今月の読本「絶滅魚クニマスの発見」(中坊徹次 新潮選書)生態と社会から見据える、人が消滅させ人が伝えた魚が現れた意味。未来は再び人の手に

今月の読本「絶滅魚クニマスの発見」(中坊徹次 新潮選書)生態と社会から見据える、人が消滅させ人が伝えた魚が現れた意味。未来は再び人の手に

New(2021.6.9)時事通信のサイトに本書の著者、中坊徹次先生のインタビューが掲載されました。「卒論」と評された本書、TV等でこれまで取り上げられてきた内容とはかなり異なる印象を与える、同定に携わったご本人による総括となる一冊。お手に取られた方はどんな思いを受け取られたでしょうか。

New(2021.5.9) 本書の版元である新潮社のWebサイト「デイリー新潮」で本書の紹介記事が掲載されています。田沢湖の「クニマス未来館」提供による、人工繁殖させた初めての「成体」映像もご覧いただけます

センセーショナルな発表から10年余り。

当時、その発見者としてもてはやされた、魚と魚食の普及活動に献身的に携わられている方の次に紹介をされていた一人の研究者。

その魚を同定した人物として、あらゆる場面、媒体で紹介され、発見の意義と未来を語られていましたが、一般の方々に向けてその業績が纏まった形で紹介されることは、これまでありませんでした。

田沢湖と西湖、二つのゆかりのある場所に小さいながらも記念館が建てられ、山梨県では人工繁殖も始まったことで当時の熱気も随分と褪めてきたこのタイミングに、ちょっと意外な形で登場した一冊の本。

絶滅魚クニマスの発見

今回は「絶滅魚クニマスの発見」(中坊徹次 新潮選書)をご紹介します。

著者は魚類、釣りが好きな方にとっては、きっと馴染みの深い方。日本の魚類分類学に於ける第一人者である京都大学の中坊先生(現在は名誉教授)。その業績は、本邦最大の網羅的な魚類総覧であり、日本の魚類学、分類学の金字塔である「日本産魚類検索 全種の同定 第3版」(東海大学出版部、2021年4月現在サイト再構築中につき本書のリンクは失われています)の編者、著者として、当該分野では広く知られる人物です。また特定の研究分野に留まることの多い自然科学系の研究者の方としては異例の、漁業関係者からフィールドワークを専門とされる写真家、イラストレーター、更には釣り関係者等、魚を扱う幅広い関係者からの魚種の同定に関する相談を受ける一方、逆に研究対象としての標本捕獲を彼らに依頼し、同定を請け負うという、フィールドの博物学者とも近しい活動をされている方です。

実際にはもっと嬉々として取り掛かるといった、双方にフランクな関係のようです。この辺りの事情を快活に語る、写真家でもある元釣りサンデー社社長/編集長が綴った大著「遊遊さかな事典」(小西英人 KADOKAWA/エンターブレイン)もご覧ください。同氏が編者を務めた、釣り関係者なら誰もが一冊所有したいと考える一大釣魚写真集、私も学生時代に無理して買った際の感動が忘れられない「さかな大図鑑」(釣りサンデー/現在は「釣り人のための遊遊さかな大図鑑」( KADOKAWA/エンターブレイン))では中坊先生が監修も務められています。

今回の「発見」自体が、前述のように自らのクニマス研究に関連した実物資料(冬場にヒメマス…)を持ってくるよう依頼(強要?)したという無茶振りから始まった物語。発見に至るストーリーも、報道等で述べられるお話とはだいぶ異なっていた事を繰り返し本文中で語られていきます。

センセーショナルに持て囃された「再発見」というスポットライトの当てられ方と「同定」された事実、その事実に至るまでの段階を踏んだ経緯。クニマス自体が何故西湖だけで生息できたのか、そもそも何故、田沢湖で絶滅しなければならなかったのか。

その取り上げられ方と、自然科学研究者としての認識に大きな齟齬と違和感を持たれ続けた著者が、この機に際して明らかに系統違いとも思える、ビジネス系叢書のラインナップとして上梓された一冊。

魚類分類学者としては広く認知されている著者ですが(その例示として、編著に「陛下も著述された」と枕が打たれる事もあります)、そもそもは海水魚の分類(投げ釣りのお友達、ネズッポ/ネズミゴチ)が専門。比較的一般の方々にも知られている例ではアオギスの同定や、近年では本書にも紹介されるメバル複合種群(アカメバル/クロメバル/シロメバル)の種確定について紹介されることが多い著者にとって、淡水魚は本来専門外。淡水魚、特にマス類の分類に関しては極めて精緻な議論がなされる一方、近代の日本に博物学がもたらされて以降、百家争鳴で常に混沌とした状況から脱しえないという嫌いが強い中での発表。

現行の議論や分類にご興味のある方は「改定新版 サケマス・イワナが分かる本」(井田齊,奥山文弥 山と溪谷社)、過去の経緯と複雑化してしまった背景にご興味のある方は「ヤマメとイワナ」(今西錦司 平凡社ライブラリー)もどうぞ。

更には容易に交雑すると考えられるヒメマスが放流されている西湖での発見、移入先での生存という、水系毎のち密な亜種分類を重んじる淡水魚の研究内容としては看過できないとも思われる前提条件に対する、最先端の手法を交えた分類学に基づく学術的な同定に対する見解の提示と今日の広く同意を得るまでの過程。それらの過程に対する苦衷の思いが文中に滲み出る本書。

  • 第一部 どのような魚か
    • 第1章 発見への道のり
    • 第2章 西湖のクロマスはクニマスか
    • 第3章 伝説から科学へ
    • 第4章 原型としてのヒメマス
    • 第5章 田沢湖でクニマスになる
    • 第6章 種の輪郭
    • 第7章 記録の検証
  • 第二部 絶滅と復活
    • 第8章 消えゆくクニマス
    • 第9章 田沢湖の昔
    • 第10章 漁業組合の結成と終焉
    • 第11章 見えない魚の行方
    • 第12章 発見から保全へ
    • 第13章 保全と里帰りのための研究
    • 第14章 里帰り-現在から未来へ

目次の紹介を致しますが、本書は前述のような魚類分類学としてのテーマを掲げたクニマスの同定と種としての特性を論じる部分と、著者の専門分野からは大分離れた、江戸時代の歴史/民俗から語り始める、田沢湖での漁業から玉川の酸性水導入による死滅、現在の里帰りに向けた取り組みを語る部分で大きく分かれていきます。

全300頁の本文と横書きの参考文献が15頁という、一般向けの人文書が手掛ける一つの魚種発見物語としてはボリュームのある本書。著者の研究テーマを少し離れて現地を訪れての資料探訪や聞き取り、田沢湖でのシンポジウムに至るまでの話を織り込むルポルタージュとして、少し肩の力を抜いた形で綴られる後半部分。一方で、同定までの過程や種としての分類の解釈、更には域外保全となっているクニマスの現状を語る際の極めて慎重で要所に各方面への配慮を入れていく前半と終盤の筆致。

研究者の方故にやや生真面目な文体(人文系読者に向けた本書で、山立ての意味を二線交差法という言葉で説明に添えてしまう)ながらも平易に綴られていますが、近世近代の社会学と魚類分類学、淡水の環境保全という、同じフィールドを扱うも全く異なるアプローチが求められる内容が同居する一冊。相互の内容を同時に読みこなすためには相応の前提知識、理解を持つことを読者に求めていきます。

魚類学や分類学、保全生態学といった自然科学の学術分野に偏った視点ではなく、歴史上の経緯を含めて広く近代の日本が歩んできた道程の中での「発見」であった事実を伝える事を願って止まない著者の想いに応えられる、新書に比べると多少なりとも長い期間、書棚に置かれ、後に専門系文庫への収蔵も視野に入り得る、総合叢書のテーマとして取り上げられた一冊。

何れも本来は海から遡上し、川で繁殖を行う脂鰭を持った一族の中でも、陸封されることもあるベニザケに連なる一連の魚種。産卵期には川を赤く染める程に群れが集まり、陸封された場合でも主に川の上流部や浅瀬に於いて集団で産卵する彼らの中で、日本一深い田沢湖にヒメマスと交わらずに生息し、湖の湖底部で産卵し、群れを成さなず、更には周年産卵性の傾向を示す、往時の人々が残した生体の記録に興味を抱いた著者の好奇心から始まったクニマス「発見」に至るストーリー。ダーウィンの言葉を借りながら同定までの苦労を重ねる部分は、博物学や分類学に興味のある方であれば、大変勉強になる内容かと思います。

ご興味の薄い方には、この部分はちょっと辛いかもしれません。新種発見と登録へのアプローチや分類学がなぜ必要なのか、ご興味のある方は「新種の発見」(岡西政典 中公新書)もご覧ください。

新種発見では当然となる学術誌での掲載(=新種発見)と実作業のタイムラグが生じさせる周囲のジレンマ、実際の発表から取り上げる側(主にマスコミと受け取る我々)の認識との大きな齟齬に悩まされる、分類学者としての著者の心象は、他の自然科学系の研究者の方が著される本でも多く述べられるところです。

むしろ本書で着目すべき点は、著者によるそれらの心象や配慮が、同業者である魚類、自然科学全般の研究者や漁獲を担う内水面漁業関係者へと向けられる点。

特に淡水魚関係の話題については外来魚駆除や特定の亜種に対する生息域の保全などについて、極めて辛辣かつ直情的な意見が語られることが少なくありません。そのような状況を憂慮されての事でしょうか、著者は本文中で繰り返し、衝動的な見解が呈されることに懸念を示し、特に放流された魚類による職漁・遊漁によって生活の基盤を成している現在の生息域、その周辺の内水面漁業者に対して、数値的な根拠を示した上で、現状を是認する強い配慮の念を示します。前述のように研究に当たって釣魚関係者との深い繋がりもある著者は、決して人間の実生活から切り離された形での保全という姿を良しとする訳ではなく、終盤で述べられるように、人の暮らしの傍にある漁獲としてのクニマスを再び食せる時が来ることを願います。但し、西湖と同じ時期に放流が行われ、山梨県による継続的な調査の結果、ヒメマスとの明確な交雑が生じていることが明らかとなった、お隣の精進湖での事例を示して、西湖における交雑種の輸入を絶対阻止しなければならないと、強い口調で述べられています。

本書を読んでいて知りたかった点、容易に交雑するはずの二つの種が何故西湖では交雑しなかったのか、その理由も述べられています。同じように交雑が起きうる生息環境における種の分化が維持される理由を系統的に研究されていた、今回の「発見」発表に当たって的確なアドバイスを受けたことに対して著者が謝辞を述べられている、元滋賀県立水産試験場長、藤岡康弘氏の「川と湖の回遊魚 ビワマスの謎を探る」(サンライズ出版)も併せてご紹介しておきます。

やや硬めに慎重に記される中で、著者と関係者との間で交わされるちょっとしたやり取りの姿に少しホッとする前半。秋田新幹線「こまち」の車窓からはじまる後半は、そんな著者の人となりが現れる、近世、近代史の中を歩んだクニマスの姿が綴られていきます。

著者にとって門外漢とも取られる、近代史に於ける社会学的なアプローチとなる、仙北地域の農業近代化、もう少し踏み込んで言えば近代に於ける、中央が主導した東北地方開発の歴史的推移をそのまま投影する、電源開発と連動した用水の再生、圃場開発と、その中に組み入れられた、豊富な水量を誇る一方、貧栄養湖としての田沢湖の位置付け。江戸時代まで遡って、周囲の水系で獲られ、遡上していた魚種の豊かさに言及する一方、戦前のヒメマスの放流事業に挫折した先で、特産であったクニマスの採卵事業が途に就き始めた田沢湖の漁業、特に漁業関連の史料を多数残された、当地の漁業に関して主導的な立場にあった三浦家の文書を辿りながら、現在のご当主の方との語らいの中から、今は失われたその断片に残る魚種としてのクニマスの姿、往年の田沢湖の姿に、自然科学研究者としての視点を添えて想いを馳せていきます。

国策として行われた、温泉由来の強酸性となる玉川の導水と中和対策の失敗による湖の酸性化。ウグイ以外殆どの魚種が死滅した田沢湖の実情については良く知られている所かと思いますが、あきたこまちの圃場が広がる仙北地域の姿を冒頭で示す著者は、前述の筆致に見られるように、失敗の経緯とその内実、現在も続けられている中和事業に言及するも、一方的にその行為を断罪する事はありません。むしろ、その過程で起きていた、クニマスの採卵事業の推移と、実際に発眼卵として各地に送られたクニマスが、偶然を乗り越えて種の保存に至った事実に視点を据えていきます。

終盤で述べられるレッドリストの絶滅種(EX)から、明らかにクニマスの発見を踏まえて環境省が規定を書き換えた、域外生息として規定された、野生絶滅(EW)への指定替えにについて、その経緯に科学者としての違和感を述べながらも、結果として規定を書き換える下地作りとなった、各地で行われたシンポジウム(この際の様子や、新種の発見とその手順を大変重んじる分類学者としては異例の手段となる、行政と連携した学術論文掲載を待たない発表など、従来からの著者の活動を象徴する内容も綴られていきます)の開催。その根底には広く魚類、淡水に携わる関係者への事前の周知を狙った配慮の事実があった事を述べていきます。魚類分類学の第一人者としての矜持と共に、京都大学総合博物館の館長を務めた経験を有する自然科学、博物学の普及を担う立場として、その社会性すらも配慮する事を願う著者。

田沢湖周辺に所縁のある方を始め多くの関係者が望んでいるであろう、里帰りとなる田沢湖での再放流、自然繁殖。更には種の保存と環境という保全生態学に踏み込んだ内容についても巻末で述べていきますが、そのいずれも決して平たんな道のりではない事を示していきます。

西湖での「発見」から10年が過ぎ、過熱していた往時の状況が落ち着きを取り戻し、やや風化すら見られる昨今の状況。両立のためには膨大な資金を半永久的に投じ続ける必要のある田沢湖の中和事業、公費を投じての当地にとって漁獲資源にならない魚種の研究と職漁・遊漁との両立という、意図せず域外保全の場となってしまった西湖に於ける関係者が抱える矛盾。その中で保全活動を継続的に推進し、何時か再び、「職漁」を通した田沢湖を泳ぐクニマスたちの生きる姿を願う著者の想い。

その思いは、著者も展示設計に意を尽くした、田沢湖、そして現在の生息地である西湖の湖畔に建てられた小さな記念館(博物館)の展示内容と、当地に揃えられた図録の中に込められているようです。

外出がままならない中ではありますが、著者がその行動で示すように、何時か訪れた際には、現地である湖畔に立って、展示の内容を見て、改めて考えてみたいと思います。人の手で葬る事となりながらも、人の手によって偶然を乗り越えて再び世に出る事となった魚が背負った象徴的な意義、未来へ向けて。

2021.5.2 西湖にある、奇跡の魚 クニマス展示館にて(山梨県立西湖ネイチャーセンター付属施設、富士河口湖町が運営)。入館は無料です。

今月の読本(特別編)「北大総合博物館のすごい標本」(北海道大学総合博物館:編 北海道新聞社)その赤いリボンとスタンプが指し示す万物の未来地図。リアルの博物館が培う300万の知と情熱の結晶から

今月の読本(特別編)「北大総合博物館のすごい標本」(北海道大学総合博物館:編 北海道新聞社)その赤いリボンとスタンプが指し示す万物の未来地図。リアルの博物館が培う300万の知と情熱の結晶から

数年に一度、岡谷、笠原書店本店さんに巡回してくる、全国の地方新聞社が刊行した書籍を集めた「ふるさとブックフェア」。開催ご当地となる信濃毎日新聞社は、年初には松本の自社ビルのロビーでも各社の朝刊を大きな平台で並べて展示する事もあるように、地方新聞社の連携にも積極的な社。出版事業の方も独自の出版部を構え、連年多数の作品を刊行している信濃毎日新聞社ですが、このようなフェアが開催される時も積極的にPRをされているようで、各新聞社ご自慢の一冊を取り上げて紹介されていました。

これまでより少し冊数が減ってしまいましたが、大判の写真集から学術書に迫る図鑑類、地元の歴史や食、農業に関する本、ちょっと多めに揃えられる「鉄」系の書籍たち(選書担当者さんの嗜好が映りますね)。

日曜日で会期は終了してしまいましたが、会期末に岡谷に立ち寄った(ほぼ毎週行っているでしょう…)際に、此処で買わねば次はn年後と、意を決して最後に買い増しした美しい一冊。

北の雄、北海道新聞社さんは雄大な北海道の大地をテーマとした自然関係、内地のファンの方々憧れの鉄道風景、そして豊かな森、川、海の生き物をテーマにした数々の作品を刊行されていますが、そのなかでも異色のテーマ。

既に同じようなテーマの本も刊行されていますが、こちらは研究者達が結集して描く「総合博物館」の標本たちを集めた一冊。

今回は「北大総合博物館のすごい標本」(北海道大学総合博物館:編 北海道新聞社)をご紹介します。

本書は、一見してコンパクトな標本写真集のように見えますし、「すごい標本100選」というサブテーマも掲げているので、表題だけを見ると、手に取りやすいレトロ趣味の標本写真集と捉えられてしまいそうですが、それだけでは内容を見誤ってしまうようです(フルカラーですので、お値段も決して安くはありません)。

明治以降、北の大地を目指した様々な研究者と研究テーマ。世界的に見てもフロンティアであった北海道に学術研究という種を根付かせることを願った研究者達が様々な形で訪れ、集う先に集積され、現在の形となった北海道大学。その場所に集った研究者たちが遺していった、今も増え続ける300万点にも及ぶ整理済み・未整理の標本、発掘史料(資料)、アーカイブ、学術資料。

建物自体も築90年という文化財、寒冷地に於ける近代建築の「生きた標本」ともなる旧理学部本館に拠点を置き、20年を掛けて道内各所に分散する北大の研究資料を徐々に集積しつつある、北海道大学総合博物館

その集積、整理の中核を担う、博物館教育、メディア研究を専攻される、同博物館の湯浅万紀子教授が編集を担当し、各分野の教授陣が筆を執り、これぞという標本、その意義と歴史的背景を綴っていきます。

まだ未踏、未分類であった北海道の動植物の姿。本州とは大きく異なる北方の大地に生きた人々が残し、伝えてきたもの。今では訪れる事が困難な旧帝国時代の領土となる樺太、千島、そして朝鮮半島で採取された標本。更には、北の大地に集った研究者たちが世界を巡り集め、逆に世界に北海道を広めた標本の片割れたち。採集する姿を記録した写真や映像、スケッチ、研究を広く社会に伝える科学映画の萌芽を示す作品。そして、研究に欠かす事の出来ない「機材」たち。

ページ数の都合もあり、僅か100点ばかりが紹介されるに過ぎませんが、そのいずれもが科学史にとって深い意義のある物。掲載された標本は、単に古い標本だけではなく、特に今回の執筆にあたって改めて研究者の方により確認された内容も含まれており、標本という存在が、カビとホルマリンの匂いに包まれた、もはや日の当たる事のない、古びた過去の記録ではない事を教えてくれます(このありふれた表現こそが誤解なのです、保管環境は最も大事)。

実物が標本として収蔵される博物館。その存在を雄弁に示す事柄として、著者たちが示すキーワードが「タイプ標本」。

世界にとって永遠のフロンティアであり続ける、人の侵入を容易には許さない極北の大地と、世界中に飛び出した北大の研究者たちが現地から集めてくる標本。その中には表紙の写真のように赤いリボンが結ばれた瓶や、標識ラベルに赤い[TYPE][TYPUS]のスタンプが押された標本が含まれています。

分類学における種の分化、その最終判断を物理的に証明する「タイプ標本」。実に13000点のタイプ標本を擁する、世界の分類学に於ける一大基準標本を擁するアーカイブこそ、北大総合博物館が内包するもう一つの姿。

映像技術や情報伝達技術が飛躍的に進化し、分類学に於いても物理的な接触なしに研究や同定を進める事が出来る点は、既に多く指摘されていることかと思います。然しながら、最後に同定するために避けては通れない「実物」との比較。実物があってこそ、その比較が証明できる、研究者自らも、自らの目と手でその差異を納得する事が出来る。リアルの博物館が有する力の源泉、編者達は実物こそが語りだす姿を改めて見つめていきます。

このような書き方をすると、もはやVRや高精細画像によって人間の視認を超えた判断が出来るのだから、わざわざ実物を見る必要などないのではないか、それは単なるノスタルジーではないかと思われてしまうかもしれません。確かに一面的にはその通りかもしれませんし、我々のような一般人が普段見ている博物館の展示物、標本であればそのようにヴァーチャル化する事も難しくないのかもしれません。

それでも実物の標本を集め、整理し続ける事が是が非でも必要な事実。急激な情報伝達手法の発展と同期するように、急速に発展を遂げている化学分析。これまでの視認による判断や解剖学的知見、分類学が培ってきた膨大な分類手法は近年生み出されてきた新たな分析技術により、刻一刻と、見直しを迫られています。その見直しは自然科学のみならず、考古学や一見無関係とも思われる文献史学といった人文学分野にまで及んでいます。

自然科学分野の根幹をなす分類学、その基準を示す「タイプ標本」。新たな分析技術で把握された分類、新種を最後に確定させる決定打となるのは、そのタイプ標本(もしくはパラタイプ)の切片を同じ分析手法を用いて確認すること。実物で証明できることを唯一保証する、リアルな標本が有する無言の力、その意義を強く訴えていきます。本書ではその同定過程の一端を教えてくれると共に、分析技術を支えるもう一方の役割、学芸員や大学の技術職、ボランティアの方による、標本の分類、作成、資料化の手法(職人芸的なお話も)と、それらに使われる道具類のちょっとしたお話についても、コラム形式で描かれています。

歴代の北大研究者の中で、標本の採集と収集に意を尽くした研究者たちへの敬意を表して、彼ら全てを「博物学者」と捉えその事績を評する、コラム形式で掲載される列伝に綴られる思いを受け継ぐ博物館所属の研究者たちが集った一冊。

表の博物館の姿、存在意義に強い逆風が吹く中、博物館が培ってきた、自然科学の底辺を支えてきた「本当の姿」、その意義を美しい写真と共に雄弁に伝えてくれる一冊。およそ300万点にも及ぶ標本、寄託された分を含め、実際にはどれだけの数があるか把握できず、岩石標本のようにその希少性から分類に供する事(破壊確認を伴う)すら憚り、未整理となっている膨大な標本と日々向き合う50名のスタッフと250名のボランティア、市民から選抜された39名のミュージアムマイスターに委ねられた、未来への知の箱舟、その断片を美しい写真と共に。

巻頭辞として添えられた言葉への想い。

いち、博物館好きとして、伝わる事を願って。

大町山岳博物館の企画展「博物学と登山」(近代登山が導いた信州の科学教育萌芽と人物像)2020.7.25

大町山岳博物館の企画展「博物学と登山」(近代登山が導いた信州の科学教育萌芽と人物像)2020.7.25

お天気の優れない7月後半。

連休を迎えた土曜日、時折強くなる雨の中、車を北へと走らせます。

分厚い雲に覆われる北アルプスの麓に広がる、雨に煙る大町の街並み。

今日は、信濃大町にある大町山岳博物館へ再び訪問しました。

入館時にちょっと驚いてしまったのが、カメラを抱えていたわけではないにもかかわらず、職員の方から「撮影できますよ」の一言。当館は以前から「企画展以外は撮影OK」の施設ですが、より積極的な対応を取られているようです。

お天気が悪い中でも駐車場には多くの県外ナンバーの車が停車し、展示の中核を担う、動物や鳥たちの貴重なはく製の前で楽しそうに記念写真を撮る方々を見ていると、ちょっと嬉しくなります。

今回は、2020年度の大町山岳博物館企画展「博物学と登山」を見学にやってきました。

展示スペースは特別展示室の1フロア。美術作品展示の際には部屋の中央にもBox型のパーティションを置いて回廊型のレイアウトを採る場合もありますが、今回は壁側への掲示、展示のみ。展示内容もボードによる文章解説が中心です。

展示内容は全部で4セクションありますが、メインとなるのは第3章「信州理科教育のさきがけ-博物学の士々群像-」です。

同じ1階のフロアーある常設展示室「山と人」。

こちらの部屋の奥の方に、あまり目に止められないかもしれない展示があります。

本館特有の低い位置に置かれた展示ケースの奥に並べられた、人物の写真と関連資料。

北アルプスの登山や大町に所縁の登山家、学者を顕彰するコーナーに並ぶ、簡単な解説が付された人物たち。

彼らが北アルプスの登山史、更には博物学が培ってきた知識と実践の結晶ともいえる「博物館」である本館とどのような関わり合いを持っていたのか、より深く理解してもらう事を狙った展示となっています。

本展で紹介される人物は全部で6名。いずれも信州の教育に携わった人物です。

  • 渡邊敏 : 福島・二本松出身、近代白馬登山の先駆者。大町の小学校に校長として着任、後に長野高等女学校校長として、女子生徒による今に続く学校登山を始めた人物。今回は歿後90年の記念企画となります
  • 田中阿歌麿 : 東京出身、「日本北アルプス湖沼の研究」という大著を著わした日本の高山湖沼研究の先駆者。仁科三湖、簗場ゆかりの人物
  • 河野齢蔵 : 松本出身、複数の新種を発見した高山植物の研究者、登山家。大町の小学校に校長として着任、その後も県内各地の学校で教鞭を執る。後述の矢澤米三郎らと共に信州博物学会を設立
  • 矢澤米三郎 : 諏訪出身、高山植物やライチョウの研究で知られる博物学者。松本女子師範学校の初代校長、信濃博物学会の創設者、信濃山岳会の初代会長
  • 保科百助(五無斎) : 立科出身、地質学者、標本採集者。郷里の学校で校長を務めるもすぐに退職。以降は県内を縦断する岩石標本収集に邁進しつつ、地域教育に専心。破天荒な言動から「唯一無二の奇才」と称される
  • 志村寛(鳥嶺) : 栃木・烏山出身、高山植物の研究者にして最初期の山岳写真家。長野中学校教員在籍中に白馬岳で発見した2種類の高山植物新種を登録。本人から委ねられた著作や写真は本館所蔵コレクションの一翼を担う

常設展示では簡略に記される彼らの略歴からは把握しきれない人物像や、信州における登山、学術的な功績。辺鄙な地方小都市の市立博物館に過ぎない大町山岳博物館がなぜこれ程までに充実した施設と展示内容を誇っているのか、その背景を100年以上前に彼の地に訪れた、眼前に広がる山々と湖に魅せられた教育者、近代登山の先駆者たちの姿から示していこうという、博物館が自らのアイデンティティを問い直す企画展。

実際に昭和初期の尋常小学校で使われていた、6年生の理科の教科書に記載されるライチョウの換羽を扱ったページの紹介と、大正14年と想定される現在の美麻小中学校に所蔵されているライチョウのはく製。

時に嫌悪感を持たれる方もいらっしゃるようですが、なぜこのようなはく製が重要になるのかを改めて問い直す、学芸員の方が強い思いを込めて綴られた展示パネルのコラム。

当館の展示で最も人気のある、北アルプスに生息する多様な動物、鳥たちのはく製。山を眼前に戴く土地ならではの、そこに住む生き物たちへ続く、学びの結節点。

その視線の先は、きっと高山の環境、其処に生きる生き物たちへの更なる理解と関心へと繋がるはずです(全国5か所の施設で公開されている、低地人工繁殖のライチョウ。大町山岳博物館は現在の環境省主導の保護政策が始まる遙か以前、1964年から中断を挟みながらも続く、長い飼育歴を有しています。2019年3月訪問時の写真、今回は2羽が展示されていたのですが、こちらに振り向いてもらえず…)。

そして、今回印象的だった展示物。前述の保科百助が自らの名前に掛けるように採集したとされる、百種百点と称した岩石標本を納めた標本箱。実際には200種を超えていたとされています。当時長野県内にあったおよそ100校に頒布したとされる標本のうち、完品で残っているものは殆どないそうですが、最初の採集から120年となる今日でも残されていることに驚くと共に、現在も積極的な出版、啓蒙活動を続けている長野県の地質学地理学の研究、教育に携わる方々に百助の地質学への想いが今も脈々と伝わっているかのようです。

ちょうど引き出されていた段に収められていた岩石標本。右上の一つには「橄輝富士岩(多分、橄欖岩)」という標本名称と共に、採集場所として諏訪郡茶臼山と記載されています(地元の皆様は、何処だか分かりますよね)。左隣の上下は同じく諏訪郡内の採集で「角閃富士岩」との表記もあります。

昨今の状況故に、今回は残念ながら触らないでくださいの表示が出ている、科学系の博物館としても珍しいと思われる、実際に来館者が触って体感できる岩石、化石標本のコーナー(隕石もあります)。本物だからこそ実感できる、フィールドに立ち返ったときに改めて理解できる、博物館で直に触れる事が地質学への興味に繋がる事もきっとあるはずです。

そして、彼らが決して一地方の在野の研究者に留まらなかったことを示す貴重な資料。

志村寛が明治34年に採集したヒメウメバチソウの標本と、同定を依頼された牧野富太郎が返答した書簡、どちらも実物が展示されています。

彼らの活動に関与した、既に著名な博物学者であった牧野のような中央で活躍する人物や、著書に序文を寄せたウェストン。現在も教鞭に立った大町西小学校の敷地内に残る、冒頭に紹介した渡邊敏の記恩碑には東郷平八郎の筆による扁額が添えられており、彼らが郷土の偉人に留まらない、広く繋がりを持った人々であったことを教えてくれます。

最後は、博物館の学芸員の方による、現在進行形の山の博物学をテーマにしたコラムを集めた展示ボード。生物、地学そして民俗学から社会学まで「山岳」をテーマにした多彩な研究を擁する博物館のもう一つの側面が浮かび上がります。

博物館というと、時に定められた収蔵品を繰り返し展示するだけの施設のように思えてしまいますが、実際には日々積み重ねられた研究を背景にした、成果に基づいてこその展示。その成果の一端は、数年前から全国ニュースでも取り上げられるようになった、新たな日本の氷河地形発見にも繋がっています。今回、2階の常設展示室に解説ボードが新設されました。

全国的にも特異な位置付けを持った博物館の意義を、登山という切り口から当地に機縁を持つ教育者たちの人物像と歴史に尋ねる好企画。

企画展自体は小さな規模ですが、比較的近年の2014年に全面改装された、高水準の展示メソッドを駆使して広い館内に展開される「山と自然と人」をテーマにした展示内容を踏まえながらご覧いただければ、きっと更なる知見を与えてくれる、大町山岳博物館の企画展「博物学と登山」

今回の展示は全て撮影可能ですが、じっくり内容を確認されたい方のために有料の図録も用意されています。

会期は9/27まで、会期中の9/10(日)には、明治の信州が生んだ唯一無二の奇才、保科百助をテーマにした講演会も開催されます(事前申込制、通常より大幅に定員が少なくなっています)。

お礼のひと言 : 今回は図録の販売も行っている、喫茶室もるげんろーと様。お茶、ごちそうさまでした。