今月の読本「頼朝と街道」(木村茂光 吉川弘文館)頼朝と一緒に中世東国史の起点を探す往来へ

今月の読本「頼朝と街道」(木村茂光 吉川弘文館)頼朝と一緒に中世東国史の起点を探す往来へ

最近の日本史に関する新刊のテーマを眺めていると、旅程や街道、文書を含めた往来の記録から時代背景を描き出そうという新しい切り口が見えてきます。

豊富な史料が残る近世、そして室町・戦国期に関しては、既に多くの書籍が登場していますが、時代を遡って中世から古代にかけても、徐々にそのようなテーマを掲げた本が増えてきたように思えます。

その中で、これはと思った一冊。以前にご紹介しております「動乱の東国史2 東国武士団と鎌倉幕府」に高い評価を与え、直接の影響を受けたと著者が述べられる一冊が上梓されました。

動乱の東国史2東国武士と鎌倉幕府と頼朝と街道今月の読本、吉川弘文館の歴史文化ライブラリー新刊から「頼朝と街道」をご紹介します。

ところで、本書にご興味のある方であれば、何故、平貞盛が将門に追われた際に千曲川を経てわざわざ山深い信濃を抜けて京に逃げ帰ったか疑問に思われたことはないでしょうか。そして、将門が新皇を名乗ったのが、関東でも外れに位置する下野の国府であった点を不思議に思われる事はないでしょうか。更には、木曽義仲がなぜその名前の如く、京に上る最短ルートである木曾から美濃に抜けるルートを取らずに日本海に出たのか、ちょっと変だと思われたかと思います。

そして、大蔵合戦から源平争乱期にかけて、更には鎌倉時代に入っても、全国の軍事力を掌握した筈の幕府内で、常に東国が南北に緊張関係を孕んでいたか疑問に感じる事があるかと思います。その行方が足利家と新田家を次の時代、南北朝期に飛躍させる源泉となった事にきっと着目されている筈です。

更には、東国に鎌倉府が成立し、京との二元政治体制になった後、鎌倉公方が権力を誇示しようと動く際に出陣する先が、何時も決まって府中であった点に東国史のファンの方なら必ず気が付かれているかと思います。

中世の始まりからのその終焉となる戦国期の入口まで。東国の政治状況の動向を俯瞰してくと、本書で述べられている点が全て当てはまっていく事になります。それは街道という名の人の往来を示すもの。

古代王朝が成立させたとされる、道幅も広く規格化された大道ではなく、現在の関東地方の交通ルートにも深く刻まれた、中世以降の往来の道筋を観ていくと、東国の歴史動向そのものが見えてきます。

本書ではまず、東山道から奥州へ抜けるメインルートであった、上野、下野を抜けていく街道筋に拠った将門とその一門の、奥州の権益の象徴であった累代の鎮守府将軍の地位が残した利益の継承を巡って争い始めた事が、中世を通じて続く東国の争いの原点であったと見做していきます。

古代王朝から続く東山道をベースにした街道を軸に勢力を張った藤原氏やその後に拠った源氏一門と、それ以前の段階で徐々に南下を始めた秩父党を始めとした平家の血筋たちは武蔵へ広く進出することになります。更には奥州での戦役を通じて後の嫡流となる源氏は南関東に地盤を持つようになりますが、この時点ではあくまでも主たるルートは東山道にあったとしています。

一度は失った南関東の地盤。頼朝の再起により房総半島を経て再び拠点となる鎌倉を目指す訳ですが、ここで既に平家に服従するようになっていた秩父党と武蔵の武士たちとの緊張関係が生じていた事が指摘されます。武蔵は既に抑えられていたため、頼朝としても街道から外れた地である、鎌倉に拠点を置かざるを得なかった事が見いだされていきます(但し、この見解には初期鎌倉の街路が東西方向に伸びている点を同じように指摘しながら、逆にその道を抜けて房総へ通じる海路こそが主たる交通路だったとする意見がある事も指摘しておかなければなりません)。

後世、武家の象徴として崇められる事になるイメージと全く異なる、軍事的な輝かしい戦果をほとんど持たない、引きこもり頼朝。鎌倉にどかっと腰を落ち着かせていたように見える頼朝は、実は度々軍を発し、巻狩りを繰り返しながら、自らも忙しく広範に広がる坂東の平野を行き来し、箱根を越えて威勢を示し、そして平泉攻めで見せた象徴的な示威行動を繰り返すことで、軍事的な勝利ではなく、連れ従う軍事力の大きさによる威圧によって圧伏していった事を示していきます(某研究者の方が、やくざの首魁に擬する様子、そのままですね)。著者はその度に、彼が通った道筋「街道」が軍事道路として整備されていったと指摘します。

自らの権力基盤を確立し、後顧の憂いを払った上で、いよいよ上洛を果たす段になって、頼朝はそれまでの古代王朝から引き継がれた東山道を経由したルートではなく、敢えて自らの新たな拠点である鎌倉に繋がる、東海道を経て西上することになります。歴代の源氏の拠点であった美濃、青墓の関ヶ原を前にして、東山道と東海道が交わる点であるという絶対的な地理的優位性と、その終着点として北に延びる道筋の先にある膨大な資源を擁する奥州、平泉。南に延びる新たな道筋の終点に整えられつつある武家の新たな本拠たる鎌倉。京をもう一方の支点として、東国へ向けて長く伸びる街道という名の軍事、経済ルートを完全に掌握した頼朝の自信が伺えます。これに本書では語られませんが、鎌倉期の最後まで関東御分国として維持される越後を加える事で、京を扇の要にして東国の街道を軸とした三方向の末端を確実に抑えていた事がはっきりします。

更に著者は、その後の東国史を決定付ける要素を政権を掌握した後の頼朝の動きから見出していきます。徹底的な警戒を崩さない、源平争乱期以前から東山道に拠った御家人たちへの態度。彼らはその後、室町時代の東国における、分裂した勢力の双方に対して自在に加担するもう一方のキープレーヤーとして力を誇示していきます。一方、その先の西に繋がるルートには源氏の一門を配することで、古来からの往来ルートの確保を目指しますが、その結果が室町期から戦国期における甲信地域の武士たちの在地性がやや低い、京の幕府と鎌倉との間で揺れ動く複雑な動向を生み出すことになります。

そして、旧来の街道を貫くように北へ伸びる「鎌倉街道」の先に広がる、本拠である鎌倉に隣り合う武蔵。秩父党の流れを汲み、広く分立する御家人たちを如何に懐柔して自らの味方として抱き込もうとする、遅れてやって来た、狭い鎌倉以外に地盤となる地を持たない頼朝とその後継者たちの不断の努力は、遥かに時を経た鎌倉府に参集した武士たちの代弁者、首班を期待された鎌倉公方、関東管領たちの動きすらも規定することになります。

最終的に最後の鎌倉公方である足利成氏が、伝統的な北関東への入口であり歴代の鎌倉公方が出陣した府中を経て、古河に動座することによって鎌倉府が消滅するまでの実に長い間、東国の動向を規定した鎌倉という存在と、それ以前から広大な坂東を縦横に結びつけてきた道筋を追いかけると、中世を横断した東国史の根底を鮮やかに描けることを実証した本書。

そのベースが、昨今大きな進展を見せている地域史、郷土史の研究成果の蓄積からもたらされた点に強い印象を受けながら、歴史を描き込む方法にまた新たな視点が生まれつつある事を嬉しく思いながら読んだ次第です。

まだまだ、東国の歴史はもっと、もっと面白くなる。

「頼朝と街道」と類書たち<おまけ>

本書に近いテーマを掲げた書籍のご紹介も

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今月の読本「足利尊氏と関東」(清水克行 吉川弘文館)老舗歴史書版元が送る新機軸は如何に

今月の読本「足利尊氏と関東」(清水克行 吉川弘文館)老舗歴史書版元が送る新機軸は如何に

数々の歴史書を世に送り出している老舗中の老舗、吉川弘文館さんですが、毎年のように新しいシリーズを精力的にリリースされています。

新たにリリースされる刊行物も、どちらかというと、取り扱われる分野にかなり興味があるか、精通されている方、歴史書であればハイアマチュアからディープな歴史好きの方、研究者にも通ずるような方へ向けた書籍が多いように思われますが、今回ご紹介するのは、そんな吉川弘文館のイメージを打破しそうな雰囲気を持った一冊、全くの新シリーズとして送り出された「人をあるく」第一回配本の中から「足利尊氏と関東」(清水克行)のご紹介です。

足利尊氏と関東まず、この手の歴史本としては極めて珍しいオールカラーで構成された点に目を奪われます。そして価格も装丁の美しさをある意味裏切る2000円(パッと見だと2400円から3600円コース)という精一杯リーズナブルな設定をされている点から見ても、版元が本シリーズに非常に力を入れている事が窺えます。そして、両者を最大限生かすべく、豊富なカラー図版と写真が盛り込まれた紙面は歴史好きのライトファンに訴求する数々のポイントを備えています。

さらに、テーマに掲げている「あるく」ですが、今はやりの歴史散策に完全にフォーカス。「本を手にして散策してもらう」事を重視して、別章として纏められた散策マップと史跡の写真、訪問方法のガイドについてもカラー化された紙面が威力を発揮しています。もちろん、カラー化することによって、同系の書籍に対してページ数が若干犠牲になっていますが、持ち歩きにはむしろこの位のページ数が限界かもしれませんね。

さて、歴史書としては意欲的な装丁にまず驚かされますが、紙面の方は意外と?コンサバティブだったりします。

まず、本文下段に備考、引用の解説欄が設けられているのは(上段側ですが)同じく人物にフォーカスした山川出版の「日本史リブレット・人」シリーズと同じですし、紙面の構成も1章である人物伝(履歴書)の部分は驚くほど似ています(というか、差別化自体難しいですよね)。

そんな中でも、本書のテーマである「あるく」への差別化を図るべく、史跡についての記述には意を砕いています。しかしながら、本章を眺めてもあまり散策に出かけてみようという意欲には駆られないかもしれません。むしろ、本書の主人公である足利尊氏の不思議な魅力へと誘ってくれる、著者の筆致に見え隠れする想いに惹かれていきます。

この印象は、2章に入るとそのエキセントリックな各節の表題とは裏腹に、より魅力的に映っていきます。歴代足利家当主と他の御家人、そして御家人の筆頭である執権北条家との微妙な距離感が作り出す苦悩、源氏一門としてのプライド、そして謎に満ちた歴代当主の生き様から生じる、主家でありながらも分家に対して威令が達しないもどかしさ(これは宗主権の確立が未成熟な中世武家であればいずれの家でも抱えていた問題ですが)。それらに悩み苦しんだ結果が足利歴代当主の異常なまでの遍歴に繋がるのではないかと、著者は文献を引用しながら推論していきます。その推論は、かの難太平記の著者である今川了俊の筆致が宗家である足利家の名誉を守り、諸家に対する優位性を示す為であるばかりか、本人の分家筋故の苦労をも重ねていたのではないかとの想いにまで推し進めていきます。

そこまでは必要ないかもしれませんが、何故、北条家が滅亡する必然性があったのか、北条家の後釜として足利家が次代の権威を確立出来たのかの理由を考えるためには、非常に楽しい論考である事は間違いありません。

本書は「人間・足利尊氏」そして、彼を生み出した足利氏の鎌倉時代の歩みをもう一度俯瞰して捉えるには非常に優れた内容を備えていますし、歴史上もっとも毀誉褒貶が大きく、時として不当に低い扱いを受ける彼の人間味溢れる人柄(そして無二の片腕であり、余りにも悲劇的な最期を遂げる弟である足利直義との複雑な愛憎)に触れられる好著かと思います。

ここまで、人物論としての本書の楽しさばかりを述べてきましたので、ところで「あるく」のお話は?と言われてしまいそうなのですが、実はちょっとなのです…。

3章として設定されている「故地を歩く」には鑁阿寺本堂が国宝として指定された足利家の苗字の地である足利市と、鎌倉の2か所が紹介されており、それぞれについて由緒のある史跡の詳細な解説が述べられているのですが、ちょっと真面目すぎて散策のお供の文章としては少々重すぎるきらいが感じられます。また、本文(1,2章)との関連について、都度本文中に解説が述べられおり、対象ページへ誘導するための引用ページ先キャプションも挿入されているのですが、それぞれのページが離れてしまっているので、本文と連携して読んだり、図版を眺めたりするのに少々骨が折れます。

そして、ガイドブックをも標榜する本書としてはある意味、最も残念な点になってしまうのがメインとなるべき「ガイドマップ」が極めて寂しい点でしょうか。単純な輪郭街路図で表現されたマップはカラーページの優位性が生かされていませんし、散策場所も単なる赤い点で示されているのは、本書を期待して手に取られる歴史散策を好まれそうな熟年層の皆様にとっては興ざめになってしまうのではないでしょうか。この辺りは歴史書専門の版元さん故に、編集リソース範囲の限界を感じてしまう点です。

本シリーズはこれからも続々と刊行されるとの事ですので、もう少しガイドブックとしての体裁に気を使って頂けると、より多くの読者の方を獲得できるシリーズになるのではないかと思いながら、巻末の刊行予定を嬉々として眺めていたりします。

一読者の勝手な言い分です。

  • ガイドマップについては、少なくともイラストマップ化された方がより親しみやすいかと思います
  • 散策の部分については他書にも例があるかと思いますが、コラム的に各節に挿入された方が読みやすいかもしれませんね(意見は分かれると思いますが)
  • できれば、巻末に訪問史跡、観光案内所、関連博物館等の訪問方法、連絡先の一覧ページがあると、ガイドブックとしてより便利かと思います

<おまけ>

本ページで扱っている他の中世史の書籍のご案内も

足利尊氏と関東and中世史の本達