梅雨の晴れ間に、霧ヶ峰のレンゲツツジ(2018.6.12~17)

梅雨の晴れ間に、霧ヶ峰のレンゲツツジ(2018.6.12~17)

本格的な梅雨空となってきた6月中旬。

ぐっと冷え込む日があるかと思うと、早くも台風が接近したりと目まぐるしく天気が移り変わっていきます。

雨上がりの麦畑。

前日までの激しい風雨で倒れてしまった場所もありますが、梅雨空の下、漸くの色付きを迎えたようです(2018.6.12)。

風の強い朝。

雨上がりの空に雲が勢いよく流れていきます。

ピカピカに磨かれた青空の下で輝く圃場の上を足早に往く、長く尾を曳く雲たち。

梅雨の晴れ間、気持ちの良い朝の日射しです

強い風が吹いて雲が押し流された後に、再び厚い雲に覆われてきた夕暮れ時。鮮やかに色付いた夕焼けの残滓が、雲と圃場を染めていきます(2018.6.13)。

今年の梅雨は長い雨が続かず、晴れ間も広がる日があるのですが、一度降り出すと極端に冷たい雨となる、気温変化の激しさに驚かされます。一面の霧に包まれた夕暮れ時の野辺山駅前。午後5時過ぎのこの時間で10℃と、まるで4月の終わりのような冷え込みです(2018.6.16)。

天候の回復した日曜日。

まだ涼しい風が残る午後に、霧ヶ峰まで上がってみます。

例年よりかなり早く咲き始めたレンゲツツジですが、気温の上昇が鈍いためでしょうか、ゆっくりと時間を掛けて満開を迎えたようです。

車山肩のレンゲツツジ。

まだ花を開いていない木もありますが、ほぼ満開となっています。

ビーナスライン沿いの山裾を染めるレンゲツツジ、色付きは今一歩ですが、例年並みに花を咲かせているようです。

夕暮れ前のビーナスライン、伊那丸富士見台。

西日を受けて輝く、周囲に広がるレンゲツツジを。

西の空は、早くも次の雲たちでびっしりと覆われてきました。

梅雨の晴れ間の僅かな間に花を開かせるレンゲツツジたち、今年はもう暫く楽しむ事が出来そうです。

 

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長野県立歴史館の企画展「君は河童を見たか! -水辺の出会い-」とオープニング講演会「妖物の誕生」(2018.6.16)

長野県立歴史館の企画展「君は河童を見たか! -水辺の出会い-」とオープニング講演会「妖物の誕生」(2018.6.16)

2016年に信州大学副学長から転じた、中世史に関する多くの著作を有する笹本正治氏が館長を務める長野県立歴史館

就任以降、県内各地の博物館、美術館を巡っての講演を始め、今年からは信州学をテーマにして、歴史館の職員を執筆陣にした書籍シリーズの刊行を始めるなど、積極的な活動を繰り広げられていますが、この夏、それらの活動の決定版とも言うべき企画展を仕掛ける事になったようです。

長野電鉄屋代線廃線の時以来で訪れた屋代。

実は初めての訪問となる、森将軍塚古墳の麓に位置する、長野県立歴史館です。

本館内の展示内容は建物のサイズ通りで(右側は体育館のような大屋根で柱のないプレーンな展示エリア)スケールは大きいのですが、その内容は各時代ごとに設けられた撮影セットのような摸擬建築物の展示に、添えられるケース内の展示物もその殆どが模造や複製品(但し、富士見町の札沢遺跡から出土した動物装飾付釣手土器は長野県宝としてこちらに実物が展示されています…)と、実際の出土物、史料だけが有する無言の説得力を前面に掲げた博物館や考古館が増えてきた中ではちょっと寂しい内容。故にこの場所が「歴史館」である理由を暗示させる展示内容でもあるのですが、今回の企画展は果たして如何でしょうか。

通常展示とは別扱いとなる今回の企画展「君は河童を見たか! -水辺の出会い-」。残念ながら著作権の関係で、全ての展示物の撮影が禁止となっていました(歴史館の常設展示は撮影OKです)。

何でかなぁと思って、配布されていた展示物一覧の所蔵先を見れば一目瞭然。当館の収蔵品は半数にも満たず、更にその殆どが「河童」との直接的な関係が薄い、奈良時代までの出土物にほぼ限られる事が判ります。

館長自らが講演会の冒頭で指摘するように、この企画展、妖怪や文芸としての河童だけをテーマにするのではなく、人と水辺の関わり合いをテーマとして歴史的な背景を学んでもらおうという企画意図に立ったもの。その中で、最も身近な存在である「河童」にテーマを仮託した(その結果、多様な展示物を各所から掻き集める結果に、芥川龍之介の作品などは山梨県立文学館の所蔵なので…嗚呼)と捉えられるかと思います。縄文土器の蛙状の文様から、本展のメインキャラクターを担う、松代の銅鑵子、そして文学の中に生きる芥川龍之介の河童とそのインスピレーションを与えた上高地。水辺に生きる人々の触れ合い方、畏敬から絵画としての親しみへと変化する中で、その想いを重ねる存在としての河童を見出していきます。

水を治める為の祈りを捧げる物から、妖怪としての河童の登場、そして南信に伝わる、河童からの恩返しとして製法を伝えられたとされる痛風薬としての加減湯。水を恐れ、御し、使いこなした先に親しみながらも、なおも畏敬の念を持ち続け、時に自らをその姿に仮託する様をじっくりと見せてくれる展示内容です。

そして、企画展のオープニングとして催された、笹本館長の信州大学での一年先輩という、関西学院大学の西山克教授による講演(開演前の紹介で、今回の企画担当の方の出身大学と西山先生の所属大学で妙なスクラム話が盛り上がるという小ネタ付き。笹本館長、ネタ振り過ぎです)。実は前述の展示内容同様に、今回のテーマを妖怪としての河童だと捉えて掛かるとちょっと拍子外れな講演内容になってしまったかもしれません。

定員220席に対して、7割以上の入りとなった講演会。年齢層がかなり高めな中で明らかにそちら系にご興味を持たれてお越しになられた方も散見されましたが、1時間半に渡る講演内容の過半は、河童とは少し離れた「百鬼夜行図」の読み解きから「妖物」が生み出された背景を探っていくというテーマ。最近、中世史の研究で非常に活発な絵図からの解釈を織り込んだ研究の一端を紹介される内容には期待外れだった方もいらっしゃったかもしれません。もっとも、民俗学ベースの妖怪、怪異系のお話があまり得意でない私にとっては、大陸由来の白話から説き起こしていく今回の内容には大満足。むしろ、絵解きの神髄でもある、其処に付された比喩から制作者を読み解いていく西山先生の解説は目から鱗で、そこで真珠庵から一休宗純に繋ぎこむのか!と思わず膝を打ってしまいました(判っている方はほくそえんでいらっしゃったようですが、前フリがまた憎いです)。

その上で、如何にも民衆の伝承の中から生まれたように見える河童の「名付け」自体も、大陸からの白話に由来する物語に当てはめられて、逆にその名を付けられた(カワタロウからカワ・ワッパ)。子供の姿で描かれるようになったのも、童(本来は髷を結ばない状態)の字面から逆にイメージされたものだとの認識を示していきます。

民俗学的な素朴なイメージで捉えようとすると完全に足元を掬われる、知識人層の機知を含ませたイメージの延長にあったとする妖怪(妖物)自体が、当時の激しい飢饉に対する施餓鬼としてのイメージに、痛烈な諷刺を重ねた先に生み出された物であることを暗示させる講演内容。

歴史館と言う多面的な歴史の捉え方を念頭に置く施設が送り出すテーマに相応しい、ここから広がっていくテーマの起点として「河童」を採り上げた企画の面白さ。そして、文献史学と美術史(図像学)の交点を絶妙に織り交ぜた、実に興味深いお話を聞かせて頂いた西山先生の講演に大満足だった一日。

長野県立歴史館の企画展では毎回、このような形で豪華な図録が制作されます(今回はずっしりと重たいグラビア用紙を用いたA4版オールカラーで100ページ。撮禁でしたが、図録で大満足。ここでも笹本館長、売り込みに躍起でした)。

左右の二冊はどうしても欲しかった、国立博物館と上野動物園を生み出した、飯田出身で博物学者の祖、田中芳男の企画展の図録と、観光地図というジャンルを成立させた、鳥瞰図絵師、吉田初三郎をサブテーマに扱ったパノラマ図と観光地絵図の企画展の図録。どちらも二度と出てこないと思われる貴重な図録なのです)。

じっくり企画展を眺めて、タップリお話も聴けて、只今、お家に帰ってゆっくり図録で楽しんでおります。

今月の読本「登録有形文化財」(佐滝剛弘 勁草書房)登録する事から始まる、地域と歴史を結ぶ文化財へ

今月の読本「登録有形文化財」(佐滝剛弘 勁草書房)登録する事から始まる、地域と歴史を結ぶ文化財へ

古民家ブームなどもあり、地域に残る古い建物などへの興味が高まる傾向にある昨今。そんな中で、立ち入りを規制して旧来の姿を維持し、本来の姿への復元を模索する物件がある一方、今も盛業中の施設であったり、大胆な改装で観光施設として、更にはカフェや物品販売のお店などへと転身を遂げる物件もあるようです。

同じ文化財なのに、何でこんなに扱いが違うのだろうかと首を捻った事がある方にお勧めしたい、単なる物件のガイドに留まらず、その多彩な姿を制度面や実際の利用面の双方からも教えてくれる一冊の紹介です。

登録有形文化財」(佐滝剛弘 勁草書房)のご紹介です。

著者は現在、京都光華女子大学の教授を務められていますが、本来は学術研究者や建築史を専攻された方ではありません。所謂、好事家と呼ばれる方の探究心が先鋭化した先にそのテーマを見出された方。本書のベースとなる、国内にある11000件以上(2017年現在)の登録有形文化財のうち、10000件近くを踏破されたという、正にマニア道を極めた先に綴られた一冊です。幼少時代、明治村に移築されてきた建築物に触れあったことが切っ掛けであったと述べる著者が踏破した中で好奇心を持った、登録有形文化財の面白ガイドにも見えてしまいますが、現在の著者の立場は「プロの」コンサルタントにして研究者。その矜持が本書の位置付けをより本質を捉える事に着目する筆致を採らせる事に繋がっています。

冒頭で述べられる、ある登録有形文化財の登録記念式典に同席した時の記録。僅かな記述なのですが、その中に著者が願う「登録有形文化財」という制度の姿を完璧に織り込んでいます。

国宝や重要文化財、地方自治体の側から行われる文化財の「指定」と、所有者や登録を働きかけた人々、団体からの申請に対して審査を行う「登録」という、制度の根幹から異なる点を指摘する事から始まる本書。そのため、登録される文化財は、あくまでも能動的に所有者や後押しをする人々の協力なくしては登録され得ない事を明示します。逆に捉えると、補助金制度と同じで、行政システムを熟知している自治体や団体にとっては極めて有利な制度(税制的な優遇措置もあります)であるために、その登録される物件や地域には著しい遍在性が認められることを著者は指摘します(おわりにでは敢えて苦言を呈していらっしゃいます)。

そのような中で、様々な立場の人々の協力を受けながら登録に至った物件たち。この制度の大きな特徴でもある、現住者への規制が指定文化財に対して緩やかであり、著しい外観の変更を伴わなければ内部構造の改変を認める(費用面の負担は別、逆に外観の改修にはインバウンドへの効果を狙った補助が出るようになったと)という、柔軟な制度運用。旧来の文化財としての固定的な維持、管理を目的とした制度から、保存を前提としながらも、活用される事で維持に繋げる制度である点を明確に示していきます。

そして、登録に至るために必要となるハードル。制作されてから50年以上が経過しているという前提条件は等しく同じなのですが、それに付随する部分は登録された文化財ごとに大きく異なります。全てで11000件以上もある登録有形文化財、本書にはその中から著者が選び抜いた文化財がテーマごとに掲載されていますが、何れの物件にももう一つの共通する部分があるようです。日本遺産と言う、これまたインバウンドを狙った登録制度がありますが、こちらの選定過程でも審査を行う文化庁サイドから述べられる「ストーリー性」。建築された経緯や、設計者、時代背景はもとより、現在の物件を維持されている方々がそれぞれに背負っている物語、歴史的経緯への配慮を前提に置くべきである事を伝えようとしていきます。

第二部で13のセクションに分けて綴られるテーマ毎の登録有形文化財の紹介。明治維新以降の海外からやって来た建築家とその系譜を建築物から辿るという建築史的な記述も当然述べられますが、著者の主軸は別の点に置かれているようです。建築史的な枠組みを超えて、利用者や目的別であったり、当時の産業に密着している物件(著者には富岡製糸場を始め、製糸産業に関する多数の著作があります)について、その背景となる物語が寄り添っている事を明確に示す事。その結果、特異な構造物である凱旋門やラジオ搭から戦中の掩体壕、明治維新以降に整備された神社と廃仏毀釈と大火を乗り越えようと開港地に移った大本山に新宗教の教殿、大観光地となった日光を紹介した外国人たちが造った別邸からその地を守る砂防堰堤群まで。著名人や個人の住宅を語る際と同じ視線で、それらの物件の背景にある物語へ等しく眼差しを向けていく事になります。

その中でも力を入れて紹介されているのが、明治以降の産業遺産に繋がる施設達。発電や鉄道と言ったインフラはもちろん、造り酒屋や醤油と言った伝統的な醸造業、特に著者の専門分野である製糸は、特異な建築様式で知られる養蚕農家の母屋から工業化された姿である製糸工場の建築群、更には当時の貿易の花形であったことを示す、海外からの顧客をもてなすために建てられた迎賓館まで。それらが一群として残っている事の意義を語りながら紹介を続けます。造られてからの年数が50年以上で、しかも文化財として「指定」されていない、今も変化を続ける物件にのみ与えられる登録有形文化財と言うシステムを象徴する産業遺産たち。それらは著者のテーマである地域の為に活用される文化財へとの想いに繋がっていきます。

ややもするとインバウンドにばかり目が行きがちですが、著者はそのような流れの遥か以前から地域と文化財というテーマを抱きながら全国の施設、物件を探訪し続けた方(全国の郵便局を廻った記録を綴った作品が出世作でしょうか)。日本が近代化と産業化の中で大きく変わり続けた中で残された、生活に密着していたそれらの文化財が、地域を結びつけるストーリーを宿したアイデンティティとして、新しい絆を結ぶ結節点として活用されて欲しいと願い、積極的な活動を続ける中で綴られた本書は、著者の身近な文化財とそれぞれの地域への想いが詰まった一冊。

万を超える膨大な物件は今も変わり続け、中には惜しくも解体、指定解除となってしまう例も散見されるようですが、地域のランドマークとして、その想いを伝える場所として、末永く活用される事を願って。

梅雨の走り(2018.6.5~9)

梅雨の走り(2018.6.5~9)

6月に入ると、いよいよ梅雨入り。

カメラを抱えてフィールドに立つ事は減ってしまいますが、日常のワンシーンで収めた写真から。

梅雨入り目前となった圃場。

雲が織りなす景色を楽しみながらも、空模様が気になりだす頃(2018.6.5)。

雨模様となって梅雨入りが宣言された翌朝、厚く雲を被った甲斐駒の山頂が僅かに顔を覗かせ始めました。雪渓が僅かに残る山頂付近。

雲が取れはじめた南アルプス。暑い雲海の上空から青空が広がり始めました。

山脈をダイナミックに動く雲間から顔を覗かせる甲斐駒。梅雨の走りのワンシーン(2018.6.7)。

一旦は天気が回復して暑くなった土曜日の夕暮れ。

雲は晴れましたが、夕暮れに掛けて強い風が吹く中、まるで浜辺のような波飛沫を上げる諏訪湖の湖畔。そろそろ台風の足音が聞こえて来たようです。

 

今月の読本「奇妙な孤島の物語(原題:ATLAS OF REMOTE ISLANDS)」(ユーディット・シャランスキー:著 鈴木仁子:訳 河出書房新社)地図の片隅で波間に揺れる、人が刻んだ白昼夢の欠片

今月の読本「奇妙な孤島の物語(原題:ATLAS OF REMOTE ISLANDS)」(ユーディット・シャランスキー:著 鈴木仁子:訳 河出書房新社)地図の片隅で波間に揺れる、人が刻んだ白昼夢の欠片

余りにも不思議な本。

本書と同じフォーマットを持つ、同じ版元の新刊「呪われた土地の物語」と多分一緒に本屋さんに入ってきた、2016年刊行のこの一冊。綺麗な水色の装丁に誘われてページを開き始めると…、読者は見知らぬ物語へといきなり旅立たされることになります。

今回ご紹介するのは「奇妙な孤島の物語(原題:ATLAS OF REMOTE ISLANDS)」(ユーディット・シャランスキー:著 鈴木仁子:訳 河出書房新社)です。

まず、2009年にドイツで原書が刊行された本書を、フランスの書籍見本市で発掘して日本語訳を与えて刊行するという、殆ど蛮勇ともいえる英断を下した版元さんと編集者さん(あとがきで訳者の方が紹介しています)に深い敬意を表します。このようなマイナーを超越した、それもとびっきりに不思議な内容の一冊。部数が出るとは到底思えませんが、本書の刊行1年前に送り出した「秘島図鑑」が余程好調だったのでしょうか、「何故か」出てしまったと評したくなる一冊です。

但し、本書は前述の書籍とは全くフォーマットが異なります。世界の秘境の果てとも言える絶海の孤島の概要をお手軽に紹介するガイドブックや孤島の写真集、wikiまがいのトリビア本だと思って本書を手に取ると、瞬時に振り落とされます。また、地理好き、地図好きの方にとっては、ページの左側に描かれた、ドットパータンで陰影が描かれ、人が刻み込んだ跡を蛍光オレンジの眩しい色で記す地図に興味を持たれるかもしれませんが、右のページに綴られる文章には一貫した記述もなく、その内容には首を傾げっぱなしになるかもしれません(嗚呼、これをにやけながら読んでいる私はどうしようもない人間かも…)。

地理の本でも歴史の本でもない、もちろん旅行ガイド(そもそも「冒険家」でも辿り着けるかどうかすら怪しい島も数多)な訳もありません。更に言えば、日本語の副題にあるように、著者はこれらの島に一カ所も訪れた事が無く、今後も多分訪れないであろうと表明されています。

旧東ドイツ生まれのブックデザイナーが手掛けたこの一冊。冒頭のはじめにと、巻末の訳者あとがきには、流石に内容を気にされたのか、どちらも細々とその経緯が書かれていますが、更には文学かもしれないなど言い出す始末。その内容に振り回されるといたずらに混乱を招くだけで、多くの方には依然としてその経緯も筆致も、意図すらも判然としないかもしれません。

地図に惚れ込んでしまったデザイナーでもある著者がその片隅に描かれた、巨大な地球儀の中にポツンと描かれた離島を見た時のインスピレーション。そのインスピレーションのままに、一つの島に一つのストーリーを捧げて描く本書。

発見し、訪れ、領土とした人々の複数の言語で示される島の名前や、山や川、岬の名前。各島から三方位で示される近隣の島/大陸までの距離と、人が辿った跡を示す月日を示す線表。

ドライでシンプルすぎる程の表記ですが、左のページに描かれる海を示す水色と点描による陰影、そして蛍光オレンジと言う僅か3色で示す、絶海の孤島を印象付ける絶望的な程の寒々しさがデザインからも確かに伝わってくるその構成に、ページを開く毎に戦慄が走ります。

そして、右のページに描かれる、各島に添ったストーリーには一貫性はありませんが、一つだけはっきりしている事があります。そこに「人が居たらしいという事」。もはや無人島になってしまった島も、元々無人島だった島も、多くの人がひしめき合う島も、独り取り残されてしまった島も。ユートピアと称される島も、人の手で住めない場所に仕向けてしまった島も。全ては「人がなし得た物語」が添えられていきます。

人なしでは地図は生まれず、人が辿り着いた証として地図が描かれ、地名が付され、道が切り開かれ、住み、そして去る。地図が描かれるという行為自体、人のみが為し得る事である本質を、地図の片隅にそっと添えられる離島に見出した著者は、その愛おしい程の場所にそっと付された物語へと視線を向けていきます。その著述の裏側にある膨大なバックグラウンドとしての物語の中で、著者の意図が敢えてそうしたのか、はたまた偶然か。ページをめくる度に、左のページの寒々しい孤島の地図に呼応するように、絶海の孤島への悲壮な旅路を思わせるように、寒々しい余韻を残す物語ばかりが綴られていきます。

著者のインスピレーションによって選び取られた絶海の孤島、最果ての地図に添えられた人々の物語。その物語は本当に起きた事なのか、単なる絵空事なのか。その姿を見たものは、その物語を伝えたのは、僅かにかの地に「辿り着いたはず」の人々だけ。著者が地図の片隅から掬い上げた、波間の向こうに見え隠れする島影のように、波濤に消える白昼夢のように、浮かんでは消えていく物語。

波間に揺れるその島影に何が見えましたか。

 

梅雨入り前の空(2018.6.1~3)

季節の移り変わりが足早な今年。

心も体もついていけないまま、早くも梅雨、6月を迎えてしまいました。

僅かに雪渓を残すだけとなった甲斐駒を遠望する朝の麦畑。

麦秋を迎えて、風に揺れる麦の穂も淡い黄色を帯び始めました。

穏やかな夕暮れ。

夕暮れを迎えると車や農作業を行う人も絶えて一時、静かになる圃場ですが、日射しがどっぷりと沈んでくると賑やかなカエル達のコーラスが響き始めます。

深い朱色に染まる空と水田。

梅雨を挟んだこのシーズン。夕暮れの空の色が最も色濃くなる時期です(2018.6.1)。

八ヶ岳山麓で最近増えてきた夏蕎麦の栽培。今年は例年以上に早く、もう蕎麦の花が咲き始めています。

八ヶ岳を望む圃場を埋める小さな白い花。

甲斐駒もあともう少しで夏の装いです。

小さく可愛らしい花弁に対して、赤い雄蕊が強く自己主張をする蕎麦の花。

周囲の山並みも初夏の緑。

山の木々はそろそろ雨が恋しくなる頃でしょうか。

標高1000mに近い圃場でも気温が25℃に達する夏日となった日曜日の午後。

早々と到来した暑さから逃げるように、更に標高の高い霧ヶ峰へ。

こちらも例年より半月ほど早く、レンゲツツジが花を咲かせ始めています。

午後の強清水。

高原の高い青い空の下、落葉松の緑と、花を咲かせるコナシのコラボレーション。

梅雨を前にした眩しい陽射しを和らげる木陰に入ると、涼しい風が吹いてきます。

高原の新緑と初夏の狭間で。

高い空に雲が尾を曳き始めると天気は下り坂。

そろそろ梅雨入りの足音が聞こえて来そうです。

 

今月の読本「後醍醐天皇」(兵頭裕己 岩波新書)国文学で読み解く、描かれた物語が生み出す源泉

今月の読本「後醍醐天皇」(兵頭裕己 岩波新書)国文学で読み解く、描かれた物語が生み出す源泉

最近盛り上がりに盛り上がっている室町時代を扱った書籍達。その絶大な効果を看過出来なかったとばかりに、立て続けの新刊リリースに某社さんと入れ替わるようなSNSでの宣伝に力を入れ始めた歴史専門出版社さんや、某国営放送まで一枚噛んで来るとなると、もはやブームと言える状況にまで至ってしまったようです。

そんな中で、老舗中の老舗と呼べる新書シリーズが送り出してきた一冊。こちらもブームの便乗かと思って読まれると、ちょっと足元をすくわれるかもしれません。

今回は「後醍醐天皇」(兵頭裕己 岩波新書)をご紹介します。

前述のようにブームが続く室町時代とその直前である鎌倉末から南北朝にかけての時代を扱った書籍たち。そんな中で乱発される一冊であればもう辟易という想いもあって、本屋さんで見かけたものの暫くの間は手に取る気にもならないというのが偽らざる思いでした。しかしながら著者を改めて見てふと思い出したのです。1996年度のサントリー学芸賞を受賞した「太平記<よみ>の可能性」(現在は講談社学術文庫に収蔵されています)の著者ではないかと。大胆な切り口で太平記という、語り、読み継がれた読物が歴史の中で営々と与え続けたインパクトを現代にまでテーマの羽を広げるその著述には恐ろしさすら感じたものですが、展開されるスケールの幅広さと内容は実に魅力的でした。

今回の一冊も、10余年を費やして手掛けた、同じ版元から先年刊行された、著者のメインテーマである「太平記」の校注完了を承けての著作。その間に太平記と向き合い、語り合い続けてきた中で改めて見つめ直した、描かれた物語と急速に深化する中世史の研究成果を重ね合わせる事で、近年「異形の王権」と称され脚光を浴びた後醍醐帝の姿を見つめ直していきます。

従って、本書に近年の文献、実証史学を中核に置いた史料批判に基づく著作にある、旧来の説を思想面を含めて論破していく筆致、理論で押していく圧倒感(読者が仮託する一種の爽快感)を求めると、大きな失望を感じられるかもしれません。特に、本書はあからさまに時代背景に歴史著述が変容する姿を是認する立場、むしろその変容を文学者として思想史的に捉え、援用の起点としての太平記の位置付けを読み取っていく立場を採って描いていきますので、相容れない内容と言えるかもしれません。

あとがきにあるように、敢えて自らを「日本文学」研究者だと任じて綴られる本書。そのため、本書では通史として後醍醐帝の伝記を描く体裁を一応は採っていますが、その実は著者が捉えたいと考えるテーマ、「太平記」に描かれた後醍醐帝とその描かれ方が、現代に至るまでどのような影響を与えてきたのかを軸に綴っていきます。

中軸となる建武の新政に至る道筋は、本質的には当時の京、御所の中で流行したとする、宋学(朱子学)をベースにした王権の復興を目指した点では衆目の一致する所かと思いますし、楠木正成(著者は「楠」一文字論を本書でも展開します)や、所謂無礼講への繋がりから、「異形の王権」論的な指向が底辺にはあった事を認めます。しかしながら、それは勤皇ではなく、花園天皇宸記を援用しつつ、朱子学を中心とした宋学の勃興と受容による、儒教による思想、絶対王政と中央集権による新政としての王権改革の一環であったと定義づけていきます。その結果は、家職制度が完成期に達した当時におけるヒエラルキーの破壊を生む事になり、ある種の破壊者として建武の新政と後醍醐帝が長く位置付けられる起因となった事を、当時の公家たちの記録から拾っていきます(この辺りの傍証とその視点を徒然草からも拾う皮肉の利かせ方は、著者ならではといえるでしょうか)。その一方で、厳しい天皇位継承の経緯から、如何なる状態でも自らを正当な王権の継承者として振る舞い続けた態度に万世一系が仮託されるという奇妙な捻じれを生んだ源泉が、伝統的な王権、文化の継承ではなく、実に外来の思想である宋学への希求に基づくという視点を見出していきます。更には、文寛と立川流の呪詛にのめり込んでいった象徴を有名な後醍醐天皇像に結び付けていく議論に対しては、南都の戒律復興以降に繋がる、旧来の宗派に囚われない活動の出来るの真言律の勧進聖として文寛の姿に着目します。その結果、後醍醐天皇像が聖徳太子へのオマージュとして描かせた物であるという見解に同意を示し、正に後醍醐帝が仏法すべてを具えた王権を目指していた事を改めて示していきます。著者はその延長として、数多の議論がなされていく太平記成立の事情とその著者の姿を、彼ら真言律僧に繋がる者達による原典の著述と、それに反目した三宝院賢俊や直義以降による改筆による、正史として変容していく過程から見極めようとしていきます。

宋学と律宗の復興といった新進の気風の上に建武の新政の思想的な支柱を見出していくという、鎌倉新仏教という表現に委ねられた時代の新規性とその伸展とも見える、少し前のイメージで綴られる著者の視点を提示した上で描かれる本書の後半。実は討幕以降の展開について、本書では後醍醐帝自身の治績や記録は殆ど語られなくなり、通史的な記述も縮小され、個別の細かいテーマに対する言及へと移っていきます。

前著に続いて著者が述べる太平記が与えた歴史的な影響。それは「太平記<よみ>」と述べた、数多にその内容が語り継がれ読み継がれて流布する中で史実を離れ、聞いた、手にした人々の恣意を加えながら思想や自らの存在意義を求める源泉へと転じていく姿を後の歴史の中に辿っていきます。

江戸期以降の思想に太平記が与えた影響が水戸学や国学を揺り動かし、宋学の根底にある朱子学、特に孟子の影響も多分に含まれる、婆娑羅や無礼講と言う君臣の交わり方が捻り込まれて、名分論、四民平等から、国民国家という当時の世界的な潮流に合わせる形で臣民へと継ぎ替えられていった点を指摘します。その上で、明治以降にこれらの風潮の中で発生したとする南朝正統史観にしても、新田氏を祖に持つと出自を潤色した徳川将軍家にとって、光圀の時代に於いても既に違和感のない認識であった(故に北朝以降は武家の為に存在したと断じた白石の議論も、儒者の視点では放伐と君臣を論じる点では齟齬を生じえない事に)と看破します。

この辺りの内容になって来ますと、もはや後醍醐帝の話とは全く異なってきますし、事実、本書は冒頭から末尾まで、表題には掲げつつも人物としての後醍醐帝を綴る事を意図的に避けている印象すらあります。

国文学者としての矜持に基づいて、史実を踏まえた上で太平記を読みこなした先に見える、後醍醐帝がその後の歴史の中でどのように捉えられてきたのかを現代の歴史研究への影響まで言及しつつ綴る本書。前述のように、後醍醐帝自体の治績や鎌倉末から南北朝期に掛けての通史としての流れを読みたい方にはあまりお勧めできませんが、今も数多の議論の中心に位置する「物語」が発し続ける影響の強さを感じてみたいと考えられる方には、未だ刺激的な著者の論考へのエッセンスを感じさせる一冊。

全巻刊行を成し遂げた著者の手による「太平記」校注を横に置きながら、平家物語と並び称さされる、軍記としての日本文学の頂点に位置付けられる物語へ込められた、読み解き続けられる想いを垣間見るのも楽しいかもしれません。