爽やかな晩夏の空の下、緑広がる高原野菜畑にて(川上村、南牧村)2018.8.18

爽やかな晩夏の空の下、緑広がる高原野菜畑にて(川上村、南牧村)2018.8.18

急に涼しくなった今週末。

金曜日の朝に続いて10℃近くまで気温が下がった土曜日の朝。

清々しい風に誘われて、高原へ足を延ばします。

昼下がりの野辺山。牧草を撫でる様に風が吹き抜けていきます。

昨日より少し雲が多めとなった八ヶ岳東麓。空には筋雲が伸びていきます。

野辺山、そして川上村に広がる畑では、瑞々しい高原野菜たちが心地よい風と眩しい晩夏の陽射しを受けてぐんぐんと成長しています(南佐久郡南牧村野辺山)。

お昼を過ぎても気温20℃と、週前半の連日30℃を超える気温から10℃以上下がってぐっと晩秋の心地となった中、高く伸びる雲と瑞々しい緑を追って圃場を巡ります。

風は涼しくとも眩しい太陽の日射しが燦々と降り注ぐ昼下がり(南佐久郡川上村信州峠)。

心地よい風と空、眩しい日射しと土の匂いに包まれる週末です。

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猛暑の後で(2018.8.9~17)

猛暑の後で(2018.8.9~17)

例年にない猛暑が続くこの夏。

このまま夏が留まり続けるのではないかと思ってしまいますが、季節の足取は駆け足で進んでいくようです。

雨上がり。すっかり夏の装いの甲斐駒を望む朝の圃場。

深くなる山の緑と、稲穂の軽やかな緑のコントラスト。

八ヶ岳を望む圃場の稲穂はもう頭を垂れ始めています。

例年より1週間以上も早い稲の生育。季節の移り変わりが前倒しになっているかのようです(2018.8.9)。

釜口水門から望む、沸き立つ夏の入道雲。

熱波が続き水門の閉じられた諏訪湖。じっとりと暑く、どんよりと淀んだ湖面に空の色が映し出されていきます(2018.8.11)。

涼しい風の吹く朝の圃場。

八ヶ岳の東側には早くも雲が沸いてきています。

圃場を埋める秋蕎麦の芽はぐんぐんと伸びていきます。

朝も8時を過ぎると沸き立つ雲に覆われる南アルプスの山並み。

八ヶ岳から吹き下ろす風と高く広がる空が、高原に一足早く晩夏の訪れを教えてくれます(2018.8.13)。

お盆を迎えて天候が崩れ始めた八ヶ岳界隈。

西側に廻り込んだ美ヶ原の麓、眼下に塩尻の街並みを望む圃場では既に稲穂が重たく頭を垂れ始めています。

山から吹き下ろす冷たい風が吹く午後、山々は雨雲に覆われていきます。

昨日の喧騒が嘘の様に静まり返った、低い雨雲に覆われる諏訪湖。

時折、冷たい雨が強く降ってきます。

夕暮れの圃場。立ち昇る雲が繰り返し山並みを乗り越えていきます。

日没前に既に20℃を下回るひんやりとした夕暮れを迎えたお盆休み。夜になると秋の虫の声が響き渡り、次の季節の訪れを伝えてくれます(2018.8.16)。

そして、ひんやりと冷え込んだ風が吹く、コスモスの花が誘う晩夏へ。

今月の読本「草津温泉の社会史」(関戸明子 青弓社)陰湿漂う湯治場から泉質主義の湯の里へ。東の大関が張り続ける日本近代リゾート史の縮図

今月の読本「草津温泉の社会史」(関戸明子 青弓社)陰湿漂う湯治場から泉質主義の湯の里へ。東の大関が張り続ける日本近代リゾート史の縮図

いつもお世話になっている本屋さん、それほど規模が大きなわけではありませんが、人文系でも部数が望めないちょっと珍しい本が書棚に並んでいたりします。

暫し書棚を眺めていて思わず手に取った一冊。先月、長野県立歴史館で入手した、ずっと欲しかった信州の観光地を紹介した絵図をテーマにした企画展の図録に寄稿されていた研究者の方が出された、実に興味深い最新著作に巡り合う事が出来ました。

今月の読本「草津温泉の社会史」(関戸明子 青弓社)をご紹介します。

西の有馬に東の草津。歴史と伝統に彩られる草津温泉は、江戸時代から現在まで、東日本における温泉地の筆頭として高名を誇ってきました。

しかしながら保養地や観光地、リゾートとしてナンバーワンの存在かと言えば実際にはかなりマイナーな存在。東京から直接行き着ける鉄道もなく、新幹線や高速道路からも遠く離れ、抜群に風光明媚と言う訳でもないその地がなぜ長く名声を轟かせ続けるのかを、地元群馬大学で歴史地理学を専攻する著者がこれまでの研究の集大成として送り出した一冊です。

今年の冬に突如として噴火を始めた、草津温泉の源泉となる草津白根山(本白根山)の火山、温泉学的な解説は、同じ大学、学部の早川由紀夫先生などの研究成果を援用して冒頭に一章を立てて概要を述べていますが、著者は人文系の研究者の為、これらの説明はあくまでも本編の補足に過ぎません(あとがきにも、今回の噴火を受けて、入稿済みの原稿に急遽コラムとして挿入したと述べています)。

本書は著者の得意とする、どちらかと言うと地理学的な分析を通じた草津温泉の近現代史を述べていきますが、本書は敢えて社会史とう題名を掲げています。これは草津と言う山間の小さな町が、近現代の社会構造の中で極めて特異な位置付けを持っている事を示すものです。

明治以降繰り返された市町村の合併、実は草津町は一度合併した村を明治時代のうちに改めて切り離し、温泉地域のみで構成される町として分離、縮小されたもの。それ以降、現在まで単独の自治体として存在してきています。町全体が温泉に依存し、温泉自体も町が実質的に所有する(これを合有と称する)、しかも歴代町長の多くは有力温泉宿の主人と言う、草津温泉に依存し、草津温泉の為に存在するという特異でストイックな自治体。このような温泉べったりの町政運営は、町の発展、存亡自体も温泉の顧客動向で左右されるため、その推移を追う事で、更には他の観光地と比較することで日本の近現代におけるあらゆる観光リゾート興亡の縮図を見ることになります。

高い効能を謳う山奥の湯治場、特にらい病や梅毒と言った当時としてはイメージ的にも好ましくない印象を受ける病気を患った人々がすがるように湯治に訪れる場所として、効能の高さからは東の大関として盤石な人気を誇る一方、行楽地としての人気は常に低調であったことを当時の観光案内や人気動向の記録から辿っていきます。不治の病人が奇妙な姿をして肌を爛れさせながら強烈な湯に浸かるという、衰亡する人々が集う地のような暗いイメージを漂わせる湯治場。草津温泉の歩みはそのネガティブな印象からの脱却を積み重ねる歴史であった事を、当時訪れた文人、著名人たちの言葉から拾っていきます。特に大正時代の若山牧水とバブル崩壊直後の赤瀬川原平さん。いずれ劣らぬ優れた観察眼を有する二人が綴る草津温泉、特に湯畑を囲む時間湯を中心に描かれた印象の違いは、草津温泉が何か月も籠る山深い湯治場から徐々に週末に訪れる郊外の歓楽街、そして湯煙漂うレトロで快適な温泉リゾートへと変遷する姿として見事に描写されています。

軽便鉄道、乗合自動車、そして鉄道と道路網の整備に伴い年々身近になる草津温泉ですが、それでも熱海や伊香保のように日帰りで湯を楽しむのは時間的にも今もって難しい場所。ライトなレジャースポットに成り切れない部分が逆に落ち着きのある雰囲気を醸し出し、今はショー的になってしまいましたが、湯治場としての歴史的な繋がりを演出面でも大切にして来た成果が現在の人気を支えていると指摘します。

そして、戦前から営々として続く、町政を挙げての温泉地、リゾートとしての開発。雄大な火山を望む清涼な高原地帯という立地と、ベルツ博士の紹介により世界に喧伝された高い効能を謳う温泉を有する草津。早くから温泉リゾート(所謂ホットスパ)としての開発が期待され、前述の著名人たちも旧態依然とした湯治場のイメージの刷新を望む声を残していますが、ここに草津温泉のもう一つの大きな特徴が現れてきます。その効能の高さ故に強烈な酸性の温泉水を流下させる以外に、温泉街の中を引き回す方法が1970年代まで無かったという点です。

更に、泉質と湯量の多さを誇る草津温泉ですが、現在の湯量が確保できるようになったのは戦後の硫黄鉱山開発の途中で噴出した源泉(万代鉱)から大量に流出した95℃にも達する温泉水を熱交換で供給できるようになってから。それ以前は内湯を引けるのは湯畑の周囲やその下流域、又は湧出量が少ない西の河原や白旗、地蔵等の源泉周辺に限られていた事を、観光地図や当時の絵葉書、更には旅館の分布、規模をGISを用いたmapデータとして示す、専門である地理学の分析手法を駆使して解説を加えていきます。

改築と更新を繰り返しながらも、旧来の湯治場のイメージが色濃く残る湯畑を中心とした狭い入り組んだ路地添いに密集する江戸時代以前から続く中心街。その周囲を取り囲むような形で温泉リゾートやリゾートマンションが林立するようになったのは、スキーブームやバブル期のリゾートブームによる影響もある一方、国内最大規模の10,000L/minという膨大な草津温泉の湯量の約半分を受け持つ、万代鉱を町が買収して源泉として供給を開始したことで初めて成立可能であったことを指摘します。

戦前から続く町政そのものである温泉観光地としての開発とその遅れを挽回する新しい源泉からの豊富な湯量の供給。その先に起こったスキーを軸にしたリゾート開発の多くはとん挫したり、急激なスキー離れ、更には今年の本白根山噴火に伴い、そのシンボルでもあったロープウェイの廃止と言う、決定的なダメージを受けることになってしまいます。一方で、著者はその間の観光客の入れ込みは極端に減少はしておらず、季節変動も徐々に縮小している点を指摘し、特に宿泊率はバブル崩壊後殆ど一定の水準で推移(ここ3年では上昇に転じる)している点を捉えて、温泉観光地としての再生に成功しつつあると、泉質主義のキャッチコピー戦略と、草津の象徴である湯畑周辺の景観改善について近年の施策を解説していきます。

高名ながら陰湿な湯治場から、大衆温泉歓楽地へ。近年の巨大スキーリゾート計画の凋落から復活を果たす、圧倒的な湯量と泉質を誇る歴史漂う湯の里へ華麗なる転身。まさに近代日本のリゾート史を地で行く様な草津温泉の変遷ですが、そこには前述の後ろ暗いイメージを切り離す意図も多分に含む、温泉地に隣接する湯之沢から更に離れた現在の療養園へと強制的に集団で移住、隔離された、多くのらい病(ハンセン病)患者の方々が居たという厳然たる事実もまた述べられていきます。

幾多の荒波を乗り越えながら掴みとった自らのアイデンティティを掲げた結果、14年連続の温泉100選第一位を誇るようになった草津温泉。

その間の変遷を見るのも楽しい豊富な図表、写真を添えながらも学術的な視点を加えて重層的に語る本書。町そのものが温泉と言う特異な位置付けを示すために述べられる議論とその培ってきた景観の推移を読んでいくと、この湯がある限り、今回の噴火もきっと乗り越えられる。そんな想いを抱かせる一冊です。

 

暑い高原の夏(2018.7.31~8.5)

暑い高原の夏(2018.7.31~8.5)

異例のルートを辿った台風が列島を東から西に抜けた後、更なる熱波がこの八ヶ岳南麓の高原も熱し続けています。

まだ涼しい朝。

眩しい圃場を照らす陽射しは厳しさを増し、南アルプスの上空には早くも雲が沸き立ち始めています(2018.7.31)。

暑さが続き、雨が少ない中でも、圃場の稲たちはぐんぐんと育っています。

朝の日射しの中で咲き始めた稲の花。秋の豊かな実りへと繋がる一瞬の輝きです(2018.8.1)。

八ヶ岳から高原の牧草地へ向けて広がる雲。

熱い夏空は、朝からダイナミックに移り変わっていきます。

男山をバックに眩しい陽射しを一杯に浴びて輝く高原野菜たち。暑さに備えて、各所でスプリンクラーが廻っています。

台地の上に拓かれた川上村の広大な圃場は農作業のピーク、朝からトラクターが忙しく走り回り、既に収穫の終わった圃場では秋に向けて、次の苗付けが始まっています(2018.8.3)。

野辺山でめったにない30℃を越えたという話が伝わってきた日曜日。

連日続く暑さ、でも空を見上げると、一面の鱗雲が広がっています。短い高原の夏空は、猛暑の中でも確実に次の季節へ移り変わる事を教えてくれます。

暑かった陽射しが西の空を埋める雲の中に沈むと、空に光芒が広がりました。

雲を焦がしながら西の空に沈んでいく暑い夏。

標高の高い高原は、日が暮れると気温が一気に下がり、遠雷が響き始めました。

暑さの続くこの夏、今週は再び台風の接近が予想される荒れた天候になりそうです。

 

今月の読本「刀の明治維新」(尾脇秀和 吉川弘文館)帯刀から廃刀まで、武装と虚栄の狭間を綴る近世史

今月の読本「刀の明治維新」(尾脇秀和 吉川弘文館)帯刀から廃刀まで、武装と虚栄の狭間を綴る近世史

日本では銃刀類を所持する事は法律で厳しく規制されていますが、太平洋の向こう側、アメリカでは様々な議論や悲劇的な事件が繰り返されつつも決して全面規制には至らない理由に「所持する権利と自己防衛」という論点が繰り返し述べられている事は、よく知られていると思います。

時に野蛮なと捉えられるアメリカでの銃の所持。では日本では昔から武士以外は武器を持つ事も、それを使用する事もなかったなどという筈は無いかと思います。

何時の頃からか武装することを止めた日本人。今回ご紹介するのは、その変遷を近世史として俯瞰で教えてくれる一冊です。

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館の歴史文化ライブラリーより、7月の新刊から「刀の明治維新」(尾脇秀和 吉川弘文館)です。

著者の経歴を見るとおやっと思ってしまいます。仏教系大学で学位を修められていますが、その専攻は近世の農村と百姓の研究。本書の表題だけに着目してしまうと、今年は多数の新刊が各社から刊行されている、幕末から明治維新期を扱った作品の一環とも見えますが、本書の過半は江戸開府以前から幕末までの記述で占められており、より広範な近世史として捉えられる一冊になっています。

200ページ前後が多い本シリーズの中では少しボリュームのある260ページオーバーの前後編に近い形で綴られる本書。明治維新を境にその内容は大きく変わりますが、著者が着目するテーマは一貫しています。刀を帯びる(=帯刀)という意味合いと、庶民は武装していたのかという二つの扱いが混乱している点を整理したうえで、近世史におけるその推移を追っていきます。

刀を帯びる事の事例を拾うに当たり、著者が選んだ場所は幕府の法令が明確に示される江戸と、旧来からの因習が江戸期に入っても強く残る京、そして都市部との比較としての農村と言う三つの舞台を比較していきますが、冒頭である通説に対する否定を述べていきます。

即ち、秀吉の刀狩によって民衆が刀の所持を放棄し、それによって兵農分離が進んだという教科書的な見方は極めて限定的であると明確に否定し、江戸幕府は刀を保持することを否定しておらず、旅行時や特に農村において刀を帯びる事は明治の廃刀令が出されるまで営々と続いていた事を明示します。その上で、武士以外の刀を携帯する様式を規制したのは、傾き者対策の一環として、都市部における町人と武家の識別を行う事(=帯刀、二本差し)から始まったと指摘します。市中の風俗対策として始まった制度、従って幕府としては町民や農民が刀を帯びる事を全く否定はしておらず、そのような意味では西部開拓時代同等、自力救済的な武装を容認していた事が判ります。但し、威圧的な形で刀を帯びる事自体が風紀を乱すと見做された経緯からも、その形態には様々な規制が掛けられ、アメリカの銃規制そのままに、長大な刀から脇差として寸法が狭められていく過程を、刀剣の形態や携帯する方法の変化から示していきます。

また、本書で極めて興味深いのが、前述のような経緯を更に補完する為に京における事例を添えていく点です。近世の特徴として為政者たちの支配領域の重複が数多ある中、支配する側としては相互の干渉を嫌う一方、その立ち位置故に双方に従属せざるを得なかった、旧来の支配家の差配による朝廷の行事や神事、仏事に携わる市中の町民(広義の地下官人)や郷士(土佐の郷士とは異なる、由緒のある農家)に対して、非常帯刀という、その職務に当たる時だけ帯刀を許すという、回避手段を設けた点を示しています。

武士とその他の人々を峻別し、それを苗字帯刀と言う形で示すようになったのは漸く元禄を越えた辺り、更には前述の人々や修験者など例外が数多くあった事を示し、此処に初めて武士だけではない、現代で云う公職に限りなく近い身分を示す「帯刀人」という、新たな階層が生まれた事を見出していきます。

前述のように、その規制が始まった段階から複雑な例外が設けられていた帯刀と帯刀する人々。幕府が安定してくると、早くもその例外を通じて帯刀を求め始める人が現れてきます。始めは前述の京における非常帯刀と同じ、元来町民身分でありながら幕府の役を務めていた家の当主が、規制によって生じた(差)を埋める事を求めて運動を始めます。町民と武士を識別する為に生み出された、見える形での差を示す帯刀。既に武器としての役割を果たさなくなった帯刀が生み出す、今度は視認による身分差、家格差、優越感。更には火事場、大工や水主等の現場作業における上下関係を威圧として示すため、標識としての帯刀が渇望されていく様子が描かれていきます。

田中丘隅の言葉を借りて、他者に対する優越感を生み出すその悪弊を指弾する意見に同意を示す著者は、これ以降に頻発される(田沼時代から増加するという見解に対して、そのように見做せると)褒賞や対価を伴う利権化した「名字帯刀」に対して苦々しい想いを隠さず、更には由緒を捻じ曲げてでも帯刀する格式を求める人々に対して否定的な想いを込めて、その推移を虚栄と弛緩と捉えて述べていきます。また、褒賞を受けて権利を得た町民たちだけでなく、武家奉公人としての職務を離れた者や神人、医師、鋳物師等の旧来の免許制度の延長に帯刀を求める人々が刀を帯びる姿から、江戸時代は武士だけが刀(=帯刀、二本差し)を帯びるというイメージとは大きく異なり、多くの町民や農民たち、更には女性であっても護身のためには当然として、普段は腰に帯びなくても仏事や神事ではいずれも威儀を正すために刀を差し、数多の武士以外の帯刀人も都度に合わせて帯刀をしていた事を示していきます。

自己防衛のための武器と言う位置付けから大きく離れて、威儀やステータスとして刀を持つ事は当たり前のように記される江戸期から、明治維新期に入るとその姿は大きく変わっていきます。所謂廃刀令をピークに段階的に規制される刀の所持。その意義を検討する中で、著者は興味深い視点を提示していきます。すなわち、明治新政府にとっての廃刀令の端緒は、幕末に弛緩した帯刀の権利を制限する過程で生まれたと見做していく点です。表面上は四民平等を謳いながらも、実質的には新たな官吏とそれまでの権利を保持する士族、その他の平民と言う3段の階層構造を持ち込む事で、旧来から続く、藩と幕府、武家と町民、更には公家や地下官人、神社寺院などの複雑に入り組む階層構造と、顕彰や一種の公職としての地位の清算を狙った政策。この政策の完成された姿としての、士族を含む官吏以外のすべての市民の武装を取り除く(所持までは否定されていない点に注意)事で、平等化したことを視覚的にも示す廃刀令。

ここで更に興味深い点が、刀を携帯するという、江戸時代にはステータスとされた権利を旧弊の象徴として意味づけを置換していく過程で、著者が福沢諭吉を持ち出す点です。曰く、「斬捨御免」と言う言葉自体、彼が生み出した造語であり、旧弊の象徴として、その武具である刀を保持する事への、幕末期の世情を踏まえた嫌悪感を醸成させたと見做していきます。加えて、官吏の洋装化が帯刀の不便さを助長させ、官吏側から常時帯刀の解除を求める請願が集まって来た点を捉えて、最終的には帯刀だけではなく刀(=武器)を保持する事自体に否定的な世情を生み出した上での廃刀令に至った点を当時の新聞記事などを援用しながら解説していきます。

戦国の混乱期から長く続いた全員武装状態から、現在まで続く自衛手段を含めて日常的に非武装となった日本人。その過程で生じた「帯刀」という名の、識別子がどのように変化していったのかを辿る本書。著者は刀狩りから続く偃武の完成が武装を放棄させたと見做す視点に明確な否定を示し、むしろ江戸時代を通じて遥か彼方に遠ざかっていた武装する意味合いを再び目の当たりにする事になった、白刃が斬り交わされた幕末維新期の不穏で殺伐とした状況への嫌悪感が、個人が武装するという中世末から連綿と続く状況の否定を容易に受け入れる素地となったと指摘します。

廃刀令によって生み出された物、それは近世と言う封建身分制最後の時代にその象徴として捉えられる感もある帯刀に重ねられた虚飾に対しての否定ではなく、その本質であった武装するという姿が否定された結果、初めて武器を持たない市民と言う現代の姿が生まれた事を示唆します。

歴史文化ライブラリーらしいテーマの中に、当時の識者の言に託して要所に著者の想いを織り込みながら。江戸期における為政者側の認識や視点がやや見え難い点がちょっと残念なところもありますが、興味深い著者の視点が豊富に盛り込まれた、余りに当たり前のようで実は充分に理解されていない歴史上のポイントとして、改めて考え直してみたくなる一冊です。

 

熱暑から台風襲来へ(2018.7.24~29)

熱暑から台風襲来へ(2018.7.24~29)

連日の暑さが続くこの夏。

農作物への影響が懸念されるほどの暑さが続いていましたが、そんな酷暑にも変化が出て来たようです。

少しひんやりした、何時もの夏が思い出される涼しい風が吹く朝。

昼間の暑さはまだ続いていますが、夜は25℃を下回るようになり、かなり凌ぎ易くなってきました(2018.7.24)

夕方で少し頭を垂れてしまっている向日葵たち。明日の朝に向けてなのでしょうか、みんな日暮れと反対方向の東側を向いています。

今年の暑さは向日葵にとっても少々酷なようです。

熱い今年の夏、夕暮れの空は毎日のように紅色に染まっていきます。

日が沈んで少し涼しい風が吹く、富士見のショッピングモールから望む西の空(2018.7.25)。

異例の東から台風が迫るという驚きの空模様に翻弄される週末。週末に予定されていた夏のイベントが次々と中止になる中、午後になって風が強まってきた八ヶ岳を望む東の空には僅かながら青空が覗いていました(2018.7.28)。

夜半から明け方に風雨が強まった八ヶ岳南麓。当地に移り住んでからかなり経ちますが、台風らしいしっかりとした風雨が初めて訪れたと実感した今回。

夜が明けると、南アルプスを覆っていた分厚い雲が強い風に吹き流されていきました。

出穂の時期を迎えた圃場の向こうに広がる、眩しい台風一過。しかしながらこの後、天気は不規則に変わり続けた日曜日。

今年の天候は本当に不思議な推移を見せていますが、そんな中でも作物たちは刻々と季節の変化を捉えていくようです。

 

 

 

真夏の霧ヶ峰、夕暮れ(2018.7.22)

真夏の霧ヶ峰、夕暮れ(2018.7.22)

熱波が列島を覆い留まり続けるこの夏。

例年であればクーラーすら殆ど必要としないこの八ヶ岳南麓でも、夕立も殆ど無く、連日の30℃オーバーや35℃まで上がるとなると、流石に萎えてきます。

車載温度計が35℃を越えた昼下がりの八ヶ岳南麓を抜けて、一気に標高1800m、霧ヶ峰を望む高台へ。

大きく広がる青空を雲がどんどんと流れていきます。

涼しい風が吹く草原。気温は24℃と別天地の心地よさに包まれます。

山裾の奥に広がる夏の雲の向こうに夕日が沈み始めると、空の色は徐々に黄金色に染まりはじめます。

草原の上で青空と夕暮れの色が交わる時。

山裾に張り付いていた雲が夕日と共に一気に吹き流されていきます。

黄金色からオレンジへと色合いを変えていく夕日。

南の空に浮かぶ入道雲も夕日に照らされていきます。

熱波に覆われた山並みが夕日に霞んでいきます。

空を渦巻く雲と、オレンジ色に染まる山裾。

夕日が山裾を覆う雲の向こうに落ちる頃。

沸き立つ入道雲も夕日に染まります。

暑い一日が山裾の向こうに送られていきます。

長い長い夕暮れが過ぎていきます。

空には高く半分の月が昇っていきます。

夕暮れの欠片が残す残滓が色付き始めました。

輝く光と熱を与え続けた太陽はすっかり山の向こうに。

そして、空は太陽の残した色で染まっていきます。

燃えるような夕暮れに染まる霧ヶ峰。

また明日も暑くなりそうです。