今月の読本「観応の擾乱」(亀田俊和 中公新書)すれ違う無二の兄弟の前を往く表裏する人物達と貴重な時代史の背景を描くその先

今月の読本「観応の擾乱」(亀田俊和 中公新書)すれ違う無二の兄弟の前を往く表裏する人物達と貴重な時代史の背景を描くその先

世間では人文書、歴史書が静かなブームだそうですが、読むのが遅い自分にとっては、これまで刊行されてきた書籍を追うだけでも手一杯、とてもブームの本まで目を通す事が出来ないもどかしさ(その以前に、田舎の本屋さんでは手に取れないという寂しさも)。でも本屋さんに新刊が並ぶと、ついつい手に取ってしまう悪癖がやはり出てしまいます。

今回ご紹介する本も、そんな訳で積読脇に寄せて読み進めた一冊。きっと前著同様、話題になるんだろうなぁ、などと思いながら。

今月の読本「観応の擾乱」(亀田俊和 中公新書)のご紹介です。

一般向けとしては実質的な処女作となる「南朝の真実」(吉川弘文館)でスマッシュヒットを飛ばした著者。その後、同時代の人物史を複数冊手掛けた上で挑んだのが、著者の専門である、南北朝から室町初期の時代史前半を形作る大きな転機となる観応の擾乱を、新書という限られたページ数で描いていきます。

全編で250ページ足らずですが、尊氏の将軍就任から実の息子である足利直冬を京から敗走させる時点までの時代史を、平明な筆致でほぼまんべんなく著述することに成功しています。その間、非常に多くの武士たち、歴代の天皇や上皇、公家や僧侶たちが登場しますが、著者の前著に見られるように、それぞれの登場人物について、少ないながらも極力説明を施し、個性的で魅力あふれる人物像を描き出す事に注力していきます。主役となる尊氏、直義兄弟の前を、時には味方、時には敵として行き交う彼らについて、これまでに言われてきた、最初から両方の派閥が出来ていたわけではなく、時々に応じて、与する相手を柔軟に変えていっていた事を、その時の状況を含めて明示していきます。更には二人が衝突して以降も直義自身は終始覇気が無いように見えるとし、むしろ周囲の主戦派の強硬論、特に二度目の衝突では尊氏、そして直義自身よりも尊氏の息子である義詮と桃井直常の代理戦争的な要素もあった事を指摘しています。結果として、武将の中でも終始この二人に付き従ったのは尊氏サイドであれば佐々木導誉であり(彼とて、降誘を狙っての為であったはずですが、直義方にも寝返っています)、直義サイドであれば上杉憲顕ぐらい(彼も直義にとって最後の戦いであった薩埵山では遂に逃走しています)だったようです。このような不安定で日和見な人物達を引き留める、味方につける際に切り札となるのが恩賞。しかしながら、どんなに政務から後退しようと守護の補任権を握り続け、武士に対して恩賞を振る舞う(時に口だけ、バッティングもあり)尊氏と、武士よりむしろ領家に対する安堵と施行に終始する直義。ここに二人の違いが大きく出て来る事を、実際に発給された史料から見出していきます。また戦力の集中を図る、ないしは禁じ手を取るためとはいえ、二人とも一度は南朝に帰参した経緯から、尊氏、特に直義にとって北朝の天皇はやはりお飾りであった点も(旧来の論説と切り離して)改めて明示していきます。

そして、著者が前著でも再評価を求めて描き出した、高師直と高一族の活躍。旧来の論説では、明らかに尊氏派として扱われてきましたが、著者は二人の決裂が決定的になるまでは、足利家の家宰、執事として双方に仕えてきたことを示します。そして、この北条家にもみられた御内人が権勢を持つ(実際には守護領国も少なく、勢力が突出していたわけではなかったようですが)最後の姿を高一族に見出し、その終焉こそが、将軍専制と、それを執行する有力守護大名がセットとなる将軍/管領制へと発展していったと見做していきます(それ故に、高師直の評価については、やや旧守的であったと見做しています)。更には二度の弟との衝突の先に、将軍就任以降は政務を含めて常に後方に退いていた尊氏自身が前面に出て戦い、感状を与え、恩賞を大盤振る舞いし続ける事で、将軍としてその指導力、専制権が発揮された結果、真に政治家として覚醒したとしていきます(これに対して、尊氏に対峙した直義、そして直冬のいずれもが、戦場に於いて直接的に尊氏に対峙することが無かった点は極めて示唆的です。こと武将として尊氏の人気が高い大きな理由ですね)。

長きに渡った南北朝の動乱の幕開けを告げる擾乱(この用語の発生由来については、終章で議論されています)の中で室町幕府の安定した政権の基礎となる諸政策、政体が築き上げられていったとする本書。著者はその流れをなるべく一次資料に依拠して描こうとしており、研究の中核となる将軍を補佐する体制、息子である義詮への政権移譲の段階、引付や恩賞方の変遷については、そのメンバーと、どちらの勢力に移っていったかについても詳細に述べていきます。しかしながら、その他の部分ではやや疑問が生じてしまう所もあります。それは、直近で他の研究者が著書に於いても重要視した、如意王と直義の野心に関する反論と、直義の二度に渡る出奔の位置づけ、さらにはそれを傍証するための論拠。すなわち、この擾乱がなぜ起きたかという理由についての論証への歯がゆさが感じられる点です。

著者は文中で、現在ではもっとも一般的と思われる佐藤進一氏及びその他旧来の論考に対して繰り返し反論を述べた上で(一般書なので、わざわざそれを強調する必要もないかと思いますが)、終章に於いて尊氏の実の息子である直冬に敵愾心を抱き、一向に認知しようとしない尊氏への憤り、多くの武家における庶子たちの不安とその代弁が擾乱を生んだ素地ではないかと示唆しています。その論考自体に議論を挟むつもりはありませんが、それを示す明確な論拠や史料がある訳ではないので、現時点ではあくまでも著者の見解として捉えておきたいと思います。

その上で、本書の冒頭から首を傾げてしまったのが、直義の嫡男であった「如意王」の存在への言及。これまでの同時代を扱った書籍ではあまり前面で語られることは無かったと思いますが、上述の影響を受けられたのでしょうか、その生誕によって、直義が野心を抱いたという論には、流石に力みつつも正面から否定をしていますが、一方で和解以降の直義の無気力な振る舞いを評して、如意王の喪失を関連付ける論も述べており、本書では明らかに引用を控えている太平記に対して、この近辺の著述だけは傍証として引用するなど、本書に於ける著者の平明かつ一貫した論考が、この部分だけ妙な方向に行ってしまっているようでなりませんでした。

更に、直義の二度に渡る出奔を描く部分。著者はそのいずれも尊氏やその周辺がノーマーク、過去の人として扱っていたとしています。確かに恩賞を期待できる訳でもなく、堅実な政治家と評される割には打算的な直義の政治生命は、既に途絶えていたかもしれません。それでも、一度京を脱出して兵を募れば侮れない勢力を築き、一度目は自らも窮地に追い込まれ、二度目も東国まで下向して討つ事になる(鎌倉での直義急死の件は置いておいて)相手に対して、ノーマークであったと言い切ってしまうのは余りにも淡泊な気もします。

側近同士の勢力争いでもなく、兄弟の相反でもない、ましてや魍魎的な物語を否定した上で、長々と続いた騒乱の原因については結論らしい結論が得られないままに終章を迎える本書。

本文を少し離れて持論を述べる終章の最後に綴った「努力が報われる政治」というキーワードへ集約した著者の想いを本当に描き切るためには、やはりその当事者である尊氏自身、それも著者の一貫した手法である一次資料を大前提として太平記の潤色を極力排除した人物史として、是非次に描いて欲しいと強く願うところです(できれば、東国戦線とその後の鎌倉府に至る流れも是非たっぷりと。あっ、武蔵野の広野を縦横無尽という表現は如何にもっぽいですが、地勢的にはちょっと微妙かなと)。

まだまだ描き足りない魅力的な登場人物が控えているこの時代の歴史物語はもっと深く楽しくなるはずと思わせる魅力を秘めた、もう少しその先も読んでみたい、そんなきっかけになる一冊として。

観応の擾乱と関連書籍<おまけ>

本ページでご紹介している、本書と関連する書籍から。

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今月の読本「足利直義」(森茂暁 角川選書)類書を引きつつ新たな歴史描写を模索する、理想のナンバー2の思想と足跡

今月の読本「足利直義」(森茂暁 角川選書)類書を引きつつ新たな歴史描写を模索する、理想のナンバー2の思想と足跡

最近特に増えてきた室町時代の歴史関係書籍。

中でも最も多いのは、鎌倉幕府滅亡から南北朝合一までの期間を扱った本達。昨年も「南朝の真実」がスマッシュヒットしたように、(歴史ファンの皆様の間では)注目を集めている時代のようですね。そんな中でも注目を浴びるのは、やはり後醍醐天皇と楠木正成。そして、近年積極的な再評価が続けられている足利尊氏でしょうか。

今回ご紹介するのは、そんな再評価が続く足利尊氏の無二の片腕でありながらも悲劇的な最期を遂げる事となる弟、足利直義を単独で扱った一冊です。

角川選書・足利直義と類書たち足利直義」(森茂暁 角川選書)です。

著者は既に同時代に関する複数の著作を有する方であり、同レーベル(角川選書)でも既に足利義教を扱った「室町幕府崩壊」を出されています。丁寧に丁寧に段階を追った著述と、著者の感情を少し織り交ぜた親しみやすい文体は一般読者に向けて刊行される選書に相応しいのでしょうか、再びの登板となったようです。

そして、テーマとして取り上げられた足利直義。兄である尊氏の陰に隠れるように登場し、鎌倉幕府崩壊後の混乱期、鬱気質で移り気の激しい兄を叱咤激励しながらも創業期の室町幕府を必死で支える、中世期随一の名政治家(武将としては、時に鬼神の活躍を見せる兄と比べて今一歩という評価は既に固まっているようですね)としての前半生。そして観応の擾乱の一方の主役として、兄との確執と争い。最後には兄の手に掛かって落命するという悲劇の最期を遂げる末期と、波乱に富んだ人生を送った、実に興味深い人物です。

本書も、著者が文中で述べているように、これまでマイナーな扱いを受けてきたために掘り起こされることの少なかった室町期の魅力的な人物たちに光を当てようという、一連の流れの中で刊行された一冊のようです(冒頭で述べている足利直義ブームかどうかは…)。

そして、本書の特徴はこれまでの類著と異なるアプローチを目指している点です。著者は前著「室町幕府崩壊」でも本書でも、その基底には佐藤進一氏の研究成果を置いている点についてはあとがきで言及されている通りです。その上で、著者はその精緻な政治機構、組織研究とは違った視点での歴史著述を追及していきます。それは、文中でも多数の引用がなされている、黒田日出男氏の美術史としての研究成果。大きな波紋を巻き起こした、氏の国宝神護寺三像の研究および著作に大きな刺激を受けて本作を著述したと明言しており、一章を割いてその検証と見解を述べていきます。

その結果本書では、類書で見られる政治史としての鎌倉幕府崩壊から観応の擾乱迄の歴史叙述を足利直義の足跡で辿るというスタイルを踏襲する一方、詳細については冒頭に写真を掲載しました類書の典拠を記す形で省略し、人物としての足利直義の思想に踏み込んだ議論を提起しようとしていきます。多くの同時代を扱った書籍がその根拠として求める太平記の著述に頼る事を少し控えて、著者が豊富に収集した史料に見られる形式や花押の変化から読み取る直義の政治姿勢の変化。和歌に詠まれた政治姿勢の解釈(ちょっと解釈が直球すぎる感もあります)。宗教政策から見た夢中問答の読み解きと夢想疎石との確執(対峙)、そこから見つめる鎌倉幕府的な政治手法、御家人体制への強い希求心。仏国土を目指すことによる、宗教的、精神的な安寧の実現。従来から述べられてきた直義の政治的スタンスを精神性や感情から読み解こういうアプローチが随所に見受けらえます。

著者のアプローチの焦点となるのが、観応の擾乱が生じた原因の検証。類著にあるように、足利尊氏と直義の権力分掌とその制約、側近層の反目や体制に対する考え方の違いなど政治史的な記述の見解は変わりませんが、著者はそれらを上回る理由として、晩年に生まれた子息である如意王に己の権能を受け継がせたいとの「野望」を持ったと、前述の黒田日出男氏の著作を引用して述べていきます。そして、幼くして亡くなった如意王を失った喪失感が、政治家として誠実であった彼をして、政治への興味を失わせたと述べていきます。

この辺りの著述には、歴史研究者の著述を越えて、文芸の領域にすら踏み込もうとする感がありますが、如何ともしがたいのが、当該部分の傍証として、一旦は遠ざけた「太平記」の、更には最も史実から懸け離れた後半の魍魎的記述に依拠しなければならない点ではないでしょうか。著者は確信的に、如意王の生誕と喪失を主因に挙げていきますが、一方で太平記こそ、直義を政権(室町幕府)の負の側面を押し付けるスケープゴート(それ故に怨霊として祀られる)であるとも述べている点が、大きな矛盾として感じられてしまうのです。スケープゴートたる所以=それこそが観応の擾乱の主原因と繋がる、がある筈なのですが、少々腑に落ちないところではあります。そして、このような見解を述べられる書籍に付きまとう、思慮が先走る事による筆致の限界と、その記述に引っ張られるように、五月雨的に発生するバランスの崩れが本書でも見受けられます。特に、核心の部分にも拘らず、その内容をあまりにも類書の記述に依拠しているため、本書を読んだだけでは著者の想いが見えてこないという歯がゆさも、更なる追い打ちをかけるかのようです。

人物像を語る書における魅力と限界を共に見せてくれる本書。本書を読まれる前に、類書をまずはじっくり読んだ上で、著者の想いをもう一度捉えなおしてみたいと考えながらページを閉じた次第です。

<本書をお読みになるにあたって>

  • 前述のように、本書は同じ角川選書から刊行されている黒田日出男氏の「国宝神護寺三像とは何か」に多くの記述、特に人物思想面を依拠しています。私は未読なのですが、本書の記述は、当該書が既読である事がほぼ前提となっている点に充分に注意することが必要かと思います(従って、私は本書を読む前に既に「落第」です)。なお、当該書は版元の弁としても「究極の歴史推理を読む」とまで評される内容であることを予め理解する必要がありそうです
  • また、冒頭に掲載しました写真の2作品「足利尊氏と直義」(峰岸純夫 吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)および、「足利尊氏と関東」(清水克行 吉川弘文館・シリーズ人をあるく)も文中で繰り返し引用されますので、既読であることが前提となるようです(あと、佐藤進一氏の「<日本の歴史9>南北朝の動乱」(中公文庫)も)。前著は政治史的な2頭体制について、もう一冊は人物史としての足利家及び一族が背負っていた歴史背景が詳しく語られていきます「足利尊氏と関東」については、下記にてご紹介しております

<おまけ>

本書と併せて読んでいた本達と、関連書籍のご紹介。