今月の読本「中世武士 畠山重忠」(清水亮 吉川弘文館)在地領主と御家人の狭間で二俣川の地に「武士の鏡」が生み出される時

今月の読本「中世武士 畠山重忠」(清水亮 吉川弘文館)在地領主と御家人の狭間で二俣川の地に「武士の鏡」が生み出される時

平安時代後半から徐々に浸透が始まり、その後明治維新まで長く長く続く、武士を支配層の中心に置く社会構造。

支配層となった彼ら武士達の多くが崇敬したのは、その体制を確立した源頼朝ですが、武士個人が自らの範として捉えらて来たのは、同じ時代を生きた畠山重忠ではないかと思います。

常に頼朝の先陣を務める誉を与えられる名誉に浴するだけの武勇を誇る一方、京の音曲にも通じた雅の心を併せ持つ東国無双の武人。その一方で謀反の疑いを掛けられても「名誉である」と受け応える傲慢さ、万騎が原の合戦による一族滅亡に仕掛けられた陰謀を知ってなお、嫌疑を晴らし矛を収める事を潔しとしない苛烈さと併せて、愚直で悲劇的なイメージすら有する人物かと思います。

同じ東国無双の勇者とされる熊谷直実と並び称される事もありますが、苗字の地たる熊谷を維持するのに汲々とせざるを得なかった直実に対して、畠山の地とは大きく離れた小山田氏が抑えていた武蔵の南限、終焉の地に当たる二俣川(鶴ヶ峰、万騎が原)もその勢力下に収めていたとされる、武蔵の国内で広大な領域に影響を及ぼす惣追捕使(惣検校職)という国衙の顕職を帯びる地域支配者としての重忠。宇治川渡河の一番乗りや一の谷合戦のイメージから、一人の武将として同列に語られる事も多い二人ですが、その姿や立ち位置は大きく異なるようです。

今回は、武士の鏡と称された伝説的な武人の英雄譚から少し距離を置いて、そのバックボーンから人物像を浮かび上がらせることを目指した一冊をご紹介します。

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館の歴史文化ライブラリーから、今月の新刊「中世武士 畠山重忠」(清水亮 吉川弘文館)です。

著者の清水亮先生は鎌倉幕府のお膝元、神奈川の出身で一貫して関東地方の大学で研究歴を積まれた方。現在は重忠の本拠があった菅谷館も近い、埼玉大学で教鞭を執られています。郷土史の委託研究をきっかけに重忠の研究に取り組むようになった著者。その中で、鎌倉幕府草創期前後で常に議論される「武家」の位置付けについて、下向井龍彦氏が従来から提唱する見解に基づいて、所謂軍事貴族の下向、土着化と言う姿は認めつつも、勲功を得て在地に根付いてから長い期間を経た先に築き上げた地盤を背景とした彼らを「在地領主」として再定義していきます。

近年活発な研究が続く、中世期の発掘成果や街道、交通に関する交流史の成果をふんだんに取り入れて描き出す源平争乱期前から鎌倉幕府草創期に掛けての東国一の大国、武蔵に割拠した在地領主たちと、その影響下に置かれた「党」を主体とした武士団。その中でも、軍事貴族としての村岡五郎良文の系譜を継ぐ秩父平氏の一群、その頭目格としての畠山氏の発展と一族の継承争いから、在地領主としての姿を描き出していきます。

重忠個人の伝記としてではなく、近年の研究成果を踏まえた浅間山大噴火以降に始まる東国の大再開発時代に、広大な関東平野に流れる河川と交通路の要衝に蟠踞して勃興する武蔵の武士勢力。その頭目争いの推移と在地の武士たちと共存関係にある、彼らの利権に便宜を与えつつ群がる京の貴族層、争いに介入した河内源氏一族の動きから、畠山家の成立(ここで畠山という荘園は存在しないが「庄司」を名乗る点にも注目)と頼朝挙兵前の重忠の立ち位置を確認していきます。

重忠同様に軍事貴族としての系譜を有し、国衙の顕職を名乗り相互にネットワークを張る東国の在地領主たち。川合康氏の提唱に基づき著者は彼らを「在地系豪族的武士団」と称し、その影響領域「軍事的テリトリー」に付随する党や武士団を取り纏める立場であると定義します。その姿は軍記で描かれるものとは異なり、自らが弓馬を駆り白刃を交わして軍功を挙げる立場ではなく、彼らを取り纏め率いる長であった事を認めていきます。

婚姻関係で結ばれる彼ら在地領主たち。此処で興味深い点として、著者は重忠が三浦義明の継子孫という記述は間違いであり、それは頼朝の挙兵より前に亡くなった彼の兄に当たり、重忠自身は一族の江戸重次の娘が母であると指摘します。源氏と深い繋がりがある三浦氏の血筋ではなく平家との関係を取り持つ立場として生まれた重忠。その後、父親の重能と共に京に出仕していた事が想定されており、平家との深い繋がり、所縁を持つ人物であったことを示唆します。

棟梁である父親の重能が不在の中、ぎりぎりのタイミングで四代相伝の君に伺候する事になった、軍事貴族の末裔で平家に仕える京仕込というプライドが嫌でも高くなりそうな、武蔵の在地でも筆頭格に位置する豪族の若君。新たな主君となった頼朝からは常に警戒の目で見られ続ける関係であったようです。

その結果、頼朝を中心として東国の武士たちを取り纏めていく体制の先に構築される鎌倉殿を核に置いた御家人制度萌芽の中で、重忠は微妙な立場に置かれ続けます。遥か後年の室町時代に鎌倉公方の鎌倉府が古河へ動座するまで続く、鎌倉を中心とした為政者に纏め上げられる周辺の武士(党、一揆、武士団)たちと、その外縁に位置した軍事貴族の血統を引き継ぐ在地の有力者(小山、足利、新田にしても同じ)との熾烈な駆け引きの端緒。著者は同じような立場に立った御家人たちとの比較を試みていますが、上総広常のように討滅されなかったのは、ひとえに京の文化に親しみ、音曲にも優れた才能を持っていた重忠個人の人物を頼朝が好んでいたのかもしれません(弓の技量は怪しいが軍の先頭を担うに相応しい風格の持ち主だったとも)。

高い権威と家柄を誇りながらも鎌倉殿の権力の中枢からは遠ざけられていた重忠。しかしながら頼朝の死によりそのバランスが崩れると、権力抗争に自ら足を踏み入れてしまったようです。著者によると領地や権益を守る事に自覚的になったとする、御家人に成り得なかった在地領主としての矜持が頭を擡げた先に突かれる事になる、北条時政による謀略から二俣川(鶴ヶ峰)の戦場での滅亡。

著者による重忠の人物評と併せて語られる、合戦の際に御家人たちが見せた重忠への立ち向かい方(此処でも三浦氏との確執の片鱗が浮かび上がります)。議論が分かれる北条義時の重忠への評価、更には歴史的な重忠の評価についても、この戦をピークとして、それまでに御家人たちが積み重ねてきた記憶が重なり合って、英雄譚としての重忠像を作り出したと認めていきます。重忠自身が抱く背景と、当時の知識階級の人々や御家人たちが彼に仮託した在地領主たる「武士」の生き様。その中から後代の武士たちが模範とした、家名と伝領する領地を誇り、武勇を貴び、礼儀と教養を兼ね備えた英雄としての姿が生み出された瞬間。更には英雄像としての重忠の伝承を強く意識し続けたのが、血縁に当たるあの島津家であったという著者の指摘も実に興味深いです。

表題にある重忠の物語は此処までですが、その栄光に生まれ変わった家名の行く末を伝える為でしょうか、本書ではその後に畠山の家名を継いだ源姓畠山氏、室町時代に三管領と称される家系に繋がる物語を最後に綴ります。

武士の鏡と称される人物像を周辺から描き込む一冊。ほんの少しロマンチシズムを漂わせる重忠本人の人物伝としてはもちろん、重忠、秩父平氏一門の動きから、武士の勃興から始まり、鎌倉幕府草創期前後までの東国、武蔵の状況と、鎌倉殿を軸にした御家人制度が生み出される過程を流れで捉える事が出来る好著。

流石は歴史専門出版社の吉川弘文館さんらしく、歴史文化ライブラリーだけでも関連書籍がこれだけ揃います(私が現在持っているのはこの10年程度で刊行された分だけですから、実際にはさらに多くの関連書籍がシリーズとして収蔵されています)。

巻末に豊富に掲載された参考文献をご覧頂ければ判りますように、掲載した書籍は相互に深い関連があるものばかり。色々と読み比べてみると、更に東国の歴史への興味が深まるのではないでしょうか。

<おまけ>

本サイトの何処かで書いていたと思いますが、私が長く暮らしていた場所は重忠終焉の地のすぐ近く。北条の大群と遭遇した場所とされている万騎が原が幼少時代の遊び場でした。当時、区役所が主催していた地元の歴史史跡や企業を探訪する企画に参加して重忠の旧跡を訪ね歩いたのが小学校四年生の頃。私が歴史好きになったきっかけは、実に畠山重忠の物語とその史跡にあります。地元の歴史に触れる事は、きっと歴史好きになる扉を開いてくれる。そんな想いを抱かせてくれた重忠の物語と、最新の研究成果で描かれるその背景を改めて噛み締めながら。

今月の読本「動乱の東国史2東国武士団と鎌倉幕府」(高橋一樹 吉川弘文館)南北交通開拓を目指す幕府と移動する武士たちの交流史

今月の読本「動乱の東国史2東国武士団と鎌倉幕府」(高橋一樹 吉川弘文館)南北交通開拓を目指す幕府と移動する武士たちの交流史

関東の歴史、特に中世以降の歴史に興味がある方なら待望のシリーズだったと思います吉川弘文館の「動乱の東国史」シリーズ。

シリーズ全7冊の配本も後は第五巻「鎌倉府と室町幕府」を残すのみとなりました(3月配本ではなく、近刊になってしまいましたが)。

今回は2月に配本となったシリーズの中核をなすであろう一冊、第二巻「東国武士団と鎌倉幕府」(高橋一樹著・吉川弘文館)を取り上げてみたいと思います。

このシリーズ、冒頭の刊行のことばにあるように、これまでの歴史書籍とはちょっと違った視点を模索しているシリーズです。

まず、これまでの東西視点(所謂院政主導の王朝国家的政権と、草深い東国で発生した武装した開拓農民たちが結集して成立した武家権能の衝突)の古典的な考え方の延長には基づかず、あくまでも現在の研究水準に則った上で、あえて「東国」を意識した地域史を描こうとしている点です。

次に、「東国」という地勢をテーマに置く以上欠かせない点かもしれません、人物に焦点を当てた著述にとどまらず、そのバックボーンたる「交通・流通」に関する最新の知見を豊富に掲載しようという意図が感じられる点です。

これらの編纂内容の主軸よって得られた当時の「東西交流」の姿、地理的感覚を東国側からの意識をベースに著述しようとしている点は、ある意味現代の地理学的な手法を歴史学に持ち込んでいるともいえますが、よりリアルな歴史著述を目指す、そして冒頭で述べられているように「歴史に親しみ、史跡を巡る人々」へのアプローチとしてはとても的を得た編集内容になっているのではないかと思います。

(この点は3巻で最も顕著に表れてくるのですが、所謂「西国」の武士たち、とくに室町以降、戦国時代までに活躍する多くの武士たちは承久の乱の勝利によって西国に所領を得た東国武士たちの末裔に繋がるのです。そのような意味で、東国ベースで武家の歴史を著述することは実は日本全体を包括した中世の歴史の出発点を著述することになります)。

そのような新たな視点を狙ったシリーズの中で最もその命題に答えているであろう一冊が本書です。

東国武士団と鎌倉幕府

著者はあとがきで自嘲的にすべてのフィールドに足を運びえたわけではないがと述べていますが、本シリーズ中で最も武士たちの動きと、交通網の発展、展開の著述に力点を置いています(五巻は未刊ですが)。

本書を読まれた後で、現在続々と刊行されてきている戦国期の後北条氏や上杉氏、武田氏の経済運営や領域内の流通に関する書物を読まれると目から鱗が落ちることは間違いありません。

著者は本書において、源平動乱期以前において、東国の交通網は依然として東西の移動に主眼が置かれていたと述べていますが、鎌倉の整備に合わせて南北の交通網、特に「東国の首府」たる鎌倉と最後まで直轄領として扱った越後とのルートが整備されていったことを御家人たちの所領の配置や出兵時のルート想定から描き出そうとしています。

所謂「鎌倉街道」の事なのですが、この着目点については非常に頷かされるところが多くあります。

私は現在、八ヶ岳の南麓に住んでいますが、人生の多くを鎌倉街道沿いの街中で過ごしました。

現在、東京、埼玉方面から湘南方面に向かう場合、多くの方は品川から東京湾沿いを下るか、新宿、もしくは八王子から町田を経て小田急線江ノ島線方面に南下することが多いかと思います。

箱根駅伝をご覧になっていらっしゃる方は判るかと思いますが、東京湾沿いに鎌倉方面に移動すると、南下してきた国道一号線は戸塚の辺りで西の内陸側に首を振ってしまい、鎌倉にはそっぽを向けたまま藤沢方面に抜けてしまいます。

箱根駅伝のランナーが戸塚から軽快に坂を下って行く事からも判るように、国道一号線は周囲の丘陵地を避けて谷沿いに沿って引かれているのです。

一方、町田から小田急線に乗って江ノ島を目指すと、延々と続く広い台地の上を淡々と南へ一直線に走っていきます。大分住宅地が増えて来たので農地が減ってはいますが、意外なことに水田が殆ど見られない事に気か付くかもしれません。

このルートは小田急線が開通するまでは茫洋とした未開の台地で、殆ど手つかずであったといわれています。関東ローム層が厚く堆積し、台地の上では水の便が非常に悪かったのです。

一方で現在、鎌倉街道として知られるルートを車で辿るとどうでしょうか。

細かいアップダウンを繰り返し、時々ほぼ東西方向に流れる川を跨ぎながら鎌倉方面に進んでいきます。

車を走らせるには谷沿いの薄暗い道だったり、頻繁なアップダウンありでちょっと走りづらいですし、鉄道で結ぶにはトンネルや橋梁をいっぱい作らなければならない地形で長らく南北をつなぐ路線はありませんでした(多摩モノレールと相模鉄道いずみの線が一部開通したのは20世紀も終わりごろです)。しかしながら、人の足で歩くのであれば、それほど苦になる事はありません。

それ以上に関東ローム層に刻まれた所謂「谷戸」を結んでいくこのルートは近世以前の農耕技術、特に水田を設けるためには必須となる水の便を考えた場合、東西方向に延びる川沿い谷戸は格好の耕作地帯に見えてきます。

筆者も述べているように軍隊を戦地に送り込むためにはルートと上に兵站地としての拠点があることが必須となります。

特に現地調達が前提であった当時の兵糧調達において、軍旅の途上においてこれらを調達できるか否かは、戦争の継続を左右するくらい重要な問題であったと思います。

これを読み誤って飢餓状態の京都に突入した木曽義仲があっさりと後白河法皇に西国戦線への転戦を求められたように、逆に京都に「米くい虫」の軍団を留め置く事への危険性を鑑みて入京を最小限抑えるように指示を出した頼朝の判断のように大量の軍隊を移動させるためにはインフラ整備、特に食料調達が欠かせない事になります。

そのような意味合いで、鎌倉街道を見直してみると、旨い具合に小領主たちが蟠踞していたであろう小さな谷戸を縦串に貫いていることがよく判ります。

北条方幕府軍と畠山重忠が戦った「万騎が原」はそのような鎌倉街道と東西に流れる河川が交わる場所、西には現在の相模鉄道沿いを流れる帷子川、南にはその後江ノ島の横に流れ込む境川に繋がる柏尾川の二河川が分かれる丘陵地に当たります(最寄駅の名前はずばり二俣川、二駅隣りは旧相模と武蔵の境界でもあった「三ツ境」)。

そのような平時には谷戸同士を結ぶ物流路として、戦時には兵站基地及び周囲の丘陵地はそれこそ「戦場」となってしまうのが鎌倉街道だったのでしょうか。本書では鎌倉街道に関わらず、当時の東西交流路や南北交流路(身延道の重要性や秋葉街道にも言及されているのは嬉しいですね)が現在の視点で考えてはいけない事を丁寧に叙述しています(但し、承久の乱の戦犯者たちの処刑場所と富士東麓ルートを戦勝記念として記憶させるという考え方を絡めるのはちょっと無理があるかとは思いましたが)。

また、幕府が最後まで越後を御料地として手放さなかった点について、鎌倉を基軸とした南北ルートを非常に重要視し、越後を「北の拠点」とみなしていたという認識は大いに理解できます。

この事が判っていると、親鸞が何故越後に流罪となった後に、上野を経て常陸を拠点に東国での布教に力を入れたのか(旧東西ルートに乗って移動している)、日蓮が佐渡から帰還した後、何故身延に居を定めたのか(越後から信州を抜けて甲州と駿河に通じる南北交流における南端の拠点)、最後の地がなぜ池上となったのか(大山街道を東に進んで東京湾にそそぐ川(多摩川?)沿いを進むルート)当時の交流路から理解できるようになります。

本書は、そのような「東国の交流路」が鎌倉幕府成立と軌を一にして成立したことを鮮やかに描き出していきます。

この南北交流路が戦国時代になると、かの上杉謙信や武田信玄、後北条一族が戦う戦場を貫くルートに変貌するわけです。彼らが何故南北ルート確立の為に死闘を繰り返すのか、そして彼らの草刈り場としての上野、北信濃の位置づけが出て来るのかも、これらの交流路の変遷から充分に理解できるものとなります。

一つ残念な点を述べさせて頂ければ、上記を述べるにあたって最も重要となる一方、東国の辺縁となってしまう上野に関する交流路を含めた記述が少々薄い点でしょうか。この辺りはシリーズ内で補完されてるものと考えたいです。

だらだらと雑論を述べてしまいましたが、本書は今までになかった視点で「東国史」を描き出そうという本シリーズの意図が充分に汲み取られている一冊ではないでしょうか。純粋に歴史叙述や地理学的イメージに浸りたい、そんな歴史好きの方なら気に入って頂けるかと思います。

<おまけ>

  • 本書は上述のような交通体系史だけではなく、ちゃんと源平動乱期から北条執権体制に至るまでの歴史叙述も記述されていますが、その執筆テーマの関係上、ちょっとあっさり目の内容に終始します。そのような点では「交流史」を割り切って読まれた方が良いのかもしれません。密かに流行っているのでしょうか、「地理学」を歴史学に持ち込まれた好例かと思います
  • 本書ではカバーされないもうちょっと濃いめの鎌倉幕府成立に関する書籍で、特に人物に興味のある方には以下の本がお勧めです(最近に刊行され分で)
  • 「鎌倉殿誕生」(関幸彦・山川出版)最新の研究成果を踏まえて、肩ひじ張らずに源頼朝がどのように武家政権を掌握していったのかを叙述した一冊。関先生が編集者の方に頼朝の物語を講義していくというスタイルがちょっと珍しい。もしかしたら日本にも「王朝交代・並立」があったのではないかとの儚い期待が散見されます
  • 「頼朝の武士団」(細川重男・洋泉社歴史新書y)こちらはもっと砕けた「頼朝論」。要はちょっと頭の切れる都落ちしたチンピラが、腕っぷしだけは自信があるが冴えない田舎のやくざ達をまとめ上げて、都を見返してやるというストーリーで描かれる一冊。内容も、言葉づかいもラノベかよと思わせる砕けっぷりですが、そこは細川先生、内容はきっちり研究成果を押さえた上で書かれていますので、安心して「頼朝とちょっと不器用な仲間たち」の物語に浸って頂けます。漫画で出せばいいのに、と
  • 「鎌倉源氏三代記」(永井晋・吉川弘文館歴史文化ライブラリー)頼朝だけではなく、もう少し周りの人物模様、特に御家人たちの動きを知りたいのであればこちらの本がお勧めです。後半に行くにしたがって北条氏の毒々しい権力奪取の物語となっていく点は仕方がないのですが、通史として源氏将軍の意義を理解するためには良い本だと思います
  • 最後に、源平合戦全体について理解するためには外せない一冊「源平合戦の虚像を剥ぐ」(川合康・講談社学術文庫)こちらを読まれると源平合戦及びその後の奥州征伐において、源頼朝が如何にして自己の政権を確立しようと腐心したかが判るかと思います。本書を読んでしまうと、鎌倉に誕生した権能が院政の傘下にあった一権門として五月雨的に自己権益を収奪した訳ではなく、あるタイミングから本当に京都の王朝国家から「確立した授権」を狙っていたのではないかと思えてくる一冊です

鎌倉幕府草創関連の本

  • 追加で一冊、1983年にかまくら春秋社より出版された『鎌倉の豪族1』が中世武士選書で復活『坂東武士団と鎌倉』(野口実 戎光出版)。刊行年度は古いですが、内容的には現在刊行されている上記の書籍となんら遜色がない点が実に先進的です。東国武士団が決して草深い東国に押し留まっていた訳でも、東国の地にしがみついていた訳でもない事を明快に解説しています。著名武士団成立の経緯や何故頼朝挙兵の際に分裂したのかも納得のいく説明がなされていますので、一般的な源平動乱期の前段階を理解するには最適な一冊です。ただ、惜しむらくは「ここで触れる余裕はないが」と前置きしたうえで、私営田経営から在地領主制への転換に関する動き、特にそのタイミングでなぜ貞盛流もしくは良文流平家が地方豪族として定着した家系と畿内の軍事貴族として出仕を続けた家系に分裂したのかの解説が省かれている点でしょうか。所謂貴種性の問題を考える際に肝になる部分でもあるので、この部分を詳説した一般向けの本が欲しい所ですね(2013.6.28追記)

坂東武士団と鎌倉