今月の読本『ものと人間の文化史 醤油』(吉田元 法政大学出版局)歴史と技術で綴る、モンスーンが生んだ大豆と麦が醸し出す発酵調味料

今月の読本『ものと人間の文化史 醤油』(吉田元 法政大学出版局)歴史と技術で綴る、モンスーンが生んだ大豆と麦が醸し出す発酵調味料

法政大学出版局が刊行を続けている叢書シリーズ「ものと人間の文化史」。

動植物や作物、身の回りの道具、そして食材といった、極めて身近な素材をテーマにしているにも関わらず、読み物や雑学本といった形態ではなく、学術レベルに近い水準を以て日本の歴史と文化の中で位置づけていくという、他に類例を見ない作品群です。年数冊というゆっくりとしたペースで刊行が続くシリーズ、毎年新刊を楽しみにしているのですが、今年初めての配本は、これまで何冊かの著作を読ませて頂いて非常に感銘を受けた著者が、シリーズ2冊目として手掛けた一冊です。

ものと人間の文化史 180 醤油』(吉田元 法政大学出版局)をご紹介致します。

著者の吉田元先生は発酵醸造学の専門家。しかしながら、その略歴に示されますように、長く京都に所在する仏教系大学で教鞭を執られていました。農学博士の学位を有され、水産試験場での勤務経験を持つ、人文学部の元教授という特異な経歴。更には、著者の専門分野には科学技術史と言うもう一つの肩書が添えられています。

歴史としての食文化の底辺できわめて密接な関係にある発酵、醸造。その双方を文化史と技術史として同時に語れる稀有な研究者である著者は、これまで主に日本酒に関する歴史についての書籍を執筆されていました。

初めての単著、現在は講談社学術文庫に収蔵されている「日本の食と酒」を執筆していた時から温めていた、日本酒と並ぶ日本の食文化に深く根付く発酵食品である醤油と、味噌。前著でもいずれは研究を進めたいとの想いを述べていらっしゃいましたが、そのテーマを扱うに最も相応しい叢書の一冊として、今回上梓される事になったようです。

あとがきにも述べられていますように、著者の食文化史としての研究のベースとなっているのは戦国時代の奈良興福寺で書き継がれてきた「多聞院日記」(及び、歴代の山科家当主が残した日記群)。そこで述べられている日本酒(諸白)の創始と、味噌から醤油への架け橋となる変遷を伝える記述のうち、味噌の成立からの推移を軸に構成されたのが本書です。しかしながら、本書の構成は著者の指摘を遥かに上回る広範な内容を含んでいます。

東アジア特有のモンスーンと呼ばれる湿度が高く腐敗が早く進む気候。その腐敗の原因を逆手にとって旨味と保存の力に変えていくという、アジア圏に広く存在する発酵調味料たち。中でもカビの力を借りて発酵させた穀物をベースとした発酵物の上澄みを調味料として用いる群のひとつとなる醤油。著者にとって以前からの研究テーマに繋がる魚類を使った発酵調味料である魚醤との違いから綴り始める本書は、その元となった味噌と共に、どのように現在の形に至ったのかを述べていきますが、更に日本の醤油を語るためには欠かせない別の視点も、本論を述べるのと同じくらいの分量を割いて述べていきます。

江戸時代から続く、つい最近まで日本酒には叶わなかった広範な海外輸出とその受容、現地生産に至るまでの道筋。日本酒で殊更にオリジナリティを以て述べられる、火入れと呼ばれる低温殺菌法が、その密封技術の未熟さと併せて限界があった事を、鎖国中にも拘わらず東南アジアで日本製醤油が広まっていた状況やその品質、開国後のイギリスでの受容と風味を犠牲にした高温殺菌に頼らざるを得なかったことを、欧米に残る記録から明確にしていきます。また、利用法の違い(ステーキソースの原料が主)もあって北米では化学分解による代用品が先に普及した結果、本来の醸造製品である醤油が現在のようにあまねく世界中で愛用されるまでには非常に長い紆余曲折があった事を示します(此処で述べられる、戦後の新式2号醤油成立の経緯と醤油の世界展開への繋がりは必見)。

次に、明治以降の近代工業化と醸造業の関わり合いについて、著者は敢えてその失敗例としての日本醤油株式会社の早醸法とその工業化の破たんを例に採り、発酵醸造製品の工業化と大量生産への早急な転換の難しさを述べていきます。その一方で、日本の醸造業に対して、一部に残る品質に寄与しない旧主的な製法には技術者としての疑問を挟んでいきます。記録に残る製法や現在でも継承されている伝統手法を述べる際にも、その手法が品質、味覚に対してどのような効果を与えるのか、材料配分や栄養素、実際に再現をされる際に必要となる発酵過程の検証を技術的な観点で繰り返し行っていきます(但し、それによって再現された物は当時と同じ物かは検証できないと釘を刺します)。

このような製法技術的な視点を更に追求していくと、その発祥に遡る事になるのは必然。本書でも著者が実際に訪問した台湾の例を含めて、その発祥である中国大陸、戦前の旧満州や朝鮮半島における歴史的な発展の経緯や製法の違いに視点を広げていきます。日本の醤油の進化と全く同じ、旨味の元となる全窒素量を効率的に上げつつ、高級品をじっくりと引き出す初回から、原料を徹底的に使い尽くす複数回の絞りと品質の差(醤油になぜ等級が生じるのかを製法から教えてくれます)、清浄な水が得にくい中で、如何に効率的に発酵に結びつけるか、よく言われるばら糀と箱糀の利用法も発酵学的に見た場合なぜ異なってくるのか。その結果として生じる、日本の醤油と台湾、中国大陸、朝鮮半島の大豆発酵調味料とで微妙に異なる味覚の根底にある、アルコール由来成分の残留差。溜り醤油の元としての中国の醤油と言う視点から一歩踏み込んで、大豆発酵食品全体の製法として見ていくと、麦の使い方、その付加方法を発展、改良した先に、現在広く普及している濃口醤油が成立している事が明確に見えてきます。そこには、日本の食文化を語る多くの書籍で引用される和漢三才図絵の味噌、醤油に関する記述の多くが、実は本草綱目をほぼそのまま引用しており、その結果として日本に於ける味噌、醤油の成立における製法の解明が混乱し、歪められている点を、元となる大陸の製法から辿る事で明らかにしていきます。

造りの歴史や技術的視点から見る、醤油の歴史。最後に述べられる世界的な醤油の需要拡大と相反する国内での需要低迷。その一方で、醤油に対する味覚は地域毎の特色が明確に残っており、近代化を進めながらも伝統的な手法も堅持する溜り醤油ならではの製法や味わいへ特別な想いを示し、未だに手作りによる製法を継承し続けるキッコーマン御用蔵での醸造に、敬意とその未来を想う著者。そのような状況下で生産量を倍増させる勢いにある、長い試行錯誤の末に辿り着いた密封タイプ容器開発による開封後の劣化防止策に高い評価を与えます。

遥か昔から続く、モンスーン気候特有の腐敗を味方に付けた発酵醸造食品故に、保存性が良い事から見逃されがちな、風味の劣化や保存法にややもすれば無頓着(これは依然として酒類、特に日本酒)になる醸造家達への研究者としての厳しい眼差しも示す著者。

日本食と食文化を下支えする名脇役にして世界に広がる調味料となった醤油は、決して過去からそのままに伝えられたわけではなく、その製法も利用法も時代と共に刻々と変化していく事を歴史的な展開から導いていく本書。食文化は止まることなく、常に技術革新を伴いながら変わりつつあることを改めて教えてくれる一冊です。

著者の作品を何点か。ご紹介に載せきれませんが、本書を含めて、著者の作品は、特に室町時代から近代まで、ベースとなった京都を中心に、実に豊富な視点で食文化についても語られています。

本書は主に醸造技術を軸に食文化を添える形で綴っていますが、産業史としての近現代の醤油醸造業の発展にご興味のある方へ、吉川弘文館の歴史文化ライブラリー「日本の味 醤油の歴史」(林玲子 天野雅敏:編)もご紹介しておきます。

広告
今月の読本「日本酒の近現代史」(鈴木芳行 吉川弘文館)行政史から俯瞰する、せめぎ合う徴税と酒造の物語

今月の読本「日本酒の近現代史」(鈴木芳行 吉川弘文館)行政史から俯瞰する、せめぎ合う徴税と酒造の物語

通巻400冊を迎えた、吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリー

記念の400冊目を読むのはこれからですが、その前に401冊目となる、本シリーズの主題でもある、日本の歴史と文化の熟成を示す代表的なテーマを掲げながら、一般書としては珍しい切り口の興味深い1冊をご紹介します。

日本酒の近現代史日本酒の近現代史」(鈴木芳行 吉川弘文館)です。

最近復権の兆しの見える日本酒。本屋さんを覗くと、多くの関連書籍が書棚を賑わせています。

本書もそれらの系譜に連なる一冊かと思えますが、さにあらず。

この本をお手に取られる皆様にとってご興味のあるであろう、名醸地、吟醸酒や純米酒、杜氏のお話はもちろん出て来ますが、全体に占める割合は極僅かです。

そして、造りに興味がある方にとってはちょっと意外かもしれませんが、本書には酒米や酵母のお話は全く出て来ません(山田錦や七号酵母という単語が出てこない日本酒の本というのも、むしろ新鮮)。

では、本書はどのようなお話が語られるのでしょうか。

著者の鈴木芳行氏は、同じ吉川弘文館の歴史文化ライブラリーに「首都防空網と<空都>多摩」という、これまた異色のテーマを据えた、郷土史の枠を超える近代史の書を上梓されています。そして、本書に掲載されている略歴には述べられていませんが、あとがきにあるように、税務大学校で租税史の研究に携われていた方です。

本書はそんな著者の研究成果を一般向けに判りやすく解説しつつ、酒税と日本酒の関わり合いから日本酒の歴史を叙述するという、極めて珍しい一冊といえるかもしれません。

ただし、著者の経歴と前述の内容のせいでしょうか、本書を読んでいると、まるで行政機関が発行している広報誌やレポート、紀要を読んでいる気分にさせられるかもしれません。特に、結論への落とし込みがやや大振りな点や、行政(醸造試験所及び税務署)の成果をややもすると一方的に称揚しているように感じさせる点には、読んでいて多少の違和感を持たれるかもしれません(校了では指摘があったかと思いますが、ある名詞に通常用いない呼称を一貫して使用する点も、気になさる方は多いのではないでしょうか)。

そんな少々気になる点もありながらも、本書の捉えようとしているテーマは非常に興味深い点があります。

本書は、その記述のスタートである江戸時代初期の時点から、醸造と徴税の物語が既に語られ始めます。

洋の東西を問わず、アルコールは徴税の大きな拠り所。より高品質、高効率なアルコール醸造こそが効率的な徴税に繋がる事を、それこそ徴税する立場の視点で述べられていきます。原料である米の出来高、酒の醸造石高や取引量の増減に伴って変動する税収と、主食でもある米(この部分が他のアルコール類と決定的に異なる)の供給量のバランスに頭を悩ませる徴税サイドと、その隙を突きながら酒造を拡大させる酒造家たち。そのつばぜり合いの先に、遂には十水(米十石に水一石以上を吸わせる、米百石で百石以上の酒を醸造する)という高い吸水効率を達成し、更には宮水と水車精米を用いた高精米率による、高付加価値商品としての灘酒の完成があると読み解いていきます。そこには、徴税者達の圧力に抗しながら酒質を上げる事で利益を確保していこうとする、酒造家、杜氏たちの執念を感じさせます。

高い税率に苦しめられながらも税収の下支えに寄与してきた歴代の酒造家たち。その執念の先に、明治以降の酒税だけに認められた、冬季の醸造に有利となる特異な徴税システムが構築されたことを、専門の租税史の史料を駆使して解説していきます。高い税率と特異な税制がもたらした結果は、表紙の帯にあるように、明治中盤の一時期には国税の過半を担うという、とんでもない重税に耐えながらも日本酒の醸造が発展していく事になります(それでも呑みまくった民衆もしかりですが)。

租税の歴史から見た近代日本酒醸造の歴史。その視点は、吟醸酒の成立や所謂下り酒の衰退にも影響を与えたと見做していきます。

より高品位の酒を安定的に送り出して、高い付加価値を得たい。日本酒に付いて廻った「腐造」の問題。そして、主食でもある米の使用量を極力抑えて、なおかつ酒質を安定させるための挑戦。著者によれば、これらすべてが高い税率、そしてその税収に依存する徴税サイドの切実な問題意識から端を発した結果論としての、酒造家、そして徴税者たちの取り組みの成果であったと述べていきます。

軟水醸造法と吟醸酒に欠かせない縦型精米機は奇しくも、同じ土地から生まれることになり(加茂鶴)、灘の樽酒の東京への一括買い上げに対抗すべく、瓶詰めと個別取引で東京市場を開拓(月桂冠)、杜氏への化学知識、技術指導による、税収減の元凶でもある「腐造」の撲滅と、杜氏の勢力図の転換(越後杜氏)。そして、現在では主流となった速醸や山廃が東日本で先に普及が進んだ結果が、現在の日本酒出荷量において、灘、京、広島を除けば、東日本中心となった点に繋げて考えると、なかなか興味深い所でもありますし、このことを知れば、灘の雄である菊正宗が樽酒と生酛造りに拘る点も判るような気がします(注記:本書では人物名は用いますが、文中で特定の蔵元名称は原則用いられません)。更には、典型的な季節型労働集約産業であった醸造自体も、これらの改良や機械化、最終的には高度成長期の月桂冠に始まる所謂「四季蔵」の成立による、ナショナルブランドとしての産業化が達成されていった事を好意的な視点で示していきます。

日本酒が隆盛を誇り、製造法が著しい飛躍を遂げた戦前。その繁栄も、戦争の足音と共に歪んだ進化を遂げる事になります。本書では好意的に捉えていますが、一部には否定的な見解もある三倍増醸酒やアルコール添加酒の開発や、日本酒離れの元凶となったという説もある等級制への移行。これらは既存の大手酒造家たちに有利な政策でもあったため、戦後も長きに渡り継続される結果となりますが、本書では、その逆境を跳ね返すべく酒造家たちが挑んだ、新潟を始めとする吟醸酒造りと税法のせめぎ合いの話も述べられていきます。

そして、前著「首都防空網と<空都>多摩」とも関わってくる、戦中、戦後期の統制と税収の物語は本書の白眉とっていいかもしれません。中には、戦中の配給における酒類の動向や徴税手法の変化、酒造設備の機械化度合いを企業整理令に基づく、金属回収の資産評価基準から読み解くなどという、前著に繋がる、税務経験者の面目躍如といった着眼点も出て来ます。この戦中の統制に端を発した酒税の制度設計の影響は、戦後の混乱期に生じた更なる統制をも加えて、戦後も長く尾を引いていきます。本書の後半では、最終的な解除(生産調整が完全に解除されたのは1973年、級別制度が廃止されたのは実に1992年)に至るまでの経緯と実情が徴税側の立場から述べられていきますが、その目的は税収の確保と、やはり主食である米を原材料とする日本酒ならではの、主食の確保とのせめぎ合い。

同じような目的で制定された食糧管理法が、形骸化しながらも1994年まで継続したように、税収と主食の確保という行政運営上の2大目的の板挟みに合う事を宿命づけられた日本酒の醸造は、その間のビールの大幅な伸び(こちらも不公平税制だとの声が長らく続いています)による税収の逆転と、阪神大震災以降、留まる事を知らない税収、醸造量の落ち込みに見舞われている事はご承知の通りかと思います。

徴税と酒造家のせめぎ合いによる日本酒の発展と衰微を語る本文からの流れで読んでいくと、少し違和感すら与えるエピローグの著述。

これも、なかなか手にすることは少ない、行政サイドから見た酒造史という、特異な一冊の文末らしいのかな、と考えながら、今夜も酒造家の皆様のたゆまぬ努力のおかげで日本酒で杯を交わす事が出来る事を素直に喜びつつ、一献。

<おまけ>

本書と一緒に読んでいた本達と、本ページに掲載している関連する書籍のご紹介。

日本酒の近現代史と類著たち