実りの彩(2017.9.8~16)

秋9月に入って天候も比較的安定してくる中、西から徐々に寄せてくる台風に戦々恐々する3連休。

観光関係の方には大打撃ですし、もう間もなく収穫を迎える農作物を前に、気が気でない状況を迎えています。そんな心配事一杯の週末ですが、圃場では遅れていた実りも天候の回復と併せて漸く本番を迎えています。

雨上がりの朝。甲斐駒を望む朝の圃場を埋める真っ白な蕎麦の花。

8月の終わりから始まった蕎麦の花のシーズンもピークを迎えています(9/8)。

蕎麦の花で埋め尽くされる八ヶ岳を望む圃場。

お天気の良い午前中には、八ヶ岳の周囲に点々としている開けた圃場で美しいコラボレーションが楽しめます(9/9)。

少し雲が多めながら晴れてきた空。お祭りの音に誘われて路地の中に迷い込むと、提灯が吊り下げられている路地に行き当たりました。伊那や南信の古い街並みに見かける、路地を跨ぐワイヤーの付いたこのような鉄の門構え。使っている様子を見るのは初めてです(塩尻、平出)。

秋の眩しい陽射しが雲間から零れる午後。そろそろカメラのスタンバイ。

陽射しを一杯に受けて、実をいっぱいに付ける垣根仕立ての葡萄畑。美しく整備された葡萄の木々が開けた台地の上に並びます。

振り返ると、棚仕立ての葡萄畑。眩しい日差しが差し込む木漏れ日の中に、笠を掛けられた葡萄が甘い香りを漂わせています。名物のナイアガラ収穫はもう暫く後との事で、後ろ髪引かれながら撤退です(9/10)。

台風の到来が伝えられた今週。既に標高の低い武川の辺りでは先週末から稲刈りが始まったと伝えられていましたが、2倍ほど標高が高い甲斐駒を望む圃場にもコンバインが乗り入れ、早生の刈り入れが始まったようです。慌ただしい秋の収穫シーズンが始まります(9/13)。

圃場の脇に降り立って稲穂の群れを眺める朝、甲斐駒の上空から雲が昇っていきます。稲穂たちは静かに熟す時を待ち続けます。

綺麗に晴れ上がった空の下、実りの彩に包まれる圃場。

遠望する八ヶ岳も少し色褪せて、秋の装いの準備に入ったようです(9/14)。

週末に向けて天候が崩れ始める朝。うっすらと雲を吹き上げる八ヶ岳も少ししっとりした表情を見せはじめます(9/15)。

昼過ぎから台風の余波で雨の降りだした週末。圃場を埋める稲穂たちも、雨を受けて重たく頭を垂れています。

標高1000mを越える圃場に広がる蕎麦畑。目の前に重く垂れこめた雲の下を稜線沿いに足早に雲が流れていきます。

日没を迎えて雨脚が強まってきた連休の夜。どうか無事に通過してくれますように。

 

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今月の読本「荷車と立ちん坊」(武田尚子 吉川弘文館)明治東京を運ぶ足跡を追ったオムニバスストーリー

今月の読本「荷車と立ちん坊」(武田尚子 吉川弘文館)明治東京を運ぶ足跡を追ったオムニバスストーリー

歴史の研究分野は古来から続く政治や人物、又は文化、芸術的な変遷を捉えたものから派生して、近年では色々な切り口を持ったテーマが語られるようになってきたようです。

特に近現代史に於いてそのような傾向が多く見られますが、最近では更に学際領域というのでしょうか、テーマの多様化、細分化が進んでいるようです。

今回の一冊も、そんな流れの中にあるように思われる、極めて珍しい題材で描く「荷車と立ちん坊」(武田尚子 吉川弘文館)をご紹介します。

著者は直近に「ミルクと日本人」(中公新書、著者へのインタビューはこちら)という、これも極めて珍しい、ニッチで狙いすましたようなテーマの本を出されていますが、本書も特徴的なアプローチと内容を具えています。

まだ荷車を人が曳いていた明治の頃、急な坂や荷物が大量に集散する場所にたむろするその日暮らしの人々「立ん坊」。そして、東京近郊の農村と都心とを行き来した農民の暮らし。日本の中心となった東京に集う二つの全く異なるバックグラウンドを持つ人々の存在に触発された著者は、その間を取り持つ「荷車」をテーマーに物語を結びつけようとします。

しかしながら、この二つには僅かな結節点しかないため、勢い「荷車」を軸に明治東京に行き交う荷物を扱い運ぶ姿の変遷を、江戸時代に遡って綴る事が主体になったようです。更には、前述の執筆経緯故でしょうか、本書を通貫した明確なストーリーが築かれることは無く、各章ごとに「荷車」に関するエピソードがオムニバスに語られ、その中に「立ん坊」の姿が織り込まれていきます。

江戸時代の伝馬から始まり内国通運(今の日通です)、鉄道、郵便輸送に繋がる物流の大きな変遷を描く、産業史の中に生きる小口輸送単位としての荷車とそれを事業として扱う人々の勃興と構成。大八車の発祥と命名の謎から車両自体の変遷と、その中に組み込まれた著者の前著にも通じるような牛乳車や洋菓子を売って歩く箱車の姿。日清戦争における輜重部隊と、破門されてまでも志願し出征した江戸の力士たち、輜重における人力から馬力への転換。そして後半で綴られる、民俗学的な視点による明治期における都市近郊農村の姿にみる輸送形態。

それぞれに興味深い内容が続いていますが、如何せん新書並みの僅か180ページ程という分量の中で、話題ごとに細分化され、更に本書の主題である「立ん坊」の話は各章に散りばめられてしまっているため、かなり散漫な印象を受ける事も事実です。

「荷車」をテーマに、研究内容の宝石箱をひっくり返したかのように繰り広げられる本文。その中で少し纏まった形で述べられる「立ん坊」達の生活と、住んでいた場所、荷を待っていた場所について綴る一節を軸に読みなおしていくと、本書のもう一つの姿が見えてきます。

荷物が集散する水辺、河岸、そして駅。今では僅かに痕跡を残すのみですが、今もこれらの場所には、日通を始め大手の運送会社の倉庫や事務所が軒を連ね、潮待茶屋にはトラックとターレが集う。既に産業史の教科書に残るのみですが、汐留、秋葉原、最後の痕跡である築地は、時代の最先端であった物流システムである水陸結節駅として、その荷を集散させる彼らが行き交った舞台そのものです。そして、彼らが夜露を避け、怠惰と無常を募らせた本所に連なる木賃宿と、往年の姿は全く痕跡を残しませんが、今もその名と地形だけははっきりと残る、彼らが荷を待ちうけた凹凸の激しい東京の坂たち。

彼らが汗水を流し歩んできたその足跡には、現在の東京を形作る輪郭と動線がはっきりと刻み込まれている事に気が付かれるはずです。

人と物が動く事で街が形作られていく過程を、荷車というテーマから垣間見せてくれる本書。著者の旺盛で広範な好奇心を鑑みると、ちょっと無理かもしれませんが、極東の大都市東京の成長していく姿を描く一つのテーマとして、その先の物語を読んでみたいと思わせる一冊です。

秋空、始まる(2017.9.1~3)

目まぐるしく空模様が変わり続けた盛夏、8月。

月が変わって9月に入ると、漸く落ち着いた天候になって来たようです。

9月最初の朝。すっきりと晴れ渡った空の向こうに、八ヶ岳の美しい稜線が引かれます。

目の前に広がる蕎麦畑。奥の方から満開になり始めました。

一段下がった場所に位置する圃場から俯瞰で望みます。

小さな白い花をいっぱいに付ける蕎麦畑が目の前に広がります。気持ちの良い、9月らしい天気の朝です(9.1)。

秋に入ったとはいえ、まだ9月も頭。遅く植えられたとうもろこし畑では、伸び盛りのとうもろこしが背の丈までに伸びています。空はもう秋の高い空です。

圃場を埋める蕎麦畑。

数年前から、大きな圃場の所々で白い蕎麦の花が見えるようになっていましたが、今年は更に作付が増えているようです。

隣り合う圃場に整列する稲穂たち。遠くに八ヶ岳の峰々を望みます。

この夏は天候には恵まれませんでしたが、それでも色付き、頭を垂れ始めた稲穂。このまま無事に収穫に至る事を願いながら。

午後の陽射しを一杯に浴びる蕎麦畑。視線の向こうに広がる圃場まで、蕎麦の花で埋め尽くされています(9.3)。

夕暮れを迎えた蕎麦畑。

台風の影響でしょうか、強い風が吹き続けています。

夕日を浴びる蕎麦の花、3段に分かれて咲くともいわれる蕎麦ですが、開花から2週間ほど花をつけ続けます。今日も何人もの方が圃場の周りで撮影をされていました。

まだ少し青さも残る圃場の稲穂。夕暮れの日射しを受けて輝きを増していきます。

夕暮れを迎えた圃場。空に浮かぶ雲が染まり始めます。

日没を迎える頃、夕日に照らされる八ヶ岳の遥か南側から月が昇っていきます。これから冬に向かって少しずつ北へと高度を上げていきます。

振り返ると塩嶺の向こうに広がる雲の下に夕日が沈み始めます。

緩やかに夕日が沈んでいくと、天空から夜の帳が降り始めます。

雲が広がると、ゆっくりとした日暮れの空の移り変わりが更にゆっくりとしたものになります。秋の訪れを感じさせる広々とした空の向こうに、色を残しながら、虫の声が響き渡る、涼しい夜を迎えます(9.2)。

 

今月の読本「一茶の相続争い」(高橋敏 岩波新書)百姓、弥太郎に宿る証拠と理論を以て貫く信州人の生き様

今月の読本「一茶の相続争い」(高橋敏 岩波新書)百姓、弥太郎に宿る証拠と理論を以て貫く信州人の生き様

皆さんは信州人と聞いてどんなイメージを持たれるでしょうか。

頑迷で議論好き、寒冷地なので辛抱強く学研的な気風を貴ぶけれど、時に議論倒れで終わってしまう。普段はおとなしいけれど、お祭り(御柱に御開帳と何年越しかで準備するイベント大好き)になると俄然盛り上がり、都会で集まれば、地域毎のわだかまりは抑えて信濃の国を大合唱…。

ちょっとステレオタイプかもしれませんが、江戸時代の信州を代表する俳人、小林一茶と彼が生きた世界を垣間見ると、そんな信州人の気風が色濃く見えてくるかもしれません。

今回は「一茶の相続争い」(高橋敏 岩波新書)をご紹介します。

まずはじめに、故郷を追われつつも逆境にめげず、民衆に寄り添いつつも漂白し、風雅を愛した俳人、小林一茶に心寄せられる方は、お読みになる前に一考を要するとお伝えします。このような書き方を敢えてするのは、一茶に対する「美談」ともいえるそれらの言説に対して、帯にあるように欺瞞であるとの著者の想いを文中で繰り返し述べられるために、正直、辟易されてしまうかと思われるためです。あとがきで述べられる、俳人、一茶としての人物像や詠まれた句の研究ばかりで、本当の素性であり、死ぬまで維持された人別帳にある、北国街道の要衝である、柏原宿の百姓、弥太郎の姿を捉えていないという近世史の研究者としての強い危惧が、そのような筆運びを生んだようです。けれども、あまり執拗に述べられると、毒気が強すぎて読後感にも微妙に影響を与えます。

一方で、一茶の一生に付きまとう家族との不和の理由にある背景にご興味のある方にとっては、著者の専門である近世の民衆、農村、行政史の観点から、信州人たる農民、弥太郎を通して、その本質である江戸時代の民衆の生き様から読み起こしていくという、非常に面白い一冊になる事も事実です。岩波新書を始め多数の著作を有する著者の小気味の良い筆致に乗せられて、まだ書き足りない部分があるとの断りがある中でも、要所をしっかりと押さえた筆致と、図版を用意し、必要であれば原文も添えていく。史料調査に基づく背景描写やその後の話の中にちょっとした意外性も見出していく掴みの巧さ、研究者の方が書かれる書籍の中でも、読ませる一冊である事は間違いありません。

遥か戦国末期の川中島、現在の長野市の北から越後の国境に通じる北国街道を振り出しに描き始める冒頭は、意外な事に石田三成と直江兼続のお話から切り出されます。会津転封に伴う完全な兵農分離と東国最大の太閤蔵入地の割り出しを狙う三成の戦略が、所謂土豪勢力が豪農へと転換する余地を大きく減じさせ、同時に施行されたその時代以前から騒乱の地として疲弊してきた当地への撫民政策が、歴代の入部した大名たちにも継承された事を見出していきます。天領となって中野代官所が預かる時代の年貢率の低さ(天領故ですが)に驚くと同時に、当初からその政策を浸透させるために、ち密な文書行政が敷かれていた事を示していきます。家康が政権を握った以降に展開された街道整備政策により、新たな宿場町として取り上げられた柏原。著者は近世史の研究者として、宿場として取り上げられることによる地子免除のメリットは僅かであるとする一方、伝馬役の重さに疲弊する宿場という一昔前の江戸時代の歴史描写にも否定を加えた上で、官道として脇道への通行を規制することで、物流を掌握する立場となった宿場の機能と、其処に労働力として集まる周辺農村の繁栄から、暗黒の江戸時代の地方農村というイメージから、賑やかな街道と文筆に長けた富農が集い、北国と江戸を結ぶことで文化の懸け橋になった、豊かな北信の街道と宿場町という姿を提示していきます。

宿場を切り盛りし、安定した繁栄を維持する役割を一身に担う事になるのが本陣役。本書の主人公である一茶と重なり合うもう一方の登場人物である歴代の本陣、中村家の当主と、一茶との機縁を結ぶ事となる、長男であるにも関わらず当主を継がず、その一生の殆どを宿場を守るた為の訴訟に打ち込んだ四朗兵衛の物語から、宿場町を舞台にした彼らの生き様が描かれていきます。現在では消防団にその姿を残す、祭りや勧請を取り仕切る若衆と、公儀に対しても宿場と村の統率を示す必要に迫られる大人との確執と共闘。まめまめしく残された、沽券に係わる宿場成立の由来や公儀との取り交わしの文面から伝わる、文書行政を支えた上層農民たちの教養の高さと、それを当てに江戸から下って来る文人達(一茶もその一群に連なろうと帰郷したことは間違いないようです)。そして、本書のメインテーマである一茶と腹違いの弟との十年以上に渡る相続争いの素地となる二つの訴訟の物語が語られます。

北国街道に位置し、善光寺平から野尻湖、そして信越国境へと登っていく入口として繁栄した柏原宿。その繁栄を支えたのが越後から持ち込まれる海産類、そして塩である点は、塩の道とまで呼ばれた当地の歴史をご存知の方であれば論を待たないと思います。海なしの国たる信州の生命線を扼する北国街道に蟠踞した宿場町と連なる農村の繁栄を目の当たりにすると、それを快く思わない人々は必ず現れる訳で、ねたみを含めて村同士の争いが頻発することになります。急死した住職の後継を巡る村同士の争いが拗れるとき(この物語とその後のお話だけでも一冊の本が書ける程面白いのですが)、そして繁栄する北国街道を快しとしない人々が結託して起こす抜け荷が宿場の存立を揺るがすほどの規模に膨らんだ時、文書行政に長けた彼らは、謀議を巡らし罠を張り、証拠を集めて、沽券と自らが歩んできた歴史を握りしめ、お互いが自らが有利となる確固たる信念を胸に、出るところに出て決着を付ける事を潔しとしていきます。実に十軒もあったと云われる中野陣屋界隈に存立した公事を扱う人々。その示談では飽き足らない彼らは京都の本山へ、更には決着を求めて江戸へと出府を繰り返すことになります。

明治以降には飯山線と現在は一部が廃止された長野電鉄の路線が通じ、その上には上信越道が貫く。野尻湖から千曲川の東岸を抜けて、柏原と入れ替わり現代に於いて信州の小京都と呼ばれるようになった小布施を通り、須坂から屋代に抜ける川東道に連なる村々との間で前後二回に渡る熾烈を極めた訴訟合戦。宿場の生命線ともいえる塩の継荷を独占する宿場の権利確認を求めた江戸の評定所における九年にも渡る訴訟の最中に、江戸を拠点に各地を放浪する零落した逃亡民にして、漸く俳人としての名を上げつつあった一茶こと弥太郎と、当主の座を弟に委ねての一回目の訴訟で全面敗訴という宿場存立の危機を抱えて、背水の陣で二度目の訴訟に挑む、本陣の四朗兵衛が巡り合っていた可能性を見出します。更には、本陣支援の為に上京していた、既に係争状態にあった一茶の腹違いの弟、弥兵衛とも江戸で会っていたであろうと論じ、彼らが同じ宿場の存亡を掛けた訴訟で、江戸で境遇を語りあう間柄にあった事を想定していきます。その上で、江戸市中で訴訟相手であった村の人々が一茶を訪れていた事が記録には残っており、一茶自身もこの訴訟に柏原宿側の立場で何らかの関わり合いを持っていた事を暗示させます。

足掛け九年にも渡る長い訴訟と、公事宿に支払った費用だけでも実に120両にも上る膨大な資力(相手の村々にしても50両近い出費を強いていた事が示されています)を投じて勝ち取った街道の独占的な商業通行権。その一年後に念願が叶って、当時としては異例の20石を下回る分割相続を認めさせ、完全なる等分相続を勝ち取った百姓、弥太郎(一茶)。その添え書きには、江戸での訴訟を指揮した本陣の四朗兵衛はじめ、本陣当主である六左衛門の存在と、訴訟の支援に出向けるほどの文筆力を有し、彼らの生き様である、証拠と理論を持って筋を通すことを自らにも課し、父親の遺言を振り回す弥太郎の理論に服した弟、弥兵衛の姿が見えてきます(和談が成った後、更に不平を述べる弥太郎から、かの遺言状を本陣家が取り上げたのも、彼らが貫こうとした信義に従えば、当然の結果といえますね)。

さすらい歩き、旅に死すことこそ俳人の本懐と見る著者の目に映る、人別を置いたままに浮浪した挙句、冷たく厳しい地だと詠いながらもその地に執着し、遂には異例ともいえる分割相続まで果たして小作を使う小地主として往還を果たした百姓、弥太郎に対する、苦々しさすら感じさせる想い。そのような筆致の中でも、彼の最晩年に訪れた度重なる不幸には流石に憐れみを見出したようです。そして同じような憐れみを持ったであろう腹違いの弟である弥兵衛。大火で焼け出された宿場の再興がなった直後に、既に北信に広がっていた彼の門人と弥兵衛が意図した追悼句碑の建立。その意義を認め、宿場の入口に句碑を建てることを許した本陣、中村家と、撰文を承けた中野代官の手代であった大塚揆の一茶評。

戦国の急雲からもたらされた文治主義を下敷きに培われた学研的な素養と、豊かな北国の生産力、流通が生んだ余力を以て風雅に生きる事を叶えた俳人、その存在を生み出した在地の姿。その中で、繋がり合いながらも、時として腕力ではなく理論を以て争う事を辞さないという、今に繋がる信州人の気風の萌芽が本書から見えて来るようです。

一茶をテーマとして置きながらも、江戸時代の文治主義と訴訟の姿から其処に生きた人々の生き様を生き生きと描いていく本書。彼らが貫いた生き様には、家父長制が形骸化し、地域との繋がりも軽薄化する中を生きる現代の我々にとって、何に依拠して生きていくのかという、大きな示唆が含まれているようにも思えます。

 

今月の読本「相模武士団」(関幸彦:編 吉川弘文館)寄せ来る者達に翻弄され続けた核心の地への記憶

今月の読本「相模武士団」(関幸彦:編 吉川弘文館)寄せ来る者達に翻弄され続けた核心の地への記憶

武士の都と呼ばれた鎌倉を擁する相模。一方でその土地は東山道が抜ける上州と共に、西に連なる箱根を関門に構えた東国の入口を扼する場所でもあります。

自らの発祥を苗字に掲げる事が多い東国の武士たち。しかしながら、東国と西国がせめぎ合う境界に位置するその地を苗字に掲げる一族が、その後の荒波を潜り抜けて最後の封建制たる江戸時代まで家名を繋げられた例は、ほんの僅か。歴史ファンの方でも思い出されるのは、戦国時代に北条早雲に滅ぼされた三浦氏くらいではないでしょうか。

そんなマイナーな感が否めない相模発祥の武士たちの変遷を一冊に纏めた本を、今回はご紹介します。

今月の読本「相模武士団」(関幸彦:編 吉川弘文館)のご紹介です。

本書は、同じ編者、版元さんにより刊行された「武蔵武士団」に続く続編として送り出された一冊。執筆するメンバーも一部ではオーバーラップしています(今回も、細川先生の一刀両断コーナーありです)が、前述の懸念を少しでも解消するためでしょうか、内容を補強する為に特論と称して、本来は相模武士とは呼べない前後の北条氏、そして、相模武士の象徴とも捉えられる三浦氏について、相模武士たちとの関係を含めて述べる論説を、本書の執筆陣とは若干離れた人選を擁しての別項を立てています。

手持ちの中で、今回の執筆陣の皆様が手掛けられた同じ版元さんの書籍をセットで。

前著「武蔵武士団」と比べるとマイナーな感が否めない登場人物達、更には本書でも多数引用される在野の歴史研究家、湯山学氏により膨大な私家版を含む著作物が刊行されており、本書でも言及されているように、その内容には十分な検討が必要とはいえ、採り上げるべき個別の武士団、氏族ほぼ全てがカバーされています。

では、本書はどのような立ち位置で相模武士団を捉えようとしているのでしょうか。編者の時代感の捉え方は今となってはやや古いスタンスとなる、開発領主から勃興するスタイルをニュアンスとして残しつつも、彼らが中央から下向してくる人々によって、翻弄されていく過程を描く事で、相模特有の事情、その武士団たちの特徴を見出そうとしていきます。

武蔵武士団にも通じる内容ではありますが、より権力の震源近くに在住することとなった相模の武士たち。その姿は、東国の関門故に、所謂源平合戦以前から中央の権門と密接な関係を築いていた事を示していきます。そして、頼朝の挙兵と共にまず最初に騒乱に巻き込まれる事になる相模。それ以前から源氏同士の勢力争いに巻き込まれていきますが、ここから相模武士たちの淘汰が本格的に始まる事になります。

西国に主軸を置く平家に付くか、京に生まれ先祖の勲功と記憶を振り回す頼朝に賭けるか。御家人として纏め上げられる段階になっても、その舞台である鎌倉を擁する相模の武士たちは、頼朝による熾烈な淘汰を真っ先に受け止める事になります。

在地から伸展する訳ではなく、アウターが跋扈する鎌倉を舞台に繰り広げられる暗闘と粛清。その矛先は、在庁の雄たる三浦氏にも容赦なく降り注ぎ、滅亡までに二度も系譜を絶たれ、三浦半島の奥に押し込められてしまいます(それでも鎌倉の背後を押さえる地に三浦の家名を存続させた点に、地勢への配慮を示唆する論には深く同意するところです)。

壮絶な権力争いの末に、全国に所領を広げ、諸大夫としての武蔵守、相模守を独占した得宗、北条氏に対して、圧倒的な規模の差を見せつけられて、追従する姿を示す相模武士たちの御内人への転身(ここで、御家人身分から転落したわけではないと注意が示されます)。更には、良く知られるように苗字は残したまま、一族を分けて西国の所領へと転身を図る武士たち。その動きは承久の乱以前にまで遡る事を示していきます。

そして、鎌倉幕府滅亡から南北朝に掛けて、再び相模は権力の中枢としての宿命を受けることになります。鎌倉幕府滅亡と共に滅んだ北条氏と共に、中先代の乱で復活を狙った時行に加担して、又はもう一つの東国の関門たる東山道を軸に北方を抑えた南朝に下って、更には観応の擾乱によって。鎌倉幕府を生き永らえた相模武士たちは、再び外からもたらされた戦いによって、更に淘汰を繰り返す事になります。新たな鎌倉の主として乗り込んできた鎌倉公方と関東管領、彼らも生き残った相模武士たちに試練を与え続けることになります。鎌倉の政体と守護の二重権力体制の為に、既に国単位の武士団としての体を成さなくなった相模の武士たち(三浦氏にしても守護権が否定されている間は同様と)は、牽制しあう二つの権能の指揮下、または隣国の武蔵の一揆勢と共闘をする以外に生き残る道が残されていなかったようです。

鎌倉府の下で何とか家名を維持してきた相模武士たちですが、今度は鎌倉公方と関東管領の争い(それぞれを牽制する幕府を含めて)によって、双方の勢力に分かれた相模の武士たちはまたしても淘汰の時を迎えてしまいます。最終的には鎌倉公方の古河への動座によって、相模の地が武家権力としての引力を失うことになる永享の乱とその後の享徳の乱によって、相模に在住していた旧来の武士たちは三浦氏を主体とする僅かな勢力を残して、殆どが滅亡、西からはこれまた鎌倉に入る事が出来ずに伊豆に留まる結果となった堀越公方を乗り越して、大森氏が小田原に入部することで、これまで辛うじて維持してきた相模西方、金目川以西は在地そのものが淘汰されていきます。

権力の引力が北方に去った事で空白地帯となった、残る相模川の東岸と相模中央部に漸く勢力を挽回した三浦氏の勢力も、その後にやはり関東の喉口を押さえる要衝と踏んで乗り込んできた北条早雲によって殆どが根絶やしにされ、僅かに後北条氏の重臣となった松田氏が残るに過ぎなかった事を示していきます(最終的には秀吉の小田原攻めで滅亡の道へと進む事に)。

東国の入口ゆえに外からの勢力に翻弄され続け、最終的には苗字の地たる相模に痕跡を残すばかりとなった相模武士たち。しかしながら、武蔵に蟠踞した武士たちと同様にその足跡は全国に渡り、苗字の地を離れた後に大いに繁栄した一族も数多輩出しています。小早川、長尾そして三浦氏の系譜を受け継ぐ蘆名氏。権力の中枢に存在することによる熾烈な淘汰を逃れた先に発展した相模武士たちは、それでも相模が本貫地がある事を由来として誇り、苗字を、そして家名の礎となったその土地への深い繋がりを求めていたようです。本書にはそのような各地に散らばっていった相模武士たちの足取りにも検討を加えていきます。そして、歴史時代を潜り抜けた今日の相模。今度は日本の中心に隣接することとなったために、急速に失われていく彼らの足跡。編者たちは、そんな変遷の激しいこの地に僅かに残る、相模武士たちの痕跡にも目を向けていきます。

最後に綴られる相模武士たちが行き交ったその土地を紹介する一節。その中で印象的に語られる、考古学的には既に往時の道程とは食い違ってしまっているにも関わらず、その後の歴史でも、私を含めて今を生きる相模、今の神奈川県(更には武蔵の地)に住む人々にとっても深く結びつく「鎌倉街道の記憶」に息づく想い。その想いには苗字の地を遠く離れ、権力の中枢としての地位を遥か昔に失ってもなお、その核心の地が秘める引力の強さを思い起こさずにはいられません。

武士団をテーマに掲げた本書が綴る、武家の核心の地で繰り広げられた興亡と淘汰の物語。その結末は余りにも寂しいものですが、もし今後、鎌倉、そして相模の地を訪れる際には、本書を片手に僅かに残る痕跡を辿りながら、武士たちが壮絶な駆け引きの中を生きていた姿に思いを馳せてみては如何でしょうか。

今回ご紹介した本と、勝手に深夜の「東国の武士団と歴史書籍フェア」。

武士の発祥と変遷を綴る書籍の数々、皆様のご興味を引く一冊はありますでしょうか。

晩夏の空(2017.8.23~26)

お盆休みも終わり、夜になると虫たちの大合唱が響き渡るようになった8月の後半。落ち着きのなかった天気も、此処に来て漸く安定するようになってきたようです。

久しぶりにすっきりと晴れた朝。

標高の高い蕎麦畑の花たちも咲き始めたようです。

八ヶ岳を正面に望む圃場。既に2段目の花が咲き始めています。

これから9月の始め頃まで、周囲の圃場でも蕎麦の花を見る事が出来ます。

振り返って、南アルプスを遠望する蕎麦畑。

高く澄んだ空はもう秋の心地。吹き抜ける風にも涼しさが感じられます(2017.8.23)

星空と三日月が望めた夜半から一転して、雨がさっと降った朝。

雨上がりに、夏場にはなかなか望む事が出来ない富士山が遠望できました。

夕暮れのような淡い空の下に浮かぶ朝の富士山を遠望(2017.8.25)

午後になって日差しが戻ってきた土曜日。

夕暮れを迎えて少し染まり始めた高い雲の向こうに、青空が見えています。

灼熱の暑さが残る甲府盆地の夕暮れ。

ショッピングセンターの駐車場から望む西の空は、鮮やかに染まり始めています。

西の空にどっぷりと日が沈んだ後。

空に残された雲はサーモンピンクに彩られました。

昼間はまだまだ夏の暑さですが、短くなった日が暮れると一気に涼しくなって20℃を下回るようになってきた八ヶ岳の南麓。今週末は9月、高原は秋へと歩みを進めます。

今月の読本「灯台はそそる」(不動まゆう 光文社新書)魅せられてしまった著者が未来に伝えたい、光の路への想い

今月の読本「灯台はそそる」(不動まゆう 光文社新書)魅せられてしまった著者が未来に伝えたい、光の路への想い

既に飽和状態にある毎月刊行される新書シリーズたち。凝った表題や意表を突くテーマだけでは魅力が伝えきれないと考えてでしょうか、書棚に並んだ際の統一性から装丁だけはほぼ固定されてきた新書に於いて、昨今では特殊装丁を施して並ぶ例が散見されるようになってきました。

何処の新書だろうかと首を捻りつつも、確かにインパクトと伝えたいと願うイメージは伝わるなと、手に取った珍しいテーマの一冊。

今月の読本「灯台はそそる」(不動まゆう 光文社新書)のご紹介です。

敢えて帯を外して写真を撮っていますが、版元さんの所謂、何々女子と付ければ、男のマニアックな世界に乗り込んだ華として持て囃されるだろうという下心すら感じる帯にちょっと懸念を持ちながら手に取って読んだ訳ですが、カラーで掲載された巻頭の美しい数々の灯台の写真の後に控える前半戦に関しては、残念ながら懸念通りの内容となっています。

その筋では極めて有名な”灯台女子”を名乗られる灯台をテーマにしたフリーペーパーを主宰されている著者が、一般の読者向けに執筆した灯台ガイドブック。一般向けを指向されていますので、船舶、海洋関係のある程度の知識を有されている方であれば、冒頭から述べられる灯台への偏愛(マニアックポイント)や、灯台に関する基礎知識はそれほど珍しいものではないでしょうし、昨今のネット環境の普及を考えれば、他のリソースからでも充分に入手できる内容かと思います。また、世界の灯台巡りについても、雑誌に掲載されるような紀行文のスタイルで述べられますので、本書を読まなければ絶対に知り得ないという内容ではないかもしれません(むしろ、著者のファンの方に向けた旅行エッセイになっているようにも思えます)。

著者の溢れる灯台愛の熱量に当てられながら、やはり新書だから薄味なのかなと、ちょっと残念な気持ちで読み進めていたのですが、その思いは4章に入ると大きく変化します。

著者が活動のベースに置いているフリーペーパーの取材も含めての内容だと思われますが、普段あまり語られる事のない、灯台守の皆さんへのインタビュー(しかも彼らが勤務した灯台に改めて同行を願い出て一緒に訪ねる)。僅か40ページ程ですが、実際にその職務に就いた方でしか語れない、貴重な勤務当時の内容が綴られていきます。かなり前のめりで、one wayなその筆致は懸念を抱かせる程の没入感ですが、それだけ話されていた内容を真摯に伝えたいという想いがこもったもの。今や忘れ去られたその職に対する、改めて顕彰をしたいという強い願いが感じられます。

そして、現在も運用されている灯台に対する世界的な風当たり。GPSや補完衛星によってmm単位の位置情報すら伝える事が出来るこの世界に於いて、前時代的な陸地から光を放って船を誘うという行為自体が、ノスタルジーで非効率的である事は否定する事は出来ませんし、実際に年々灯台の数は減少を辿っています。更には、灯台自体の建築技術、漆黒の海を照らし出す光源も駆動系も、フレネルがフランスでそのシステム化を手掛け始めた時から大きく進化を遂げています。より安全な航海を願う以上、技術の進歩は必然であり、役割を終えた設備、技術は静かに後進に道を明け渡す事になります。

そのような潮流に対して、本職が学芸員でもある著者が訴える、残していれば後世の人に選択肢を与える事が出来るという願い。前のめりで語られるその論旨をどう捉えるかは読まれた方へ委ねられますが、産業遺産特有の維持限界、その限界点が低い日本の産業界への、すこし異なったアプローチを伴った提言が語られていると理解したいところです。

マニアックなお話はさておき、その海辺に佇む孤高の姿に心を奪われた著者の筆致に乗って、その姿が与えられた時代の息吹を波の音と潮風と共に感じながら、少しノスタルジックな海辺の旅に出てみるのは如何でしょうか。