今月の読本『享徳の乱』(峰岸純夫 講談社選書メチエ)名付け親が最後に挑む、時代の転換点への新たな定義

今月の読本『享徳の乱』(峰岸純夫 講談社選書メチエ)名付け親が最後に挑む、時代の転換点への新たな定義

本格的な中世日本史本ブームが来てしまった昨今。

某書に触発されて次々に刊行される日本史関係の書籍が本屋さんの一隅を埋めはじめているのを眺めると、ちょっとした感慨を覚えます。

そのような中で、突如として刊行が予告された一冊。ここ数年単著での執筆が無かった、齢八十を超える中世史研究の大家が、遂にそのメインフィールドであった研究内容を一般向けに書き下ろした書籍を上梓されました。

今回は『享徳の乱』(峰岸純夫 講談社選書メチエ)をご紹介いたします。

本書の冒頭と巻末をご覧頂くと、日本史研究者としての著者の積年の想いが、その独特の筆致で濃厚に述べられています。今回のブームの件についても触れられていますが、本書の構想はそのような直近の話題とは全く関係なく、実に十五年以上前から準備されていたと述べられています。著者にとって親子二代に亘って関係を持つ版元さんから出される、人生最後と称されるこの一冊、そこにはブームの到来とその筆致に感慨と敬意を示すと同時に、研究の先駆者として決して見逃せない、大きな欠落がある事を指摘します。大きな時代史の流れで観た場合、特に中世の時代史を見る場合に忘れてはならない、二つの権力の磁場の関係がすっぽりと抜けている点を、もう一方の磁場の中心たる東国の中世史から見つめ直していきます(ちなみにこの視点は、もう一方の版元から後続で刊行された作品では、著者自身が本文中で補う必要性を認めています)。

本書では、表題のように30年にも渡る混乱の東国の姿を描く様に見受けられますが、読んでいくとその内容はちょっと異なる事に気が付きます。まるでブルーバックスを思わせる本書の構成(図表の使い方など、如何にもですね)は、初学者でも判りやすく理解できるように最大限考慮された、享徳の乱というテーマを用いた、日本史における中世から近世へと移り変わるポイントを事例と共に示す参考書。

もちろん、テーマの中核となる、失われしものを執念を以て追い求める古河公方、足利成氏を、正木文書を軸に、物語を駆動するチェイスを務める新田岩松氏の動きから描く事で、中世東国の姿を活写するという読み方が最も妥当かと思われます。更には中盤で纏まって綴られる五十子陣の様子から、軍注記から見る、室町期の軍勢の動かし方、後半で綴られる長尾景春と太田道灌の疾駆の先に見る、関東管領家没落の前奏を追う筆致も、とても興味深いかと思います。

しかしながら、著者の長年に渡る研究成果と30年にも渡る歴史背景を僅か200ページ足らずで語るにはどうにも尺が足らない点は著者であれ編集者であれ承知の事。そのような中で、ゴシックの太文字(これも版元流)で敢えて示すテーマを見出そうとした場合、著者はその歴史展開における連動性を随所で指摘していきますが、その指摘自体は既に知られている点が多いと思われます。むしろ本書で注意を引く点は、その連動を生み出した素地について、著者が新たな視座を豊富に提示しようとしている点ではないでしょうか。

中世と呼ばれる時代区分が始まった当初より続く、上下に重層的に組まれた統治、収納機構と、東西、そして南北に分断される政治権力。南北朝の動乱とその後に続く中世日本史の中で、その震源は常に揺れ動き、流動し続けます。その中で核の一つである東国、鎌倉を振り出しに始まったこの騒乱、本書でも冒頭から述べられているように、その経緯は遥か建武新政まで遡らなければ理解できない事を示しています。一方で、後の戦国時代において、奇妙なことにこれら権力の核たる京周辺、そして鎌倉、東国からは最後まで戦国大名が興らない事に着目させられます。中核となるべき在地ないしは派遣される守護の勢力は、政権に伴う近習勢力と分掌されるために分断され小規模化、政治体制も権力の磁場に近ければ近いほど影響を顕著に受けるため、前時代的な構造に引っ張られる指摘は既に多くなされています。しかしながら、それ故に次の時代に先駆ける先進性も備えていた点を著者は見出していきます。

陣・城といった、野戦や市街地の寺や居宅を拠点とした攻防とは異なる、数年単位での持久戦を構える事が出来る拠点の設営による戦局の集中化、戦場のコンパクト化。拠点近くでの恒常的な軍糧の徴発を可能とする、強入部による受領制から始まる重層的な収納機構の強制的な解体と、その延長に位置する、新たに提唱する「戦国領主」と称する一円支配体制の確立(一般的には国人領主と呼ばれる形態と同じですが、著者の視点ではもう少し規模が大きく、土着的性格に拘らない)。更には、下剋上と呼ばれる体制の簒奪を伴う逆転現象の前には、その逆の「上剋下」と称し、家宰や従属する勢力を威圧、討伐する守護大名、管領の存在があった事を見出していきます(もちろん、将軍や鎌倉公方も)。

これら戦国の萌芽ともみられる事象が、実は東国では南北朝の時代から着々と形作られていったことを実証する為に、その掉尾を飾る騒乱である享徳の乱を採り上げる著者。乱の構造と名称を提唱した著者らしく、前述のように本書でも新たな定義を探り続けていきます。

後半で述べられる長尾景春と太田道灌の疾駆と、彼らの立ち回りから読み解く、東国の先進性と限界。騒乱が続いたことによる、いち早い拠点城郭の構築と軍勢と軍糧掌握における戦国時代を先取りする軍事的な先進性。一方で、下剋上を狙いつつも、目の前に主人を置いた状態での家宰という立場(継承できなかった訳ですが)の制約と、一円とはいえ依然として中世荘園の構造を引き継ぎ点在を余儀なくされる所領、一族や従属勢力を纏めきれない掌握、動員力の限界に突き当たる景春(その先に、外部勢力を引き込むという次の時代の起点も)。家宰としての立場を越えた活躍と、対抗する各勢力を心服させる程の人望を具えた事で主君の背後を寒からしめた挙句、前時代である北条執権政治の御内人同様に謀殺される道灌の実力と結末。

この視点の先に、近年における他の研究成果を引用して著者が描くのが、その騒乱が次の時代の開闢であったことを東国に告げる、西国と京における統治手法を携え、既に領国的な統治を実現し始めていた駿河、そして堀越公方の分国化によって、外来者による領国化の過程を進む伊豆をステップに東国に乗り込んでくる早雲の登場。ここでも、まだ定説には至っていない明応の地震に伴う混乱に乗じての小田原攻略を時代史の流れの一環として採り上げており、時に政治状況や軍事史的な側面に注目しがちな文献史学ベースの研究に対して、最新の地理、考古学をも踏まえた全体史としての着眼への配慮も求めていきます。

東国、北関東を拠点とする中世史研究の大家が送り出す最後と称す本書。まるで参考書のような体裁ですが、その内容は往年の研究者が回顧主義的に過去の研究成果を辿る書籍とは一線を画す、テーマを求め更なる定義を模索し、表明し続ける内容には、この分野の研究がまだまだ新しい知見、新しい視野に溢れている事を示し続ける一冊。

歴史の研究は止まる事なく、更に発展することを願って止まない著者の想い、そしてその研究フィールドである東国へ改めて視座を置く事の重要性を唱え続ける想いが詰まった一冊です。

本書と関連する著書を。

参考文献にも掲載される、本書と同じテーマを扱った『享徳の乱と太田道灌』(山田邦明 吉川弘文館)は、本書ではやや不足している、通史としての東国の中世を俯瞰で見る事が出来る好著です。

また、『人物リブレット人042 北条早雲』(池上裕子 山川出版)は、本文中で言及されるように、次の時代となる戦国への架け橋を切り開いた北条早雲を最新の研究成果から検討しており、これまでの戦国への転換の叙述に対して、専門である領民政策の変化とともに、自然史への着目必要性も唱えています。

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今月の読本「大江戸商い白書」大江戸版ビックデータが紐解く庶民の経済事情とある幻想

今月の読本「大江戸商い白書」大江戸版ビックデータが紐解く庶民の経済事情とある幻想

梅雨明けを迎えて、暑い夏を迎えた連休。

一大観光地でもある八ヶ岳の山麓は、どこもかしこも観光客の方でひしめいている(何と、今日は霧ヶ峰で渋滞が発生していたとか…)ので、出かけるのはどうしても控えたくなってしまいます。

そんなときは、少し日陰を作って涼を取れるようにした午後の居室でじっくり読書に浸ってみます。

今日は、今月の新刊から面白いテーマを掲げた一冊をご紹介です。

大江戸商い白書大江戸商い白書」(山室恭子 講談社選書メチエ)です。

著者の山室氏は既に「江戸の小判ゲーム」や「黄門さまと犬公方」といった一般向けの同時代に関する書籍を複数執筆されていますが、最も著名な作品は、同じ講談社の学術文庫に収められている「中世の中に生まれた近世」でしょうか。

一方、今回の一冊は現在の所属されている組織がテーマに色濃く反映されているかのようです。日本近世史の専攻にして東工大大学院の教授という異色のポジション。そして本書のテーマは統計データに基づく江戸時代の経済実態を検証する事。

この分野の先駆者ともいえる磯田道史氏の大ヒット著作「武士の家計簿」が、一人の武家の経済状況をつぶさに拾い込んでいく事に対して、著者のアプローチは全く異なる、幕府や当時の町役人たちが残した史料を再編成、データ化することで、特徴点を導き出そうとする統計的手法。その狙いは、著者がいうところの「三井史観」(今年は三井350年を記念して複数の書籍が上梓されるようです)に対するアンチテーゼ。単一ないしは同一提供元による資料を丹念に積み上げていく事で、特定の事象に対して本質に迫ろうという前者のアプローチとは相反する、所謂ビックデータ的なデータ処理手法(但し、集計はExcelである事が本文中に記されています)を用いる事で、より均質化を図った、普遍的な傾向を導き出そうとしていきます。

そのために著者が選んだ基礎データは「江戸商家・商人名データ総覧」(田中康雄編 柊風舎)。この大著の中から、著者は特定の条件に従って抽出したデータを用いて、その他の史料を交差させながら議論を進めていきます。

ここで母集団妥当性の議論を始めると、その選択自体に疑問を挟まざるを得なくなりますので、まずは著者の議論に耳を傾けていきます。そこにはインパクト重視で、狙ったようなキッチュな表現(著者の年齢を考慮するとちょっと驚くところでも)が続く、学生がデータ分析の準備、検討を進めていく過程の呟きを拾い込んだような、やや読みづらい文体(口語体の参考書とでも言いましょうか)を用いて、極めて予定調和的な結論へ導こうとしていきます。

その結論は、著者が文面の端々で繰り返し述べているように、従来の江戸時代の商人像とは異なる、競争が激しく、出入りも頻繁な、極めてドライで非伝統的な経営であるという点を、生活に最も密接に関わる米搗き屋と炭薪屋の業容データ(地域性や市場規模、仮定としての収益力)から導き出していきます。そして、これまでの江戸時代の商人研究において、日本橋界隈の華やかな業種にのみ着目(氏の謂う三井史観)し、これらの庶民に密接に関わる業容への視点が欠落していた事を指摘します。

この視点は確かに慧眼なのですが、既に湯屋(本書でも最終章で扱われます)や蕎麦屋を題材にした書籍でもこれらの傾向は指摘されており、著者が声高に叫ぶほどの指摘点ではないのかもしれません。

そして、本書の後半にかけて、著者のデータ分析上でも重要となる、天保期の株仲間解散と、再結成に関する経緯が語られていきます。前半以上に丁寧に解説された株仲間再結成へ至る合意形成の経緯と、今回用いたデータとの関連性について検討を加えていきますが、そこには、ある議論に対して決定的な疑問点が生まれてしまいます。

著者は前述の結論に対して、生活必需品の販売と購入に関して、従前の株仲間の成立以降、極めて低位な水準で需要と供給におけるある種の経済的バランスが成立していたとしており、その需給バランスの調整弁が購入する側に購入先の選択権があり、販売する側には株仲間の規制により積極的な拡販は許されず、株による参入調整と、自由な市場撤退による需給調整により安定化していたと見做していきます。その結果は、価格競争が殆ど起きない、準公的な市場調整による低廉な生活コストが実現していたという事になります(これを評して「まことに稀有なうつくしい光景に江戸の街で立ち会う事が出来る」としています)。

一方で、天保期の株仲間解散そして再結成に於いて、従来の株仲間の範疇に囚われない商人たちの活躍を描き、最終的には彼らが旧来の株仲間の範疇を超越していく事も併せて示していくのですが、その事例と前述の調和的な低位の需給バランスの安定のキーとなる、購入側の選択というキーワードの効果が微妙に食い違っているようにも見受けられます。そこには価格の安定化の議論のほかにもう一つある、市場の占有性についての議論がすっぽりと抜けているかのようです。その結果、価格の低廉化と低利益率の議論が続く中、利潤の追求に関する検証が抜けてしまっており、まるでデフレスパイラルの議論を見ているかのようです。

そして、統計データを扱う時のマジック。集計ベースをあえて「店名」に依拠させる(意図はよく判りますが)、業種によって集計の時期が異なるなど、元となるデータが乏しい中、何とか整合性を合わせる努力を為されている事は理解できますが、近似の取り方や一致性への判断を含めて、結論への落とし込みについて多少大振りな感が否めないのも事実です(その際に、著者はまるで自分を言い聞かせる様な文体を用います)。

数少ないデータを駆使して、近世の経済活動を統計データで明らかにしていこうという、著者の新しい試み。

原典以外に引用論文等の出典が一切示されていないので、これらの検討成果がどのように導き出され、今後どのような展開を見せるのかを本書を読んだだけでは全く把握できませんが、これから新しい視点が生まれる事を予感させる面白いアプローチ。今後、是非更なる検討を加えた上で、巨視的な観点に立った江戸経済学という分野を見せて頂きたいと期待したいところです。

<おまけ>

本ページより、本書に関連する近世史の書籍をご紹介。

今月の読本「海洋帝国興隆史」(玉木俊明 講談社選書メチエ)著者が望むヨーロッパ全体史の著述は、海洋交易路と共に

今月の読本「海洋帝国興隆史」(玉木俊明 講談社選書メチエ)著者が望むヨーロッパ全体史の著述は、海洋交易路と共に

自分が読み慣れていたり得意分野の書籍は何度でも何冊でも読めるものですが、それではやはり偏り気味。たまには気分転換も込みで、未知のお話に取り組むのもいいものです。

そんな訳で、完全にアウェーな一冊を今回はご紹介。果たしてうまく読めているか…。

海洋帝国興隆史海洋帝国興隆史」(玉木俊明 講談社選書メチエ)です。

著者はヨーロッパ経済史が専門分野。従って、本書の文中で引用される各種論文や研究者も殆どがヨーロッパの経済学者の方々なので、この点では正直全く歯が立ちません。しかも僅か200ページそこそこで中世以前から近世までのヨーロッパ史を語ろうという訳ですから、構成上の無理があるのは当然と考える必要があります。それでも著者は該当するエピソードを詰め込めるだけ詰め込んでいきますが、残念ながらページ数の制約で全てのエピソードに対応する結末が語られる訳ではありません。

ぎゅうぎゅう詰にされたエピソードの数々。その中でも、著者はある点に着目して話を進めていきます。

その着目点は海洋交易。ヨーロッパが貿易で世界を制し、現在でも隠然たる力を持ち続ける原因を海上交易路の掌握に求めていきます。それは、アジアの諸勢力が最後までヨーロッパ世界に対抗しなかった領域(鄭和でさえ東アフリカ止まり)。アジアから陸上ルートを通じて度々侵攻を受けた弱小ヨーロッパ世界が反転攻勢に出た起点を海上貿易路の発展と、輸送力を引き受けることによる世界中の利益の集積、そのルートを確保すべく積み上げていった海上戦力にあると指摘します。

ただし、この指摘の検証方法が非常にユニークであるともいえます。

普通にヨーロッパ史を考えるならば、海上交易路の話であれば地中海交易を中心に据えていくものですが、著者は専門分野である北欧交易を議論の中核に置いていきます。バイキングから始まる北欧海上交易路こそが、既に資源の枯渇した地中海世界への資源供給ルートであったと論じていきます。この着目点の論拠も、海上交易路と対になる船舶構造の発展と、材料(木材)供給の点で、地中海世界の発展性に限界があった事を示していきます。更には、イギリスが一大海洋帝国を築くにあたって整備されていく大商船団(海軍でもあります)を資源の面から支えたのが、北欧の木材と、ロシアの鉄であったとの指摘は目からうろこが落ちる点もあります。

更に、大航海時代における貿易のバランスについても、著者の認識は対アジア貿易と大西洋貿易では圧倒的に大西洋貿易が主軸であり、中でも、南米との貿易、特にポルトガルとスペインの貿易における重要性を指摘していきます。この点については、著者が強調するほどには違和感を感じないのですが、著者の想いは英国の経済学者が述べる英国中心主義的な経済史に対するアンチテーゼのように見受けられます。特に、ポルトガルの国家の支援を越えた南米、アジア貿易に対する根強い影響力への指摘は、イエズス会という伝道と貿易を(時に死の商人として)両軸にした活動の残滓が、20世紀末までマカオを保持していた事に繋がると考えれば、頷かされる点も多くあります。

その上で、著者は海上交易の覇者がヨーロッパの覇権を制するとの主観でストーリーを組み立て行きます。そして、ヨーロッパの強さは、互いに戦争状態にあっても、交易だけはあらゆる迂回ルートが用意されており決して止むことは無かった点であるとし、交易路の変遷を通じてその実例を示していきます。ボルドー、ハンブルグ、そしてアムステルダムと、如何に戦争状態であったとしても商取引は場所と市場を移しながら、継続していく。商人たちの行き交うルートこそがヨーロッパを支え、広げていくと暗示していきます。

その交易ルートの拡大は、地中海から始まり、ヨーロッパを飛び出し、アフリカ、インド洋、そしてアメリカ大陸、更には太平洋へと広がっていきますが、その先駆となったのは国家ではなく商人たちであったと著者は繰り返し指摘します。陸上ルートを抑えられたヨーロッパの人々にとって、袋小路に囲い込まれた先はもはや海しか無かったかのように。

最初はポルトガルやスペインの国家の後ろ盾を受けながらの冒険的な商用、そして伝道のルートであったはずの海上交易路。主要な拠点に植民都市を築きながら交易路を広げていく両国のルートを上塗りしていくように後発者が乗り込んでいきますが、ここで著者はオランダの覇権が、ポルトガルの交易路を横取りしただけの限定的なものであったと述べていきます。その原因を東インド会社等の商人たちに委ねた限界であるとし、その次に現れるイギリスの覇権が軍事力を備えた国家を全面に出した統制。即ち帝国化(植民地とは微妙に異なる)であると述べていきます。その基盤となったのが電信であるとして、情報のスピードが市場制圧を支えたと結論付けていきますが、それまでの海上交易と交易コストを主軸に掲げて著述を進めてきた本書の趣旨からは若干逸脱するようです。

本書は少ないページにも拘わらず、非常に多くのエピソードを詰め込んでいますので、ここで全てを述べる事は出来ません。しかしながら、著者があとがきで列挙している、特定の研究テーマを中核に置いて著述されているのもまた事実です。そのややマイナーとも思えるテーマを中核に置いた著述が、著者が望む「全体像を描く歴史書」と相反する点もあるのかもしれませんが、残念ながら私のつたない読書力ではその判断までは至らないようです。

海上交易路をテーマに、膨大なエピソードを添えた本書の全容を理解するには相応の周辺知識と、著者のいうところの全体像を見渡せる広い知見が求められるのかもしれません。

海洋帝国興隆史と一緒に読んだ本本書と一緒に読んでいた本。

この中で、中南米貿易との深い関わり合いを示す、現地の植物のヨーロッパへの普及を描いた「文明を変えた植物たち」(酒井伸雄 NHKブックス)。ポルトガルの貿易を一方で支えたイエズス会の、貿易商、権門としての側面を描く「教会領長崎」(安野眞幸 講談社選書メチエ)。本書では描かれない、ヨーロッパから見た航海自体の発展の物語を海図を通して描く「海図の世界史」(宮崎正勝 新潮選書)。以上3冊は、本書を読むにあたっても参考になると思います。ですが、最も大切なヨーロッパの経済史に関する参考文献が…門外漢なので。

「今月の読本「冷えと肩こり 身体感覚の考古学」(白杉悦雄 講談社選書メチエ)ひとの苦痛を表す言葉の物語

「今月の読本「冷えと肩こり 身体感覚の考古学」(白杉悦雄 講談社選書メチエ)ひとの苦痛を表す言葉の物語

お出かけの多いシーズンに入るとどうしても読書が疎かになる。

面白い本が入ってきてしまうと、それまでに読んでいた本が後回しになってしまう。

興味深いその内容にもかかわらず、後回しの後回しになってしまった漸く読み終わった一冊を今回はご紹介します(大ボリュームの某上下巻本にたっぷり時間を取られたためでもありますが)。

冷えと肩こり講談社選書メチエより「冷えと肩こり 身体感覚の考古学」(白杉悦雄)です。

まずは、著者の極めて珍しい経歴が興味を引きます。

文学博士で所属は芸術工科大学という不思議さ。では専攻は科学史か醸造などの伝統的な産業技術かと思うと、確かに科学史も専攻ですが、中国科学史という変化球。更には医療思想史という謎の学問領域、しかも中国と日本のという二枚看板で臨まれるという、ハテナが三つくらい並んでしまう不思議なテーマを掲げていらっしゃいます。

そんな著者が初めて上梓する一般向けの書籍のテーマは、日本人なら誰でも経験をお持ちの二つの症状を表題に掲げて考古学で語るという、これまた不思議なテーマを挑んでいらっしゃいます。

その不思議なテーマに相応しく、冒頭に述べられる著者の恩師たちの発言から驚かされることになるます。

「英語ばかりか、ドイツ語、フランス語、そして日本に多くの医学用語を提供してきた中国語にも、肩こりの苦痛を表すことばはない」

もちろん、それに対応する症状がないわけではありません。しかしながら適切な単語、用語が用意されていない点を著者は指摘しています。日本人にとってはもっとも普遍的な苦痛であるこれらが表現できないとは、何たる不思議なことでしょうか。

本書は、そのような疑問を出発点に、日本における代表的な病理や医療を表す言葉達の表現方法と治療方法の物語をコラム形式で述べていきます。

コラム形式(巻末にありますように、何本かの論文を集約して、本編を追記された事を述べていらっしゃいます)の体裁を採るため、冒頭の疑問に対して、各章それぞれは答えてはくれません。従って、結論を急がれる方は気になる症状、表現が書かれた章を読まれた後に終章に飛ばれてしまっても良いかと思いますが、通読されると(特に6章と終章は)、これまでの自分の苦痛に対する表現にちょっとした発見を見いだせるかもしれません。

血の道や、癪、せん虫や脚気といった、時代劇ではおなじみの言葉達の発生の由来と、その病理との対比が行われていきますが、どれも現代医学では特定の病名や病理に結びつけることが難しい症状たちのようです。

実例として冷え症(所謂婦人病)の治療方法について述べられていますが、現代医学では有効な処方が見当たらない中、漢方が優れて効果を示すが、個々の症状の何に効いているのか説明が難しい点が、この苦痛への表現と実際の病理への結びつけの難しさ、そして症状を徹底的に分解詳細化してく、科学的手法に対しての大きなアンチテーゼになっているようです。

本書では、そのような科学的手法とは無縁であった時代の病理の表現方法として言葉の由来と、それを診察すべき医師の診療用語(問診、腹診)の変遷から、病理と治療の表現方法の変遷を紐解いていきます。

腹診の用語から用法が変わってきてしまった肩こり、癪。鬱の言葉の使い方の変化。疝気や庸医(所謂藪医者)の語源が、庚申信仰や「野巫医」という呪術的な意味合いや、医療行為の発祥に起因することを示していきます。

対応する症状とは関わりなくとも、苦痛を表す、そして医療行為としての言葉と表現はどんどん変化していく事を考古資料から示していく点は、とてもユニークでもあり、興味を引くところです。

病理の表現が時代と共に変わっていくのであれば、身体自体の表現も変わっていくはず。そんな想いを抱かせたところで、後半の江戸時代の体内想像図の話に入っていくと、はたと考えさせられます。

既に解体新書が普及してきたころに描かれたこれらの版画。解剖学的見地を少し捻り込んで、体の中の小人さんがぶつくさ言いながらせっせと働いているシーンは、現代の子供向け図鑑にも引き継がれたモチーフですが、そこに表される言葉の数々が、最も古典的であろう考え方に基づいている点が非常に興味深い点です。

「曰く、抱朴子に曰く、氷霜粛殺も菽麦の茂を凋すことあたはず、暑鬱陰隆も雪山の凍を消することあたはず。人は此一小天地なり。あに雪山の凍あらざんや。」(丹水子)

著者は、その表現が中国のそれと異なっている点に着目しているのですが、そのような違いより、むしろ人体に対する自然との対比、自分のからだそのもへの畏敬の念だけは、洋の東西を問わないのではないかと思えてくるのでした。

それは人体を表して、小宇宙と呼ぶようになった現代医療にも結びついてくる表現方法なのかもしれません。

その畏敬の上で、より微細に探求して、害虫を取り除くように異常点を見つけ出して排除していこうとするのか、それとも大きな自然の流れの中で、虫たちが暴れて食い荒らさないように、手入れをマメに行い、調和を図っていこうとするのか。

言葉と病理に関わる歴史物語は、終章で述べられているように、これらの失われつつある苦痛の表現(肩こりも冷えもなくなったわけではないですが)は更なる表現方法への進化を遂げることで、あたかも現代医学への置き換えが困難であることを認めるかのように、あらたな外来語である「ストレス」という言葉に収斂させて片付けようとしているかのようです。

やはり「病は気から」の言葉こそが、すべてを的確に表すマジックワードとして何時までも使い続けられることになるのでしょうか。

人が生き続ける限り、新たな表現と共に次々と現れ、溢れる苦痛への悩みと、苦痛を訴えるその言葉に翻弄されながら、新たにその苦痛を命名し、それを治すことを使命とするお医者さんたちの戦いは、まだまだほんの序盤戦のようです。