今月の読本「新しい古代史へ2 文字文化のひろがり-東国・甲斐からよむ」(平川南 吉川弘文館)地域史を越えて広く北東アジアへ、考古学と文字が結ぶ歴史の架け橋

今月の読本「新しい古代史へ2 文字文化のひろがり-東国・甲斐からよむ」(平川南 吉川弘文館)地域史を越えて広く北東アジアへ、考古学と文字が結ぶ歴史の架け橋

本屋さんに並んでいる日本史の書籍。時代史であったり、著名な人物像を描く内容が多いかと思いますが、特定のテーマ、地域に絞った内容の書籍もまた多く並んでいます。

所謂郷土史、地域史とも呼ばれる分野ですが、読者にとって最も身近な歴史を伝えてくれる本達。そのようなジャンルの一冊として、少し珍しい切り口を持ったシリーズが刊行されました。

新しい古代史へ2文字文化の広がり

今回ご紹介するのは、山梨日日新聞の紙面に連載されたコラムを全三冊のシリーズとして刊行(予定)される「新しい古代史」の中から「新しい古代史へ2 文字文化のひろがりー東国・甲斐からよむ」(平川南 吉川弘文館)をご紹介します。

前述のように、2009年から2018年までの約9年間に渡って新聞紙面上に連載されたコラムを増補、再編集して刊行されるシリーズ。全編を前山梨県立博物館館長の平川南先生が一人で執筆されています。著者の専門分野である古代史に特化して、テーマ毎に3巻に分けて刊行される予定のうち、本書はその中軸を担う1冊。著者は「自治体史」の可能性を願って綴った事を冒頭に記していますが、副題に示されるように「東国・甲斐からよむ」とされており、地域史としての領域を逸脱することが想定されています。

各都道府県、市町村にそれこそ数多存在する歴史館、考古館、博物館の展示を見ていて常に疑問に思う点。特に考古学的なテーマを前提に置いた展示で首を傾げる事が多い事として、出土物自体の解説には他の地域との連携性や時代の前後性を強く示す一方、「おらが村のお宝」ではないでしょうが、その中で如何にも中核や枢要を担っているかのような、他と比べて突出的な出土品であるという表現を付されている点、自らの地域性に殊更の優位性を綴る(京都、奈良、大阪は別の意味もあるので)解説に奇妙さを感じないわけではありません。

本書も県域紙である山梨日日新聞の連載記事(なぜこの本が出版部も持つ同社から刊行されなかったのかは首を捻る点ですが…愛読している版元さんから刊行された事に感謝しております)、しかも他県と比べても強固に纏まった郷土意識を有する土地柄故に同様の懸念があったのですが、むしろそのような懸念を大きく裏切る内容の幅広さを具えています。

新聞の連載記事という事で一つの話題について僅かに4~10ページ程。フルカラーで非常に多くの写真も併せて掲載している事もあり、特定のテーマを深堀出来る構成ではありません。むしろ博物館の展示と解説ボードをそのまま本に収めた様な感もある本書ですが、テーマに挙げられた「文字」という着目点(帯の書体にも滲み出ています)が自治体史という範疇を許さない、広大な視点を与えてくれることを明瞭に示しています。

全3章で綴られる内容はテーマ毎に纏められている一方、連載時期が前後している部分もあり、一貫した通読性がある訳ではありません。更に、シリーズを通貫する筈の甲斐、山梨をテーマとした内容は本書の半分を割り込み、北東アジアから広く日本国内、南は大宰府から北は多賀城までという広範な地域を舞台に描かれていきます。もちろん著者にしてもそれでは自治体史の体裁を逸脱しすぎてしまうと考えられたのでしょうか、山梨県内の出土例/事例についてはご自身も現地に赴いて、発掘内容や心象を添えながら丁寧に著述されています。

山梨県の古代史を綴る一方で、その通貫するテーマを描くためには是が非でも必要であった文字文化の「ひろがり」。コラム形式のために重点が見えにくいのですが、著者が研究に直接携わった部分には相応の力点が注がれており、その著述からある程度テーマの要点が見えてきます。

第一部として纏められる「文字を書く」。文字を書くためのフォーマット、素材となる木簡や筆、硯。単純な文字が書かれた土器に込められた想いは甲斐の出土物単独で理解することは出来ず、その伝来から変化と言った考古学が最も得意とする形態的な編年分類を重ねて理解することが求められます。中でも非常に興味深かったテーマは、徳川光圀を引き合いに出しながら、土器に記された墨書に残る特殊な漢字、則天武后が定めたとされる則天文字が其処に残されている例を紹介する段。出土品の時代確定に用いるだけではなく、その背景を金石文から篆書、隷書へと繋げながら為政者による権力の存在を指摘する点は、出土物の歴史的背景を矮小化せずに広く視点を持つ事を求める考古学らしい読み解き方を感じさせます。また著者の研究テーマでもあった定木の利用法解明とその背景となる和紙と硯、墨の利用に対する歴史的な展開は、専門的な研究書はもちろんあるのかと思いますが、このような一般向けの書籍でその一片を見せて下さる点はとても貴重かと思われます。

文字を綴るための前提を記す第一部を受けた第二部は、少し寄り道気味な内容も含まれる「人びとの祈り」。経典埋納の壺に刻まれた人物名の驚くような広がりや相撲人とアーリア人系の顔が描かれた木簡(本当に甲斐に在住していたとすると、その背景含めて実に愉しいですね)といった文字として残された記録の側面も綴られますが、主に文字に込められた呪術的な側面を取り上げていきます。特に山梨県在住の方には興味深いであろう道祖神としての丸石、男根のお話は、文字からはやや離れてしまいますが、仏教伝来以前の日本の在来信仰的な捉え方や仏教受容後の変形ではなく、韓国、扶餘の出土例を通じて、仏教文化と並立する大陸文化に通じる点を指摘します(私も現地を訪れた事があります)。その上で、朝鮮半島で出土した椀に鋳出された文様も、国内で出土した土器に刻まれ、墨で書かれた文様も、民俗学で述べられる五芒星や海女の呪い模様と同じものであり、道教に繋がる点を指摘することで、古代史から認められる姿が、広くアジア各地で遥か現代にまで繋がっている事を示していきます。

そして、本題の舞台から遥かに離れた多賀城碑と上野三碑から綴り始める第三部「文字文化のひろがり」。著者の専門分野が存分に発揮される、3回連続で綴られた多賀城碑偽作説の再検証から重要文化財への指定の根拠となった周辺の発掘調査の結果と、上野三碑を世界記憶遺産へと推す根拠とした、半島文化と大和王権、北方文化が交錯した事実を現在まで伝え続ける石碑がなぜピンポイントにこれらの土地に残されたのか(意外な事に、戦後の高度成長期から現在に至るまで、日本国内で新たな石碑の発掘例は皆無との事)を説き起こしていきます。また、著者の専門分野でもある漆紙文書がなぜ時代を越えて残る事が許されたのか、更にはその分析に威力を発揮した赤外線カメラによる古文書分析の威力を綴る部分は、考古学の研究が発掘や類型調査だけではなく、最新の測定、分析技術を巧く活用する事で更なる進化を得られる点を明確に示します(お線香で煤けた先祖のご位牌の文字を確認して欲しいという地元の方からの依頼も。県立博物館も色々大変ですね)。

限定的な碑文の分布から文字文化が明らかに遅れて伝わったと想定される日本列島。その後に生み出された万葉仮名と平仮名への変遷を綴る段で本書は終わりますが、大幅に加筆された最終盤の内容が本書のハイライト。ニュースでも大きな話題となった、ほぼ完全な形で出土した仮名文字による歌が刻まれた土器(甲州市ケチカ遺跡出土「和歌刻書土器」)。この土器の読み解きを行った解読検討委員会の委員長を務めた著者によるその検討結果と、併論となったいきさつが前後約30ページに渡って綴られていきます。

既に文字資料が揃いはじめた時代の出土物ですが、僅か31文字の来歴を知るには余りにも不足。しかしながらこの読み解きを果たす事は、日本における仮名文字の発達の過程を知るため極めて重要な契機。土器編年法から始まり文字の形、綴られた歌の内容とその読み解きといった、考古学と文献史学、美術史と国文学がまさにがっぷり四つで組み合った結果が初学者にも伝わるように丁寧に説明されていきます。未だ歴史書の中で本件を扱った具体的な著作が無い中で、唯一無二の一般向け解説。本書の巻末、実は本連載の掉尾を飾る(翌月の2018年3月掲載分を以て館長離任により連載終了)、地域史を開拓する地道な発掘成果はまた、全体史を大きく動かす力を持っている事を雄弁に示す紹介内容。

甲斐、山梨という山深く狭い地域で語られる歴史が、その範疇の中だけで語られるのではなく、広く世界に繋がっている事をまざまざと示すシリーズ中でも白眉な一冊。甲斐・山梨の古代史に興味がある方だけではなく、広く古代史、考古学がどのように歴史を捉えようとしてるのかを理解するためのきっかけを、文字という共通な文化の基盤を通じて具体的な事例から多面的に、しかも判り易く、丁寧に教えてくれる一冊です。