今月の読本「動物園巡礼」(木下直之 東京大学出版会)動物園人と娯楽とした人々の業を禊ぎ歩く美術史家の巡礼記

今月の読本「動物園巡礼」(木下直之 東京大学出版会)動物園人と娯楽とした人々の業を禊ぎ歩く美術史家の巡礼記

何とも壮絶な一冊に巡り合いました。

これまでも動物園や水族館を扱った本は数多あったかと思いますが、不幸なことにその動物園の立地と常に尻を向け合う事になるという美術館、現在はその館長を務める美術史家の方が綴る、痛烈な批評精神と洒脱を以て動物園人(猿人?)へ向けられた一冊をご紹介します。

動物園巡礼」(木下直之 東京大学出版会)のご紹介です。

著者は大学の教授職と共に静岡県立美術館の館長も務める方。所属大学の出版会から出された一冊は大学出版会が刊行する著作としては少し異色の、著作歴そのままに砕けた筆致を具えています(最近は大学出版がこのような本を出しても、あまり驚かなくなりました)。

美術史、特に大衆芸術や文化史に関する多くの著作を有する著者。本書もその一連の著作に連なる内容を有していますが、テーマは動物園。臭いや音と言った芸術鑑賞を甚だしく阻害する動物園と美術館は相容れない存在ですが、前述のように公共施設として同じ敷地に作られる事が多いという奇妙な巡り合わせから本書は綴りはじめます。

本来は著者が講義のテーマとして採り上げた日本人と動物園の文化史の授業内容を一冊の本として纏めるはずであったものが、授業の流れから動物園関係者との縁が生まれ、JAZA(日本動物園水族館協会)の広報戦略に関与し、大学関係誌の連載に化けた末で本の執筆に至るという、複雑な遍歴を遂げて上梓されたようです。

相容れない関係を有する二つの「園・館」と「館」が奇妙な邂逅を遂げて綴られる本書、その関係がもたらした訳ではありませんが、実に辛口な内容が綴られていきます。その辛さはピリッとくる山椒や燃えるような唐辛子とは違う、辛さの先にスッと来るワサビのような清々しさもない。何処までもどこまでも唯々辛い「辛味大根」のような辛辣さで、江戸時代から直近話題となっている滋賀の某動物園に至るまで、人と動物園・水族館の残酷物語がひたすら綴られていきます。

ゾウから始まりクマ、サル、チンバンジー、恐竜、ライオン、ゴリラ、鯨類からカバ、ラクダそしてオラウータン。

著者が動物園人の業と呼ぶ、野生生物を檻に入れて取り囲み衆目に曝し、更には芸を仕込み、服を着せ煙草を吸い、自転車や電車を運転させては金銭を稼ぎ、戦争や言われ無き不条理の内に死に至らしめる。就中にはそれは研究だ学問だ生物保護だと言い出す身勝手さを、それを娯楽として興じた大衆を含めて存分に攻め立てていきます。

日本人が動物園と言う空間(物理的な固有空間を持たない場合も)を用いて行ってきたそれらの蛮行の歴史を禊歩く様に全国の動物園、施設を巡る著者。此処まで書くと、分ってはいるが動物園側にも言い分はあるという尤もなご意見が出てくるかもしれませんが、そこはJAZAの事業に関与した著者も御見通し。

表面的な残虐性ではなく、時代史の中で描かれ自らも体験した動物園と動物たちの姿として、昭和の時代描写を全面に掲げて描かれる、人文系の研究者ならではの膨大な知識力を背景に大衆芸術史を紐付けながら綴り込んでいきます。それは江戸の見せ物小屋から始まる長い歴史を有する大衆娯楽の一環としての動物芸と開港と共に上陸した動物芸が織り込まれたサーカス、標本、観察を主体とする近代日本にもたらされた博物学的な素地が公共サービスとしての公園施設の一環として奇妙な同居の末に発展を遂げたキメラのような存在。

近年の自然保護、動物愛護的な側面だけでこれらの推移を捉えようとすると、そんな小賢しい言を振り回しても無駄だよと言わんばかりに、昭和の名話者、小沢昭一のテイストそのままに、ユーモアと猥雑さすらも取り込みながら、文化史として縦横にいなしていく筆致で封じ込められてしまいます(この筆致と意図を含み笑いを浮かべながら受け止めらるのは、ある年齢以上の方ではないでしょうか。不幸な事に幼少期から「小沢昭一の小沢昭一的こころ」を傍らで聞かされ続けた、二世代以上年少の私は、まんまとこの文体に呑まれましたが)。そのような中で、何とかして動物たちに寄り添い、より良い環境を与えようと奮闘し、あるいは贖罪の如く命を捧げた飼育員、管理者達の姿もサイドストーリーとして捉えていきます。

見せ物としての動物園と人の関わりの過去を禊ぐ前半に対して、後半は現在進行形の姿。動物の愛護と野生生物の保護が存在の前提、お題目として唱えられても厳然として存在し続ける動物園・水族館、それをレジャーの一環として嬉々として受け入れている我々に対して暗側面を突く巡礼が続けられていきます。

著者が関与することになるJAZAの混乱から始まる、何故動物園・水族館と言う場所で動物、水族達を飼育し、観に行くのかと言う根源的な疑問へのアプローチ。敢えてJAZAの範疇を離れた姿を見せる事でその課題と闇の深さを強烈に印象付けていきますが、本書では最後までその回答を述べる事はありません。

動物園へお尻を向け(ていた)美術史家である著者から与えられた「お題」、それは日々動物・水族達に献身的に務める動物園人の皆様と、其処に価値を見出している、楽しみにしている我々に委ねられた課題だから。

<おまけ>

本書の中盤で語られる、捕鯨とイルカショー問題の原点にある、戦後の水族館激増と学術研究、娯楽施設の同床異夢について語る部分は、写真の著書(水族館日記 いつでも明日に夢があった)からの引用を含めて、(旧)江ノ島水族館の立ち上げスタッフで後に東海大学教授、東海大学海洋科学博物館館長を務めた、戦後の水族館運営、スキューバによる水中撮影のパイオニア、鈴木克美先生の協力で書かれています。著者と同郷の浜松出身ですが、ちょっとやっかみを込めた紹介がなされていくのも、著者の流儀と言う事で。

<謝辞>

神戸時代は道一本挟んでお互い一度も顔を合わせる事が無かったと文中で紹介された、JAZAにおいても著者と協業されていた、よこはま動物園ズーラシアの村田浩一園長先生に本書を紹介して頂きました。御礼を申し上げます。

今月の読本「通信の世紀」(大野哲弥 新潮選書)暗号と傍受、国家と官僚。岩倉使節が直面した課題は今も海底ケーブルの先に

今月の読本「通信の世紀」(大野哲弥 新潮選書)暗号と傍受、国家と官僚。岩倉使節が直面した課題は今も海底ケーブルの先に

インターネットの普及によって、世界中の情報を動画や音声、画像、テキストで簡単にやり取りできるようになって既に20年近くが経過しますが、それ以前の我々は、どんな形で世界とコミュニケーションを取っていたのか、覚えていらっしゃる方は少なくなってしまったかもしれません。

島国であるこの地に住む人々にとって、海の向こうと情報をやり取りするためにはどうしても必要になる「通信」。こちらのリンク先(GISで有名なesriジャパンのサイトです)をご覧頂くと驚くかもしれません。少し前の時代ですと、人工衛星による中継と言うイメージが強かった海外との通信ネットワーク。実は世界中に張り巡らされたこれら海底ケーブルにより殆ど(90%以上)が賄われています。

海の向こうと通信を行うためには必須となる無線通信と海底ケーブル。インターネットが世界を変えると叫ばれて久しいですが、そのインフラとなる海底ケーブルの敷設と運用、国際通信こそが近代日本の歴史を左右したことを力説する一冊の紹介です。

今回は「通信の世紀」(大野哲弥 新潮選書)のご紹介です。

本書は副題にあるように明治維新以降直近までの日本における海外との通信網整備の歴史過程を綴りますが、内容は大きく3つに分かれています。

明治の近代化に伴う海外との通信路確保の物語から始まり、戦前の短波通信と無装荷ケーブルへと至る変遷を綴る前半。戦後の占領政策による独自通信網の喪失から高度成長期の海底同軸ケーブルと衛星通信による回線増強、そして光海底ケーブルとインターネットによる爆発的な通信量の増大へと至る後半。メインとなる日本における通信の歴史に挟み込まれる中盤で、本書の白眉となる日米開戦における、所謂対米最終通告の遅れがなぜ生じたのか、数多ある検証に対する著者独自の検討による検証過程の解説が述べられていきます。

著者はこの手の書籍としては珍しい経歴をお持ちの方です。KDDIの前身となる旧KDD(戦後の国策により電電公社と共に設立された、1985年まで実質半官半民で国際電話/通信を専門に扱っていた、国際電信電話株式会社。最近はこのように書かないと判らないですよね)に所属され、学位を取られ、非常勤講師などを務められた後、現在は企業の代表に就かれています。主に広報畑にいらっしゃったのではないかと推察されますが、近現代史や技術系の研究者、企業の技術畑の方とは異なる感触を受ける筆致。そのためでしょうか、本書に技術的な側面での議論を求めるのは酷な話となりますし、通史としての歴史的な著述もかなり限定されます。

代わりに本書で述べられる事、それはビジネス書ライクで国家と通信という施策を綴る視線の背後にある諜報と言う側面を、国策会社出身者らしい行政と交差する視点で描き出していきます。

岩倉使節の訪米に関する電信から始まる冒頭。このエピソードに本書のテーマほぼ全てが集約されています。

サンフランシスコに到着した岩倉使節から送られた到着報。その連絡は大陸を渡り大西洋をケーブルで横断し、ロシアの大地を抜けて僅か1日で上海、そして日本で海底ケーブルが初めて敷設された長崎へと届けられます。30000kmを伝わった英文電報。実は長崎から西郷たちが留守を詰めていた東京に届くまでには何と10日を要するという、絶望的な内外格差を見せつけられることになります。

世界を海底ケーブルで結び始めた電信網。大英帝国が威信を賭けて整備を続けたオール・レッド・ルートに対抗する形で敷設されたグレートノーザンのユーラシア横断ケーブルの末端に、大陸との独占通信権を見返りとして繋げられた日本。既にこの時点から外資による通信利権の掌握が始まります。


この権益維持は変更を加えられながら幾度もの戦争を挟んで何と1969年のルート廃止まで続きます。なおグレートノーザンは近年通信事業から撤退しましたが、今ではヨーロッパの小国であるデンマークが本拠と言う点も非常に興味深いです。本書でも度々登場する、無装荷ケーブル生みの親であり、その後も日本の通信、放送行政に多大な影響を行使した松前重義がデンマークの教育制度を自らが興した大学に用いようとした遠因もこの辺りにあるでしょうか。


条約改正のごたごたに巻き込まれた結果、海外に長く留まる事を余儀なくされた岩倉はその間の経験から電信による圧倒的な情報伝達速度の速さに括目する一方、中継地点での陸揚げ、陸上でも中継、受電の度にその電文から交渉内容を容易に解読されてしまう事を指摘されます。情報漏えいを防ぐ必要に迫られた岩倉は、帰国後に整備された国内の電信網を使う時に自ら暗号表を手元に置きながら西南の役における電信を受け取っていた事を、残された暗号表(何と円盤型、岩倉が慎重に保管し自らくるくる回して電文を読んでいたと想像すると実に興味深いです)の存在から示していきます。

始まりから国益を担う役割を半ば使命としてきた海外との通信事業。その結果、通信自体も行政が担う一方、海外との通信路の開設(ケーブルの引き上げ場所、長波、短波通信の周波数帯割り当て、そして通信権益の配分)では国家を前面に出した交渉となるといきなり帝国主義の激突となるため、緩衝材としての民間通信会社が求められるようになります。特にラジオ放送についてはご承知のように諜報活動の一端を担う一方で会社組織として運営されていた事から、第二次大戦最末期の日米両ラジオ局による奇妙な邂逅、その先にポツダム宣言受諾の探り合いを含ませていた事も紹介していきます。

民間の皮を被って国家と官僚達が剥き出しの国家戦略を繰り広げる国際通信の舞台裏。その事実を象徴する事例として、著者は日米開戦における外務省と在米大使館との秘密電報の授受の過程をアメリカ側が傍受していた膨大な記録と突き合わせて厳密に検証し、その致命的な問題点を見出していきます。

前述のように国家間の通信の場合でも、各国の通信会社が相互で電信をやり取りするため、日米開戦に関する大使館宛の秘密電報も民間通信会社(RCAおよびマッケイ)無線局から緊急指定の場合、昼夜を問わずバイク便で届けられていたという事実にまず驚かされます。その結果、既に暗号を解読していた米軍が無線傍受で文面を把握するより遥かに遅れて大使館側が暗号解読と清書に取り掛かるというギャップを生み出します。更には、これらの電文に対する暗号が破られていた事をうすうす把握、指摘を受けながら、日本が独自に開発した最新鋭の暗号機であることに慢心して暗号のパターンや暗号機のアルゴリズム変更を行わなかった外務省に厳しい目を向けていきます。

情報伝達を他者に委ねざるを得ない実情。伝達に対する時間軸の認識や人為に頼る緊急度の表現判断が甘かった外務省と開戦への危機感が薄く受け入れ体制を緩めてしまった大使館側のミスコミュニケーション。それらをカバーするはずの技術、運用面に対しての無理解と極めて打算的な態度を示した結果、戦後の極東軍事裁判に於いても無通告開戦を行ったと痛烈に非難される、取り返しのつかない高い代償を払わされる結果となったと著者は厳しく指摘します。

著者の官僚達への痛烈な批判意識。それは戦後体制で生まれた国策会社であるKDDの設立から今に至るまで根深く続く、通信行政における間接保有による人事権支配や行政指導と言う名の事実上の指揮権行使に対する深い疑念から生まれて来るようです。本書の後半は、設立からインターネット全盛となってその存在が薄れつつある中にある日本における戦後の通信会社趨勢を辿っていきますが、その大半は郵政官僚と政治家、巨大な権益を有するようになった旧電電公社グループとの駆け引きの歴史が綴られていきます。

私にとっても実体験として過ごしてきた時代が含まれる話。此処でもインテルサットの国際協調と正反対の動きを見せる電電公社の分割民営化や国際通信の外資開放への圧力、更には携帯電話方式への干渉と、通信事業はグローバル化が叫ばれるほどに、国と国の激しい権益争いの表舞台に立つ命運にあるようです。


モトローラ方式と言って、判る方は少ないでしょうか。StarTAC誕生から22年だそうで、本書でも詳しく言及されていますが、エリアも狭くて電池も持たないアナログのStarTACが外圧で東名阪でも使えるようになったので、わざわざデジタル(NTT方式)から機種変更したのも懐かしい。トヨタがアメリカで稼いだお金をIDOの方式が重複する設備投資に投下する事で相殺関係を演出したと。


行政と国家間の権益や更に先鋭化したインターネット時代の諜報における通信と国家の干渉と言う耳を塞ぎたくなる話題が続く後半ですが、その中でKDD出身者として是非添えておきたい話があると云わんばかりに挿入されるエピソード。

海底光ファイバー実用化の先陣を飾り、現在のインターネット興隆の礎を築いたのは、今でも世界的なシェアを占める旧電電ファミリーと呼ばれた企業群の技術開発力と、KDD並びにパートナーシップを結んだ海外通信会社との協業の賜物である事を称賛し、そのインフラ設営の先陣に立った、今でも貴重な通信会社が自社で所有する大型ケーブル敷設船、フラッグシップを務めるKDD丸を少し誇らしく紹介する著者。


現在でもKDDIの子会社である国際ケーブル・シップがKDDIオーシャンリンク(10000tクラスの大型船です)とKDDIパシフィックリンクの2隻を運用、昨年から次世代のフラッグシップを担うKDDIケーブルインフィニティを建造中です。


最後に著者が述べる様に、広大な海洋をケーブルでつなぐ電信から始まった国際通信は既にありきたりなインフラとなり、通信におけるイニシアチブ争奪戦はラスト1マイル(更にはIoTなのでラスト100mですね)へと進んだことで、AT&TやC&Wといった往年の国際通信を担った国策会社達は見る影もなくなり、海外との通信という意識すら希薄となった昨今(ここでNTTが倒れずに生き残っている逆説的な指摘も)。もはや通信会社は「土管」で、その上でサービスを展開する企業たちが主役になったように見えてきますが、本書を読まれる方であればご承知のように、そのサービスを展開する会社達が競って海底ケーブルの敷設に躍起となり共同出資メンバーの筆頭に掲げられるようになった事実が雄弁に伝える事。

それは、著者が本書で繰り返し述べてきたように、インフラを制する者、情報の独占と秘匿性を勝ち得た者こそが、最も有利な展開に持ち込めることが今でも厳然たる事実として生きている事を、海を越えて繋がりを求めて世界に船出をした明治の岩倉達の物語が語っているようです。

 

今月の読本「鳥瞰図!」(本渡章 140B)一代の鳥瞰図絵師、吉田初三郎と時代を眺望するパノラマ

今月の読本「鳥瞰図!」(本渡章 140B)一代の鳥瞰図絵師、吉田初三郎と時代を眺望するパノラマ

鳥瞰図という言葉をご存知でしょうか。

最近ですと、カーナビの表示モードに「バードビュー」と名付けられたモードがありますが、高いところから地上を俯瞰で表現する描画手法を指して呼ばれます。

類似な物として地下鉄の駅や地下街の立体的な通路案内であったり、都市や住宅団地の街路の案内板にもみられますが、その名称を直接指し示す場合には、バブル期以前の牧歌的な観光地の案内図、駅などに掲げられたちょっと懐かし目の観光案内入りの路線図、観光地を紹介する広告看板にも良く見られた手法が相当するかと思います。

最新の表現手法としても使われる一方、ちょっとノスタルジックな感じも受ける鳥瞰図。日本におけるその成立の推移を綴る一冊をご紹介します。

今回は「鳥瞰図!」(本渡章 140B)のご紹介です。

本書は大阪、中之島のタウン誌「月刊島民」からスピンオフした市民講座「ナカノシマ大学」の講座内容を再編集して一冊の書籍に纏めた物。著者は所謂エディター出身で地図に関する複数の著作を有される方です。本書が主題として掲げる鳥瞰図と、その画法を掲げて大正の広重、超広重と称した一代の鳥瞰図絵師、吉田初三郎をご存知の方であれば、講座、そして刊行の経緯に納得されるかもしれません。

初三郎が世に出るきっかけを掴んだ一枚、後の昭和天皇が皇太子時代に乗車した京阪電車の車内に掲げられた、初三郎が描いた路線案内図。東京に持ち帰って学友に分かちたいという言葉を賜った事が世間に喧伝される事で一躍有名となった、中之島をホームグラウンドとしている現在の京阪電鉄とそのスポンサードを受けるタウン誌。作品を描いた初三郎を紹介するに最も相応しいタッグ(それでも幻の前作制作の経緯は判らなかったと、残念)で、鳥瞰図の誕生からその描かれた姿を綴ります。

短時間で要領良く話す事が求められる講座の内容をベースにした著作。初三郎の物語と鳥瞰図の始祖から成立、現代に至る画法の変化について、コンパクトにテンポよく描かれていきますが、本書では特に二つの視点に着目しています。

一つ目には、所謂遠近法の受容から始まり、最密に都市構造を俯瞰で表現する手法として海外からもたらされた画法と、日本古来からの大和絵の画法の複合形態から初三郎の作品に繋がるダイナミックな鳥瞰図法に繋がる経緯を表現手法として解き明かしていきます。超広重を標榜するに相応しい遠近法を逆用する様なパノラマ感、画面周囲から外れる物(特に路線や道路、地名)を画面の淵にねじ込んで表現してしまうダイナミックなギミック。そして、路線を真っ赤な直線で描き、クライアントの建物はスケールを無視して精細に描き込む一方、その他の風景や町並みは煩雑になるくらいならおざなりにしても構わないと割り切る。理論的表現や言語解釈よりも視覚的な直感性を重んじる日本人がとても好む、主題を強調する一方、それ以外を極力省略して画面を際立たせる浮世絵や現代の漫画、アニメーションに通じる大胆なデフォルメ感。

海外から伝わった技法と日本人が培ってきた画法が交じり合って生まれた鳥瞰図と言う特異な表現手法とそれを編み出した才気煥発する初三郎。地図好きの方にとっても楽しい解説が続きますが、本書が素晴らしい点はその背景を近代の社会史に問いかける点です。

冒頭から述べられる「飛行機の時代」という時代背景から呼び起こされた、空からの眺望がすぐそこまで手に届くようになった、実態感を伴った憧れ。眼下の大地を矢の様に突き進み都市と郊外を結ぶ電車。広がる国土、更には大陸まで伸びる町と街を網の目の様に結ぶ鉄路と航路。地上に繰り広げられる新たな繋がりを描き込むための鳥瞰図。そこに地形を詳細に正確に描く、正確に理解させるための地図の描画手法とは全く異なる、時代背景や社会を描き込むための鳥瞰図の姿を見出していきます。

鮮やかに描かれた鳥瞰図を更に時代を追いながら詳細に観ていくと、大正デモクラシーから躍進する当時の時代背景にもう一つの飛行機の時代、徐々に軍靴が響いてくることが見えてきます。戦争の惨禍の先に鳥瞰図と言う手法自体が萎んでいく中、その悲劇を忘れてはならないと描かれた異色の作品「HIROSHIMA」駆け足気味の本書ですが、初三郎の想いが注ぎ込まれたこの一作に対しては一節を立てて丁寧に紹介されています。

そのルーツが近代の産業化の華ともいえる都市図と博覧会の図録であることを見出した著者は、描かれた内容や鳥瞰図に埋め込まれた企業の広告から(鳥瞰図自体も宣伝媒体)、鳥瞰図を通して時代背景を見出していきます。初三郎が導き出した、時代を空からの視点で大きく包み込むように描き込む鳥瞰図の在り方。その深い関わり合いは、画法を洗練されながら近年まで活躍された大阪万博の鳥瞰図(大阪万博メモリーズ)を描いた石原正氏から、息づく街の姿を等角投影を用いて細密に、実態感を込めて描き込んでいく青山大介さんの作品へと受け継がれているようです。

その時代にしか描けない、時代の視点を地図として描き込んでいく鳥瞰図の世界。江戸時代から現代まで、豊富に掲載された作品たちが描くパノラマだけが魅せてくれる眺望感の中に、どんな時代の風景が見えるでしょうか。

本書のメインテーマとなる鳥瞰図絵師、吉田初三郎。本作は前述のとおり著述自体が大坂をベースにしているため紹介される内容も比較的関西寄りとなっていますが、初三郎自身は全国を廻って膨大な作品(1600点を越えると)を残したことで知られています。

中でも急速な近代化と観光開発が進められた信州、長野県は当時盛んだった養蚕業、観光地開発をセットにした鉄道のPRのために多くの鳥瞰図が作成され、その一部が長野県立歴史館に常設のアーカイブとして収蔵されています。

初三郎の名品でもある、東洋一の絹の街、シルク岡谷の繁栄を今に伝える「岡谷市鳥瞰図」とライバルの金子常光が描いた「諏訪湖大観」の競演を始め、製本される紙質にまで拘って信州のパノラマ地図を網羅した、鉄道関連にも造詣が深い、地元信濃毎日新聞社の内山郁夫さんが本編を執筆した「信州観光パノラマ絵図」と、同アーカイブを中心とした作品群を展示した、長野県立歴史館で平成23年に開催された企画展「観光地の描き方」図録から、長野電鉄に招聘された際に撮影された、志賀高原方面で取材中の吉田初三郎の写真(長野電鉄所蔵)。この図録は博物館らしく非常に美しい仕上がりで、当時のままに眩しい程に鮮やかな色彩で描かれる鳥瞰図たちを見る事が出来ます。なお本図録には、先ごろ「草津温泉の社会史」を上梓された、近現代の観光地の歴史にも詳しい、群馬大学の関戸明子先生が「吉田初三郎の鳥瞰図に描かれた信州の温泉」と題して、当館が所蔵する横4mにも及ぶ初三郎直筆の大作「長野県之温泉と名勝」原画制作の経緯と読み解きの解説文を寄稿されています。

今月の読本「草津温泉の社会史」(関戸明子 青弓社)陰湿漂う湯治場から泉質主義の湯の里へ。東の大関が張り続ける日本近代リゾート史の縮図

今月の読本「草津温泉の社会史」(関戸明子 青弓社)陰湿漂う湯治場から泉質主義の湯の里へ。東の大関が張り続ける日本近代リゾート史の縮図

いつもお世話になっている本屋さん、それほど規模は大きくありませんが、人文系でも部数が望めないちょっと珍しい本が書棚に並んでいたりします。

暫し書棚を眺めていて思わず手に取った一冊。先月、長野県立歴史館で入手した、ずっと欲しかった信州の観光地を紹介した絵図をテーマにした企画展の図録に寄稿されていた研究者の方が出された、実に興味深い最新著作に巡り合う事が出来ました。

今月の読本「草津温泉の社会史」(関戸明子 青弓社)をご紹介します。

西の有馬に東の草津。歴史と伝統に彩られる草津温泉は、江戸時代から現在まで、東日本における温泉地の筆頭として高名を誇ってきました。

しかしながら保養地や観光地、リゾートとしてナンバーワンの存在かと言えば実際にはかなりマイナーな存在。東京から直接行き着ける鉄道もなく、新幹線や高速道路からも遠く離れ、抜群に風光明媚と言う訳でもないその地がなぜ長く名声を轟かせ続けるのかを、地元群馬大学で歴史地理学を専攻する著者がこれまでの研究の集大成として送り出した一冊です。

今年の冬に突如として噴火を始めた、草津温泉の源泉となる草津白根山(本白根山)の火山、温泉学的な解説は、同じ大学、学部の早川由紀夫先生などの研究成果を援用して冒頭に一章を立てて概要を述べていますが、著者は人文系の研究者の為、これらの説明はあくまでも本編の補足に過ぎません(あとがきにも、今回の噴火を受けて、入稿済みの原稿に急遽コラムとして挿入したと述べています)。

本書は著者の得意とする、どちらかと言うと地理学的な分析を通じた草津温泉の近現代史を述べていきますが、本書は敢えて社会史という題名を掲げています。これは草津と言う山間の小さな町が、近現代の社会構造の中で極めて特異な位置付けを持っている事を示すものです。

明治以降繰り返された市町村の合併、実は草津町は一度合併した村を明治時代のうちに改めて切り離し、温泉地域のみで構成される町として分離、縮小されたもの。それ以降、現在まで単独の自治体として存在してきています。町全体が温泉に依存し、温泉自体も町が実質的に所有する(これを合有と称する)、しかも歴代町長の多くは有力温泉宿の主人と言う、草津温泉に依存し、草津温泉の為に存在するという特異でストイックな自治体。このような温泉べったりの町政運営は、町の発展、存亡自体も温泉の顧客動向で左右されるため、その推移を追う事で、更には他の観光地と比較することで日本の近現代におけるあらゆる観光リゾート興亡の縮図を見ることになります。

高い効能を謳う山奥の湯治場、特にらい病や梅毒と言った当時としてはイメージ的にも好ましくない印象を受ける病気を患った人々がすがるように湯治に訪れる場所として、効能の高さからは東の大関として盤石な人気を誇る一方、行楽地としての人気は常に低調であったことを当時の観光案内や人気動向の記録から辿っていきます。不治の病人が奇妙な姿をして肌を爛れさせながら強烈な湯に浸かるという、衰亡する人々が集う地のような暗いイメージを漂わせる湯治場。草津温泉の歩みはそのネガティブな印象からの脱却を積み重ねる歴史であった事を、当時訪れた文人、著名人たちの言葉から拾っていきます。特に大正時代の若山牧水とバブル崩壊直後の赤瀬川原平さん。いずれ劣らぬ優れた観察眼を有する二人が綴る草津温泉、特に湯畑を囲む時間湯を中心に描かれた印象の違いは、草津温泉が何か月も籠る山深い湯治場から徐々に週末に訪れる郊外の歓楽街、そして湯煙漂うレトロで快適な温泉リゾートへと変遷する姿として見事に描写されています。

軽便鉄道、乗合自動車、そして鉄道と道路網の整備に伴い年々身近になる草津温泉ですが、それでも熱海や伊香保のように日帰りで湯を楽しむのは時間的にも今もって難しい場所。ライトなレジャースポットに成り切れない部分が逆に落ち着きのある雰囲気を醸し出し、今はショー的になってしまいましたが、湯治場としての歴史的な繋がりを演出面でも大切にして来た成果が現在の人気を支えていると指摘します。

そして、戦前から営々として続く、町政を挙げての温泉地、リゾートとしての開発。雄大な火山を望む清涼な高原地帯という立地と、ベルツ博士の紹介により世界に喧伝された高い効能を謳う温泉を有する草津。早くから温泉リゾート(所謂ホットスパ)としての開発が期待され、前述の著名人たちも旧態依然とした湯治場のイメージの刷新を望む声を残していますが、ここに草津温泉のもう一つの大きな特徴が現れてきます。その効能の高さ故に強烈な酸性の温泉水を流下させる以外に、温泉街の中を引き回す方法が1970年代まで無かったという点です。

更に、泉質と湯量の多さを誇る草津温泉ですが、現在の湯量が確保できるようになったのは戦後の硫黄鉱山開発の途中で噴出した源泉(万代鉱)から大量に流出した95℃にも達する温泉水を熱交換で供給できるようになってから。それ以前は内湯を引けるのは湯畑の周囲やその下流域、又は湧出量が少ない西の河原や白旗、地蔵等の源泉周辺に限られていた事を、観光地図や当時の絵葉書、更には旅館の分布、規模をGISを用いたmapデータとして示す、専門である地理学の分析手法を駆使して解説を加えていきます。

改築と更新を繰り返しながらも、旧来の湯治場のイメージが色濃く残る湯畑を中心とした狭い入り組んだ路地添いに密集する江戸時代以前から続く中心街。その周囲を取り囲むような形で温泉リゾートやリゾートマンションが林立するようになったのは、スキーブームやバブル期のリゾートブームによる影響もある一方、国内最大規模の10,000L/minという膨大な草津温泉の湯量の約半分を受け持つ、万代鉱を町が買収して源泉として供給を開始したことで初めて成立可能であったことを指摘します。

戦前から続く町政そのものである温泉観光地としての開発とその遅れを挽回する新しい源泉からの豊富な湯量の供給。その先に起こったスキーを軸にしたリゾート開発の多くはとん挫したり、急激なスキー離れ、更には今年の本白根山噴火に伴い、そのシンボルでもあったロープウェイの廃止と言う、決定的なダメージを受けることになってしまいます。一方で、著者はその間の観光客の入れ込みは極端に減少はしておらず、季節変動も徐々に縮小している点を指摘し、特に宿泊率はバブル崩壊後殆ど一定の水準で推移(ここ3年では上昇に転じる)している点を捉えて、温泉観光地としての再生に成功しつつあると、泉質主義のキャッチコピー戦略と、草津の象徴である湯畑周辺の景観改善について近年の施策を解説していきます。

高名ながら陰湿な湯治場から、大衆温泉歓楽地へ。近年の巨大スキーリゾート計画の凋落から復活を果たす、圧倒的な湯量と泉質を誇る歴史漂う湯の里へ華麗なる転身。まさに近代日本のリゾート史を地で行く様な草津温泉の変遷ですが、そこには前述の後ろ暗いイメージを切り離す意図も多分に含む、温泉地に隣接する湯之沢から更に離れた現在の療養園へと強制的に集団で移住、隔離された、多くのらい病(ハンセン病)患者の方々が居たという厳然たる事実もまた述べられていきます。

幾多の荒波を乗り越えながら掴みとった自らのアイデンティティを掲げた結果、14年連続の温泉100選第一位を誇るようになった草津温泉。

その間の変遷を見るのも楽しい豊富な図表、写真を添えながらも学術的な視点を加えて重層的に語る本書。町そのものが温泉と言う特異な位置付けを示すために述べられる議論とその培ってきた景観の推移を読んでいくと、この湯がある限り、今回の噴火もきっと乗り越えられる。そんな想いを抱かせる一冊です。

 

今月の読本「荷車と立ちん坊」(武田尚子 吉川弘文館)明治東京を運ぶ足跡を追ったオムニバスストーリー

今月の読本「荷車と立ちん坊」(武田尚子 吉川弘文館)明治東京を運ぶ足跡を追ったオムニバスストーリー

歴史の研究分野は古来から続く政治や人物、又は文化、芸術的な変遷を捉えたものから派生して、近年では色々な切り口を持ったテーマが語られるようになってきたようです。

特に近現代史に於いてそのような傾向が多く見られますが、最近では更に学際領域というのでしょうか、テーマの多様化、細分化が進んでいるようです。

今回の一冊も、そんな流れの中にあるように思われる、極めて珍しい題材で描く「荷車と立ちん坊」(武田尚子 吉川弘文館)をご紹介します。

著者は直近に「ミルクと日本人」(中公新書、著者へのインタビューはこちら)という、これも極めて珍しい、ニッチで狙いすましたようなテーマの本を出されていますが、本書も特徴的なアプローチと内容を具えています。

まだ荷車を人が曳いていた明治の頃、急な坂や荷物が大量に集散する場所にたむろするその日暮らしの人々「立ん坊」。そして、東京近郊の農村と都心とを行き来した農民の暮らし。日本の中心となった東京に集う二つの全く異なるバックグラウンドを持つ人々の存在に触発された著者は、その間を取り持つ「荷車」をテーマーに物語を結びつけようとします。

しかしながら、この二つには僅かな結節点しかないため、勢い「荷車」を軸に明治東京に行き交う荷物を扱い運ぶ姿の変遷を、江戸時代に遡って綴る事が主体になったようです。更には、前述の執筆経緯故でしょうか、本書を通貫した明確なストーリーが築かれることは無く、各章ごとに「荷車」に関するエピソードがオムニバスに語られ、その中に「立ん坊」の姿が織り込まれていきます。

江戸時代の伝馬から始まり内国通運(今の日通です)、鉄道、郵便輸送に繋がる物流の大きな変遷を描く、産業史の中に生きる小口輸送単位としての荷車とそれを事業として扱う人々の勃興と構成。大八車の発祥と命名の謎から車両自体の変遷と、その中に組み込まれた著者の前著にも通じるような牛乳車や洋菓子を売って歩く箱車の姿。日清戦争における輜重部隊と、破門されてまでも志願し出征した江戸の力士たち、輜重における人力から馬力への転換。そして後半で綴られる、民俗学的な視点による明治期における都市近郊農村の姿にみる輸送形態。

それぞれに興味深い内容が続いていますが、如何せん新書並みの僅か180ページ程という分量の中で、話題ごとに細分化され、更に本書の主題である「立ん坊」の話は各章に散りばめられてしまっているため、かなり散漫な印象を受ける事も事実です。

「荷車」をテーマに、研究内容の宝石箱をひっくり返したかのように繰り広げられる本文。その中で少し纏まった形で述べられる「立ん坊」達の生活と、住んでいた場所、荷を待っていた場所について綴る一節を軸に読みなおしていくと、本書のもう一つの姿が見えてきます。

荷物が集散する水辺、河岸、そして駅。今では僅かに痕跡を残すのみですが、今もこれらの場所には、日通を始め大手の運送会社の倉庫や事務所が軒を連ね、潮待茶屋にはトラックとターレが集う。既に産業史の教科書に残るのみですが、汐留、秋葉原、最後の痕跡である築地は、時代の最先端であった物流システムである水陸結節駅として、その荷を集散させる彼らが行き交った舞台そのものです。そして、彼らが夜露を避け、怠惰と無常を募らせた本所に連なる木賃宿と、往年の姿は全く痕跡を残しませんが、今もその名と地形だけははっきりと残る、彼らが荷を待ちうけた凹凸の激しい東京の坂たち。

彼らが汗水を流し歩んできたその足跡には、現在の東京を形作る輪郭と動線がはっきりと刻み込まれている事に気が付かれるはずです。

人と物が動く事で街が形作られていく過程を、荷車というテーマから垣間見せてくれる本書。著者の旺盛で広範な好奇心を鑑みると、ちょっと無理かもしれませんが、極東の大都市東京の成長していく姿を描く一つのテーマとして、その先の物語を読んでみたいと思わせる一冊です。

今月の読本「近代日本の就職難物語」(町田祐一 吉川弘文館)「高等遊民」を生み出した社会制度としての大学と学制への視点

今月の読本「近代日本の就職難物語」(町田祐一 吉川弘文館)「高等遊民」を生み出した社会制度としての大学と学制への視点

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館さんの「歴史文化ライブラリー」。

気に入った内容の新刊が出るときには、発売早々に調達に奔走するのですが(田舎なので色々と)、積読中の書籍を読み終えてから漸く手に入れた今回。事前の刊行案内から興味津々だったので、取り急ぎ読み始めてみると、昨今のあらゆる状況が見事に反映されてるその内容に引き込まれて一気に読んでしまった次第。今回は、そんな近代史から現在を見通す様な視点に溢れる興味深い一冊のご紹介です。

近代日本の就職難物語今月の読本「近代日本の就職難物語」(町田祐一 吉川弘文館)です。

本書は著者の博士論文に繋がる著作である、同社から以前に刊行された「近代日本と「高等遊民」」(版元絶版)を下敷きに、主に高等教育を受けた学生たちの就職問題をピックアップして取り上げた一冊。内容自体は戦前の大学教育修了者と就職活動という近代史に基づく著述を採っていますが、その筆致には著者の現職(大学教養課程の助教)における大学生の就職活動に対する所感が色濃く反映されています。

副題にもある「高等遊民」というある種の魅惑を含むような言葉の意味通りの、高学歴を誇りながら定職にも就かず、社会から一線を引いて茫洋として生きていく世捨て人達を扱ったような本にも見えますが、そんなものは一握り、しかも資力を許す余程初期の学生に限られるとしていきます(夏目漱石の著作に多く現れてきますね)。自らの意志で「高等遊民」を目指した極僅かな特異者ではなく、そうならざるを得なかった事情を読み解いていくのが本書の狙い。普通に考えれば、経済状況の変遷に基づく就職難発生と緩和の趨勢が繰り広げられると思われますが、著者は更にもう一段上の視点を見出していきます。

近代日本に於いて制定された高等教育の「学制」そのものの発祥とその変遷。

さまざまな大学が創設の理念であったり、学生に求める資質であったりという建学側の理想があるのは尤もですが、著者が着目する点は社会的要請とそれに基づく「社会制度」としての学制と、その制度を経て社会に出ていく学生たちのマッチングにおいて生じる問題。

そもそも帝国大学を創設した最大の眼目は、高等官吏の養成であった事は良く知られている事です。官吏養成機関、更には官吏養成者を養成し、下級の教育機関が必要とする人材を送り出すための機関としての帝国大学の卒業生に求められる進路は、もちろん官職や教職へ就く事だった筈です。校数や定員、更には下級学校との配置を含めて需要と供給のマッチングが取られた、政府へ人材を送り出すためのシステムとしての学制。しかしながら私学を含む専門学校が大学へと制度変更され、社会に近代的な企業が勃興してくると、本来の制度設計と異なる状況が生まれてくることになります。

家族や地域、その他多くの期待を受けて、全国から集まってくる俊英たちの受け皿としての高等教育機関、大学。近代社会の発展と日本の工業化の進展により、それらの専門分野を有する学生は官吏だけでなく企業側の需要も伸びて来る事で、送り出す側の大学学部と企業、政府機関それぞれが足並みを揃えて、好景気の時には抜け駆けしてでも優秀な人材の確保を求めていきます。一方で官吏、教員の充足を当初の設置目的とした学科では、供給が需要を常に上回る傾向が続く一方、既存の権益の延長による学科、定員増設の機会において、素よりあったそれらの学科の定員も同様に増やされる事により、更なる供給過多の状態が生み出された事を、当時の政治状況を俯瞰しながら指摘してきます。

つい最近でも大きな問題となった法科偏重による著しい弊害の発生、そして文系学科の就職困難の事情。これらが既に大学制度創設当時から内包していた事に驚かされると共に、昨今議論となっている大学の「専門学校化」と戦前の就職事情への対処を重ねると、既に戦前から議論が続いていて、当時において原因までも明確に把握されていた事を指摘する著者の筆致に戦慄すら覚えます。

当初から社会への入口としての制度設計の意味合いを持たされていた日本の学制。好況期にはそれでも需要が供給を上回る為に問題点が浮上しづらいのですが、一度不況期に入ると経済活動を生命線とする企業は敏感に人員計画を見直す必要が生じるため、まずはその入り口である高等教育を受けた人々の受け入れを絞り込む事になります。不安定な就職状況に陥った際に効力を発揮するもの、それこそが閨閥であり人脈、所謂伝手と縁故の力が背後に浮き上がって来る事になります。近代的な高等教育と制度設計を設けたとしても、やはり最後は人と人の関係が最も重要。状況が厳しくなれば尚更です。

では、そのような伝手を辿れない学生たちを支援するのが大学の就職課や就職あっせんを行う機関。強力な就職指導や産業界とのコネクションのチャンネルを積極的に開拓していく大学の就職担当部署の成立と、時にはコネで押し込めたり、就職に関して殊の外強い教授が学生に人気が出るのは今も昔も何ら変わらないようです。では、それらの救いの手も功を奏しない場合はどうなるのでしょうか。

本書は現在の事情にはほとんど言及しませんが、読まれた方が予想される通りのシナリオを勧められることになります。起業、地方就職、そして挫折を現すことになる帰郷…。周囲の期待を浴びつつ、不断の努力を払い、漸くの想いで手に入れた階段の先に観た絶望的な現実。ここまでの著述であれば、ああそうやって現実に絶望した学生たちの成れの果てとして「高等遊民」が生まれたのですねと、早合点してしまいそうですが、さに非ず。

確かに望まぬ職に就く事を潔しとせず、「避難所」として大学院に籍を置き、状況の改善をじっと待ちながら研鑽を続け本望を遂げる人。時には怠惰に流されつつも、文筆等の分野に活路を見出す方もいたようですが、現在と違いそのような恵まれた境遇を踏めた方はほんの僅か。著者の着目点は更にもう一段別の側面へと進んでいきます。そもそも将来的に政府の一員として国家運営に資する人物を養成するのが日本の高等教育の起源。その能力と資質を持ちながら、社会に組み込まれる余地を失った人々が向かう先は何処でしょうか。そう、彼らが社会を不安定化させる事を危惧する指摘が早くも日露戦争後の不況期には現れていた事を見出していきます。

繰り返し述べるように、著者は本文中で何ら現在の事情を指摘するところはありませんが、この着眼点が過去の話でななく、今、目の前に現実として現れているという点は、もはや改めて指摘するまでもない筈です(日本のみならず)。

その上で、大学自体も社会を構成する一員として決して遊離したものではなく、その入り口として(ここでは新卒偏重主義の議論はしませんが)の役割と、それを制度として担保する「学制」というロジック。その枠組を経る事でしか社会に出る事を許されない、現代の日本の学生たちに対して、大学というシステムが何を成せるのか、近代史の史実を読み解きながら研究者として思いを巡らす著者の想い。

丁寧な筆致のうちに、経済状態回復のみを当てにしてその手当をおろそかにし続ければ、社会不安の種を播く結果となってしまうという想いすら織り込んで、実際に学生を社会に送り出す立場として、歴史学から指摘する本書。

時に研究成果やテーマとかい離して、社会的な問題点を指弾し、それを顕現させるかのように研究史観を掘り下げ続ける著述に残念な想いをする事がある中で、決してそのような指摘を無理にせずとも、自らの所属する社会性に立脚しながらも、歴史的な事象から現代に通じる課題を読み解く事が出来る事を見せてくれた本書の筆致に深く感心した次第です。

良くも悪くも、近代化の特質とその中で連綿と続いてきたと著者が述べる、大学と社会の関係。その関係が社会への入口として今も機能している以上、採用する側の工夫や大学自体の努力と共に、志望する学生が入学する前の段階から、その先をしっかり見据えられる「学制」が求められているのかもしれません。

「高等遊民」は決して求め、求められて、生じるものではない筈なのですから。

<おまけ>

本ページでご紹介している関連する書籍を。

今月の読本「百貨店で<趣味>を買う」(神野由紀 吉川弘文館)趣味の良い紳士の皆さん、マニアへの道は散財ですよ、散財!

今月の読本「百貨店で<趣味>を買う」(神野由紀 吉川弘文館)趣味の良い紳士の皆さん、マニアへの道は散財ですよ、散財!

所謂研究者の方が研究成果を纏めて上梓される本の多くは、シンプルな装丁とちょっとお高い価格が買う際の敷居をどうしても上げてしまうものです(中には、動植物や、自然科学、建築の研究書のように写真集と見まごう本もありますが)。

今回の一冊も近代史の研究者の方が出された一冊ですが、装丁にちょっと驚かされます。歴史を扱った本であることがすぐ判るシックな色使いと写真にも拘わらず、何とクロスのタータンチェックのシボが入ったカバー用紙を使う大胆さ。更には小紋をイメージした透かし入りの紙子の見返しに、きっちりデザインされたカバーの下に隠された表紙にも、帯同様にストライプを施す手の込みよう。

歴史書籍専門の吉川弘文館にしては、凝り過ぎとも思える装丁に思わず手に取った本書は、その内容もその装丁に違わず、何時もの歴史書とはちょっと異なった、「マニア」な切り口で語っていきます。

百貨店で<趣味>を買う表紙百貨店で<趣味>を買う見返し百貨店で<趣味>を買う装丁百貨店で<趣味>を買う」(神野由紀 吉川弘文館)です。

まず、著者の研究テーマ設定に驚かされます。大きな枠組みでは近現代のデザイン変遷史のようなのですが、そのアプローチとして捉えている視点が何と、風流の大衆化とデザインの「キッチュ」化。

これだけでは、何のテーマか訳が判らないかもしれませんが、本書を読んでいくと、そのアプローチと帰着点が徐々に見えてきます。本書は四章に分かれていて、それぞれに個別の論考としても読めるようになっていますが、このアプローチを楽しむためには是非冒頭から通しで読みたいところです。その流れは、近代の大衆商品デザインの変遷と著者の研究の深化(マニア道かもと…)とが軌を一にするかのようです。

文明開化と近代の始まりを告げた明治維新。社会的な価値観の大きな転換期から少し落ち着きを取り戻した明治後半の東京、大阪といった都市に勃興した新たな消費者層が求めたアイデンティティの希求を見出す事から本書の物語は始まります。その視点の先は、ほんの僅か前の時代である江戸の風流。最初は思想や文物を含めてそのままの形で移入しようとしたようですが、すぐに経済的な商品として変質を遂げていきます。その手助け、もっと言えばプロデュースと販売までをも一手に担ったのが百貨店という、近代を代表する販売セクター。

本書では、高島屋、そして多くを三越の社内資料、販売促進資料を引用する形で、この変遷を描いていきます。そのアプローチは正に大衆化とそれに付随するマスプロダクション化。そしてターゲットとなったのは、なんと、経済力をつけた男性たち。

現在の百貨店の客層を見れば判りますように、百貨店で消費するメインの顧客は女性、それもある程度の経済力を有する独身や安定した収入源を有する家庭を育む主婦層といったイメージが強いと思います。しかしながら、著者はその変質はサラリーマン家庭によって生み出された、時間的、経済的な余裕がもたらされた主婦層の誕生という高度成長期以降の話であり、丸善の例を示して、百貨店の1階とはそもその紳士向けの製品を売る売り場であったと指摘しています。実は経験上、この話には非常に頷かされる点があります。私が子供時代に生活していた横浜。一大消費センターに成長した横浜駅西口に今もがっちりと根を張っている旗艦でもある横浜高島屋。確かに1階は婦人向けの化粧品や宝飾品が多数並んでいたのですが、当時(1980年代からバブル以前)においても、奥の方は紳士向けのベルトやネクタイといった小道具類のコーナーが控えており、更には駅ビルの店舗では特等席と思える、ホーム直結の2階フロアーは薄暗い照明とされて、敷き詰められたふかふかのカーペットを歩いていく先には、暗闇から浮かび上がる高級宝飾品や紳士向けの高級スーツ、ゴルフ用品がゆったりとしたスペースで展示されているのがとても印象的だったことを思い出すのです。

お得意の広告宣伝という武器をフル活用した、イメージ戦略を含めた紳士の嗜みを満足させる為の百貨店。その位置づけは明治の勃興期に於いてすでに始められていた事が紹介されていきます。始めは西洋文化の受容とそれを外見で装うための装飾品販売が目的として位置付けられていた百貨店の商品戦略が大きく変わっていくのが、明治も40年を超えたあたり。社会的に落ち着き始めた時点で次に求められたのが、都市に集住し始めた人々が自らの住居を飾るための調度品たち。全国から都市に集まってきた彼らは、所詮経済力を付け始めてはいるものの、所謂江戸の風流も解せず、伝統文化や芸術の担い手ではなかったために美術への知識に乏しく、判断方法を含めてこれらの購入手段を百貨店に求めていく事になります。百貨店の方も最初は本格的な美術品、それも真贋の判定を要しない現役の芸術家の作品を扱う事でこれらの需要に応じていきますが、次第に自らがプロデュースした作品を送り出すようになっていきます。その先に描かれるのが作品から商品への転換。百貨店が主宰する美術展で飾られ、販売された芸術作品は、手軽に床の間や自宅の壁に飾るためのコンパクトな作品へと変えられ、製作者の銘が入れられた地方の民芸品や古美術も、百貨店自らがシリーズ化までを手掛ける準量産的な工芸品へと置き換えられていきます。そこには、始めは自身の身代を飾るためにやむを得ず支出していたはずの男性が、その目的を越えて、家族の為と称してこれらをせっせと買い込んでいく事を示していきます。私の実家にもあった、同世代の多くの家庭を訪れてもやはりあった、衣装ダンスにしつらえらえたガラスの引き戸の中に飾られた人形や工芸品たち。彼らがあまねく日本中の消費者(家庭)に普及していった経緯とその宣伝手法を百貨店という供給者側の視点を通して鮮やかに描いていきます。

このような話は、芸術作品の大衆化、消費財化という、時に経済論的な色彩で語られる場合もありますが、美術史の研究者である著者のアプローチはここで大きな転換を遂げていきます。大量生産されるようになったこれらの工芸品。最初は芸術性やそれこそ国威啓発的な意匠(この意匠の話を読んでいくと、戦後高度成長期にJALが導入したボーイング747におけるアテンダントの和服サービスと、壁には鶴が舞う、和風「テイスト」満載の豪華な2階ラウンジが思いっきりオーバーラップしていきます)に訴える作品も多くみられたようですが、著者が着目したのは、更にもう一歩進んでシリーズ化されて送り出された工芸品に用いられたデザインテイスト。既に本物の民芸品から大きく懸け離れてしまったそれらの作品に用いられたモチーフから、芸術作品の模倣としてのフェイクから脱却して、より大衆的に受け入れやすく親しみのもてる、そしてちょっと首を捻ってしまう点も見受けられる「キッチュ」というテイストを見出していきます。

それでも此処で終わっていれば、大衆化という名における単なるデザインの歪曲化、軽薄化のお話だったのかもしれません。しかしながら、工芸品のシリーズ化という百貨店の販売戦略とデザインの変遷が著者の中で融合した結果、思いもよらない議論の展開を見せ始めます。自らの身体を飾る衣装から、ステータスを飾る自宅の床の間の美術品、そして大衆化された工芸品への変遷。女性である著者は、そこに男子の一生に付いて廻る拭い去れない習性を見出していきます。それはマニアという名の「収集癖」。

興味を持ったものを集め始めると、集め尽くすまで止められない、捨てられない。お菓子の箱が一杯になるまでカードを集め、昆虫の標本を積み上げ、書棚を好きな本で埋め尽くし、棚にはプラモデルが群を成す…。大人になっても、文具屋さんでちょっと拘った筆記具やノートを手に入れると思わず仕事が捗ってしまったり、家電製品やパソコンを買い替え続けては家族に罵声を浴びせられ、それでも新しいスマホが手に入るとニコニコで弄り続ける…。

収集することに没頭するマニアたち。著者はその事例として、可愛らしくも女性にも人気のあるビックリマンチョコシールを例に挙げていますが、男の子にとっては小は崎陽軒のシウマイのひょうちゃんから、ディアXXティーXのシリーズものにアキバでの大人買い。大は腕時計にゴルフ用品、行きつく先にはTopGearで乗り回されるスーパーカーまで、好きなものは何だって集めたいのです。コレクションというカッコいい名前を与えられた、単なる男子の収集癖を満たしていく戦前の百貨店が辿った商品戦略の道筋。そこには、欲しいと思ったものならば、労はちょっと惜しんでも経済的に手に入れたいという都市に集った男性諸氏の消費者心理が色濃く反映されているようです。そして、女性が自らの嗜好で家財を工芸品や装飾品で彩るようになったのは、決して従前の事ではなく、戦後の経済的余裕が生み出した事象であることを改めて示していきます(前述の工芸品も母の両親、たぶん私の祖父が買い与えたものであったは筈です)。

消費者が買いたいと思っている物を、その潮流を含めてキャッチアップして、コレクションできる商品としてラインナップしていく。戦前の百貨店が担っていた消費意欲をそそるその戦略手法をデザインの観点から導く著者の論考の先には、長く不振が叫ばれ続けている昨今の百貨店とって、復活のカギとなるヒントが含まれているのかもしれません。

 

それでは、良い趣味をお持ちの紳士の皆さん。周りにとやかく言われようとも、今日も、さくっと散財ですよ、散財!