New!(2023.10.1)
カーテンが掛けられた窓口が寂しいエントランスから入る、有料公開終了後初めてとなった公開シンポジウム。ほぼ定員となった60名程の参加者が熱心に学芸員さん、教授陣の解説に耳を傾ける、水族館の「本当の裏側」魚類を少し離れて、水族館と駿河湾というフィールドを起点に学術が支える視野の広大さを改めて印象付けるシンポジウムのテーマ(第10代館長で、後に葛西臨海水族園の初代園長を務めた西源次郎先生が参加者側の席から登場、関係者と参加者へのコメントを述べられるというサプライズも)。そして、後半はお楽しみの「本物」のバックヤードツアーと閉館時間いっぱいまで「ほぼ」貸し切りというフリータイム。考古館や博物館の講演等にも足を運ぶことがありますが、何よりも参加者の皆様が多彩で闊達、そしてとにかく若くて皆さん積極的だったことが強く印象に残ります。本館の代替を果たす筈の静岡市が推進する「海洋・地球総合ミュージアム」計画が大きく揺れ動く中、西先生が本館の有料公開終了時にコメントされていた、これからの水族館のあり方。水族館から始まる多様性の入り口、その姿への関心と共感を次へと繋いでいくシンポジウムとツアー、実に楽しいひと時でした。
New!(2023.2.10) : 下記に紹介致しました東海大学海洋科学博物館の運営について、3月末の通常開館終了後、一旦お休みし、2023年度は5/4から11/3までの期間、指定の日(主に週末とその前後、夏休み期間中)に1時間当たり100名迄と人数を制限し、完全予約制で受け入れる事を発表されました。入館料は無料となりますが、下記に紹介しております2026年春にオープン予定の静岡市による「海洋・地球総合ミュージアム」計画に於ける、水族飼育受託費用として東海大学へ支払われる予算の一部が充当されるものと思われます。
なお、公開が継続されるのは1階部分のみで、当該計画の範疇外となる、海洋科学博物館2階部分(海洋科学展示)及び、隣接する自然史博物館の方は予定通り閉館となるとの事です。
New!(2023.1.2) : 残り3ヶ月となった東海大学海洋科学博物館の有料公開(一般公開)期間ですが、年初早々、以下の発表が行われ、4/1以降の開館、運営方法の検討を始められたことを公表されました。全国唯一となる海洋科学をテーマとする「海を研究する水族館(博物館)」、どのような形になるのかは現時点では公表されていませんが、下記にある新たな「海洋・地球総合ミュージアム」へ無事にバトンタッチが行われるまで、継続を願いつつ。
New!(2022.11.26) : 文末にも記載しておりますが、今回の有料公開終了の直接的な理由である、静岡市が推進する「海洋・地球総合ミュージアム」計画。6/1の東海大学による発表とタイミングを合わせる形で静岡市が開始した入札の結果、国内で数々のミュージアムや集客施設の設計、運営を手掛ける乃村工藝社を中核とするPFIが事業を請け負う事が決まりました。なお、当ミュージアムの水族飼育管理はPFIの運営の下、東海大学が担い、東海大学海洋科学博物館の施設は上記のミュージアムに対するバックヤードとなる事が、静岡市と東海大学の間で結ばれた協定で示されています。ライブラリー(図書館?)との複合となる新施設、下記の様にレイアウトプランが示されていますが、これまでと同様に海獣飼育は行わない一方、入札条件で求められた水量を遥かに上回る計画水量1800tのうち、1700tを大水槽に投じるという(現在の大水槽は600t、施設全体でも700t程)、水塊の規模で集客を目指すプラン。設計は石本建築事務所、デザインはお隣の山梨県にある山梨県立富士湧水の里水族館の設計を共同で手掛けた飯田都之麿氏。自然光を積極的に取り込む大きなガラス面とシンプルで機能的な外観に対して、曲面と温かみを持たせる木を多用した内装は相通じるコンセプトでしょうか。外洋水槽の搬入リフトや上層階からのバックヤード覗き込みにポイントを置く点には、同じ都市型水族館となる葛西臨海水族園や海遊館の影響も多分に見受けられます。当館のシンボルであるピグミーシロナガスクジラの剥製が宙を泳ぎ、オープンバックヤードや水深別に分けた駿河湾をテーマとする水槽群と深海コーナーといった、キーコンセプトは形を変えながら主に上層フロアで引き続き採用されるようです。また、現在の海洋科学博物館としての機能も、静岡市とJAMSTECの協定(清水港は地球深部探査船「ちきゅう」の母港です)に基づき、規模は縮小されますが引き継がれる模様です。
<本文此処から>
遥か昔、少し先に東京湾を見下ろす品川にある某所へ通っていた頃。関連施設紹介一覧に掲げられたその大きな水槽の写真に幾度も魅せられ、憧れていた時代がありました。後に、同じ場所に通っていた幾人かは清水の方へ移る事になりましたが、ある「嵌め事」もあり、渋々本校のあまり興味のない所属へと移る事になって以来数十年。その場所は海と空に無限の可能性を抱いていた若かりし頃の淡い憧れとして、永遠に心の中へ秘められることになる筈でした。
例年より早い梅雨入りとなった6月の初め、抱えていた仕事の締め切り前日に飛び込んできたニュース。
仕事が跳ねた翌週、どうしても気になって、振替で休みにした平日の午後に訪れてみました。
全線開通なった中部横断道の南部区間を経て車を走らせる事数時間。如何にも港湾道路といった幅の広い県道沿いに並ぶ倉庫と民家や食堂等が途絶え、左手に海を望む造船所を越えると急に狭く曲がりくねる道の先に続く閑居なエリア。「三保文化ランド」という古ぼけた看板の先に見えてくるトロピカルな木々に囲まれた空虚な駐車場と、少し古びた施設が並ぶ公園のような空間。
三保半島の最突端に建つ、二つの博物館施設。東海大学海洋科学博物館と東海大学自然史博物館。正面屋外には津波実験水槽や波浪水槽が設けられていますが、当日は休止中。
角を削ぎ落した緩やかなRで構成される建物はシンプルな造形で当時としてはかなりモダンですが、曲線を強調したパラソル型の柱を持つ入場ゲートと掲げられる看板に使われている書体は如何にも1970年代の雰囲気を濃厚に残しています(受付窓口の曲面ガラスや円形にカットされた窓口の会話用スリットなども開館当時の趣そのままのようです)
最初のフロアーは「きらきら★ラグーン」と呼ばれる、熱帯の海をテーマにしたコーナー。ご覧の通り、小さな水槽が並ぶ壁や内装はかなり古ぼけており、歳月の経過を感じさせます。
入口に設けられた小さなサンゴの水槽。今では規模の大きな熱帯魚店でも見られるサイズの水槽ですが、育てられているのはサンゴ。しかしどれも美しく飼育されています。
施設全体は傷んでいるのですが、注目すべきは飼育されている魚たちとその水槽。ニセゴイシウツボがねぐらにしているこの水槽もそうですが、トリッキーな形態の水槽では頻繁に見かける、経年による外装や内部、接合部の傷みが全くない。
経年を経た水族館ですと、展示側のガラス(アクリル)面が痛んで傷だらけになっていたり全体が霞んでいたり、水槽と壁の隙間やジョイントの間が曇っていたり、苔が生えたり、海水の場合、錆びたり潮を吹いているなんて事も珍しくはありません(新装開館後僅か1年足らずだった「うみがたり」で、汽車窓水槽の縁から何カ所も潮を吹いた跡がオフブラックの壁に垂れてこびり付いているのを見て、失望した事があります)。しかしながら、この施設ではそのような箇所が全く見られず、泳いでいる魚たちも鰭の傷みは殆ど無く、色艶も美しい。水族館としての基本中の基本である「水槽」「飼育」の管理が大変行き届いていることに感銘を受けます。
学習、体験施設であることを明確に示す、手動による波浪水槽のラグーン効果実験。研究施設ならではの、こんな水槽で飼育できるのという、メスシリンダーサイズの封止水槽にガラス管で空気と餌を送り込んで飼育をするという、驚くような展示もさりげなく行われています。
なぜ入口の展示でラグーンを掲げるのか。どちらかというと民俗学であったり「廃集落」マニアの方々の方が良くご存じかもしれませんが、沖縄、西表島にある、陸路では辿り着く事の出来ない、離村した旧集落である網取地区全域を研究フィールドとして保全、管理しているのも同大学。その紹介展示の一環として設けられたテーマが「ラグーン」と言えます。
エントランスの小さな水槽群を抜けていくと、一気に天井が高くなり、一段と照明が暗くなる広いホールへと導かれていきます。
ホールの中央に聳える、幅10m、奥行き10m、水深6m、水量600tという1970年の開設当時としては破格の大型水槽であった海洋水槽(全面ガラス張り水槽では今だ国内最大。定義が難しいのですが、建屋の躯体を水槽の柱として用いないという意味かと)。
国内でも水量が2000tを越える大型水槽を備える水族館が続々と登場していますが、背面が壁に覆われている施設が殆ど。全周や部分的にですがデッキ下の底面からも水中を覗ける大型水槽は、逆に今では珍しいかもしれません。
アクリルガラスのカットモデル。僅かに薄緑色が入っているのが分かるでしょうか。厚さ15.6cmと聞くと、結構厚いかなと一瞬思いますが、世界的に見れば現在の大型水槽主流は厚さ60cmクラス。世界最厚クラスは75cmとおよそ5倍の厚みがあり、50年間の技術の進歩を実感せざるを得ません。海洋水槽を収める先程のモダンな建築外観も、海洋水槽自体の設計、建築、使用された部材もすべて、同大学の工学部の教授陣、研究に関係する企業が共同で手掛けた物。単なる水族館や海洋研究施設ではない、この博物館自体が紛れもなく、50年前の土木と建築、海洋工学研究により生み出された実践の成果なのです。
- 建屋の設計は同大学創設にも深く関与し、同大学の理事、建設工学科主任教授を務め、特徴的なタワーとダイナミックな曲線を用いたスロープを中核としたデザインを有する各地の校舎群の設計も手掛けた、お茶の水の聖橋や日本武道館、京都タワーの設計で知られる日本のモダニズム建築先駆者、戦前の建築デザインに多大な影響を与えた分離派の中心メンバーでもあった山田守の設計事務所
- 竣工は歿後4年を経ていますが、亡くなる直前となる最後の海外視察は当館建設の為でもあったとも伝えられています。バリアフリーという言葉がまだ軽視されていた時代から病院建築で多用した、建屋の階層を緩やかに繋ぐ長大なスロープにはっきりと面影が残ります
- 今回同時に閉館する、お隣に建つ東海大学自然史博物館の外観デザインは、山田守の出世作でかつ終生の傑作、現在のNTT関係者にとっても逓信建築の代表とされる伝説の名建築、東京中央電信局へのオマージュです
- 施工は後に国内最大手の水族館建築プランナー、デベロッパーへと成長する事になる大成建設です
暗くされた水槽の周囲には見学者が休憩できるようにベンチが並べられ、空いた壁のスペースにはこちらのようにリュウグウノツカイやラブカの標本、すっかり流行となったクラゲ水槽などが設けられています。
全周から水槽内を観る事が出来るメリットを生かして、「サンゴ礁」「海藻」「砂底」「岩礁」と4隅それぞれにテーマ―を設けたレイアウトを構成する水槽内部。表層を泳ぐ魚たちと異なり、底に泳ぐ魚たちは、それぞれのシーンに合わせた場所に居ついているようです。スロープを登ったデッキから望む、表層の魚たちを暫し、眺めつつ。
海洋水槽のロビーを抜けると、天井がぐっと低くなり水族館らしい圧迫感を感じさせる、本館のメイン水槽である駿河湾の魚たちをテーマにした汽車窓水槽が並ぶエリア。バブル期以前の水族館ではお馴染みの、生息環境ごとに水槽を分けて配置するレイアウトですが、50年を経て尚、丁寧に整備された水槽の中で泳ぐ美しい魚たちをじっくり見られる、素晴らしい展示部分。各水槽のガラス面大きさも、観覧性を配慮した高さよりも横幅を取るようにレイアウトされています(更に背の低いお子様向けに、手すりの付いたステップが水槽下の床面に備えてあります)。
スピードが速い魚達はスマホでは止められないので、のんびりと水槽の底でお休み中のマハタたちを。
一番奥にある水槽で絶え間なく泳ぎ続けるマイワシの群れ。現在では各地の水族館の大型水槽でその姿を楽しむ事が出来ますが、読んで字の如く、極めて弱い「鰯」マイワシの水族館での飼育、しかもこのような幅3m程の小さな水槽で群泳までも実現し、そのノウハウを各地の水族館へと広めた原点となる展示。当時のお話は、後に当館の館長、葛西臨海水族園の初代園長を歴任された西源二郎先生がコラムで語られています。
水温ごとに並べられた水槽群、後半は深海の魚たちのコーナー。浅瀬から深海迄、多彩な水深を擁する駿河湾に生きる魚の姿を紹介していきます。
ちょっと寂しい水槽の中ですが、駿河湾の水槽ラストは、駿河湾、伊豆半島を代表する漁獲でもあるキンメダイが紹介されています。水族館の展示を見ていて、思わず「食べたい」と思ってしまうのは、魚食文化を育んできた日本人の、ちょっと罪な性分かもしれません。
駿河湾の水槽の反対側には当館の名物でもある、深海生物の標本がずらりと並べられたコーナー。
壮観な眺めですが、ここで忘れはいけないのが、彼らがなぜ、特異な形態と機能を持つようになったのか。同じコーナーの後半は、彼らの生き抜く進化の結晶が紹介されていきます。本館が社会教育施設である事を雄弁に物語る、実物標本を交えた大変詳しい解説の数々。じっくりと読んでいきたい内容です。
社会教育施設だからと言って、決してお堅いばかりではありません。水族館フロア最後のエリアとなる「くまのみ水族館」大変有名な映画作品のキャラクターという事もあり、お子様には大人気のコーナーで、レイアウトや内装もイメージに合わせたものですが、解説板にちょっと誇らしげに書かれた、作品の公開より遥か昔「1977年に世界で初めて繁殖に成功しました」の一文。本館のもう一つの素顔に触れてみましょう。
くまのみ水族館の隅っこにある目立たない小さな階段を上ると、一般の水族館では大変珍しい、バックヤードを窓越しに見学する事が出来ます。くまのみ水族館のすぐ上では、これから展示されるであろうクマノミ達や、魚たちの餌となるワムシを飼育している水槽を観る事が出来ます。
開館から50年を経て、補修は入っていますが、老朽化が進行していることが素人目にもはっきりと分かる、バックヤードの様子。若いスタッフの方々がこの場所を行き交い、飼育される魚達や、観覧者の目に入る水槽は大変丁寧に整備されていますが、如何せん海水を常時扱う施設。インフラはもちろん、館全体を再整備しなければ重大な支障が生じる可能性を孕んでいるのは誰の目にも明らかです。
バックヤードに掲示されている海水の取り入れ/循環システムの構成図。よーく見ると、取り入れ口が「地下海水」となっている点に気が付かれるでしょうか。
駿河湾から直接にではなく、三保半島の地底に溜まっている海水をポンプアップして水族館の海水として利用するという、海辺に立地する水族館としても大変珍しいシステム。実は設備設計上の難点を回避する苦肉の策としての採用だったようです(旧江ノ島水族館創立当初のスタッフで、金沢水族館を立ち上げ副館長を務めた後、本館の立ち上げメンバーに加わり、後に館長、海洋学部教授を務めた、鈴木克実先生のエッセイ「水族館日記」(東海大学出版部)に当時の苦心譚が語られています)。
そして、バックヤードのガラス面にささやかに掲示される、実に37種にも及ぶ繁殖の成果を称える繁殖賞の記録。本館の表にはあまり出てこない、もう一つの大切なテーマ。大学直属の学術研究拠点としての位置付け。
駿河湾の魚類を紹介する水槽群の中に1区画を設けて紹介される、当館がその事実を初めて確認したサクラダイの性転換。当時は異例とされた一方、現在では多くの魚種で事例が知られるようになった成長に伴う性転換の事例とメカニズムの解明。これも水族館による長期的な飼育、繁殖技術蓄積から見出された成果。その知見は漁獲資源の保護や養殖技術などにも応用されています。
深海魚コーナーの隣、多分、壁埋め込みの水槽であったであろう場所に飾られた標本と、最新の新種同定の報告を紹介するデジタルサイネージ。魚類の飼育を行う水族館は、動物園と異なりその生息環境である水と餌。更には飼育する生き物も自ら集めてこなければならない。そのような過程で協力関係を結ぶことになる地元漁師の方々から持ち込まれる、大学の研究船だけでなく漁船に同乗して採集される魚類の研究と同定、新種の発見は、飼育技術と共に、水族館に期待される研究施設としての重要な役割です。
そのような社会への役割をより積極的に担う博物館としての位置付けを示すのが、海洋博物館としての2階フロアーの展示群。
海洋をテーマにした展示ではお馴染みの「水圧でつぶれるカップヌードル」こちらの展示が元祖でしょうか。
大変珍しい、フォーレルとユーレの水色計や水深と光の波長、音波の関係など、1つ目のセクションは海洋工学の基礎的な内容が紹介されていくのですが、如何せん展示の老朽化が激しく(色褪せたオフホワイトの内装にブラウン管のTVモニターとアナログテープのVTRによる映像、透過照明のパネル等、1985年に開催された筑波万博のパビリオン展示レベル)、企業博物館ならともかく、現在の有料(規模相当ですが、安くはないですよ)施設としての水準かと言われると、正直に疑問を呈さざるを得ない状況でもあります。
同館のシンボルである巨大なピグミーシロナガスクジラの骨格標本とメガマウスの剥製が出迎えてくれる2つ目のセクションは自然科学のエリア。
前述のように、研究機関としての博物館を強く印象付ける「うみの研究室」実際の研究室を模して、様々な研究体験をしてもらおうという趣向のスペースで、実際に課外学習にも使われる(見学だけのようでしたが当日は滋賀県の中学校が団体で訪れていました)顕微鏡と試料なども用意されていますが、大変気に入ったのがサイドボードに飾られた展示物。遣唐使船の模型から貝合わせ、生物標本、メカニマル、マグロの缶詰に食塩、テトラポットに研究船。そして研究論文を挟んだバインダー。海をテーマにした研究テーマは文理を問わず広大で無限、そんな矜持を感じさせる展示。
自然科学としての研究をテーマにしたエリアには、他の博物館では余り見かけない、海洋調査で使用される機器類の展示紹介。そして、海洋測量ならではの音波の利用や六分儀(最近、めっきり使っていないですが、本人は船舶の免状も持っているので一応、使えます)。測量成果を立体的に表現する、駿河湾の立体模型も用意されます。
海洋学の一般から自然科学のエリアを経て、その奥には3つ目のセクション、海洋工学としてのエリアが続きます。世界最大の造船大国であった30年程前までの日本。当時は様々な技術開発が行われていました。波力発電、高速航行に必要となる低造波抵抗船体設計、超電導シップや、スーパーエコライナー。そして、こちらに写真を掲載している波力推進。
限られた国土面積の制約を越える、無限の可能性を海洋に見出していた高度成長期の日本。遠くない過去に置き去りにしてきた夢の残滓が、古びて傷んだ展示と共に今も当時の夢を語り続ける。
船舶の技術開発が高速性と多様な形態から高効率と低コストへと集約化し、日本の民間海洋開発、資源開発が縮小に次ぐ縮小を続ける中、依然として往時の夢を観続けられるのはもはや国や自治体などの公的機関だけなのかもしれません。私立大学/教育機関が所有する研究船、調査船が絶滅寸前な一方、現在でも膨大な予算と高度な技術を駆使した船舶を擁し、研究活動を続けるJAMSTEC(海洋研究開発機構)からの委託による展示スペース。
その反対側には、海に出る者にとって今でも必須な技量である「ロープワーク」を紹介するコーナー。科学技術がどんなに進歩しても、船に命を委ねるのは人間自身。自らの命を守る基礎となる技術は欠かせないものです(もちろん、釣りやキャンプ、山仕事にもばっちり応用できますよ)。
コーナーの奥の方には、海と人々の歴史が生み出してきた証となる、地図の歴史をテーマにした小展示も用意されています。
2階フロアーの前半分は海洋学の展示ですが、後半の半分は当館の名物でもある機械水族館、メクアリウム。残念ながら泳ぐメカニマルの方は展示休止中、動くメカニマルは全て稼働状態にありましたが、こちらも流石に展示の古さが否めなくなってきています。
ほんの一例だけ。
ガラスケースの中に飾られた、本来であればオープンスペースで展示されたであろう作品たち。「新しい」とキャプションが振られていますが、こちらもかなり古い物。彼らの活躍を目にすることなく、展示施設としてのメクアリウムは終焉を迎えそうです。
薄暗い照明の下で入場者がリモコン操作できるメカニマルが動く度に、ちょっと懐かしい賑やかなギヤとリンク、モーターの音が響く、時が止まってしまったかのような展示室。メクアリウムの展示としては最終盤の設置だったのでしょうか、唯一1995年という年号が付記された、メカニマルの基本動作を表現した動くオブジェ「リンク」。生き物の構造を工学的に模倣するという視点と研究は今でも価値があり、産業機器としてこれらのリンク機構が使われる部分もありますが、複雑なリンク機構は保守性と耐久性の問題もあり、何よりも海洋など極限の環境で使用するには信頼性が重視されるため、避けられる傾向にあるかと思います。
2階の展示スペース最後のエリアは所謂SDGsのコーナーとしてリニューアルされていますが、パッと見て分かるように、一般的にはあまり語られない、企業にとってのその制度の本質を突く目的で地元企業が協賛の形で設けた展示。水族館のバックヤードでも感じましたが、水族館としての根幹である飼育と展示環境は何とか維持している一方、それ以外の部分はもはや自力での展示内容更新すらままならない状況にある事が改めて伝わってくる、海洋科学館としての展示内容。その姿は、今や廃墟として囁かれる事もある、同大学が経営にも関与していた「三保文化ランド」に通じるものがあるかもしれません。
出口のスロープにひっそりと掲示されている、少し疲れた感じのある1枚のポスター。延び延びになっていた計画が漸く動き出し、2026年4月のオープンが予定される、より市街地寄りの日の出桟橋に静岡市がPFIとして整備し、JAMSTECが展示協力を行う「海洋・地球総合ミュージアム」。2022年6月1日の運営企業体への入札開始を受けての発表となった、今回の有料公開終了(実質的には「閉館」)。契約文面に示されるように、東海大学は静岡市との協定により同事業の水族飼育分野を受け持つ事が定められている一方、PFI自体の運営には参加しない模様です。
報道等ではあまり述べられていませんが、現在の水族館施設は新たなミュージアム施設のバックヤードとして開館後15年間はその役割を果たす事が明文化されており(その間はPFIからの委託手数料が維持財源となる)、本来であれば開館50周年を迎えた2020年に公表される予定であった内容。しかしながら計画の遅延により、三保地区からの撤退が囁かれる中で新たなミュージアムへの移行が開始する前に公開終了の発表を行うという、東海大学としてもかなり厳しい判断となった今回。
清水に関連施設を集積して以来、高度成長期の波に乗ったレジャーを含む総合海洋開発を目指す一大コングロマリットのキーパーソンとしての役割を果たす事を願った、建学当初から強い産業指向性を持つ私立大学の夢が、50有余年を経て駿河湾の波間へと消えゆく中で。
毎年、多くの卒業生が此処で学んだ飼育技術を携えて全国の水族館へと巣立っていく。全国の水族館の飼育を底辺から支える揺りかごとしての役割は今暫く維持されるようですが、無限の可能性を秘めたまま冷めて往く海洋開発と、未来へ向けた夢の欠片でもある、美しい水塊と魚たちの姿を50年以上に渡って守り続けた同館。一般の方々がその姿を直接見られるのは、あと8ヶ月ばかりとなります。
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