15年の時を経て再びライチョウの展示を開始した大町山岳博物館へ(2019.3.17)

15年の時を経て再びライチョウの展示を開始した大町山岳博物館へ(2019.3.17)

今月の15日から全国5箇所の施設で開始された、人工孵化、飼育のライチョウ公開。

これまで動物園で観る事が出来なかった高山に住むライチョウの姿を一目見ようと多くの方がこの週末に動物園を訪れたようですが、その中で少し異なった雰囲気での公開を迎えた施設があります。

昼前になって時折吹雪き始めた、大町市にある市立大町山岳博物館

今回公開を迎えた施設の中で、唯一2004年まで長期に渡る低地での繁殖活動を実施していた場所。2015年から開始された域外保全活動に於いて、環境省の支援の元で再び繁殖活動を再開、実に15年振りの再公開を迎えました。

雪雲の下に沈む大町の市街地を望む、博物館3階の展望デッキより。

お天気が良ければ、北アルプスの大パノラマが楽しめる格好の場所(写真撮影用にレンズを外に向けられる小窓が付いています)なのですが、残念ながら今日は雪雲の中。

そして、シーズンオフのこの時期ですと数台の車がぱらぱらと止まっているだけの筈の駐車場が…実は建屋の裏側まで満杯に。吹雪の中、スタッフの方が誘導に走り回るという驚きの光景を目にする事になりました。

今日は、今回の公開再開を記念して開催された特別講演を聴講にやってきました。

講師は本邦初(ご本人談)のライチョウ研究で学位を取得した小林篤氏。ライチョウ研究の第一人者、中村浩志先生と共に研究されている方で、昨年刊行された「ライチョウを絶滅から守る! 」(しなのき書房)の共著者でもあります。

他の施設と大町山岳博物館が大きく異なる点、それは地元北アルプスの自然を象徴する鳥であり、前述のように過去にも長く(20年以上)に渡ってこの場所を拠点としてライチョウの低地における飼育に挑戦していたというベースを市民の皆様が共有されている事です。

今回の講演会もその中核を担う山岳博物館の会員組織(山博友の会)の皆様が会場運営に当たり、聴講する側も県が活動を展開するライチョウサポーターズの皆様等、熱心な方々が多く集まられたようです(参加者の年齢層が広く、何より女性の方が多いのに驚きました)。

地元報道各社の取材が入り、定員80名が満席となる盛況の中で行われた講演。内容自体は前述の著作を読まれた方であれば御承知の内容が殆どかと思いますが、南アルプスで行われているゲージ保護の動画が紹介(雛たちが殆ど人手を介さずに連なって自らゲージに戻っていく)されると、会場から一斉に歓声が上がっていました。

ライチョウの生態とこれまでの活動の推移を示した後で、直近の保護活動、人工繁殖に極めて大きな示唆を与えることになる、親の盲腸糞から腸内細菌を雛が取り入れている事を確認した最新の報告まで、丁寧な解説がなされていきましたが、今回の講演会で少し驚いたのが、講演後の質疑における演者の方が述べる率直な見解の数々。

質問される方も流石に良くご存知のようで、スライドには用意されない最直近の話題、しかも当事者としては微妙な問題が含まれる内容だと思うのですが、自らの見解としてはっきりと述べて下さったのは、とても好感が持てるところでした。

  • 中央アルプスで発見された個体は北アルプスに生息する群である事は把握できているが、実際にどこから飛来したかはわかっていない(多分乗鞍岳だろうと)
  • 中央アルプスへの移植については今後の検討に委ねられる(中村先生は実施したいと考えている)。現行の活動は5年計画で本年度で終了する事になっている
  • 火打山でのイネ科植物の除去については、当該群の生息数が極めて少なく、標高が低いという特殊な場所故の施策であり、火打山以外で実施する予定はない
  • ライチョウの生息群全てが絶滅に瀕している訳ではない。北アルプスの群は比較的安定ているが、特にゲージ保護を行っている南アルプスの群は減少が著しく、このままであれば絶滅する可能性がある
  • 南アルプスの群が減少している理由はゲージ保護を採用した理由である捕食者の影響もあるが、高山植物の減少、特にシカの食害が著しい。但し、全ての高山植物が激減している訳ではなく、巷間に伝えられるような話は登山道沿いなど限定的(それほどでもないと。サルのライチョウ捕食写真の件を含めて、少々センセーショナルに扱われているというニュアンスを演者の方から感じました)。もう一つはより大きな話なので、と
  • (山小屋周辺での捕食者を捕える罠の設置を認めるなど)国立公園は石一つ葉一枚動かさないという環境省のスタンスは徐々に変わりつつある
  • 腸内細菌のうち、有用な菌の分離、精製が出来ないか研究を続けている(宮野典夫前館長だったと思いますが、博物館側からの補足として、飼育個体でも雛の段階で親鳥の糞を食させる検討をしていると)。これが出来ないと、飼育個体を自然に放鳥した時に自然の食性に対応できなくなる恐れがある(朱鷺とは違う)。こちらの研究は今後にご期待くださいとの力強い発言も

館内の2階にある、この博物館が長年手掛けてきたライチョウ飼育、研究の経緯を辿るコーナーに新たに設けられた、現在のフィールドで保護、研究活動の全般を紹介するボード。今回ご紹介されていた内容が解説されています。

今回公開が始まったライチョウは、博物館の裏側にある付属園で飼育されています(こちらの付属園への入場は無料、館内の展示を見学する場合は入場料が必要です)。

雪が舞う中、付属園のスバールバルライチョウ舎の前で、講演会参加者の皆さんに説明する大町山岳博物館の館長さん。

ちょっとおネムのスバールバルライチョウ。

別のタイミングで撮影した1枚。ライチョウ飼育の事前検証の為に飼育を開始したこちらのスバールバルライチョウですが、ライチョウと見比べて違いが判るでしょうか。

そして、以前は飼育員さんの作業用プレハブ小屋が建っていた場所に、こんな立派な展示用飼育舎が建ってしまいました(驚)。奥の大きな建屋が、展示用の飼育舎です。

見学入口にはこのように域外保全活動の取り組みを示す解説板が用意されています。

この奥が展示場所なのですが…えーっと、他の展示施設の写真などを拝見していると、共通する展示場所のセンスには発注主様の…(以下自主規制)。

窓の向こうに雪が降る中、沢山の見学者に見つめられて落ち着かないのでしょうか、時にゆったりとポーズをとってくれるスバールバルライチョウに対して、右へ左へと忙しく動き回る、1羽だけ展示される事になった人工孵化から飼育されているライチョウの雌。

彼女の前途に、再び北アルプスの峰々を優雅に歩くライチョウ達の姿が見られる日が来る事を願って。

今回の人工孵化個体の公開は、環境省の主導日本動物園水族館協会との協定に基づき5箇所の施設で同時に実施されています。

大町山岳博物館での展示は、当面の間は毎日11時から15時までです。

もし機会があれば、お近くの施設で是非ご覧頂き、四季を通じて姿を変えていく愛らしい姿とその向こうにある彼女たちが生活する生息環境にも、少し思いを巡らせて頂ければと。

彼らが住まう南アルプスの麓より、今年の繁殖も成功を願って。

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今月の読本「MINERVA世界史叢書6 情報がつなぐ世界史」(南塚信吾:責任編集 ミネルヴァ書房)「史料としてのメディア」の向こうに認識される世界を研究者達の眼差しで

今月の読本「MINERVA世界史叢書6 情報がつなぐ世界史」(南塚信吾:責任編集 ミネルヴァ書房)「史料としてのメディア」の向こうに認識される世界を研究者達の眼差しで

本屋さんで売られている歴史関係の新刊本は、特定のフォーマットや価格帯を意識したヒエラルキーを持っているかと思いますが、多くの場合はこんな感じで構成されるのでしょうか。

  • 毎月発売の文庫本/新書版 : ~1000円前後
  • 毎月発売の選書 : 1000円~2000円以内
  • 専門出版社の一般読者向けの叢書シリーズ : ~3000円程度
  • 研究者の方が著述される一般読者向け単著、訳書 : ~4000円圏内
  • 主に研究者向けの書籍類(装丁がシンプルな物たち) : 7000円~

今回ご紹介するのは、この範疇から微妙に外れる、一般向け叢書で5000円と言う、私の中の金銭感覚からすると明らかに購入に戸惑う(毎月の読書予算の過半、買うまでの躊躇はかなりありました)本。研究者の方々が著述される専門書だから当然なのでは言われればその通りかと思いますが、本屋さんで一読した感触は明らかに一般向け、しかもそのテーマ選定と著者陣の筆致が実に魅力的な一冊です(昨年12月の刊行でしたが、何と重版が掛かったようです!)。

MINERVA世界叢書6 情報がつなぐ世界史」(南塚信吾:責任編集 ミネルヴァ書房)のご紹介です。

一般書でも研究者の方や企業人、著述を生業にする方の著作でも専門性の高いテーマ(マニアックなどとは決して…)の書籍を扱っているミネルヴァ書房。ミネルヴァ日本評伝選等の日本史の叢書シリーズと共に、近現代史や教育関係に強いイメージがありますが、世界史に関しても多くの書籍を刊行されています。

今回ご紹介する一冊も昨年から刊行が始まった「MINERVA世界史叢書」シリーズの第三回配本分。「世界史の世界史」を描く事を標榜する全16巻の大型企画でもありその内容は多彩を極めますが、まずは読んでみたいと思い至ったのは前述のように今回のテーマ特異性と、多彩な執筆陣に惹かれたからに他なりません。

参考文献一覧が添えられた一章20ページ前後の本編10章と、その半分程度のボリュームで差し込まれるコラム6本で構成される本書。読書時間の確保が難しい中でも、一日1~2セクション位ずつで読み進められるように配慮された嬉しい構成。そのような構成を採る為、本書に本格的な議論を望むのは少々厳しい事かと思いますが、逆に今回のテーマにとっては非常に有利に働いていると思われます。

研究者の方々が日夜研鑽されている研究に必ず付いて廻る「史料」たち。その史料たちを読み解き、新たな知見を積み重ねていく事を自らの使命とする研究者にとって極めて大切な史料と向き合う際に見えて来る課題、その向こうに広がる世界への興味、好奇心の種を、世界史の狭間で自らの研究に添えるように語られる本書。

本書では研究者の方々が扱う史料達の中から、時代を越えて人々に情報を伝える媒体であるメディアに着目したテーマについて研究者の視点を通して語られていきます。

その著者陣は、既に名誉教授を称される大先達から海外の大学でPh.Dを取得した気鋭の研究者まで。ペルシャ語を専攻する若手研究者から郵便史研究家、更にはテレビ局の外報部記者出身で、NTVアメリカ元社長という海外ニュース報道のエキスパートまで。版元のイメージ通り多士済々という方々がこれぞという興味をテーマに掲げて筆を振るっています。

古代の写本から現在進行中のIoTとディープラーニングまでと言う幅広い時代を扱い、それぞれに異なる著者が執筆されるため、描かれる内容が統一した視点を有している訳ではありませんが、そのいずれに於いても実に興味深い見解が示されていきます。本当は一文では表現しきれないのですが、とにかくワンポイントで各章を紹介してみます。

第Ⅰ部 : 文字と図による伝達

  • 第1章 : 写本が伝える世界認識
    • 写本から零れ落ちたレイアウトと図に秘められたイスラムの世界認識再構築
  • 第2章 : 世界図はめぐる
    • プトレマイオス図の東辺に顕れる東南アジア交流路の実態とイドリースィー図にすら影響を与えた中華世界の地図たち
  • コラム : 地図屏風に見る世界像
    • 日本に遺される近世世界の地理感認識変遷と日本が与え挿入された地理感

第Ⅱ部 : 印刷物による伝達

  • 第3章 : 書籍がつなぐ世界
    • 訳本と訳者の系統から見る、イスラム世界への逆輸入まで果たした「千夜一夜物語」の実は猥雑な夜伽話の訳し方
  • コラム : 書籍商としての長崎屋
    • 江戸の一大情報サロンに集った人々と明治近代化を陰から支え潰えた長崎屋への想い
  • 第4章 : 近代的新聞の可能性と拘束性
    • 電信と挿絵が作り出した迅速、簡潔な伝達表現の向こうに横たわる、メディアと情報共有性の危うい幻想
  • コラム : 新聞の世界的ネットワーク
    • ナイジェリアの新聞発達史に映し出される、自立を始める植民地を繋ぐ知識人ネットワーク
  • 第5章 : イギリスのイラスト紙・誌が見せた十九世紀の世界
    • イラストが描く見下された「向こうの世界」とイギリス帝国主義の次に来る者達
  • コラム: 世界をつなぐ郵便制度
    • 世界最古にして最多の加盟国を誇る国際機関に至る道筋に先駆けたヨーロッパを繋ぐインテリジェンス一族の歴史
  • 第6章 : 反奴隷運動の情報ネットワークとメディア戦略
    • 「奴隷船ブルックス号」イラストとカメオのメダルに象徴される、イギリスの奴隷解放運動を支えた刊行物を広めあう男と女のネットワーク

第Ⅲ部 : 信号・音声・映像による伝達

  • 第7章 : 海底ケーブルと情報覇権
    • 技術と資金に乏しい日本の大陸進出橋頭保で勃発した帝国主義の代理戦争、序章編
  • コラム : 通信社の世界史
    • 帝国主義の下で世界のニュースを牛耳った三大通信社が進める原点回帰とある呪縛
  • 第8章 : アメリカの政府広報映画が描いた冷戦世界
    • アカデミー賞受賞ドキュメンタリー映画の向こう側に垣間見る、冷戦下の情報戦略に映し出された世界の姿
  • 第9章 : サイゴンの最も長い日
    • テレビの向こうに映る戦場報道のリアルと、戦場に持ち込まれた映らない政治闘争の陰
  • 第10章 : 衛星テレビのつくる世界史
    • 宇宙から繋ぐものが変えた、境界線を越えていく報道とネットワーク
  • コラム : インターネットとモバイル革命
    • インターネット、モバイルネットワーク小史と次のジェネレーションへの期待

このように実に幅広いテーマが描かれますが、殆どの章で、ある明確な執筆意図が認められます。

それは、読者に対してこれらのテーマで提示される認識のもう一歩先まで意識を広げて欲しいとう、執筆者たちの願いが込められている点です。

写本を語る章では、これまでの文献中心の史料研究に対して、添えられたであろう図表の研究への更なる配慮を求める。世界図を語る章では、明らかに東西で別々の認識であったとする世界観について、もっと情報の交流があったはずだと認識を改める必要性を訴える。

千夜一夜物語の逆輸入についても、その選ばれる訳書のバージョンや発禁とされる例を示して、訳出という側面と併せて出版による情報の統制とベクトルを語る。近世・近代の新聞やメディアについても、これは日本人研究者故と言う事情もありますが、当時の帝国主義による視点に対してそこには明らかな偏向があり、更には当時の日本、日本人自身もその渦中に突き進んでいった事を濃厚に示唆する。

第二次大戦後の世界におけるメディアを語る章では、東西冷戦という当時を経験した人々には当たり前であった視点自体が現在の研究では「冷戦的視点」とされ、日本人には遠く忘れ去られたベトナム戦争の影が今もアメリカの報道姿勢に重たい影を投げ掛け続けている事を、報道機関への不信に投影する(この不信の先に、特定の指向性を持つメディアへと選択傾向が先鋭化する現状が繋がるのでしょうか)。

更にその先にある、IoTによる末端にまで繋がるネットワークから引き出される、自らの価値を認めた対価として収集され続ける、膨大な個人情報という燃料を掘り当てた巨大企業による利便の代償と、政府による情報の収集とコントロールへの大きな懸念。

情報を伝え、世界を繋ぎ広めていく、それ自体が研究者の方々にとって日常の研究テーマであり、世界史の片鱗でもある媒体たちが、人々の認識という世界史を作り出す大きな力の一翼を担っていた事を示し、その背景までもを描き出そうという壮大なテーマに対して、研究者の方それぞれのエッセンスを読者へと伝えてくれる本書。

ほんの少し肩の力を抜いて一般読者に向けて書かれた、研究者の見出す気付きの向こうにこれまで見えてこなかった魅力的な世界史の姿を垣間見せてくれる一冊。多彩なテーマの向こうに、どんな世界史の一ページが見えるでしょうか。

ちなみに、私のお気に入りの一篇は澤田望先生のコラム。ナイジェリアと言う日本人にとってはマイナーな土地の新聞発展史をベースにして、帝国主義と世界的な通信社の伸張の先に続く植民地時代終焉の序章を、人物像まで織り込んだ魅力的な筆致を以て僅かなページ数で描き込んだその小論に感服した次第です。

春めいてきた空の色(2019.2.17~3.2)

暖冬が続く今年。

グンと冷え込むと逆に雪が少なくなる八ヶ岳南麓ですが、今年は冷え込みも厳しくなく、雪も少ないという、これまで経験した事のない穏やかな冬の日々が続いています。

満月前の夕暮れ。

例年なら雪原となる八ヶ岳西麓に広がる圃場も、今年は畔の傍にも雪が見えない状態。

それでも夕暮れを迎えるとぐっと冷え込んで来る2月後半。

夜の帳が降りるグラデーションが塩嶺の向こうに広がります(2019.2.17)。

すきっと晴れ渡った冬の朝。

雪の少ない八ヶ岳を望む圃場には少しずつ春の足音が近づいています。

少し霞んだ夜空の下、明るい月夜に浮かび上がる甲斐駒。

風もなく暖かな夜に撮影と言う、この時期としては異例のシーン。

おかげで、比較的シャープな一枚を収める事が出来ました(2019.2.18)。

暖かな一方で落ち着かない空模様の日が続く2月の下旬。

塩嶺に向けてうねるように帯を曳く雲たちが空を埋める午後の圃場。

八ヶ岳の上空にも帯を曳く雲が流れていきます。

雲の切れ間の向こうに飛行機雲を望んで。

高い青空はまだ季節が冬である証。でも、空を往く雲は春の心地です。

南アルプスの上空を舞う雲たち。

南に下り始めた夕暮れの日射しが山裾を霞ませています。

上空に広がる雲を連れて、西の空へと下っていく日差し。

夕暮れと夜の帳が交じり合う夕暮れ。刻々と変わっていく空の色と雲の動きに魅入られ続けます(2019.2.24)。

久しぶりに新雪に覆われた朝の八ヶ岳、でも南麓側では全く雪は降らず。

ほんの少し物足りなさも感じながら、暦は3月。厳冬の季節はそろそろ終わりを迎えます(2019.3.1)。

すっかり暖かくなった週末の夕暮れ。

霞んだブルーと夕日のオレンジが南アルプスの上空で交じり合いすみれ色に染まる、一足早い春を思わせる夕暮れ。

夜は氷点下まで下らず、昼間は10℃を上回る暖かな日々が訪れましたが、今夜は広範囲で雪の予報。

窓の外でしとしとと降る雨音に耳を傾けつつ、足早に過ぎ去る冬へちょっと寂しい思いも抱きながら、春の訪れを待ちわびる日々が続きます。

今月の読本「大道 鎌倉時代の幹線道路」(岡陽一郎 吉川弘文館)考古学と文献史学が明滅する先に道の社会学を想う随筆

今月の読本「大道 鎌倉時代の幹線道路」(岡陽一郎 吉川弘文館)考古学と文献史学が明滅する先に道の社会学を想う随筆

日本の中世史を扱った書籍では通史としての大きな歴史と言うべき政治的な動きや、武士や公家、僧侶と言った個人、武士団、寺社などの集団をテーマにした歴史を扱った本が大多数を占めるかと思いますが、近年、それらの境界領域ともいえるテーマを扱った書籍も一般書として徐々に出回るようになってきています。

史料的な限界のある中世史という時代区分において、この分野では最も成功しているのではないかと思われるテーマとして、近年の進展が著しい考古学を援用した街道やその道を使った人々の動きを軸に歴史的な展開を描いていく著作群がありますが、更に一歩進めて「道」自体をテーマにしたこの一冊。非常に興味深いテーマではありますが、少々難物な読み物でもありました。

今回ご紹介するのは、吉川弘文館の歴史文化ライブラリーの最新刊より「大道 鎌倉時代の幹線道路」(岡陽一郎 吉川弘文館)です。

冒頭で提示される「かまくらかいどう」「あずまかいどう」という呼び名に対して、数多に溢れているこれらを呼称する古道達に対する著者の大きな疑念。それらを結び合わせても一筋の道が描けない事からも判りますように、後年の人々がある仮託を込めてそれらの名前で呼び習わし、現在に伝わった道筋たち。本書がこれらの道筋がどのように変遷したのかを辿りながらその道を作り使い続けた人々の姿を描いていく、考古学と文献史学をベースに歴史地理学と社会学が交差するテーマを深化させながら綴られる事を期待して読み進めていくと、ある意味大きな失望を受けることになります。

このように表現することは珍しいのですが、あとがきに書かれた著者の懸念と抱え続けるわだかまりがそのまま文中一杯に散りばめられてしまったかのような内容が展開する本文(著者より若輩ですが老婆心から述べさせていただくと、本書だけは「あとがき」は最後まで読まずに、とにかく本文を冒頭から追われる事を切に願う次第です)。

「大道」という名称の位置付けを語るかと思うと疫病と怨霊が渡る異界の扉としての道の話に飛ぶ。道の変遷を語り始めると近江の葛川から一気に現在の著者の研究フィールドである須川峠の山懐にある開拓地と領家を繋ぐ道の変遷の史料検討へ繋ぎ、更には学生時代に携わっていた鎌倉、犬懸坂、杉本寺の考古発掘調査の考察へと変転しながら東国の首都、鎌倉の盛衰を語る。鎌倉に話を飛ばすと、今度は大道や橋の維持に対して当時の公儀である幕府にその代行を買って出る事になる宗教者達、特に真言律宗の存在との共存関係から、重層的な支配関係の元にある当時の姿と政と聖の相互関係に思いを馳せる。

大道という言葉を頼りに、数頁から10数頁程度の小テーマが著者の思い至る範疇で書き連ねられ、これまでの検討や議論に対する著者の考察とも懸念とも取れる内容が随筆のように綴られていく本書。200ページを切る事もある歴史文化ライブラリーのシリーズとしてはやや過大とも思える全編294ページと言うボリュームで、これまでの研究者として歩んできた路傍に散らばり播かれた種を拾い集め愛おしく抱き抱えていく様な著者初の単著。散文的なその内容の要所には実に興味深い思索が含まれています。

「中世」の大道には古代王朝が生み出した大道とは異なる意味合いを考慮すべきであるという点。地形を穿つようなものではなく、多数の支配関係の間を縫うように繋がり、村と村、山村と市が立つような集落がある拠点の間を馬が通える道が通じれば、それは大道と呼ばれると指摘します。また中世の道の成立が交通の便宜、即ち軍旅であったり年貢や貢納の輸送の為に必要に応じて変遷していく点が古代の大道と大きく異なると指摘します。

その指摘の先に見出すのが、中央政権ではない鎌倉幕府の組織成立上の限界点。著者は為政者はその支配機構としてインフラ整備を行う者であり、それが当然であるという視点に大きな疑問を呈し、幕府として纏まった彼らが中央政権からスピンオフした軍事・警察機構に過ぎない点を忘れて、為政者としての過大な評価と期待を抱き過ぎて観ているのではないかと強い懸念を示します、その先に「鎌倉街道」を代表とした、当時の文献では使われる事のない単語を用い、我々を含めた後代の人々が中央に繋がるものへの憧れ、憧憬としての「大道」という幻想を抱いているのではないかと指摘します。ここで、鎌倉より北方の人々が抱く「中央感」と、より東国の中核に住む人々のそれが異なる点を「かまくらかいどう(鎌倉街道、かまくらみち)」「あずまかいどう」の呼び名の違いに見出す著者の視点は実に刺激的です。

更には、著者自身議論を控えているようですが、奥州の深部、奥大道の終着点で研究を続けられる方らしい視点ともいえる、当時の文物はいずれも京を交点に取り交わされるという如何にも一般的な視点を強く意識された見解が僅かながら語られます。近江の杣に当時の金額としても大きな十五貫文の銭を携えて木材を買い付けに美濃からやって来た地頭の下人の姿や、常滑焼の出土分布の向こうに、中央や鎌倉と地方と言う二元的な交流だけではない、物産を生み出す産地である地方と地方同士の交流史が見出せる素地があるのではないかという想いを滲ませていきます。

その上で著者が願う、考古学とも文献史学とも異なる、大道をテーマにした中世社会史と言う姿が描けるのか。研究者として既にベテランの域に達しつつある著者に、抱え込んだご自身の課題を解消された先に、一般書とはいえもう少しテーマを精査された一作も期待して。

同じ吉川弘文館の書籍の中には、前述の交流史を念頭に置いた多数の書籍が揃っています。頭の中に地図を思い浮かべながら、どのような人々が何を求めて行き交ったのか、現在の姿と重ねながら考えてみると、歴史を見る視点が更に広がるようです。

厳寒の2月(2019.2.1~2.10)

雪の少ない暖冬が叫ばれる今シーズン。

諏訪湖は全面結氷に至らず、八ヶ岳山麓も殆ど雪が降らない日々が続いていましたが、それでも2月の初旬は最も冷え込むシーズン。

今シーズン初めての本格的な降雪となった後、新雪を纏った朝の八ヶ岳。

キンと冷え込んだ冷たい風が吹き抜ける白銀の圃場の向こうに山頂部分に雪煙を上げて聳える、正に八ヶ岳ブルーを感じさせる姿を魅せてくれました。

新雪に包まれた圃場の向こうに稜線を伸ばす、甲斐駒と鳳凰三山。

頬を刺し指先が切れる程の冷たい風すらも忘れさせる、清々しい冬の朝のワンシーン(2019.2.1)。

厳冬期らしい美しい雪原が広がるのはほんの一時、やはり暖冬なのでしょうか、翌日になると雨交じりの霙で里の雪はすっかり融けてしまい、夕暮れに照らされる八ヶ岳の雪渓も薄くなってしまいました(2019.2.2)。

2月に入ってからお天気が安定しなくなった、八ヶ岳山麓。

連夜の雪雲の通過で夜半に雪が舞った後の朝。山頂部分だけ新雪を被る八ヶ岳。麓はご覧の様に全く雪がありません(2019.2.8)。

連休中も安定しない天気が続く八ヶ岳界隈。空はどんよりですが、山の方では降雪が続いているようで、蓼科山と北横岳は真っ白な冬化粧を纏うようになってきました。

東京の方では雪が舞ったとの知らせを聞きながら、落ち着かない空を見上げて。厳冬から次のシーズンへ、そろそろ季節の移り変わる頃合いを感じさせる厳寒の山里です。どうか暖かくしてお過ごしください。

今月の読本「源頼朝 武家政治の創始者」(元木泰雄 中公新書)新恩から官位へ、武家政権成立の鍵を示す通史とある違和感

今月の読本「源頼朝 武家政治の創始者」(元木泰雄 中公新書)新恩から官位へ、武家政権成立の鍵を示す通史とある違和感

歴史研究者の方々が著述される一般向けの歴史概説書がブームになって久しいですが、その著者の多くは私の年代の前後に近い方や、より若い方になるでしょうか。

ある意味、研究職としての文系の存在意義を常に社会から問われ続ける中で研究を続けられ、成果の一端を世間に問うという形で執筆を続けられている方々。その内容は、時に過去の研究史や史観に強い違和感を述べ、通説を生む元となる、現行の歴史教育や教科書の内容に対して強く是正を求める指摘が散見されるようです。

中世後半から戦国時代をテーマに扱った書籍から始まったこれらのブーム。最近ではより時代を遡って南北朝や鎌倉時代、更には古代史へと広がりを見せていますが、その中でぽっかりと穴の開いているのが平安時代中盤から鎌倉開府まで。

今回ご紹介するのは、西の筆頭に位置する大学で長く教鞭を執られ、ブームの遥か前から当該する時代の歴史に関する数々の一般書を著述されてきた研究者の方が、敢えてこのタイミングで渦中に投じた一冊をご紹介します。

今回は「源頼朝 武家政治の創始者」(元木泰雄 中公新書)のご紹介です。

著者の元木泰雄先生は京都大学で中世史の研究を長年に渡って続けられてきた方。中世史の大家でもある上横手雅敬氏の直系に位置する研究者の方で、前述のように数々の一般向けの書籍も上梓されています。

今回の一冊も2011年に同新書から刊行された「河内源氏」の続編として企画されたもの。その筆致も、京側の視点で通史としての軍事貴族である河内源氏の推移を述べる前著を継承したものですが、冒頭から巻末まで在る点をしきりに気にされた著述がなされていきます。

それは、近年の研究に於いて所謂東西対立的な視点、公家と武家の二項対立的な歴史感が再び強まっている(特に武家側に偏った認識)という危機感と、前提となる同時代の研究で用いられる代表的な史料群の読みこなし方に対する強い疑念。本文中の各所で具体的な指摘を伴ったこれらの懸念に対する強い憤りを述べながら綴られていきます。

直近で数多く刊行される書籍たちの著者と比較して、恵まれた研究環境と豊富な実績を積まれた研究者の方らしい、比較的穏当な筆致で綴られる事を予想しているとある意味大きく裏切られる、時に憮然とした態度を隠さず、流人の奇跡と称し、一般的に頼朝の評価は芳しくない(???)と述べ、武家政権のその後にややもすれば暗澹さすら漂わせる著者の筆致。

前述の著者の懸念を自ら払拭せんと綴る内容は頼朝の生誕から没後の源氏将軍滅亡までの時間軸で描かれますが、本書では二つの視点を重視しているようです。著者のこれまでの書籍のスタンス同様、人物史であってもどちらかといえば通史的、更には当時の院や権門を核にした京側の視点で描かれますが、前著である「源頼義」(人物叢書 吉川弘文館)同様に、東国武士たちの動き、特に京の権門と在地の武士たちの結び付きを補強する為に野口実先生の研究成果を大幅に取り入れて描いていきます。その結果、彼ら東国武士が権門と鋭く対峙する関係であったり一方的な権門に従属する関係にあった訳ではなく、在地領主と権門やその家人との相互依存関係の中で推移していた事を示していきます。

更に、東国における河内源氏の地盤自体が、摂関家、更には武蔵守護であった信頼との関係の上で構築された物であり、前九年、後三年の役から繋がる累代の家人というのは、その後の奥州合戦の際に演出されたイメージを各家が引き継いだものである点を、石井進氏や川合康氏の見解を逆用して指摘します。

では父祖の地である河内から遠く離れた流刑の身で累代の家人など殆ど存在しえなかった頼朝が何故武門を掌握し、戦いを勝ち残れたのか。平家との軋轢を生じた東国武士たちの受け皿と言う一般的に述べられる視点から、著者は更に一歩踏み込んだ姿を示します。

京側の視点を軸に置かれる研究者としては珍しい、東国(この場合、常陸や陸奥、北陸道、箱根以西は含めない、主に南関東)に独自の施政権を確立した上で、受領や目代が任命されず、空白地帯となったかの地に於いて、新恩としての地頭の任免を自らが主宰したことによって、京の権門の意向を取次、代弁するのではなく、独自に武家を統制する術を手に入れた点に着目します。

即ち、寿永三年十月の宣旨こそが、受領への補任を経ない異例の「地域政権」として公認されたとして、武家政権へ至る起点で有る事を敢えて指摘します。著者が以前に提示した平清盛に対する高い評価に訂正を加える、遥か遠方に位置する東国の、更に僅かな南関東に過ぎないが、実力で権力の分立を果たした頼朝による東国武士たちの掌握過程を再評価します。

累代の家人と狩り武者と言う二段階徴用を採る平家に対して、内部分裂を抱えある意味恩賞で釣る形でしか纏まる術を持たない頼朝と東国武士たち。それ故に、少ない一族閨閥をある時点まで極めて大事に扱う一方、御家人たちに新恩を与え続けなければならない、全盛期の秀吉にもみられた一門という姿の生成と、戦い続ける相手を探し続けなければ解体の危機に瀕してしまう、武門の危うさも滲ませていきます。

戦い続ける理由(ここで王権を支える唯一の武力という言葉が出てきますが)を求めて列島を西へ、北へと転戦を続ける頼朝と武士たち。前述のように頼朝と弟達はこの時点では決裂する関係にもなく、頼朝の指揮の下でそれぞれの当初の目的(情報伝達の遅れによる齟齬はあるにせよ)に従って軍を進めていた事になり、特に屋島の戦いについて義経が突出した軍功を目指して抜け駆けしたわけではないと指摘します(ここで、ある見解について著者はかなり強い否定を述べています)。

結果としてより大きな軍功を得ることになった義経が御家人から嫉妬の対象となった点は否定できないようですが、彼が貶められたのは従来述べられる無断任官(この事自体、誤認であり頼朝も同意の上であったとし、黙認できなかったのは在京が求められる院御厩司に後白河が任じた事であると)とは異なり、範頼同様に実の息子である頼家への脅威だったと見做していきます。この流れの中で、北条時政の京都への代官としての派遣を織り込む事で、頼朝が頼りにする相手が兄弟から、諸大夫ではなかったが伊豆に在住していた頃から京都との繋がりを有していた、自らの息子への継承という点で利害が一致する北条一門へと遷っていったことを印象付けていきます。

制止を振り切っての奥州合戦の後に後白河と漸くの対面を果たすことになった頼朝。ここでも著者は玉葉の著者でもある時の摂政、九条兼実と頼朝が盟友関係にあったとされる指摘に対して、その玉葉の読みこなし自体から指摘しつつ、否定的な見解を述べていきます。著者の指摘、それは平清盛同様に、頼朝も入内工作を進める事を前提に入京を果たしたと考えており、その中で競争関係を生じる兼実とは本質的に相容れない関係に入っていた事を指摘します。

著者が繰り返し読者の見識に懸念を抱く(???)頼朝の入内工作の狙い、それは御家人たちを掌握する唯一の手段である新恩が「王権を支える唯一の武力」となってしまった事で新たに与える余地が無くなった矛盾の相克。後の世まで武門を統制する二つの利権となる領地と官位の両輪を自らの統制下に置くための算段を打つ活動を、死去する直前まで進めていたと想定します。

その上で、前述の義経同様、京に在住することを求められる右大将ではなく、同じ位階であっても従軍中に帯びる官職である「大将軍」号の請求に至ったと逆説的に指摘します(実朝の時には既にこの制約が無くなっており、25歳で摂関家に準じて右大臣に昇ったのは至極当然だとも)。

結果として大姫、三幡と自らの死去によりこの目的は果たされる事が無かった訳ですが、関西系の研究者の方が書かれる著作に度々見受けられる「もしあの時」という想いが強く滲み出る筆致(本書の場合は敢えてと述べて書いてしまいますが)を繰り返し残して、その後の政子と京の関係までを描いて筆を置く本書。

鎌倉に武家政権が建ち上がったのは必然なのか偶然なのか(むしろ最近の風潮はこちら?)という議論に此処では立ち入らない事にしますが、これまでの著者の筆致を崩してまでも、読者に対しての不可思議なまでの懸念と、ある強い想いを要所で述べていく本書。

直近の著作である「源頼義」と互いにエールを送るように元木先生の成果を援用して綴る野口実先生の「源義家」(「河内源氏」は書庫の何処かに埋もれてしまい見つける事が出来ず…)の河内源氏人物シリーズと、同じ中公新書から直近で刊行された、もう一つの源氏たちの姿を平家物物語の読みこなしから文学的な視点も織り込んで綴る「源頼政と木曽義仲」も併せて。

「一般の」読者にとって、専門家の方々による様々な研究成果の一端とその見解を手軽に書籍として読ませて頂ける環境が未だに続いている事は、出版不況が長く叫ばれる中でむしろ喜ばしい事(よもや承久の乱が新書で2冊同時に出てくる時が来るとは…)。

様々な視点から歴史の推移を見つめる楽しさを与えてくれる著作たちに感謝を。

 

今月の読本「島の地理学」(スティーヴン・A・ロイル 中俣均:訳 法政大学出版局)大陸と辺境の格差と制約を人文地理学で積み上げる島嶼学へ

今月の読本「島の地理学」(スティーヴン・A・ロイル 中俣均:訳 法政大学出版局)大陸と辺境の格差と制約を人文地理学で積み上げる島嶼学へ

大きな本屋さんにぶらりと立ち寄った時、頭の中に常に入れてある数十冊程の読んでみたいと思っていた本を偶然書棚で見かけてしまうと、果たして買ってよいものか少しばかり緊張が走ります。大抵普段は手に取る事が出来ないハードカバーの本、お値段よりも読書時間のやりくりをこの一冊の為に割けるのかと悩み込む事、暫しとなります。

今回もそんな葛藤の中で手に取った一冊。予想通り読みこなすには相応の時間を要する結果となりましたが、テーマである人文地理学と言う世界にほんの少し触れられたように感じた本になりました。

今回ご紹介するのは「島の地理学」(スティーヴン・A・ロイル 中俣均:訳 法政大学出版局)です。

大学の出版事業で刊行するこの本、現在では島嶼学という区分を用いられる人文地理学の一分野を開拓されたイギリスの地理学者の方が書かれた概説書にして、決定版と評される一冊。内容的にもお値段的にも決して一般向けとは言えない本ですが、その分、表題のテーマについて濃厚に述べられていきます。

著者自身が住まわれている場所自体が「島」であるイギリス。世界の海を制覇した大英帝国の残滓が残り、未だ海外領土(植民地とは言わない)としての島々を多数有していますが、著者自身もそれらの離島を含めて世界中の島嶼、孤島を巡られた(あとがきによると2016年時点で864島)先に綴られた本書。

表紙の写真からトロピカルな南洋の島々のお話が中心かと思われますが、前述のように著者は世界中の離島を廻った方、更には解説文にあるように、数々の離島を擁する北アイルランドで教鞭を執るようになってからこれらのテーマに打ち込むようになった経緯からも判りますように、如何にもと言った南洋の島々の姿だけを描く事を良しとしていません。

人文地理学という言葉の通り、本書では歴史的な推移を踏まえた膨大な知識と経験の蓄積の上に描かれる離島の姿をテーマごとに重層的に積み重ねることで、現在では「島嶼学」と呼称されるようになった、その特異な地勢の輪郭像を定義して描き上げていきます。

結論だけ述べてしまえば、読まれる方が凡そ把握されているように、モノカルチャーである一方、少数の人員で生活に必要なあらゆる要務を担う必要から、行政や事業体を含めて複数の職種に就く事が当たり前となる経済的な自立性と多様性の低さ。輸送面の不利を含めてあらゆる面で高コストな社会基盤構造。競争的な側面が生まれにくい事からその地に生きる人々は常に著者の言う「大陸」からの波濤に対して余りにも脆弱で、一度その波に呑まれてしまい、経済活動の影響下に置かれると、途端に政治的にも脆弱な立場に立たされることを地域性、経済性、そして地政学的な観点から繰り返し指摘します。

世界的な経済活動の中では存在自体が埋没してしまうこれらの離島。特に著者が居住するイギリスの場合、周辺には特異な自治制度を持つ島々や、中米、南洋、更には大西洋の果てまでに海外領土を有しているため、これらの島々の事例を積み重ねてくことで、それぞれの島が自立した経済活動を維持する事が極めて困難であることを示していきます。

もちろん、その中にあるオフショア金融で繁栄する島や低廉な人件費を武器に進出するテレワークといった現代の情報通信の発展がもたらした新たな産業へのアプローチ、比較的恵まれた条件下で教育を始めとする社会基盤からの再構築を目指す、プリンスエドワード島(赤毛のアンですね)の例も示されますが、成立や収益の基盤を「大陸」の経済活動とその競争の中に委ねている点では変わらないと指摘します。

一方で、この書籍にご興味を持たれる方であれば、必ず着目されるであろうクルーズを含めた観光やエコツーリズムに対しても、島の乏しいインフラ基盤(水源、電力、乏しい可住面積自体)を枯渇させ、彼らが望む物品はまた島外から持ち込まれる事を指摘した上で、興業化された「伝統」からの収益を目指さなければならなくなる、経済性に埋没していく事に対して、平穏な暮らしを求める島民たちとの軋轢へのバランスのとり方の難しさも、実際のツアーの姿を示しながら指摘されます。

また、本書はあくまでも「島嶼」をテーマとして多面的な側面をからその姿を描く事を目的としているため、離島自体が抱える経済的、物質的な課題を解決する方策が述べられる訳ではありません。しかしながら、その分析手法を実践として示すために終章に於いて著者が用意した「島嶼学」の検討テーマが、大西洋の絶海の孤島たちである英国海外領土の三つの島。

余りにも有名(この表現、特定の方にと但し書きが必要でしょうか)な、トリスタンダクーニャは成立の過程から居住者の特異な病歴と言った島嶼の孤立性の典型例として本文中で語られますが、検討のメインに据えられるのは、以前はその主島としての役割も果たしていた、セントヘレナ。

昨年2月に最後の郵便船と称されたRMS St Helenaが遂に退役、直後に待望著しかった空港が開設されましたが、本書はそれ以前のケープタウンからの船便か空軍による空路があるアセンション島経由でしか辿り着けない絶海の孤島の姿から、島の自律性と本国との関係を分析する事例として検討を加えていきます。

本国からも遠く離れ、特産となる物産も途絶え(以前は亜麻のモノカルチャーと言う点も離島的だと)経済的な自立も立ち行かない島に対して、著者が指摘する重要な「資産」、それはナポレオン終焉の地であるという歴史的な事実、そして当時の姿を依然として色濃く残すタイムスリップしたかのような街並み。

離島にとって最も大切なもの、それは大陸との経済競争の中を生き抜く先鋭化したプランテーションのような単品種産業でも、隔絶性がもたらす孤独と悲惨さでもない。もちろん国際法の抜け穴を利用したり、大国の意向を呈する事で資金援助を掻き集め続けるという依存でもない。その地に根付いた歴史的な背景の蓄積を如何に大切にアピールしていくかと言う点であると述べていきます。

離島と言う極限の辺境がもたらす姿を人文地理学と言う視点で描き出す本書。実は本文中に繰り返し指摘されるある点に於いて、離島に限らず極めて普遍的な事が述べられている事が判ります。それは、大陸と離島の関係を述べる際に語られる「中央と辺縁」という視点。

経済的にも文化的にも大陸と言う中央から離島と言う辺縁へ傾斜的に波及するものであり、それはたとえ島嶼群であっても主島と属島の間では深刻な格差が生じる点からも厳然たる事実であると指摘されます。その中で、第二次大戦で敗北する以前の日本は唯一例外的に自分たちの範疇で自律的に取り仕切る事が出来たと指摘する、同じ島国であっても大陸との切り離せない関係の中で歴史を刻んできた地に住む著者。

その指摘は地方に在住する私にとっても直視せざるを得ない内容を含んでいます。離島と言う極限の例を用いて、自立した地方などと言う存在は無いことを冷徹に指摘する著者(かのトリスタンダクーニャにしても、経済的自立の根底には日本を含むロブスターの輸出がある点は否定できません)。その上で、地方にとって本当に必要なものは何か(著者は人口と教育であるという、現在の日本が抱える問題と同じ点を明快に指摘します)を考えるきっかけを与えてくれる一冊です。