強い風が吹く春分の日から、春霞の中、穏やかで暖かな日となった連休二日目。
人出の少ないこの春ですが、折角なので少し足を延ばしてこれまで寄る事の出来なかった場所へ。
高速道路を1時間ほど。両岸の山裾や天竜川沿いを抜ける道筋は幾度も通っているのですが、入り組んだ街路へと入る事の少ない伊那谷の市街地。その中心部にある県合同庁舎の裏手にあるモダンな建物。
昭和初期に地元で製糸工場を興した人物がその全額を負担して建築されたとされる、閉館までの長期に渡り民間運営とされた私立図書館、旧上伊那図書館。片倉館を設計した森山松之助が基本設計を手掛け、飯田にある追手町小学校を設計した黒田好造が実設計を行ったとされる、虚飾を廃した昭和モダンのシンプルで味わい深い造形が美しい建築。現在は伊那市創造館として、学習教育施設に生まれ変わっています。
内部は改装されて学習室と展示スペース、多目的ホールとされた伊那市創造館。
今日は、こちらの「蕎麦は正義」展を見学にやってきました。
薄暗い展示スペースの中に飾られた、家庭で使われていたという蕎麦打ちの道具。実は本展で明確に蕎麦と伊那谷の関係性を伝える展示物は、こちらと石臼、蕎麦粉を捏ねる鉢の各一点のみ。壁面にガラスケースが連なる展示室ですが、ほぼすべての展示ケースは、こちらのようながらんとした解説パネルで占められます。
そして、展示の内容もちょっと掲げられたテーマとは離れた内容。しかしながら伝えたいと願うイメージは明確です。
伊那谷の行者そばこそが、そばの発祥であると表明したいという願い。それにもかかわらず、伝統的な家庭料理(蕎麦が打てなければ嫁に行けないとされたという)故に、伊那の市街地には殆ど蕎麦屋が発達しなかったという事実。一方で、保科正之の会津転封により伊那から伝わったとされる会津地域における高遠そばの発展と、その元祖として逆輸入する形で有名になったお隣の高遠そば。全国に広まったご当地蕎麦の存在。それらに対して地域活性化の新たな一手としての蕎麦の活用を目指す、地元伊那(この場合は「旧伊那市」)の活動を伝える展示。
高遠そばの繋がりで親善交流を続ける会津若松や全国各地のご当地そば、地元伊那、高遠の蕎麦店マップなどのパンフレットが豊富に並べられ、何やら観光や産業振興のPRを見ているような気分になってきますが、当館のスタンスを考えれば尤もな展示内容かなと改めて思いながら。
息が詰まるくらいに暗く圧迫感のある展示スペースに煌々と明るいガラスケースというちょっと秘密めいた展示エリア。パネル展示なら室内照明自体も明るくした方がよいのではないかとも思ってしまいますが、実は真っ暗な展示室の奥にある休憩スペースにはちょっとしたお楽しみも。
昭和43年に、信州に所縁を持つとされる看板を受け継ぐ、麻布十番にある永坂更科布屋太兵衛が制作した「蕎麦絵巻」その全巻が壁一面と卓の上に飾られています。
遙か古代から当時の蕎麦屋(もちろん更科の暖簾分けのお店を中心に)と蕎麦の産地の分布を重ねた全国地図を巻末として、時代ごとの世相に描かれた蕎麦の姿を綴る錦絵風の大作。暗くちょっと息苦しい空間ですが、この作品を眺めているだけであっという間に時間が過ぎてしまいます。
実は1階の展示室でも「信州伊那谷の美味しい昆虫」というミニ展示(こちらもパネル展示です)が行われており、企画展と合わせて地元の食文化に触れられる機会となっています。
企画展はここまでですが、伊那市創造館の展示ハイライトは実はこちら。
いずれも国指定の重要文化財となる、神子柴遺跡から出土した石器の展示と、顔面付釣手形土器の展示エリア。
和田峠のお膝元、下諏訪の博物館や諏訪地域の博物館でも見かけることが少ない、削り出した跡が克明に分かる、見事に黒光りする黒曜石の石器が放つ迫力には思わず目が釘付けになります。
そして、この施設一番のお宝でもある、御殿場遺跡から発掘された顔面付釣手形土器。
展示ケースの裏側にも入れるようになっているため、その背後に施された複雑な造形もじっくりと眺めつつ驚かされる逸品。土曜日のお昼前のひと時、来訪者のいない館内を暫し独り占めで楽しんでしまいました。
一般開放はされていませんが、中央構造線を有する多様な地質を擁する当地の岩石標本など多彩な収蔵物も擁する、産業・観光振興や多目的学習施設としての位置づけを有する伊那市創造館。入館は無料、幕末から明治中期にかけて伊那谷を転々と寄宿しながら詠み続けた漂泊の歌人、井上井月を顕彰する展示室以外、撮影は可能です。
そして、天竜川を渡って車を走らせること20分ほど。白銀の南アルプスをバックに穏やかな午後の日差しを受けてエメラルドグリーンに輝く、満々と水を湛える高遠ダムの畔。
市街地にある伊那市創造館から一変して、同じ市内でも歴史溢れる街並みを誇る観光都市、城下町高遠を代表する観光スポットの一つでもある伊那市高遠町歴史博物館。
先ほどの伊那市創造館とは打って変わって、風光明媚な湖畔を望む斜面に建てられた如何にも近世をテーマにした美術館風の佇まい。そのせいでしょうか、こちらの入館料は有料(因みに、入館受付が高遠城址のお城ご朱印状(御城印)の受付でもあるのですが、結構高いのだと…。)、周囲の資料館、美術館などとの共通料金制もない点は、観光地故でしょうか。高遠町という表記をいまだに残すことからも、同じ市内でもかなり異なる印象を受けます。
そして、伊那市創造館と決定的に異なる点は、高遠ダムの湖畔を望むロビーを含めて館内が全面撮影禁止である点。最近の博物館の状況を鑑みるとちょっと不思議にも思えてきますが、展示内容も一般的な公立の歴史博物館のイメージとは少し異なる、低い天井と多人数を同時に収容できる広々とした動線で主に近世、近代初頭の高遠に遺された武具や書画、藩校進徳館に繋がる所蔵品や在学した地元出身者の遺品をガラスケース内で展示するという、古美術品の美術館といった雰囲気が濃厚に漂う施設。
今回の特別展は、そのような施設の雰囲気とだいぶ異なるテーマとなる「ふるさとごはんの300年」展。
写真撮影は出来ませんが、こちらのように展示内容と出展目録(期間中の展示替えを想定されているのでしょうか、一部未展示と思われる掲載品もあり)のパンフレットが用意されており、展示内容や意図が明確に把握できるよう配慮されています。
今回の展示のきっかけとなった、一昨年から杖突峠の麓、藤沢の集落にある農業レストラン「こかげ」で提供を始めた、参勤交代で伊那に入部する際、藩主が必ず最初に立ち寄ったとされる御堂垣外宿本陣、藤澤家に残された献立を元にして作られた「殿様御膳」。この成果を広く紹介する事を目的とした活動の一環として、レシピの復元にも協力した博物館サイドが実現した展示企画であることが冒頭で述べられていきます。
博物館で「食」の展示は難しいのでは?と思ってしまいますが、模型と復元調理の写真を合わせて紹介する事でそのイメージを何とか伝えようという思いが伝わる展示内容。実は展示を見ていくと料理の復元というテーマ以上の姿が浮かび上がってきます。それは、高遠、伊那谷の歴史を重んじる風土に支えられた、豊富に残された古文書たちが語りだす、当時の食生活、残された食文化の姿。
本展で紹介される復元料理は、食材の点からも、調理法や調味料の製造手法の点からも残念ながら何処まで行っても当時の味には迫れない(このあたりのお話は、日本の中世、近世食文化史、醸造技術史の研究をされている吉田元先生の著作をご参考頂ければ)事は明確にしておく必要があるかと思いますが、だからといって古文書に書かれた内容には些かの影響を与える事ではありません。むしろ、豊富に残された古文書に綴られた食材の数々がどのように伊那谷の山深くまで伝わってきたのかを考えると、一膳一膳の品書きと復元された献立の姿に思わず唸ってしまいます。
殿様御膳や伊能忠敬の測量隊が伊那谷を通過した際の献立(残っているのか!)、宴席での本膳の品書きなど、帳面として残されていた膳の姿が読み下し文を添えて飾られていますが、殿様御膳といっても現在の食卓の姿と比べると極めて質素なもの。しかしながら炊き合わせには松茸が添えられていたり、川魚や焼玉子、名産で献上品ともなっていた岩茸が含まれるなど、当時としてはもてなしの膳であったことがわかります。また、寒冷な土地柄を示すように干瓢、豆腐、茸、山菜、漬物など地の物や貯蔵に適する食材が積極的に使われる一方、貴重な青菜は保存して周年で用いられたと指摘されています。
そして、何よりも驚くのが魚類の多さ。川魚がふんだんに食膳に上るのは理解できますが、目を引くのは数多くの海の魚、魚介類。海苔から始まり烏賊、鰤(イナダ)、鰺、鯔、鮭に、明らかに足の速そうな鯖に鯛、更には鮪、海老!!(海の海老だけでなく諏訪湖からは小海老を取り寄せていたと)。
更には伊能忠敬達に供されたとされる献立には、学芸員の方は簡素なと評していますが、岩茸や赤魚(ハヤ)の魚てん(天ぷらか)、など山の幸だけではなく、遙か伊那谷の奥、高遠の膳に奈良漬や鯔、更には琵琶湖から近江商人の手を経て運ばれてきたと推察する江鮭(ビワマス)と、これ程の賄いが出来たのかと感嘆してしまいます(後日請求する金額もしっかり述べられていますが…人数も相応だったこともあり、流石によいお値段)。
大きな街道から外れた山里の小さな城下町というイメージを完全に払しょくする、豊かな財力を有する町民たちに支えられた藩庁と、その豊かさを物流面で支えた中馬業の発展、更には高遠の城下町でそれらの荷を継立てする際に、更に北方の松本に対しても相互に海産物の余剰品売買が行われていたことを示唆する、列島を縦断する物流ルートが構築されていたことが示されます(伊那の方々が今もイナダ(鰤)を珍重されるのは、明らかに飛騨越えの日本海ルートに通じる鰤街道からの流入があった事を示していますね)。
山間部であっても豊かな経済力を背景に物流が支えた饗応の膳。その一方で、当地から送り出される食材についても本展では語られていきます。各地から江戸表に運ばれ、公儀への献上品として、要路への付け届けとして贈られた特産品。本展が秀逸なのは、これらの献上品の集荷や帳面の史料を提示するとともに、公儀への披露を行った事を返答する老中奉書の現物も展示されている点。江戸時代の歴史にご興味のある方であれば、披見した相手が判らなくても、直筆の花押が添えられた奉書主となる老中の名前だけでも、その時代がすぐわかってしまうのではないでしょうか(此処で田沼意次の老中奉書に巡り合うとは…感涙でした)。
豊富に所蔵する古文書を駆使した近世の膳から見る伊那谷の姿を示す前半部分。後半の展示は少し詰めた形で近世以降の姿を示していきます。品書きには表れてこない、しかしながら絵図や地誌からは明確に分かる狩猟者達の存在、山仕事の食事で使われる「めんぱ」と呼ばれた、一昔前のお弁当箱にも繋がる小判型、丸形の、抱えるほどの大きさのあるご飯を入れるお櫃からアルマイトのお弁当箱に給食の食器(見学者の方が展示を見ながら自分たちが使っていたものとの違いに声を上げられていたのも印象的)。そして伊那谷という気候、風土が生み出す食の姿はB級グルメから給食と食育への想いまで。
今年は桜まつり開催の中止が決まり、何時もの年よりちょっぴり静かな桜のシーズンを迎える事になる春の高遠。桜を眺めた後にちょっと寄り道して、食という形の残らない、でもしっかりとその地に息づく人々の暮らしを伝える記憶に触れてみてはいかがでしょうか。
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