今月の読本「内山節著作集2 山里の釣りから」(内山節 農山漁村文化協会)川面から伝わる山里とユートピアとファンタジー、都会と労働と経済を結ぶ一筋の糸

今月の読本「内山節著作集2 山里の釣りから」(内山節 農山漁村文化協会)川面から伝わる山里とユートピアとファンタジー、都会と労働と経済を結ぶ一筋の糸

読書がなかなか進まなかった2月。

少しずつ読んでいた本の中から、いつもとはちょっと違った一冊を。

昨年から刊行の始まった、在野の哲学者(現在は立教大学の特任?教授を務める)である、内山哲氏の著作集より、初期の作品、しかも氏の著作の転機となった作品たちを収めた一冊です(地元の本屋さんで開催されていた農文協フェアで偶然見つけました)。

内山節著作集2 山里の釣りから内山節著作集2 山里の釣りから」(内山節 農山漁村文化協会)です。

まず、哲学者の著作集がなぜ農業書専門出版社から刊行されたのか、疑問を持たれるかもしれません。しかしながら、氏の経歴と本書をお読みいただくと、なるほど尤もだと思われるのではないでしょうか。

学園闘争華やかなりし頃のマルクス主義闘士としての経歴を持ち、それ故でしょうか、在野の哲学者として活動を続けてきた氏が第二の生活の拠点として都会から移り住む(正確には二重生活)きっかけとなった、山里の釣り(氏は渓流釣りという言葉を嫌うため、この特徴的な表現を用います)とその居となる群馬県上野村、神流川流域での生活。その生活から導き出された、山里の暮らしから見つめ直す労働と経済という、氏の現在の哲学の基礎となる思想が育まれた山村。氏は東京の生まれでもあり、所謂民芸や、農村芸術家といった生粋の農山村の生活から発生した文化活動とは大きく異なるのですが、その哲学はまぎれもなく、山里に根差そうとしている点からも、本版元の作品に相応しい著作集なのかもしれません。

そのような経緯を持つ本書は、表題にある様な釣りのお話が全面的に語られる訳ではありません。氏の分類によるところの釣りの本とは、第一に釣りの実用書、第二に交遊録、第三に釣りの哲学であると述べており、現在の釣りの本の多くは第三の哲学に近い書籍(ウォルトンの釣魚大全を挙げて)ではあるが、その境地に至るには貴族的退廃に通じる、釣りに人生を捧げるような刹那的な生き方をしなければ得られないと述べています。サラリーマン生活を続けるものとしては、本書の記述は充分に刹那的なのですが、それでもマルクス主義労働論を論じる立場からは、そのような視点は決して容認できないというスタンスのようです(その想いは、山里には自律的な経済が存在しえない事への冷徹な眼差しに繋がります)。

その代りとして、本書では周囲に広がる山里における生活風景を織り交ぜながら、釣りを通した山里の生活とその社会性、その根底に流れる氏の労働論との整合を論じていきます。その結果、本書には現在活発な議論がなされている地方回帰や、山里での生活論、自家消費的な小さな経済サイクルに対する検証(昨年、大ブレークした本もありましたね)への疑念から、都市からの人の呼び込みとその反動といった、山里を巡る論点の全てが備わる事になります。更には、これらの活動の一部が、都市生活者の山村生活者への価値観の押し売りであるとの厳しい指摘も備えられています。その議論の先見性は、本書に収められている作品の最初の掲載(毎日新聞社の雑誌、エコノミストの連載)が今から40年近く前になる1970年代末である事からも伺えます。

本書は著者のその思想と視点、著述の変遷を表すように、時系列を追って変化が見られることが判ります。1章では依然として、山里を訪れた釣り師としての視点で議論が進められていきますが、その筆致は哲学者でマルクス主義闘士としての過去の片鱗を見せる、少々無骨で直情的な内容に終始します。2章に至ると、その視点は少しずつ現在の拠点である上野村、そして神流川に移っていきますが不安定な筆致が続きます。釣り堀化された渓流域への嘆きや、釣趣の変化といった釣り師らしい語りもありますが、時にその物語は、源流域の物語から急に現在の利根川の河口に話を飛ばしてみたり、ダムや堰によって分断される魚たちや人々の生活の物語が唐突に織り交ぜられていきます。河口から遡上する物語も、歴史的な利根川の変遷から芭蕉の物語に通じてみたり、流域ごとの釣技と釣魚種に言及してみたりと、エッセイとも紀行文とも取れる内容が散発的に語られていくため、散文を越えて、皮肉交じりに知識力で読者を振り回すような感じすら受けます。

そして、本書の中核を成す第3章である「山村生活譜」。著者の視点は神流川の流域に点在する上野村の集落を起点とした筆致に収斂していきます。その視点は、これまでの釣魚としての山女魚、岩魚から、山里の生活の象徴としての川の魚達への視点へと移っていきます。語られる内容も、山里を起点にした生活、そして氏の研究テーマである労働と社会性への話へと移っていきます。

マルクス主義的な労働者の幸福論を下敷きにした検証と山里の生活の対比から導き出された氏の議論は、一方では労働幸福論的なユートピア発想を追及している点では楽観的すぎる嫌いもあります(勤勉な…と、いちいち皮肉を込める信州人、特に上野村の山向こうに広がる川上村の大規模集積農業に対する、氏のないまぜな心象に顕著に伺えます)。その一方で、現在の山里回帰における大きな課題となっている経済性の確保について、ごく小規模な経済活動の集積による持続可能な経済活動はあり得ない事を明確に導き出しています。近世以前から、米作が望める農村ならともかく、主食が得られない山里における自立した生活などは存在しえず、常に里との経済交流の上で生活が成立していたことを明確に示しています。そして、経済活動の軸となっているのが、山を越えていく峠であり、里に下りていく川。皮肉なことに、この里との繋がりを示す川を資源(水資源)として都会に提供することによって、流れとしての川による繋がりを失い、逆にそれによって生じた公共投資によって山里の現金収入が得られている事も明らかにしていきます。

そこには、単純な山里ユートピア論ではなく、都市に隷従する山里の姿から、本来はそれに抗する必要もなく、自主的な労働を基盤とした生活を有する山里の、自立することは叶わないが、対等な立場での経済性を有した社会生活の追及という、マルクス主義経済学を規範とする氏の哲学の深化が見受けられます。その深化の先に現在の山里復興論が繋がるのか。既に老境の域に達した著者は、冒頭の解題でその風潮を微笑ましそうに語るのみで、真意を述べてはくれません(氏の議論の先にはもちろん哲学的な「ある」帰結が用意されている筈ですが、本書では語られません)。

本書の後半部分は、前半と打って変わって釣り師としての氏の小作品が数点掲載されています。エッセイとして書かれたその作品には背景として社会性を伺える内容も見えますが、その記述は如何にもファンタジックで、哲学者の著述とは俄かに思えない事もあります。しかしながら、良く考えれてみれば現代において哲学者程にイメージとは裏腹に(日本に於いて)社会的に浮遊な存在はない筈。氏が釣り師の哲学をその存在形態から否定しているにも拘わらず、氏自身が哲学者という社会的に極めてファンタジックな存在故に、このような著作に繋がったのかもしれません。

<おまけ>

本書に関連する書籍のうち、本ページで扱っている作品をご紹介。

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今月の読本「バケツで実践 超豪快イネつくり」(薄井勝利監修 農山漁村文化協会)プロの農家と農業書出版社が手掛ける本気の食育・育農本

今月の読本「バケツで実践 超豪快イネつくり」(薄井勝利監修 農山漁村文化協会)プロの農家と農業書出版社が手掛ける本気の食育・育農本

まずはこの本の表題に、簡単に惑わされた事を恥じなければなりません。

表題のノリの軽さに、ついついお遊び企画なのかと想い込んでしまったのですが、数ページめくっただけで、自分の判断力の甘さを痛感させられたのでした。この本は、本気だと。

超豪快イネつくり2よくある、一粒の米のモミ。モミ自体も見ることが少なくなっているかもしれませんが、ご飯一粒分に過ぎません。もしコンビニのおにぎりで、ご飯粒が数個フィルムに挟まれて裏側に廻っていても、わざわざフィルムをばらして取り出すなんてことはせずに、そのままゴミ箱へ直行してしまう事が多いのではないのでしょうか。

超豪快イネつくり3でも、そのゴミ箱に葬り去ってしまった、たった一粒のご飯が、これだけのお米に化けると思うとどうでしょうか。そして、このたわわに実った稲穂を見ることが、たった一つのポリバケツで皆さんのお庭でも体験できるとしたら、お米で育ち、支えられる日本人にとってどれだけの感動と貴重な経験を味わう事になるでしょうか。

そんな、日本の食事の根底を支えるお米を作るという、大切なお話を、お話だけではなく、実際に皆さんで体験して、感動してもらいたい。そんな想いが詰まった一冊が、今回ご紹介する本です。

超豪快イネつくり1農業関係の書籍では随一の経験と実績を有する農文協(一般社団法人 農山漁村文化協会)が福島県須賀川市で農業を営むプロの農家で、ポリバケツによるイネの育成研究を30年にも渡って続ける薄井勝利氏と組んで編纂した「バケツで実践 超豪快イネつくり」です。

本書は、あくまでも児童及びその保護者に向けた、ポリバケツを利用したイネづくりのガイドブックという体裁を取っていますので、内容は極めて平易、記述も小学校高学年向け程度の理解力で読むことが出来るように配慮されています。

とろろが、内容を読み進めていくと、そんな読者層はおろか、一般の社会人でも全然知らないような内容がポンポンと飛び出してきます。苗の育て方から始まり、苗床の栄養、苗の葉の別れ方と葉齢なんて聞いても、多分ちんぷんかんぷんでしょう。

超豪快イネつくり9でも、名人である薄井勝利さんが育てた苗の写真を見れば、ああ、綺麗な苗だなあと納得してしまえる、学術書にも勝る丁寧に撮影された育成段階の写真と、実例が綴られていきます。その中で編者達は、きっちりと「機械化、大量生産化」された現在の稲作による育成方法と、イネ本来が持っている植物としての本当の実力の違いを明確にしていきます。

本書では、あくまでも楽しみながらイネの栽培に挑戦してみようというコンセプトで綴られていますが、バケツイネが植物本来のパフォーマンスを最大限に引き出すために編み出された、篤農家の実証的研究手法である事をさりげなく表していきます。

超豪快イネつくり4そのことが、もっともよく判るのが土づくりと、施肥に関するページです。

本書では、冒頭で丁寧に土づくりと最初に備えておきたい土の特性について触れた後、それこそ繰り返し施肥に関する記述のページが現れてきます。施肥のタイミング、肥料の種類と効能、何故、このタイミングでこの肥料を使わなければならないのか…。

一般の植物と農作物の大きく違うこと、それは種自体が殆ど人工的な交配によって作り出された「作物」であって、農家の方、つまり人間が世話をすることによって初めて育成できる植物である事です。

本書が繰り返し施肥について言及する、即ち、懇切丁寧に人手によって世話をしてあげることで初めて植物としてのイネは育つという事を、本書は実体験を通じて理解していくことになります。そこには、バケツイネという、ある種の閉空間であれば、土の特性も、過剰な施肥も、過小な施肥も自由に制御できる。その結果どのようにイネが育っていくのかを見極める。監修に当った薄井利勝さん本来の狙いが見えてきます。

超豪快イネつくり5そして、美しいイネの開花シーン。大人の読者でも意識せざるを得ない、植物が持つ神秘さ、不思議さは、作物としてのイネであっても不変であることを教えてくれます。

超豪快イネつくり8秋を迎えて採り入れのシーズンとなったバケツイネ。

バケツ一つに対して土づくり、施肥、日射条件を丁寧に施して育成したイネと、隣のお父さんが持っている、水田の中で大量生産をするために育成されたイネ。同じ品種の同じモミ一つから生まれたものが、これだけの違いを見せることに驚きを隠せません。

イネという「植物」が持っている本当の実力は、我々が普段食べているお米とは別次元である事をまざまざと見せつけるシーンです。まだまだイネには大きな可能性が秘められている。

実際に育ててみなければ判らない。普段から水田に囲まれて生活していても、青々とした田圃や、たわわに実る稲穂にカメラを向けていても、そこで育つイネの力、育てる農家の想いは判らない。そんな事を考えながら読んだ一冊でした。

超豪快イネつくり7最後に、本当にバケツイネを育てて見たくなった方の為に、モミや肥料の入手方法、育成結果を記録するシートが付録としてつけられています。

ご興味がある方は、本書をお読み頂くのが一番なのですが、こちらのページ(JAのみんなの良い食プロジェクト)も参考にされると良いかと思います。

稲穂の群れと快晴の甲斐駒1

今月の読本「希少種はいま」と「増える変わる生態系の行方」(増田今雄 信濃毎日新聞社)自然ではなくすべては人の営みの中に

今月の読本「希少種はいま」と「増える変わる生態系の行方」(増田今雄 信濃毎日新聞社)自然ではなくすべては人の営みの中に

今回は2冊のペアでご紹介。これまでも何度か取り上げさせていただきました長野県の地方新聞社にして、地方出版の雄、信濃毎日新聞社の新刊です。

信濃毎日新聞社の刊行物では何時もは楽しい本のご紹介が多いのですが、こちらは本格的に社会派、新聞連載記事を再構成して書籍化したもので、新聞紙上では再現が難しい貴重な動植物の写真が、フルカラーのグラビアで楽しむことが出来るだけでも価値のある一冊です。どちらも信濃毎日新聞社の編集委員である増田今雄氏が書かれています。

2010年に刊行された一冊目の「希少種はいま」と、今回刊行された二冊目である「増える変わる生態系の行方」は同じような表紙デザインのため、両者がシリーズ本である事は容易に想像できます。また、紙面の構成もほぼ同じですが、内容がそうさせたのでしょうか、一冊目の方は貴重な動植物のグラビア重視の図鑑風、二冊目の方は所謂マガジン形式でテキストを読ませることを重視したデザインで構成されています。

増える変わる生態系の行方

そして、この二冊は同じシリーズの本とは思えない程両極端なテーマを扱っています。

最初に刊行された「希少種はいま」は、まさに今危機的状況にある動植物について、当時流行っていた(流行では困るのですが)「レッドリスト」というテーマに基づいて取材された記事を纏められたものです。

ページ毎に紹介される動植物にはそれぞれにレッドリストのランク付けの標記がなされており、問題とされている状況の重さが把握できるようになっています。しかしながら、それぞれの記事を読んでいると、行政が定めたこれらのランク付けより、現状の方が遥かに状況が悪化している事を著者は指摘し続けていきます。

そして、これらの記事につけられている美しい写真の多くは、故意に撮影場所の記載が外されています。本来であれば、貴重な動植物に対しての知見を深めるためには、広くその存在を認知してもらい、直接生息域で観察してもらうことが最も効果的なのですが、記事の中でも繰り返し述べられているように、生息環境を保護し、盗掘を防ぐため、やむを得ない措置として伏せられています(取材交渉や撮影にはかなりの御苦労もあったようです)。

貴重な動植物は、その貴重さが高まるほどに経済的価値も天井知らずで跳ね上がっていくため、前述のような規制を敷いた上での取材記事となっている事は非常に残念なのですが、それ故に、掲載されている美しい動植物の写真は極めて貴重なものである事も事実です。

そんな貴重な写真の数々で彩られた「希少種はいま」に対して、今回刊行された「増える変わる生態系の行方」の方は、一見どこにでもある風景が実は外来種で埋め尽くされている事実を写真と共に我々に問いかけてきます。

温暖化による動植物の北進、高層部への進出、今話題のツキノワグマや鹿の大増殖などは長野でなくても最近、頻繁に耳にするようになりましたが、出色なのは外来植物の広がりについて多くの項を割いている点です。

路肩の雑草や、木々が何処からどのように来たかという事に関心を寄せる方は決して多くないと推察されますが、本書を見ていくと、実は多くの外来生物に占拠されている事に唖然とさせられます。そして、島国である日本で外来生物が上陸するのは必ず海沿い、特に貿易の盛んな場所からという事になりますが、長野県の外来種の場合はやはり横浜から上陸して定着してく種が多いようです(別書での指摘ですが、過去には鉄道の沿線沿いに広がるという傾向が認められたらしいです。GISの出番ですね)。

すなわち、海岸沿いや標高の低い場所、南の方から進出してくる動植物が、海から最も遠く、標高も最も高く、寒冷な長野県に定着したという事実が認められれば、その外来種が本州全体に定着している可能性が高いという判断が出来ることになります。

本書で扱われる外来種は、長野の一ローカル紙の連載記事でたまたま扱われたに過ぎないかもしれませんが、実際には日本全体に広がる外来種の進出状況を表すバロメーターになっているのではないかと思えてくるのでした。

そして、前著「希少種はいま」と同様に「増える変わる生態系の行方」で扱われた動植物の動向も、元を辿れば環境の変化や生態系の破壊、人間生活の移動範囲の大幅な拡大とそれに伴う無防備な動植物の導入による拡散…と、全て人間の生活変化に付随して生じている事ばかりです(盗掘、密売は言うに及びません)。

本書の貴重で可憐な動植物、目を疑うような路肩や河岸の外来植物の群落、傍若無人な動物たちが闊歩する山里の写真の数々を眺めながら、現在の我々の置かれている厳しい状況に目を向けずにはいられなくなります。表紙の帯の色がレッドリストを表す「赤」、外来種への警告を発する「黄」である事に著者の深い憂いが滲み出ているかのようです。

<おまけ>

  • 本書は、新聞連載コラムが元となっているため、閲覧性は極めて良いのですが、テーマを掘り下げて読まれたい方には少々内容が不足気味かもしれません。そこで、野生動物たちの明からな生態の変化を写真を通じて伝え続けている、駒ヶ根在住の動物写真家・宮崎学さんの作品も併せてご紹介します。増える変わる生態系の行方とイマドキの野生生物こちらの一冊「人間なんか怖くない 写真ルポ イマドキの野生動物」(宮崎学 社団法人農山漁村文化協会)です。この挑発的なタイトルと、人を食ったような表紙の写真、タイトルとは全くそぐわないお堅いイメージの版元。著者と版元の由来ご存じでない限りには、Webに広がっているトンデモ系サイトの写真を集めて刊行した写真集かと思われそうですがさにあらず。土門拳賞受賞者でもあり、動物写真の第一人者にして卓越した撮影技能と工夫を凝らした自動撮影機器の開発でも定評のある著者が、地元駒ヶ根をベースに自動撮影を駆使して収集した動物たちの本当の生態を見せる衝撃の写真の数々と、その探究心から発した興味深い生態や環境の変化への視点。そして、農林水産関係の書籍では学術書からコミカルタッチなエッセイまで無類の規模と幅広いラインナップを誇る農文協がタッグを組んで、急速に変わりつつある野生生物の生息環境と生態を保護の視点ではなく、現実を直視するため(著者はジャーナリズムもしくは報道写真と評しています)には、どのように伝えればよいのかを模索した一冊となっています。都会に暮らしているとほとんど意識することのない話題ばかりかもしれませんが、実は皆さんの暮らしているすぐそこまで野生生物の足音が聞こえてきている事を意識せずにはいられなくなる一冊です。
今月の読本「二万年の奇跡を生きた鳥 ライチョウ」(中村浩志 農文協)ライチョウ研究のトップが静かに語る「奇跡」の今

今月の読本「二万年の奇跡を生きた鳥 ライチョウ」(中村浩志 農文協)ライチョウ研究のトップが静かに語る「奇跡」の今

New(2015.11.21):明日(11/22)夜に、NHKの動物番組「ダーウィンが来た!生き物新伝説」で南アルプスにおけるライチョウ保護活動がテーマとして採り上げられることになりました「ライチョウを守れ!ボディガード大作戦」。番組には、本書の著者でもある中村浩志先生も登場、本書でも語られる、より人間が関与する形でのライチョウ保護活動の現在の姿が放映されることになっています。既に番組ホームページには、ウラ日記として取材記が掲載されています(番組終了後には次回放送分に更新されてしまう筈なので、掲載は期間限定です)。番組は19:30より全国ネットで放送予定です。

New(2015.9.14):2004年を最後に飼育を中断していた大町山岳博物館でのニホンライチョウの再飼育に向けての準備段階である、近縁種であるスバールバルライチョウの飼育について、新装されたライチョウ舎が本年7月より公開となりました。こちらに新たに設けられたライチョウ舎の訪問記(大町山岳博物館の付属園です)を追加しました。

New(2015.5.26):大町山岳博物館における2004年を最後に飼育を中断していたライチョウの再飼育に向けて、各地で近縁種であるスバールバルライチョウの飼育が行われていましたが、いよいよ上野動物園と富山ファミリーパークにおいて、次のステップでもあるライチョウの人工飼育に着手することが決定しました。再びライチョウたちが信州の山々に舞い上がる日を願って。

何時もお世話になっている、八ヶ岳西麓最大の書店であり、夜9時(以前は10時まで)まで開いている為に仕事帰りの気分転換にもしょっちゅう立ち読み(ゴメンナサイ)させて頂いているi書店様は、場所柄、登山や、ガーデニング、農業関係の書籍も充実しています。

そんな訳で、都市部の書店では専門書のコーナーでないとなかなか取扱いの無い農文協(農山漁村文化協会)さんの本も普通に並んでいたりします。

農文協さんの本というと、どうしても専門書というイメージが強いのですが、以前ご紹介した職漁師伝」もそうですが、農漁業や自然関係のエッセイも結構出されています。

今回ご紹介するのも、そのようなエッセイ集として刊行された一冊。地元、信州大学名誉教授で、前日本鳥学会会長、他社や地元出版社でも多数の書籍を執筆されている中村浩志先生が専門のフィールドである鳥類、それも現在の研究テーマであるライチョウを全面に置いて書かれた一冊「二万年の奇跡を生きた鳥 ライチョウ」です。

ライチョウ本書では、著者が信州大学のライチョウ研究で前任である羽田健二先生から研究を引き継いでからの近年10年程に関するフィールドワーク、研究結果について一般読者にも判り易い形で書かれた書籍で、肩肘張った研究書でも、自然保護を前面の押し出したプロパガンダ的啓蒙書でもありません。

鳥類研究者として、ライチョウ会議議長として、ライチョウ研究の国内第一人者としての「ライチョウ研究の今とこれから」を丁寧に解説されている一冊です。

流石に多数の書籍を手掛けていらっしゃるだけあって、平易かつ説得力ある文章は読んでいて心地よく、知らず知らずのうちに読者をライチョウ研究のフィールドに誘ってくれます。

また、巻頭には四季の高山の風景に合わせて姿を変えていく貴重なライチョウたちの写真が16ページにも渡ってカラーで掲載されており、文章と写真を見比べることで、ライチョウの四季に渡る生活シーンがより理解しやすくなるように配慮されている点は非常に嬉しいです(その分、お値段が…)。

本文のスタートは衝撃の「ライチョウ釣り」からスタート(本当に釣竿の先に輪っかにしたワイヤー付けて釣り上げているんです)する掴みの上手さですが、その後で実はライチョウの研究に乗り気ではなかったという著者の偽らざる心境が語られます。

著者の主たる研究テーマはカッコウの托卵生態(巣の宿主が産んだ卵より先にふ化して、かつ宿主に育てさせるという非常に有名かつ、特異な生態)で、本当はライチョウ研究は片手間であったはずなのに、カッコウの研究が一段落した後に何故、再び厳しい環境でもある高山帯での研究に挑む決心をしたのかについても語られています(この決意の理由は最終章のテーマに繋がっていきます)。

50歳を過ぎて、再びライチョウの研究に立ち向かった著者のスタンスは、前任者である羽田先生とは対極を見せる「生態環境の完全解明」であり、個体識別のためには捕獲も辞さない(もちろん厳しい制約の元です)という立場を明確にしていきます。

その結果、これまで判明してこなかったライチョウの生態がこの10年間で飛躍的に解明される結果となったのです。

特に印象的だったのが、その地域の生息数の上限が、連年オスが縄張りを張れる領域(産卵と育児に適したハイマツの灌木が得られる地点)のスペースで規定されるという点でしょうか。

一般的な鳥類であれば、その卓越した飛翔能力を活用することで、生息域の拡大や、生息域の環境変化に対応した繁殖地の変更を比較的容易に行う事が可能です。

ところが、氷河時代以降、高山に孤立してしまったライチョウにとって、生息に適している環境は山々の高山帯に点在しており、点在している繁殖域を行き来するのは、高い飛翔能力を有しているといっても至難の業(なんといっても酸素濃度の低い高空を長時間無着陸で飛翔する必要があるのです)。結局として各繁殖地の面積、環境に非常に依存した繁殖活動しかできない事を個体識別で明らかにしていきます。

また、過去の研究成果との比較で、ライチョウの飛翔限界と過去の分布域、DNA解析による検討結果から、ライチョウが北方からどのように定着していったかを明らかにした点も非常に判り易く語られています。

この事から、非常に大きなニュースとなった70年ぶりの白山でのライチョウの飛来と、繁殖可能性(何故繁殖環境があるにも関わらず白山で雄雌ペアができないのか)についても説明されています。

そして、語られる内容は非常に深刻なテーマへと移っていきます。

前述のように、孤立した繁殖環境では種の保存にとって重要となる遺伝多様性が低下することは既に良く知られている事です。

以前であれば、ライチョウの飛翔能力によって補われていた点在する繁殖地間の往来も、気温の上昇による繁殖地の分断化が進んだため、南アルプスの群と北アルプス/頸城の山々の群に分かれてしまい、繋ぎとなる八ヶ岳の環境が改善しない限り、個体群の交流は絶望的な状況です。

更に、個別の繁殖地でも気温の上昇による高山植物の遷移(山頂の高さは決まっているので、最終的には消失に繋がります)による切迫感は、平均気温があと2℃上昇しただけで、絶滅に瀕するとの予測を打ち出しています。そしてここでも話が出てきてしまうシカの問題…。

25年ぶりに行われた個体調査の結果は、見事に上記の懸念を裏付ける結果となってしまい、南アルプスの個体群は大幅に減少している事が明らかになっています(報道等でご承知かとは思いますが、南アルプスでは高山植物が食害で激減、対抗策として高山帯でシカを捕獲、ヘリで地上に下ろすことを試さなければいけないほど、事態は切迫しています)。

それほど厳しい状態に置かれているライチョウですが、奇妙な事に警戒心に乏しく、人に対しても殆ど無関心を貫いています。

高山帯という非常に限られてはいても競合の少ない環境で生育している事が大きいのでしょうか、写真で見るライチョウの育児シーンはとてもおおらかな感じが伝わってきます(調査の結果でも、ヒナの死亡率で最も高いのはふ化後の気温低下による凍死であり、食害は思いのほか少ない)。そして、高山を目指す登山客にとって貴重なライチョウとの出会いは大切な思い出となっているはずです。

著者は、海外のライチョウ類(狩猟対象でもあります)の生態と比較しても特異なこのライチョウの生態を日本人の山岳信仰、農村での生活環境、そして里山と神々の峰ともいえる高山帯との峻別にその理由を求めようとします。

そのすべてに同意する事は出来ないのですが、ライチョウという鳥が、極めて限られた自然環境に守られて育まれた結果であることは間違いないようです。そして、その環境を底辺で支えていたのが人々の生活であったのであれば、何をしてあげることがライチョウの未来を繋げてあげられるのか、おのずと見えてくるような気がします。

著者が最後に投げかけている「ライチョウは生き残れるのか?」という問いに、現時点で解は無いのかもしれません。しかしながら、同じ環境を共有する我々に課された課題は非常に大きいと云わざるを得ない事を感じながら帯に書かれた「奇跡」の二文字を改めて見た次第です。

<おまけ>

農文協さんの本で以前に取り上げた本をご紹介します。

  • 今や絶滅しつつある川をフィールドとして生活の糧を得ていた漁師の姿を、同じフィールドを生きるアングラーの視点で描く「職漁師伝」(戸門秀雄)こちらにて書評を書いております
  • そして、今回の本でも取り上げられています、野生動物の急激な生態の変化について、無人カメラを駆使して撮影され続けている動物写真家、宮崎学氏の著作。この写真集を手に取った後で、八ヶ岳南麓にお越しになれば、あらゆる山裾、畑、田圃が電流柵とネットで覆われてしまった理由が判ると思います。自然保護という言葉は、その地に生きる者にとって軽くない「イマドキの野生動物」(宮崎学)
  • 職漁師伝とイマドキの野生動物
今月の読本「職漁師伝」(戸門秀雄 農山漁村文化協会)峰々と渓々が繋ぐ人の営み

今月の読本「職漁師伝」(戸門秀雄 農山漁村文化協会)峰々と渓々が繋ぐ人の営み

書きかけの論文がなかなか進まない中、気晴らしに何か軽めの本を読もうと入った何時もの書店。こういう時に限って気に入った一冊が見つからずに店内を徘徊するうちにふと農業、園芸書のコーナーで見かけた一冊。

余程気に入らなければなかなか手に取らない価格(2600円)に若干躊躇しながらも、立ち読み大好き人間ならお分かりかと思いますが、咄嗟に感じる「これは面白そうだ」というオーラに負けて買って帰って読み始めたら、これが大正解だったのです。

今回の一冊は、その存在は知っていましたが、まずは手に取る事も買う事もなかったであろう版元である「農山漁村文化協会(農文協)」から刊行された、版元にしては実に珍しい一般向けの書物「職漁師伝」(戸門秀雄・著)をご紹介します。

職漁師伝私自身、魚関係は大好きでも、残念ながら渓流釣りは嗜みませんので全く存じ上げませんでしたが、著者は、釣り関係ではかなり有名な方のようで、釣り具メーカーのフィールドテスターやその筋の出版社から刊行される書籍や雑誌に多数寄稿されていらっしゃいます。

本書もそれら出版社の一つである山と渓谷社の雑誌に寄稿された連載記事を基底においていますが、一部加筆と冒頭の部分に新たな章を書き加えて再構成された内容となっています。連載自体が1990年代と少々古いため、現状と合致していない点もあるようですが、必要な加筆、補正は加えられていますので、別段気になるようなことはありません。

それよりも、もはや鬼籍に入られてしまった方々に対する貴重な取材結果を散逸する前にこのような形で一冊として出版されたこと自体、素晴らしい事かと思います(それだけ刊行までには御苦労もあったかとは思いますが)。本来であれば、連載元であった山と渓谷社より刊行されたもしれない内容かとは思いますが、あとがきで著者が述べているように農文協より刊行されたことで、博物学や民俗学といったジャンルの視点が加わって編纂されたことは、大正解だったのではないかと思います。

本書は複数の章に分かれていますが、元が連載記事らしく各章の構成はほぼ同じです。ある渓を生活の基盤として、漁を以て生活の糧とした方々の漁を始めるにあたってのいきさつ(祖先が定着した由来も含みます)、その職漁の実態、漁場の取り決め、販売先や売り方、収入、副業、現在(取材当時)のご本人の暮らしぶりをそれぞれのエピソードに添えて語っていきます。

生活の基盤となった渓流とその生活圏を判り易く紹介したイラストマップ(今回、書籍化のために新規に作成)、釣り雑誌連載に相応しいタックルの紹介、そして民俗学的にも貴重なそれぞれの渓で伝統的に使われてきた美しい毛バリの紹介(巻頭カラーには、ほかにも民芸として貴重な写真が豊富に掲載されています)や魚篭の解説…これだけの内容を揃えていれば、釣り愛好家の為だけに出版するのは勿体ない話で、(手に取りにくい弱点はあるのですが)山村文化に造詣の深い農文協の刊行に相応しい内容となっています。

このように書くと、ちょっと硬めの内容なのかなと気になさるかもしれませんが、その辺りは流石に数々の一般向け書籍を出されていらっしゃる著者ですので、肩肘張らずに気楽に読むことが出来る内容になっています。

文中で紹介されてく職漁師の方々と渓流釣り師としても著名な著者との親密な関係から得られたであろう貴重なお話は、奇しくもほとんど同じようなストーリーに彩られている事に驚かされます。

  • 現在の仕事が山小屋や民宿であれば、その初めは山仕事の為に作られた作業小屋から出発していること
  • 渓で職漁師が成り立った理由がいずれも、温泉であったり料亭であったりという山間部では貴重な新鮮な魚を求める「お客様」が居たこと。そして、その収入は山村においてはかなり高額であり、職漁師として生きていくきっかけを与えてくれたこと
  • そもそも漁場自体にかなり厳密な「テリトリー」が設けられており、その中でルールを決めて漁を続けることで漁場の安定と資源の枯渇を抑えていた事(そして魚止めより上流にできた多くの釣り場は自然に形成された訳ではなく、彼らが移植した魚たちの子孫が息づいているという重要な事実)
  • 一見、険しい山脈によって遮られて、別々の物語を織りなしているように思える各山々、渓流の物語が実は当時の人々の旺盛な行動力により険しい山脈を越えて人の繋がりによって密接に結びついている事
  • そして、最も重要なのは釣りの達人たる彼らは山仕事でも、手仕事でも、猟でも一流の腕前を以て、家族を養い、山村の生活を支えていたという厳然たる事実

本書は単なる渓流釣り名人の釣技を披見したり、山村の厳しい生活実態の悲惨さや苦労話を訴えている内容ではありません。逆にユートピア的な物語もありませんし、極端な自然保護や環境破壊に警鐘を鳴らすための内容でもありません。

明治から平成の初めにかけて、実際に渓を生活の糧として生きてきた人々の物語を、その心意気が最も理解できるであろう「釣り人」の視点によって描き出されている点が読んでいて実に心地よく、落ち着いた筆致を介して、往年の名人と謂われた方々が生き抜いてきた渓流、山村の雰囲気やその生き様にほんの少しだけ垣間見せてもらえたような気がする一冊です。

ネットでは決して得られない、本屋さんでならではの「偶然のめぐり合わせ」に感謝をしながら。

<おまけ>

本書は奥志賀から始まって秋山郷、草津、嬬恋、奥多摩、尾瀬、銀山平、神流川、乗鞍、奥飛騨、最後に飯能と続いていきます。

お判りになる方はニヤッとされるかもしれませんが、いずれも信州をぐるっと廻っていくと辿りつける場所ばかりです。私にとっても地理感が充分にある場所だったりしますので、読みながらいちいち頷きまくりとなっていました(銀山平以外は全部行った事があるような)。

特に、奥志賀と秋山郷、草津、嬬恋までは当然のように繋がりがあったでしょうが、良く考えれば、秋山郷まで来ればもう東は越後の山々なので銀山平も、銀山平まで来れば尾瀬も当時の山人には指呼の間だったのかと思います(マタギとのつながりと来るとスケールが大きくなりますが)。

もちろん奥多摩と神流川、飯能は同じ秩父山塊で繋がっていますし、奥飛騨と乗鞍も野麦峠越しで繋がっていますね。乗鞍から奥志賀に繋がるかもしれないという話はちょっとびっくりですが。

現代人から見ると、車が行き来できないほどの険しい山を挟んでの交流はないのではないかと勝手に想像してしまいますが、実際には人の足で行き来できる範疇であれば、たとえ山を挟んでも交流はあるものなんだと考えを改めさせられるところです。

野反湖から秋山郷を望む緑に光る流れを