今月の読本「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)そのアイコン化の華を生んだ日本人の感性

今月の読本「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)そのアイコン化の華を生んだ日本人の感性

最近は大分減ってしまいましたが、食堂やレストランの店先を賑やかに飾っていた食品サンプルの数々。今や食玩や河童橋のおみやげとしてのアクセサリーの方が有名になってしまっているかもしれませんが、バブル崩壊前後の頃は、ごくごく当たり前に街中のワンシーンとして溶け込んでいた懐かしいその姿を追った、本邦初とも言われる、食品サンプル誕生と発展の物語を語る一冊が、この度、文庫化されました。

収蔵されたレーベルは、居酒屋文化に関する多くの著作を収蔵する、ちくま文庫。流石だなぁと思いつつ、さっそく手に取って読んでみました。

今月の読本、7月ラストの一冊は「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)のご紹介です。

まず、本書の初版は2002年に刊行されており、今回の文庫化までに15年の歳月を経ています。従って、時代背景を綴る部分については、現在の状況とだいぶ異なっている点を理解する必要があります。特に四章で語られる、韓国及び中国における食堂の様子や提供される食べ物の傾向、食品サンプルへの取り組みなどは現在の状況と全く異なります。また、日本の外食産業における食品サンプルの比重や、店頭における文章によるメニュー説明と食品サンプルの比較の部分などは、当時の状況とだいぶ変わっているかと思います。上海の取材記で著者が述べているように、食べ物、特に外食のメニューは時代と共に変わっていく姿を端的に示すものでしょうから、この辺りの時代差は当然と考えなければなりません(表紙の写真自体が、既にノスタルジーを感じますよね)。

その上で、本書が極めて貴重なのは、日本独特の食品サンプルがなぜ生まれたのか、その誕生の経緯をほとんど唯一、検証を含めて明らかにした一冊である点です。

本書の著者は日経新聞の記者の方。元々は九州地方における地域毎のローカルフードの変遷を追いかけていた際に、実際の料理を確かめる手間を少し端折るために、食堂に飾られた食品サンプルの比較を始めたことがきっかけであったと、今回の文庫化に際して添えられたあとがきで述べられています。

全文に渡って通貫する「日経の文屋さん」らしい筆致が遺憾なく発揮される、食品サンプル発祥を追い求める物語。その後、現在の食品サンプル業界を牽引する会社の社長さんとの巡り合いから、解説用の小冊子を手掛ける事になった際に改めて追跡をし直した、その原点を探し出す取材記は出色と言える内容です。最終的な結論として辿り着いた三つの始まりの人物と、一つの始まりの展示場所。食品サンプルを商業ベースに乗せた大阪から始まった物語は、その発祥と言えるデパートの食堂を辿って東京へ、そして食品サンプルそのものの発祥を訪ねて京都へと舞台を移していきます。阪急、白木屋、そして島津製作所へと続いていく物語は、戦前の日本にも確かに存在した、現在と比べれば質素ではありますが、ちょっとしたぜいたくが出来るようになった、デパートにおける「お食事」、外食の繁盛を切り盛りするための、アイデアに溢れた施策の先にあった事を教えてくれます。

そのアイデアこそが、食堂でメニューを選ぶ際に、言葉や文章を駆使する訳でもなく、実物も用いずに、効率的にイメージを抱かせるための道具としての食品サンプル。更には、テーブルでの煩雑な収受を省く食券による事前購入との組み合わせて、狭い食堂のスペースで圧倒的に効率的な回転率を確保していたことを、当時の資料から分析していきます。

そして、著者はなぜ日本人だけがこのようなアイデアを受容しえたかを検討していきます。本書のもう一つの白眉、日本人の食事のメニューに対するこだわりの分析と食品サンプルの必要性を重ね合わせていきます。

そこには、大衆化と言えるメニューの汎用化の先に、複雑で難解なバリエーションをこまごまと作り出すことをオリジナリティと踏まえる、日本人特有の感性。同じ商品でも土地ごとに全く異なる名称を名付けてしまう、細やかなローカライゼーション。更には、文章を読まず、無意識のうちにイメージで物事を理解しようとする民族性が潜んでいると、ヨーロッパ、とくにフランス料理のメニューやオーダーの方法との比較から鋭い指摘を繰り出していきます。バリエーションと名称の説明を省く手っ取り早い方法、ビジュアルでその差を明確に示すために、本来は料理のイメージを迅速に持たせるための存在だった食品サンプルが、バリエーションの微妙な差を表現すべくどんどん先鋭化していったと事を見出していきます。著者はそれらの延長として、これも日本人特有と言われるロボットへの愛着(昨今の深層学習AIに対する衝撃を殊更唱えるのも日本人ですよね)と同様に、それらの鮮やかな技巧への憧憬の心が、食品サンプルの進化を更に推し進めたとしていきます。

確かに、食品サンプルも食玩も、そのような技巧に魅せられる点は多々あるかと思います。しかしながら、どちらもギミック。本書が上梓された直後から急激に進化を遂げた食玩も、当時は極めて幼稚な技巧に留まっていたはずです。そのように考えると、技巧に魅入る以前に、日本人にとってこれらのギミックが響く点がきっとあるのだと思います。それは、漫画やアニメーションと全く同じ、記号化、単純化された状態から元の姿を自在にイメージするベースを持った、アイコン化への共感。著者が述べるように、食品サンプルのラーメンに載せられるネギはビニールチューブの輪切りに過ぎず、浮かべられた海苔は黒いゴワゴワとしたビニールシートに過ぎません。食品サンプルを見た多くの欧米人の反応の通り、それらは凄くよく出来たギミックではあるが、ギミックであってそれ以上では決してない。しかしながら、私にも、確かに食堂のガラスケース越しに、スープに浮かぶシャキシャキしたネギの歯ごたえを思い起こし、海苔から発する海の香りを感じる事が出来てしまうのです。

デフォルメ化され、アイコンとなったその姿から、豊かなイメージを湧かせる一方、単なる単純化に飽き足らず、細々とディテールやバリエーションに拘り、微細な差異に一喜一憂する。折角単純化、記号化した物を、再び微細に先鋭に分別して仕上げていく日本人の両極端なその姿をまざまざを示す好例が食品サンプルなのかもしれません(逆に、プロトコルや標準規格の制定、デザインシステムや統一的なフォントセットの構築が大の苦手なのは、よく言われる通りですね。言葉を介さずイメージで語るため、共通認識に微妙なずれが常に付きまとう)。

終章で語られるように、本来は迅速にイメージさせるための記号化、デフォルメであった筈の食品サンプルは、冒頭の写真にあるように、もはや本物を超越するほど(本物では出来ないシチュエーションすら作り出す)のリアリティを有しており、その技術と同じような道筋に、現在の食玩たち、そして日本人が好む、限りなく現実で現実ではない、独特なリアリティの構築という世界観が存在することは論を要さないと思います。

日本人が作り出した、イメージをアイコン化する手法の華である食品サンプル。いまや食堂のガラスケースは空っぽというお店も多くなってしまいましたが(初期の食品サンプルは材質の制約もあり、照明や日射によって劣化することもあり、当初からレンタルが一般的だったそうです)、本書が刊行された時点では想定もし得なかった新しいステージを得たその技法は、日本人の感性が求める限りに何処までも先鋭化していくのかもしれません。