美ヶ原をビーナスライン側からでも、松本側からでも眺めると一番に目に入って来るもの、それは主峰である、王ヶ頭を埋め尽くす電波塔の数々。
美ヶ原の名所、美しの塔からもその威容を遠望する事が出来ます。
山頂に立つ、王ヶ頭ホテルの周辺を埋め尽くす電波塔の数々。
これらは、電力、通信各社及び遠距離通信を業務上必要とする機関が設置したアンテナ群ですが、その中には私たちの生活に密着しているアンテナも含まれています。テレビ放送の送信アンテナ(送信所)です。
電波の特性として、特に周波数の高い波長を使う場合は直進性が高まるために、山地やビルなどの障害物があると電波が届きにくくなります。山々に囲まれた信州で電波を使った長距離通信を行う場合、この問題は非常に厄介であり、解決するためには、携帯電話のように多数のアンテナを建てることでセル状にエリアをカバーする方法(ちなみに、執筆時点で美ヶ原の台地上ではauの携帯電話は美術館付近の一部でしか繋がりません。softbankはほぼ全域でOKですが、落合大橋付近はエリア外です。ビーナスラインの八島湿原以北から美ヶ原のアプローチポイントである落合大橋付近までは、softbankのみ通話可能でdocomo/au共に圏外)が採れます。これはエリアのカバー率を確保するためには必須の方法ですが、多数の中継局を設置しなければならず、維持するためには非常にコストがかかります。
もう一つの方法としては、見通し距離(視界を遮らない距離)が確保できる標高の高い場所にアンテナを立てることで、広域に電波を伝えるマウンテントップ方式という方法を採ることが出来ます。この方式の場合、アンテナ設置場所が環境的に極めて厳しい場所となり、設置自体も困難であり、設置コストは更に膨大となりますが、電波伝達エリアの広さはそれを上回るほど魅力的であり、近年ではFM局が、自社の放送エリアを実質的に広げるために(営業エリアが広がる=広告収入が増やせる)、敢えて送信所を山頂に移す動きが複数見られます。
FM-Fujiが、親局の甲府を上回る出力で三ッ峠に東京側へ指向性をつけたアンテナを建てることを申請したのがその嚆矢でしょうか。結果として出力は抑えられてしまいましたが、現在に至るまで東京方面も営業エリアとして天気予報や交通情報も東京向けを併せて放送しています。これに刺激を受けたのがNack5で、飯盛峠にアンテナを移す事で関東平野一円をサービスエリアとすることに成功、今やエリアNo1の人気と豪語するまでになっています。更に続いたのがFM-yokohama。名目上は県中部および西部の受信環境の改善として、東京湾沿いの円海山から、一気に丹沢山地の南端に当たる標高1200mの大山へ大胆にもアンテナを移設しました。これによって三浦半島や市内中心部では著しい受信不良を引き起こしたようですが(後に元の送信所だった場所に周波数を変えて中継局を開設)、多摩地域から北関東方向に対しては狙い通り大幅にエリアを広げる事が出来たようです。三方向から攻められて受けて立つ側となったFM東京は桧原村に出力300Wという大出力中継局を開設して西側、中央高速方向にエリアを大きく広げる一方、親局を設ける東京タワーはご存知のように地上デジタル放送がスカイツリーに移る事で空いたタワー最上部に高利得のアンテナを配置、実効出力で実に125kWというハイパワーは日中でも野辺山で良好に受信できてしまいます。
ちなみに、マウンテントップ方式はこれらの効果を意図せずに生じさせることがあり、他の放送エリアに対して混信を誘発する(スピルオーバー)事があります。
アナログテレビの際には、スピルオーバーを利用した視聴が隣接地域において普通に見られましたが、デジタル放送は混信を嫌うため、難視聴対策と併せてスピルオーバー対策が厳密化されており、この事実が信州の方にとっては忌まわしい、あのLCV事件を引き起こす結果となっています)
山頂の御嶽神社の裏側に聳え立つ、局舎と送信アンテナ群。
ここには、長野県内で放送事業を行う放送局各社の親局アンテナが集中しています。
山頂付近をぐるっと巡ってみましょう。
松本側、美ヶ原自然保護センターを見下ろす、一番低い場所に建てられているのが最後発の長野朝日放送(ABN)。
デジタル放送用のアンテナは、強烈な風雪に耐えるためにか、カバーに収められており、普通のアンテナをイメージすると、拍子抜けするほどシンプルな造形です。
こちらも、山頂部から少し下がったビーナスライン側の山裾に建つ、テレビ信州(TSB)の送信所。
デジタル放送のアンテナから、パラボラアンテナまで間ががらんと空いてます。この部分には、アナログ放送時代のアンテナが取り付けられていた筈ですが、既に取り外されてるようです。
山頂部の崖っぷちに建つ、前掲の2社より少し大きな局舎を有する長野放送(NBS)の送信所。
こちらは2本のアンテナが建てられています。
トップ部分にはデジタル放送用のアンテナが見えていますが、後発2社と違ってカバーが取り付けられていません。
局舎の標高は建築された順で徐々に低くなっていますが、アンテナトップの高さは3社ともほぼ同じです。
そして、王ヶ頭の中心部、一番広いスペースに中継用のマイクロアンテナをずらっと並べているのが某国営放送様と、何故か信越放送(SBC)が同居しています。
アンテナトップは他の3社よりわずかに高いポイントを確保しています。
局舎の裏側、御嶽神社を挟んで塩尻方向にもう一本アンテナが建っています。
高さ的にはこちらが最高峰、NHK FMの送信アンテナです。
局舎とは地中のケーブルを通じて接続されています。
こうやって書いてしまうと、流石は某国営放送。山頂の一番広い場所を占めているは、アンテナは複数持っているは、民放にお情けで局舎まで貸しているは…と早合点しそうなのですが、さにあらず。
ここは信州。地に根付き、学研的な態度を重んじながら地道に物事を進めていこうとする気風が、この山頂にも見て取る事が出来ます。
王ヶ頭の頂上部。2034mの標高を示す石碑より更にもう一段高まった、最も高い場所に他の局舎とは全くフォーマットを異にする建物と地上から立ち上げられた頑強な櫓が印象的なアンテナが見えてきます。
NHKの局舎に同居していたはずの信越放送(SBC)。この狭い山頂(一般的に見ればかなり広いのですが…)で唯一2か所の局舎を有するのには、深い理由があるのです。
敷地の中に建てられた石碑。
ただ一言、「電波銀座を拓く」と書かれています。
局舎の敷地を囲う金網の中にあり、観光客の方には誰一人として目に留めることが無いこの石碑。この石碑と、南極観測基地を参考にしたとも謂われる異様な形をした局舎は、美ヶ原の複雑な歴史を証明する、貴重な記録なのです。
詳しい物語はこちらのページ(美ヶ原観光連盟)をご覧頂きたいと思いますが、皆さんがここまで歩いてきた美ヶ原へのアプローチルートも、草原を抜ける遊歩道も、そして周囲の道路が冬季閉鎖になるにも拘わらず、なぜ王ヶ頭ホテルが通年で営業が可能なことも…。
すべては、マウンテントップ方式の放送設備、電波設備を維持するために付帯的に行われてきた整備結果としての産物。
それだけに、この美ヶ原が一見して自然環境を愛でる地であるように思えますが、前述の牧草地同様に、実際には標高2000mに繰り広げられる実に人工的な場所であることを象徴するのが、これら電波塔群であったりもします。
信越放送の局舎の前に転がっていた巨大なベルトと鉄の爪。
雪上車のクローラーに用いる物なのでしょうか。マウンテントップのアンテナ維持の困難さを示す証拠として。
後には天井部分を利用して建設資材が置かれる、コンクリートのシェルターも見えます。
現在のトップに構えるNHKと信越放送の共同局舎。
これも、デジタル放送に切り替える際に、これ以上王ヶ頭に電波塔を林立させないための配慮の結果とも謂われています。
信越放送の旧局舎はデジタル放送に転用されることなく、現在ではFM長野の送信所(最近、信越放送のワイドFM(FM補完放送)の送信所としても再復活、こちらはアナログテレビ時代の知見を活かして美ヶ原の親局は大胆に北東側に指向性を付けて県北地域を手厚くした上で、何とすぐお隣の高ボッチにTVを含め初となる中継局を設置、南東の諏訪と南西の伊那谷、標高の高い美ヶ原からは死角となる麓の松本を含む西側を高ボッチ1局でカバー)として使われているようです。
碧空に建つ、デジタル放送のアンテナと美ヶ原の草原の眺めを。
にわかには信じられないかもしれませんが、視界に入る風景の多くが人為的に作られ続けたもの。一度でも人為的に手を入れたものは、営々と人が手を入れ続けなければどのような結末を迎えるか…、草原のあちこちに足の踏み場もないくらいに見受けられるシカの糞跡を眺めながら。
中腹の三城から、岩山の上に乗る、王ヶ頭のアンテナ群を望みます。
我々が何気なくテレビを付けて番組を眺められるのも、このような施設の維持がなされてこその事実。決して自然でも天然でもない、美ヶ原のもう一つの側面を見つめて。
美ヶ原牧場全体のコースマップと、テレビ各局のアンテナレイアウトです(地理院地図を利用しています、クリックでフルサイズ)。
長野朝日放送だけが松本市地籍にアンテナを有しています(その他は上田市地籍です)。
赤線が徒歩でのコースマップです。車は山本小屋の駐車場(ビーナスライン側)もしくは、美ヶ原自然保護センター前の駐車場(松本側)に駐車します。