今月の読本「紫外線の社会史」(金凡性 岩波新書)科学が求められ伝えてきた健康と有害の狭間で揺れる見えざる光の両側面

今月の読本「紫外線の社会史」(金凡性 岩波新書)科学が求められ伝えてきた健康と有害の狭間で揺れる見えざる光の両側面

そろそろ暑いシーズンを迎える頃。燦燦と降り注ぐ太陽が眩しくなると気になるのが紫外線。最近ではオゾン層破壊との関連で盛んに議論され、天気予報にも紫外線情報が毎日伝えられ、その防御(著者の言う日傘男子は果たして…)が盛んに取り上げられますが、ちょっと時間を巻き戻すと「小麦色の肌」「逞しく健康的な日焼けした体」「日焼けサロン」「ガングロ女子高生」等々…積極的な日焼けを推奨するシーンも繰り返し訪れていたように思われます。

今回ご紹介する一冊は、そんな両極端に扱われる「見えない光」をどのようにして科学が伝えてきたのかを解説する一冊です。

今回は「紫外線の社会史」(金凡性 岩波新書)をご紹介します。

まずはじめに、本書は紫外線に対する光学的な特性や太陽、天文学的な要素、工業利用を含む産業としての紫外線利用や研究史を語る本ではありません。また、表題には社会史とありますが、紫外線に対する健康面での有害性や危険性を前提にした、社会学が求める枠組みに沿った倫理、思想面を下敷きにした推移を述べる内容でもありません。

著者はちょっと珍しい「科学史」を専攻される方。前著の上梓後、その内容から地震研究者と誤認されていることを嘆かれていますが、著者の研究内容はその分野における科学的な知見が一般社会にどのように伝えられていったのかを歴史的な推移を添えて述べていくことであり、ある科学的なテーマが社会へと受容されていく過程を多面的に捉えていく事を主眼とされているようです。

最近一般書でも多く見かけるようになってきた人文系の研究者、著者の方による「ものの歴史」をテーマにした書籍。しかしながら、その内容には物に息づく歴史や文化、人と技術の推移を語る以上に、テーマに仮借される著者の倫理観、社会性や思想的な立場を投影するために選定された対象物として取り扱うという内容が散見するように思われます。本書のテーマである「目に見えない」光である紫外線。著者も指摘するように同じく目には見えない放射能(放射線)同様に、その科学的な特性が分からない段階では極端な期待や著しい恐怖を生み出すことは繰り返し述べられてきましたし、人文系の視点でそれら双方を強調する著作も多くあるかと思います。

一方、著者による科学史のアプローチでは前述の切り口とやや様相を異にしていきます。表題に示されるように本質的には社会への影響を綴っていきますが、そのアプローチは「科学」が伝えた内容から説き起こしてく点。本書では紫外線の人工的な利用の発端となる紫外線照明(人工太陽、紫外線ランプ)実用化以降、太陽光線を含む紫外線の利用や弊害に対して、科学、工業、医療の立場から各種の媒体を通じてどのように伝えられてきたのかを多面的に紹介していきます。

科学の発展と共にその役割が把握されつつあった太陽とその光に含まれる見えない二つの「ひかり」紫外線と赤外線。赤外線は温熱効果など常に有用性がもてはやされますが、一方で紫外線はその発見時から人体への悪影響(日焼けと目の負担)というネガティブな存在として位置づけられます。一方で当時深刻な問題であった脚気、くる病、そして日本では亡国病とまで呼ばれた結核。これら当時は治療法や原因が未確定な病気に対して太陽療法と呼ばれたサナトリウム(富士見高原療養所と正木俊二先生の名前も)での療養を核にした健康療法、治療法の一分野としての紫外線照明が見出されます。また江戸煩いとも呼ばれた、日本の都市生活が生んだ病気、当時の陸軍を悩ませた脚気。ビタミン博士、鈴木梅太郎を軸に健康とビタミン、その先にあるビタミンDと日光浴の効用から紫外線ランプの普及を狙うマツダランプ(東芝ですね)の動きを描く日本。一方、海外では大都市居住者に対するくる病発生率の高さとその解決策として、健康増進と社員の福利厚生の一環としての大企業のビタミン剤配布、人工太陽照明の採用。更には鶏や牛乳への紫外線照射による骨の強化やビタミンD不足対策という微妙に異なる推移を示していきます。

何れも都市生活というキーワードで語られる病気の治療法として期待された人工太陽照明。その効用と疑問の双方を述べる科学者、医師たちの言葉とともに、著者が示す2枚の写真から浮かび上がる特異的なシーン。今から見るともはやオカルトにも感じる姿ですが、これが当時、最先端科学とされた姿を捉えたもの、そして効用を期待された結核や脚気にはあまり意味を為さなかったことを現代の我々は知っていますが、当時は疑念的な意見がある中でも科学的な議論の遡上にあった事を指摘します。著者はこれらの議論が現在まで続いていることをその解説を述べる文章(新聞記事や広辞苑を引いて)と共に提示して、科学的な認識が社会にどのように受容され、変化してきたのかを示します。

そして、戦前から現在まで繰り返される日焼けによる健康的な肌色と紫外線、太陽光からの暴露を抑えた肌色への憧れ、美白の狭間で揺れる人々の健康と美の意識。著者はその推移を最も明確に残す資生堂の社内誌に記載された内容を示しつつ背景を探っていきますが、ここで非常に興味深い着目点を提示します。

前述のような都市生活という新たな生活シーンにより生まれた病気、その病気の罹患率と日焼けを健康的と見做すか否か。国と地域、貧富の差、人種、そしてジェンダー。健康というテーマの背景には敢えて語らずともこれらの断面が色濃く刻まれていることを当時の記録の中から読み解いていきます。

特に著者が指摘する、健康と美という側面を強く意識し、更にはその知識を理解し伝える事が求められた「科学的母性」という存在。明らかにジェンダーに偏ったその存在と提供された科学知識。その見えざる光が有する科学的な有用性と有害性に最も敏感(と定尺された)女性、母親たちに対する科学知識の伝え方の変化、端的に言えば「科学に対する需要」の変化から、社会の一側面を見出していきます(なお、美白と健康美の変遷はそれだけでは理解しきれないと)。

外出が憚られる事も多い昨今。屋内生活が続き運動不足で日差しをたっぷりと浴びることが少ない方も多くいらっしゃるかと思いますが、都市に集住し同じような悩みを漠然と抱え健康に懸念を持った当時の人々に対して科学がどう応えたのか。ちょっと歴史を振り返ってみると、現在数多に溢れるそれらに対する情報や科学的と称される見解にどのような背景があるのか、多面的に考えるきっかけを与えてくれる一冊かと思います。

 

今月の読本「動物園巡礼」(木下直之 東京大学出版会)動物園人と娯楽とした人々の業を禊ぎ歩く美術史家の巡礼記

今月の読本「動物園巡礼」(木下直之 東京大学出版会)動物園人と娯楽とした人々の業を禊ぎ歩く美術史家の巡礼記

何とも壮絶な一冊に巡り合いました。

これまでも動物園や水族館を扱った本は数多あったかと思いますが、不幸なことにその動物園の立地と常に尻を向け合う事になるという美術館、現在はその館長を務める美術史家の方が綴る、痛烈な批評精神と洒脱を以て動物園人(猿人?)へ向けられた一冊をご紹介します。

動物園巡礼」(木下直之 東京大学出版会)のご紹介です。

著者は大学の教授職と共に静岡県立美術館の館長も務める方。所属大学の出版会から出された一冊は大学出版会が刊行する著作としては少し異色の、著作歴そのままに砕けた筆致を具えています(最近は大学出版がこのような本を出しても、あまり驚かなくなりました)。

美術史、特に大衆芸術や文化史に関する多くの著作を有する著者。本書もその一連の著作に連なる内容を有していますが、テーマは動物園。臭いや音と言った芸術鑑賞を甚だしく阻害する動物園と美術館は相容れない存在ですが、前述のように公共施設として同じ敷地に作られる事が多いという奇妙な巡り合わせから本書は綴りはじめます。

本来は著者が講義のテーマとして採り上げた日本人と動物園の文化史の授業内容を一冊の本として纏めるはずであったものが、授業の流れから動物園関係者との縁が生まれ、JAZA(日本動物園水族館協会)の広報戦略に関与し、大学関係誌の連載に化けた末で本の執筆に至るという、複雑な遍歴を遂げて上梓されたようです。

相容れない関係を有する二つの「園・館」と「館」が奇妙な邂逅を遂げて綴られる本書、その関係がもたらした訳ではありませんが、実に辛口な内容が綴られていきます。その辛さはピリッとくる山椒や燃えるような唐辛子とは違う、辛さの先にスッと来るワサビのような清々しさもない。何処までもどこまでも唯々辛い「辛味大根」のような辛辣さで、江戸時代から直近話題となっている滋賀の某動物園に至るまで、人と動物園・水族館の残酷物語がひたすら綴られていきます。

ゾウから始まりクマ、サル、チンバンジー、恐竜、ライオン、ゴリラ、鯨類からカバ、ラクダそしてオラウータン。

著者が動物園人の業と呼ぶ、野生生物を檻に入れて取り囲み衆目に曝し、更には芸を仕込み、服を着せ煙草を吸い、自転車や電車を運転させては金銭を稼ぎ、戦争や言われ無き不条理の内に死に至らしめる。就中にはそれは研究だ学問だ生物保護だと言い出す身勝手さを、それを娯楽として興じた大衆を含めて存分に攻め立てていきます。

日本人が動物園と言う空間(物理的な固有空間を持たない場合も)を用いて行ってきたそれらの蛮行の歴史を禊歩く様に全国の動物園、施設を巡る著者。此処まで書くと、分ってはいるが動物園側にも言い分はあるという尤もなご意見が出てくるかもしれませんが、そこはJAZAの事業に関与した著者も御見通し。

表面的な残虐性ではなく、時代史の中で描かれ自らも体験した動物園と動物たちの姿として、昭和の時代描写を全面に掲げて描かれる、人文系の研究者ならではの膨大な知識力を背景に大衆芸術史を紐付けながら綴り込んでいきます。それは江戸の見せ物小屋から始まる長い歴史を有する大衆娯楽の一環としての動物芸と開港と共に上陸した動物芸が織り込まれたサーカス、標本、観察を主体とする近代日本にもたらされた博物学的な素地が公共サービスとしての公園施設の一環として奇妙な同居の末に発展を遂げたキメラのような存在。

近年の自然保護、動物愛護的な側面だけでこれらの推移を捉えようとすると、そんな小賢しい言を振り回しても無駄だよと言わんばかりに、昭和の名話者、小沢昭一のテイストそのままに、ユーモアと猥雑さすらも取り込みながら、文化史として縦横にいなしていく筆致で封じ込められてしまいます(この筆致と意図を含み笑いを浮かべながら受け止めらるのは、ある年齢以上の方ではないでしょうか。不幸な事に幼少期から「小沢昭一の小沢昭一的こころ」を傍らで聞かされ続けた、二世代以上年少の私は、まんまとこの文体に呑まれましたが)。そのような中で、何とかして動物たちに寄り添い、より良い環境を与えようと奮闘し、あるいは贖罪の如く命を捧げた飼育員、管理者達の姿もサイドストーリーとして捉えていきます。

見せ物としての動物園と人の関わりの過去を禊ぐ前半に対して、後半は現在進行形の姿。動物の愛護と野生生物の保護が存在の前提、お題目として唱えられても厳然として存在し続ける動物園・水族館、それをレジャーの一環として嬉々として受け入れている我々に対して暗側面を突く巡礼が続けられていきます。

著者が関与することになるJAZAの混乱から始まる、何故動物園・水族館と言う場所で動物、水族達を飼育し、観に行くのかと言う根源的な疑問へのアプローチ。敢えてJAZAの範疇を離れた姿を見せる事でその課題と闇の深さを強烈に印象付けていきますが、本書では最後までその回答を述べる事はありません。

動物園へお尻を向け(ていた)美術史家である著者から与えられた「お題」、それは日々動物・水族達に献身的に務める動物園人の皆様と、其処に価値を見出している、楽しみにしている我々に委ねられた課題だから。

<おまけ>

本書の中盤で語られる、捕鯨とイルカショー問題の原点にある、戦後の水族館激増と学術研究、娯楽施設の同床異夢について語る部分は、写真の著書(水族館日記 いつでも明日に夢があった)からの引用を含めて、(旧)江ノ島水族館の立ち上げスタッフで後に東海大学教授、東海大学海洋科学博物館館長を務めた、戦後の水族館運営、スキューバによる水中撮影のパイオニア、鈴木克美先生の協力で書かれています。著者と同郷の浜松出身ですが、ちょっとやっかみを込めた紹介がなされていくのも、著者の流儀と言う事で。

<謝辞>

神戸時代は道一本挟んでお互い一度も顔を合わせる事が無かったと文中で紹介された、JAZAにおいても著者と協業されていた、よこはま動物園ズーラシアの村田浩一園長先生に本書を紹介して頂きました。御礼を申し上げます。

今月の読本「通信の世紀」(大野哲弥 新潮選書)暗号と傍受、国家と官僚。岩倉使節が直面した課題は今も海底ケーブルの先に

今月の読本「通信の世紀」(大野哲弥 新潮選書)暗号と傍受、国家と官僚。岩倉使節が直面した課題は今も海底ケーブルの先に

インターネットの普及によって、世界中の情報を動画や音声、画像、テキストで簡単にやり取りできるようになって既に20年近くが経過しますが、それ以前の我々は、どんな形で世界とコミュニケーションを取っていたのか、覚えていらっしゃる方は少なくなってしまったかもしれません。

島国であるこの地に住む人々にとって、海の向こうと情報をやり取りするためにはどうしても必要になる「通信」。こちらのリンク先(GISで有名なesriジャパンのサイトです)をご覧頂くと驚くかもしれません。少し前の時代ですと、人工衛星による中継と言うイメージが強かった海外との通信ネットワーク。実は世界中に張り巡らされたこれら海底ケーブルにより殆ど(90%以上)が賄われています。

海の向こうと通信を行うためには必須となる無線通信と海底ケーブル。インターネットが世界を変えると叫ばれて久しいですが、そのインフラとなる海底ケーブルの敷設と運用、国際通信こそが近代日本の歴史を左右したことを力説する一冊の紹介です。

今回は「通信の世紀」(大野哲弥 新潮選書)のご紹介です。

本書は副題にあるように明治維新以降直近までの日本における海外との通信網整備の歴史過程を綴りますが、内容は大きく3つに分かれています。

明治の近代化に伴う海外との通信路確保の物語から始まり、戦前の短波通信と無装荷ケーブルへと至る変遷を綴る前半。戦後の占領政策による独自通信網の喪失から高度成長期の海底同軸ケーブルと衛星通信による回線増強、そして光海底ケーブルとインターネットによる爆発的な通信量の増大へと至る後半。メインとなる日本における通信の歴史に挟み込まれる中盤で、本書の白眉となる日米開戦における、所謂対米最終通告の遅れがなぜ生じたのか、数多ある検証に対する著者独自の検討による検証過程の解説が述べられていきます。

著者はこの手の書籍としては珍しい経歴をお持ちの方です。KDDIの前身となる旧KDD(戦後の国策により電電公社と共に設立された、1985年まで実質半官半民で国際電話/通信を専門に扱っていた、国際電信電話株式会社。最近はこのように書かないと判らないですよね)に所属され、学位を取られ、非常勤講師などを務められた後、現在は企業の代表に就かれています。主に広報畑にいらっしゃったのではないかと推察されますが、近現代史や技術系の研究者、企業の技術畑の方とは異なる感触を受ける筆致。そのためでしょうか、本書に技術的な側面での議論を求めるのは酷な話となりますし、通史としての歴史的な著述もかなり限定されます。

代わりに本書で述べられる事、それはビジネス書ライクで国家と通信という施策を綴る視線の背後にある諜報と言う側面を、国策会社出身者らしい行政と交差する視点で描き出していきます。

岩倉使節の訪米に関する電信から始まる冒頭。このエピソードに本書のテーマほぼ全てが集約されています。

サンフランシスコに到着した岩倉使節から送られた到着報。その連絡は大陸を渡り大西洋をケーブルで横断し、ロシアの大地を抜けて僅か1日で上海、そして日本で海底ケーブルが初めて敷設された長崎へと届けられます。30000kmを伝わった英文電報。実は長崎から西郷たちが留守を詰めていた東京に届くまでには何と10日を要するという、絶望的な内外格差を見せつけられることになります。

世界を海底ケーブルで結び始めた電信網。大英帝国が威信を賭けて整備を続けたオール・レッド・ルートに対抗する形で敷設されたグレートノーザンのユーラシア横断ケーブルの末端に、大陸との独占通信権を見返りとして繋げられた日本。既にこの時点から外資による通信利権の掌握が始まります。


この権益維持は変更を加えられながら幾度もの戦争を挟んで何と1969年のルート廃止まで続きます。なおグレートノーザンは近年通信事業から撤退しましたが、今ではヨーロッパの小国であるデンマークが本拠と言う点も非常に興味深いです。本書でも度々登場する、無装荷ケーブル生みの親であり、その後も日本の通信、放送行政に多大な影響を行使した松前重義がデンマークの教育制度を自らが興した大学に用いようとした遠因もこの辺りにあるでしょうか。


条約改正のごたごたに巻き込まれた結果、海外に長く留まる事を余儀なくされた岩倉はその間の経験から電信による圧倒的な情報伝達速度の速さに括目する一方、中継地点での陸揚げ、陸上でも中継、受電の度にその電文から交渉内容を容易に解読されてしまう事を指摘されます。情報漏えいを防ぐ必要に迫られた岩倉は、帰国後に整備された国内の電信網を使う時に自ら暗号表を手元に置きながら西南の役における電信を受け取っていた事を、残された暗号表(何と円盤型、岩倉が慎重に保管し自らくるくる回して電文を読んでいたと想像すると実に興味深いです)の存在から示していきます。

始まりから国益を担う役割を半ば使命としてきた海外との通信事業。その結果、通信自体も行政が担う一方、海外との通信路の開設(ケーブルの引き上げ場所、長波、短波通信の周波数帯割り当て、そして通信権益の配分)では国家を前面に出した交渉となるといきなり帝国主義の激突となるため、緩衝材としての民間通信会社が求められるようになります。特にラジオ放送についてはご承知のように諜報活動の一端を担う一方で会社組織として運営されていた事から、第二次大戦最末期の日米両ラジオ局による奇妙な邂逅、その先にポツダム宣言受諾の探り合いを含ませていた事も紹介していきます。

民間の皮を被って国家と官僚達が剥き出しの国家戦略を繰り広げる国際通信の舞台裏。その事実を象徴する事例として、著者は日米開戦における外務省と在米大使館との秘密電報の授受の過程をアメリカ側が傍受していた膨大な記録と突き合わせて厳密に検証し、その致命的な問題点を見出していきます。

前述のように国家間の通信の場合でも、各国の通信会社が相互で電信をやり取りするため、日米開戦に関する大使館宛の秘密電報も民間通信会社(RCAおよびマッケイ)無線局から緊急指定の場合、昼夜を問わずバイク便で届けられていたという事実にまず驚かされます。その結果、既に暗号を解読していた米軍が無線傍受で文面を把握するより遥かに遅れて大使館側が暗号解読と清書に取り掛かるというギャップを生み出します。更には、これらの電文に対する暗号が破られていた事をうすうす把握、指摘を受けながら、日本が独自に開発した最新鋭の暗号機であることに慢心して暗号のパターンや暗号機のアルゴリズム変更を行わなかった外務省に厳しい目を向けていきます。

情報伝達を他者に委ねざるを得ない実情。伝達に対する時間軸の認識や人為に頼る緊急度の表現判断が甘かった外務省と開戦への危機感が薄く受け入れ体制を緩めてしまった大使館側のミスコミュニケーション。それらをカバーするはずの技術、運用面に対しての無理解と極めて打算的な態度を示した結果、戦後の極東軍事裁判に於いても無通告開戦を行ったと痛烈に非難される、取り返しのつかない高い代償を払わされる結果となったと著者は厳しく指摘します。

著者の官僚達への痛烈な批判意識。それは戦後体制で生まれた国策会社であるKDDの設立から今に至るまで根深く続く、通信行政における間接保有による人事権支配や行政指導と言う名の事実上の指揮権行使に対する深い疑念から生まれて来るようです。本書の後半は、設立からインターネット全盛となってその存在が薄れつつある中にある日本における戦後の通信会社趨勢を辿っていきますが、その大半は郵政官僚と政治家、巨大な権益を有するようになった旧電電公社グループとの駆け引きの歴史が綴られていきます。

私にとっても実体験として過ごしてきた時代が含まれる話。此処でもインテルサットの国際協調と正反対の動きを見せる電電公社の分割民営化や国際通信の外資開放への圧力、更には携帯電話方式への干渉と、通信事業はグローバル化が叫ばれるほどに、国と国の激しい権益争いの表舞台に立つ命運にあるようです。


モトローラ方式と言って、判る方は少ないでしょうか。StarTAC誕生から22年だそうで、本書でも詳しく言及されていますが、エリアも狭くて電池も持たないアナログのStarTACが外圧で東名阪でも使えるようになったので、わざわざデジタル(NTT方式)から機種変更したのも懐かしい。トヨタがアメリカで稼いだお金をIDOの方式が重複する設備投資に投下する事で相殺関係を演出したと。


行政と国家間の権益や更に先鋭化したインターネット時代の諜報における通信と国家の干渉と言う耳を塞ぎたくなる話題が続く後半ですが、その中でKDD出身者として是非添えておきたい話があると云わんばかりに挿入されるエピソード。

海底光ファイバー実用化の先陣を飾り、現在のインターネット興隆の礎を築いたのは、今でも世界的なシェアを占める旧電電ファミリーと呼ばれた企業群の技術開発力と、KDD並びにパートナーシップを結んだ海外通信会社との協業の賜物である事を称賛し、そのインフラ設営の先陣に立った、今でも貴重な通信会社が自社で所有する大型ケーブル敷設船、フラッグシップを務めるKDD丸を少し誇らしく紹介する著者。


現在でもKDDIの子会社である国際ケーブル・シップがKDDIオーシャンリンク(10000tクラスの大型船です)とKDDIパシフィックリンクの2隻を運用、昨年から次世代のフラッグシップを担うKDDIケーブルインフィニティを建造中です。


最後に著者が述べる様に、広大な海洋をケーブルでつなぐ電信から始まった国際通信は既にありきたりなインフラとなり、通信におけるイニシアチブ争奪戦はラスト1マイル(更にはIoTなのでラスト100mですね)へと進んだことで、AT&TやC&Wといった往年の国際通信を担った国策会社達は見る影もなくなり、海外との通信という意識すら希薄となった昨今(ここでNTTが倒れずに生き残っている逆説的な指摘も)。もはや通信会社は「土管」で、その上でサービスを展開する企業たちが主役になったように見えてきますが、本書を読まれる方であればご承知のように、そのサービスを展開する会社達が競って海底ケーブルの敷設に躍起となり共同出資メンバーの筆頭に掲げられるようになった事実が雄弁に伝える事。

それは、著者が本書で繰り返し述べてきたように、インフラを制する者、情報の独占と秘匿性を勝ち得た者こそが、最も有利な展開に持ち込めることが今でも厳然たる事実として生きている事を、海を越えて繋がりを求めて世界に船出をした明治の岩倉達の物語が語っているようです。

 

今月の読本「鳥瞰図!」(本渡章 140B)一代の鳥瞰図絵師、吉田初三郎と時代を眺望するパノラマ

今月の読本「鳥瞰図!」(本渡章 140B)一代の鳥瞰図絵師、吉田初三郎と時代を眺望するパノラマ

鳥瞰図という言葉をご存知でしょうか。

最近ですと、カーナビの表示モードに「バードビュー」と名付けられたモードがありますが、高いところから地上を俯瞰で表現する描画手法を指して呼ばれます。

類似な物として地下鉄の駅や地下街の立体的な通路案内であったり、都市や住宅団地の街路の案内板にもみられますが、その名称を直接指し示す場合には、バブル期以前の牧歌的な観光地の案内図、駅などに掲げられたちょっと懐かし目の観光案内入りの路線図、観光地を紹介する広告看板にも良く見られた手法が相当するかと思います。

最新の表現手法としても使われる一方、ちょっとノスタルジックな感じも受ける鳥瞰図。日本におけるその成立の推移を綴る一冊をご紹介します。

今回は「鳥瞰図!」(本渡章 140B)のご紹介です。

本書は大阪、中之島のタウン誌「月刊島民」からスピンオフした市民講座「ナカノシマ大学」の講座内容を再編集して一冊の書籍に纏めた物。著者は所謂エディター出身で地図に関する複数の著作を有される方です。本書が主題として掲げる鳥瞰図と、その画法を掲げて大正の広重、超広重と称した一代の鳥瞰図絵師、吉田初三郎をご存知の方であれば、講座、そして刊行の経緯に納得されるかもしれません。

初三郎が世に出るきっかけを掴んだ一枚、後の昭和天皇が皇太子時代に乗車した京阪電車の車内に掲げられた、初三郎が描いた路線案内図。東京に持ち帰って学友に分かちたいという言葉を賜った事が世間に喧伝される事で一躍有名となった、中之島をホームグラウンドとしている現在の京阪電鉄とそのスポンサードを受けるタウン誌。作品を描いた初三郎を紹介するに最も相応しいタッグ(それでも幻の前作制作の経緯は判らなかったと、残念)で、鳥瞰図の誕生からその描かれた姿を綴ります。

短時間で要領良く話す事が求められる講座の内容をベースにした著作。初三郎の物語と鳥瞰図の始祖から成立、現代に至る画法の変化について、コンパクトにテンポよく描かれていきますが、本書では特に二つの視点に着目しています。

一つ目には、所謂遠近法の受容から始まり、最密に都市構造を俯瞰で表現する手法として海外からもたらされた画法と、日本古来からの大和絵の画法の複合形態から初三郎の作品に繋がるダイナミックな鳥瞰図法に繋がる経緯を表現手法として解き明かしていきます。超広重を標榜するに相応しい遠近法を逆用する様なパノラマ感、画面周囲から外れる物(特に路線や道路、地名)を画面の淵にねじ込んで表現してしまうダイナミックなギミック。そして、路線を真っ赤な直線で描き、クライアントの建物はスケールを無視して精細に描き込む一方、その他の風景や町並みは煩雑になるくらいならおざなりにしても構わないと割り切る。理論的表現や言語解釈よりも視覚的な直感性を重んじる日本人がとても好む、主題を強調する一方、それ以外を極力省略して画面を際立たせる浮世絵や現代の漫画、アニメーションに通じる大胆なデフォルメ感。

海外から伝わった技法と日本人が培ってきた画法が交じり合って生まれた鳥瞰図と言う特異な表現手法とそれを編み出した才気煥発する初三郎。地図好きの方にとっても楽しい解説が続きますが、本書が素晴らしい点はその背景を近代の社会史に問いかける点です。

冒頭から述べられる「飛行機の時代」という時代背景から呼び起こされた、空からの眺望がすぐそこまで手に届くようになった、実態感を伴った憧れ。眼下の大地を矢の様に突き進み都市と郊外を結ぶ電車。広がる国土、更には大陸まで伸びる町と街を網の目の様に結ぶ鉄路と航路。地上に繰り広げられる新たな繋がりを描き込むための鳥瞰図。そこに地形を詳細に正確に描く、正確に理解させるための地図の描画手法とは全く異なる、時代背景や社会を描き込むための鳥瞰図の姿を見出していきます。

鮮やかに描かれた鳥瞰図を更に時代を追いながら詳細に観ていくと、大正デモクラシーから躍進する当時の時代背景にもう一つの飛行機の時代、徐々に軍靴が響いてくることが見えてきます。戦争の惨禍の先に鳥瞰図と言う手法自体が萎んでいく中、その悲劇を忘れてはならないと描かれた異色の作品「HIROSHIMA」駆け足気味の本書ですが、初三郎の想いが注ぎ込まれたこの一作に対しては一節を立てて丁寧に紹介されています。

そのルーツが近代の産業化の華ともいえる都市図と博覧会の図録であることを見出した著者は、描かれた内容や鳥瞰図に埋め込まれた企業の広告から(鳥瞰図自体も宣伝媒体)、鳥瞰図を通して時代背景を見出していきます。初三郎が導き出した、時代を空からの視点で大きく包み込むように描き込む鳥瞰図の在り方。その深い関わり合いは、画法を洗練されながら近年まで活躍された大阪万博の鳥瞰図(大阪万博メモリーズ)を描いた石原正氏から、息づく街の姿を等角投影を用いて細密に、実態感を込めて描き込んでいく青山大介さんの作品へと受け継がれているようです。

その時代にしか描けない、時代の視点を地図として描き込んでいく鳥瞰図の世界。江戸時代から現代まで、豊富に掲載された作品たちが描くパノラマだけが魅せてくれる眺望感の中に、どんな時代の風景が見えるでしょうか。

本書のメインテーマとなる鳥瞰図絵師、吉田初三郎。本作は前述のとおり著述自体が大坂をベースにしているため紹介される内容も比較的関西寄りとなっていますが、初三郎自身は全国を廻って膨大な作品(1600点を越えると)を残したことで知られています。

中でも急速な近代化と観光開発が進められた信州、長野県は当時盛んだった養蚕業、観光地開発をセットにした鉄道のPRのために多くの鳥瞰図が作成され、その一部が長野県立歴史館に常設のアーカイブとして収蔵されています。

初三郎の名品でもある、東洋一の絹の街、シルク岡谷の繁栄を今に伝える「岡谷市鳥瞰図」とライバルの金子常光が描いた「諏訪湖大観」の競演を始め、製本される紙質にまで拘って信州のパノラマ地図を網羅した、鉄道関連にも造詣が深い、地元信濃毎日新聞社の内山郁夫さんが本編を執筆した「信州観光パノラマ絵図」と、同アーカイブを中心とした作品群を展示した、長野県立歴史館で平成23年に開催された企画展「観光地の描き方」図録から、長野電鉄に招聘された際に撮影された、志賀高原方面で取材中の吉田初三郎の写真(長野電鉄所蔵)。この図録は博物館らしく非常に美しい仕上がりで、当時のままに眩しい程に鮮やかな色彩で描かれる鳥瞰図たちを見る事が出来ます。なお本図録には、先ごろ「草津温泉の社会史」を上梓された、近現代の観光地の歴史にも詳しい、群馬大学の関戸明子先生が「吉田初三郎の鳥瞰図に描かれた信州の温泉」と題して、当館が所蔵する横4mにも及ぶ初三郎直筆の大作「長野県之温泉と名勝」原画制作の経緯と読み解きの解説文を寄稿されています。

今月の読本「草津温泉の社会史」(関戸明子 青弓社)陰湿漂う湯治場から泉質主義の湯の里へ。東の大関が張り続ける日本近代リゾート史の縮図

今月の読本「草津温泉の社会史」(関戸明子 青弓社)陰湿漂う湯治場から泉質主義の湯の里へ。東の大関が張り続ける日本近代リゾート史の縮図

いつもお世話になっている本屋さん、それほど規模は大きくありませんが、人文系でも部数が望めないちょっと珍しい本が書棚に並んでいたりします。

暫し書棚を眺めていて思わず手に取った一冊。先月、長野県立歴史館で入手した、ずっと欲しかった信州の観光地を紹介した絵図をテーマにした企画展の図録に寄稿されていた研究者の方が出された、実に興味深い最新著作に巡り合う事が出来ました。

今月の読本「草津温泉の社会史」(関戸明子 青弓社)をご紹介します。

西の有馬に東の草津。歴史と伝統に彩られる草津温泉は、江戸時代から現在まで、東日本における温泉地の筆頭として高名を誇ってきました。

しかしながら保養地や観光地、リゾートとしてナンバーワンの存在かと言えば実際にはかなりマイナーな存在。東京から直接行き着ける鉄道もなく、新幹線や高速道路からも遠く離れ、抜群に風光明媚と言う訳でもないその地がなぜ長く名声を轟かせ続けるのかを、地元群馬大学で歴史地理学を専攻する著者がこれまでの研究の集大成として送り出した一冊です。

今年の冬に突如として噴火を始めた、草津温泉の源泉となる草津白根山(本白根山)の火山、温泉学的な解説は、同じ大学、学部の早川由紀夫先生などの研究成果を援用して冒頭に一章を立てて概要を述べていますが、著者は人文系の研究者の為、これらの説明はあくまでも本編の補足に過ぎません(あとがきにも、今回の噴火を受けて、入稿済みの原稿に急遽コラムとして挿入したと述べています)。

本書は著者の得意とする、どちらかと言うと地理学的な分析を通じた草津温泉の近現代史を述べていきますが、本書は敢えて社会史という題名を掲げています。これは草津と言う山間の小さな町が、近現代の社会構造の中で極めて特異な位置付けを持っている事を示すものです。

明治以降繰り返された市町村の合併、実は草津町は一度合併した村を明治時代のうちに改めて切り離し、温泉地域のみで構成される町として分離、縮小されたもの。それ以降、現在まで単独の自治体として存在してきています。町全体が温泉に依存し、温泉自体も町が実質的に所有する(これを合有と称する)、しかも歴代町長の多くは有力温泉宿の主人と言う、草津温泉に依存し、草津温泉の為に存在するという特異でストイックな自治体。このような温泉べったりの町政運営は、町の発展、存亡自体も温泉の顧客動向で左右されるため、その推移を追う事で、更には他の観光地と比較することで日本の近現代におけるあらゆる観光リゾート興亡の縮図を見ることになります。

高い効能を謳う山奥の湯治場、特にらい病や梅毒と言った当時としてはイメージ的にも好ましくない印象を受ける病気を患った人々がすがるように湯治に訪れる場所として、効能の高さからは東の大関として盤石な人気を誇る一方、行楽地としての人気は常に低調であったことを当時の観光案内や人気動向の記録から辿っていきます。不治の病人が奇妙な姿をして肌を爛れさせながら強烈な湯に浸かるという、衰亡する人々が集う地のような暗いイメージを漂わせる湯治場。草津温泉の歩みはそのネガティブな印象からの脱却を積み重ねる歴史であった事を、当時訪れた文人、著名人たちの言葉から拾っていきます。特に大正時代の若山牧水とバブル崩壊直後の赤瀬川原平さん。いずれ劣らぬ優れた観察眼を有する二人が綴る草津温泉、特に湯畑を囲む時間湯を中心に描かれた印象の違いは、草津温泉が何か月も籠る山深い湯治場から徐々に週末に訪れる郊外の歓楽街、そして湯煙漂うレトロで快適な温泉リゾートへと変遷する姿として見事に描写されています。

軽便鉄道、乗合自動車、そして鉄道と道路網の整備に伴い年々身近になる草津温泉ですが、それでも熱海や伊香保のように日帰りで湯を楽しむのは時間的にも今もって難しい場所。ライトなレジャースポットに成り切れない部分が逆に落ち着きのある雰囲気を醸し出し、今はショー的になってしまいましたが、湯治場としての歴史的な繋がりを演出面でも大切にして来た成果が現在の人気を支えていると指摘します。

そして、戦前から営々として続く、町政を挙げての温泉地、リゾートとしての開発。雄大な火山を望む清涼な高原地帯という立地と、ベルツ博士の紹介により世界に喧伝された高い効能を謳う温泉を有する草津。早くから温泉リゾート(所謂ホットスパ)としての開発が期待され、前述の著名人たちも旧態依然とした湯治場のイメージの刷新を望む声を残していますが、ここに草津温泉のもう一つの大きな特徴が現れてきます。その効能の高さ故に強烈な酸性の温泉水を流下させる以外に、温泉街の中を引き回す方法が1970年代まで無かったという点です。

更に、泉質と湯量の多さを誇る草津温泉ですが、現在の湯量が確保できるようになったのは戦後の硫黄鉱山開発の途中で噴出した源泉(万代鉱)から大量に流出した95℃にも達する温泉水を熱交換で供給できるようになってから。それ以前は内湯を引けるのは湯畑の周囲やその下流域、又は湧出量が少ない西の河原や白旗、地蔵等の源泉周辺に限られていた事を、観光地図や当時の絵葉書、更には旅館の分布、規模をGISを用いたmapデータとして示す、専門である地理学の分析手法を駆使して解説を加えていきます。

改築と更新を繰り返しながらも、旧来の湯治場のイメージが色濃く残る湯畑を中心とした狭い入り組んだ路地添いに密集する江戸時代以前から続く中心街。その周囲を取り囲むような形で温泉リゾートやリゾートマンションが林立するようになったのは、スキーブームやバブル期のリゾートブームによる影響もある一方、国内最大規模の10,000L/minという膨大な草津温泉の湯量の約半分を受け持つ、万代鉱を町が買収して源泉として供給を開始したことで初めて成立可能であったことを指摘します。

戦前から続く町政そのものである温泉観光地としての開発とその遅れを挽回する新しい源泉からの豊富な湯量の供給。その先に起こったスキーを軸にしたリゾート開発の多くはとん挫したり、急激なスキー離れ、更には今年の本白根山噴火に伴い、そのシンボルでもあったロープウェイの廃止と言う、決定的なダメージを受けることになってしまいます。一方で、著者はその間の観光客の入れ込みは極端に減少はしておらず、季節変動も徐々に縮小している点を指摘し、特に宿泊率はバブル崩壊後殆ど一定の水準で推移(ここ3年では上昇に転じる)している点を捉えて、温泉観光地としての再生に成功しつつあると、泉質主義のキャッチコピー戦略と、草津の象徴である湯畑周辺の景観改善について近年の施策を解説していきます。

高名ながら陰湿な湯治場から、大衆温泉歓楽地へ。近年の巨大スキーリゾート計画の凋落から復活を果たす、圧倒的な湯量と泉質を誇る歴史漂う湯の里へ華麗なる転身。まさに近代日本のリゾート史を地で行く様な草津温泉の変遷ですが、そこには前述の後ろ暗いイメージを切り離す意図も多分に含む、温泉地に隣接する湯之沢から更に離れた現在の療養園へと強制的に集団で移住、隔離された、多くのらい病(ハンセン病)患者の方々が居たという厳然たる事実もまた述べられていきます。

幾多の荒波を乗り越えながら掴みとった自らのアイデンティティを掲げた結果、14年連続の温泉100選第一位を誇るようになった草津温泉。

その間の変遷を見るのも楽しい豊富な図表、写真を添えながらも学術的な視点を加えて重層的に語る本書。町そのものが温泉と言う特異な位置付けを示すために述べられる議論とその培ってきた景観の推移を読んでいくと、この湯がある限り、今回の噴火もきっと乗り越えられる。そんな想いを抱かせる一冊です。