今月の読本「金魚と日本人」(鈴木克美 講談社学術文庫)身近過ぎて忘れがちな「魚」に凝縮された自然を愛でる想い

今月の読本「金魚と日本人」(鈴木克美 講談社学術文庫)身近過ぎて忘れがちな「魚」に凝縮された自然を愛でる想い

夏になると縁日等で頻繁に見かける「金魚」

もう、金魚売りが家々を廻る事はないかと思いますが、それでも夏の風物詩として語り継がれる風景に重ねられる、赤金色に輝く魚が涼しげな桶の中を群泳する姿は、ちょっとした懐かしさも添えた一服の涼。

最近では綺麗な金魚鉢や江戸時代に回帰してしまったかのような小さな鉢の中で金魚を飼うのが静かなブームにもなっていますが、そもそもなぜ、日本人は金魚を飼育し、飼い続けたのでしょうか。

そんな疑問の一端に答える、真夏を迎えて文庫へ収蔵された一冊のご紹介です。

高原は既に秋空ですが、盛夏の最中に読み続けていた「金魚と日本人」(鈴木克美 講談社学術文庫)です。

著者の鈴木克美先生は、戦後最も早い時期にオープンした民間の水族館である(旧)江ノ島水族館開設当初のスタッフとして、その後、現在のテーマパークの先駆けとなった娯楽施設、金沢ヘルスセンターに併設された金沢水族館を立ち上げ、科学教育機関と本格的な水族館の融合を目指した東海大学海洋科学博物館の館長、東海大学海洋学部の教授を務められた方。同時にスキューバ(アクアラング)を使用した水中写真撮影の先駆者として数多くの写真集、書籍を著されている方です。

水族館学、魚類生態学が専門の著者作品群ではちょっと異色な文化史をテーマにした一冊。原著は1997年刊行とほんの少し古い作品ですが、唯一無二と言っていい、魚類学と文化史としての日本の金魚を同時に語る貴重なポジショニングが評価されたのでしょうか、この度、版元さんを超えての文庫収蔵となったようです(このようなポジショニングにある作品は、著者も「鯛」をテーマに一冊を執筆されている、法政大学出版局が刊行を続けている「ものと人間の文化史」というシリーズがあります)。

生物学、遺伝学的な好奇心から始まる日本への金魚伝来と在来魚種とのルーツを探る内容から始まる本書。今回の文庫化に当たって新たに用意された、金魚絵師(金魚養画)、深堀隆介氏による美しくも涼やかな表紙と帯の内容に惹かれて文化史の本だと思って手に取られると、少々面食らう内容も挿入されていきますが、魚類としての金魚、更には品種改良の歴史を理解するためには必須の内容。むしろ著者の専門分野である魚類生態学をある程度封印して、専門外とも思われる日本、更には中国における歴史的な金魚の扱われ方、江戸の文化史をそれこそ該博な知識を以て伝説から物語、実録を含めてふんだんに拾い上げていきます。

本書を読んでいて驚く点、それは日本人にとって最も馴染みが深い魚(今では鮪、サーモンの方かも…)、江戸の文化史ではあらゆるシーンで語られ、現在は何処でも簡単に手に入って見る事が出来る金魚ですが、意外な事に伝来のタイミングも、大流行した江戸時代における金魚生産の姿も、現在はある程度固定化されている品種固定の過程も、文化史の根底になくてはならない背景、そのほぼすべてが「判らない」という事実に突き当たります。

本書では一般的に流布しているこれらの言説について、著者が直接の教えを乞うた金魚研究の第一人者と呼ばれた故・松井佳一博士の説を含めて各種の書籍や言説を比較しながら検討を加えていきますが、特に江戸時代における江戸近郊での金魚の育成、供給の実態ついては全く判らないと述べています(上野、池之端の件については本文中で繰り返し検討を行っていますが結論には至らず)。名付けについても「りゅうきん」「おらんだししがしら」などの名称が直接琉球やオランダから渡って来た訳ではないとはっきり否定した上で、日本人特有の舶来指向(唐物指向)や長崎方面から伝わった事を示す表記であることを示唆します。また品種改良の歴史についても、江戸時代のそれは中国で営々と続けられてきた品種改良の歴史と比較して、珍しい物が偶然に現れる、単に飼育していたに過ぎないと、魚類学者としてやや厳しめの断定をしていきます。

更に著者は、中国における金魚の飼育史と好まれる品種の違いからその経緯を見出していきます。

赤い色、金色を尊ぶのは中国も日本も同じですが、中国で春節の際に貼られる金魚の切り絵のように目が上を向いた姿を珍重する、成長と上昇志向の現れ、珍奇な物を秘蔵する文士層の存在が素地にある中国における金魚の姿。一方で日本に於いては疱瘡除けとしての願いをその色に込める一方、生き物の美しさを小さな鉢の中で楽しむ、植木や朝顔と同じような、自然を矮小化して愛でる江戸の住人たち、特にそれらを広大な屋敷の中で飼育し、実際に副収入の糧としていたのではないかと推察する江戸の御家人層や、地方から転がり込むように都市に集住した欠落農民層が往時の姿を鉢植えや水鉢の中に見出していたのではないかと考えていきます。

第一線の水族館運営を長く続けた著者から見る、日本人と金魚を愛でるその姿。

用水の溜池や庭の池から、水鉢、金魚鉢から観魚室と水槽(紀伊国屋文左衛門の天井水槽は強度/防水構造上も有り得ず、フィクションだとも)そして水族館へ。日本人の群衆指向と見世物好き、舶来崇拝。その根底に伏流する厳しい自然と折り合う姿を美しくも矮小化した様式として昇華させた、箱庭の自然美を突き詰めた一つの姿としての金魚を愛でる日本人の嗜好。

その扱いが水族館では蔑まされ、学術的にも疎外されている感が長く続いてきた点に対して、当事者の一人として、魚が好きになった著者の原風景を回顧しながら贖罪の想いも込めて綴られた一冊。

実は近年の分子遺伝学の分野で、金魚の遺伝子系統分析が顕著に進んできている点を文庫版のあとがきで述べて、著者の想いが僅かながらも後継の研究者達に受け継がれている事に喝采を与える本書は、科学的な理解が飛躍的に進む中でも、生活のほんの片隅を捉えて自然を愛おしむ事を忘れられない、日本人が抱く心の原点を思い出させるきっかけとして、再び登場する機会が巡って来たようです。

著者である鈴木克美先生には多数の著作がありますが、その水族館人生を綴った自伝的な一冊「水族館日記 いつでも明日に夢があった」(東海大学出版部)も併せてご紹介させて頂きます。

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今月の読本「島原の乱」(神田千里 講談社学術文庫)中世から見た最後の一揆と百姓たち

今月の読本「島原の乱」(神田千里 講談社学術文庫)中世から見た最後の一揆と百姓たち

世界文化遺産登録に伴って、各種の書籍やTVで多く扱われるようになった、長崎を中心とした近世のキリシタンとその信仰。

テーマの中核に据えられた、苛烈な弾圧に耐えながら敬虔な祈りと信仰をひっそりと護り続けたという扱われ方については、以前からその信仰形態や弾圧の実際について史学、宗教学の観点からより慎重な議論が必要であるという見解もまた見受けられます。

特に、その宗旨と信仰心から、領主の圧政が主因であるとも述べられる、最大にして最後のキリシタン蜂起である「島原の乱」と前述のテーマには、印象として大きなかい離がある事も事実です。

様々に述べられる乱の本質について、それは宗教一揆であると明確に述べられる一冊を今回はご紹介します。

今回ご紹介するのは、2005年に中公新書から刊行され、今年の8月に講談社学術文庫に収蔵された「島原の乱」(神田千里)です。

著者の神田千里先生は中世史の研究者。特に一向一揆や中世の信仰に関する多くの著作を有される方です。九州北部や長崎を拠点に研究を行われる方が多い、前述のテーマを扱われる研究者の方々とは少し系統の異なる、どちらかというと中央における歴史の推移を研究されてきた方。

本書を綴るにあたって、そのバックボーンとなる九州におけるキリスト教の受容や禁教に入った以降の潜伏した宣教師、キリシタンたちの信仰的な態度について述べられる指摘の多くは、前述の研究者の方の研究成果を引用する形で紹介していきます。領地を挙げて改宗を受け入れた先で、既存の神社仏閣を破壊し、信者、神職や僧侶を在所から追い立てた、伝道の勝者としてのカトリック。その中でも会派や宣教師よって異なる為政者への近づき方、その見返りに求められた苛烈を極めた既存宗教への「弾圧」といった、受容しなかった側が受けた迫害の側面の指摘はそのまま踏襲されています。

その上で、中世史の研究者である著者が着目する点は、乱の趨勢を決めるキーとなった「百姓」達の動き。

著者の視点では、近世に入った当時でも中央に於ける兵農分離の掛け声とは裏腹に、統治者としての武士と百姓の力関係、共存の関係はそれほど変わっておらず、乱を起こす側も鎮圧する側のどちらも百姓たちの「一揆」を取り纏めなければ始まらないという点を、島原の乱に参戦した幕府側の陣容も示した上で明示します。

私領の集積である近世幕藩体制において、それ以前の豊臣政権期から中央からの威令の伝播が領地ごとに大きくばらつきが出る点を指摘する著者。それは宗教政策としてのキリシタン禁令についても同じことが言えると指摘します。追記されたあとがきでは、更に他の研究者の方によるその後の研究成果を引用して、乱の僅か4年前まで当地では宣教師が潜伏し信仰が継続していた事を採り上げ、信仰を核とした一揆としての百姓たち、それを先導した指導者層の棄教はそれほど進んでいなかった点を指摘します。

水面下で持続していた信仰とそれでも年々強まる禁圧、領主の圧政、飢饉という複数の要因が重なって始まった乱。その発端はこれまで述べられてきた説を踏襲しますが、著者はより伝道の勝者としての過去の側面、排他的な形態を採る事を厭わなかった、堅く信仰に立ち返った人々と、著者が述べる「日本宗」と称すべき本地垂迹から続く神仏習合の信心を踏まえた人々、為政者たる武士たちの間を、中世の一揆同様に自らの生存を賭けて行き交う百姓たちの趨勢が乱を動かしたと示していきます。

乱の発生から緒戦の圧倒的なキリシタン勢力の攻勢の一方で、要地である長崎へ侵攻できなかった事で一地方反乱に留まる事となった乱の現実。迅速な周辺諸藩の参戦により乱が大きく波及することを狙った指導者たちの思惑が外れると、逼塞の中から再び蠢動を始める百姓たち。双方に付いた百姓たちは決して堅固な意思を以て従っていた訳ではない事を、離反した人々の言葉を集めて解説していきます。豊富に述べられる戦乱自体の推移からみた双方の思惑。籠城後も依然として外部、殊の外に他のキリスト教勢力からの支援を受けられる可能性に一縷の望みを繋ぐ籠城指導者層の思惑を挫く、オランダ船の砲撃(国辱であるという意見を汲み入れて松平伊豆守は引き上げさせたようですが)。自殺を許されないその信仰から、滅亡を望む籠城はそもそも有り得ず、中世の一揆の戦法を引き継ぐ指導者たちも打開策を具えない籠城を選択する筈はないと断言します。

要地を抑えて更なる同心者を募るか救援を待つ、さもなくば緒戦の勢いに乗じて相手が戦力を結集させる前に、妥協としては最も有利かつ唯一の条件と考える、水面下では僅かに見逃されてきた「信仰の維持」を呑ませるか。

その信仰する姿が素朴で現世利益的な民俗信仰的とも評価され、カトリックの信仰を継承していないと見做される事もある中世期の日本におけるキリスト教の受容。それ故にこの乱が一部の指導者による信仰心とはかけ離れた扇動であるように指摘する論調に対して、一向一揆の研究を通して日本の宗教史にも深い造詣を持つ著者は、譬えそのような側面があったとしても信仰心に違いはないと明確に指摘します(それがなぜ苛烈な方向に進んだのかについても)。その一方で、2万から4万人弱とも謂われる籠城者達のうち約1万人は籠城中に逃散した事が推定されてきており、中世の一揆同様に自らの生存の為であればどちらへとでも動く百姓たちの生き抜くための姿も認めていきます。

援軍と妥協、どちらも叶わなかった先に対峙した原城での攻防。これまでの経緯から更に信仰への危機感を感じた時の為政者たる幕府は、その後に繋がる頑として信仰を受け入れられないという姿勢を乱の推移を通じて固める結果となったようです。

乱の本質に対して、宗教的な知見からではなく、少し前の世代の百姓たちの動き、その結集点である「一揆」を軸に読みとこく事を目指した本書。近世の途上に起きた百姓たちによる最後の武装蜂起の姿は、その後逼塞することになりますが、百姓たちの合議による集落を単位とした社会構造は近世を通じて維持され、その中で場所を変え、あるいは乱に参加することを良しとせず、カクレキリシタン(潜伏キリシタン)として息づいていった点も、文庫収蔵時に追記されたあとがきで示していきます。

本書は原著が2005年と近年の世界文化遺産登録に関連した書籍が揃いはじめる前に刊行された事もあり、著者によるとその内容を並置される事には忸怩たる思いがあるそうで、「学術文庫版へのあとがき」として20頁程の追記がされています。

特に、近年の潜伏キリシタン関係研究成果への言及や、同書の後に刊行された同一テーマの著作については書名を挙げて検討を加えています。その中で上記に掲載しています一冊については、伝教期や潜伏期のキリシタン動向を著者自身も多く引用するキリシタン研究者の著作。当該書を最後までお読みになった方は、著者と同じようにそのスタンスに対する疑問を持たれたかもしれません。

乱の推移を中軸に置き、中世史と言う歴史的な流れから乱の本質を説き起こそうという本書に対して、カトリック伝来から説き起こしていく事でキリシタン信仰の受容と強勢、禁教という一連の信仰の流れから乱の姿を読み解いていく一冊。併せてお読みいただくと、より一層の議論が深まる筈です。

今月の読本「興亡の世界史 東インド会社とアジアの海」(羽田正 講談社学術文庫)快活に冷静に描く、刺激的な人々が貿易で結ぶ3つの海

今月の読本「興亡の世界史 東インド会社とアジアの海」(羽田正 講談社学術文庫)快活に冷静に描く、刺激的な人々が貿易で結ぶ3つの海

実は昨年中に読み終わっていたのですが、文庫なのでこちらでのご紹介が後回しになってしまった一冊。

昨年読んだ本の中でも、一番のお気に入り。ここ数年来でも、個人的には好著の筆頭に挙げたい一冊を、年の初めにご紹介いたします。

今月の読本、年初の一冊は「興亡の世界史 東インド会社とアジアの海」(羽田正 講談社学術文庫)のご紹介です。

本書は同じ版元から10年前に刊行されたシリーズ「興亡の世界史」の15巻目として刊行された本の文庫への収蔵版。今回の収蔵に当たっての大きな補記等はなく、著者のあとがきと、新出の参考文献が追加されている程度です。

しかしながら、著者が今でも十分に通用すると明言するように、本書の内容は今でも極めて特徴的かつ刺激的です。

原著刊行時点の編纂でも議論を呼び、版元自体もシリーズ屈指の異色作と評した、多様な時代と世界のテーマを扱う本シリーズを以てしても白眉な「会社」を軸に描くテーマ設定。更には、まるで往年の「世界歴史百科」をめくる時の喜びを、スケールはそのままに、文庫サイズにまで凝縮してしまったような、広範でダイナミックな内容。

そこにみえるのは、陸上と海のアジア史双方を全部カバーしてしまいそうな勢いで描く、広範で旺盛な視点。政治体制がそれぞれ全く異なるアジア側の各国の事情を綴ると同時に、その中庭たるアジアの海に乗り込んできた各国の東インド会社の資産形成や役員形態、運営、指揮系統といった特徴の裏に、国政の事情や経済的な問題点を読み解くといった内容を平然と織り込んでしまう、圧倒される著者の見識(あっさりと、アダム・スミスまで登場させてしまいます)。通史だけでは面白みに欠けてしまうかもしれませんが、著者は『冒険商人シャルダン』という著作を有するほどに個人史にも長けていらっしゃる方。バックボーンに潜むアルメニア人商人が切り開いてきたルートに乗るように行き交う、アジアを渡り歩いた冒険商人や、商人崩れの政治家、軍人。本国の投資家たちの目を盗んで海域内貿易で稼ぎ過ぎて、総督まで上り詰める名声は得たけれど、追及を恐れて帰国するのが困難になってしまった、エリフ・イェールといった新大陸生まれのコスモポリタン(名字をご覧頂ければ判りますよね)。更には、再婚した夫との資産争いの末、老年になって本国オランダにまで乗り込んで裁判を続け、死後になって勝訴を勝ち取った、日本人の血を受け継ぐ一人の勇猛な女性、おてんば(ontembaar)コルネリアといった、個々人をテーマにした内容を同時に織り込む事で、華やかに、時には悲惨に、アジアの海で繰り広げられた物語を「歴史ストーリーの一ページ」として描き出していきます。

広範な内容を綴る本書。その中で、本筋となるアジアの海の歴史について、著者はある一点について、本文中で繰り返し見識を改める事を読者に求めてきます。

ヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰廻りによるインドへの航海から、イギリスによるインドの保護領化と東インド会社体制の終焉までの約200年を綴る本書。その後のアジア史をご承知の方にとって、前時代は「植民地」としてのアジアの前駆のような、素朴で平和的に暮らしていた人々に対する、軍事力による蹂躙の先に行われた暴力的な収奪といった、アフリカや南北アメリカと同じようなイメージの延長で、ポルトガルが築き上げ、列強がその道筋の上に続いた姿を描く、「海の帝国」といった歴史描写への嫌悪感をもたれるかもしれません。しかしながら、イスラーム建築史が専攻の著者はそのような認識、描写について、断固として異なるという点を提示し続けます。

著者が断言する根拠となる考え方。そこにはアジアの海と商業に関わる際に、3つの海に3つの政体が存在したことを示していきます。蒸気機関発明前の風力による航海が前提となる時代。貿易風と地域内の海流に添った航海を求められるその海に於いて、どのような戦力を有していても、どれだけ大きな船舶を擁していても、その環境に立脚した航海と、拠点となる商館の設営=貿易港の設定、季節的な周期航海のルールからは逃れられない点をしっかり認識することを求めます。

その上で、3つの海を目の前にする陸の帝国の姿を提示します。一つ目は、著者の専門分野でもあるペルシャ湾及びアラビア半島周辺の海域。この地域では王国の首都たる場所は内陸に位置しており、海沿いの交易地は、目の前の海を往く商人たちの貿易における中継点として、税収が望める都市の一つとしての認識しかなかったとします。各国の東インド会社の居館が立ち並ぶその場所。徴税を司り、西ヨーロッパ諸国同士がその場所で紛争を越した場合に制すべき立場にあるのは、その港を押さえている王国側にある事を明確にします。一方で、貿易拠点としての西側の海に対して、東端の海は著者が「政治の海」と称する、陸上の王国が海上の支配権も御する場所。倭寇や鄭成功の事例を用いて、域内における自由な航行は望めない点を示し、その海では陸上の王権(これは豊臣政権や徳川幕府にしても同じ)に対して、へりくだる事で貿易を認めてもらう立場に過ぎない点を明確化します。国家を代表して貿易を行う一方、共同出資者達による私営としての側面も持つ東インド会社という特殊な形態ゆえの限界。その地では、収奪はおろか、自らの生死与奪の権限すら、陸上の王国に握られていた事は、日本に於ける当時の貿易体制と、インドのそれが、同じ「東インド会社」を通じて行われていたという点に於いて、余りの違いを説明する明快な事例ではないかと思われます。それ故に、賃料を払って出島に押し込められるという屈辱的な待遇に甘んじてでも、バタビアと長崎の間で中継貿易を継続し続けた、オランダの東インド会社が如何に稼いでいたのかが判りますし(時に本国ベースの純利益が200%に達する事も。域内貿易ではどれだけ荒稼ぎしていた事か)、利益を追求する株主資本会社としての側面があったからこそ、そのような扱いがあっても貿易を続けられたともいえます。

そして、西の交易としての海と、東の政治の海に挟まれた、中央部に突きだしたインド亜大陸の沿岸地域。著者はここにもう一つの海の姿を見出します。「迎え入れる海」、貿易がもたらす利益を喜び、その繁栄こそが支配する王としての懐の深さを示すものだという価値観が生んだ貿易。それが、国家を代表する形での貿易を望んだ東インド会社に対して便宜を与え、貿易を行うための居館の建築を認め、更には要塞を築き、居留地や域内での徴税権を与える事すら憚らなかったインド諸王に共通するスタイルだと看破します。日本人にはイメージしにくいこの事実、著者は最も近い事例として、戦国時代の大村氏によるイエズス会への長崎の割譲を持ち出して、貿易による利益と提供される武力を求める権力が、有利な形で取引が望める宗教を受容、時には自ら改宗し、その便宜を図るために土地を割譲する動きと、その後の歴史で展開される軍事的な侵略とは異なると指摘します(陸の帝国に楔を打ち込んだように見えるマカオにしても、実体は租借であった点もここで再確認します)。

最初の接触から戦闘的な態度で臨み、持ち込んだ産物の余りの価値のなさに憐れまれるほどの屈辱を味わったが故に、かの地に於いて、何処ででも暴力的な制圧と搾取を行ったかのように見られる、西ヨーロッパ諸国の東インド会社による貿易。しかしながら、著者はそのような見方は偏見であり、彼ら自身も香辛料や綿製品貿易に代表される西ヨーロッパとアジア間の貿易に匹敵するほどに、資産運用と貿易物資を獲得する為に、アジアの海の中で現地の商人を相手にして、傭船すら行いつつ大規模な中継貿易を行っていた事を見出していきます(もちろん、日本と南米が生み出した、交易を飛躍的に伸ばす結果となった銀バブルのお話も出て来ます)。その上で、彼らは数多くの商人たちが行き交ったアジアの海における、数多の「外国人」集団の一つに過ぎなかったという点を見失ってはならないと、繰り返し指摘します。なお、南アジアにおける収奪的なプランテーション経営とイギリスとオランダの武力を以ての争奪戦については一通りの記述がありますが、著者は限定的であるとの認識に立っています。

最後に述べられる、インド亜大陸におけるイギリスの植民地化への歩み。その背景として、フランスとイギリスの東インド会社における国家の関与の違いを見出した上で、東インド会社の影響力を背景に対立するインド諸王に関与する際の軍事力への「国家」の関与こそが、「東インド会社」というシステムの限界点であり、その限界点の先に、近代となって誕生する国民国家が東インド会社という商業資本が遠隔地で期せずして獲得し、ある種、野放図にされてきた権益に対して、政治、軍事的に直接掌握する、次の時代である「植民地帝国」へ至る姿を見出していきます。

冒険的商人と高い資産運用を目指した初期の資本家、そして国王の特許やフランスのように国家からの金銭的な後押しを受けて設立された株式会社の端緒となる「東インド会社」がアジアの海を縦横に行き交った時代を綴る本書。ダイナミックに行き交う人物模様を描く一方で、その中で刻々と進む時代背景や経済、政治状況まで克明に拾い込む見事な筆致が、この著述範囲では僅かと言わざるを得ない400ページ程の紙面を一杯に使って、存分に展開されます。

本書の執筆後、著者は本務校の東洋文化研究所所長と副学長を兼ねるという激務から、一般読者向けの単著を殆ど執筆されなくなってしまいました。しかしながら、刊行時から10年を経て、アジアのグローバル化が次のステージに向かう中、今こそ本書のような多角的で広い視点を持ったアジア史が求められる筈。著者の手による、本書に続く作品を是非読んでみたいと強く願う次第です。

 

今月の読本「遠山金四郎の時代」(藤田覚 講談社学術文庫)原文から読み解く「改革の抵抗勢力、金さん」が最も恐れたものは

今月の読本「遠山金四郎の時代」(藤田覚 講談社学術文庫)原文から読み解く「改革の抵抗勢力、金さん」が最も恐れたものは

この夏以来の積読状態から少しずつ脱却すべく、読みかけの本を片付けている昨今。

読み終わった本の中から、印象的だった一冊をご紹介。

数多ある文庫の中でもかなりの硬派で知られる講談社学術文庫より、本年8月に刊行された、こちらの本です。

遠山金四郎の時代遠山金四郎の時代」(藤田覚 講談社学術文庫)です。

本書は1992年に校倉書房から刊行された、同名の書籍を文庫に収めたものですが、類書に多く見られる、講談であったり、読物、更にはTVドラマで親しまれる、名奉行、遠山の金さんのイメージ(もちろん脚色)と人物伝との差異を述べるというより、天保の改革の中で幕政の中心に位置する三奉行の一員としての江戸町奉行、左衛門尉たる遠山金四郎の活動を述べる事に注力していきます(人物としての遠山金四郎にご興味のある方へ、文末に関連書籍を掲載しておきます)。

金四郎、そして上司に当たる水野忠邦の発言を、煩雑かつ、少々読み辛くなる事を覚悟の上で原文で掲載する本書。幾らかでも当時の雰囲気を味わってもらいたいという著者の想い(そのため、ますます煩雑になるのはやむを得ないですが、読み下し文も付いています)そのままに、当時の行政文書のやり取りの一端から、生の声を拾い集めていきます。

天保の改革で提起された改革案について、それぞれの提案についての諮問を受けた三奉行、そして目付たちの上申内容から考察していく、天保の改革の骨子とその実態。多くの諮問について、彼と彼の属僚たち、そして町名主たちは否定的な上申をしていく事になります。風紀の刷新を図り、緊縮財政と規律を引き締める事で、改革の梃にしたいと考える水野忠邦以下の幕閣上層部とブレーンである鳥居耀蔵。それに対して、綱紀粛清の必要性は認めながら、まずは幕閣以下武家が範を示すべきであり、極端な緊縮策を執れば、都市の繁栄に支えられて生活している庶民層をいたずらに圧迫する危険性を繰り返し指摘する町奉行、そして寺社奉行。微妙な立場を採り続ける勘定奉行、目付と、それぞれの立場を原文だけが有する豊かな表現から読み解いていきます。

中でも徹底的に町人、商人たちの立場に立った意見を強く述べていく金四郎。改革への抵抗勢力として、上層部からは商人との癒着と見做されようが、直接の指弾を受けようが怯まずに持論を訴えていきます。この強さの根底として、よく言われる、放蕩の青年時代や、庶民育ち云々といった伝記的なお話ももちろんあるのですが、それを上回る、彼の経歴が雄弁にその発言の経緯を物語ってくれます。

彼が遠山の家を継いで最初に出仕したのは、将軍家の身の回りの世話役である御納戸として。その相手は、後の12代将軍であり、当時は世子であった徳川家慶。彼に近仕した金四郎は、後に西の丸御納戸頭取格から御納戸頭取として大隅守に叙任しており、その職歴の先に奉行への道を開いています。TVドラマの影響もあって武張ったイメージを持たれる金四郎ですが、所謂、奥勤めからの昇格ルートに乗っての奉行への就任。その陰には、将軍となった家慶の強い後押しがあったと思われます。町奉行就任後に行われた、三奉行による公事上聴における吟味への激賞(奉行たるべき者、左もこれ在るべき事に候)という栄誉を担っての奉行職の遂行。そこには、あらゆる意味で情報にベクトルを掛けられることになる家慶自身にとっても必要とされた、トップの腹心としての金四郎の姿が見えてきます。その事実は、御側御用取次の備忘録の中に、改革の真っ只中に、内々として、度々、金四郎を呼び寄せた記録が残っていることからも伺えます。

所謂、桜吹雪を袖の下に隠した、気風のいい江戸っ子肌で、庶民の味方である遠山の金さんとは全く逆の、改革の旗振り役である水野忠邦をけん制しつつ、トップとの密談を繰り返す、幕閣並びに幕臣なら誰でも一目置かざるを得ない栄誉に浴した、将軍の信頼厚い、奥向き上がりの腹心中の腹心としての左衛門尉という、もう一つの側面。

天保の改革における諸施策について、金四郎は部下や、町名主たちの意見に対して真摯に耳を傾け、江戸の民衆の声を直接幕閣に訴えようとしていきますが、その殆どが改革の名のもとに押し流され、遂には同僚である矢部定兼の失脚を誘う事になり、自身もお目見え御免という、不名誉な罰を受けることになります。

本書は、後半でそのギャップの根本的な原因を見出していこうとしてきます。

将軍の篤い信任を受けつつも、そこまでしても、改革を穏便な形で済ませたいと望んだ理由、それは本書で述べられる天保の改革の諸施策の中で、唯一骨抜きにされた「人返しの法」を巡る議論から導き出す事が出来ます。都市部に流入する膨大な貧困者たち。彼らを強制的に元の在所に戻す、または金銀を与えた上で、帰農させるという政策について、一部歴史教科書において、実施に移されたように見える記述に対して不正確だとの指摘(現行の教科書の話であり、文庫版で新たに追記されています)をした上で、金四郎たち奉行にしても、目付や代官、勘定奉行ですら、そもそも食い扶持を求めて、江戸に集まってきており、一度都市の奢侈を知った農民たちが、相応な利便でも与えなければ、元に戻れる筈がないと上申。実際には、人別帳に記載される前の、妻子も持たない身軽な者だけ帰るようにとの触れが出されたに過ぎないと見做していきます。その背景には、困窮者を追い詰めるような政策は避け、都市に集住するその日暮らしの者たちを困窮させない経済政策、救民政策がなによりも必要であるとの想いを重ねていきます。

金四郎たち実務者の想い。終章に向けて、著者は享保以来の新田開発が停滞し、飢饉が頻発した情勢を踏まえて、当時の代官たちの治績を織り交ぜた上で、結論を導き出していきます。それは、為政者として、何としても民衆の生活を安定させることで、一揆、暴動の発生を押さえる事。

幕末へ向けて増加していく、代官に対する地元農民たちの顕彰。そして、大岡越前守を代表とした江戸の町奉行に対する町人たちの賞賛、後の文芸作品への取り込み。これらは、不安定な社会情勢に対する政策としての「仁政」への民衆の希求と、その対応を誤れば、暴動を誘発しかねないという、為政者の強い危機感、その危機感を生み出した、ひとつ前の改革(寛政の改革)の遺産としての、儒学の実践的な展開としての仁政への転換の結果であると指摘していきます(本書では語られませんが、ここで金四郎の父である景晋が、寛政の改革の政策の一環である、学問吟味で甲類筆頭を及第することで出世の糸口を掴み、その結果として、蝦夷地、長崎に何度も下向、学問と実際の行政の双方を会得したであろう点にも注意を引きます)。

民衆が求めた緩やかな仁政に対して、それを上回るスピードでの改革を貫こうとした幕閣。その板挟みに遭う中で、トップの厚い信頼を受けて、暴発という反撃の手段を持った民衆を慰撫しながら、妥協点を見出していこうとする行政官としての江戸町奉行、遠山金四郎の姿を描く本書。そこには、著者が文庫版のあとがきで述べる、何時の時代にも組織に身を置く人々が抱える、普遍的な疑問、課題、そして自分の立ち位置について、彼の言動から今なお多くの示唆を与えてくれるようです。

遠山金四郎の時代と類書たち本書と一緒に読みたい、遠山金四郎関連の近刊。

  • 遠山景元(山川出版社 日本史リブレット・人):同じ著者の手による人物をメインに置いて遠山景元の出生から、刺青の話や、家庭の事情、そして幕臣としての治績を述べた一冊。人物像にご興味がある方は、こちらの方が読みやすいかと思います
  • 遠山金四郎(岡崎寛徳 講談社現代新書:絶版、電子書籍版あり):同じく人物像をメインに置いた一冊ですが、ページ数にゆとりがある事もあり、父である遠山景晋の治績、その後の遠山家といった、ファミリーストーリーも読む事が出来ます。複雑な家系に秘められた名行政官、名奉行親子の素顔を見るといった感じで読みたい一冊です
  • 大江戸商い白書(山室恭子 講談社選書メチエ):本書の後半は、金四郎が町奉行に復帰した後に行われた、株仲間再興に関する諮問のやり取りが描かれています。ちょっとコミカルタッチな筆致で描かれた、江戸の文書行政の一端を見せてくれます

<おまけ>

本ページに掲載している、本書に関連する書籍のご紹介

今月の読本「日本の食と酒」(吉田元 講談社学術文庫)三つの名著が誘う日本食の玄関へ

今月の読本「日本の食と酒」(吉田元 講談社学術文庫)三つの名著が誘う日本食の玄関へ

旧著や学術性の高い書籍の復刻、収蔵で高い評価を得続けている講談社学術文庫。昨今、同社の現代新書やライバルであった中公新書が、読者層のライト化や、競合する新書シリーズの大量創刊の影響を受けて、比較的読みやすくて、タイムリーな内容に偏りつつある中、厳然として旧来の姿勢を墨守しようという意気込みが見られる貴重な文庫シリーズです。

そんな、高い矜持を持っている講談社学術文庫ですが、最近、収蔵される作品のラインナップは、作品自体は古くても、なるべくタイムリーなテーマに沿うように意図されてきているような気がします。そんな意識が最も高まった1月のラインナップから、世界文化遺産への登録にタイミングを合わせて収蔵された一冊をご紹介します。

日本の食と酒」(吉田元)です。

日本の食と酒

本書は、表題にありますように日本食、そして日本の発酵食品の金字塔でもある日本酒、そして醤油と味噌についての歴史を著述した3部構成となっています。

それぞれの部には、ある3つの著名な作品が下敷きとして用いられています。

第一部は、室町から戦国末期までの長期にわたって、京都、大阪、そして東海道の様子を記録した貴重な日記である山科家の日記群からみた、当時の公家たちの食生活。

第二部は、同じ時期に奈良興福寺の僧侶の生活や、初期の醸造食品についての豊富な記録を有する、多聞院日記から見る、僧侶の食生活や、醸造手法(諸白化)への考察。

第三部は、日本酒の入門書として、名著中の名著でもある、坂口謹一朗先生の「日本の酒」へのオマージュとしての、日本型発酵食品完成への化学的プロセスの紹介。

一見してみると、歴史書の引用によるする、歴史家や食文化史の研究家の手による、食の歴史の本のように見えます。しかしながら、後半に行くに従って、現在の清酒に至る発酵プロセスの変化についての言及や、味噌、醤油の製造プロセス違いについての考察、特に日本の発酵食品でポイントとなる「火入れ」(低温殺菌)法への詳細な検討が加えられていきます。この部分だけ読むと、発酵醸造学の歴史的経緯を探求する色合いが非常に濃くなっていきますので、単なる食の歴史書かと思いながら読んでいくと、ちょっと様子が異なる事に気が付かれるかと思います。

この違いについては、読了後のあとがきまで、お楽しみに取っておくのが良いかと思いますので、著者のキャリアが為せる業と、だけ言及しておきたいと思います。そして、本書ではその想いが見事に融合した形で、一遍のストーリーとして成立されているのが、読んでいてとても心地よく感じられました。

そう、名著「日本の酒」が発酵・醸造学の見地だけではなく、日本酒の歴史的、文化的(時に経済的な側面も)な面での著述に高い評価が与えられているのと同様に、本書も歴史と背景の両側面を押さえる事が出来る著者だからこそ描くことができた、現代に伝わる日本食の原風景の成立過程を鮮やかに描写していきます。

そもそも、山科家の日記群にしても、多聞院日記にしても、当時の時代背景を検討する上では最高の研究素材。それぞれ単体の研究だけでも膨大な研究成果が発表されていますし、一般向けへの解説書籍も多数刊行されています(同じ講談社学術文庫に収蔵されている、今谷明氏の「戦国時代の貴族―『言継卿記』が描く京都」が描く悲喜こもごもの公家の生活風景は、歴史書を読む楽しさを存分に味わえる好著です。現在絶版なのが非常に惜しい)。

そんな、当時を知る上で第一級の研究資料の中から、「食」に関する部分だけを贅沢にピックアップした本書には、当時の一次資料でしか得られない、固定化されていない状態の、日本食の原風景が見えてきます。特に、著者の故郷であり、奉職の場でもあった京都に関する記述には、地理感を踏まえた丁寧な解説と(市場の往復にすら関銭を取られるのですが、位置関係が判らないと、何処まで買いに行っているのか判りませんよね)、現代の京都の市場で扱われている食材との比較から見た、びっくりするほど豊富な海産物の取り扱いと、少ない野菜の種類(これは、京野菜を売り込もうとしている現在の潮流から見れば、目から鱗の知見です)に驚かされるのですが、著名な研究資料を、こんな贅沢な形で取り扱わなければ、見えてこない事だった筈です。そして、ひらすら呑む、飲む、呑む…。公家同士の交流も、地下や、その複雑な経緯により民衆とも極めて近い関係にあった山科家歴代当主の日記だからこそ見えてくる、リアルな食生活の活写にぐいぐいと引き込まれていきます。そこには、歴史本を読む楽しさのエッセンスが溢れています。

多聞院日記についても同様で、頻繁に酒と肉に溺れてしまう、なまくら坊主達。まあ、いい加減な連中ではあるのですが、自分たちの為に丹精込めて作り上げた多段仕込み、諸白の製造方法が、現在の清酒の醸造方法として、世界的にも確固たる評価を得るようになったと聞いたら、それ見た事か、仏様のご加護のおかげだと、鼻高々に息巻く事でしょう。

そして、清酒の醸造方法にも、醤油や味噌の醸造方法にも頻繁に登場してくる「火入れ」の効能について、著者は専門家としての見解を加えていきます。そこには、日本文化礼賛、日本の技術オリジナリティを強調する一部の方々に対する冷徹な研究者としての眼差しが向けられていきます。それは先進的ではあったけれど、不完全な「技法」であり、「技術」には至っていなかったと。

この点は、実に悩ましいのですが、現在の日本の物作りが大きな曲がり角に来ている理由と全く同じ事を暗示しているのです。器用故に、ある形を作り上げることに対してはもの凄く上手くやりぬけるのですが、そこから原理原則に落とし込むことで、完全なリピータビリティを有することが求められる「技術」に出来ない日本人の悲しいい特性が、結局として明治以降に日本酒が「ローカルなお酒」に留まり続ける原因となった事を、著者は必然として指摘していきます(逆に、醤油は小分けにした陶器の瓶とタールによる密封というオランダ人達のアイデアを採り入れることで、幕末の遣欧使節団が日本食を恋しがる度に、寄港地毎に市場で醤油を調達できるほどに広まっており、現在では世界的に普及する調味料としての地位を占めつつあります)。

日本食が世界遺産に登録されて盛り上がるなか、一部の料理家の方や批評家の方の中には「食材こそ命」との想いから、日本食が世界の食文化の一部となる事に対して、否定的に捉えられているご意見も見受けられます。でも、この本を読んでいくと、日本食の食材、そして決定的なキーパーツとしての、日本の醸造技術の粋を集めた日本酒、醤油、味噌にしても、その成立から現在の姿に辿り着くまで、紆余曲折を繰り返してきている事がはっきりと理解できるかと思います。

我々が現在立っている位置も、歴史的に見ればほんの一瞬。完成されたと謂われる日本食も、日本の発酵食品も、これからもどんどん変化してく事でしょうし、変化し続ける、変化を受容することが、新たな文化を育んでいく。そんな想いを巡らせながら、夜更けに信州味噌を舐めながら、美味しい諏訪の酒が呑める。ささやかなれども、心を豊かにしてくれる風物を届けてくれた、先人たちの食への飽くなき探求心に感謝と敬意を表して一献を捧げるところです。

<おまけ>

本ページでご紹介している、食べ物に関する書籍、話題を

今月の読本「動乱の東国史2東国武士団と鎌倉幕府」(高橋一樹 吉川弘文館)南北交通開拓を目指す幕府と移動する武士たちの交流史

今月の読本「動乱の東国史2東国武士団と鎌倉幕府」(高橋一樹 吉川弘文館)南北交通開拓を目指す幕府と移動する武士たちの交流史

関東の歴史、特に中世以降の歴史に興味がある方なら待望のシリーズだったと思います吉川弘文館の「動乱の東国史」シリーズ。

シリーズ全7冊の配本も後は第五巻「鎌倉府と室町幕府」を残すのみとなりました(3月配本ではなく、近刊になってしまいましたが)。

今回は2月に配本となったシリーズの中核をなすであろう一冊、第二巻「東国武士団と鎌倉幕府」(高橋一樹著・吉川弘文館)を取り上げてみたいと思います。

このシリーズ、冒頭の刊行のことばにあるように、これまでの歴史書籍とはちょっと違った視点を模索しているシリーズです。

まず、これまでの東西視点(所謂院政主導の王朝国家的政権と、草深い東国で発生した武装した開拓農民たちが結集して成立した武家権能の衝突)の古典的な考え方の延長には基づかず、あくまでも現在の研究水準に則った上で、あえて「東国」を意識した地域史を描こうとしている点です。

次に、「東国」という地勢をテーマに置く以上欠かせない点かもしれません、人物に焦点を当てた著述にとどまらず、そのバックボーンたる「交通・流通」に関する最新の知見を豊富に掲載しようという意図が感じられる点です。

これらの編纂内容の主軸よって得られた当時の「東西交流」の姿、地理的感覚を東国側からの意識をベースに著述しようとしている点は、ある意味現代の地理学的な手法を歴史学に持ち込んでいるともいえますが、よりリアルな歴史著述を目指す、そして冒頭で述べられているように「歴史に親しみ、史跡を巡る人々」へのアプローチとしてはとても的を得た編集内容になっているのではないかと思います。

(この点は3巻で最も顕著に表れてくるのですが、所謂「西国」の武士たち、とくに室町以降、戦国時代までに活躍する多くの武士たちは承久の乱の勝利によって西国に所領を得た東国武士たちの末裔に繋がるのです。そのような意味で、東国ベースで武家の歴史を著述することは実は日本全体を包括した中世の歴史の出発点を著述することになります)。

そのような新たな視点を狙ったシリーズの中で最もその命題に答えているであろう一冊が本書です。

東国武士団と鎌倉幕府

著者はあとがきで自嘲的にすべてのフィールドに足を運びえたわけではないがと述べていますが、本シリーズ中で最も武士たちの動きと、交通網の発展、展開の著述に力点を置いています(五巻は未刊ですが)。

本書を読まれた後で、現在続々と刊行されてきている戦国期の後北条氏や上杉氏、武田氏の経済運営や領域内の流通に関する書物を読まれると目から鱗が落ちることは間違いありません。

著者は本書において、源平動乱期以前において、東国の交通網は依然として東西の移動に主眼が置かれていたと述べていますが、鎌倉の整備に合わせて南北の交通網、特に「東国の首府」たる鎌倉と最後まで直轄領として扱った越後とのルートが整備されていったことを御家人たちの所領の配置や出兵時のルート想定から描き出そうとしています。

所謂「鎌倉街道」の事なのですが、この着目点については非常に頷かされるところが多くあります。

私は現在、八ヶ岳の南麓に住んでいますが、人生の多くを鎌倉街道沿いの街中で過ごしました。

現在、東京、埼玉方面から湘南方面に向かう場合、多くの方は品川から東京湾沿いを下るか、新宿、もしくは八王子から町田を経て小田急線江ノ島線方面に南下することが多いかと思います。

箱根駅伝をご覧になっていらっしゃる方は判るかと思いますが、東京湾沿いに鎌倉方面に移動すると、南下してきた国道一号線は戸塚の辺りで西の内陸側に首を振ってしまい、鎌倉にはそっぽを向けたまま藤沢方面に抜けてしまいます。

箱根駅伝のランナーが戸塚から軽快に坂を下って行く事からも判るように、国道一号線は周囲の丘陵地を避けて谷沿いに沿って引かれているのです。

一方、町田から小田急線に乗って江ノ島を目指すと、延々と続く広い台地の上を淡々と南へ一直線に走っていきます。大分住宅地が増えて来たので農地が減ってはいますが、意外なことに水田が殆ど見られない事に気か付くかもしれません。

このルートは小田急線が開通するまでは茫洋とした未開の台地で、殆ど手つかずであったといわれています。関東ローム層が厚く堆積し、台地の上では水の便が非常に悪かったのです。

一方で現在、鎌倉街道として知られるルートを車で辿るとどうでしょうか。

細かいアップダウンを繰り返し、時々ほぼ東西方向に流れる川を跨ぎながら鎌倉方面に進んでいきます。

車を走らせるには谷沿いの薄暗い道だったり、頻繁なアップダウンありでちょっと走りづらいですし、鉄道で結ぶにはトンネルや橋梁をいっぱい作らなければならない地形で長らく南北をつなぐ路線はありませんでした(多摩モノレールと相模鉄道いずみの線が一部開通したのは20世紀も終わりごろです)。しかしながら、人の足で歩くのであれば、それほど苦になる事はありません。

それ以上に関東ローム層に刻まれた所謂「谷戸」を結んでいくこのルートは近世以前の農耕技術、特に水田を設けるためには必須となる水の便を考えた場合、東西方向に延びる川沿い谷戸は格好の耕作地帯に見えてきます。

筆者も述べているように軍隊を戦地に送り込むためにはルートと上に兵站地としての拠点があることが必須となります。

特に現地調達が前提であった当時の兵糧調達において、軍旅の途上においてこれらを調達できるか否かは、戦争の継続を左右するくらい重要な問題であったと思います。

これを読み誤って飢餓状態の京都に突入した木曽義仲があっさりと後白河法皇に西国戦線への転戦を求められたように、逆に京都に「米くい虫」の軍団を留め置く事への危険性を鑑みて入京を最小限抑えるように指示を出した頼朝の判断のように大量の軍隊を移動させるためにはインフラ整備、特に食料調達が欠かせない事になります。

そのような意味合いで、鎌倉街道を見直してみると、旨い具合に小領主たちが蟠踞していたであろう小さな谷戸を縦串に貫いていることがよく判ります。

北条方幕府軍と畠山重忠が戦った「万騎が原」はそのような鎌倉街道と東西に流れる河川が交わる場所、西には現在の相模鉄道沿いを流れる帷子川、南にはその後江ノ島の横に流れ込む境川に繋がる柏尾川の二河川が分かれる丘陵地に当たります(最寄駅の名前はずばり二俣川、二駅隣りは旧相模と武蔵の境界でもあった「三ツ境」)。

そのような平時には谷戸同士を結ぶ物流路として、戦時には兵站基地及び周囲の丘陵地はそれこそ「戦場」となってしまうのが鎌倉街道だったのでしょうか。本書では鎌倉街道に関わらず、当時の東西交流路や南北交流路(身延道の重要性や秋葉街道にも言及されているのは嬉しいですね)が現在の視点で考えてはいけない事を丁寧に叙述しています(但し、承久の乱の戦犯者たちの処刑場所と富士東麓ルートを戦勝記念として記憶させるという考え方を絡めるのはちょっと無理があるかとは思いましたが)。

また、幕府が最後まで越後を御料地として手放さなかった点について、鎌倉を基軸とした南北ルートを非常に重要視し、越後を「北の拠点」とみなしていたという認識は大いに理解できます。

この事が判っていると、親鸞が何故越後に流罪となった後に、上野を経て常陸を拠点に東国での布教に力を入れたのか(旧東西ルートに乗って移動している)、日蓮が佐渡から帰還した後、何故身延に居を定めたのか(越後から信州を抜けて甲州と駿河に通じる南北交流における南端の拠点)、最後の地がなぜ池上となったのか(大山街道を東に進んで東京湾にそそぐ川(多摩川?)沿いを進むルート)当時の交流路から理解できるようになります。

本書は、そのような「東国の交流路」が鎌倉幕府成立と軌を一にして成立したことを鮮やかに描き出していきます。

この南北交流路が戦国時代になると、かの上杉謙信や武田信玄、後北条一族が戦う戦場を貫くルートに変貌するわけです。彼らが何故南北ルート確立の為に死闘を繰り返すのか、そして彼らの草刈り場としての上野、北信濃の位置づけが出て来るのかも、これらの交流路の変遷から充分に理解できるものとなります。

一つ残念な点を述べさせて頂ければ、上記を述べるにあたって最も重要となる一方、東国の辺縁となってしまう上野に関する交流路を含めた記述が少々薄い点でしょうか。この辺りはシリーズ内で補完されてるものと考えたいです。

だらだらと雑論を述べてしまいましたが、本書は今までになかった視点で「東国史」を描き出そうという本シリーズの意図が充分に汲み取られている一冊ではないでしょうか。純粋に歴史叙述や地理学的イメージに浸りたい、そんな歴史好きの方なら気に入って頂けるかと思います。

<おまけ>

  • 本書は上述のような交通体系史だけではなく、ちゃんと源平動乱期から北条執権体制に至るまでの歴史叙述も記述されていますが、その執筆テーマの関係上、ちょっとあっさり目の内容に終始します。そのような点では「交流史」を割り切って読まれた方が良いのかもしれません。密かに流行っているのでしょうか、「地理学」を歴史学に持ち込まれた好例かと思います
  • 本書ではカバーされないもうちょっと濃いめの鎌倉幕府成立に関する書籍で、特に人物に興味のある方には以下の本がお勧めです(最近に刊行され分で)
  • 「鎌倉殿誕生」(関幸彦・山川出版)最新の研究成果を踏まえて、肩ひじ張らずに源頼朝がどのように武家政権を掌握していったのかを叙述した一冊。関先生が編集者の方に頼朝の物語を講義していくというスタイルがちょっと珍しい。もしかしたら日本にも「王朝交代・並立」があったのではないかとの儚い期待が散見されます
  • 「頼朝の武士団」(細川重男・洋泉社歴史新書y)こちらはもっと砕けた「頼朝論」。要はちょっと頭の切れる都落ちしたチンピラが、腕っぷしだけは自信があるが冴えない田舎のやくざ達をまとめ上げて、都を見返してやるというストーリーで描かれる一冊。内容も、言葉づかいもラノベかよと思わせる砕けっぷりですが、そこは細川先生、内容はきっちり研究成果を押さえた上で書かれていますので、安心して「頼朝とちょっと不器用な仲間たち」の物語に浸って頂けます。漫画で出せばいいのに、と
  • 「鎌倉源氏三代記」(永井晋・吉川弘文館歴史文化ライブラリー)頼朝だけではなく、もう少し周りの人物模様、特に御家人たちの動きを知りたいのであればこちらの本がお勧めです。後半に行くにしたがって北条氏の毒々しい権力奪取の物語となっていく点は仕方がないのですが、通史として源氏将軍の意義を理解するためには良い本だと思います
  • 最後に、源平合戦全体について理解するためには外せない一冊「源平合戦の虚像を剥ぐ」(川合康・講談社学術文庫)こちらを読まれると源平合戦及びその後の奥州征伐において、源頼朝が如何にして自己の政権を確立しようと腐心したかが判るかと思います。本書を読んでしまうと、鎌倉に誕生した権能が院政の傘下にあった一権門として五月雨的に自己権益を収奪した訳ではなく、あるタイミングから本当に京都の王朝国家から「確立した授権」を狙っていたのではないかと思えてくる一冊です

鎌倉幕府草創関連の本

  • 追加で一冊、1983年にかまくら春秋社より出版された『鎌倉の豪族1』が中世武士選書で復活『坂東武士団と鎌倉』(野口実 戎光出版)。刊行年度は古いですが、内容的には現在刊行されている上記の書籍となんら遜色がない点が実に先進的です。東国武士団が決して草深い東国に押し留まっていた訳でも、東国の地にしがみついていた訳でもない事を明快に解説しています。著名武士団成立の経緯や何故頼朝挙兵の際に分裂したのかも納得のいく説明がなされていますので、一般的な源平動乱期の前段階を理解するには最適な一冊です。ただ、惜しむらくは「ここで触れる余裕はないが」と前置きしたうえで、私営田経営から在地領主制への転換に関する動き、特にそのタイミングでなぜ貞盛流もしくは良文流平家が地方豪族として定着した家系と畿内の軍事貴族として出仕を続けた家系に分裂したのかの解説が省かれている点でしょうか。所謂貴種性の問題を考える際に肝になる部分でもあるので、この部分を詳説した一般向けの本が欲しい所ですね(2013.6.28追記)

坂東武士団と鎌倉