります。神の業ともいうべき、聖書に描かれた数々の説話を一つ一つ乗り越えていく過程から、神の摂理そのものに触れ、更には神の否定へと突き動かされる姿に迫っていく事になります。

この先の内容について、一応、物理学的な事象について理解できなくても読み進められるように配慮はされていますが、極力易しく表現されているにしても、直近のテーマについては第一人者の一人である著者ですら難解なとコメントせざるを得ない領域まで物理学的な議論を進めていく本書。ちょっと敷居が高くなっていく後半、本文は著者の専門でもある素粒子物理学の展開とアインシュタインや彼に続く科学者たちの理論展開と言うテーマに譲って、本書のテーマとなる科学者と神と言う内容はコラム的に取り纏められていきます。中でも本書の白眉と言える、著者の訳による物理学の巨星たちが語る神と物理学が葛藤する相克の断片を綴る「ソルベイ会議の夜」と呼べるであろう妙録と、晩年のディラックの変心。神の業を表現する手法である数学を用いて解き明かした先に、この宇宙における物理法則と言う形でその為し得た全容を描けるというスキームを受容していく姿を採り上げていきます。

ディラックの変心を採り上げた著者の想い。その想いは著者自身が50代に差し掛かってから改めて信仰に立ち返ったと述べている転機に繋がるもの。著者の研究における転機にある、ディラックの反粒子と、反物質に対してほんの僅か多く存在した物質から全てが生まれたとする仮定に対する、その僅かさの中に神の摂理を見出したことへの感慨を述べていきます。本書の帯にはノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊先生の一言が添えられていますが、著者が信仰への想いを告げた際に小柴先生が応じた懸念に対する回答として綴られた内容とも思える、科学者としての著者が神の差配を感じた瞬間。

歴代の科学者たちの最後に登場する、無神論者として評されるホーキングの態度とその研究成果について、専門家である著者が検証を加えながら(想定される読者が理解できるぎりぎりの範疇で)、過剰なまでの神を否定する思考に対する裏返しとして、強い神の存在への意識があったのではないかと評する、素粒子物理学者、クリスチャンとしての著者。最後に綴る、神の存在が思考停止と盲従を生む源泉であるという議論に対して、自ら学び、理解する事を旨として掲げた科学者として、そのような事は決してありえないと強い否定を述べた上で、むしろ何処までも手の届かない神の存在こそが、謙虚にその摂理を一つ一つ自然現象として解き明かしていく原動力となり得ると記して筆を置きます。

神の言葉である数学を操り、同じく神の啓示である聖書の忠実な注釈者、伝達者である事を願う助祭としての著者が、科学者たちが捉えようとしていた内容と、其処に込められた神の存在への想いとを綴る、少し前のブルーバックスのフォーマットを思わせる、より科学的な読み物としての側面にフォーカスした一冊。

後半を読みこなすのはちょっと大変ですが、優しく丁寧に書かれた宇宙物理学の歴史としても楽しく読める一冊の行間に込めた、著者の神への想いに触れながら夏の夜空に広がる星空に思いを馳せると、科学者達が追い求めたその姿が今までとは違って見えて来るかもしれません。

今月の読本「灯台の光はなぜ遠くまで届くのか(原題:A Short bright flash)」テレサ・レヴィット:著 岡田好恵:訳 講談社ブルーバックス)人物史と科学技術史が語る、受け継がれたその閃光は、今も導きの光を放つ

今月の読本「灯台の光はなぜ遠くまで届くのか(原題:A Short bright flash)」テレサ・レヴィット:著 岡田好恵:訳 講談社ブルーバックス)人物史と科学技術史が語る、受け継がれたその閃光は、今も導きの光を放つ

積読から脱却しつつも、ついつい新刊本に浮気をしてしまう悪い性分。

今回ご紹介する一冊も、twitter上での紹介文と素敵な表紙に惹かれて、読むあてもなくつい買ってしまったのですが、読み始めると他の積読本を後回しにしてしまう程、実に楽しい一冊でした。

科学入門書の中でも老舗中の老舗、学生時代からお世話になり続けた、講談社ブルーバックスの最新刊からご紹介です。

灯台の光はなぜ遠くまで届くのか灯台の光はなぜ遠くまで届くのか(原題:A Short bright flash)」テレサ・レヴィット:著 岡田好恵:訳 講談社ブルーバックス)です。

本書はブルーバックスの中では異色の、科学技術そのものを扱った内容ではなく、副題にあるフレネルレンズの発明者にして、偉大なる光学研究者でもあるオーギュスタン・フレネルと、彼の発明の恩恵を最も受けた灯台の発展史を一冊の本に纏めた「科学史」の読本です(正式な題名はA Short bright flash Augustin Fresnel and The Birth of modern lighthouseで、邦題とは大分ニュアンスが異なります)。

本書は原題にあるように、前半はフレネルの閃光のような僅か39年の半生とその研究開発成果、フランスにおける近代的な灯台システム(灯台を軸に置いた、沿岸海域における船舶航路、航行標識体系とでも呼んだ方がいいでしょうか)構築端緒の物語と、南北戦争前から戦中のアメリカを舞台にした、近代灯台システム導入と南北戦争という二つの物語が語られていきます。このため、表題にある様な「なぜ遠く」という、如何にもブルーバックスが好きそうな技術的な課題を解いていくという話が中心として語られる訳ではありません(そのため、当時を物語る精巧な図版は多く用いられますが、数式はほぼ出て来ません)。

ブルーバックスらしい表題とはちょっと様相の異なるテーマが綴られる物語は、著者の丁寧な取材と巧みな筆致により構築された、読物としての人物史にして科学技術史。

薄幸の代表格的な結核持ち(このネタが語られる一節でくすっと出来た方は、文学好きですね)で、少しオタクがかった主人公のフレネルに、情熱と野心を併せ持つ信頼すべき力強いパートナー、アラゴ。そして、フレネルが対峙することになる、物理学に造詣がある方なら誰しも知っている錚々たるフランス科学アカデミーの面々。相変わらずいがみ合う対岸のイギリスと、その中でもフレネルの成果に着目するスティーヴンソン。著者の生き生きとした筆致が当時の科学者たちの情熱と息吹、疑念と嫉妬を伝えてくれます。理論物理学の研究者としては超一流ではないが、子供の頃から器用であらゆる実験器具を作ってしまうフレネル。自身の理論を実験で証明して見せようと実験器具を作りながら、その理論を深めていく彼の特性は、現在の研究者の卵たちに求められる素養とほとんど同じである事が判ります。そして、学会の重鎮への反目もあってフレネルと組む事を選択したアラゴ。力のあるパートナーを得た事で、フレネルの実験は科学的探究からさらに前進して、実際の技術、灯台用の光源としてフレネルレンズと呼ばれるより強い照明を生み出す(光を絞り込む)光学的手法を編み出すことに踏み込んでいきます。更には航路標識システムとしての灯台照明の開発。明弧の間隔設定や現在でも用いられる光の強さの等級設定(第n等フレネルレンズ)の組み合わせによる、フランス海岸部分を全てカバーする灯台による灯火標識システムを構築していきます。

ナポレオン革命前後の激動の19世紀フランスを生きたフレネルは、自らが準備した灯火標識システムの完成を見ることなく、僅か39歳で亡くなってしまいますが、彼の残した偉大なる成果は、その後継者たちに脈々と受け継がれていきます。彼の弟、レオノールの手により、フランスの灯火標識システムは完成。彼が苦心して育てたガラスメーカーもレオノールの管理、指導の段階からステップアップを果たして、フランス、そしてイギリスでそれぞれ独自の発展を遂げていきます。両国が開催した万国博覧会の目玉展示として、同じようにフレネルレンズが設置されたように、ヨーロッパが海洋帝国として大きく飛躍した根底に、フレネルの為し得た技術と、それをシステムとして大きく普及させたフランス、イギリス両国の国を挙げての威信を賭けた開発競争があったようです。

本書が表題のように、フレネルの伝記と、彼と灯台に纏わる物語を描くだけであればここで終わっている筈です。しかしながら、著者はミシシッピ大学で歴史学の教鞭を執る科学史の研究家。本書の後半はフレネルの物語から大きく離れて、アメリカにおける灯台の時代史へと大きく舵を切っていきます。

当時の世界の片田舎、まだ太平洋に到達していない東海岸を中心としていたアメリカの遅れた灯台事情と、フレネルレンズを用いた照明を頑なに受け入れない当時の政治状況を、こちらも前半同様に豊かな人物描写を駆使して語っていきます。何とも悲しい理由で灯台の近代化が遅々として進まないアメリカのお家事情。著者の母国でもあるためでしょうか、歴史家としてのその筆致は、時に憂いを込めた辛辣さすら感じられます。それでも、船乗りたち、そしてもっとも安全な航海に対して敏感な海軍の軍人たちの粘り強い働きかけ(最後の一押しとなった事件と、その後の検証への道筋は、やはりこのルートを辿るのかと、技術導入を手掛ける方なら誰しも納得してしまうエピソードでしょう)によって、遂には全面的にフレネルレンズを用いた灯台と灯火標識システムへの切り替えに踏み出すことになります。ここで日本人読者にとってちょっと嬉しいのは、僅かではありますが条約灯台の話題が触れられる事と、最初にヨーロッパの進んだ蒸気機関船舶と灯台を調査する為に派遣されたのが、ペリーである事が紹介されている点です。新技術の導入について常に先進的であった彼の経歴をご存知の方なら、フレネルレンズを用いた灯台の導入の端緒にもペリーが居た事に対して、思わず頷かされるのではないでしょうか。

更に、著者の現在の奉職先からいって欠かす事が出来ない点もじっくり語られます。南北戦争における南部の灯台における争奪戦と、灯台守たちの活躍の記録。万国博覧会で展示されるほどに重要視された工業力の粋を集めたフレネルレンズとその駆動部は、両軍にとっても金銭に替え難い貴重な品。しかも、その光は敵味方何れも重要拠点へと導いてしまうため、両軍による激しい争奪戦と、レンズの隠匿、そして自らの手による破壊が行われてしまいます。暗闇が広がる南部の海岸線、その中でも、灯台の光は等しく船を導くものであり戦争とは関係ないと投光し続けた灯台守たち、追い込まれて消灯や破壊に至ってしまった灯台の物語も語られていきます。

歴史の荒波に揉まれながらも、安全な航海を守るために光を燈し続けた灯台と、その光を絞り出すフレネルレンズ。鯨油や石炭、石油ランプに頼ることなく、高輝度の照明が得られるようになり、レーダーによる航行が当たり前となった今、灯台の重要性が低下することで、既に第1等フレネルレンズの製造が止められている事は、御存じの方もいらっしゃるかもしれません。それでも、フレネルの残した偉大なる遺産は、彼の編み出したシステムに則って、今も海の安全を守るために、闇夜の海を照らし続けています。

彼の生き様と、その後の発展への曲折のストーリーを綴る本書。そこからは、研究者、技術者を目指す誰しもが直面する課題と、それを乗り越えていった人々の物語が浮かび上がってくるようです。彼が解き放った光の道筋が、後に続くエンジニアたちの道標となる事を。

<おまけ>

本ページでご紹介している、本書に関連する書籍を。

ブルーバックス「Q&A 火山噴火」全文無料配信のおしらせ

New!(2015.9.12):長らく絶版となっていました本書が、9月に第2版として内容を改めて復刊することになりました。復刊に当たって、講談社のサイト「現代ビジネス」に改訂版の一部内容が6日間連続で連載されています。

ご興味のある方、初版が入手できず入手をご希望されていた方は、是非ご覧頂ければと思います。

発売開始はは9/21の予定です。

—本文此処から—

既に各所に情報が流れておりますが、この度の御嶽山噴火に伴って、要望が急増していたであろう、絶版中の日本火山学会の編纂によるブルーバックス「Q&A火山噴火」が期間限定で全文公開されることになりました(フォーマットはPDFです)。

以下に講談社によるリリース文を掲載します。

—引用ここから—

今回の御嶽山噴火で、改めて自然の脅威を思い知らされ、活動中の火山への監視体制の強化の見直しが求められています。
一方、趣味としての登山の普及など、山々と親しむ機会の増えている現状を考えると、私たち1人1人が、火山に関する最低限の知識をもつことも重要だと思います。

ブルーバックスでは、2001年に刊行し、現在は品切れとなっている『Q&A 火山噴火』を、編者である日本火山学会の賛同を得て、「はじめに」から第9章までの全10ファイルに分けて全文無料配信します(11月30日までの期間限定配信です)。
御嶽山については、第2章および第4章に若干の記述がありますので、ご参照ください。

今回の噴火で犠牲になられた方々に衷心から哀悼の意を捧げます。

ブルーバックス出版部

Q&A 火山噴火—引用ここまで—-

お読みになったことが無い方は、この機会に是非ご一読いただければと思います。

公開リンク先(画像をクリックして頂くとジャンプします)

http://bluebacks.kodansha.co.jp/bsupport/kazan.html