藍の空、八ヶ岳ブルーの下で(2018.2.18)

藍の空、八ヶ岳ブルーの下で(2018.2.18)

春節を迎えた今週。

長くて寒い、八ヶ岳山麓の冬も漸く折り返し点。

寒さはまだまだ続きますが、冬の八ヶ岳が最も美しく映えるシーズンは、冷え込みが続くこの時期です。

ピークを迎えて藍色に染まる八ヶ岳ブルーの空の下、快晴になった日曜日にぐるっと一周です。

冷え込みが再び戻ってきた朝の八ヶ岳。中央線や中央道から眺められる方にとってはお馴染みの八ヶ岳を南側から望む冬の景色です。中央高速の八ヶ岳P.Aを見下ろす場所から。

粉雪に塗された八ヶ岳が美しく映えるのは、やはり朝の青空です(2018.2.14)。

午前中は八ヶ岳の東側、野辺山から清里の方向が順光になります。

東沢大橋の赤と雪を戴く八ヶ岳の前衛、権現岳のコラボレーションが楽しめます。

清里を越えて野辺山側まで廻り込むと、標高は1300mを越えてきます。

正面に主峰の赤岳と後方には横岳が望めるようになります。

高原地帯の牧場を抜けていくと、八ヶ岳を側面から一望できる場所に至ります。

冬の低い太陽が真上に上る頃、八ヶ岳の雪渓が八ヶ岳ブルーの空から浮かび上がります。

唯々、藍色の空が広がる下で、暫し風の音に身を委ねながら。

今年は降雪が多いのですが、一方で風も強く、地温も高いのでしょうか、広大な牧草地の所々に枯れた牧草が顔を覗かせています。

冬の低い太陽は、お昼を過ぎると急速に角度を低くします。

ぐっと海ノ口側に廻り込むと、傾き始めた陽射しが柔らかな表情を作り出します。

野辺山を離れて、八ヶ岳の裾野を北側を廻り込んでから、再び山懐に飛び込んでいきます。

西に傾いてきた日差しを受ける、蓼科牧場から眺める蓼科山。

昨日までの強い北風が収まって、穏やかな表情を見せてくれました。

3時を過ぎて日差しが西に傾いてきましたが、既に春節。まだ日差しが充分に残っています。

もう少し足を延ばしてみましょう。

大門峠を越えて八ヶ岳の西側に廻り込みます。

ビーナスラインから望む八ヶ岳のパノラマ。気温-9℃と地上に比べればぐっと冷え込んでいますが、風が穏やかなので寒くは感じません。

先ほどは足元から見上げていた蓼科山を今度は正面から。

標高1800mに迫る車山の肩にある、伊那丸富士見台からは、南北双方の八ヶ岳連峰の全てを俯瞰で望む事が出来ます。

そして、陽射しが西へと落ちてくると、空の色は藍色から柔らかな青へと移り変わっていきます。

夏のシーズンであればハイカーが昇るであろう車山の山頂へ至る小路も、今は小動物の足跡が残るばかり。

西日が低く山裾から照らし出すようになると、木が殆ど生えない車山の山裾が真っ白に染め上げられていきます。柔らかな夕暮れの青。

振り返ると、霧ヶ峰の向こう、西の空には既に次の雲たちがやって来ました。

5時近くなっても山の上は明るく、随分と夕暮れの訪れが遅くなってきた春節の夕暮れ。

厳冬の空を藍色に染める八ヶ岳ブルーが楽しめるのも、あと一ヶ月ばかりとなりました。

 

広告
今月の読本『勘定奉行の江戸時代』(藤田覚 ちくま新書)幕府270年を実力と出目で支えたノンキャリアの「山師」たち

今月の読本『勘定奉行の江戸時代』(藤田覚 ちくま新書)幕府270年を実力と出目で支えたノンキャリアの「山師」たち

江戸の三奉行といえば寺社奉行を筆頭に町奉行、最後に連なるのが勘定奉行であることはご存知かと思います。

大名役の寺社奉行は確かに影の薄い存在ですが、やはり一番有名で、取り上げられる機会も多いのは町奉行。江戸の町民たちと密接に接していると感じらえる彼らですが、そのキャリアパスは名門旗本でも最上位に位置付けられる両番からの出身者でほとんどが占められ、実際には江戸の町民たちとかなり距離がある、当時のスーパーエリート達だったことはよく知られているところです。

では、町奉行と対比するように扱われる勘定奉行のキャリアパス。格式では町奉行に僅かに劣りますが、万石以上の大名と並ぶ五位の諸大夫にして旗本が務める最高職の一つである、幕臣中でも最高位に位置付けられる彼らの約1割が、出自もあやふやなお目見え以下の御家人や、御家人株を買った、または御家人株を買った上で、旗本家等に養子で入った武士とも言えない人物やその子供たちが務めたと聞くと、少々驚かれるかもしれません。

今月の読本は、そんな彼らの姿を近世史の大家が興味深く解説してくれる一冊をご紹介します。

今月のちくま新書新刊より『勘定奉行の江戸時代』(藤田覚)のご紹介です。

著者の藤田覚先生は、日本の近世史、特に江戸後期の幕府、朝廷関連の政治史の専門家で、一般向けにも数多くの著作を著されています(現在は東京大学の名誉教授です)。すでに大家と呼ぶべき研究者の方が改めて新書として送り出す一冊は、研究者向けの書籍とは異なる、著者の研究上で抱いた好奇心を広く知って欲しいという思いで綴られています。

それは、最後の武士の時代である江戸幕府において、そのトップにまで上り詰めた人物への興味と特異なキャリアパス、彼らが行った施策がどんな内容であったかという点。この二つを幕府の財政政策と結び付ける事で、270年も続いた幕府におけるターニングポイントには、常にノンキャリアの勘定奉行が存在していたことを浮かび上がらせていきます。

前半で述べられる、幕臣の昇進ルートの解説と勘定所の構成。ご承知のように町奉行所の構成は、大枠で与力、同心の2段階しかなく、旗本役である与力の石高は200石と高くても、転属や昇格は殆どなく、彼らの中から町奉行となった人物は一人もいません。一方で、勘定奉行のオフィスである勘定所の構成はより複雑であり、後期には勘定方と公事方の2系統に分かれ、道中奉行を兼帯し、その人員は運用や調査業務も担っていた評定所への出役や、郡代に代官、更には金銀銅座、長崎会所へも出役をするなど、全国にその組織は広がっていました。

格式では町奉行や寺社奉行に劣るものの、業務規模では圧倒的に広大な勘定所を所轄する勘定奉行。広範な業務を遂行するためには多彩な人材を擁することが求められ、それ故に勘定所への採用は、いわゆる番方のような、出自や家格、人物を以て番入りするというスタイルではなく、早くから算筆吟味で採用されるという、科挙を否定した近世までの日本の行政としては異例の、選抜主義が採用されていたことを示していきます。

そして、多彩な業務に携わるということは、新たに発生する業務に対して柔軟に対応できる人材の供給源でもあったという点。彼ら勘定所を振り出しに幕臣としての業務に就いた人々は、勘定所の中でステップを上り、さらには勘定所を離れ、出役や他の職場(普請系や御三卿の家老など財務に関わる職種が多い)へと広がっていくことになります。エリート旗本の昇進コース(この辺りの構造的な解説は山本博文先生の、家格については故・小川恭一先生の著作に詳しいです)である、番入りから目付を経て遠国奉行などへと昇格する、現在のキャリア職にもその影響が強くみられるルートとは異なる、勘定奉行特有の昇格ルート。勘定所の内部昇格から、または目付ルートへと乗り換えての昇格、更には多額の金銭と業務を扱うが故に、老中からの掣肘を本来の目的として設けられた勘定吟味役からの昇格(もう一つには金さんこと、遠山景元のように将軍家の側近である御納戸や小姓から下三奉行を経て送り込まれるパターンも)と多彩なルートを経て幕政のトップへと就任した彼らには、江戸時代を通じて常にある重要な目的が課せられることになります。

本書の中盤以降で5章に分けて時代ごとに語られる、歴代の勘定奉行の活躍と幕政。皆様がよくご存じの江戸時代における時代区分ごとに、ノンキャリアといえる勘定奉行が輩出され、彼らの手を通じて様々な施策が繰り広げられることになります。

その施策の中核となるのが、緊縮と改鋳による出目。特に本書は、その時々の勘定奉行の特異な出自や時代背景における、活躍した人物を紹介する内容と同じくらいに、出目による幕府への財政貢献と、その反動である通貨品位の下落の対比を綴ることに力を注いでいきます。

トップバッターとなる、もはやお約束の荻原重秀。ここで著者は新井白石とのし烈な反目を扱う一方、昨今特に言及されるようになった、元禄経済の繁栄をもたらしたのが、荻原重秀の通貨政策であり、そのインフレ誘導政策による物価上昇率(年率で3%程度)は、経済成長のためには、充分に穏便であるという論拠に疑問を挟みます。古典的な封建的重農主義者で経済音痴の学者に過ぎない白石に対して、実務家として、商業資本主義を見据えた、開明的で極めて有能な財政政策者であったとの経済系学者の皆様からの荻原重秀に対する評価に対して、あえてその著作を指名して、近世史の専門家としての反論を述べていきます。

いわく、現在の水準における経済成長率と当時の低成長社会における経済成長率を同じ視点で述べること自体着眼点がずれており、その意味では幕末の開港直後の物価上昇率(これも出目でカバーすることになるのですが)は、ハイパーインフレと称すべき水準であったとします。また、改鋳率と物価上昇率を比較すると、比較的類似の数値が得られる点を指摘して、通貨供給量を増やしたことで経済の循環がよくなったわけではなく、単純に改鋳によって、インフレが誘発されたに過ぎない(特に銀使いの西国を狙い撃ちにした点は従来から指摘されているとおりです)と指摘します(荻原重秀が残した瓦礫云々の口伝について、幕末には現実となるのですが、大局的にはこの時点や更には大恐慌を経て戦後のニクソンショックの頃まで、世界的にも貴金属本位制を志向していたはずです)。

その上で、著者は根本的には経済政策ではなく幕府の財政運営の問題として、全国政権としての国家規模での事業を賄う必要に迫られる一方で(本文中にもあるように、御手伝い普請という技も使うのですが)、武家政権に伝統的に期待される(と、儒者や歴史学者が抱く)矜持を離れて弛緩した将軍家の浪費と、そのことに極めて関心が薄い、大名出身者で占められる閣老に対して、実務官僚として、更にはノンキャリアの叩き上げである勘定奉行が最後の切り札として放つ、キャリア官僚では踏み込めない決断を迫る算段としての改鋳と、その絶大な効果である出目による膨大な財源補てんの推移を、ほかの施策と併せて捉えていきます。

元禄を起点に繰り返される倹約を主体とした緊縮財政と農業振興、特に新田開発を中心とした収穫量増長政策とそれに伴う課税体制の強化といった予算均衡、重農主義的な財政政策と、貨幣供給を源泉とする株仲間や冥加金、更には御用金といった商業資本からの徴収を基軸に置いた、拡大経済、重商主義的な財政政策が鋭く対立する江戸中期以降。著者は米本位制を軸に置いた新田開発が曲がり角を過ぎた享保以降に繰り返される「改革」も、結局としては、その後に展開される勘定奉行が主導する出目による収納補填に頼る財政政策に依存せざるを得なくなっていく過程を示していきます。

その過程で登場するのが、大型の干拓や蝦夷地開発、商人からの御用金を集めての国家による金融や財政投資の萌芽を見る、ノンキャリアである勘定奉行が主導する大規模な投資政策。著者が指摘するように、海防や学問、外国の技術取得に対しては極めて消極的な立場を採った一方で、自らの成果は何としても出すことを迫られ、それを自らに課したが故に山師とも取られるような危ない橋を渡る事も辞さない彼ら。これら勘定所が主導した政策も決して上手くいったわけではなく、政権の交代に伴って、かれらもその浮沈を共にすることになります。

経済政策としては上手くいった例が決して多くないため、彼らが巨額の賄賂を取ったとか、成り上がり故の身贔屓や閨閥作りなど負の側面が殊更に取り上げられることもありますが、著者はその一方で、彼らのような勘定所を入口としたノンキャリアたちという、能力主義のステップを経た血の入れ替えがあったからこそ、270年もの間、幕府が曲がりなりにも全国政権として維持し続けることができた点を忘れてはならないと指摘します。

開国前夜における外国との交渉の最前線にも立つことになった勘定奉行とその属僚たち。ここで、著者は彼らの業務に対する高い順応力を認める一方、内政と財務をベースとした人材の限界を暗示していきます。ノンキャリアの勘定奉行の掉尾を飾る存在として川路聖謨を取り上げて、開国前後から余多輩出されてくる、彼とまったく同じように小身から一気に駆け上がってきた幕末の幕臣たちに対して、川路の政策と視点の限界を示すことで、彼らノンキャリアの活躍する舞台としての幕府の終焉を見つめていきます(小栗上野介はバリバリの旗本ですので本書の扱い外で)。

昨今、歴史関係の研究から少し離れて盛んに唱えられるようになった、楽観的な江戸時代への懐古主義にも感じられる数多の書籍の内容に対して近世史の大家が示す、ノンキャリアの勘定奉行たちの姿から見た財政史としての江戸時代の実情を丁寧に綴る本書。

碩学の思いが込められた筆致に暫し思考を委ねていくと、歴史研究の狭間から、平板だった歴史著述の中にもう一つの展開が明確な輪郭を伴ってすっと浮かび上がってくる、そんな一冊です。

厳冬の朝に、神が渡る湖上の道筋(諏訪湖の御神渡)2018.2.9

厳冬の朝に、神が渡る湖上の道筋(諏訪湖の御神渡)2018.2.9

厳冬と雪が繰り返される今年の八ヶ岳山麓の冬シーズン。

月曜日の5日には、諏訪の皆様が待ち焦がれた御神渡の拝観式が八釼神社の氏子の皆様が氷上に居並ぶ中、無事に執り行われ、諏訪湖の湖面を渡る氷の道が正式に御神渡と認定されました(この記録は、後ほど諏訪大社に報告され、更に気象庁と宮内庁へと報告があげられる事になっています)。

冷え込みが続いたために、一度凍った諏訪湖の湖面は容易には溶けることも無く、日々成長を続ける御神渡の氷の道。平日にもかかわらず、続々と湖畔に訪れる皆様をちょっと羨ましく思いながら、山懐に近い、こちら八ヶ岳南麓も厳冬の日々が続いています。

再び夜半にサラサラの粉雪が舞った火曜日の朝。

甲斐駒と周囲の山々も雪雲に覆われています。

朝8時を過ぎて、雪雲が離れつつある南アルプス、鳳凰三山。

雪煙を上げながら離れていく雪雲を眺める、節分を過ぎても厳冬の日々が続きます。

そして、週末の悪天候と気温の上昇が伝えられる中、やはりどうしても見ておきたいという欲望には勝てず、金曜日の朝に諏訪湖へと足を向けます。

諏訪湖の西岸、湊小学校前の船溜まり近くには、沖へと向けて伸びていく氷の道がくっきりと表れていました。

沖合を下諏訪方面へと延びていく氷の道。

船溜まりから伸びた氷の道は、沖合でもう一本の氷の道に繋がっています。

近づいていくと、八ヶ岳をバックに、昇りはじめた朝日を受けて、氷の道が輝いています。

湖畔の岸辺に降りてみます。

氷の道が岸辺へと寄り添うように伸びてきていました。

霧ヶ峰をバックに岸辺から沖合へとうねるように伸びる、氷の道。

道の先は、対岸の諏訪大社下社がある、赤砂崎へと繋がっていました。

肌が切れるほどに冷たい、気温-10℃を記録した午前7時過ぎの諏訪湖畔。

厳冬期に訪れた、冬の奇跡ともいうべき景色に、訪れていた多くの方が魅入っていました。

日が昇ってきて、氷の道が浮かび上がって見えて来る頃、御来光を目当てに訪れていた皆さんが徐々に帰られる中、少し静かになった湖畔から、南八ヶ岳の峰々を望んで。

厳冬を待ちわびた先で、再び見る事が出来た、素敵な冬の朝の一ページとして(あ、このあと車を飛ばしてぎりぎりでの出社となったのは言うまでもありません…というか、地元の皆様も「朝活」ご苦労様です)。

暖かな3連休最初の土曜日、夕方から「かみ雪」が降りしきる中、湖に浮かび上がった氷の道はどうなっているでしょうか。

注記:

本来の御神渡はこちらのリンクの図にありますように、上社側の渋崎から、今回ご覧頂いた氷の道の先に繋がって下社側の赤砂崎に弧を描く様に繋がる事となっており、写真で掲載している部分は「本当の意味での」御神渡ではない事をご承知おきください。

神事としての御神渡や諏訪大社の特殊神事にご興味のある方は、非常に有名な八ヶ岳原人さんのサイトをご参照願います(今回の写真も掲載されています)。

 

立春の午後に(2018.2.4)

厳冬の満月と月食の夜を越えて、5年ぶりの御神渡確認の知らせに歓喜湧く諏訪の皆様がちょっと羨ましかったりするこの週末。

日曜日、季節の移り変わりを知らせる立春を迎えました。

昼下がりの長坂、清春白樺美術館前。

輝く雪渓を戴き厳然と眼前に佇む威容。厳冬期の昼下がりに、この場所から望む甲斐駒は、他を圧倒する威厳を放っています。

気温5℃と標高800m近いこの場所にしては暖かな、立春の名に相応しい眩しい日差し溢れる午後。

凍結した溜池越しに望む八ヶ岳も、先週の降雪で再び白さを取り戻しています。

麓に降りて用事を済ませて再び戻ってくると、陽射しをたっぷりと浴びていた甲斐駒は、再び雪雲の中に。

穏やかだった昼下がりと打って変わって、冷たい風が吹き抜け、気温は0℃程まで下がってきました。

今年の冬は、本当に風が吹く日が多いです。

天候が悪くなる前にと、夕飯の食材を調達するために、峠を越えて諏訪湖側に降ります。

普段は静かで、ランニングをする方がちらほらと見受けられる程度の湖畔には、驚くほど多くの方々が訪れています。

日没を迎える頃、正面の雪渓を戴く美ヶ原は、うっすらと夕日に染まり始めています。

雪雲に覆われた塩嶺の向こうから、柔らかな夕日が凍った湖面を照らしています。

そろそろ日没。

湖面を這うように進む氷の裂け目の先に、夕日に染まる美ヶ原を望みます。

流石にこの時間になると湖畔を歩かれる方もまばらに。

湖面を伝う冷たい風を受けながらも、暫し、移りゆく空の色を眺めつづけていました。

陽射しがぐっと長くなってきましたが、まだ厳冬の只中にある諏訪湖。明日の朝、氏子の皆様がこの5年間、願って止まなかった御神渡の拝観式を迎えます。

Frozen days2(全面結氷を迎えた諏訪湖)2018.1.28

Frozen days2(全面結氷を迎えた諏訪湖)2018.1.28

朝から薄曇りとなった日曜日。

前日に再び全面結氷となったとのニュースを聞いて、夕飯の買い出しの序に諏訪湖まで足を延ばしてみました。

諏訪湖を一望できる立石公園。

足元の湖面は完全に凍結していました。

ニュースを聞きつけて訪れた多くの皆様が、口々に「凄いね」と声を上げていました。街中にある、これだけ大きな湖が全面結氷すると、何度観ても流石にインパクトは大きいです。

正面向かって左側、諏訪大社、上社がある渋崎側をアップで。沖に向かって筋が伸びています。

立石公園の正面反対側、岡谷市湊の周辺です。

御神渡の候補になるでしょうか、沖に向けてカーブをしながら筋が伸びています。

正面右側の岡谷市川岸から、諏訪湖唯一の流出河川となる天竜川の源流点、釜口方向を望みます。

川の流れがあるために凍結しにくいのですが、今日は綺麗に凍り付いています。

そして、立石公園の手前右側、諏訪大社の下社がある、下諏訪町赤砂方向です。

こちら側の湖面は白く凍結しています。それでは、山を下りて湖畔に行ってみましょう。

下諏訪町赤砂から、上社のある渋崎方向を望みます。

お天気が良ければ、正面に富士山が望める場所ですが、午後になってお天気がさらに悪くなってきました。

波打つ事のない、凍りついた湖面が沖に向かって静かに広がっています。

諏訪湖を囲う山並みを氷上に映す、岡谷側から湖面を望みます。

葦原に打ち寄せられた水が、そのままに凍り付いています。

 

立石公園の反対側、岡谷市湊に来ました。

山の上から見えた、沖合に延びる氷の筋が幾重にも折り重なっています。

湖畔に立つと、時折ピシピシという、氷がせめぎ合う音が響いています。

暫くすると、西の塩嶺から雪雲が迫ってきて、一面雪雲に覆われてきました。

この後、遠くに白く霞む霧ヶ峰を望む湖畔は、あっという間に吹雪になってしまいました。

地元の方々が願って止まなかった今シーズン2度目の諏訪湖の全面結氷。

吹雪のような雪が降り、今夜までは引き続き寒さが続くとの気象情報の中、果たして神様が湖面を渡ると言い伝えられる、御神渡への道は今週、開かれるでしょうか。

 

Frozen days1(厳冬の空色)2018.1.25~27

Frozen days1(厳冬の空色)2018.1.25~27

関東地方で久しぶりの本格的な降雪となり、記録的な最低気温となった今年の冬。

実は、八ヶ岳の山麓では雪はそれ程でもなく、寒さも例年とちょっと違うようです。

関東地方で大雪が降った後、厳しい冷え込みとなった朝ですが、強く冷たい風に冷やされているだけで、地面から忍び寄ってくる、痺れるような冷え込みとはちょっと異なるようです。

路面には凍結が無く、速やかな除雪のおかげもありドライなアスファルトの道を行き来出来る朝。西からの強い風に雲が煽られている八ヶ岳を望む圃場は、白い雪に覆われました(2018.1.25)

圃場を埋める雪も20cmを下回る程度と、それほどの積雪ではなく、落葉松に覆われる南アルプス麓の山々も、谷筋以外は黒々としています(2018.1.26)

強烈な風のせいで、気温は終日氷点下となりますが、肝心の諏訪湖の結氷はこの時点でも全面には至らず。陽射しが長くなる節分まで秒読み段階となって、地元の方も気を揉んでいます。

今シーズン一番の冷え込みとなった土曜日。

雪原に輝く八ヶ岳を望みに、野辺山まで足を延ばします。

凍てつく大地の向こうに、雄大な八ヶ岳の山並みが見えてきます。

午後の陽射しを浴びて輝く、八ヶ岳の主峰、赤岳。

午後1時の時点でも氷点下5℃と極寒の中、白銀に光る雪渓に暫し、見惚れてしまいます。

西に傾く日差しを追って八ヶ岳の西麓側に。

西側から望む南八ヶ岳の赤岳と横岳。西日に照らされると少し暖かな感じのする雪化粧です。

同じく北八ヶ岳の蓼科山と北横岳。

アイスクリームのように粉雪が降りかけられた北八ヶ岳の山々を眺めるのは、このシーズンのちょっとしたお楽しみです。

暫し待っていると、春節を前に随分長くなってきた西日が陰り始めてきます。

雪化粧を施された八ヶ岳の山々は、刻一刻と色を変えていきます。

山裾の落葉松林と雪渓がそれぞれの色に染まっていきます。

桃色に染まり始めた北八ヶ岳。

入笠山辺りから漸く杖突峠の近くまで戻ってきた夕日が沈んだ直後、八ヶ岳の雪渓は柔らかな桃色に染まります。

陽射しが完全に落ち切った後、僅かに残った夕暮れの残滓が、八ヶ岳のバックをほのかに染めていきます。

終日氷点下の真冬日となると、家から出掛けるのも億劫になりますが、そんな心を慰めてくれる、この時期にしか観れない山々の色。

雪が少なくてもぐっと冷え込むのは、八ヶ岳山麓ならではの風物詩。御神渡、今年は観られるでしょうか。

今月の読本「古代史講義」(佐藤信:編 ちくま新書)15講のガイダンスが誘う、未来の教科書を見据えた古代史へのパスポート

今月の読本「古代史講義」(佐藤信:編 ちくま新書)15講のガイダンスが誘う、未来の教科書を見据えた古代史へのパスポート

ちょっと意外な刊行に驚いた一冊。

毎月新刊が刊行される新書の中で古代史に関連する書籍は少ない訳ではありませんが、珍しい15名もの執筆陣を揃えた講義スタイルの編集。編者の佐藤信先生を始め、執筆される方々は皆、当該分野における第一線級の研究者です。では、そんな古代史概論の狙いはどの辺りにあるのでしょうか。

今回は「古代史講義」(佐藤信:編 ちくま新書)をご紹介します。

本書は時代順に邪馬台国から平泉までという、およそ新書がカバーする範囲を遥かに超える広範な時代を「古代」と定義して、15名の研究者が時代順にそれぞれ1つずつのテーマを担当して執筆されています。

ページ数が約280ですから、1テーマ当たり20頁弱、更には各テーマの最後には必ず一文を添えた参考文献を複数冊紹介する形態を統一して採っていますので、実際の分量はさらに少なくなります。

僅かなページ数をやりくりしながら描く内容は、各執筆者にある程度裁量を委ねているようで、口語体から物語風、呟き混じりで少し崩し気味の文体からかっちりした学術書流儀の記述まで。かなりのバリエーションに富んでいますが、いずれのテーマにも二つの共通点があるようです。

一つ目は、高校の歴史授業を受けたレベルで充分に理解できる内容である事。その授業を通じて多くの方々が学んできたであろう「通説」となっている内容に対して、現状の議論や研究課題が如何に変化してきているのかを明示する点です。

二つ目には、古代史と聞くとどうしても「発掘成果」か、「残された史料」のどちらか一方に傾斜して取り扱われる事例が散見されますが、編者たちは双方のバランスと取った、考古学と文献史学双方の知見を重ね合わせる事で、より妥当性のある見解を提示することを念頭に置きます。

従って、本書は読者にとっての新たな知見を提供することを前提としていますが、その提供される内容は、これが決定版、確定事項などというような紋切り型で提示されるものではありません。取り扱われる内容も、現時点でも盛んに議論されている内容であったり、確定的な事は全くわかっていない(古代史の特徴として、たった一つの出土史料がこれまで研究者達が営々と築き上げてきた仮定、史論、文化論を一瞬で吹き飛ばしてしまう事も多々あります)内容もあえて取り上げています。

むしろ本書はそれら巷間に伝わる、教科書をベースにした「通説」や、多彩な著述者が想像の羽を広げて描く物語と考古学/文献史学の中間線を往く書籍などで、まるで確証が得られたかのように論じられる内容に対して、前提となる考え方、通史としてのこれまでの議論を踏まえた上で、最新の研究成果、知見を以て、それらの定義に妥当性の尺度を当てはめ、是正を求め、現在の議論の方向性を示す点にあります。

時間軸を違えつつも、読者となる我々がいずれも同じように通過する故に、どうしても「通説」を生み出す起点となってしまう教科書記述に対して、是正されるべきこれまでの旧説を明示しつつも、最新の議論を提示した上で、古代史故に、これらの議論は常に塗り替えられることを念頭に置きながら綴る、15編のガイダンス。

私の勝手な解釈ですが、ある程度各章の内容には編纂のパターンが認められます。

a.歴史上の争点(or話題の書籍)に着目したテーマ

1.邪馬台国から古墳の時代へ

3.蘇我氏とヤマト王権

14.平将門・藤原純友の乱

多くの刊行物や議論があるテーマを扱ったセクション。述べられる内容も、通説についての現時点での論点を述べる内容が中心となります。有名な通説について、読まれた後で、どのような認識の変化が得られるでしょうか。

b.ヤマト(倭)、日本の文化に関する内容に着目したテーマ

5.平城京の実情

8.遣唐使と天平文化

12.国風文化と唐物の世界

15.平泉と奥州藤原氏

文化的な側面を捉えたセクション。本書で一番華やかな部分ですが、実は一番議論に慎重を要する内容が詰まっています。とりわけ声高に唱えられる事のある、文化的な独自性や逆の追従性について、著者達はどちらも慎重な見方が必要であることを訴えます。

c.政治史、特に軍事的な点に着目したテーマ

2.倭の大王と地方豪族

4.飛鳥・藤原の時代と東アジア

6.奈良時代の争乱

9.平安遷都と対蝦夷戦争

教科書などではもっとも多く採り上げられるであろう、争乱と戦争の記述。発掘成果も添えた最新の研究成果と議論には、特に記紀の記述をベースとした著述に対して、慎重な再検討を求めていきます。

d.政治史、特に行政に着目したテーマ

7.地方官衙と地方豪族

10.平安京の成熟と都市王権

11.摂関政治の実情

13.受領と地方社会

本書の中では一番地味なテーマですが、教科書を始め歴史著述を行う際に、これら基盤となる内容がどれだけ踏まえられているかで、著述内容の精度や背景の豊かさに大きな差が生じてきます。そのような意味で、特に地方の行政組織と人員構成、摂関政治の本質については、旧来の考え方と大きく変わってきており、改めて理解を深めておきたいところです。中でも、編者の佐藤信先生が担当された部分は、文献史学の検討結果を考古学的成果とダイレクトに紐付けて見せることで、立体的な歴史著述を成立させる、流石に読ませる内容です。

なお、本書は前述のように全ての章末に参考文献が掲載されており、本書をターミナルとして、それぞれに興味を持たれた内容へ更に進んで欲しいという執筆陣の想いが込められています(編者の佐藤信先生と、坂上康俊先生、川尻秋生先生の著作は特にお勧めです)。

お気に入りのテーマは見つかりましたでしょうか、ご自身の「通説」を試してみたいテーマは有りましたでしょうか。

それでは本書をパスポートに、古代史探訪のフライトへ。