今月の読本「動物園巡礼」(木下直之 東京大学出版会)動物園人と娯楽とした人々の業を禊ぎ歩く美術史家の巡礼記

今月の読本「動物園巡礼」(木下直之 東京大学出版会)動物園人と娯楽とした人々の業を禊ぎ歩く美術史家の巡礼記

何とも壮絶な一冊に巡り合いました。

これまでも動物園や水族館を扱った本は数多あったかと思いますが、不幸なことにその動物園の立地と常に尻を向け合う事になるという美術館、現在はその館長を務める美術史家の方が綴る、痛烈な批評精神と洒脱を以て動物園人(猿人?)へ向けられた一冊をご紹介します。

動物園巡礼」(木下直之 東京大学出版会)のご紹介です。

著者は大学の教授職と共に静岡県立美術館の館長も務める方。所属大学の出版会から出された一冊は大学出版会が刊行する著作としては少し異色の、著作歴そのままに砕けた筆致を具えています(最近は大学出版がこのような本を出しても、あまり驚かなくなりました)。

美術史、特に大衆芸術や文化史に関する多くの著作を有する著者。本書もその一連の著作に連なる内容を有していますが、テーマは動物園。臭いや音と言った芸術鑑賞を甚だしく阻害する動物園と美術館は相容れない存在ですが、前述のように公共施設として同じ敷地に作られる事が多いという奇妙な巡り合わせから本書は綴りはじめます。

本来は著者が講義のテーマとして採り上げた日本人と動物園の文化史の授業内容を一冊の本として纏めるはずであったものが、授業の流れから動物園関係者との縁が生まれ、JAZA(日本動物園水族館協会)の広報戦略に関与し、大学関係誌の連載に化けた末で本の執筆に至るという、複雑な遍歴を遂げて上梓されたようです。

相容れない関係を有する二つの「園・館」と「館」が奇妙な邂逅を遂げて綴られる本書、その関係がもたらした訳ではありませんが、実に辛口な内容が綴られていきます。その辛さはピリッとくる山椒や燃えるような唐辛子とは違う、辛さの先にスッと来るワサビのような清々しさもない。何処までもどこまでも唯々辛い「辛味大根」のような辛辣さで、江戸時代から直近話題となっている滋賀の某動物園に至るまで、人と動物園・水族館の残酷物語がひたすら綴られていきます。

ゾウから始まりクマ、サル、チンバンジー、恐竜、ライオン、ゴリラ、鯨類からカバ、ラクダそしてオラウータン。

著者が動物園人の業と呼ぶ、野生生物を檻に入れて取り囲み衆目に曝し、更には芸を仕込み、服を着せ煙草を吸い、自転車や電車を運転させては金銭を稼ぎ、戦争や言われ無き不条理の内に死に至らしめる。就中にはそれは研究だ学問だ生物保護だと言い出す身勝手さを、それを娯楽として興じた大衆を含めて存分に攻め立てていきます。

日本人が動物園と言う空間(物理的な固有空間を持たない場合も)を用いて行ってきたそれらの蛮行の歴史を禊歩く様に全国の動物園、施設を巡る著者。此処まで書くと、分ってはいるが動物園側にも言い分はあるという尤もなご意見が出てくるかもしれませんが、そこはJAZAの事業に関与した著者も御見通し。

表面的な残虐性ではなく、時代史の中で描かれ自らも体験した動物園と動物たちの姿として、昭和の時代描写を全面に掲げて描かれる、人文系の研究者ならではの膨大な知識力を背景に大衆芸術史を紐付けながら綴り込んでいきます。それは江戸の見せ物小屋から始まる長い歴史を有する大衆娯楽の一環としての動物芸と開港と共に上陸した動物芸が織り込まれたサーカス、標本、観察を主体とする近代日本にもたらされた博物学的な素地が公共サービスとしての公園施設の一環として奇妙な同居の末に発展を遂げたキメラのような存在。

近年の自然保護、動物愛護的な側面だけでこれらの推移を捉えようとすると、そんな小賢しい言を振り回しても無駄だよと言わんばかりに、昭和の名話者、小沢昭一のテイストそのままに、ユーモアと猥雑さすらも取り込みながら、文化史として縦横にいなしていく筆致で封じ込められてしまいます(この筆致と意図を含み笑いを浮かべながら受け止めらるのは、ある年齢以上の方ではないでしょうか。不幸な事に幼少期から「小沢昭一の小沢昭一的こころ」を傍らで聞かされ続けた、二世代以上年少の私は、まんまとこの文体に呑まれましたが)。そのような中で、何とかして動物たちに寄り添い、より良い環境を与えようと奮闘し、あるいは贖罪の如く命を捧げた飼育員、管理者達の姿もサイドストーリーとして捉えていきます。

見せ物としての動物園と人の関わりの過去を禊ぐ前半に対して、後半は現在進行形の姿。動物の愛護と野生生物の保護が存在の前提、お題目として唱えられても厳然として存在し続ける動物園・水族館、それをレジャーの一環として嬉々として受け入れている我々に対して暗側面を突く巡礼が続けられていきます。

著者が関与することになるJAZAの混乱から始まる、何故動物園・水族館と言う場所で動物、水族達を飼育し、観に行くのかと言う根源的な疑問へのアプローチ。敢えてJAZAの範疇を離れた姿を見せる事でその課題と闇の深さを強烈に印象付けていきますが、本書では最後までその回答を述べる事はありません。

動物園へお尻を向け(ていた)美術史家である著者から与えられた「お題」、それは日々動物・水族達に献身的に務める動物園人の皆様と、其処に価値を見出している、楽しみにしている我々に委ねられた課題だから。

<おまけ>

本書の中盤で語られる、捕鯨とイルカショー問題の原点にある、戦後の水族館激増と学術研究、娯楽施設の同床異夢について語る部分は、写真の著書(水族館日記 いつでも明日に夢があった)からの引用を含めて、(旧)江ノ島水族館の立ち上げスタッフで後に東海大学教授、東海大学海洋科学博物館館長を務めた、戦後の水族館運営、スキューバによる水中撮影のパイオニア、鈴木克美先生の協力で書かれています。著者と同郷の浜松出身ですが、ちょっとやっかみを込めた紹介がなされていくのも、著者の流儀と言う事で。

<謝辞>

神戸時代は道一本挟んでお互い一度も顔を合わせる事が無かったと文中で紹介された、JAZAにおいても著者と協業されていた、よこはま動物園ズーラシアの村田浩一園長先生に本書を紹介して頂きました。御礼を申し上げます。

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長野県立歴史館「自然を見つめた 田淵行男展」(終の棲家、信州・安曇野で見つめたもう一つの姿を)2019.1.4

長野県立歴史館「自然を見つめた 田淵行男展」(終の棲家、信州・安曇野で見つめたもう一つの姿を)2019.1.4

安曇野のナチュラリストと呼ばれた田淵行男氏は、日本における山岳写真の第一人者であり、昆虫、特に高山蝶の研究でも知られる人物です。

没後30年を迎える今年、終の棲家があった豊科(現:安曇野市)に建てられた田淵行男記念館の全面的な協力により、彼の足跡をたどる展覧会が長野県立歴史館で開催されています。美術館ではなくなぜ歴史館で開催される事になったのか、図録の冒頭に笹本館長が綴られた経緯を是非お読みいただきたいと思いますが、彼の足跡から第二の故郷ともいえる信州、安曇野の地で想い描き、写し、描き残していった作品たちに着目した展示を目指しています。

エントランスにまだ雪が残る、屋代にある長野県立歴史館。約73000点にも及ぶ氏の残した写真、絵画、資料は、小さな田淵行男記念館ではとても紹介しきれない分量ですが、より大きな展示スペースを持つ当館における展示でも、前述のとおりその全容のうち信州、安曇野に関係する僅かな作品、資料およそ80点ばかり(写真機材等を含めると100点程)が紹介されるに過ぎません。それでも2005年に東京都写真美術館で開催された生誕100年記念以来の規模となるであろう展示。まだお正月休みが残っている方も多い金曜日の午後に訪問させて頂きましたが、会場には途切れることなく来館者が訪れていました。

来館された皆様がまず注目される氏の出世作「冬の浅間 黒斑山の中腹より」からスタートする展示順路。この作品が太平洋戦争開戦一年前の昭和15年(1940年)に撮影されたと聞くと驚かれるかもしれません。

冬の浅間らしい足元に広がる筋を描く雪渓と礫のリアリティ、遠くに湧き上がる噴煙の手に届きそうなほどの立体感を同時に収め込む驚異的な描写。当時の写真機、レンズ、フィルム解像度を考えると驚嘆に値する描写力は、氏の作品に通底する写実を越えた実体感を映し込んでいく姿勢に繋がっていくようです。

来場者に強烈なインパクトを与える山岳写真で始まるエントランス。このまま氏の代表作である山岳写真が続く様に思えますが、著名な山岳写真作品の中から今回展示されるのは冒頭の僅か2枚だけ。この後は本展が歴史館で開催される意義を問う「安曇野を見つめる」をテーマにした展示が続いていきます。

一つ目には氏の代表作である蝶の写真と絵画。本展では保存コンディション維持の関係で公開される機会が極めて限られるカラーによる蝶の精密写真と主に不透明水彩を用いた氏の絵筆による10倍以上の拡大という大きなサイズの蝶の絵画がそれぞれ10点以上展示されています。高山蝶に限らず、安曇野の野を飛び交った蝶たちを精密に映し込み描いていく氏の作品たち。絵画をベースとした図鑑が一般的であった当時としても驚異的なち密さと正確さを兼ね備えた(写蝶と呼んだ作品たち、それでも氏はその絵を写実とは言わず抽象的であると述べています)蝶の絵画。デジタル全盛の現在、細密さとリアリティを競い合う標本写真と比較すると確かにディテールも発色も甘いですが、それらの突き放すほどの実体感を強く印象付けるモノクロ、そして登場初期のカラー標本写真。博物学を修め、科学的であることを何よりも重んじた氏の作品に対するリアリティには圧倒されるばかりですがそれだけではありません。透徹な眼差しを向ける中で、その姿や色合い、飛び交う姿からユニークなあだ名を付けたり、山に向かえば、その山の形に似た大きな石を気に入った物が手に入るまで探し続け、歩き続ける。手作りの写真集で用いられる切り貼りや凝ったデザインのフォント、商業作品でも装丁や構成、構図、レイアウト、添えられる文面や紙質(自らの遍歴を綴る文章にまで当時絵を描くために使っていた用紙の名称を書き記すほど)にまで徹底的に自らの主義を貫き拘る。氏のユーモアと入れ込んだテーマに対する何処までも貫かれる真摯さが伝わってくる作品たち。展示内容も氏の作品を印象付ける細密に描かれた絵画や写真が続きますが、実は展示されている中で一番気に入ったのは、パンフレットや図録の裏表紙にも採用されている、モノクロフィルムで撮影された上高地のミヤマシロチョウ。精密な標本写真と比べると明らかに緩い映りなのですが、フォーカスが落とされた羽の燐と地面との相対で生み出す光線感や蝶が生み出す陰、フォルムの捉え方が何とも言えない味わいを出しています。

二つ目には本展の中核をなす安曇野、信州の山里を収めた写真たち。主に2015年に刊行された「田淵行男が愛した安曇野-田淵行男作品集」に収められた作品のプリントが展示されていますが、現在の風景との比較や、なぜ風景が変わってしまったのかと言う理由をしっかりと提示する点は、古代から近代まで全ての時代に渡ったテーマを扱う歴史館という施設、学芸員の方々の面目躍如。氏の作品の中では顧みられる事が決して多くない路傍の石仏を捉えた作品や北アルプスをバックにレンゲ畑を収めた写真など、精細な描写と繊細な構図設計の中に、氏のかの地への愛おしさを感じさせる作品が並んでいます。雪を戴く北アルプスの姿は変わらないかもしれませんが、緩やかな時の流れが感じられる今は失われてしまった安曇野の田園風景を人と自然が織りなす人工美として美しく切り取る氏の作品たちと、その変化にしっかりと目を向けて欲しいと願う企画者の想い。展示室内で足を止める事、度々でした。

そして、本展の白眉と言うべき雪形が結んだ民俗学者、向山雅重氏との交流を扱った展示。この展示主体が歴史館であることを象徴する様なテーマ設定と展示内容ですが、私が括目したのは実は向山雅重氏が綴った、氏が記念講演で語った内容の速記メモにある写真に対する姿勢。


美しなくてはいかん

美しい物を見つけ出す、その美しさをどう表現するか(抜粋)


写実だけではない、作品を作り上げていく過程における、氏の強い矜持に打たれる言葉の数々が綴られています。

実はこのメモの続きにはもっと苛烈な言葉が綴られているのですが…是非本展で実物をご覧頂ければと。

山岳写真家、昆虫、高山蝶の研究者、ナチュラリストという一般的に捉えられる氏のイメージでは語り切れない側面を、安曇野と言う地を軸にして歴史館という別のスコープを通じて見せてくれる今回の展示。

展示全作品の写真が収められた図録。

お値段は少し高いのですが、長野県立歴史館の図録は県立博物館に相応しい美しい装丁と目を見張る高品位な写真印刷品質を有しており、保存版としても極めて価値のある一冊。特に今回の図録では氏の作品にとって命でもある細密さを限りなく引き出すことを目指したと思われる、展示されるのプリント以上に精細なモノクロ作品の印刷化を達成しており(少々やり過ぎな程)、会場で観て、気に入った作品のディテールの隅々までをご自宅で心行くまで堪能する事が出来ると思います(個人的には日本の里山の新緑を箱庭を思わせる構図の中に全て納め込んでしまったようなNo24が一番のお気に入りです。クリアーでち密な絵作りだけではない、画面全体に張りつめたまだ少し冷たい山里の凛とした空気すら感じさせる作品。何時かこのような写真が撮れるようになりたいと願いつつ)。

歴史館の正面から望む、うっすらと雪を戴く黒姫山。常に山と人の営みが眼前で交わる信州の風景。田淵行男が残したもう一つの姿を想いながら。

来週日曜日(1/6)には日曜美術館で田淵行男氏が紹介される事になっていますが、この機会に多彩な側面を持つ氏の作品を多くの方に知って頂き、見て頂けると嬉しいです。

平成30年度 長野県立歴史館冬季展

自然を見つめた 田淵行男展

2018年12月15日(土)~2019年2月17日(日)

今回の展示作品の大多数を収蔵する旧豊科町(現:安曇野市)の田淵行男記念館では、連動企画展示を実施中です。氏の山岳写真にご興味を持たれた方は是非訪れてみてください。

年の瀬を越えて(2018.12.30~2019.1.2)

年の瀬を越えて(2018.12.30~2019.1.2)

遅れていた本格的な寒さがやってきて、年の瀬らしい冷え込みとなった年末。

今年はカレンダーの関係からゆったりした年の瀬を迎えました。

殆ど雪がない、南麓側の長坂町から望む夕暮れの八ヶ岳(2018.12.30)。

寒気がもたらした雲が抜けて午後になるとすっきりと晴れ渡った、大晦日の八ヶ岳西麓。

夕暮れを迎えた八ヶ岳。

すっかり葉を落とした落葉松林に包まれる山裾が夕日を浴びて赤銅色に染まります。

西日が落ちていく南アルプスの山並み。一つの年が巡ります(2018.12.31)。

元旦の朝、すっきりと晴れ渡った空の下に稜線を広げる甲斐駒。

雪が少ない今シーズンの八ヶ岳ですが、年末に訪れた寒波が東麓側の赤岳を雪山へと装わせてくれました(2019.1.1)。

実家への墓参から戻ってきた翌日の夕暮れ。

朝に舞った雪が路肩に吹き寄せられている小淵沢駅に立ち戻ると、雄大な八ヶ岳の夕景が迎えてくれます。

夕暮れの雲に照らされる甲斐駒の雪渓。小淵沢駅の屋上デッキからは、八ヶ岳と南アルプスの山並みの双方を眺める事が出来ます。

少し雪化粧をした夕暮れの八ヶ岳、日没を迎えて雪渓は淡い紅色に染まります。暮れていく新年二日目の空。

再びこの場所で、今年も歩みを続けていきます。

今月の読本「平氏が語る源平争乱」(永井晋 吉川弘文館)地理院地図と脇役達で淡々と描く、敗れ往く者達で綴る平家物語

今月の読本「平氏が語る源平争乱」(永井晋 吉川弘文館)地理院地図と脇役達で淡々と描く、敗れ往く者達で綴る平家物語

日本史に関する書籍の新刊が大挙して本屋さんに並ぶようになったここ最近。特に研究者の方が執筆される、これまでの歴史著述や教科書に対して議論を提起し、明確な訂正を求めていく筆致で綴られる書籍が多く見受けられるようです。

比較的若い研究者の方々によるこれらの著作。好評を以て読者に迎えられているようですが、読み物としてはやや背景描写の広がりに乏しいと感じる事があるのもまた事実。今回ご紹介するのは、それらの著者より一世代前に研究者としての足跡を刻み始め、豊富な著作歴を有する研究者の方がある疑問に対しての答えとして書かれた一冊です。

昨年末に読んでいた、吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリー、12月の最新刊より「平氏が語る源平争乱」(永井晋)のご紹介です。

著者の永井晋先生は、長らく金沢文庫及び神奈川県立歴史博物館で研究活動に従事されていた方。近年、地元の関東学院大学に籍を移されています。主に源平合戦から鎌倉初期の鎌倉、関東をベースにした研究で知られる著者は、前述のように一般向にも多数の著作を有される方。本書も2015年に刊行された前著「源頼政と木曽義仲」(中公新書)の内容(と、今回と同じ版元さんから刊行された「相模武士団」に寄稿された論考)を受けた続編を意識された事をプロローグで述べています。

前著ではチェスのコマを動かすようにと自らを評された、著者にとっては手慣れた源平合戦が今回もテーマ。しかしながら、本書では詰将棋的な著述に陥らないようにと、偶然性や不確実性を織り込む事も念頭に置いていると述べています。また、著述のベースには平家物語を置いていますが、敢えて著者にとっては専門分野である筈の吾妻鏡からの引用を極力排除し、逆に京における公家の記録、特に玉葉の記述を重視し、史実としての主たる補正に用いています。

その目的は本質的に平家視点で描かれる平家物語を捉えるためのアプローチ。戦いを主導したいずれの勢力も武力による全国統一、全国の武権の結集を目指していた訳ではなく、あくまでも源平並立が成らなかった過程の積み重ねが武権の確立に至ったに過ぎない事を明確に提示し続けます。源平合戦を武士の時代の幕開け、武士の伸張の画期として捉える史実から遡るイメージからの脱却を図るために用いられた手法には、前著に続いて去りゆく者の視点へ心情的に寄り添う著述が伴われていきます。

研究者の方が書かれる日本史の一般書著述としては例外的な、本文中に於いて殆ど他の研究からの引用を明示せず(鵯越の逆落としの部分では、驚くような文献から傍証を引いていますが)、要所で援用される多くの研究成果を咀嚼した形で著者特有の淡々としたペースで綴られていく、平家を軸にした頼朝挙兵から壇ノ浦までという時間軸で描かれる本文の描写。そこには前著同様に八条院人脈を一つの軸に置く一方、平家視点という著者の狙いを具現化する為に、小松殿、小川殿、池殿といった一族内部と宗主宗盛との意識、距離感の違いが、八条院、頼朝、後白河等のキャスティングボードを握る人々(庇護者、複数に仕える主人のひとりであり授権者)と彼らの距離感から生み出されている事を繰り返し述べていきます(本書における平家内部を描く著者の考察と描写を読んでいくと、演出よりなにより、この部分における文芸的に見立てた際の判りにくさこそが、大河ドラマ「平清盛」不評の原因ではなかったかと思えてきます)。

心象的な駆け引きを持ち出すことで、繋がりや教養を有する事が何よりも大切だという暗喩すら感じられる登場人物たちの描かれ方。その結果、本書では頼朝や後白河といった大立者は完全に脇に置かれる一方、名だたる東国武士たちを宥めながら、兵糧に苦労しつつも九州まで着実に戦線を伸ばしていく、兵法にも明るかったはずと見做す範頼や、宗盛から疑心の目で見られ続けた末に八条院を通じて救いの手が差し伸べられた頼盛を好意的な眼差しで採り上げていきます。その一方で、一族の連携に疑念を抱かせる采配を執り続けた平家の宗主である宗盛や、強行突破攻勢の繰り返しが手勢の損耗から軍団の破たんをきたしている事を顧みず、自らの勝利だけに突出した義経、武人の境地と雅の心を踏みにじる東国武士たちの無粋な動きに対して明確な嫌悪感を示していきます。

そして通史としての源平合戦の推移。軍制の変化や平氏と源氏の軍事指揮権と率いた軍勢の逃散、揺れ動きの違いといった大局的な推移の記述は既にこの時代の歴史に詳しい方であれば、新たな知見や旧来の見解を明白に否定するような著述はあまり見当たらないかと思います(争乱終結後の武家に対する訴訟激増の遠因など、提起される内容が散発的に挿入されてはいますが)。その代りに持ち出されるのが、その年の気候条件による兵糧の集散やふんだんに掲載された地理院地図を用いた合戦場所の地形的な検討。そこには戦略面を綴る一方で、戦術面でその選択を行った背景を当時の軍制や輜重体制に問い、戦闘に至る経緯へ必然性と偶然性の双方を添えていきます。

闘う覇気が最初からなかったという旧来から述べられる見解を継承しながら、その背後にある過程を軟弱化ではなく、公卿を輩する家柄となった事による家職相応の姿からの乖離と捉え、彼らに従った家人たちの仕え方が軍制と合戦の経緯を通じて変化した結果が次の時代を生み出したのだというニュアンスを多分に含みながら。その流れの中で、玉である安徳天皇と三種の神器を奉ってしまったが故に源平並立と言う姿に立ち戻れず、繰り返し勢力を盛り返し、強力に抗いつつも西海に沈みゆく平氏への哀愁を、研究者としての筆致とのぎりぎりの狭間で描く本書。

著者の心象や偶然性の扱い方にやや疑問を持たない訳ではありませんが、史料だけではなくその背景までも描写しようと心掛けた著者の筆致による平家物語を描く本書。

一部の平氏の名のある武将たちが都度に死に場所を求めたために、特に撤兵時に纏まりに欠けた戦闘を強いられ続けたと見做すような見解や、これまでであれば後白河の風見鶏的な振る舞いが指摘される部分が逆に頼朝と後白河の提携が一貫して当然として取り扱われる一方、義経の突出の背景に彼が範頼に強い敵愾心を持っていた事を前提として西国での戦線進捗の背景を描く点など。

プロローグとエピローグで丁寧に述べられる著者が描きたいと望んだ叙述や疑問と実際の筆致を比較しながら、考えながら読みたい一冊。歴史を背景を含めて描いていくという命題と、それを研究、史実として扱うという筆致のバランスを再び考えされられる著者の手による平家物語の先には、どんな歴史描写を見出されるでしょうか。

今月の読本「宣教のヨーロッパ」(佐藤彰一 中公新書)二人の改革者の先に世界を周回したカトリックは日本から太平洋を越えて

今月の読本「宣教のヨーロッパ」(佐藤彰一 中公新書)二人の改革者の先に世界を周回したカトリックは日本から太平洋を越えて

昨年は宗教改革500年と言う事で、日本でもルターを始め中世キリスト教に関する多くの書籍が刊行されています。

日本人にとってはどうしても馴染みの薄いキリスト教世界とその歴史。今回ご紹介するのは、長くその研究を続けられ、日本にその姿を紹介され続けてきた研究者の方による一冊です。今回は「宣教のヨーロッパ」(佐藤彰一 中公新書)をご紹介します。

本作は、同じ著者の方による執筆で2014年から刊行が続けられている「ヨーロッパ」シリーズの最新作(次回作もあるらしいです)。これまでに以下の3冊が刊行されています。

今回の一冊も副題に[大航海時代のイエズス会と托鉢修道会]という副題が添えられており、シリーズに一貫した著者の専門分野である中世修道院の世界を軸に描いていくように見えますが、内容は少し異なります。

研究テーマ故かと思いますが、カトリックに対して強い思い入れがある事が明瞭に判る著者の筆致。しかしながら本書の前半はその教会を永遠に分かつことになってしまった、ルターからカルヴァン、そして英国国教会に至る宗教改革の推移を歴代の教皇や世俗の君主たちの動きと対比しながら綴る事に注力していきます。

此処で著者が指摘する点が、所謂贖宥状に対する義憤的な表現がなされる宗教改革の発端について、それ以上に各地の司教職を兼任し、その収益である膨大な聖職禄を運用する聖職者たちが金銭行為に携わる事の憤りと、兼職により教会で満足な礼拝も行われなくなったことによる、信仰心の希薄化と教会の本義である、信徒に対する霊的な救済がおざなりにされていく憂いである事を指摘します。

修道院の研究者である著者が明確に指摘するように、ルター自身も自省的な修道的生活に明け暮れた先で聖書に立ち返る事を見出した事は良く知られており、決して新たな宗派を求めていた訳ではない筈でした。しかしながら前述の聖職者たちの姿とモザイク模様であった神聖ローマ帝国、教皇権力との駆け引きの先に、本人の意思を越えて、その改革が広がっていく姿を、当時のヨーロッパ世界の複雑な政治状況を含めて丁寧に書き起こしていきます。

外から見るとキリスト教内部の世俗を巻き込んだ主導権争いにも見える一連の宗教改革の推移。しかしながらカトリックの視点で描いていく著者はもう一つの見方を示していきます。宗教改革によって進取の精神を持ったプロテスタントと旧態依然なカトリックと言う誤解しがちな視点を明確に否定するもう一つの改革。宗教改革期を含む18年にも渡り続いたトレント公会議がもたらした、ルターを始めとしたプロテスタントから投じられた疑問に対して明確な反論を示す、カトリック改革としての宗教的覚醒(聖職禄の問題を残しながらも)。それこそがキリスト教、カトリックが世界に羽ばたいていく起点となった事を示します。

そして、我々日本人にとってキリスト教(カトリック)と接触する発端にあったザビエルと彼も創設に携わったイエズス会。ここで著者はもう一人のキリスト教を改革した人物として、その創始者であるロヨラの出自をイエズス会の成立に添えて述べていきます。ユーラシア東方世界で大きな足跡を残したその布教と信仰はカトリックの本質を伝えているように思われますが、前述のルター以上にとても興味深い内容が示されていきます。

騎士を目指し、戦傷で右足が不自由になった後で巡礼者から求道の道に入ったロヨラ。ラテン語の教養不足を補うために学び続けることになるきっかけが、東方、聖地巡礼への強い想いからであったことを示していきます。そしてイエズス会の根幹を成す、彼の信仰の実践を認めた『霊操』。新書としては極めて珍しいかと思いますが、本書ではこの内容を丁寧に解説することで、一度はドミニコ会の異端審問にも掛けられ投獄もされたロヨラとその仲間たちが実践した特異な信仰の姿(ドクマティックとも)を示します。そこには彼が決別したはずの騎士としての残影が会則の根底にある「神の戦士」として活動する姿に映り込んでいるようです。

強い信仰心の先に異端と断じられてもその想いを綴り、実践し続けてきた二人の改革者が強く押し広げた、キリスト教信仰の復興と激しい論争の過程。その先に大航海時代を迎えたポルトガル、スペインの動きを重ねていきます。

十字軍の逼塞に対して期待された、モンゴルの西方進出とプレスター・ジョンの登場を願う想いを受けて送り出された、草原の道を経て東方へと向かった托鉢修道会の活動と挫折(ここで宣教師たちの人的資源の不足がその布教拡大の足枷となったという興味深い指摘も)。その後に登場することになる、喜望峰を越えてゴアに拠点を置いたポルトガルの貿易路に乗って東方へと向かった、托鉢修道会の後を追ったイエズス会とザビエル。

後半ではコロンブスに始まる新大陸の「発見」、両国の征服的な活動とその道筋を辿るカトリック伝教の様子を通史に添えて述べていきますが、終盤に掛けてはザビエルとその後に続いたイエズス会、托鉢修道会による日本布教の推移を綴る事に注力していきます。

貿易のルートに乗って陸上の拠点を築いた先に布教を拡大したインド、侵略と征服の後に進む事になる新大陸(特に中南米)と異なり、貿易と言う橋頭堡を持たないままに進む事になる日本における布教。その姿は為政者の貿易に対する熱量と入港する貿易船の推移によって常に揺れ動いていく事を示していきます。不安定な日本における宣教の成果を詳細に綴る中で、本書に通底する、シリーズの副題にも繰り返し用いられてきた禁欲と清貧という、著者が修道者に映し出す姿とは相反する、自ら生糸貿易に携わり膨大な利潤を挙げつつ、その利潤を以て布教活動を継続せざるを得なかった宣教師たちの姿と活動に、大きな疑問の念を滲ませていきます。

結果として、その後の禁教により日本におけるキリスト教の伝道は途絶え、僅かに潜伏キリシタン(カクレキリシタン)として姿を変えつつ信仰が伝えられていく事になりますが、著者は最後に二十六聖人の遺骸が運ばれ、その後に支倉常長が訪れた、メキシコ・シティでアステカの言葉で綴られた記録を引用して、カトリック、キリスト教が世界の周回を成就させたことを印象付けていきます。

宗教改革、大航海時代そして世界を廻るカトリックの伝教。密接に関わり合う三つのテーマを二人の修道者を軸に書き起こして新書として纏めるという稀有なアプローチを成す一冊。それぞれのテーマごとにやや離散的な部分もありますが、カトリック視点で描く大航海時代前後のヨーロッパ史、日本のカトリック伝教史としても興味深い一冊かと思います。

 

遅くやって来た初雪の頃に(2018.12.11~15)

季節の動きが大きく変わってしまった今年。

12月に入ってもコートを着る必要がないほど暖かく、八ヶ岳界隈のスキー場も人工降雪が出来ずにオープンを続々と遅らせる状況でしたが、先週末から漸くの寒波がやってきました。

雪の予報が出た火曜日の朝。

北から雪雲を連れて下って来る寒波が、南アルプスの山並みに押し寄せていきます(2018.12.11)

夕暮れになって激しく降り出した初雪。でも、夜半には雨に変わり朝になると痕跡すら残らない状態に。

雲が晴れた翌々日の朝、雨に洗い流されて残った八ヶ岳山頂部の雪が、浅い青空の下、宝冠のような輝きを見せてくれました(2018.12.13)

先週までの暖かさが打って変わって、断続的に寒波が下って来た今週。

再び雪雲にすっぽりと覆われる朝の八ヶ岳。

雪雲を連れてきた八ヶ岳颪の強い風が圃場を吹き抜けていきます(2018.12.14)

雪雲が去り、ひんやりとした、でも暖かな日差しが溢れる休日の昼下がり。

秋の名残を残すススキ原の向こうに聳える甲斐駒。例年に比べると驚くほど少ないですが、ようやくの雪化粧となりました。

午後の八ヶ岳西麓。

穏やかな日差しの下、新雪が輝く南八ヶ岳の山並み。

まだ新雪の瑞々しい白を湛えた山並み。

一昨日に降った麓の雪は融けてしまいましたが、ここ数日で山頂部の雪渓は随分雪を湛えるようになってきました。

足早にやってくる冬至を前にした年の瀬の夕暮れ。

雪渓に降り注ぐ日射しもまた、急ぎ足で色濃くなっていきます。

雲一つない冬空の下、南八ヶ岳の峰々が夕暮れ色に染まっていきます。

刻一刻と彩を変えていく夕暮れの八ヶ岳。

薄い紅色に染まる空と共に、八ヶ岳の雪渓もほのかに染まっていきます。

杖突峠の向こうにどっぷりと日が沈んだ後、僅かに残った薄紫色の空と八ヶ岳の雪渓。

夕暮れ色が残る諏訪の街並みを遠望して。

穏やかな冬の日差し溢れる休日の一日。明日の晩には里でも再び降雪となりそうです。

今月の読本「幸せな名建築たち」(日本建築学会:編 丸善出版)住み、使い続ける人に敢えて問う、他が為に生きる名建築

今月の読本「幸せな名建築たち」(日本建築学会:編 丸善出版)住み、使い続ける人に敢えて問う、他が為に生きる名建築

大きな本屋さんを訪れると、普段はあまり手に取らない分野の本が並ぶ書棚も興味本位で廻る事が良くあります。

飛び込みで立ち寄った本屋さんで表紙や背表紙に書かれた題名だけを頼りに手に取る一冊は、時に当てが外れて読むのも苦しくなる時もありますが、お休みの日にじっくりと書棚を眺められる時であれば、中身を確かめて買えるのが本屋さんの嬉しいところ。この一冊も、手に取ってほんの数頁読んだだけでしたが、その魅力が十分に伝わってきて買ってしまった一冊です。

今回は版元さんの系列書店である、松本の丸善で購入した「幸せな名建築たち」(日本建築学会:編 丸善出版)をご紹介します。

この一冊、編者は日本建築学会となっていますが、あとがきにありますように、コラム以外は取材を含めてすべて建築士のいしまるあきこさんが執筆されています。学会の公式誌である「建築雑誌」に4年間に渡って連載された記事をベースに纏められた一冊。学会誌の連載と聞くと小難しい内容にも思えてきますが、オールカラーで綴られた1軒4ページで構成されたインタビューで綴られる内容は、建築に対する知識が全くない方でも十分楽しめる内容です。

冒頭のまえがきにあるように、「名建築とは何か」「未来の人が喜ぶ建築とは何か」を所有者、居住者に問うというテーマで始めた連載記事の取材。しかしながら本書を読んでいくと、そのような質問設定自体が甚だずれていたという事が明白になっていきます。

著者は建築士でもあり有名な中銀カプセルタワーにシェアルームを複数有するほど実際の名建築に対して深い思い入れがあり、実際に所有もされている方。それでも、紹介される建物に関わる方々から発せられる言葉の数々は、著者の想定を遥かに超えていきます(あとがきで述べられる同潤会アパートのエピソードに、その端緒が述べられています)。

自らが考え、作り、使い、住んでいる時点では、例え著名な建築家が設計した建物でも未だ名建築とはいえない。受け継がれ、使い続けられる事で初めて名建築足り得るのだという厳然たる事実。

紹介される方々の中にはもちろん自らが居住されている例もありますが、公共施設、特に庁舎や公立学校の校舎が語られる例で登場するのは、選挙を経て当選した知事や市長。民間アパートや貸しビルの場合には企業の担当者と、偶然からその建物との関りを持つことになった方も多数登場します。

自らの所有物とは言えない立場の方々が述べる一般建物への想いと、自らが育った、使った場所としての住宅建物への想い。著者ほどの造詣の深い方であってもその言葉には全く異なる重みがある事を認識させられる点が、インタビューの記事から濃厚に伝わってきます。

どの建物でも維持管理に極めて骨が折れる事を指摘されていますが、インタビューに応えられた方のいずれもが「名建築だから」維持しているわけではないという点を明確に指摘されます。もちろん、名建築ゆえの無二の雰囲気を有していることが維持されている根底にはあるのですが、もっと根源的な理由を著者はインタビューから引き出していきます。

個人の住宅や建築当時を受け継ぐ組織の担当者であれば、名建築である以上に、その建物を建てた当人の想いに立ち返ることを第一と考え、景観を含めて自らは次の世代に送り伝えていく1ページであると自任される、ある種の義務感がその支えとなっているようにも見受けられます。

その一方で、ビルやアパートのオーナーや運営者であれば、テナントや居住者がその雰囲気を気に入ってくれて途切れることなく入居者が入るから維持が出来る。町全体との調和が取れている事に物件としての価値があるから、維持費が高くてもこつこつと修繕を続けながら維持していく、旧観だけでも維持して内部は改修する。公共施設であれば、居住者の代わりとなる市民がそれで良いという理解を示してくれるから、高額な改修、維持費用を公費から投じる事が出来る。新たに生まれ変わった施設でも、ランドマークとしての価値、ノスタルジーに金銭を投じてくれるユーザーが存在し、彼らが支払う金銭によって維持収益が賄えるから施設として継続できる。

箱根、富士屋ホテル社長のインタビューにある一言。

「お客様は富士屋ホテルの発する何ともいえない家族的な雰囲気を求め、それを買いに来ているのだと思います。」

存在し、使われ続ける事自体が「価値」に変わるという事実を的確に言い表したこの表現に、名建築が生まれる根源を見る想いがします。そこには下世話な表現かもしれませんが、金銭的にも価値を生み出すという、維持する対価と言う直視せざるを得ない事実が備えられている事に。

名建築と呼ばれる建物が生き残っていく根源にある、その建物に住まい、使い続ける方々だから述べられる言葉がふんだんに盛り込まれた本書。あ、古い建物っていい雰囲気だよねという言葉のさらに一歩先にある想いに著者と一緒に触れる、42軒の人と建物の物語です。

<おまけ>

実は本書で紹介されている建物のうち、ある物件で6年間お世話になっていました。紹介される写真から、外観は当時のままですが内装は綺麗に改められて今も使われている事に、少し安堵しながら。当時はバブル全盛期で新しい建屋の建築に追われてろくな補修もされていなかった(屋内は薄汚れて照明は暗く、鋼鉄製の窓枠をゴリゴリ鳴らしながら開閉していたのも懐かしい)これらの建物にもきっと制作者の想いが込められ、それを伝えていく事を使命とされている方々に今も守られている事を改めて確認した次第です。