城と学校、軍都と商都。博物が結ぶ複雑な遍歴を重ねた学都のポータル、次の時代へ(今月で閉館する松本市立博物館)

城と学校、軍都と商都。博物が結ぶ複雑な遍歴を重ねた学都のポータル、次の時代へ(今月で閉館する松本市立博物館)

ご案内

表題のように、松本市立博物館(旧日本民俗資料館)は施設老朽化に伴い、2021年3月末を以て、閉館となります。新し博物館は現在の二の丸から大手門へ移転、より市内の各博物館施設へのエントランスを担うギャラリーとしての位置付けを強くする施設へと生まれ変わる予定です。オープンは2023年10月7日が予定されています。この改築事業に連動して、松本市内の一部施設は並行して長期休館に入ります。お越しの方は充分にご注意願います。

    • 松本市立博物館 : 2021年4月1日から2023年10月6日まで
    • 松本市立美術館 : 2021年4月1日からおよそ1年間
    • 国宝 旧開智学校 : 2021年6月からおよそ3年の予定

全国47を数える都道府県の中でも、極めて珍しい、県庁所在地以外に設置された国立総合大学で、その地名すらも名乗らない「信州大学」を擁する松本。旧制松本高校の伝統を受け継ぎ、県都である長野を向こうに回す「学都」を称する城下町ですが、意外な事に、その歴史は中世後半以前には繋がらず、忽然と現れて発展を遂げてきた、特異な歴史を有しています。

今でも周囲の街並みの中からその威容を望む事が出来る、北アルプスを遠望する平坦地に聳える松本城。日本最古級の現存天守とされています。

松本城に向かい合うような場所に建てられた、シンプルな近代様式のコンクリート造り低層建物。松本城、城下町松本の紹介施設としての役割も果たす、松本市立博物館です。

その前身は1906年に遡るとされる、非常に古い歴史を有する博物館。実は、この3月末を以て閉館、2年半後には新たに大手門前に建設される、市内に点在する博物館施設へのエントランスとしての役割を果たす、新しい博物館へ移ることになっています。

これまで幾度も松本には訪れていますが、周辺渋滞の激しさからお城近くには訪れた事が無く、松本城公園も今回初めての訪問。閉館までラスト2週間を切った週末の土曜日、月内は関連施設含め無料開放となった最後の機会に訪問となりました。

地下1階、地上2階に小分けされた展示スペース。平面スペースをたっぷりと取り、ビジュアルを重視した現代の博物館と比較すると、古風で少し不思議な展示内容となるフロア。前述のように中世後半以前の歴史的背景が極めて希薄な人工都市、松本。考古学関係は郊外にある考古博物館が担っている事もあり、地下階の展示と解説は極めて簡素です。

地上階の展示室中央に置かれた、明治44年に作られたという、大変古い歴史を有する松本城下町模型。大きく4つに分かれる展示フロアの中でメインとして飾られる展示物ですが、新たな博物館には最新の松本の姿を映すジオラマが入り口に設けられる予定になっており、常設での展示はこれが最後となってしまうようです。

近世史にご興味のある方の中では大きな話題となった、地方の小領地である松本で実際に行われた、当時の法定通貨である「寛永通宝」鋳銭の証明となる文書と発掘された実物。収蔵時期が古い展示物が多いのですが、こちらのように最新の知見も展示に反映されています。

こちらもお好きな方には興味深いと思われる、江戸時代のロケット「棒火矢」の実験成功を祝して奉納した絵馬。前述の寛永通宝と共に、商都であり、城下町である軍都であった松本の歴史を伝えています。

後半の展示室は、明治以降の近代。

全体の展示フロアは比較的広い松本市立博物館ですが、その展示内容は一見、不思議な感触を受けます。

松本城の二の丸に位置するため、松本城の歴史や当時の武家、商家の暮らしぶり全般を伝える展示は当然というイメージもありますが、近代に入るとピンポイントな展示が目立ちます。

当時の松本の政治、文化を担った人物の顕彰と陸軍の連隊が置かれた事により多くの若者が戦場へと出征する拠点であったことを示す、戦前の旧陸軍の駐屯、大陸への出兵に関する史料、そして上高地や博物学に関する僅かな展示。

上高地を擁する岳都でもある松本ですが、そのような姿はあまり語られることはなく、近代をもテーマに含む博物館としてはアンバランスな印象を受ける展示。

そのような印象を更に強くする展示は、常設展示フロアの1/4を占める、本館の由来を伝えるある展示に印象付けられます。

フロアの中央に置かれた、あめ市に使われた巨大な宝船。

展示のラストを占める部分、市立の総合博物館としては特徴的な、民俗に注力した専用展示フロア。

ひな祭り、七夕、そして道祖神。

江戸時代には道祖神は松本の街中には一体もなく、その名の通り、境界を分ける神として道沿いに置かれた物。その代わりとして、市街の家々には木像が置かれた事が示されています。人々が集住する商都としての信仰と、土地と人々が固定的な周辺村落のそれは大きく異なる事を暗示しています。

商都と村落の文化の違いは工芸からも見る事が出来ます。華やかな街中の文化を伝える松本てまりと、街からの依頼で商品として作られた、農間作業の現金収入としてのみすず細工、お神酒の口。相互に依存する関係の中から松本平の文化がそれぞれに育まれてきたことが分かります。

重要有形民俗文化財にも指定されたこれらの民俗学的資料の収集、研究は松本市立博物館の特徴として語られますが、民芸と共に民俗学的な研究にも深い造詣を持つ松本の町。館の来歴にもその影響が強く残されており、本館が竣工した1968年から2005年までは市立博物館ではなく「日本民俗資料館」と称されていました(施設は古風に見えますが、展示内容が絞り込まれたイメージを持つのは、2005年に再度改名された際に現在の展示メソッドと後述する指針になるべく沿わせる意図もあったのではと)。

今回の閉館に当たっての特別展示では、それらの経緯を示す内容が取り上げられていました。昨年からシリーズで開催されていた、閉館記念の「収蔵資料大公開展」最終の展示テーマは「年中行事」

松本の年中行事を示すチャート。

其処には、街中の行事と農村で行われる行事の双方が示されてます。

年初、街中で行われる、松本を代表するお祭りである「あめ市」と、村落を代表する「三九郎」現在はだいぶ異なってきているようですが、以前は三九郎は街中では行われなかったとの事。農耕儀礼の一環であったことを教えてくれます。

華やかですが、素朴な押絵雛

豪華でち密な節句飾りの豆雛とこいのぼり。

七夕の縁台の再現。

旧館名の伝統を受け継ぐ本館を代表する収蔵物。国指定の有形民俗文化財としては最初期の指定となる、松本の七夕人形も、解説と共に惜しげもなく並べられました。

鮮やかに着飾った人形に目を向けがちな松本の七夕人形ですが、その根底にある民間信仰としての七夕。少しグロテスクにも思える「カータリ」には、その姿が強く残されています。

民俗資料の収集は松本平を離れて、海沿いへも。

新潟のお盆。精霊流しに使われる、オショロブネ。このような形があってもすぐに失われてしまう民俗資料を積極的に収蔵し続けてきた博物館でもあります。

随分とあっさりした中世以前の歴史展示と、松本城内である事を雄弁に示す近世の展示。ピンポイントな近代史に対して、大変充実した展示/収蔵を誇る民俗資料。

この不思議なバランスを示す経緯を辿る展示が、最後の企画展としてロビーで行われています。松本市が標榜する「松本まるごと博物館」そのテーマを支える、市民学芸員有志の皆様による年表展示。

考古学から化石に自然科学。民俗に古民家、農作業道具に民芸、近現代美術、更には近世・近代産業、建築に法制史まで。市域の拡張に伴い、城下町としての文化と周辺村落の文化、自然科学的な部分までも包括する市内に15カ所ある、博物館相当施設を拠点に、市内全域を「博物館」として見做すという、特徴的な施策を設けている松本市。市立博物館が2005年に名称を改める前の2000年から継続しているシステムですが、博物館自体の歴史がその施策に大きな影響を与えていることが分かります。

興味深い博物館の歴史的変遷。

その過程を示す内容、実は、すぐ近くにある旧開智学校で解説されています。

当日は、双方共に無料開放だったため、多くの方が訪れていた旧開智学校。部屋ごとにテーマを分けて展示される内容の中で、ちょっと訪れる方の少ない、静かな一室でそのテーマは語られていました。

2015年の開館110周年記念誌に示される来歴によれば、松本市立博物館は名称だけ取り上げても以下のように移り変わっており、一つの博物館としては極めて大きな変遷を遂げてきたことが分かります。

1.明治三十七、八年戦役記念館(1906~1919)

2,3.松本記念館(1919~1938~1947)移転、再設置

4.松本博物館(1947~1948)

5.松本市立博物館(1948~1968)

6.日本民俗資料館(1968~2005)現在の建物建設、寄附による財団管理

7.松本市立博物館(2005~2021)財団解散により市に再移管

8.松本市立博物館(2023~)移転予定

その発祥を示す、明治三十七、八年戦役記念館の来歴。開智学校で学び、駐屯地でもあった松本から大陸に出征した若者たちが故郷、松本に送り続けた外地での生活や軍事的な成果を伝える史料。それらを展示した施設として、博物館がスタートしたことが示されています。

そして、有名な松本城天守閣が守られた切っ掛けとなった、市川量蔵による「筑摩県博覧会」開催へと繋がる解説。博覧会という、近代日本にとっての博物学の萌芽がそのスタートにあった事を語り掛けています。

開智学校、松本城。そのいずれも、商都としての松本の民衆の力で建てられ、守られてきた場所。その延長に生み出された駐屯地となった軍都として、更には旧制松本高校の設置による若者と向学心の高い人々が集う街。それに加わる、豊かな商都としての面影と街道が交差する地で資産を集積させていった富農たち、街の豊かさに委ねた手仕事の発展から培われてきた、豊かな民俗を残す土地の姿。

博覧会から萌芽した博物学が梃となり、それらを複合的に積み重ね、集積してきた証としての博物館の姿が見えてきます。

古いものを大切にしつつも、進取の姿勢を尊び、学研的で物事を着実に推し進める(でも、時に議論倒れで終わってしまい唇を噛む事も)。信州の方々の思考が色濃く反映された、ポータルとしての「松本まるごと博物館」中核施設。

その役割は、集積し記憶を繋げていく博物館という姿から更に一歩踏み出す、地域全体の教養の入り口として広がっていく起点となる、新たに建設される中核施設(既に松本市立博物館という呼称で定まっているようですが)に譲ることになりますが、それぞれのテーマ、特に民俗資料に関してはかなり絞られた内容の展示になることが想定される新しい施設(既に概要リーフレットが公開されています、アイコンでもある宝船は残るようですね)。

展示も収蔵も、そのスタイルは時代と共に変わり続けるもの。各種の資料からも、前述の松本城天守閣を守り抜いた、市民から湧き上がる想いが新たな博物館、松本の博物学を押し支える力となり続ける事が願われています。

梅の花咲き始める、暖かな早春の午後。

新しい施設がどんな姿を見せてくれるのか。2023年秋とされる再開後、再び訪れるチャンスが巡って来る迄、じっくりとこれまでの姿を勉強してみたいと思います。