今月の読本「金魚と日本人」(鈴木克美 講談社学術文庫)身近過ぎて忘れがちな「魚」に凝縮された自然を愛でる想い

今月の読本「金魚と日本人」(鈴木克美 講談社学術文庫)身近過ぎて忘れがちな「魚」に凝縮された自然を愛でる想い

夏になると縁日等で頻繁に見かける「金魚」

もう、金魚売りが家々を廻る事はないかと思いますが、それでも夏の風物詩として語り継がれる風景に重ねられる、赤金色に輝く魚が涼しげな桶の中を群泳する姿は、ちょっとした懐かしさも添えた一服の涼。

最近では綺麗な金魚鉢や江戸時代に回帰してしまったかのような小さな鉢の中で金魚を飼うのが静かなブームにもなっていますが、そもそもなぜ、日本人は金魚を飼育し、飼い続けたのでしょうか。

そんな疑問の一端に答える、真夏を迎えて文庫へ収蔵された一冊のご紹介です。

高原は既に秋空ですが、盛夏の最中に読み続けていた「金魚と日本人」(鈴木克美 講談社学術文庫)です。

著者の鈴木克美先生は、戦後最も早い時期にオープンした民間の水族館である(旧)江ノ島水族館開設当初のスタッフとして、その後、現在のテーマパークの先駆けとなった娯楽施設、金沢ヘルスセンターに併設された金沢水族館を立ち上げ、科学教育機関と本格的な水族館の融合を目指した東海大学海洋科学博物館の館長、東海大学海洋学部の教授を務められた方。同時にスキューバ(アクアラング)を使用した水中写真撮影の先駆者として数多くの写真集、書籍を著されている方です。

水族館学、魚類生態学が専門の著者作品群ではちょっと異色な文化史をテーマにした一冊。原著は1997年刊行とほんの少し古い作品ですが、唯一無二と言っていい、魚類学と文化史としての日本の金魚を同時に語る貴重なポジショニングが評価されたのでしょうか、この度、版元さんを超えての文庫収蔵となったようです(このようなポジショニングにある作品は、著者も「鯛」をテーマに一冊を執筆されている、法政大学出版局が刊行を続けている「ものと人間の文化史」というシリーズがあります)。

生物学、遺伝学的な好奇心から始まる日本への金魚伝来と在来魚種とのルーツを探る内容から始まる本書。今回の文庫化に当たって新たに用意された、金魚絵師(金魚養画)、深堀隆介氏による美しくも涼やかな表紙と帯の内容に惹かれて文化史の本だと思って手に取られると、少々面食らう内容も挿入されていきますが、魚類としての金魚、更には品種改良の歴史を理解するためには必須の内容。むしろ著者の専門分野である魚類生態学をある程度封印して、専門外とも思われる日本、更には中国における歴史的な金魚の扱われ方、江戸の文化史をそれこそ該博な知識を以て伝説から物語、実録を含めてふんだんに拾い上げていきます。

本書を読んでいて驚く点、それは日本人にとって最も馴染みが深い魚(今では鮪、サーモンの方かも…)、江戸の文化史ではあらゆるシーンで語られ、現在は何処でも簡単に手に入って見る事が出来る金魚ですが、意外な事に伝来のタイミングも、大流行した江戸時代における金魚生産の姿も、現在はある程度固定化されている品種固定の過程も、文化史の根底になくてはならない背景、そのほぼすべてが「判らない」という事実に突き当たります。

本書では一般的に流布しているこれらの言説について、著者が直接の教えを乞うた金魚研究の第一人者と呼ばれた故・松井佳一博士の説を含めて各種の書籍や言説を比較しながら検討を加えていきますが、特に江戸時代における江戸近郊での金魚の育成、供給の実態ついては全く判らないと述べています(上野、池之端の件については本文中で繰り返し検討を行っていますが結論には至らず)。名付けについても「りゅうきん」「おらんだししがしら」などの名称が直接琉球やオランダから渡って来た訳ではないとはっきり否定した上で、日本人特有の舶来指向(唐物指向)や長崎方面から伝わった事を示す表記であることを示唆します。また品種改良の歴史についても、江戸時代のそれは中国で営々と続けられてきた品種改良の歴史と比較して、珍しい物が偶然に現れる、単に飼育していたに過ぎないと、魚類学者としてやや厳しめの断定をしていきます。

更に著者は、中国における金魚の飼育史と好まれる品種の違いからその経緯を見出していきます。

赤い色、金色を尊ぶのは中国も日本も同じですが、中国で春節の際に貼られる金魚の切り絵のように目が上を向いた姿を珍重する、成長と上昇志向の現れ、珍奇な物を秘蔵する文士層の存在が素地にある中国における金魚の姿。一方で日本に於いては疱瘡除けとしての願いをその色に込める一方、生き物の美しさを小さな鉢の中で楽しむ、植木や朝顔と同じような、自然を矮小化して愛でる江戸の住人たち、特にそれらを広大な屋敷の中で飼育し、実際に副収入の糧としていたのではないかと推察する江戸の御家人層や、地方から転がり込むように都市に集住した欠落農民層が往時の姿を鉢植えや水鉢の中に見出していたのではないかと考えていきます。

第一線の水族館運営を長く続けた著者から見る、日本人と金魚を愛でるその姿。

用水の溜池や庭の池から、水鉢、金魚鉢から観魚室と水槽(紀伊国屋文左衛門の天井水槽は強度/防水構造上も有り得ず、フィクションだとも)そして水族館へ。日本人の群衆指向と見世物好き、舶来崇拝。その根底に伏流する厳しい自然と折り合う姿を美しくも矮小化した様式として昇華させた、箱庭の自然美を突き詰めた一つの姿としての金魚を愛でる日本人の嗜好。

その扱いが水族館では蔑まされ、学術的にも疎外されている感が長く続いてきた点に対して、当事者の一人として、魚が好きになった著者の原風景を回顧しながら贖罪の想いも込めて綴られた一冊。

実は近年の分子遺伝学の分野で、金魚の遺伝子系統分析が顕著に進んできている点を文庫版のあとがきで述べて、著者の想いが僅かながらも後継の研究者達に受け継がれている事に喝采を与える本書は、科学的な理解が飛躍的に進む中でも、生活のほんの片隅を捉えて自然を愛おしむ事を忘れられない、日本人が抱く心の原点を思い出させるきっかけとして、再び登場する機会が巡って来たようです。

著者である鈴木克美先生には多数の著作がありますが、その水族館人生を綴った自伝的な一冊「水族館日記 いつでも明日に夢があった」(東海大学出版部)も併せてご紹介させて頂きます。

二冊のサケ類ガイドブック「サケ学大全」(帰山・永田・中川 編著 北海道大学出版会)と「サケマス・イワナのわかる本」(井田齋・奥山文弥 山と渓谷社)

お魚が好きなくせに山奥に立て籠もって暮らしていると、時として無性にお魚の本が読みたくなってしまいます。

そんな訳でこれまでも何冊もお魚関係の本をご紹介してまいりましたが、今回はちょっと山奥にも関係ある「サケ類」をテーマにした本を2冊セットでご紹介です。

サケ学大全まず一冊目は北海道大学出版会より刊行された「サケ学大全」(帰山雅秀・永田光博・中川大介 編著)です。

版元から察するとかなり堅めの研究関係の書物に感じますが、さにあらず。第一線の魚類学者から道内の水産関連の研究、実務担当者、NPO関係者、地場の水産会社役員に村上の喜っ川 、教育者に画家…とまあ多士済々の皆様が執筆されたラインナップが全部で55テーマも揃う正に「サケをテーマにした一大テーマパーク」的な研究紀要andエッセイ集といった書籍です。

テーマが余りにも膨大なため、各テーマの掲載ページは数ページから多くても10ページほど、一応、第Ⅰ部であるサケの生物学については研究紀要的な内容で固められており、サケ類の最先端の研究成果がふんだんに盛り込まれていますが、第Ⅱ部のサケの産業科学に行くと、ふ化事業や水産加工など具体例が徐々に増えてきて、業界紙のコラムのような体裁に変わります。

第Ⅲ部のサケの社会科学にはいると、もう体裁も内容もテーマごとにばらばらで収拾不能…といった感じで、以前紹介した「ウナギの博物誌」のようなテーマ間のバランス調整も殆ど行われていないため、一気に読むにはあまり向いておらず、どちらかというと気に入ったテーマを拾い読みしてく感じの編集スタイルになっています(編集スタイルとしてはウナギの博物誌のページで関連書籍として紹介した「新鮮イカ学」に近いかもしれません)。

とはいえ、北海道、そして東日本のを代表する魚類であるサケ類のすべてをこの一冊に集結させた北海道大学出版会と編者の皆様の多大なるご努力に敬意を表したいと思います。

特に北大の研究者の皆様が多数執筆される第Ⅰ部には環境保護をテーマにした話題では良く取り上げられる割には根拠となるモデル、データがあまり紹介されないヒグマを含めた連環のデータや巨視的な生態系モデル例など括目すべき内容がそこかしこにちりばめられていて、目から鱗が落ちる思いになります。

また、皆さんご興味があるであろう母川回遊に関する最新の研究成果や、放流魚と自然遡上魚のバランスシートといったかなりナーバスなテーマも語られています。

後半の方には今注目されている遺伝操作による養殖サーモン類(信州サーモンもすっかり有名になりました)に関するテーマも設定されていて、最近のトレンドを理解するためにも非常に有用です。

また、第Ⅱ部に関しても実際の事業に携わられていらっしゃる皆様のコメントには説得力があり、実は放流事業における回遊率成否には放流する側の上手い・下手が色濃く影響するなどという爆弾発言的なコメントも載せられていて、ちょっとびっくりしてしまいます。

とにかく、サケ類大好き、サケに関するいろいろなテーマを観てみたいという方にはピッタリな一冊かと思います。

サケマス・イワナのわかる本そしてもう一冊、帯の一文で威圧されてしまう「魚に半生を捧げた師弟」である北里大学名誉教授で魚類分類学者である井田齋先生と、お魚ジャーナリストの奥山文弥氏という魚類学とフィールドワークのコラボレーションを存分に楽しめる、山と渓谷社より刊行された「サケマス・イワナのわかる本」(井田齋+奥山文弥)です。

前に紹介した「サケ学大全」が北大出版会刊行なのでより学術的な内容に見えますが、全く逆でこちらの本の方が余程学術的(所謂魚類分類学)な記述に優れます。

こう書いてしまうともの凄く固い本のように思われてしまいますが、そこは山と渓谷社の刊行物です。帯には「入門書」と硬めの表現をされていますが、奥山氏の豊富なフィールドワークによってもたらされた美しい写真と井田先生の丁寧な解説文章、多くのアングラーの協力によって得られた貴重な写真を織り交ぜた美しい「サケ・マス・イワナ類写真図鑑」としても出色の一冊です。

サケ類が好きな方なら美しい写真を眺めているだけで幸せになってしまう事受け合い、更に降海/陸封型を分けた形でほぼ全種についての解説が写真以外に50ページと、これだけで数1000円クラスのちょっとしたガイドブックが出来てしまう豪華さです。

更には特徴的な生態、海外(所謂銀鮭ですね)を含む養殖魚たちについての紹介もカラー写真/文章を駆使して豊富に掲載されており、「入門書」なんてわざわざ書かなくても「決定版」でいいじゃないですかと、声を大にして言ってしまいたくなります。

就寝前のほんの一瞬、一日の疲れを癒したい時にぱらぱらとめくりながら、かれらの生きざまにほんの少し思いを馳せる…そんな密かな楽しみとしていつも枕元に置いています。

決して、著者たちのように「脂鰭」に魂を捧げたわけではありませんが…

<おまけ>