今月の読本『享徳の乱』(峰岸純夫 講談社選書メチエ)名付け親が最後に挑む、時代の転換点への新たな定義

今月の読本『享徳の乱』(峰岸純夫 講談社選書メチエ)名付け親が最後に挑む、時代の転換点への新たな定義

本格的な中世日本史本ブームが来てしまった昨今。

某書に触発されて次々に刊行される日本史関係の書籍が本屋さんの一隅を埋めはじめているのを眺めると、ちょっとした感慨を覚えます。

そのような中で、突如として刊行が予告された一冊。ここ数年単著での執筆が無かった、齢八十を超える中世史研究の大家が、遂にそのメインフィールドであった研究内容を一般向けに書き下ろした書籍を上梓されました。

今回は『享徳の乱』(峰岸純夫 講談社選書メチエ)をご紹介いたします。

本書の冒頭と巻末をご覧頂くと、日本史研究者としての著者の積年の想いが、その独特の筆致で濃厚に述べられています。今回のブームの件についても触れられていますが、本書の構想はそのような直近の話題とは全く関係なく、実に十五年以上前から準備されていたと述べられています。著者にとって親子二代に亘って関係を持つ版元さんから出される、人生最後と称されるこの一冊、そこにはブームの到来とその筆致に感慨と敬意を示すと同時に、研究の先駆者として決して見逃せない、大きな欠落がある事を指摘します。大きな時代史の流れで観た場合、特に中世の時代史を見る場合に忘れてはならない、二つの権力の磁場の関係がすっぽりと抜けている点を、もう一方の磁場の中心たる東国の中世史から見つめ直していきます(ちなみにこの視点は、もう一方の版元から後続で刊行された作品では、著者自身が本文中で補う必要性を認めています)。

本書では、表題のように30年にも渡る混乱の東国の姿を描く様に見受けられますが、読んでいくとその内容はちょっと異なる事に気が付きます。まるでブルーバックスを思わせる本書の構成(図表の使い方など、如何にもですね)は、初学者でも判りやすく理解できるように最大限考慮された、享徳の乱というテーマを用いた、日本史における中世から近世へと移り変わるポイントを事例と共に示す参考書。

もちろん、テーマの中核となる、失われしものを執念を以て追い求める古河公方、足利成氏を、正木文書を軸に、物語を駆動するチェイスを務める新田岩松氏の動きから描く事で、中世東国の姿を活写するという読み方が最も妥当かと思われます。更には中盤で纏まって綴られる五十子陣の様子から、軍注記から見る、室町期の軍勢の動かし方、後半で綴られる長尾景春と太田道灌の疾駆の先に見る、関東管領家没落の前奏を追う筆致も、とても興味深いかと思います。

しかしながら、著者の長年に渡る研究成果と30年にも渡る歴史背景を僅か200ページ足らずで語るにはどうにも尺が足らない点は著者であれ編集者であれ承知の事。そのような中で、ゴシックの太文字(これも版元流)で敢えて示すテーマを見出そうとした場合、著者はその歴史展開における連動性を随所で指摘していきますが、その指摘自体は既に知られている点が多いと思われます。むしろ本書で注意を引く点は、その連動を生み出した素地について、著者が新たな視座を豊富に提示しようとしている点ではないでしょうか。

中世と呼ばれる時代区分が始まった当初より続く、上下に重層的に組まれた統治、収納機構と、東西、そして南北に分断される政治権力。南北朝の動乱とその後に続く中世日本史の中で、その震源は常に揺れ動き、流動し続けます。その中で核の一つである東国、鎌倉を振り出しに始まったこの騒乱、本書でも冒頭から述べられているように、その経緯は遥か建武新政まで遡らなければ理解できない事を示しています。一方で、後の戦国時代において、奇妙なことにこれら権力の核たる京周辺、そして鎌倉、東国からは最後まで戦国大名が興らない事に着目させられます。中核となるべき在地ないしは派遣される守護の勢力は、政権に伴う近習勢力と分掌されるために分断され小規模化、政治体制も権力の磁場に近ければ近いほど影響を顕著に受けるため、前時代的な構造に引っ張られる指摘は既に多くなされています。しかしながら、それ故に次の時代に先駆ける先進性も備えていた点を著者は見出していきます。

陣・城といった、野戦や市街地の寺や居宅を拠点とした攻防とは異なる、数年単位での持久戦を構える事が出来る拠点の設営による戦局の集中化、戦場のコンパクト化。拠点近くでの恒常的な軍糧の徴発を可能とする、強入部による受領制から始まる重層的な収納機構の強制的な解体と、その延長に位置する、新たに提唱する「戦国領主」と称する一円支配体制の確立(一般的には国人領主と呼ばれる形態と同じですが、著者の視点ではもう少し規模が大きく、土着的性格に拘らない)。更には、下剋上と呼ばれる体制の簒奪を伴う逆転現象の前には、その逆の「上剋下」と称し、家宰や従属する勢力を威圧、討伐する守護大名、管領の存在があった事を見出していきます(もちろん、将軍や鎌倉公方も)。

これら戦国の萌芽ともみられる事象が、実は東国では南北朝の時代から着々と形作られていったことを実証する為に、その掉尾を飾る騒乱である享徳の乱を採り上げる著者。乱の構造と名称を提唱した著者らしく、前述のように本書でも新たな定義を探り続けていきます。

後半で述べられる長尾景春と太田道灌の疾駆と、彼らの立ち回りから読み解く、東国の先進性と限界。騒乱が続いたことによる、いち早い拠点城郭の構築と軍勢と軍糧掌握における戦国時代を先取りする軍事的な先進性。一方で、下剋上を狙いつつも、目の前に主人を置いた状態での家宰という立場(継承できなかった訳ですが)の制約と、一円とはいえ依然として中世荘園の構造を引き継ぎ点在を余儀なくされる所領、一族や従属勢力を纏めきれない掌握、動員力の限界に突き当たる景春(その先に、外部勢力を引き込むという次の時代の起点も)。家宰としての立場を越えた活躍と、対抗する各勢力を心服させる程の人望を具えた事で主君の背後を寒からしめた挙句、前時代である北条執権政治の御内人同様に謀殺される道灌の実力と結末。

この視点の先に、近年における他の研究成果を引用して著者が描くのが、その騒乱が次の時代の開闢であったことを東国に告げる、西国と京における統治手法を携え、既に領国的な統治を実現し始めていた駿河、そして堀越公方の分国化によって、外来者による領国化の過程を進む伊豆をステップに東国に乗り込んでくる早雲の登場。ここでも、まだ定説には至っていない明応の地震に伴う混乱に乗じての小田原攻略を時代史の流れの一環として採り上げており、時に政治状況や軍事史的な側面に注目しがちな文献史学ベースの研究に対して、最新の地理、考古学をも踏まえた全体史としての着眼への配慮も求めていきます。

東国、北関東を拠点とする中世史研究の大家が送り出す最後と称す本書。まるで参考書のような体裁ですが、その内容は往年の研究者が回顧主義的に過去の研究成果を辿る書籍とは一線を画す、テーマを求め更なる定義を模索し、表明し続ける内容には、この分野の研究がまだまだ新しい知見、新しい視野に溢れている事を示し続ける一冊。

歴史の研究は止まる事なく、更に発展することを願って止まない著者の想い、そしてその研究フィールドである東国へ改めて視座を置く事の重要性を唱え続ける想いが詰まった一冊です。

本書と関連する著書を。

参考文献にも掲載される、本書と同じテーマを扱った『享徳の乱と太田道灌』(山田邦明 吉川弘文館)は、本書ではやや不足している、通史としての東国の中世を俯瞰で見る事が出来る好著です。

また、『人物リブレット人042 北条早雲』(池上裕子 山川出版)は、本文中で言及されるように、次の時代となる戦国への架け橋を切り開いた北条早雲を最新の研究成果から検討しており、これまでの戦国への転換の叙述に対して、専門である領民政策の変化とともに、自然史への着目必要性も唱えています。

広告
今月の読本「敗者の日本史8 享徳の乱と太田道灌」(山田邦明 吉川弘文館)自身の存在を賭した二人と、流れと繋がりが読める室町期の関東広域圏政治史を

今月の読本「敗者の日本史8 享徳の乱と太田道灌」(山田邦明 吉川弘文館)自身の存在を賭した二人と、流れと繋がりが読める室町期の関東広域圏政治史を

横浜で育った私にとって、本書の主役である太田道灌は畠山重忠と並ぶ歴史上のヒーロー。

居城である江戸城や、最後の地となった粕谷の館。合戦があった場所などはすらすらと言えるのですが、太田道灌が活躍した時代の関東の状況を説明せよといわれると…ちょっと言葉に詰まってしまいます。

鎌倉府や享徳の乱を扱った本は複数ありますが、どちらも主題の部分に注力して描かれているため、前後の時代背景や登場人物が繋がって来ない。鎌倉府成立の理由と、どうして鎌倉公方が古河に動座する必要があったのか、そしてどのような結末を迎えてしまったのか。関東管領家がなぜあのような形でばらばらになってしまったのか。なぜ関東だけがあれ程までに長く混乱が続いたのか。更には、どのような形で北条早雲が関東に付け入る隙を見出したのか。個別の事柄については類書もありますし、結果は判っているのですが、室町時代の関東の状況を俯瞰で読み解く本はなかなか見当たりませんでした。

本書は、敗者の日本史シリーズとして、主家に謀殺される結果となった太田道灌を扱った一冊ですが、そのような枠組みに囚われずに読みたい、これまで登場を願ってやまなかった、室町時代の関東の通史をとても判りやすい形で実現した一冊です。

享徳の乱と太田道灌敗者の日本史8 享徳の乱と太田道灌」(山田邦明 吉川弘文館)です。

本書は表題の通り、太田道灌が主人公として取り上げられており、道灌の活躍と和歌の繋がりから江戸城の様子を紹介する為に一章を割いていますが、本書の全体のボリュームから見ると、道灌の動きを描いている部分は半分を大きく割り込んでいます(それでも、道灌と弟である資忠の疾風の活躍ぶりや、道灌謀殺の首謀者の検証と、最後の言葉である「当方滅亡!」の意味合いといった面白い考察も述べられています)。

本書は、太田道灌の治績に留まらず、鎌倉幕府滅亡から既に戦国期に入っている鎌倉公方家の事実上の傀儡化、関東管領家の越後長尾家の継承までの室町時代全般を通した関東広域圏(越後から伊豆、駿河まで)での政治状況を俯瞰していきます。

関東在住者以外には判りにくい地名と地理的状況。そして同姓同士で複雑に入り組んだ名跡の継承を少しでも判りやすくするため、養子入りの線図を書き入れた多数の系図と、重複を厭わず戦乱毎に用意された拠点地名、城郭、戦場を書き入れた略図が、複雑な動きを見せる登場人物たちを追いかける大きな手助けとなってくれます。登場人物たちの紹介も、表舞台に立った事柄から舞台を去ったその後まで、時間軸に合わせてフォローし続けることで、その後の展開にどのように影響を与えたのかが明確に判るように文中に配置されています。

享徳の乱と太田道灌合戦場地図例享徳の乱と太田道灌系図例そして、長い時間軸を扱うために配慮された、重複な説明を避け、時間軸の前後移動を極力抑えた筆致が、通読性の良さを確保してくれます(その代わり、一気読みが大前提となりますが)。

室町時代の関東の歴史を貫く二つの柱、鎌倉公方家と関東管領家。成立の時点から激しく牽制しあう二つの権能。観応の擾乱から続く関東の名族たちと、鎌倉府を中心に集まってくる一揆を中心とした勢力のつばぜり合い。そして、永享の乱から結城合戦への流れ。これらの流れを理解するためには、遥か鎌倉幕府滅亡の時まで遡らないと見えてこないことを、本書は明確化していきます。

その流れの水脈となるのが、名跡。家職制度が成立しつつあった時代において、公方家、管領家、そして家宰家と、本人の能力に関わらず、職能としての家を引き継いでいく事が、一族、家臣を含めた安定をもたらし、ひいては収入(領地)を維持する為に必須であった事が見えてきます。従って、後継者の欠落は死活問題。養子に絡んだ家の継承に関わる混乱が、一族全般、そして双方を支援する他家へと広範に広がっていく事になります。

その中で生まれた、永享の乱で父を殺されたあと、寸でのところで助けられて鎌倉公方に擁立された足利成氏。そして、父親の死により山内家の家宰職を継げるはずが、一族からの横やりで継ぐことが叶わなかった長尾景春。自らの地位に確固たる自信の持てない鎌倉公方と、自らが望んだ地位を寸でのところで失ってしまった家宰家の跡継ぎ。

本書の後半は、失ったものを取り戻そうとする二人の活躍を軸に、両者と対峙するもう一方の軸として道灌の動きが描かれていきます。

父の敵でもある、管領上杉憲忠を討った余勢で歴代の鎌倉公方が辿った高安寺を経たルートを北上して古河に入った事で、空白化した鎌倉と相模。その結果、長く続いた関東の中心としての鎌倉の衰退(都市の盛衰は必然と著者が捉えている点が少し引っかかりましたが)と、間隙を埋めるかのように勢力を伸ばす、扇谷家と家宰である太田道灌。鎌倉公方が古河に動座した影響で、公方方、管領方の両勢力が利根川周辺に集結したことによって生じた、戦線の小規模化と長々と繰り返される攻防。戦力の均衡による戦線の膠着化。

そんな膠着状態になると忽然と現れては、まるで自身の存在を証明するかのように戦場を掻き回していく景春。実力を買ってか、それとも同類の憐れみを見たのか、味方に引き入れる成氏(そのうち煩くなって、道灌に牽制を頼む羽目に)。その都度撃破しては取り逃してしまう道灌。更には、膠着した両者の戦力の均衡を破らんが為に、関東の勢力圏外である今川、そして伊勢(北条)を関東の戦いに引き込もうとする景春。

一方で、劣勢だった管領方の勢力を奮迅の活躍で公方方と勢力均衡まで持っていき、関東の各勢力の安定に大きく寄与した道灌。しかしながら、戦国の香りが漂い始める最中に起きた、家宰にも拘らず、主家をも上回る勢力と名望を集めたが故に疑いを掛けられた末の道灌の横死。

本拠である鎌倉を捨ててまでも、自身の父親を支えてくれた北関東の名族との提携により公方権力の再構築を図っていく成氏と、主家も根拠も失い、どう見ても凋落の淵に立ち続けているにも関わらず、何処かから現れては合戦場を疾駆して、再び遁走を続ける景春。関東の混乱の中で、三十年以上に渡って一際粘り強く自らの存在を賭して戦い続ける二人への著者の眼差しは、主役である道灌に対する筆致以上に想いがこもっています。

戦国前夜の関東でいぶし銀の輝きを魅せた三人がこの世を去った後、五十年を超える関東の騒乱は漸く終結を見る事になりますが、彼らの活躍の結果が皮肉にも著者曰く「全員敗者」となる結果を生んでしまいます。

成氏の古河動座と道灌の横死によって生じた南関東の空白を突かんと、景春の手引きによってきっかけを得た、西からの北条早雲よる侵攻。景春の動きを見ながら、外部の戦力を引き入れない限り、関東の覇権確立はおぼつかないと悟った管領上杉顕定は北上政策を採って越後に攻め入りますが、逆に間隙を突かれて南関東を失ったばかりが、自身も越後で敗死し、両上杉家自体滅亡の引き金を引いてしまうことになります。管領家を失えば、表裏の関係ともいえる主家である公方家もその存在意義を消失。そして、太田道灌が心血を注いで築城した江戸城は、皮肉なことに徳川家康の手に渡った後に、幕府の首府、そして現在の日本の首都へと引き継がれていく事になるのはご承知の通りかと思います。

太田道灌をテーマに掲げて描かれる本書ですが、貴重な室町時代の関東の通史として、そしてマイナーなため語られることの少ないこの時代ですが、これだけ魅力的な人物達が広大な関東平野を縦横に活躍していたことを知るためのきっかけとして、とても良い一冊かと思います。

もっと室町時代の関東の歴史に光を!

<おまけ>

本ページでご紹介している、本書と関連する書籍を。

今月の読本「動乱の東国史5鎌倉府と室町幕府」(小国浩寿 吉川弘文館)混迷の室町期東国動向に光を

今月の読本「動乱の東国史5鎌倉府と室町幕府」(小国浩寿 吉川弘文館)混迷の室町期東国動向に光を

一昨年から続いていた、吉川弘文館の意欲的な歴史シリーズ「動乱の東国史」。全7巻のうち、6冊までは順次刊行されていたのですが、唯一刊行が遅れていた第5巻が昨年末に漸く刊行。シリーズが完結しました。

東国ファンとしては全巻揃えたいのは山々なのですが、ハードカバーはやはり高い…。前半戦に特化して買い続けたラストが今回ご紹介する一冊「鎌倉府と室町幕府」(小国浩寿 吉川弘文館)です。

鎌倉府と室町幕府中世の東国史において、最もマイナーな時代をカバーすると思われる今回の一冊。具体的には足利尊氏と弟である直義が争った観応の擾乱終結後、鎌倉に置かれた半独立行政府である鎌倉府とその主催者でもある鎌倉公方、そして掣肘役とも捉えられる関東管領の設置から始まり、実質的な半独立行政府としての体裁を失う永享の乱まで(その後も少し記述されています)が扱われています。

カバーしている範囲を見ると、なるほど鎌倉府の事績を取り扱った書籍かと思わせられるのですが、差に非ず。

本書においては、鎌倉府自体が扱われるシーンは決して多くなく、むしろ周辺を跋扈する多彩な御家人、一揆、そして隙あらば鎌倉府の主を狙う奥州の公方たち。周辺だけでもこれだけ多彩なメンバーが登場するだけでもお腹一杯なのですが、このメンバーたちを京から攪乱すべく、歴代将軍達が時に関東管領、時に京都扶持衆、時には奥州の公方たちを扇動するは、鎌倉公方を直接恫喝するはで、登場人物が目まぐるしく入れ変わります。

それもこれも、既刊のシリーズをご覧いただければ判るかと思いますが、根本的には源頼朝が鎌倉に幕府を開いた時からの矛盾を引き継いでいる事がはっきりしてきます。

関八州のうちでも、頼朝の挙兵に協力的だったのは南関東、具体的には相模、武蔵、安房、下総、上総、そして旗揚げの地である伊豆位までで、その他の諸国は頼朝への旗幟を鮮明にしなかった武士たちも大勢いたわけです。

特に、頼朝に頑強に抵抗した常陸の佐竹や、下野の藤姓足利氏の存在など、鎌倉を中心として同心円状に離れていくほどに、御家人たちの統制の足並みはがバラバラになっていきます。更には下野、常陸から北に大きく広がる奥州については、所謂占領地であって、鎌倉末期に至っても執権体制による完全な支配は確立されていなかった状況です。

この足並みの揃わない北関東を間接的に支配する為に、鎌倉幕府開設当初からある程度規模を有した伝統的御家人の存在を認めざるを得ず、その最大勢力が他ならぬ足利氏だった訳です。

その足利氏が京都に幕府を置く事で、パワーバランスの崩れた関東の諸勢力は、南北朝とそれに続く、足利兄弟の争いによる観応の擾乱に巻き込まれ、更なる分裂をきたすことになり、その後も長く、争い続けることになります。

そこには、南北朝期から戦国期にかけての複雑なパワーバランスの極致を見ることができます。朝廷に南北あり。幕府に将軍側近勢力と守護大名勢力あり。そして関東にはそれぞれの出先勢力である関東管領と京都扶持衆、幕府から任命を受ける守護。対抗するのが鎌倉公方と側近勢力。彼の動きに呼応するのは南関東を地盤とする一揆衆と北関東を地盤にする伝統的御家人。

鎌倉時代から続く直轄領的な役割を与えられた為に、小規模な勢力が蟠踞する南関東の勢力と、規模を有した独立勢力が温存された北関東の勢力が、鎌倉の公方側近の勢力(主に南関東の衆)を挟んで綱引きを繰り広げます。

歴代の鎌倉公方は、いずれも東国一円に威令を達せさせるため、北進政策を続けるわけですが、それを掣肘するのが将軍家と連携する関東管領である上杉家。鎌倉公方とは普段は協調路線を取る訳ですが、実際には関東の外郭である伊豆、上野、越後を押さえることで、鎌倉公方の膨張を間接的に抑え込んでいます。更に本来は鎌倉公方の北進を先導すべき奥州の公方たちにも将軍家の懐柔の手が及んでいきます。

そのすべては、当時を表す複雑な多重支配体系が生み出す幻想。鎌倉公方と将軍家は並び立つ存在であるとの想いの発露と掣肘が繰り返されていきます。

このように、室町期の東国は、鎌倉幕府創設時からの東国の南北関係が、形態や主を変えながらも長く継続していった結果生じた、衝突と均衡の歴史である事が判ります。そして、鎌倉を追われた関東足利公方家が何故古河に動座したか。すなわち、小規模勢力が跋扈し、離散集合を繰り返していった南関東の小規模な諸勢力の上位者としての立場から、歴代の鎌倉公方の方針である北進政策を採り、依然として一定の規模を有する伝統的勢力の力を借りながら、奥羽をも指呼に位置する、河川による交易の権益を掌握できる場所に拠点に移したと言えます。

本書では、これらの内容を、歴代鎌倉公方の治績を踏まえながら、複雑極まりない周辺勢力との競合と協調、京との緊張関係を比較引用しつつも、なるべく平易に取り扱う事に注力してます。

鎌倉公方の動向としては、自らの地盤である南関東の直轄地化を指向した掌握過程の検証。戦略地である奥羽の入り口に対しては、送り込んだ公方たちと現地勢力の綱引きの事例を示すことで、鎌倉公方が東国に独自の政治機構を指向していた事を示唆していきます。

京との関係では、関東のパワーバランスに非常に大きな影響を与え続けたため、鎌倉公方を取り扱う内容とほぼ同じ分量で将軍の動向も叙述していきます。それは光と影のように、入れ替わり立ち代わり現れていきます。

この複雑極まりない鎌倉府と中心とした室町期の関東の情勢は、最終的には公方持氏と管領憲実の確執、籤引き将軍義教の挑発に乗る形で崩壊の道を辿る事になるのですが、著者はここで専門分野でもある軍記の研究を通した知見に基づく、一つの提起を行っていきます。

将軍家の後継に名乗り出たり、血判状に見られるような名望家で短気、暴力的なイメージの鎌倉公方足利持氏と、足利学校の再建や領地越後での崇敬、落飾後の放浪(本書では述べられていませんが最後は山口で客死)に見られるような、知的で温和、ナイーブなイメージで語られる関東管領上杉憲実の両者の固定観念的な扱いに疑問を投げかけていきます。

自分の短慮を詫びて、京に対して服従の意思を表し続け、臣下に対して妥協を重ねていく神経質なナルシスト持氏と、頑固で融通が利かず、剃髪までして周囲を困らせた挙句、将軍の叡慮を引き出して、自身の立場を有利にしていく狡猾な戦略家憲実(更に戦になると、刃を交える前に勝敗を決してしまう程の巧者)。

果たして、著者の提起が学会や万人に受け入れられるのかは判りませんが、複雑な人間模様が交差する室町期の東国。これからの研究の推移によって、驚くような人物像や意外な見解が更に出て来るような、奥深さをひしひしと感じさせます。

<おまけ>