今月の読本「土 地球最後のナゾ」(藤井一至 光文社新書)粘土と植物を化学と地理学で喋る、世界を巡り人類を支える12の土壌と黒ボク土への想い

今月の読本「土 地球最後のナゾ」(藤井一至 光文社新書)粘土と植物を化学と地理学で喋る、世界を巡り人類を支える12の土壌と黒ボク土への想い

関東地方に住んでいる人間にとって、子どもの頃からの泥んこ遊びと言えば、赤茶けた関東ローム層に塗れることかもしれませんが、場所が変われば土の色も変わる。地質にご興味がある方であれば、当たり前のように思えるかもしれませんが、その事を本気で追求し始めると、話は人類全体へと飛躍するようです。

今回はそんなテーマを追い求めた研究者が綴る一冊「土 地球最後のナゾ」(藤井一至 光文社新書)をご紹介します。

本書の著者はちょっと珍しい土壌の研究者。スコップを握りしめて世界の地面を這い回り、その土壌を集め続けた先に現職(国立研究所の主任研究員)に至っていますが、本書の前半では研究者としての現在に至る経緯を含めて、土壌を採取する為に世界を廻った物語と共に、その地にある代表的な土壌について解説が述べられていきます。

永久凍土より寒々しい親父ギャグ(著者はまだ30代です)がそれこそ蚊柱の如く間断なく襲い掛かる、手軽に読まれる事を念頭に置いた新書ではありますが、過去幾百冊と読んできた中でもこれほどまでに「酷い」文体(きっとギャグの分量だけで50ページ位にはなるのでは)は見た事ないと言い切れる壊れた本文。更には、日本における理系研究者の方が書かれる、自らの研究を題材とした本に典型的に見られる、主題を差し置いて迂遠に呟き続ける自らの生い立ちと研究苦労四方山話の数々。これがまた本文いっぱいに散りばめられているため(こちらも多分50ページ分くらい)、表題にあるテーマが描かれる部分はかなり絞られてしまいます(でも、この二つが無かったら新書としての体裁も整わなかったかも)。

五月蠅い程の余談の猛攻に読書意欲が度々折れそうになってしまいますが、それらを蹴り飛ばしながら読み進めた先にある、本来のテーマに込められた内容は実に興味深く、要所では読者の好奇心を巧く引き止める筆致に溢れていることが判ります。

土壌という意味の説明から始まる本書ですが、メインは著者自らが世界を廻って実際に集めてきた世界を代表する12種類の土壌の解説と現地での採集シーン。更にはユニークな視点で綴る、その地に暮らす人々の生活。ここで著者は園芸関係の方が読まれる事を念頭に記述を進めているようですが、本書が楽しく読めるのは実は植物や地質、更には地理学にご興味がある方ではないかと思えてきます。

なぜ12種類の土壌が生まれるのか。火星や月の土との比較から土壌が生まれる過程を説明していきますが、そこには大きなポイントが用意されています。地殻からもたらされる、土として供給される母体から土壌として作り出される間に生み出される粘土、媒介する微生物と植物たち。

土そのものがどのように変化して土壌となっていくのかを前述した三つのポイントを踏まえて、地殻の風化から微生物、菌類、植物、そして水が仲介する化学反応として捉える事で、その過程を易しく理解できるように解説してくれます。そして風化を促す地球レベルでの大地の移動と気候の変動。風と水が作り出す肥沃な大地とそれを保持する粘土の生成、植物にとっては諸刃の刃となる、土の元となる地殻からもたらされる金属イオンと引き寄せられるナトリウムイオン。園芸関係にご興味のある方であれば、施肥などを含めて植物がどのようにして土壌と上手く折り合っているのかを理解する上で特に興味深く読む事が出来るはず。一方、私のような樹木、特に「針葉樹」好きにとっては、極地や針葉樹林帯に分布する土壌と樹木の相互関係について、もう一歩説明が欲しかったところでもあります(腐植ですぐ分解される話だけではなく、寒冷地の土壌を作り出す遠大な過程の話もちょっと聞いてみたかったです)。

自らの研究の出発点となる裏山から始まり、極北から赤道付近へと降りていく、温度と水のマトリックスから順序を追って土壌の生成の違いを述べていく事で、気候的な要因を振り出しにその生成過程が変化していく姿を捉えていきます。副題にあるように100億人の人口を養うための土壌を探すことをテーマに据えて辿る12の土壌とその生成要因。前述のように脱線が過ぎるのは事実なのですが、不真面目な本だと軽く見ているとちょっと足元を掬われます。

世界を巡る物語の後半で述べられる、研究のベースに置いた東南アジアの地で、スコップ一本からできる土壌改良で世界を救うという壮大なテーマを掲げた著者の挑戦記。道程は遥か遠くのようですが、その過程では鋭い指摘が繰り出されていきます。著者もその一員として作成に携わった、世界の土壌分布から見た人を養える土壌面積の余りの少なさ、遍在性、その地にしがみ付く様に集住する人類。それ故に土壌改良の母材として表土を深く剥ぎ取られて海外に売られていくウクライナのチェルノーゼムと植民地の再来を思わせる農地の買い占め。農地に適さない事を理由に僅かな表土すら剥ぎ取られ、唯、骨材として売り払われるインドネシアの砂。そしてプレーリー(私の本は第3版ですが図版内の記述が「プレーソー」のままではと…)を覆ったダストボールと大規模集約農業における農地維持の限界。人類が生きていくためには農作物とそれを養う大地、土壌が必要だが、その維持にも開発にも常に有限の土壌を消費し、改質する事のリスクを負っている事を明確に示していきます。著者がマヨネーズ一本を持ち合わせなかったことを悔やんだ、赤茶けた表土が広がる野辺山の大地。

 

世界を廻った土壌の物語は最後に研究のスタートラインである裏山、そして「黒ボク土」から故郷の水田という、モンスーンに包まれ、世界的にも特異な土壌を多く有する日本へと戻ってきます。

霧ヶ峰における野焼きの失火の跡。梅雨を挟んで僅か2ヶ月ほどで此処まで緑が戻ってくるのが日本の環境。本書でも指摘のように、この地は縄文人たちが集住していた頃から火が入れられ、「黒ボク土」を生み出す元となったとも云われています。

 

現職関係者への忖度なのでしょうか、中盤まであれほど猛威を振るっていた筆致はすっかり影を潜め、真摯に現在の日本における農業と土壌について語り出す著者(これは少々狡いかと)。宮沢賢治の研究テーマからの示唆を添えながら、持続性のある農業、日本の農業を礼賛するような形で話を締めていきます。

黒々とした土の向こうに延びる、嬬恋村のキャベツ畑。

営々と繰り返される火山性の黒ボク土を土壌改良する先に生まれた、我々の生きる糧、食生活を支えてくれる農地としての土壌。世界を廻ってその現実を目の当たりにした著者は、再びこの地に根を張って、土の声を聴き続ける事を決めたようです。

足元に広がる土壌の不思議さとその貴重な土壌を糧に我々が生きている事を教えてくれる(ちょっと厚かましさ込みで)一冊。アスファルトが途切れた先で少し足元に目を向けてみると、もう一つの知らない宇宙がそこに広がっているようです。

 

 

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今月の読本「日本列島草原1万年の旅 草地と日本人」(須賀丈・岡本透・丑丸敦史 築地書館)人の営みが作り出した、もう一つの「自然」へ

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New!(2018.11.2) : 本書に書かれた内容の最新報告です。詳しくはこちら(長野県環境保全研究所研究報告要旨No14)をご覧ください。

本州最大と呼ばれる草原を有する霧ヶ峰。

空まで抜けていく様な気持ちの良い火山高原に広がる草原は、西の阿蘇と並んで多くの観光客の方を引き寄せています。

日本は森林の国と呼ばれて久しいですが、なぜこのような草原がそもそも存在するのでしょうか。そして、その植生や地質にはどんな意味合いがあるのでしょうか。

火入れや人力による刈取りによって植生を維持している霧ヶ峰。現在は景観維持の為に実施されていますが、それ以前の時代、遅くても鎌倉時代辺りから継続的に現在の景観が続いていたと考えられています。

富士見台からガボッチョを2013年4月、野焼の延焼で山火事となってしまった、車山肩の富士見台から望む景色。

なぜそこまでして維持する必要があるのでしょうか。そんな疑問点に立って霧ヶ峰の草原に立った後に読みたい一冊をご紹介します。

草地と日本人、信州の草原日本列島草原1万年の旅 草地と日本人」(須賀丈・岡本透・丑丸敦史 築地書館)です。

著者グループの筆頭である須賀氏は、共同執筆者の岡本氏と同じ長野県をベースに研究活動を進めている方で、本書が刊行された1年前(2011年)に、地元出版社のほおずき書籍から「信州の草原」という、本書のベースとなった書籍を上梓されています。

本書では上記の2名の方に、新たに兵庫県で里山の植生を研究されている丑丸氏を加えた3名で執筆されていますが、それぞれのメンバーが得意とする分野に分かれて分割執筆されています。その結果、本書は大きく2つのパートに内容が分かれています。一つ目は1,2章で記述される、長野県の草原をベースにした前著のテーマをより一般的に、かつ時代を追って記述する事で、草原植生における人の介在を指摘していく部分。二つ目は3章で述べられる、田圃の畔に着目した植生の生物多様性についての検証。お互いの内容は直接的には関係してこないため、2冊の本を1冊に纏めたような感じも受けますが、言わんとしている主題はどちらも共通で明快です。

すなわち、日本は旧来から草原と草地の広がる土地であり、その土地とそこに生える草地の植生は人の介在なくして存在せず、その存在こそが、日本人が自然と向き合ってきた姿そのものであるとの認識を表明する事です。

ここまで書くと、おやっと思われる方も多いかもしれません。何せモンスーンに恵まれた日本の国土は80%近くが森林であり、日本こそは世界有数の森林大国の筈ではないのか、と。

この概念をまず取り払うことから、本書の物語は始まります。著者達が研究のフィールドとしている霧ヶ峰、そして阿蘇。今や希少な大草原ですが、その土壌を調べると奇妙なことに気付きます。深く積み上げられる「黒ボク土」と呼ばれる、日本特有の黒々とした土。日本中で見られるごくありふれた土ですが、実は水田にはあまり適さず、土壌改良を要する農家にとっては厄介な土壌です。これらの土壌は全国の約20%を占めており、日本の土壌の中核を成していますが、その存在は偏在しており、多くは火山に付随するため、火山活動による影響によって生成されたものと従来は考えられてきました。しかしながら、著者たちの調査結果は異なっているようです。土壌の調査と、その地層やそこに含まれている植生の年代調査が実施できるようになった結果、驚くべき傾向が見受けられています。それは、土壌に含まれる植生が樹木ではなく、殆どが草木類であることと、その年代が約1万年まえから急激に増えてくる点です。そして、黒ボク土が偏在する地域には考古学的に縄文時代から人が居住していたと考えられる事です。

前述のように、モンスーン気候に恵まれた東アジアにおいて、開けた土地があれば数十年を経ずに樹木が繁茂する事が良く知られています。しかしながら、黒ボク土からは草木類ばかりが検出される。火山活動が原因であれば樹木が検出されてもよさそうなのに、そのような結果に繋がらないばかりか、火山とは関係ない場所でも黒ボク土は存在する。更には、火山活動と関連があれば、もっと古い時代の地層に存在しても構わない筈なのに、特定の年代以降で発生する。

これらを勘案した結果、著者達は大胆な想定を打ち立てます。すなわち「縄文人以降の日本人によってはじめられた焼畑、ないしは定期的な焼き入れによって、黒ボク土が生成された」と。

また、縄文びいきの信州人たちが、更なる大胆な縄文農耕論を引っ提げて、人文学から今度は科学にまで乗り込んでくるのかと罵られそうですが、もう少し著者達の話を聞いた方がよさそうです。その理由は、日本の歴史上、草原が必要不可欠かつ、欠かせない存在であった事。

既に歴史学の知見において、戦前までの日本の風景は、草木が広がる丸裸の山々の麓に水田が広がるという、現在の景色からは想像もできない姿であった事が明らかにされつつあります。その原因は、木造建築の膨大な需要による森林の枯渇と、それ以上に必要であった、燃料としての炭、薪と、材料としての萱、肥料としての草木(柴)を必要する農耕生活の姿。その結果、所謂里山と呼ばれる、農村に付随する山裾の殆どは年間を通して農民が草を刈り取るために裸地化し、新田開発の進んだ江戸時代の後半には、水争いと並んで、これらの草木を刈り取るための山裾(入会地)の権利争いが頻繁に発生することになります(補足:霧ヶ峰を始め、八ヶ岳西麓に多くの草原が残っている理由の一つとして、多くの山裾が未だに当時の権利関係を引き継ぐ「財産区」によって共有されているからです)。

そして、黒ボク土が出来る大きな理由、現在のような強力な土木機械が存在しない中で、自然更新してしまう森林を切り開くなり、維持する為にもっとも手っ取り早い方法、すなわち「火を入れる」という合理的な選択が、結果として黒ボク土を生み出し、草原を維持する事となったと考察していきます。

その結果として、戦後の大造林政策が始まるまでの長きに渡って、日本は草原と水田が広がる景色であったと見做していきます。そこには、人の手入れによって生成された環境である「半自然」状態でのみ生存できる植生があった事を見出していきます。そして、その片鱗は現在の田圃の畔にも見いだせる事を見つけ出していきます。

本書が語るもう一つのテーマ、それは人との共生によってのみ成し得る植生が、日本の生物多様性の一翼を担っている事を明らかにする事。ライチョウが氷河期の環境の名残でもある高山に点々と存在することと同じ視点で、人の手によって切り開かれた草原や田圃の畔で生きる植物たちもやはり、過去の環境からの生き残りの植生であることを明らかにしていきます。モンスーン気候の地では人が手を入れ続ける事によって維持される日射条件が良く開けた環境、しかも過度の開発ではなく「ほどほど」の利用でのみ共存できる植物たち。そんな危ういバランスの上に成り立っている植生に目を配る事で、人と自然の関わり合いを改めて見直そうと、著者達は提案していきます。

富士見台展望台からガボッチョ火入れの延焼による山火事から2か月後の同じ場所(2013年6月撮影)。

失火後、僅か2ヶ月ですが、既に新たな緑が芽吹き始め、火に強いのでしょうか、レンゲツツジは花を咲かせていました。これがモンスーン気候における草原の遷移力の強さ。

ヨーロッパを引き合いに出して、日本人は自然をありのままに受け入れるという考え方に対して、正面から異議を唱える「自然の遷移を利用しながら手を加えてきた日本人」という、新たなイメージを提案する本書。その内容は、現代を生きる我々が忘れてしまっている自然観、実は人手によって維持される自然環境という事に改めて目を向ける必要がある事を思い出させてくれる一冊です。

<おまけ>

本書の内容のうち、土壌学やいわゆる「縄文農耕論」に更にご興味がある方には、同社の近刊でもあるこちらの「日本の土」をお勧めします。私は結論への誘導が怖くて未読なのですが、八ヶ岳を前にして居住し、本書を読んでしまった以上、読まざるを得ないのかも…。

<おまけの2>

2013年4月に起きた、霧ヶ峰の野焼きの延焼による景観変化と、その後の植生の比較写真です

本書と関連するテーマの本を、ご紹介。